2009-04-24

お部屋1827/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任【追記あり】

なぜ中村克さんはこうも次々と燃料を投入するんですかね。本日はこんな玉稿を発表。絶好調です。

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ほぼ100%の書店さんが、今でも良いイメージで売ってくださっている「最後のパレード」のほんの些細な手続き上の瑕疵をとらえ、攻撃を続ける一部の人たちは、この本の売り上げにより、年間2000万円以上(推定、初版47000冊分だけで150万円以上)がユニセフに寄付されることなどを考慮せず、一部が悪いと全体を否定します。

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ほんの些細な手続き上の瑕疵…。

パクリをやらずに書けば、それだけの金額が寄付できたのだから、今後、本が回収、絶版になった時は、自腹でその金を寄付すると宣言したのですね。寄付の相手は日本ユニセフ協会じゃない方がよりよいと思いますが。

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草薙さんも同じです。私も草薙さんからたくさんの幸せを「心のはーとディスク」にインプットしていただきました。特に映画「私は貝になりたい」での草薙さんの演技には感動してしまいました。

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草薙厚子だと思ったじゃないですか。さすがに「ゼリの根」グループ漢字の間違いに無頓着です。

お気に入りの「はーとディスク」という言葉が今回も出てきてますが、検索してみたら、「ハートディスク」というフレーズがいくつもひっかかります。タイプミスも多いのですが、商品にまでなってます。また、日テレの「カートゥンKAT-TUN」という番組のコーナータイトルに使われているようです。

誰でも考えつくフレーズってことであり、そもそも著作権が発生するようなものではないですが、なにしろ『最後のパレード』の著者ですから、たまたま見たこのフレーズを「はーと」に直したってところじゃないでしょうか。

さて、私が気になるのはそんなことではなく、「ほぼ100%の書店さんが、今でも良いイメージで売ってくださっている」という点。

著者も出版社も著作権侵害と認めて以降もなお出版社や書店が売り続ける行為をどう考えるべきか。これについてはしっかり論じたものが見当たらないので、私の考えを述べておくことにします。

著作権侵害の疑いがあった時に、「出版社はどうするのが好ましいのか」については、これまでことあるごとにメルマガで論じてきていて、私なりに考えはまとまっているのですが、今回のようなケースは想定外です。

たとえば、著作権侵害の疑惑が出たところで、事がはっきりするまで売り続ける判断を私は批判しません。疑惑とされるものの中には、「パクリではあっても著作権が発生している文章ではないだろ」ということもあるし、「このくらいは偶然があり得るだろ」ということもあって、疑惑があるというだけで回収していたら、出版社は潰れます。返本にだって金がかかるんですから。

時には事が大きくなる前に手を打つため、さっさと絶版にしてしまう出版社もあって、「時期尚早だろ、もっと議論しろよ」と思ったこともあります。

しかし、今回の場合は、出版社も著者も著作権侵害を認めているわけですから、あとは「具体的にどこがどう著作権侵害だったのか」を調べ、「どう権利者や購入者との間で解決を図るのか」という課題と、社会的な責任と再発防止のために「なぜそんなことが起きたのか」を検証する作業が残るだけです。

ほとんどあり得ないと思うのですが、『最後のパレード』で盗用されたすべての原著作者、権利者との間で、「使用料を払っておしまい」という解決もあっていいでしょうが、人格権の観点から言えば、「原文のままに戻す」「著者名を明記する」ことは必須かと思います。

となれば、今のままで売り続けることができる可能性はまずなくて、本を売り続けることができるとしても、今販売しているものを破棄して、新版を出すしかない。そんなもんを出したところで、誰が買うかってことになるので、別の出版社が改めて編集した方がいいでしょうけど。

なんにせよ、現在販売しているものは欠陥商品であることには疑いがない。それでも版元が売っているのは、「この段階で回収になったら会社が潰れる」ということでしょうけど、知ったことかって話です。

ギリギリ容認できるとすれば、「この作品は盗作です」というシールを貼るなり、ポップを作って売るってことではなかろうか。購入者がそれでもいいというのであれば、客との関係においては問題がない。

ただし、原著作者や権利者との関係が悪化することを覚悟するしかない。裁判にでもなれば、賠償金がふくれあがることになりましょう。それでもいいというのであれば売ればよい。

では、続いて書店が販売することはどうか。取次に関していえば、商品の是非など判断せず、ただ商品を右から左に流すのが仕事ですから、出荷停止なんてことをすべきではない。こんなことをしたら、取次の役割はおしまいです。

しかし、書店に関しては「売れる売れない」「好き嫌い」という判断で本を注文したり、返品したりしている以上、本の販売には書店の判断が加わっていて、盗作であることを知りながら売り続けることには大いに疑問があります。これだけ情報が流れている以上、「知らない」では済まない。

書店としては、今しか売り時がないですから、売り切りたいのだろうと思いますが、であるならば、これが盗作であることを周知すべく、やはりポップをつけるなり、新聞記事を貼るなり、レジで説明するなりすべきです。著作者、権利者からの要求がない限り、この方法で売り続けることを私は批判はできないです

しかし、それをやらずに今なお販売している書店は、欠陥商品であることを知りながら客を騙しているに等しく、詐欺呼ばわりされてもやむを得ないのではなかろうか。

一読してパクリであることを見抜くことなどできるはずがないですから、ここまでこれを推薦した書店が恥ずべきとは思わないですが、今なお売り続けている書店、中でも推薦のポップをつけているような書店は恥ずべきです。

とは言え、あんまり自信がないので、異論のある方はコメント欄にお書きください。

追記:おそらく出版社からのアドバイスがあったのでしょうが、中村さんは、文章を削除したり、手直ししたりしています。今回引用した文章も削除されましたので、リンクを魚拓に差し替えました。いまさら手遅れだと思うので、このまま突っ走って欲しいです。

追記2:表示したところで、あるいは、表示することによってこそ、版元だけでなく、書店が『最後のパレード』を販売することは著作権法違反になりそうです。詳しくは次のエントリー「1828/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任 2」参照。

このエントリへの反応

  1. この勢いでは、さすがの「行動する右翼」各位も中村さんの支援はできないですよね。

  2. 「草の根」は見捨てるでしょうけど、瀬戸弘幸はまだわからんですよ。「ベランダのクソ事件」を考えても、まだまだイケるんじゃないかな。

  3. [...] 「書店の責任」については、「書店が売り続けていいいのか」といった意見はありつつ、その理由をきれいに説明したものはなく、だからこそ私もまとめる気になったのですが、昨日あたりから、これについて言及する人がチラホラ出てきています。 [...]

  4. [...] 「書店が個別の本について著作権侵害であるか否かの判断はできず、出版社から回収する通告がない限りは販売する」ということなのだろうと思うのですが、「1827/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任」「1828/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任 2」で述べたように、書店は日常的に本を注文するのかどうか、店頭に出すのかどうか、それを積極的に売るのかどうかの判断をしています。この本を積極的に推薦してきた書店も多数あります。推薦はできても、販売しない決断はできないってどういうこと? 出版社が著作権侵害があった可能性が高いと認め、謝罪もしている本について、なお書店が「著作権侵害があったのかどうか判断できない」なんてことはあり得ないわけで、「売れるもんなら盗作でもかまわず、法に反していてもかまわないし、自ら違法行為をやってもかまわない」という判断をしていると見ていいでしょう。 [...]

  5. [...] 「書店が個別の本について著作権侵害であるか否かの判断はできず、出版社から回収する通告がない限りは販売する」ということなのだろうと思うのですが、「1827/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任」「1828/『最後のパレード』における版元の責任・書店の責任 2」で述べたように、書店は日常的に本を注文するのかどうか、店頭に出すのかどうか、それを積極的に売るのかどうかの判断をしています。この本を積極的に推薦してきた書店も多数あります。推薦はできても、販売しない決断はできないってどういうこと? 出版社が著作権侵害があった可能性が高いと認め、謝罪もしている本について、なお書店が「著作権侵害があったのかどうか判断できない」なんてことはあり得ないわけで、「売れるもんなら盗作でもかまわず、法に反していてもかまわないし、自ら違法行為をやってもかまわない」という判断をしていると見ていいでしょう。 [...]