2010-11-23
女をこじらせてその2・暗黒のスクールライフ中学校編
話はいきなり幼児時代にさかのぼりますが、まず、私の家はガッチガチに厳しかったです。
私の小学生時代は『りぼん』を読んで恋だの愛だのに想いを馳せながら岡田あーみんとさくらももこに爆笑し、『Dr.スランプ』と『きまぐれオレンジ☆ロード』のジャンプ勢をネタにこっそりオナニーを繰り返すというわりあい健全なものでした。健全……なにをもって健全とするか微妙なところですが、幼女がオナニーしてるという事実に衝撃を受けた人のために一応説明を加えると、私がその行為を覚えたのは幼稚園の頃だったと思います。正確に言うと母親に注意された記憶があるのが幼稚園の頃。最初は別にエッチなことを考えてとかではなく、単にさわってたら気持ちいい、というのを発見してしていたのが、そのうちエッチなものを目にするとしたくなったり、エッチな妄想を思い浮かべながらするようになったりしていきました。ちなみに親に注意された言葉は「ばいきんが入るからやめなさい!」でした。モゾモゾする幼女を娘にお持ちの親御さん、参考にしてください。おとなでもばいきんには注意! ですよ〜。
その際、私が何をしているかさすがに気づいている親には『きまぐれオレンジ☆ロード』を買うことを途中で禁じられました。禁じられていなければエロ妄想も変な方向にエスカレートしてゆくこともなかったかもしれません。まぁ、禁じられなくてもっとはっちゃけてた可能性もありますので、一概にどうとは言えませんが。
ちなみに当時のエッチな妄想というのは、女の人が捕まえられて実験台の上に手足を開かされて拘束され、一枚ずつ衣服を切り裂かれて恥ずかしい写真を撮られるというものでした。幼児なので性行為を知らず「裸がいちばんいやらしい」と思ってたんでしょうね。それにしても拘束……。エロ本を一切見てなくてもこれぐらいのことは思いつく人間の業の深さに思いを馳せてしまいそうになりますが、人間の業じゃなくてお前の業だよ! そんな妄想に比べるとよっぽどジャンプマンガのほうが健全だと思いますよね……。鳥山明はガチでエロいと思いますけど。鳥山明先生のおかげで「実験台に人が寝かせられる」っていう発想があったんだと思いますけど。
当時はその行為がオナニーだということもまったくわかってなかったし、それゆえ罪悪感を持つこともありませんでした。人に見せるもんじゃないし別にいいや〜って感じで、シルバニアファミリーでクマ夫婦の夫が、隣に住むウサギ夫婦の奥さんに森の奥で襲いかかるという不倫ストーリーのままごとをやったりして遊んでました。「だめよ、だめ!」と言いながら丸裸にされるウサギの何がエロかったのか今となってはよくわかりませんが……。当時はばっちり興奮してました。
お気に入りのエロ妄想はその後どんどんふくらんでゆき、「未来の世界では男だけでぎゅうぎゅうになった満員電車の中に女が4〜5人ずつミニスカで乗らなければならない法律があり、何をされても文句は言えない」などという、エロマンガすら読んでないのにそんなこと思いつける想像力っていうか危険思想に自分でもビックリというものに進化(?)していきますが、あくまでも妄想の主人公は自分ではなく、大人の色っぽい女の人でした。自分が子供すぎて自分がそういう対象になるとは思えなかったというのもあったし、「大人の色っぽい女の人」も完全に他人というか、自分とは異人種みたいな感覚で、自分がいずれそうなると思っていたわけでもなかったと思います。あくまで大人の女の人は他人、エロいのは大人の女の人、自分は子供だから関係ねー! というスタンスだったのです。
その後、ジブリ作品を契機にアニメ雑誌に夢中になっていた私のことを何にも知らない父親がお土産に『明星』を買ってくるという事件がありました。小学生の私は、学校での流行に合わせるためにいちおう光GENJIが好きなフリをしていたんですが、まさか親までそのフリを真に受けるとは……。「こんな本買うお金あるんだったら『アニメディア』か『ニュータイプ』買ってよ!(※『アニメージュ』だけは自分で買ってた。当時お小遣い600円なのでそれしか買えず)」と心で叫び、無言で泣きながら受け取ったのを覚えてます。親の好意は嬉しかったのに、それを喜べない自分っていやなやつだ……と思いつつページをめくっていたら、最後のほうの白黒ページに「オナニーがやめられない」という悩み相談があったんですね。それへの回答は「オナニーしたからバカになるなんてことはないし、健康にも問題はありません。罪悪感を持つことはないのですよ」みたいなものだったんですが、それを読んで「ユリイカ!」みたいな気分になり、初めて自分のしていた行為が、一般的には悩んでハガキを送るぐらい恥ずかしいことであり、性的なことなのだと自覚したわけです。すごく気持ち悪かったですね。純粋な楽しみだったのに、それを読んで以来、したあとにはすごいイヤ〜な気持ちがこみ上げてくるようになりました。初めて「汚れた気分」になったし「これは人に絶対に知られてはいけないことなんだ」という感情が生まれました。
それでも、その頃はまだ良かった。性的な妄想はあくまでも「知らない女の人」に対する興奮であり、自分自身の性欲やセックスとは関係ない、と切り離していたからです。知られてはいけない行為だ、とは思うものの、なぜかその妄想自体がいけないとか、おかしいとかは思わなかったんです。「自分がそうしたい」という欲望でもなかったから、自分はいやらしいんだ、とも思ってなかった。どんなに頭の中はいやらしくても、自分は普通の女のコなんだ、と思ってました。
その感覚が揺らぎ始めたのが中学生のときでした。小学校では誰が美人とかかわいいとかそんなことは別に大した問題じゃなかったのに、中学に入るや否や自分が望むと望まざるとにかかわらず、外から「美人判定」「カワイイ判定」「ブス判定」をされるようになったんですね。そしてそれが女子の間での力関係にも影響してくる。その「見た目判定」の中には、「髪をうまくカーラーやコテで巻けるか」とか、「色つきリップをいい感じに塗れるか」「スカート丈をいかにうまく改造できるか」などの「女子力検定」に近い項目も入っていて、髪をうまく巻けないどころかくせっ毛で髪がはねてて、そのうえ思春期でにきびだらけになってしまった私はもう完全に脱落してしまいました。「自分は普通の女のコ」ではなく「普通未満の女のコ」だと、気づかざるを得なかったんです。学校内での私の立ち位置は、男子の中でも女子の中でも「下層」。マジで「パン買ってこい」とか言われてました。先日、そんな中学時代の同級生から私の弟に連絡があって「同窓会開くから電話番号教えろ」と言われたらしいです。断固拒否しましたが、パン買ってこいとか言ってた人間に同窓会呼ばれて行くと思ってるんでしょうか。まさかパンもいい思い出ってことにされてる……? 時間で記憶が風化するのは強者の側だけですよね!
そんなスクールカースト最下層ライフを送りながらも、私には夢中になれるものがありました。それは「やおい」です。ナウな言い方をすれば「BL(ボーイズラブ)」です。ごめん、三十路は「BL」とかいうオシャレな呼び方に慣れないもんで……。当時はそれほど自分がオタクだという意識もなく、小学生の頃からジブリや他のアニメ作品が好きだったので、その延長線で好きっていう程度の感覚だったのですが、中学生でアニメ好き、しかもアニメ雑誌とか同人誌とか買ってるとさすがにそれは「普通」じゃないらしく、オタクとしてさらにカーストの階級が下がりました。「定額小為替」とかの存在を知ってる中学生は普通じゃないんだってさ……。もう恋愛とかは許されない感じの階級です。たぶん当時の私に告白されたら男子は血が凍ったと思います。
現実の恋愛には興味が持てない、いや持てない以前にそれが学校の中で自分には「許されていない」、という現実に、私は特に抵抗を感じることもなく適応していきました。それまでは自己評価なんて考えたこともなかったから、中学校で判断された「自分の価値」に対して「間違ってる」と言うことを思いつきもしなかったのです。勉強はそこそこできたので、完全にバカにされていじめられるというような深刻な状況でもなかった、というのもあると思いますが、「私の価値はそんなものじゃない!」というような反発心はぜんぜんありませんでした。スクールカーストというのは極めてソフトに人間の尊厳をブチ壊していくものですね。その場にいる全員が「お前には価値がない」という態度で下に見て接してくるのですから、そういうもんだとしか思えなくなってくるんです。
中学生になると、自分は「子供」ではないし、ぼんやりと大人への道筋が見え始めます。自分は、成長しても「大人の色っぽい女の人」にはなれないのではないか? という疑問がこの頃から生まれ始めました。雑誌を読むと「にきびは痕になる」とかコワイことがいっぱい書いてある。数えきれないほどにきびがあって、つぶしたりもしていたし、皮膚科に行こうが何しようが決して状態が良くなることもなかったので、大人になってにきびが消えたとしても肌がクレーターだらけ&にきび痕だらけになることは避けられないとしか思えませんでした。
当時の私の願いは、美人になることでもかわいくなることでもなく、それ以前にただ「きれいな肌になること」でした。美人とかかわいいとかはもう雲の上の話で、マイナスからスタートしてる自分はせめて「人並み」に、人に不潔感や嫌悪感を与えないルックスになりたかった。「きれいな肌が欲しい」、願いはそれだけ。童話のように誰かが三つの願いを叶えてくれるなら、最初にお願いすることはそれだと決めていました。脚の太さや毛深さ(……)や、胸のなさの身体の問題も気になってきてましたが、それらにはまだ「成長したら変わるかも」と思う余地が残されてたんですよね。
自分が「ふつうの、キレイな、恋愛とかしてる大人の女」になれない、というのは、何らかの瞬間にはっきりわかったというものではありませんでした。かわいい友達の買い物につきあっても店員さんが自分には声をかけないとか、そういうささいな出来事の積み重ねで挫折感が強くなっていくような感じですかね。そうなると、男女の普通の恋愛が描かれているものを読むのが苦痛になりました。どの恋愛ものの主人公も、女は最初から普通の(もしくはそれ以上の)容姿に恵まれていたりするから、私はそれらの「女のコ」に自分を重ねることができなかった。そこで「やおい」なわけです。
男女の恋愛には感情移入できなくても、男同士のそれにはなぜかばっちり感情移入できたのです。何より、それを読んでいるときには自分が「女」であることを意識しないで済む。それがどれだけラクなことだったか。しかも当時のやおいでは「男だから、好きな男に気持ちを打ち明けられない」といった、男同士の恋愛がタブー視されているがゆえのつらくせつない状況が描かれることが多く、そこに「スクールカースト最下層だから、たとえ好きな男がいても絶対に告白とかできない自分」を重ねることもできた。そして最大のいいところは、やおいでは「エロ」が描かれていたことです。いいところって言っていいのかわかりませんけど、性欲持て余しまくりの中学生にとって、しかもエロ本とか買えないし友達とかからも借りられない「女子中学生」にとって、やおいは入手できうる範囲でもっとも刺激的な「ズリネタ」(下品でごめん)だったのです。もっとも、たとえエロ本やAVが入手できたとしても、それが「男女」のものである以上、私は興奮や欲情はしても、そのあとで残るいやな気持ちを持て余したことでしょう。男女のエロに興奮すればするほど、「自分はこんな風な興奮を男に与えられる女ではない」という現実があとで重く重くのしかかってきて、絶望感に打ちひしがれるからです。
今では、ボーイズラブを好きな女性みんながこういった「自分は女として失格だ」「だから男同士の恋愛じゃないと感情移入できない」という気持ちからボーイズラブを愛しているわけではないと理解してますし、恋愛は恋愛、自分の女人生は女人生、と切り離した上でボーイズラブを楽しんでいる人のほうが多いんじゃないかと思います。ただ、私はそういう感情移入のしかたをしていて、「女であることから逃げる」ための逃避先としてやおいを利用していました。当時好きだった作家さんへの気持ちがウソだとは思わないし、今でも好きな作家さんは大好きですが、一面で「自分がいつでも逃げ込める、自分を傷つけない優しい世界」としてのやおいを必要としていたのも事実です。
私はやおいの世界にハマりました。ものすごくハマった。それだけが自分の性欲や恋愛欲の唯一のはけ口だったのだから当然です。やおいにハマるあまり、私は「男の子になりたい」とすら思うようになりました。どうせ「女」は失格、と学校ではみなされているわけだし、自分でもそう思ってた。女は失格、女としての楽しみも喜びもこの先はない。そう思ったらいっそ男の子みたいになって、憧れのやおいの世界のキャラクターに自分を重ねたほうが楽しいんじゃないかと思えたんです。
私は髪をショートに切って、メンズの服を買うようになりました。スカートは履かない。かわいいものは身につけない。ほとんど「コスプレ」です。男装みたいなもんですから。これをやってたときの自分の気持ちは、なんともいえないものでした。コスプレで好きなキャラに近づけた! っていう自己満足はあったけど、それが「全然近くない」ことにも気づいてました。好きなキャラは美形で、自分は美形じゃない。美人が男装したのなら色気もあるかもしれないけど、そうでない女が男装したところで、単に「女に見えない人」なだけで、倒錯の色気もクソもないんです。
私は洋服や見た目のことに興味がないわけではありませんでした。むしろ、興味があったからこそその興味をどこに向けたらいいのかわからなかった。普通の女のコのカッコは似合わない。かわいい服も似合わない。でも自分も好きな格好して楽しく出かけたいんだよ! という気持ちが心の中では渦巻いてて、必死で自分でも着れる男ものの服を探して着るんだけど、それもそんなにしっくり来るわけではなくて、楽しくはなかった。やおいのキャラクターになろうとしても、妄想の中でならまだしも、現実にはキャラに自分を重ねることは不可能でした。「かわいい女」や「きれいな女」じゃないのに「女」であることの意味を見いだせなかったし、かといって「男になりたい」わけでもないし、どうやって自分のキャラクターや、生きていく方向性を見つければいいのか、全然わからずに途方に暮れていたと思います。いつも落ち着かなかったし、楽しくなかった。どんな服を着ても「自信」なんてありませんでした。だって、はっきりと主張できる「自分」がない。自分の性別すら、はっきりと言えない。もちろん生物学的に女なのはわかってる。けど、自分が「男におごってもらって当たり前」「かよわいから男に守ってもらって当たり前」、「結婚して子供を生むのが当たり前」な「女」だとはとうてい思えなかった。「女」としての自己を主張していいとも思えなかった。そういうことが許されるのは「かわいい女のコ」だけの話で、自分は同じ女であっても、生き物として何かが違うんだとしか思えませんでした。
私の通っていた中学校は、ヤンキー文化がしっかりと根付いた中学で、私もおたくながらその影響下にいました。ヤンキーの常識が学校の常識だったのです。じゃあ、学校が変われば何かが変わるのか。私は高校受験で、県内でも繁華街にわりと近いところにある進学校に進学しました。進学校にはもちろんヤンキーなんてひとりもいません。そこから、また、私の悩みの質は変わってゆきます。
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