2009-10-31

資料の保存体制私案

「救いたい!」以降の一連の流れから、まだ様々な反応が続いている。
この情報に関しては、僕自身はあくまで速報的な情報伝達を第一義に、逐次入った情報を流すというスタンスでいた。シンポジウムで聞いたままのニュースとして最初に流した際の強烈なインパクトで、いろいろな反響の輻輳があり、結果的に正確な情報が伝わりにくくなってしまった点は、関係者に申し訳ないと思う。

シンポジウムでのニュースソースである齋藤誠一さんは、インターネットの住人ではないのか、本件に関するネット上での発言は今のところ見ていない。また最初のニュースが流れた以降の情報の詳細についてバイアスのかかっていない情報を一番発信できる立場の方が、よりわかりやすい場で詳しい情報を発信してくれたならばという思いもある。

この機会にいろいろな意見が表に出たことを、個人的には意義のあることと考えているが、そんなことを今さら論じるのは無駄と思う人もいるかもしれないし、初めて考えさせられたという人もいるだろう。
僕自身は公共図書館に来て比較的日の浅い新参者だから、今回は考える機会として非常に良い経験になっている。

様々な意見を匿名で書いたり、他人の発言をそのままブログに貼り付けている人は多いが、直接の反応は非常に少ない。本件について早い段階で、僕が知る限りで実名で発言したのは當山日出夫さん、岡本真さん、松沢呉一さん、そしてやや控え目ながら沢辺均さんといったところだろうか。いずれの見解からも、学ぶべきところは多い。

今回、図書館やアーカイブという話に耳目が集まったこと自体を、悪く捉えるのではなく、建設的にこの流れを利用して、図書館とアーカイブについて議論し、良くしようとしない手はないんじゃないかと僕は思う。
今後も保存問題に関しては自分なりに情報を収集してみたいと思うし、事実を把握して、それをもとにオープンな場で様々な立場の人の考えを交えながら考えていければと思ってもいる。
というのも、この両方を見ていて思ったのは「公共がどこまで担うのか?」という話を整理しないとダメなんじゃないかという気がしたからだ。

まず極端に専門的な本は、基本的にはその分野の専門図書館の領域だということは言えるだろう。
公共として収集すべき資料の幅は、分野で館ごとに分けて収集するなどした図書館もあるにせよ、ある程度決まっている。
しかしこの点も、デバイスに依存したデジタル資料をどう考えるのかといったことや、個性的な特徴のある公共図書館の存在の是非なども含め、再定義しなきゃならない時期にきているのではないかとも思う。
また資料保存に関しても、やはり公共がどこまで担うのかを、はっきり定義して市民に知ってもらう必要があるだろう。

都道府県立図書館は、市区町村立図書館に資料を提供するバックアップ的な意味を持っている。
これをアーカイブ機能と見なすか、そうではなく市町村同士の資料の仲介・斡旋をする立場と考えるか、このあたりで都道府県と市区町村の間の認識のズレというか、役割分担が不明なケースが多いのではないだろうか。

市立図書館にいる僕としては、市区町村の資料紛失・汚破損・除籍の情報を都道府県立が把握し、最後の1冊は必ず都道府県が持つという原則を、早期に確立して欲しいと思う。
だが、県庁所在地の市立図書館の方が、県立図書館よりも人も予算もずっと多いという例はいくらでもあるように、都道府県立側としては、その要求に応じられるリソースがないのもよくわかる。

つまりは、日本には図書館はあってもアーカイブという発想がそもそも幅広く根付いていないのだと思う。
保存は国立国会図書館があればいい、というのは甘えでしかないのではないか。
これに関して以前から時々思っていたのが、都道府県立が共同利用図書館システムを導入し、市区町村立がそこに参加して業務を行うようになれば、全体としてのシステム費は大きく軽減できる。市町村立はそこで浮いた費用の一部をシステム使用料として都道府県立に支払えばいいんじゃないかということだ。

各市区町村のシステム費の総額は、都道府県ごとに集計すれば恐らくどこも年額で数億円に達する。
共同利用システムを提供する代わりに、その7割でも8割でも都道府県が徴収し、年度を越えてプールできれば、結構大きなことが出来るはずだ。

そこまで大規模な話にならないまでも、横断検索システムや資料相互貸借システム、物流ネットワークの維持などに関しては、市区町村が応分の負担をしてもいいと思う。

もっとも、この関係は国立国会図書館との関係についても似たようなことが言えるかもしれない。
ゆにかネットという国会の総合目録ネットワークシステムは存在するが、それを市区町村まで巻き込んだ、リアルタイムで各館の所蔵と連携する完成度の高い総合目録に発展させれば、誰にでも全体像が把握できるようになる。
都道府県が市区町村のアーカイブとなり、そこでカバーしきれないものを最終的には国会がフォローするという仕組みをきちんと確立するためにも、こうした仕組みが必要ではないかと思う。

システムのイメージとしては、NACSIS-CATの公共版に近いものかもしれない。
NACSIS-CATの場合は、各館の判断で所蔵登録しないという選択肢もある。
例えば、私立大学が貴重な資料を学外には公開しないという判断で、あえて所蔵登録しないといったことも可能だ。
それに対し公共版NACSIS-CAT的なものの場合、そういう余地は特に必要ないような気がするのだが、どうだろう?
各館個別の事情まではわからないので、このあたりはよくわからない。
ただ、理想としては全部オープンであって欲しいという気はするが・・・

全部オープンか、一部オープンかはともかくとして、そんな総合目録を実現するためのひとつの方策として、この春にOCLCが発表した「ウェブスケール」という共同利用型のシステムは非常に興味深いのではないかと思う。
ウェブスケールを実際に利用したことなどもちろんないので、実際にどうなのかはわからないが、日本版ウェブスケールを考えるならば、データベースはNDL-OPACを共有する形になって、そこに各館の所蔵レコードがつくイメージになるんじゃないだろうか。
これならば、各図書館が個別にシステムを導入したり、同じ自治体内で学校と公共とが別々にシステムを導入するといった無駄を一気に削ることができる。
これ以上図書館運営コストを上げずに、必要な費用を捻出できるのだから、それを資料購入費に回すなり、共同保存書庫を建てるなりに充当できるだろう。

もちろん既存のシステムベンダーやMARC販売企業の立場もあるので、一足飛びに国会がそこまで対応できるのかというと、それは当然難しいのはわかる。

資料保存問題とは少々離れてしまうが、複数館を請け負った指定管理の企業ならば、システム統合は可能だろうし、直営であっても近隣自治体と手を組んで一本化することは、不可能でもないだろう。
たとえ業務システムのコア部分を共通にしたところで、それとは別の部分で各館の個性を発揮する方法などいくらでもある。
図書館の規模やユーザー層によって、システムへの要求が違うのはわかるが、カスタマイズに膨大な費用のかかる従来のシステムではなく、オープンソースのシステムを導入し、浮いたコストでSEを雇えば、結構現実的な話ではないかという気はする。

問題は、そんな体制を具現化できる「人」の問題が一番大きいのではないだろうか。
権限と見識を兼ね備えた人物の出現を待つだけでは、あまり進展を期待できそうにない。
でも現実を見渡してみると、図書館界やその周辺には、権限はなくとも優れた人材は決して少なくない。
いつかIAAL(大学図書館支援機構)の公共版のようなものが出現する可能性は十分にあるだろう。
もしその役に立つならば、そうした動きにはできる限り協力したいと思う。

2009-10-23

「多摩地域資料問題」の影響について思ったことなど。

「救いたい!」のエントリーが、物凄いアクセス数だったことを知った。
twitterでも盛んに伝えられ、この件について有志を募って討論しあうディスカッションを開催しようという動きにまで発展している。
こうした動きのきっかけになれたのは良かったし、様々な意見を知ることができたのは嬉しかったが、なかには自ら情報を収集・判断せずに、尻馬に乗って感情的になってしまっているようなネット上の発言もあったようで、それには正直なところ少し戸惑った。
だがそれだけホットなニュースになったということなのだろう。
ともかく、予想していたよりはるかに多くの反響があったことに、少なからず驚いている。

今回の件で図書館の資料保存について関心を持つ人が結構たくさんいたということがわかった。
多摩の資料に限った話ではないが、こういう問題について「捨てるな」という感情的な意見だけでなく、多様な意見がたくさん表出したことが、なにより一番大きい収穫だったと思っている。

10/16のシンポジウムでこの話を初めて聞いた当初は、今回の対象資料が原則「複本」であるということは知り得なかった。
(後ほど都立から各館へのFAXを確認したが、そこにも「複本」という言葉は一切記載されていなかった。)
また、都立図書館からの通達が各館長宛のFAXのみであり、通達から締め切りまでの期間が2週間しかなかったという都立の拙速さが、今回一番の問題ではなかったかと思う。

図らずも僕自身がこの話題に関してネットでの情報発信源となってしまった責任上、正確な情報を早く伝えなければと思い「続・救いたい!」をアップしたが、それと前後して都立は来年1月まで期間を延長したことを知った。

一般には国会図書館があるから捨てても安心と思われがちだが、国会図書館に所蔵していない資料が、他の図書館(公共・大学・専門)には数多くある。
それに、そもそも国会が持っていない地域資料など、どの地域にでも多数存在するものだ。
その点があまり知られていないように思ったのだが、そこは司書の力不足ということもあるだろう。自分としても反省したいところだ。

そんなことを踏まえると、複数冊購入したベストセラー本と、廃棄したら同じものが滅多に市場に出ないような地域資料とを同一基準で除籍するというのは、やはりおかしいと思っている。
しかも、多大な費用をかけて脱酸処理までして保存しようとしていたという事実は軽くはない。
それを敢えて除籍したのだから、それなりの事情があるのだとは思う。
それだけに、そこのところを最初にきちんと説明して、建設的に進められなかったのかな?という素朴な疑問は残る。

1冊あるから十分かどうかという判断は、すべて一律にするのでなく、それぞれの資料の性質を考慮し、臨機応変にした方がいい。
恐らくそれくらいのことは、都立だって考えていないはずがない。
要は、キャパの限界なんだから仕方ないということだとは思う。

それならそれで、都内市町村以外にも積極的に声をかけ、廃棄したくはないんですという意思をアピールしていたら、また違った展開もありえたのではないだろうか。

多くの人は承知のことと思うが、都立の資料廃棄問題についてはこれまでにも様々な議論があり、それが「特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩」の誕生に繋がっているという。
このあたりの経緯は、自分は実際にその活動の当事者ではなく、ここで語れるほどの知識もないので言及は避けたい。
ただ、この団体の理事・事務局長である齊藤誠一氏が今回苦言を呈したことが発端である以上、同種のことが繰り返されたと捉えていいんじゃないかとは思う。
そういう意味で、継続的あるいは間歇的に、資料保存の問題に関しては、話題になった方がいいのだろう。
そうでないと、各図書館は内規ひとつで資料を簡単に左右できてしまうのだから、少なくとも目を離しっぱなしでいいとは思わない。

本当は複本が多いらしいと知った時点で、「だったら捨てていいじゃん」という意見が圧倒的になるのではないかという危惧もあった。
だが、実際にはそういう意見ばかりでもない。
文化を守れと声高に叫ぶ人もいれば、そんなところに税金を使うなという人もいるし、出版物だけ全部保存するという前提がどうなんだという疑問を呈する人もいれば、捨てるなという人が全部引き取ればいいだろうといった声もある。
本当に様々な意見が出てくるが、個人的にはとりあえず多摩地区の郷土資料という括りのコレクションの価値を考えると、極力散逸は避けた方がいいし、公共図書館にあることで、その資料が利用登録すれば誰でも・いつでも調べられるという点を、そう軽視して良いのか?という疑問は感じている。

多様な意見が出て、それらを包括した現時点での結論が出れば一番だ。
どの図書館の資料もシームレスに検索できて、全部が画面上で見られるようになれば、また違ってくるだろうが、少なくとも現在はそうではない。
(とはいっても、「オリジナルが保存」される別の意味はもちろんあるが。)
まずは、現時点で散逸させずとりあえずまとめておくことが望ましいと思う。
学校の教室とか、空いている公共の場所など、もう少し時間をかければ出てくる余地がありそうな気がするし、まとまったコレクションならば大学が引き取ってくれる可能性もあるのではないだろうか。
共同保存図書館・多摩が立ち上がることも予想されるので、まだまだ選択肢はあるんじゃないかと思う。

こうしたことは、何も都立多摩固有の問題ではない。
今回の問題を通して、溢れたらこうすれば良いというモデルの提示になることを期待したいし、そのための検討・議論はオープンな形でどんどん行った方がいいと思う。

※本件を踏まえた私案をこちらにアップしています。

2009-10-21

続・救いたい!

その後さらに確認したところ、もう少し詳しい事情が見えてきた。

対象資料は、都立多摩図書館にあった地域資料 75,276冊、関連雑誌18,294冊(748タイトル)図書館関連雑誌 3,196冊(81タイトル)とのこと。
タイムテーブルは、10/9にFAXで通達、10/23に各館からの引取りの申し出締め切り、そして搬出作業は11/6までということである。

そして今回のことが起きた経緯をまとめると、以下の通りである。

都立は平成14年1月に出した「今後の都立図書館のあり方-社会経済の変化に対応した新たな都民サービスの向上を目指して-」(都立図書館あり方検討委員会編著)で、中央図書館と多摩図書館での資料収集・保存は原則1点とする(p .20)という方針を既に出している。
そして今回の件は、都立としては原則的に複本を対象としているらしいので、定めた方針に則った動きをしているだけと言えなくもないようだ。(今回の対象がすべて複本であるという確証は得られていないが。)

だが今回、地域資料までもが複本を持たないというルールの対象であることが明らかになった。
これはやはり大きな問題ではないだろうか?

地域資料の場合、1冊あればいいというものではなく、災害等への対応としてリスク分散も必要だろう。
また、今回対象となっている中には、市区町村で所蔵している資料も含まれているとは思うが、都立多摩図書館に広域的な地域資料が揃っているからこそ、これまでそこで一括して見ることが出来たという利点がある。
それをそう簡単に放棄して良いものだろうか。

ここは既に決めたことだと押し通すのではなく、是非とも方針の見直しに踏み切って欲しい。
すべて一律に1冊だけ保存すれば良しとして、資料に応じた柔軟な判断の余地がないのだとしたら、これはやはりおかしいのではないか。

とはいえ都にしても、本当は保存した方が良いとは思っているだろうが、保存場所がないので致し方なく除籍しているという事情もあるのだろう。
だからやはり、今後は都と市町村が連携するなどして、共同保存のシステムを設ける必要があるのではないだろうか?

ここで対案を示さずに無闇に都立を責めては意味がない。
僕がすぐに考えつくのは、都内各自治体だけでなく、NIIを通じて全国の大学図書館に呼びかけることや、全国の各自治体に声をかけてもらうといったことだろうか。
わずかそれだけのことでも、救える可能性は格段に高まるんじゃないか・・・と思いたい。

FAXでは、都立から都内の市町村立に対し「都内公立図書館を中心に再活用を図る」という表現で通達されたようだ。
その「中心」以外にどんな手を講じているのだろうか。

※本件のまとめはこちらです。

2009-10-17

救いたい!

10/16(金)に第3回資料保存シンポジウム「資料保存を実践する―事例から学ぶ現場の知恵―」が江戸東京博物館で開催された。
NPO法人共同保存図書館・多摩 理事・事務局長の齊藤誠一さんによる事例報告「共同保存図書館の実現に向けて―多摩から提案する資料保存のしくみ」の中で、驚くべき話があったので、まずは急遽お知らせ。

その内容とは-

10/9(金)に、東京都立中央図書館から都内各自治体の図書館長宛にFAXが送信された。
実際に直接そのFAXに目を通してはいないので詳細は不明ながら、斎藤さんの話から内容をまとめると、概ねこんな感じであった。

・多摩図書館が所蔵していた多摩地域資料約7万冊と雑誌など併せて、 計約8万冊を処分することにした。

・引き取りたい館は、10/23(金)までに直接取りにくること。

通達から2週間ということは、図書館の稼働日で言えば約10日間。
引き取る側の負担で取りに行くのだから、当然費用がかかる。
各市区町村立図書館が引き取りを決断し、役所と予算流用とか補正予算とかの話をつけようとしても、図書館と役所の稼働日が普通はズレている上に、この間に運悪く体育の日が入っているので、調整には恐らく2~3日しか猶予がないだろう。
しかも何万冊を引き取るには運送業者の手を借りざるを得ないだろうから、そちらの手配も厳しいだろうと思う。

これでは、廃棄する前提でアリバイとしてFAXを流しただけと解釈されても仕方ないだろう。
更に驚くことに、今回の廃棄対象資料には、過去に脱酸処理までしていた地域資料も大量に含まれているという。
脱酸処理をするには、安くても1冊2,000円~3,000円くらいだろうか?
当然ながら脱酸処理をするということは、劣化を防ぎ永年保存していくために行う処置で、国立のアーカイブでも、脱酸処理はしたくてもなかなか予算が取れず腐心していると聞く。

都立多摩図書館は「都立図書館改革の具体的方策」(平成18年8月教育委員会決定)に基づき、都立中央図書館がそれまで所蔵していた雑誌の中から、約6,900タイトルを移管して、平成21年5月1日にご存知「東京マガジンバンク」として、リニューアルオープンしている。
今回のFAXでの通達は、そのマガジンバンクのため、書庫から押し出された地域資料を処分するということである。

東京の地価を考えると、簡単に書庫を増築したり、そうそう新たな保存書庫を建てるわけにはいかないこともわかる。
だが齋藤誠一さんが講演の中で、どうにか多摩地域の8万冊を救いたいと仰られている通り、戦前から戦火を逃れ先人が大事に保存し続けてきた資料群を、今あっさりと抹消してしまっていいとは、どうしても思えない。
特に地域資料は、一度失ったら二度と手に入らないものが多い。
それは将来の人への責任という意味でも、受け継がれていくべき資料なのではないだろうか。

都は五輪招致に150億円を投入し、痛くも痒くもないという。
その五輪会場予定地は更地のままというならば、そこに書庫を建てたっていいじゃないかと言いたくもなってくる。

どうにかして、早急に8万冊を救う手立てはないものだろうか。

※本件の続報はこちらです。