2016-02-25

第38回 平日昼顔人妻??Suburbia Suite(郊外居住者組曲)

年明け早々から“ゲス不倫”などという言葉が週刊誌や新聞、テレビ、ネットに飛び交う。喧しいことこの上もない。その是非を問うような立場にないが、情報管理はうまくやれよというしかないだろう。

そんな“不倫”だが、人妻達も勢いづいている。一昨年、2014年の流行語大賞にノミネートされたくらいだから、 “平日昼顔妻”という言葉も一般化しているのだろう。人妻達が平日の昼間に人知れず、不倫や乱倫を繰り返す。実は、そんな人妻達の“暴走”の萌芽は、20年以上も前にあったのだ。

“平日昼顔妻とは平日の朝、旦那を仕事に送り出したあと、午前中は家事をこなし、昼(午後)から夫以外の男性と恋に落ち、不倫をする主婦を意味する。主婦の浮気が増加傾向にあるとされる中、2014年7月〜9月に上戸彩が平日昼間に浮気をする妻を演じたドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』が放送された。ここから雑誌『DRESS』の編集長:山本由樹がこうした主婦に対する造語として平日昼顔妻がうまれた。ドラマタイトルであり、平日昼顔妻の『昼顔』はルイス・ブニュエル監督の映画タイトルからきている。1967年に上映されたフランス・イタリアの合作映画で、ジョゼフ・ケッセルの同名小説が原作、カトリーヌ・ドヌーヴが昼顔妻を演じた。なお、昼顔は2014年の新語・流行語大賞のノミネート語句となった”

と、俗語辞典を改めて丸写しさせていただくが、私がテレクラ男子(!?)だった1990年代前半、どうやら、国分寺、高円寺、吉祥寺などの中央線沿線のいわゆる3寺、そして三鷹、町田、八王子など、東京の郊外に人妻が平日の昼間、蠢いているという噂を耳にしていた。テレクラの談話室など、“テレクラ・カフェソサエティ”で、情報を収集し、交流を広げていたことは随分前に書いたと思う。どんな情報手段が発達しようと、口コミに勝る信頼度の高いものはない。そんな遊びのソサエティで、入手した噂と交流を手掛かりに、猟場、漁場を都心から東京の郊外へと移動する。

中央線沿線へ

昔から“くれない族の反乱”(くれない族は調べていただきたい。○○してくれないから来ていたと思う)など、郊外の人妻が密やかに蠢いていたが、それを目の当たりにするのはそう時間がかからなかった。

私は国分寺にあるヴィクトリーという店で、網を張ることにした。同店は中央線沿線に店舗展開をし、後に都内でも有数のテレクラチェーンとなるところである。

郊外には不倫願望を抱えた人妻がうじゃうじゃいる、そんな情報が遊び仲間の間で、出回っていた。男性週刊誌などでも度々、取り上げられていたのだ。漁場、狩場を移動する、当たりが悪くなれば、場所移動は必須。人妻の出没時間に合わせ、平日昼間に同所へ行くことにした。

中央線も国分寺までくると、吉祥寺や高円寺とは違い、流石に鄙びた感が増す。3寺特有のパンクスやヒッピーも少ないように感じた。商店街の外れには某有名スポーツ選手が引退後、始めた団子屋もあった。まずはみたらし団子で、腹ごしらえし、テレクラへ向かう。

テレクラは駅前の雑踏を過ぎ、少し静かな住宅街に入ったところにあった。特に華美な装飾もなく、看板が無ければ通り過ぎしてしまうところだ。

この日は珍しく、単独行ではなく、連れがいた。仕事仲間だが、フリーライターをしている遊び人。なんとなくの話からお互いの武勇伝(!?)を話し合うようになり、おもしろい人を紹介したいからとも言われていた。

勿論、人妻発生地帯を教えてくれたのも彼である。同世代だが、好奇心が旺盛で、風俗なども大好き。ソープからイメクラまでオールランドプレイヤーだ。

その彼が紹介してくれたのは、“人妻調達人”と異名を取る、システムエンジニア。30代前半で、エンジニアらしい知的さに、どこかしら遊び人を感じさせる雰囲気を纏う。容姿は嫌味のない好男子。美男子ではあるが、男にも好印象を抱かせる。また、話し方も丁寧ながら親しみがあり、自然な話しぶりはすんなりと相手の懐に入っていく。ある雑誌に頼まれ、グループ化する郊外の不倫人妻達を探し当て、週刊誌の人妻座談会を一瞬にしてキャスティングしたという逸話の持ち主。それも頷ける、出来る男である。

知り合いのフリーライターはそんな噂を聞きつけ、実際に仕事も頼んだこともあるらしいが、むしろ、彼の技術を習得するのが目的らしく、人妻調達人がフランチャイズするヴィクトリーを根城としていた。

私自身、弟子入りしたわけではないが、向学心が旺盛、かつ、男同志がつるむのは嫌いではない。これまでの遊びを通して、いくつもの裏のコネクションを築き、それが新たな女性の発掘にも繋がっている。アンド・フレンズ作戦など、この連載を始めた時に紹介したかもしれない。

そんなわけで、まずはお手並み拝見ではないが、人妻調達人の会話を横で聞くことから始める。

いきなりの禁じ手

ボックスの電話のベルが鳴り、すぐに取ると(同店は取り次ぎ制)、いきなり、「今日は何? これから会わない」と、畳み掛ける。テレクラの禁じ手といわれている、いきなり会おう攻撃である。どこの店でも、いきなり会う約束を取り付けるのではなく、じっくりと話しましょうと、店内にアドバイスめいた張り紙がしてあった。それがまさかの第一声。

男前な声、爽やかさえ感じる。声力だろうか。あっさりと、デートの約束を取り付ける。会社員で、その日は休日らしく、三多摩にあるレジャー施設へのお誘いを受けたという。待ち合わせ場所を決め、すぐに合流するかと見えたが、彼は動こうとしない。いわく、声の感じが好ましくなく、しつこく付きまとう、踏めば危険な“地雷女”であることを察知したという。

かの女性の依頼をスルーして、再び、電話を待つ。そうすると、待つまもなく電話が繋がり、速攻でアポを取り付ける。早業である。聞けば、テレクラから車で10分ほどのところらしく、迎えに来てくれれば出ていくという。あっさりというか、あっけなく、次の獲物(!?)がかかる。20代の主婦で、暇を持て余し、テレクラに電話をしたそうだ。

彼は外車のRVで、約束の場所を目指すことになる。私は、仕事仲間のフリーライターの車で、彼の車を尾行(!?)する。探偵か、刑事か??。

車で10分ほど、山の中(というか、高台)を入っていき、瀟洒な一軒家の前に車を横付けし、クラクションを鳴らすと、その女性が出てきた。奥様というより、ヤンママ風である。驚くべきは、何のためらいもなく、すぐ車に乗り込んだこと。家の前で話し込んだりすることもなく、そのまま助手席に座ると、あっという間に車は出てしまう。追いかける間もない。

後年(といっても数年後だが)、テレクラが犯罪の温床となり、テレクラ絡みの事件や事故が相次ぐが、人を疑うことをしない、そんな不用心さが原因だろう。その時は、まだ、性善説が信じられる時代だったのかもしれない。

私達と言えば、あまりの速攻ぶりに茫然自失。かなわないと感じてしまう。しかし、そこで怯むわけにはいかない。テレクラに戻りがてら、ファミレスで昼食を取り、再度、テレクラでアポ取りに挑む。まだ、時間はある。人妻の猶予時間はたんまりとある。

仕事の仲間にアポが取れる。30代の主婦で、同じように暇をしているらしい。このテレクラには何度か、電話しているが、話だけで会ったことはないという。多分、嘘だろう。彼の誘いに、躊躇うこともなく乗ってきた。駅の側で待ち合わせる。

私も人妻調達人の時のように、彼のあとを追いかけ、どんな女性が来るのか、遠目で見張る。すると、約束の時間から5分ほど遅れ、女性がやって来た。少し小太りのとても地味な女性である。ある種のふくよかさがいいお母さん臭を醸す。こんな女性がこんなことをするのだろうか、という感じだ。仕事仲間はその女性を喫茶店やレストランなどで話し込むこともなく、駅から数分のラブホテルへ連れ込むことに成功する。こんなにあっけなくていいのか、という感じである。

毒気に当てられ、次は私もと、テレクラで意気込むと、かえってうまくはいかないもの。電話は多いものの、話が弾まず、アポに至らない。流石、平日の昼間、人妻は多いが、不倫願望より、亭主への毒を吐きたい願望が勝り、愚痴の聞き役になる。おそらく、そこから女性にうまく私への興味を引き出せれば、会える可能性はあったかもしれないが、いい人を気取りたいのが仇となり、家庭や育児などの愚痴を延々と聞くことになる。

ただ、人妻達が大きな不満や不平を抱え、どこかで、そのストレスを発散したいという願望を抱えていることは改めてわかる。地域によるが、ある程度、裕福な家庭環境にあるものはパートなども不要らしく、子供の送迎や家事を終えると、とてつもなく暇になるようだ。そんな暇つぶしに付き合いつつ、羽目を外したい、いけないことをしたいという彼女達の欲望を突けばいい。

と、理屈ではわかっていたが、目立った釣果を上げることなく、仕事仲間が帰ってくるのを待つしかなかった。夕方前に彼はテレクラへ戻ってきた。聞けば、おとなしそうな顔とは裏腹にセックスは貪るようだったという。まるで、男性週刊誌が書きそうな惹句だが、戦果を誇らしげに語る。

その彼に30分ほど遅れて、人妻調達人が帰ってくる。彼は女性をピックアップし、そのまま郊外のラブホテルへしけこんだという。あっけないものだ。おもちゃなども使った変態プレイも大丈夫だったらしく、車に忍ばせた七つ道具(笑)が大いに役に立ったという。

彼は「週刊誌は人妻の不倫や乱倫をやたらと書きたてるが、それは特別なことではなく、本当はもっとたくさんの人妻が遊びまくっている。むしろ、週刊誌の報道はほんの一部でしかない」と、豪語する。おそらく、それは現実を知るものだからこそ、言えることだろう。まだ、“婚外恋愛”などという口当たりのいい言葉はなかったが、人妻は平日の昼間、夫の知らないところで、動き始めていたのだ。

暫くすると、彼あてにテレクラへ連絡がくる。この日、最初にアポを取った女性である。彼女にはテレクラのボックスナンバーと名前(当然、いい加減な名前)を言っていた。彼からすっぽかされたにも拘らず、レジャー施設にいるらしく、待っているという。人妻調達人は「ごめん、ごめん、急に仕事が入って、行けなくなって、いま戻ってきたところ」と悪びれることなく、返答する。さらに「まだ、仕事が終わんないで、今度ねー」と言って、電話を切ってしまう。

彼の予感は的中したみたいだ。あからさまな嘘にも関わらず、その言葉を鵜呑みにする頭の悪さとともに執着みたいなものある。こんな女性に関わったら、大変なことになるだろう。地雷は踏まない方がいい。

人妻調達人は声を聴いた段階で、すぐに分かったという。おそるべき、判断力と瞬発力。危険察知能力の高さだ。耳と脳が繋がり、瞬時に判断を下す。同時に脳が口に繋がり、その場を切り抜ける相応しい言葉を紡いでいく。それゆえ、釣るものは釣り上げ、リリースするものはリリースする。見事しかいいようがないのだ。

この日が契機となり、人妻調達人の薫陶を受けることになるが、彼と、その仲間達のすごさを知るには、そう時間はかからなかった。奇想天外・大胆不敵・手練手管のナンパの鉄人達との邂逅はもうすぐだった。

2015-05-21

第37回 卒業写真

ようやく収まりつつあるが、一か月ほど前はぐじゅぐじゅだった。「行く春や 鳥啼き、魚の目は泪」ではないが、忌まわしい花粉の猛威にやられる。そんな私の春だが、やはり春と言えば、卒業、入学など、新たな世界に一歩踏み出す時節である。

そんな季節の中で、卒業絡みの艶っぽい経験を思い出す。卒業制作ではないが、我ながらよく出来た作品だったと思う。

どんな作品かは後程、明かさせていただくが、テレクラのボックスにいる時、私はいくつもの顔を持つ。千変万化、自由自在、いろんなものに変身する。

もっとも変身するといっても限度がある。モデルや俳優など、あまり現実味のないものはすぐにばれてしまう。仕事で多少なりとも関わりがある職業が嘘にもリアリティーが増すというもの。知り合いをイメージするというところだろうか。当時は服装もラフなこともあり、会社員や公務員ではなく、コピーライターやデザイナー、カメラマンなどと偽っていた。

その中で、比較的、引きが強かったのがカメラマンである。グラビアなどだとすぐばれるので、カタログなどの商品撮影をしていると言っていた。知り合いも多く、彼らから聞いていた話をすれば、そこそこの現実味を帯びさせることも可能だ。

いつだっただろうか、1994年3月のこと。20年以上前だが、丁度、桜が咲く前、出会いと別れの季節だったと思う。

平日の昼間、仕事をさぼり(笑)、池袋のテレクラで網を張っていた。その日は最初から当たりを引く。果たせるかな、今まさにファッション系の専門学校を卒業したばかり、卒業後は服飾系の会社への就職が決まっているらしいが、これから遊びに行きたいという20歳の女性と繋がった。彼女は私がカメラマンであることに興味を示し、話の流れで卒業記念の写真を撮ってあげようといったら、前乗りになり、アポを取ることが出来たのだ。

池袋からJRで渋谷駅へ。待ち合わせは五島プラネタリウムがあった東急文化会館。いまは、ヒカリエとなっているところだ。渋谷のハチ公は人が多く、待ち合わせには不向き。敢えて逆側にした。同時に宮益坂周辺にもラブホテルが点在し、道玄坂より坂を少し上るだけで目的の場所に辿り着ける。動線は確保しておくにこしたことはない(笑)。

待ち合わせ場所に現れたのは長身でモデル体型、ショートカットのボーイッシュな女性だった。黒のジーンズに黒のカットソーながら、どこかモード系。服飾系だけのことはある。

カメラマンといいつつもいかにもというカメラバッグも持たない私を訝しがることなく、すんなりと了解をもらい、宮益坂をホテルへ急ぐ。世間話くらいだが、先ほど卒業式を終え、学友とはつるまず、いきなりテレクラへ電話。入社までは暇だからいろいろ遊べる相手を探していたようだ。

いまは渋谷の宮益坂周辺も様変わりをしたが、宮益坂を上り、青山通りに出る前、246号線の手前の脇を入ると、ラブホテルが点在していた。どこに入ったかは覚えていないが、昼利用のサービスタイムだったと思う。9時までは存分に楽しめるというもの。

実は、カメラマンといったものの、カメラさえ持って来ていなかった。持っていても一眼レフのちゃんとしたものではなく、コンパクトカメラでしかない。ポラロイドカメラもない。携帯(カメラ機能がつくのは98年から、写メールなんていう言葉も流行る)やスマートフォンの時代ではなく、勿論、デジタルカメラも一般化していなかった。

そんなわけで、一番お手軽な使い捨ての、一時は差別用語で呼称されたコンパクトカメラ(レンズ付きフィルム)をコンビニエンスストアで買い求めておいたのだ。

ホテルに入り、流石、カメラマンといった手前、コンパクトカメラを出すのは躊躇われたが、たまたま、仕事が休みでカメラを持って来てなかったから、慌てて、コンパクトカメラを買ったと、苦しい言い訳をする。ところが、彼女は意に介することなく、どんな感じで撮ろうかと、話し出す。

私もカメラマン気取りで、まずはバスルームに入ってもらい、お湯を出し、そのスチームを利用して、ソフトフォーカスな、ぼんやりとしたものにしたい、といかにもなスタイルを提案。
彼女も乗ったらしく、なんの戸惑いもなく、服を脱ぎ、下着を取る。裸になると、贅肉のない、しまった身体をしている。アスリート(当時らしい言葉でいえば、体育会系か)のようだ。

私は服を脱がず、そのままバスルームに入り、お湯を出し、水蒸気を充満させる。彼女にはバスルームに入って扉のところで、ポージングしてもらい(多分、腕を上げ、頭の後ろに組み、腰を捻り、立ち姿のバリエーション)、私はリビングからドア枠の中にいる、ぼんやりとした、紗にかかったようなフレーミングにした。気分はノーマン・シーフやデビッド・ハミルトンである。

そんな注文をつけながら数枚を撮る。フィルムの枚数は限られている(24枚撮りくらいか)から、連写はできない。ポーズをつけながら、いいよ、とか、セクシーだよ、みたいな、いかにもカメラマンが言いそうな言葉を投げかける。

不思議なもので、撮る度に、顔が紅潮し、恍惚としてくる。いままでの凛としたものから、アンニュイなものに変わる。当然の如く、その場ではイヤらしいことは何もしていない。

そして、ベッドに移動し、続けてポーズをつける。官能的な肢体を撮る。イメージはマリリン・モンローのシーツに包まるヌード写真だ。

当時からハメ撮りという言葉は存在し、投稿雑誌などでもテレクラやストリートでナンパした女性を撮影し、投稿することもなんとなく一般化していた。写メやデジカメが普及する以前だが、素人が簡単に裸や性行為を撮る、撮らせる素地がその頃からできていたのかもしれない。

その時、私がハメ撮りをしたかは記憶が定かではない。恋人とセックスしているようなシーンは撮影した。だが、局部の接写などはしていない。デジタルな時代ではない。ポラロイド以外はすぐに見れないし、現像なども当然、簡単にはできない。ヌード写真を現像できるプライベートラボがマニアの間で利用されていることを知っていたが、そこまでは頭が回っていなかった。それ以前に、写真を撮りたいわけではない、撮影は会うための“口実”に過ぎないのだ。

その時はまだ、カメラマン気取りを引きずっていたのか、あくまでも芸術的なヌード写真を撮ろうとしていたのだろう。私は仕事には徹する男である(笑)。

だからといって何もしなかったかというと、そんなことはない。カメラマンとモデルという関係を超え、二人は結ばれたのである。というと劇的なようだが、なんのことはない、我慢できなくなっただけのこと。

もっとも我慢できなくなったのは彼女の方だ。カメラに撮られるという行為に欲情したらしく、押さえがきかなくなったようだ。投稿雑誌などで“ニャンニャン”するカップルが前戯として、カメラ撮影をしていることがあったが、レンズには不思議な力がある。レンズを男根に例える有名カメラマンもいたくらい。

セックスそのものも彼女の卒業を祝い、新たな門出に相応しい、新たな体験もしていただく。普段はあまり逝くことがないというが、この日に限れば、快感の無限連鎖、何度も深く逝ったようだ。これまでとは違う、初めての体験だった。と、軽く自慢してみる。過去の栄光か(笑)。

彼女には現像したら写真を送るということで、住所も聞いたはずだ。後日、現像した写真は見事に芸術の香りするヌード写真で、卒業を祝う、我ながらの傑作と自画自賛する仕上がり。実際に彼女に送ったか送ってないかは忘れたが、当然、ネガは私が持ったまま、焼き増しはいくらでもできる。投稿雑誌に送れば、小銭も稼げたが、流石にそんなことをするほど、私は悪人ではない。それにしてもゆるい時代ではある。むしろ、おおらかな時代といっていいだろう。まだ、事件や事故とは無縁の“テレクラ性善説”みたいなものもあった。当然、リベンジポルノなどという言葉はなかったのだ。

それから数年後、カメラ付き携帯電話の普及が盗撮を含め、素人ポルノ写真を激増させるが、そんな技術以前に、既に女性の股が開かれていたのだろう。テレクラは時代に先駆け、その時代の風俗を確実に映し出す。

2015-04-08

第36回 火車Ⅱ 出会いゲーム

バラエティに富む出会い系

膨大な三行広告の中から、私の経験と勘が抜きだしたのは『男女交際・カラオケ飲食会』というものだ。
いわゆるデートクラブ的な男女紹介は多種多様にあり、それが自由恋愛といいつつ、売買春の温床になっていたのは有名な事実だ。仲介料金や交際料金が高額なため、利用しなくてもすぐにそれとわかるし、現在も名称を変えてデートクラブは存続している。女性はCAやモデル、AV女優、タレント、男性は医者や経営者などと限定しているところもある。当時も、高級志向を打ち出すところもあった。

ところがこの広告は“男女交際”“カラオケ飲食会”など、のどかな名称、かつ、事務所が私鉄沿線の鄙びたところにあると書かれている。胡散臭くもあるが、どこか、安心できるものもある。三行広告を見て連絡をすると、事務所に来てくださいと言われる。

電話をかけたその日に、その事務所へ行くことにする。普段、乗り慣れない私鉄沿線の駅に降り立ち、再び電話すると、事務所への道筋を案内される。マンションなどかと思ったら、古びたアパートへ案内された。出てきたのは、当時、既に50歳は過ぎたであろう男性で、風俗業者ではなく、職人のような佇まい。まず、主催者の免許書や資格などをコピーしたものを見せられる。普通は入会するものが身分照会されるものだが、主催者が入会者を安心させる算段だろう。決して怪しい人物でないことをアピールしていく。勿論、私自身も保険書やパスポートなどを提示させられ、身分照会をさせられた。

聞けば既に10年以上も活動していて、いわゆるデートクラブ的なところではなく、真面目に男女を取りもつ交流会的会で、ここで出会って結婚したカップルもいるという。男女とも登録制で、出会いを求める者たちをマッチングしていく。ちょっとした結婚相談所的な会で、各々登録料がかかり、デートするにはその都度、料金がかかる。会費は3名までの紹介で10000円、女性へのデート代は3000円くらいだった。3000円は直接、女性へ払ったと思う。

出会いを演出し、その先は自由恋愛となるのだが、ここでホテルなどに誘い、売買春などをすると男女とも規則違反となり、退会させられる。入会するとコピー用紙の会員規則のようなものを渡されるが、いきなりホテルに誘うなどは厳禁とされ、何度も会うことで、いわゆる不特定多数を紹介するとは違うということらしく、法律的には違法ではないそうだ。

次に会う時は、また、会にセッティングをお願いすることになる。会員どうしが直接、電話番号を交換することは敢えて勧めてはいない。女性は、会を通すことでまた、デート代を貰えるから、すぐに教えるようなことはしない。

同会ではカラオケ飲食会などの集団お見合い、合コン的な飲食会も開催したりしている。一度、出たことがあるが、事務所の近くのカラオケパブで、昼から男女が健全にカラオケに興じる。あまり色っぽいものではなかった。

また、“寄宿”という制度もあり、地方から来たり、旅行で東京に来た女性が宿泊するところがないと、その場を提供するというのもあった。事務所が入っているアパートも数部屋がお泊りのための部屋になっていたし、実際に自分のアパートやマンションに住まわす 会員もいたという。

登録している男女の年齢や職業がバラバラで、既婚、独身関わらず、いろんな人種がいた。当時の私からしてみれば、男女とも年配の方が多く、女性は性的な対象というより、近所の食堂のパートのおばさん(失礼!)という感じの方が多かった。

私も何度かセッティングしてもらって女性と会ったが、完全にデート代をもらうために来ているという感じで、1時間ほどお茶をして、次に繋げようという感じを持つこともなかった。

まったくの健全運営だが、同所が変わっていたのは、時々、3Pを希望する夫婦やカップルからの要望にも応えていたことだ。当然、会則を書いたテキストなどにはそのようなことは明記されていないが、何故か、そんな性癖を持つ方から依頼があり、私自身、そんな遊びをしていることを言っていたからか、私に声がかかり、派遣され、ホテルまで行ったことがある。その場合、紹介料を会に払うものの、そのカップルに参加費を払うこともなく、ホテル代を折半することもなかった。バブル期のことである。景気のいい不動産屋のおやじが愛人との逢瀬の刺激剤として、私が呼ばれたという感じではある。

同会の他に、私が探し出した出会い系でいまでも印象に残るのが、カップルでレストランやバーへ出かけて覆面調査をするというバイトに見立て、出会いを演出するというものだ。

この会も事務所は何故か、同じように私鉄沿線の鄙びたところにあった。こちらはアパートではなく、マンションだった。主催者はいまでいうところのIT企業系の若手起業家、もしくは広告代理店勤務風の40代の男性だった。

同所の出会いの演出がいかにも広告代理店的な発想で驚いた。いわく、紹介した女性とレストランやバーなどへ行き、覆面調査のようにそのレストランの味や接客などを二人で評価しながら報告書を作成するというもの。吊り橋理論ではないが、二人でことを成し遂げる、それも危険では当然ないが覆面調査員というわくわくどきどきさせるという演出があったのだ。しかも、女性は覆面調査のアルバイトとして募集とし、当然、そこで面接は済んでいる。女性にはアルバイト代(私が事務所で二人分を預かっていることになっている)として5000円を渡してほしいといわれていた。飲食代は私が負担することになっている(これも事務所に後程、精算するものと説明されている)。そして直接、女性の連絡先を聞き、調査後もやりとりをしていいといわれた。会には1回につき、5000円ほどの手数料を払うことになっている。

なんだかんだ高くつくが、自然な出会いを演出し、かつ、電話番号を取れ、さらに場合によっては継続して調査名目で会うことも可能だ。勿論、ストレートにデートへ誘ってもかまわない。良くできたシステムである。

実際、私も利用させていただいた。多分、新宿御苑のビストロだったと思うが、同所に現れたのは20代の会社員で、デザイナーズブランドをシックに着こなす可憐な女性だった。まことしやかに味や接客を採点シート風にメモしていく。食事だけ、1時間だが、二人で何かをするという共同作業によって随分と親密度を増していく。

お見合いなどと違い、作業だから会話も弾む。いい切っ掛けつくりである。幸いなことに電話番号を貰い、その後、何度かやりとりをしたが、デートにはこぎつけることが出来なかった。勿論、私の目的はデートではなく、セックスである。面倒くさい手続きは後回しだ。

そんな出会い系のプチ風俗(!?)をいくつか、海外の高級ブランドに務めるその女性に紹介した。私が紹介人になったので、紹介の特典として私にも無料で3名を紹介するといわれたが、遠慮させていただいた。時間と金の無駄だ。

これらはいわゆる風俗や水商売ではないので、特にノルマもないし、通う必要もない、単なるデートまでだから売買春に関わることはない。当時は、女性に都合のいい、割のいいアルバイトがたくさんあったのだ。

その女性の同会の利用率は高く、同時に、彼女のリピーターもたくさんいたようだ。随分と、借金返済の足しになったのではないだろうか。

その女性には人を誑す魅力があったのだろうか。ある日、実家から引っ越すことを告げられた。同じ千葉でも茨城寄りではなく、東京寄りのマンションに住むことになったという。本人は借金まみれである。引っ越し、一人暮らしをする余裕などはないはずだ。

聞けば、かの交際サークルで出会った不動産屋(当時はバブル期、一番、羽振りがよかった)のオヤジに部屋を用意してもらったという。よく、ホステスなどが愛人として、“パパ”からマンションを買え与えられたという話は聞いていた。自分が管理するマンションで、借主が決まっていない空き部屋を融通したようだが、それが身近なところで起こり、驚く。愛人契約というほどではないが、部屋代や光熱費などは勿論、タダ。会うたびに“おこづかい”もくれるという。意外なところで、大物を釣り上げたのだ。

そのマンションは、私達の逢瀬の場所にもなった。その不動産屋は既婚者、そう頻繁に立ち寄れないし、泊まることも出来ない。彼女の仕事終わりの時間を見計らって、最寄りの駅で待ち合わせし、マンションへとしけ込んだ。

ある日、そんな感じで二人で部屋にいた時、時間は夜の9時過ぎだろうか。突然、部屋のチャイムが鳴った(残念ながらオートロックではなかった)。同所に来る人間は限られている。彼女は察知していたのだろう、鍵穴から外を覗きながら、私の靴を玄関から持って来て渡す。そして、ベランダに隠れるように指示された。

いま、風呂上がりだからちょっと待ってと時間を稼ぐ。そのパパが部屋に入ってくる頃には、私はベランダに隠れ、靴を履き、荷物を抱えていた。幸いなことに部屋は2階だったため、ベランダの手すりに手をかけ、足を伸ばすと、地面はすぐそこ、隣の敷地へ飛び降りた。よくドラマで見るようなシーンだが、まさか、自分が間男を演じるとは夢にも思わなかった。私なりの大脱出である。周辺にいるのも危険と思い、何故か、おかしくて笑いがこみ上げつつも、最寄駅まで急ぐ。

彼女はうまくパパを転がしつつ、愛人としておこづかいをせしめていたが、出会い系のアルバイトをしていても家計は火の車、とても借金を払いきれない。高い利息に追われ(当時は消費者金融の金利の限度額が規制されていなかった)、後の闇金や街金などに手を出してないだけましではあったが、毎月末は返済のための支払いのラッシュ。頻繁に催促もある。もっとも、それでもブランド品などの買い物はやめることはできなかった。ブランドショップ店員の宿命だ。バブル真っ盛り、ジュリアナ(一世を風靡したディスコ)などで派手な“ジュリ扇”を振り回し、お立ち台でわが世の春を謳歌していた女性の実態とは、意外とこんなものだったのかもしれない。実際、その女性はかのバブルの巣窟のトイレで、有名タレントとことに及んだことがあったという。バブルの光と影とでもいうべきか。

私自身も彼女のために振込み金額を負担したこともあった。もっとも、それにも限度がある。当時、実家住まいで比較的収入もよかったので、金回りはよかったものの、既に200万以上に膨れ上がった借金の返済には、とても対応できるものではなかった。

最終的に、金利などを考え返済計画を練り、何故かその女性のご両親に面談し、通常の金融機関に200万を借りていただき、彼女の借金を肩代わりしてもらった。そしてその金額を10年計画で彼女に返済してもらうことにした。農協か何かで借りたらしいが、高金利で利息を返済するのに精いっぱいという悪循環から抜け出ることができた。
以前、私が関わったインチキな学生企業で、消費者金融で借金させられた経験が良くも悪くも役に立ったのだ。

そんなこんなで、彼女とは親密な関係を維持しつつも遊ぶことはやめなかった、それが私でもある(笑)。

ただ、秘密クラブや乱交パーティなど、彼女と行くことが多かったが、彼女が他の男性と絡んでいると、嫉妬をしたものだ。元々は前述通り、遊び場への通行手形的な存在という発想だったが、単なる身体の相性だけではなく、気持ちも持っていかれたということか。その場でいろんな女性と絡む(プレイ)ことができたにも関わらず、彼女としかしないことも何度もあった。ある意味、浪漫派ではないが、そんな心や気持ちを揺さぶられるのが楽しくもあったのだ。

なんだかんだと1年くらい付き合いが続いた。が、別れは突然やってくる。なんと、「男女交際・カラオケ飲食会」で出会った会社員と結婚するというのだ。出会いゲームの先の結婚とは、縁とは異なものである(涙)。

ちなみに、件の「男女交際・カラオケ飲食会」、まだ、存続する。街中の電柱などに同会の名称を書いたチラシが貼られている。同会の風景、いまにしてみたら、中高年のための“婚活パーティ”に似ていないこともない。同会には私の名簿も残っているらしく、恐ろしいことに思い出したように実家に数年に1回、案内状が届く。その案内状を読むと、仕切りは息子夫婦(主催者の息子で同会にて結婚相手を見つけたようだ)に任せているが、主催者(多分、いまは70代か)も元気に活動しているようだ。出会いバカ一代、継続は力なり。私も“アラ還”になったら利用してみるか!?

2015-03-25

第35回■火車Ⅰ バブルと寝た女(!?)

随分と間が空いてしまった。筆を折る気はなかったし、いろいろ書こうとしていたのだ。だが、形に出来ぬまま、ただ、時間が慌ただしく過ぎて行った。

スランプというか、書く意味みたいなものを探しあぐねていた。いまさら、あの時代のことを書いて、おもしろいのだろうか。そんな逡巡もあったのだ。そんな私に火を点けたのが、時代の流れともいうべき、3本の映画の“ヒット”である。

まず、劇団「ポツドール」の三浦大輔が自らの舞台を映画化した『愛の渦』(池松壮亮・門脇麦出演)の異例のロングラン上映。「乱交パーティ」、「上映時間123分中、着衣時間18分半」――という惹句が躍る同映画、試写を含め何度か見たが、会場には若い男女が集い、笑いの渦が巻き起こる。意外な反応であった。

そして、そのものずばり、カンパニー松尾のヒットAV“テレクラキャノンボール”の映画版『劇場版テレクラキャノンボール』の超ロングラン上映。自主上映された会場はどこも満員御礼状態で、かつ、同映画を、流行語大賞にノミネートされた女性エッセイストや、朝のワイドショーに出演する美形コメンティターなど、“サブカル女子”が絶賛する。

さらに前編後編合わせ4時間を超える、欧州の異端派監督、ラース・フォン・トリアーの“セックス映画”、『インフォマニアック』。主人公の淫乱ともいうべき、奔放な性生活を描き、同じく大きな話題になるとともに劇場にも長蛇の列ができていた。

セックスを題材にした3作がどれも受け入れられ、スキャンダラスな話題を超え、ちゃんと作品として評価を受ける。それも中高年のすけべ心をくすぐるだけでなく、若い男女の笑いと官能のつぼを刺激していく。

そんなネタであれば、私の中にはたくさんある。改めて、書くことに力と勇気をもらった。これならできそうだ。いまさらながら、決意を新たにして、キーボードと向き合うこととなった。それでも間が空いたのは、私の怠惰さゆえ、お許しいただきたい。

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アギーレの次はハリルホジッチか。代表監督の選考が喧しかった日本のサッカー界。漸く、ボツニア・ヘルツェゴビナの英雄に決まった。ブラジル大会の惨敗以来、興味が薄れかけている方も多いかと思うが、それは2014年、ほんの1年前のこと。随分と時間が経ってしまった感じはするが、そうでもない。

かつて、1994年のワールドカップアメリカ大会の出場を逸してしまった、かの“ドーハの悲劇”(1993年10月28日、カタールのドーハのアルアリ・ スタジアムで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合。1994年アメリカ ワールドカップ・アジア地区最終予選)を一緒に見た海外ブランドのショップ店員、デパート勤務の女性について書いた。その女性とはスワッピング・クラブや乱交パーティなど、ご一緒させていただいたが、男と女の出会いのゲームのマッチメイクもしていた。改めて書き記すことにしよう。

日本最古のスワッピング・クラブ

彼女との出会いは、とある秘密クラブ。日本最古のスワッピング・クラブといわれ、都内の高級住宅地にある、昭和の大スターが元・ポルノ女優の愛人と暮らした高級マンションの一室にあった。元々、知り合いの風俗嬢に教えられ、テレクラで出会った女性とカップルで通っていたところ、何故か、私は同クラブのマスターとママに気に入られ、規定では基本、カップル参加のみのところ、連れて行く女性がいない場合は一人でも行けるようになっていたのだ。

彼女との出会いの正確な日付は覚えていないが、その女性は、バブルな時代背景を敏感を映すメイクと髪型をしていた。前髪パッツンの太眉毛。クラブではガウン姿だから服装まではわからないが、遠目にも目を惹く容姿と雰囲気だ。
マスター仕切りでカップリングされ、ラウンジからプレイルームへ移動。元々、目が何度も合うなど、お互いが気になっていただけに、そのプレイはまさに待望の、濃厚なものに。プレイを終えた後もプレイルームでまったりと佇み、いろんな話を交わした。聞けば、今日一緒に来たのはその日伝言ダイヤルでたまたま出会った男性で、興味本位で来たという。仕事は、都内のデパートにある海外ブランドのショップに勤めているという。何故か本名まで教えてくれた。これは、連絡をくれということか。メモなどを取っていることはできないが、誰もが知るデパートに入る、海外ブランドだ、調べ(!?)はすぐにつく。

プレイルームから出てくると、その女性を連れてきた男性から声を掛けられた。年配の男性で、嘘か本当か、新聞記者だという。彼女とは伝言ダイヤルで今日会ったばかり、連絡先を知らないから調べてくれと言われた。私は彼女から勤め先を聞いたことを伝え、同時に彼の連絡先を教えてもらう。私とコンタクトしておけば、彼女とも連絡を取れるということだ。

本来は連絡先の交換など、遊びの場としてはご法度だが、お互いが納得していれば、問題ないということだろう。

数日後(すぐにかけず、多少の渇望感を抱かせる戦法を取る!?)、デパートのブランドショップに電話して、その女性を呼び出す、本名は教えてもらっていた。果たせるかな、本人が出る。嘘ではなく、本当だった。仕事終わりに会う約束を取り付ける。

彼女の仕事場のある新宿で待ち合わせ、落ち合う。流石、いくら肉体関係があっても、直ぐにホテルとはいかず、こじゃれたバーへ行く。なんとなく、当たり障りのない身の上話を聞かされ、先日、連れてきた男性との関係も詳しく聞かされる。

翌日は休みらしく、彼女も時間があるから、ゆったりとしていた。彼女は都内在住ではなく、茨城に近い千葉に住んでいる。帰宅にアクセスのいい上野まで移動するが、時間はぎりぎり、帰るのが面倒くさく、そのまま鶯谷のラボホテル街へ雪崩れ込む。二人ともいい感じに酔っているが、お互いに再会を希望し、また、身体を交わしたいと思っていた。

前回、初対面にも関わらず、何故か、懐かしくもしっくりとくる感覚があったのだ。相性が合うと言ったらそれまでかもしれないが、お互いが居心地の良さを感じていた。それは2回目も変わらなかった。
初めてなのに懐かしいなど、どこかであったような宣伝文句だが、不思議なことにそう感じた。単なる思い込みかもしれないが、錯覚は簡単に起こる。セックスとは強烈なものだ。

気付くと朝を過ぎ、昼のサービスタイムに突入。その日の夕方までやりまくる(下品な表現で申し訳ない!)。蕩ける感覚とでもいうのか。100万語費やすよりも深いコミュニケーションをしていたと思う。

事情のある女

そんな感じで付き合いが始まり、普通に二人だけで会うだけでなく、伝言ダイヤルなどで見つけたパーティやスワッピング雑誌に広告が出ていたクラブなどにカップルとして出かけて行った。遊びまわるという感じだろうか。

そういう付き合いをしながらも時に彼女を連れてきた男性を交え、遊びに行ったり、同時にその男性と二人でテレクラへ遊びに行ったりもした。

実は、以前書いたが、テレクラ女子の叫びを聞き逃すことなく、「この東京の夜空の下、何千万もの彷徨える女性の魂が浮遊する」を捕まえろ、と、名言を吐いたのはその男性だった。新聞記者をしながらミステリー小説を書き、何冊も著作があるという。本当か嘘かわからないが、そんな怪しい輩はいくらでもいる。深く追求するというのも野暮というものだ。その彼とはタッグを組み、テレクラでアポを取った子持ちの離婚経験者の女性の家に上り込み、私が2階で子守りをしながら彼が1階で母親とセックスする、カラオケへ行きたいという女性を車に連れ込み、ラブホテルへ繰り出すなど……ハレンチな活動は枚挙に暇ない。改めて話す機会もあるかもしれないが、かなり怪しいというか、危ない活動をしていたといっていいだろう。

話は横道にそれたが、その女性と何度も遊び歩いていると、情のようなものも沸くし、恋心みたいなものも芽生える。彼女とは伝言ダイヤルなどで怪しいクラブやパーティを見つけ、一緒に遊びに行っていた。また、その後は、二人でラブホテルに籠るなんていうことも度々、あった。そうして付き合いをしているうちに、単なる身体の関係やパーティなどへ行く通行手形的な都合のいい女から変わってくる。

“通行手形”など、聞き慣れない言葉だと思うが、スワッピングのクラブやパーティは、基本的にカップル参加が必須で、料金もカップルの方が男性一人(単独男性と言っていた)で行くより安くつく。そのため、ちゃんとしたカップルではなく、ただ、参加費を安く済ませるため、連れて行く女性を業界用語(!?)で、通行手形といっていた。

その時は毎週末ごと遊びに出ていたが、長いこと時間をともにすると、同時に深い話もするようになる。彼女はブランドショップ店員らしく、いつも最新のファッションで決め、バッグやアクセサリーなどもバブル時代(時期的にはバブルは終焉していたが、浮ついた空気は持続し、蔓延していた)ゆえ、海外の有名ブランドのものを持っていた。いわゆる金ぴかなものを纏っていたわけだ。

しかし、その派手な装いや行いとは裏腹に、実は借金まみれ、多重債務で苦しんでいた。元々、浪費癖があったのだろうが、決定的だったのは前の彼に外車を買い与えたこと。勿論、プレゼントという形ではなく、二人で購入しようということで彼女が立て替え、その彼も支払いをするはずだった。ところが彼は一銭も出さず、おまけに仕事で赤字を作ったので、そのための補填に消費者金融(いわゆるサラ金だ!)で借金をして、その返済のための金を貸してくれといわれる始末。彼は都内でバーを経営していて、若き経営者だったが、そう簡単にうまくはいかない。知らぬ間に借金を抱え、彼女にもその肩代わりをさせるようになったのだ。

当時は、会社勤めというだけでいくらでもサラ金で金を借りることができた。しかし、借りることはできるといっても限度額や返済もある、彼女もサラ金一社では足りず、他から借り捲り、借りた金で返済をするという、いわゆる多重債務に陥っていた。だからといって、ファッションブランド勤務(ハウスマヌカンなんていう言葉もあった)ゆえ、自社の商品も購入しなければならず、かつ、女性の職場、競わなければいけない。変な恰好はできず、ブランド品は増えていく。

まさに悪循環。給料だけでは回らなくなる。金の切れ目が縁の切れ目。彼女はその男性と別れることに。そもそも秘密クラブへ来た男性ともおこづかい目当て、バイト感覚だったようだ。
そんな事実に驚愕したが、私自身は金を無心されることもなく、時には奢ってもらったり、ブランド品のアクセサリーも貰っていた。

借金返済のための活動が始まる。普通なら風俗へというところだろう。いまでこそ、風俗が簡単に金になる時代ではないが、当時はある程度、駆け込み寺のような存在で女性の受け皿になっており、借金苦で風俗行きということもあったし、悪徳ホストが飲み代を返済できない女性を風俗に沈めるなんていうこともあった。

勿論、そんなことはできない。大事なパートナーでもある。結果として、役に立ったかわからないが、当時の私が出会いゲームに興じていたことが多少の足しになったといっていいだろう。

つまり、こういうことだ。テレクラだけでなく、出会いのメディアとして、私は夕刊紙やスポーツ紙の三行広告も活用していた。「レジャーニューズ」や「内外タイムス」などに掲載されている風俗などの広告である。ここは、いわゆる愛人クラブや大人のパーティ、変態スナック、ホモ、レズ、AV、秘密サークル、恋人紹介……様々な怪しい言葉が暗躍するニッチな業態のオンパレードである。

そんな中、勘で探り出し、これはというものにはアタックしていた。勿論、外れもあるが、風俗営業的な売買春とは微妙に違うものもあったのだ。出会いのきっかけは何でもいい。
出会った先にドラマがあるものだ――。

2014-03-12

第34回■虎の尾を踏む女Ⅱ 逃走

思いもかけない邂逅から数ヶ月。とうに年は越し、94年になっていた。そんなある日、新聞の週刊誌の広告を見ていたら、“知り合い”が出ていた。
思わず、目を疑った。まさか、そんなことがあるはずがない……。
その広告は、数ヶ月前に会った有名野球選手とホステスとのスキャンダルを知らせていた。急いで駅まで行き、週刊誌を買い求める。「醜聞」の文字が躍っていた。その選手はホステスを妊娠させ、堕胎させようとしたという。彼は結婚していたから、“愛人不倫スキャンダル”だ。そしてそのホステスこそ、高橋真梨子の歌を得意とする、かの“スチュワーデス”だったのだ。

記事を読むと、そのホステスは、そのことを口外しない代わりに金銭を要求したという。口止め料だ。
ホステス自身の行状も暴かれていた。過去には誰もが知る人気コメディアンとスキャンダルになったこともある。テレビ局のプロデューサーや代理店の重役、タレント、スポーツ選手と知りあいという、その女の華麗な交友録は嘘ではなかった。しかし当然というべきか、日本の航空会社の国際線のスチュワーデスではなく、六本木のクラブに勤めるホステスだった。

女の正体が露見したわけだ。私があのとき呼び出されたのは、その野球選手と彼女が面識をあるという事実を第三者に見せることで交際を既成事実化しようとする、“証人”の役目だったのだろうか。

週刊誌の記事が出てから他の雑誌も後を追い、テレビのワイドショーなども頻繁に取り上げるようになった。報道される度に、その女の素性がどんどん暴露され、過去にも強請り(ゆすり)紛いのことをしているらしい。“テレクラ美人局”の大仕掛けバージョンである。まるで、『スパイ大作戦』(勿論、トム・クルーズ主演ではなく、“おはよう、フェルプスくん”でおなじみのテレビドラマ版である)のようなもの。彼らの筋書に、私はまんまと嵌ったというところか。

女からの電話

その女はマスコミの執拗な追求から逃れるため、家を出て、全国を逃避行の旅に出ているらしい。そんな模様も連日、報道されていた。
それだけなら私の出番はなく、テレクラで遭遇した一びっくりエピソードで終わるところだが、なんとその逃走先から連日の如く、私へ電話が来ていたのだ。以前、マスコミにも多少コネクションがあるような嘘をついていたので、状況を説明し、一人でも理解者を増やして、反論の記事でも書いて欲しかったのだろうか。自分は金銭など要求してないし、いかにその野球選手が彼女に対して不誠実なことをしたのかを滔々と語る。

週刊誌やワイドショーがさんざん取り上げている女とこうして普通に会話していることが奇妙だった。そして一方で、何か、とんでもないネタを拾った“トップ屋”(スキャンダラスなニュースを掘り出し、記事にして雑誌社に売り込むことを仕事にしているジャーナリスト)になった気分でもあった。

その女との会話は念のため、マイクロレコーダーに録音しておいた。週刊誌にでも持ち込めば金になるのではないか、そんなことも漠然と考えていたように思う。

その女は、先日同席した菓子メーカーの御曹司にして妾の子だという男と行動をともにしているらしい。そして、嘘か本当かわからないが、全国を転々としているようだ。昨日、名古屋にいたかと思うと、今日は福岡という具合。『砂の器』ではないが、安住の地を求め、二人して全国行脚しているかのようだ。

二人の逃避行は延々と続き、週刊誌の後追い記事も増えていく。人の噂は七十五日というが、思いのほか、世間の興味関心は長引いた。相変わらず、その女からは連絡が来る。ある日、活動資金(逃走資金!?)を振り込んでくれと言われた。全国を転々としているから持ち合わせの金も底をつき、苦しくなってきたというのだ。東京に戻ったら、必ず返すから貸してほしい――。半年ほど前にどこかで、聞いたような“寸借詐欺”の手口だ。戻ってこないことはわかっていたが、確か、5万円ほどをその女の口座に振り込んだ。

助けたいなんていう気持ちはなかった。むしろ、リアルタイムでニュースが飛び込んでくる、そんな状況を維持したかったのかもしれない。特ダネを掴んだら離さないトップ屋のように、騒動の核心に触れていたいという思いがあったのだろう。

振り込んだ後も何度か、無心の電話はあったが、さすがに一度だけにさせていただいた。そうこうしているうちに、有名野球選手の愛人不倫スキャンダルの話題も少なくなってきた。騒動もそろそろ終息するかに見えた。

ところが、その騒動は意外な結末を迎えた。スキャンダル自体が自称「愛人」が金銭目当てにでっち上げた作り話と判明、さらには「野球選手」が恐喝され、数百万円を脅し取られる被害を受けていた事が明らかとなり、警察の強制捜査に発展し、最終的に、この女は恐喝容疑で逮捕されてしまったのだ。

ことは、単なるスキャンダルや騒動ではなく、“事件”に発展した。もし、時期がずれて、強制捜査、逮捕劇の最中に金を振り込んでいたら、“犯人”に逃走資金を与え、犯人隠避、逃走幇助をした“共犯”にされていたかもしれない。まさにぎりぎりセーフである。

まさか自分自身が“事件”の渦中に巻き込まれるとは思っていなかったが、テレクラの暗部を体感したような経験だった。その後、女がどうなったか知らないが、その野球選手だけは監督やコーチを歴任し、いまも野球界にその存在感を示している。時々、テレビのスポーツ・ニュースなどで見かけることもある。それを見る度、あの“真夏の夜の夢”を思い出さずにはいられない。

“虎の尾を踏む女”の尾を踏む男が私だった。テレクラの底なし沼のような奥深さと、犯罪ぎりぎりという怖さを思い知ったが、勿論、それで懲りないのが私だ。まだ、私のテレクラボーイとしての冒険は続く――。

2014-02-21

第33回■虎の尾を踏む女 Ⅰ

93年の夏を彩った“俺たちのグレート・ジャーニー〜日本縦断テレクラの旅”には後日談があった。私達が帰京した数週間後、“相棒”と福岡のドラマのプロローグを演じた28歳のOLから、彼へ連絡があったのだ。用件は、自動車事故を起こし、修理代が必要になったから10万円を送って欲しいというものだった。

事故そのものの真偽も怪しいし、自動車事故なら保険で対応できるはず。しかし、彼は迷うことなく、振り込んでしまった。もちろん、貸して欲しいといわれたのだが、一度口座へ入金されたら、お金は彼女のもの。相棒にしたら、怪しいという思いより、彼女の窮状を救いたいという気持ちが勝ったのだろう。いまの振込め詐欺のようなものだ。振り込んだ後、彼女から連絡はなかった。

援助交際が頻繁に行われ、テレクラが売春や買春の温床としてマスコミをにぎわすようになるのはもう少し後だが、既にテレクラには男と女の騙し合い、金銭のやりとりが横行していたのだ。そんな中から“事件”も起き始めた。テレクラで男をホテルに呼び出し、その男の恥ずかしい写真を取り、それを元に脅したり、女に呼び出された男がその彼氏やご主人に金銭を脅し取られるという“テレクラ美人局”などが、数年後、出てきたのだ。
テレクラは、単純に男と女の出会いのドラマを演出する“装置”ではなくなってきていた。テレクラの終わりの始まり、荒廃寸前のような状況だったのだ。

時期が前後するが、そんな事件に私も巻き込まれたことがあった。相棒のことを甘いやつだと笑えない。その契機となる女(後に逮捕されるので、敢えて女と表記させていただく)との出会いは同じく、93年の夏のことだった。

事件

テレクラは、学校や会社、家庭などを越え、本来であれば出会う環境になかった男女の出会いを演出することがある。それがテレクラの魅力でもある。スチュワーデスやモデル、ホステス、タレントなど、当時は高嶺の花といわれる業種の女性と出会ったこともあった。アイドルの誰々と話したなど、いわゆる都市伝説のようなものもあったが、テレクラ仲間が武勇伝を誇らしげに語ることもあった。そもそもテレクラは、男女とも虚言癖を持つ、詐欺師の溜まり場のようなところだが、まんざら、嘘でもなさそうなこともあったのだ。

その電話を取ったのは、渋谷道玄坂の店だったと思う。スチュワーデス(いまではキャビンアテンダントという名になったが、スッチーとしておこう)などの“上客”は、新宿や五反田ではぶち当たらない。意外なところで、蒲田、船橋辺りに生息しているという都市伝説があったが、実際はどうだろう。いずれにしろ、そんな女を引き当てたのは渋谷だった。20代後半で、日本の航空会社の国際線に乗っているという。フライトを終え、日本に戻ってきたばかり。彼女の口から出るのは、華麗なる交友関係だ。誰もが知るようなタレントやスポーツ選手の名前が次々と出てきて、そんな話を延々と聞かされた。辛抱強く聞き手に徹する。その女は独壇場と感じで喋りまくった。おそらく、フライト明け(!?)の躁状態で、気分がハイになっているのだろう。話は止むことはない。
聞き役ならお手の物。そのうち、私のことを、本当に話しやすく、親しみがわく人だと言ってくれた。仕事上、話しやすい雰囲気を作るのは任せておけだ。私自身も、コピーライターなどと称して、適当に業界臭さを演出したことも奏功したのだろう。こいつとつきあっていれば得かもしれないという、スチュワーデスのすけべ心も刺激したのかもしれない。

結局、話は盛り上がったが、アポには至らず。ただ、電話番号を教えて欲しいといわれ、番号の交換だけはした。まだ携帯の時代ではなく、家電であった。もちろん個人用で、留守電もついていた。それから思い出したように暇つぶしで電話がかかって来るようになった。

テレビ局のプロデューサーや代理店の重役との会食など、華やかな近況報告を聞かされる中で、彼女には“お兄ちゃん”と呼ぶ仲のいい野球選手がいることを知った。特に名前はいわなかったが、関西の球団にいて、東京へ遠征に来るたびに宿舎まで遊びに行くという。その時は話半分で聞き流していた。

そんなやり取りが続き、半ばアポ取りは諦めていた頃、いきなり、「いま、お兄ちゃんが家に来ているから遊びに来ないか」と誘いの電話があったのだ。最初に電話を取ってから数か月後。既に秋ではあったが、まだ夏の暑さが残る夕方の時間帯だった。

指定された地下鉄の駅を降り、そこから歩いて数分のところに、その女のマンションはあった。バブルの影響か、華美な装飾を施されたその外観は、パパが愛人に買い与えそうな物件、といったところである。

マンションのインターフォンを押すと、彼女が出た。オートロックの玄関が開く。エレベーターに乗って、彼女の住む部屋の前まで行ってインターフォンを押すと、女が現れた。

自宅なので、普段着っぽい恰好だったが、化粧だけは忘れず、少し華美と感じるような水商売っぽい雰囲気を纏っていた。年齢も30歳は超えているように見える。だからといって老けているわけではなく、いわゆる妙齢の女盛りであることに変わらない。華麗なる交流も頷けるところだ。予め、彼女からは、仕事上の知り合いということにしておいてくれと言われていた。

彼女に導かれ居間に入ると、二人の男性がいた。そのうち一人に、なんとなく見覚えがあった。当時の私はすでに興味をはなくしていたが、元々は野球少年。後楽園球場(東京ドームになる前!)に巨人戦なども見に行ったことがある。そんな私でさえ、顔を見てすぐにわかる、関西の人気球団のスター選手だった。“お兄ちゃん”とは、その男性のことらしい。
テレクラで知りあった女性の部屋に、著名人と一緒にいる。現実離れしたシチエ―ションというか、予想だにしないことで、なかなか、目の前の光景が頭の中で整理ができないでいた。そのスター選手は、そんな私を気遣って、気さくに声をかけてくれる。食事をしていないなら、寿司でも取ろうかとも言ってくれた。

私は適当に挨拶を交わし、その申し入れを受け入れ、寿司を頼んでもらうことにした。球界を代表するスーパースターは自ら電話をかけ、特上を4人前頼んでくれた。

そして、もう一人の男性。彼女によれば某菓子メーカーの御曹司らしい。しかし、正妻ではなく、妾の子のため、表に出ることはなく、役職も重役では会ったが社長や副社長ではなかった。曰くありげな話だが、その彼も変に卑屈になることなく、物腰もやわらかい。ただ、ふとした瞬間に影みたいなものが見え隠れするのは、妾の子という境遇ゆえか。

いままで話半分に聞いてきたその女の華麗なる交友録もまんざら嘘ではなさそうだ。何よりも私の目の前に、誰もが知る野球選手がいる。嘘ではない、現実だ。テレクラはもともと思いもかけない出会いを演出するものだが、まさか、有名野球選手に遭遇するなど、誰が予想できるだろうか。アイドルやタレントとの出会いではないが、テレクラ都市伝説を目の当たりにした瞬間だ。

その女と野球選手、御曹司、そして、私は寿司をつまみながら談笑した。しかし、話題をどう振っていいかわからず、なんとなくその場しのぎの言葉を紡いでいく。そんな空気を察してか、その女はテレビをビデオに切り替え、画面ではアクションものの洋画が始まった。
映画そのものは見たか見てないか覚えていないが、エンドタイトルを目で追っていたことだけは覚えている。記憶とは不思議なものだ。

話が途切れると気まずいのか、その女はカラオケをしようと言い出した。彼女の家にはカラオケがあったのだ。家庭用のレーザーディスクのカラオケだったと思うが、普通の家にあるものではない。

その女が歌ったのは高橋真梨子の歌だった。「桃色吐息」と「はがゆい唇」。多分、他にも歌ったとはずだがその2曲しか思い出せない。異常にうまく、妙に彼女の雰囲気に合っていたのがいまでも印象に残っている。ちょっとしたリサイタル気分で、気持ちよさそうに歌っていた。

なんだかんだで、11時近くになってしまった。特に乱交パーティ(!?)など、何かが起こるわけではなく、私は帰るように促された。こうして、その女と有名野球選手、菓子メーカーの御曹司という、まったく縁もゆかりもない、本来であれば接点も持ちようもない人たちとの数時間が過ぎていったのである。

ありえない組み合わせ、出会い。その後、彼らとは会うことはなかったが、話がこれで終わりなら、テレクラが生んだ“真夏(もう秋になっていたが)の夜の夢”というところだろう。ところが、事態は意外な展開をすることになる。この出会いにも“後日談”があったのだ。

その顛末は、次回、語ることにしよう。私自身が事件や事故に巻き込まれることはないと思っていたが、危機は確かに、“いまそこにあ”ったのだ……。

2013-12-25

第32回■サマーヌード〜日本縦断テレクラの旅Ⅲ 大阪編

第3の地での洗礼

博多を発った「ひかり」は新大阪駅のホームへ滑り込むように到着する。二人とも睡眠不足で(特に相棒は、私と違い仮眠も取れなかったみたいだ)朦朧とする頭と身体を抱え、私達のグレート・ジャーニー第3の地・大阪へやってきた。時間は既に7日(水)の午後2時を回っていた。環状線で大阪まで行き、地下街を潜って、梅田の繁華街へ出る。同所のホテルで、スタッフと合流、イベントの指示、資料の確認などを済ます。応援だから、打ち合わせの後、イベント会場に申し訳程度に顔を出して、その日の仕事は7時前までには終了してしまった。チョロイもんだ(笑)。

二人はスタッフの夕食でもどうですか、という誘いに乗らず、会場を後にする。目指すところがあったからだ。

LOFTや阪急などがあって、大阪にしてはお洒落といわれる「キタ」の繁華街・梅田も少し奥まったところへ行くと、途端に妖しい雰囲気を醸し出す。北新地などは飲み屋や風俗店が林立している。

そんな妖しいところにあるテレクラ「キャッツアイ」は、コール数、アポ率ともに関西一を誇る。男性客がボックスの空く順番を待つ、行列のできる店だ。流石、商売上手、商人の街。関西一を自負するこの店、日本一といわないところが大阪らしいが、大阪人気質というものなのだろう――だがしかし、それは東京生まれ・東京育ちの私にとって、致命的なことだった。東京弁(!?)でしゃべるだけで、気取っていると思われてしまう。事実、早取りにも関わらず、圧倒的にコール数があって、いとも簡単に電話を取ることができるのだが、ほとんど会話にならない。東京弁で喋っていると、すぐに切られてしまうのだ。相棒のように幼い頃に大阪に住んだことがあり、大阪弁を習得していれば随分と違っただろう。

話を弾ませようと、軽い冗談をいっても東京の笑いは通じない。やはり、よしもと新喜劇の世界。大阪人が2人いるとボケとツッコミの漫才が始まるというが、私の笑いの感覚は東京流。それなりにギャグセンスには自信はあったが、とてもテレクラにかけている女性とは“漫才”ができそうもない。実は、東京の下町出身ゆえ、学生時代に、浅草の演芸場で、現在は“世界の”と冠せられるあの芸人の師匠にあたる伝説のコメディアン&ボードビリアンに薫陶を得ていたが、そんなことはまったく役に立たなかった。まるで不戦敗である(笑)。

期待

そんな中、唯一会話らしい会話が成立した相手が阪急神戸線の沿線に住むという21歳のOL。前の彼氏が千葉出身だっただけに偏見がない。ところが、彼が東京へ転勤になると、何も言われずに振られてしまったという。できれば復讐したいというのだ。穏やかではないが、きっかけは何でもいい、協力するから会ってくれと無理矢理に頼むと、その女性は迷いながらもOKしてくれた。ただ、アポが取れたのが夜の11時近くだったので、今日ではなく、明日と言われる。明日の昼休みに彼女の住む街のスーパーマーケットの前で待ち合わせをする。彼女の特徴は、身長は168㎝、当時、ヌード写真集が話題になったアイドル女優に似ているという。これは期待を抱かせる。

一方、大阪在住経験のある相棒だが、この日は別の意味で、悪戦苦闘を強いられたという。コールしてきたのが自殺志願の女性だったのだ。26歳のフリーターで、かなり精神的にまいっている。下手なギャグを口走って死なれたらたまらない。2時間近くは話しただろうか。その女性から、
「こんな真剣に話、聞いてくれたん、初めてやわぁ。ありがとね〜」
と、言われた時はほっとしたそうだ。

深夜0時前など、テレクラ時間としては宵の口だが、翌朝から仕事があるので、ここはホテルへ撤退。明日へと希望を繋ぐ。幸い、昼休みにアポは取れている。また、夜には、前から行きたいと思っていた別のテレクラへ行くことになっている。明日のため、大人しく夜を過ごす。

十三のテレクラ

翌7日(水)は朝から真面目に仕事をこなし、昼休みの間に、私は昨日、待ち合わせした阪急神戸線沿線のスーパーへ向かう。ホテルまで持ち込む時間は当然ないが、せっかくだから、一目でも会っておこうと思ったからだ。

梅田から阪急電車で30分ほど。約束の午後1時には着いていた。女性を待つが、来る気配はない。すっぽかしか。漸く、30分ほどして、件の女優に似た、いい女が現れるが、こちらへ来るそぶりは見せない。私から近づき、尋ねるものの、違うの一点張り。だからと言って立ち去るわけではなく、年齢を尋ねてくる。ダブル・ブッキングをしたのだろうか。何度かしつこく聞くと、彼女は立ち去ってしまった。その女性が私を気にいらなかったのは確かだが、それにしても謎の行動ではある。とりあえず、会えただけで良しとするか。思いのほか、時間がかかってしまった。慌てながらも仕事場へは何食わぬ顔をして、戻ることにする。

私達は、仕事を適当に(こればっかりで、会社の方、本当にすいません!)切り上げ、夕方に大阪の繁華街・十三(じゅうそう)にあるテレクラ「ベルエポック」へ。十三といえば、かの松田優作の遺作になった『ブラック・レイン』(リドリー・スコット監督)のロケ地として有名だが、ある意味、もっとも大阪らしい、妖しい風俗のある街でもある。ねぎ焼きなどの名店もあるが、まわりには風俗店が多く、出張ヘルスやSMクラブの事務所も少なくない。街往く人の風情も只者ではなく、後年、この街でSMの女王様のコスプレをした中年男性が普通に街中を闊歩しているのを見かけた時、十三の奥深さを知ったものだ。

そんなところにある「ベルエポック」。普通のテレクラであるわけはない。実に特殊でマニアックなテレクラである。大きな特色はSM回線や3P回線などの特殊な回線を設置し、性癖に合わせ、ボックスへ取り次いでくれることだ。広告も、普通の雑誌や新聞(といってもおやじ向けのエロ週刊誌&三行広告満載の夕刊紙)だけでなく、SMやスワッピング(夫婦交換)など、マニアックな雑誌にも出している。その分、性癖の利害関係が一致するだけに、話がまとまれば、ことは早く進む。同店の常連客は相当、いい思いをしているという。

実はこの店、伝言ダイヤルで見つけた乱交パーティやスワッピングクラブなど、“マニアの巣窟”を探索していた時に専門誌で見つけ、同時に遊び仲間からもその存在を聞いていた。ネットが普及したいまでは信じられないかもしれないが、当時はマニアな雑誌や遊び人の口コミが有力な情報源。そんなわけで、大阪へ行った際には、是非一度、訪問したいと思っていた店なのだ。

私は特殊回線、相棒は一般回線に挑む。私がボックスへ入ると、奈良に住む40代の夫婦から早速、3Pのお誘いがある。3P回線に掛かってきたコールだ。
念のため、3P(“サンピ―”と発音する)を簡単に説明しておくと、男性2人に女性1人でのプレイ(風俗だと、3輪車といって、女性2人、男性1人という遊びがあるが、それとは逆の組み合わせである)で、この場合、夫婦やカップルの中に入って、快感に導くお手伝いをするというもの。

大阪と奈良の距離は実際には大したことはないが、当時は大阪から奈良へというのが大旅行に思えて、遠慮してしまった。その夫婦へ翌日は東京に戻ることを理由にして断りを入れたら、家に泊まって、朝出ていくことを勧められた。そんなことまで考えてくれる、なんか、情の深さに感動してしまう。スワッパー(スワッピング愛好家)は優しい。

相棒は一般回線では成果が出ないので、特殊回線に切り替える。主にSM回線に対応する回線だ。M女性が電話の向こうで勝手にオナニーをして、果てたところで電話を切られたり、SMクラブのママからは店に来るようにと誘われたりする。普段垣間見ない世界なので、相棒はどぎまぎしたそうだ。

九州の二人

私は引き続き、特殊回線の3P回線のコールを待つ。特殊な世界ゆえ、一般回線やSM回線(SMでも充分、特殊だが)に比べると、さすがにその数は少ない。店もちゃんと、相手の二人と会話してカップルかを確認しているから、悪戯もほとんどないという。

深夜0時過ぎに男性30代後半、女性20代後半のカップルから3Pの誘いが入る。話していると関西弁ではない。二人とも九州出身だという。ようやく、大阪の呪縛から逃れられる! 心斎橋でスナックを二人して切り盛りしているらしく、丁度、客が引け、閉店するところなので、これから遊ぼうという。

待ち合わせは心斎橋の彼らの店の側だった。十三から心斎橋まで、タクシーを飛ばす。逸る気持ちを押さえる。用心をしなければいけない。彼らの店の側ということは、ぼったくりや美人局の可能性だってある。すけべ心を抱きながらも冷静な私ではある。

待ち合わせに現れたのは、随分前に見たテレビドラマの1シーンを思い起こさせるような二人だった。理由あり女のバーのカウンターに理由あり男が佇み、無言で酒を酌み交わす――幼な心ながら、あんな風になりたいと憧れた男女。実際はそんなシチエ―ションではないが、二人とも実に絵になる。風情があって、まるで女優と男優のようなのだ。

軽い挨拶とともに、まずは軽く飲もうということになり、閉めたばかりの店へ案内される。二人への警戒心は、会ってすぐになくなっていた。その店は落ち着いた大人の雰囲気を醸すバーだった。大阪には相応しくない(?)お洒落さがあった。彼らも二人して九州から出て来て、苦労はしたようだが、いまだに大阪人の扱いに苦慮するという。昨日、大阪人の洗礼を受けたばかりなので、共感するところも多い。なんとなく、話も合ってくる。また、私も東京での活動ぶりを話す。勿論、マニア活動である。初心者でなく、パーティやクラブなど、この世界の遊びの経験者であることで、安心してもらう。

合意を得ることができたので、3Pをすることになったのだが、心斎橋周辺のラブホテルは普通に3人で入ることができた。本来、2人で利用するところだから、3人だと断られるかと思ったら、特に割増料金(ホテル代は割り勘!)も取られることなく、そればかりか、余分にバスタオルやガウンも出してもらえた。

多分、パーティルームのように大きい部屋だったから問題なかったのだろう。メゾネットタイプで、下にリビングルームやバスルーム、上にベッドルームがあった。

私は最初にシャワーを浴びると、二人に“準備”をするから、ベッドルームで待つようにと言われる。その時は、何の準備かわからなかったが、よくよく考えると、エチケットとしては必要なことだろう。

二人がベッドルームに来ると、いよいよ、3Pの開始である。その女性は服を着ている時にはわからなかったが、実にグラマラスで、グラビアモデルのようなスタイルである。顔立ちは古風だが、体躯そのものは当時の今風であった。男性も歌舞伎役者のような風貌ながら、遊びを仕掛ける時は、偽悪的な相好になる。嫌らしい言葉責めが様になる。

その女性の秘部を見ると、剃毛されている。先ほど、バスルームで剃ったそうだ。そして、3Pだから前と後ろ同時に挿入しようと提案される。そのため、浣腸も済ませたという。準備とは、そのことだったのか。

3Pそのものはパーティなどで経験があったが、アナルまでとなると初体験。しかし、ここで二人の期待を裏切ってはいけない。性の冒険者である私は引き下がるわけにはいかないのだ。果敢に挑むことにする。最初は私が前で、彼が後ろ。そして、次は私が後ろで、彼が前。微妙に不自然な体勢を取らなければならないので、身体もしんどくなってくる。また、経験したことがある方はわかると思うが、薄皮一枚で、男性のお互いのものが擦れ合う感覚も微妙である。だが、その女性は気持ち良いらしく、思い切り嘉悦の声を上げる。私自身の快感というより、二人のお役に立っているという満足感が沸いてくる。

3人の絡みは、いろいろ、組合せを変えながら朝まで続く。夜が白み始める頃(といってもラブホテルの窓は閉じられているから外の景色はわからなかった)、宴も終わりに近づき、私は二人に感謝を告げ、先に帰らせてもらうことにした。相棒が待っているホテルへ帰らなければならないし、午前中には東京行きの新幹線に乗らなければならないのだ。

私にとっては苦戦を強いられた大阪でのテレクラ体験。最後の最後に、大阪の神髄(!?)に触れた夜だ。考えてみたら、大阪はノーパン喫茶やカップル喫茶など、新しい風俗の発祥の地であり、常に性風俗の先駆者でもある。マニアは国境(県境)を超えるというところか。

ふらふらになりながらホテルに戻ると、相棒は深い眠りに落ちていた。叩き起こすと、彼は、私が出た後もSM回線に挑み続け、アポは取れなかったが、SMクラブに勤める女王様から店の電話番号を聞くことはできたという。その後、彼が大阪出張の際、そのSMクラブを利用したかは知らない。

二人は急いで帰りの支度を整えると、ホテルを出て、新大阪駅を目指す。私たちを送り出してくれた会社のスタッフへの土産も買う間もなく、午前9時前には同駅を後にした。長いようで短かった1週間。札幌・福岡・大阪という3都市を巡る私達のグレート・ジャーニーは漸く終わりに近づきつつある。午後0時過ぎに、ひかりが東京駅のホームに静か入る。東京でのサミットは、まだ続いていたが、二人の心の戒厳令は確かに解かれていた――。

2013-12-02

第31回■サマーヌード〜日本縦断テレクラの旅Ⅱ 福岡編

天神

私達の“グレート・ジャーニー”、札幌に続いて訪れた地は福岡である。北海道から一気に南下。日本列島を縦断する。福岡へは飛行機で、2時間30分ほど。数時間前まで札幌にいたとは信じられない。一瞬のことだ。福岡では激しい雨が二人を迎えた。心と身体の滓のようなものを洗い流すかのように。

適当(笑)に現地のスタッフと打ち合わせを終え、夕方に福岡の中心、天神へ。同所にあるテレクラ「ペンギンルーム」は、札幌の「ペンギンクラブ」と名前が似ているが、系列ではない。福岡でも最大の店舗数を誇る大型店。個室や待合室も広く、居住性がいい。ここの店長は「たかがテレクラ、されどテレクラ」をポリシーにテレクラの地位向上を訴えていた。テレクラは風俗ではなく、出会いの場だと断言する。実際、この店で出会い、結婚したカップルもいて、感謝状も届いているという。

「ペンギンルーム」は早取りだが、コールが多く、ボックスもたくさんあるので、たやすく電話が取れる。8時に公衆電話からコールがあり、22歳の女性とアポを取りつける。待ち合わせの場所を指定して、10分後に会うことにする。ところが彼女は来ない。すっぽかしだ。

その数十分後、また、当のすっぽかしの女性から電話があり、偶然、私が取った。彼女は待ち合わせ場所がわからなかったという。今度は場所をちゃんと決めた。また、すっぽかされるかと思ったが、彼女はそこにいた。スレンダーなスタイルと、いまならクールビューティとでもいうのであろうシャープなルックス、そして少し派手目なファッションがまわりから浮くことなくなじんでいる。職業を聞くと病院の経理の仕事をしているという。彼女と博多一の歓楽街・中洲の飲み屋へ行く。親が中州で店を開いているらしく、人目を避けるように歩かなければならない。狭い街だからしかたがない。1時間ほど、飲んで盛り上がる。彼女は明日なら夕方から時間があるので、彼女の運転で海へ行こうと言う。そんな約束を交わし、ひとしきり盛り上がったところで、二人きりになれるところへ行こうということになり、平尾というホテル街へタクシーを走らせた。

いわゆるラブホテルだが、部屋は広々として、バスルームにはサウナまである。近くに住む彼女は家族とカラオケやジェットバスに入るために来るともいう。ところが、そこで突然、彼女はお金の話を切り出した。明日、カードの引き落としがあり、1万円足りないというのだ。私はそんなつもりはないので断ったが、それでも懇願するので、明日の車代ということなら払ってもいいと伝えた。勿論、それで彼女を抱く気にはなれない。それでも妙に様子がおかしく、なんだか信用できないので、今は現金がないので明日、払うと伝えた。すると、すぐに必要だと食い下がる。私は仕事のために宿泊しているホテルへ戻って、お金を取りにいくことにした。実際はホテルに戻り、お金を持ってくるのではなく、逆に現金を1万5千円だけにし、用心のため、カードや名刺など、身許のわかるものをすべて置いていくのだ。

その後、ホテルに戻ると彼女はいた。見ると新しい荷物が増えている。近くの友人に預けていたものを取りに行ったのだという。彼女に1万円を渡すと、今から家へ戻って、明日の仕事の洋服を取りに行くという。これで消えるのかもしれないと思ったが、彼女の言うとおりにさせた。

彼女が出ていくとフロントに電話して、私が外出している間、荷物を取りに行ったかを尋ねた。すると、それは昨晩、そのホテルに泊まった彼女が不足分を払うまで預けていたものだということがわかった。ということは、彼女はここに泊まったのだ。ホテトル嬢かもしれないし、客から金を取り損ねたのかもしれない。もし戻ってくるとしたら、怖いお兄さんと一緒の可能性もある。フロントに理由を話し、もし誰かと一緒であれば、私は帰ったことにしてくれと頼んだ。

それから30数分後、彼女が一人で戻ってきた。一安心ではある。とにかく、二人でベッドに別々に寝ることにする。といいつつも、なかなか寝れないでいた。可愛い女性が横にいるからではない。いろんな疑問が沸いてくるのだ。左の薬指にした指輪のような刺青が気になるし、よく見ないとわからないが、刃物で切られたような腕の傷も気にかかる。それにましても不可解なのは明日の計画を嬉しそうに語ることと、今度、家に招待したいと真顔で話すことだ。結局、翌日のチェックアウトの時間まで一緒にいて、その日の夕方に再会することを約束して別れた。

その頃、相棒は…

相棒は私からの連絡のないことを心配していたが、その間に10時過ぎにアポを取りつけていた。テレクラの近くからかけてきた22歳(後から18歳と白状される)の化粧品会社のOLと、テレクラの側にあるファミリーレストランで会ったという。気の強そうな女性だが、悪くない、とのこと。彼女と親不孝通りのカラオケボックスに入って、深夜3時まで歌いまくった。演歌が上手かったそうだ。その後、待ち合わせしたファミリーレストランに戻り、氷いちごと氷あずきを食べながら話す。彼女から指輪が欲しいというのをボーッと聞いていたという。指のサイズは10号。30分後、翌日(もう今日だ)に会う約束をして別れる。待ち合わせは同じ場所だそうだ。

翌日(というか、明けた5日)。「ペンギンルーム」の店長からは午前中は主婦のコールが多いと聞いていたが、私が昨夜から帰ってなかったので、彼は店には行かず、ホテルで待っていた。合流し、二人はあまり寝る間もなく、仕事をこなす。相棒は昼休みに銀行へ出掛け、その帰りに宝飾店に立ち寄り、ゴールドの指輪を買った。

福岡の赤坂にある「ダイヤルNo.1」は、老舗で、店長は“福岡のテレクラの父”と言われているそうだ。かつてここで知りあったカップルの結婚式に招かれ、祝辞も述べたこともあるという。取り次ぎと早取り、順番回線、テレビ電話など、様々な趣向を凝らしているのがアイデアマンの店長らしい。

夕方から電話を取り出したが、二人とも約束があるのでいまいち会話に身が入らない。電話を取るつもりがなかった相棒だが、運悪く(!?)取り次がれてしまった28歳のOLと何故か、話が合う。話していて、すごく楽しい。彼はこれから約束があって、昨日会った人と会うことを伝えたが、彼女はその女性と会った後でもいいから、会ってくれという。10時に会う約束をする。

その時、私は昨日、一夜を共にした女性と待ち合わせたホテルのロビーにいた。しかし、彼女は現れなかった。いったいなんだったんだろう? ただ、1万円を取られたに過ぎないし、テレクラには“嘘つき女”がつきもの、テレクラなど、男と女の騙し合いでしかないが、それでも彼女を信じたい気もする。ひょっとしたら、何かのアクシデントがあって、これなかったのではないかと、自分勝手な解釈もしてみる。複雑な感情だ。

相棒は8時に、昨日会った女性と、同じファミリーレストランで再会し、指輪を渡す。彼女は大粒の涙を浮かべ、泣き出したという。彼は、このあと仕事で仲間と飲まないといけないと告げ、東京の連絡先を教え、その女性を一人置いてレストランを後にした。

私といえば、釈然としない気持ちを抱えながらも空腹を覚え、親不孝通りの屋台で、少し遅い夕食を取っていた。

食事を終えた私は、冷やかしがてら、相棒が待ち合わせをしているホテルのロビーを覗く。すると、彼がぽつんと一人でソファーに座っていた。話しかけようとすると、慌てて止めるように目配せされる。待ち合わせをしていた28歳のOLがちょうど彼の前に現れ、私の横にいたのだ。長身の女性だが、どこか可憐さと清楚さが同居していた。

あとから聞くと、相棒は彼女の車で親不孝通りへ向かうが、ひどい方向音痴で、目指す店になかなか辿りつかなかったという。恋に遠回りはつきものだ。漸く、お目当ての店で出会いの祝杯を上げ、その後、カラオケボックスへ。延長に次ぐ延長で、午前4時を回った。温かい珈琲を飲みたいというので、ファミリーレストランへ行くが、閉まっている。出来過ぎたドラマのような展開だが、その後二人はホテルへ行ったという。

18歳のバースデー

私といえば、二人のドラマのプロローグに刺激を受け、雪辱戦をしなければならないという思いから、「ダイヤルNo.1」へ戻った。ところが、思うようにアポは取れない。閉店近くの午前3時、天神の公衆電話からコールがあった。聞けば、今日は18歳の誕生日で、友達がカラオケボックスで祝ってくれるはずだったが、段取りが悪く、会えずしまいになってしまったという。それではあまりに可愛そう過ぎるというもの。私は「僕にお祝いさせてくれ」と誘うと、彼女は躊躇うことなく、OKを出す。待ち合わせをしたホテルの前に彼女は自転車でやってきた。小太りであどけない、どこにでもいそうな少女。フリーターだという。親不孝通りのカラオケボックスへ行く。そこで彼女は歌うのだが、なんだか様子がヘンだ。歌うのは中森明菜の「難破船」や中島みゆきの「わかれうた」など、暗い歌ばかり。自暴自棄になっているのか。そればかりでなく、ボックスの照明をわざと暗くしたり、横になって甘えてくる。何かを期待をしていることは明らかだ。けれど、18歳の少女の誕生日を名前も住所もろくに知らない男に抱かれるなんていうものにしてはならない。してはいけないのだ。私はブルーハーツの「トレイン・トレイン」を、声を限りに叫んで歌った。私が彼女へ贈れるのは、こんな歌しかない。

夜が明け、空が白みだした頃、自転車に乗って帰ろうとする彼女へ、私はもう一度、歌った。“栄光に向かって走る あの列車に飛び乗って行こう”と。彼女はきっと列車に飛び乗れるはずだ。

私はホテルへ戻り、相棒の帰りを待ちながら、仮眠をとることにした。運命のドラマの主人公を演じた相棒が漸く帰ると、JR博多駅へ向かう。午後0時発の新大阪行きの新幹線に乗るためだ。そんな二人を駅前に飾られた山笠が見送る。博多の男だけでなく、女も浮き浮きし、そわそわしていたのは、博多祇園山笠のせいかもしれない。

2013-10-08

第30回■サマーヌード〜日本縦断テレクラの旅Ⅰ 札幌編

2013年の夏は、猛暑とゲリラ豪雨と、竜巻と突風と地震。そして、福島第一原発からは汚染された地下水が漏れ出した。“招致”のため、コントロール下にあると、世界に向けて大嘘をつくものもいたが、いかがなものだろうか。

20年前の夏、1993年の夏は、私にとって、“日本縦断テレクラの旅”の夏だった。あまりにも阿呆らしく、馬鹿げているが、“いいじゃん、夏なんだから”(by「ビーチボーイズ」)。

訪ねたのは、北海道は札幌と九州は福岡、そして、関西は大阪である。丁度、私が関わる企画会社のイベントが各所であり、その視察と応援を兼ね、1週間で、三ヶ所を回ることになった。仕事ゆえ、“相棒”がいる。同行するのは、幸いなことに、仕事仲間では珍しく、私の夜の行状を知る同年代のフリーカメラマン。テレクラ歴5年の強者である彼と示し合せ、全国縦断するなら、各地のテレクラを体験するという“旅打ち”することにしたのだ。

札幌ですっぽかしの嵐!

私達の“グレート・ジャーニー”は、東京サミット(第19回先進国首脳会議。1993年7月7日から9日まで日本の東京で開催された)のために過剰警備が布かれ、まるで戒厳令下の街のような東京を抜け出すことから始まった。

1日目、梅雨の影響でこの日は大雨。うっとうしいこと、このうえない。そればかりか、午後4時発の札幌行きのANAは、その機体を雨に晒し、まだ、飛び立てないでいた。悪天候。期待とは裏腹に、空を覆う暗雲のような、心に黒い雲がかかる。心はブルーに染まっていく。飛行機は定刻を20分ほど過ぎて、羽田を飛び立つ。

札幌の千歳空港には2時間ほどで着く。前年、1992年に新設された同空港はハイテックな作りで、当時、私が仕事で何度も訪れたパリのシャルル・ドゴール空港を彷彿させる。

札幌へは新設されたJRで行く。地下から地上に出ると外は梅雨のない北海道。からっと、晴れ渡っている。車窓には広大な田園風景が広がる。札幌に着くと、仕事仲間と合流し、簡単な打ち合わせをして、この日の仕事は終わり。いよいよ、テレクラ・タイムだ。

相棒とともに、札幌の繁華街・すすきのにあるテレクラ「BEAT」を目指す。店は予め、同地のタウン情報誌(当然、夜のタウン情報誌である!)で、調べておいた。道内では優良コールの多い店として評判だという。

同店はとてもテレクラとは思えない豪華な作り。聞けば、オーナーは元々、建築関係の仕事をしていたという。テレクラへの異業種参入。当時、儲かる投資先だったのだ。

店内の装飾は本職だけあって、変に華美ではなく、小奇麗にまとまっている。都内のテレクラに比べたら雲泥の差だ。ボックスもスペースにゆとりがあり、チェアーも極上のリクラニングシート。ボックスに入ると、テレビ電話が設置されていた。

プリペイド・カードを買って、IDナンバーと暗証番号でアクセスすると、すぐに繋がる。電話で話し、相手に画像を送ってもらう。静止画像だが、相手の顔がわかる分、親近感がわく。こちらの画像も送る。お互いの雰囲気がわかるだけでも安心感がある。何人かと話してみる。話が乗ると、裸の画像を送ってくれるものもいる。胸だけでなく、秘部のアップまである。その中で、少し話し込んだ20代のOLとアポが取れ、店の前で会うことになった。午後11時30分。店に入って2時間で初めて取れたアポ(テレビ電話に嵌り過ぎ!?)だ。身長は150cmにも満たない、小柄だが、画像を見る限り、ルックスは悪くない。店の前で待つこと、30分。彼女はやってこない。すっぽかしだ。

考えてみたら、普通に会おうという女性がテレビ電話を所有しているわけがない。いまでいうチャットレディーみたいなもの。予め、仕込まれたサクラ。アポが成立するわけはない。Hな画像が見れただけ、ましというものか。

気分を変え、テレビ電話から普通の電話に替えてみる。この店は取り次ぎ制。札幌は取次がほとんどで、早取りはあまりないという。県民性だろうか。1時過ぎにアポが取れる。グレイに白の水玉のブラウスに白いイージーパンツ、紺の巾着型のバッグと、待ち合わせの目印を細かく教えてくれるから、可能性ありだ。会う気がなければ、服装などはいい加減に教えるもの。ところが、待ち合わせの場所にはこない。これもすっぽかしである。

相棒もアポを試みるが、思うようにアポが取れない。深夜になってもコール数は減らないが、なかなか、呼び出すことは難しい。

閉店間際の5時にアポを取る(翌日というか、今日も仕事があるというのに、熱心なものだ!)。純然たるアポではなく、おこづかい目当てのものだが、とりあえず会うだけでも会ってみる。勿論、会うという経験値を上げるためのもので、当然、おこづかいを上げて、身体をいただこうという気はない。すすきのから車で15分ほどのファミリーレストランで待ち合わせをする。

夜のドライブ

5時過ぎに彼女はやってきた。当初、家の近くということで、歩いてくるものばかりと思っていたら、車で来た。赤いホンダ・インテグラがファミリーレストランの前に横付けされる。車から出てきた彼女は、いわゆるコンパニオン系の見映えのする、いい女だ。

とりあえず彼女と食事(朝食!)をすることにする。彼女は20歳を過ぎたばかりのフリーターで、驚いたことに昨年はストリッパーとして、日本中を回っていたこともあるという。その時には、誰もが知るAV女優と共演もしている。

彼女は問わず語りに最近、失恋したことを切り出す。半年前に恋人に女を作られ、逃げられたという。そのショックから立ち直れないでもいる。おこづかい目当てのテレクラ利用も単純に金銭だけでなく、ひょっとしたら自傷行為の一環かもしれない。

ファミリーレストランを出て、ホテルにしけ込むのではなく、彼女の車で市内を当てもなく走る。

「私って、本当の恋をしてないの。いつも相手に言い寄られて付き合ってしまう。今度は自分から好きな人に付き合って欲しいといいたい」

彼女のそんな言葉に被さるように、カーステレオからは大瀧詠一が書き、稲垣潤一が歌う「ヴァチュラーガール」が流れてきた。“独身女性”という意味のタイトルがついたこの歌が流れたのは何かの偶然なのだろうか。

二人は話過ぎたようだ。彼女に泊まっているホテルの前まで送ってもらい、別れた。

翌日(というか、もう日が変わっている)も「BEAT!」へ。当然、僅かな仮眠後、仕事を難なくこなしてからだ。

同日は週末、土曜日。土日に休みのOLが特に多いという。ところが、天気が良すぎて、外に出てしまったのか、コールはほとんどない。

夕方、20代のOLと話し込む。東京から出張で札幌に来て、街をガイドしてくれる女性を探していると伝えると、快く引き受けてくれるという。おまけに相棒が一緒だというと、友達も連れてくるとまで言ってくれた。ちょっとした合コンだ。その話を相棒に話すと、そわそわして、伸びていた髭を剃ろうとする。待ち合わせは近くの駐車場、白いチェイサーでやってくるという。しかし、またしてもすっぽかし。待てど暮らせど、そんな車はやって来ない。相棒の落胆ぶりはいうまでもないだろう。

その後、アポ取りを試みるが、電話がほとんどない。テレビをつけると、その年、開幕したJリーグの鹿島アントラーズと横浜マリノス戦の中継をしていた。いまでは代表戦以外は考えられないだろうが、意外な大敵だった。

コールが少ない中、20代半ばのOLと話し込む。実に感じのいい女性で、会話に熱が入る。ようやく会おうという話になると、おこづかい目当てということで興ざめしてしまうが、それでも会うことにした。いや、それでも会いたかったのだ。店の近くのシティホテルのロビーで待ち合わせる。そこに現れた彼女はとてもおこづかいをねだるような女性には見えない。品格が備わっている。理由を聞くとカード・ローンの返済に困っているという。道央から出てきて、札幌で一人暮らし、けして贅沢をしたわけではないが、気づいたら、ローンに追われていたという。

だが、彼女と金銭のやりとりをすることを出来なかった。そういう関係になることが我慢ならなかったのだ。そのことを正直に話し、帰ってもらおうと思ったが、ここで別れるのは辛く、未練がましいけど、だめもとで食事だけでもと誘ってみる。自分勝手で、彼女にとっても迷惑かもしれない申し入れだが、付き合ってくれる。

彼女の案内で、すすきの居酒屋へ行く。ホッケやエボダイを焼いてもらう。地元の人が薦める店だけに美味しい。ビールや日本酒、ワインを交互に飲む。彼女の顔が色っぽく染まっていく。とても数時間前に話したばかりとは思えないほど、親密な空気が流れる。彼女は心地良く酔わせてくれる。11時近くまで彼女と過ごす。店を出て、二人は別れた。私の胸に痛みが走る。わずか数時間の出会いと別れ。切な過ぎるというもの。

私がセンチメンタルなドラマを演じている時、相棒は河岸を変え、「ペンギンクラブ」で、アポ取りに挑んでいた。同店はすすきの中心にあるという最高のロケーション。コール数も札幌一と言われている。7時に20代半ばのOLとアポを取る。公衆コールだから、会える確率は高い。約束通り、待ち合わせの場所に現れた女性は、可愛らしい声とは裏腹に顔は老け、体格も小太りで、相棒にとっては魅力的とはいいがたい。その場から立ち去ろうとしたが、アポは取った手前、すっぽかすわけにはいかず、居酒屋へ行くことになったという。北海道の新鮮な魚介類をつまみにビールで乾杯をする。その女性は、この秋、ナンパされた男性と結婚するという。そんな約束がある身にも関わらず、話題は猥褻なものになり、誘惑のサインが送られる。毒気に当てられた相棒は11時過ぎに店を出て、その女性を駅まで送る。途中、大通り公園のベンチの酔いを覚ます。据え膳食わぬは男の恥などという古式ゆかしいことわざがあるが、食わないところが相棒らしいところか―。

その頃、私は大通り公園の側のテレビ塔まで来ていた。居酒屋を一緒した女性と別れ、店に戻って、すぐの公衆コールで、二十歳のOL二人組に呼び出され、タクシーで駆けつけたところだった。ところが、すっぽかし、待ち人来たらずだ。

翌日に備え、ここでホテルへ戻ればいいものの、私も河岸を変え、「ペンギンクラブ」で、相棒と合流。さらに電話と格闘を続ける。深夜になると、すすきのらしく、店を引けた水商売や風俗の女性の電話が増える。アポを取るという感じではなく、暇つぶしに付き合わされる。おこづかいをねだる電話も増えだす。札幌郊外からの電話も多く、話が盛り上がるが、遠過ぎて行けない。店長は、札幌は車がないと、と言っていたが、機動力さえあれば、アポ率は飛躍的に伸びていただろう。

「ペンギンクラブ」は、土曜日はオールナイトで、朝までやっている。二人は朝9時40分の福岡行きの飛行機が出る直前まで、店で粘る。寝不足で朦朧となりながらも、コールが鳴ると、反射的に電話を取ってしまう。習慣(!?)とは恐ろしい。

二人は疲れた身体と心を癒す間もなく、ホテルへ荷物を取りに戻り、空港へと向かう。そして、福岡へ旅立つ。私達の旅は始まったばかりだ。

2013-07-11

第29回■マニアの巣窟ーーNTT伝言ダイヤルという魔界

黒革の手帳

“ドーハの悲劇”から“ドーハの雪辱”まで、20年がかかった。それだけの時間が必要だったのだろう。既に1週間前、6月4日にアジア地区最終予選のオーストラリア戦で、本田圭佑が劇的なPKを決め、1対1と引き分け、FIFA2014 ワールドカップブラジル大会出場は確定した。だが、20年前、ドーハで、イラクにロスタイム終了直前に同点ゴールを入れられ、FIFA1994 ワールドカップアメリカ大会出場を逃していただけに、やはり、この日、6月11日のイラクへの勝利は格別のものがあるだろう。まさに雪辱といっていいものだ。

そのドーハの悲劇は1993年10月28日のことだが、私はその模様を浅草の行きつけのお好み屋で、ある秘密クラブで出会い、暫く付き合うことになる女性と見ていた。海外のファッションブランドの日本支店の販売員で、店舗はデパートにあった(当時でいえば、デパガだろうか)、年齢は20代半ばだったと思う。どこか、韓流系(当時はそんな言葉はなかった)のきりっとした顔立ちに、少しふっくらながら、抱き心地の良い身体をしていた。

販売員の女性と出会った秘密クラブだが、そこへ行く契機は約1年前、たまたま見つけ、拾った“黒革の手帳”にあったのだ。

全国を股にかけ、テレクラ行脚していた私だが、都内も新宿や渋谷だけでなく、池袋や五反田、六本木などにも足を伸ばし、行動範囲を広げていた。

池袋といえば、会社を辞めて、キャバクラ遊びをしていた時、一発でデートにこぎつけた女子大生水着パブのあったところ。私と相性が悪いわけはない。そんな思いで、果敢に攻めに行っていた。東武東上線や西武池袋線に、東横線や井の頭線のような高級感はない(失礼!)が、埼玉から東京の学校や会社へ通う一人暮らしの女性が多い地帯だった(と、勝手に思い込んでいる)。

多分、夏前だったと思う。仕事を終え、いつものように帰宅すると見せかけ、池袋へ向かった。池袋駅東口に着くと、駅前から行きつけのテレクラへ部屋の空きを確認するため、電話ボックスに入った。

電話をしていると電話機の上に一冊の手帳があることに気付く。黒革の手帳だった。中を覗くと、年齢や身長、体重と思しき数字とともに、通話時間、電話番号なども書かれている。そして、意味不明の数字も暗号のように並んでいた。一瞬、何のことかわからなかったが、これはとんでもないものを拾ってしまったという確信だけはあった。当然(!?)、遺失物として警察に届けることなく、手帳をポケットにしまい込み、テレクラへと急いだ。

そのテレクラは大型チェーンの池袋支店で、取り次ぎ制の店だったが、アポ取りもそこそこに手帳を読み漁り、読み耽る。書かれている暗号のような数字を頼りに、この手帳の持ち主は誰か、書かれている数字は何を意味するかを推測。謎解きをする、ちょっとした探偵気分である。

最初に思いついたのは、当時、横行し始めた、いわゆるテレクラのサクラのメモ書きではないかということ。男性のプロフィールや通話時間が書いてあるので、そのように類推できる。そして、その女性(と勝手に推測している)が、ただのサクラではなく、マニアックな性癖の持ち主と思われること。

プロフィールとともに、そこにはSやM、乱交や露出など、特異な性癖を表す言葉も並べられていた。

さらに、#8301から始まる番号に続いて、様々な符牒と思われる数字が並べられていた。7878や6969、0721などである。

実は、#8301と符牒のような数字の組み合わせは、NTTの伝言ダイヤル・サービスである。どうやら、NTTの伝言ダイヤル・サービスを利用した出会いの“入口”を見つけてしまったようだ。

魔窟の入り口

伝言ダイヤルそのものは、辻仁成のデビュー作で、すばる文学賞を受賞した『ピアニシモ』(1989年)に題材として扱われていたくらいだから、知らないことはなかった。ただ、私自身はあまり関わることはなく、単なる都市伝説として、混線ダイヤルの延長線上くらいのものとして捉えていた。

混線ダイヤルというのは、時報サービスで、117にダイヤルすると、“ピッ、ピッ、ピッ…”という音とともに、「午前0時00分30秒をお知らせします」というアナウンスが流れるが、その時報アナウンスの際に混線状態になり、その間に混線した相手と話すことができるというものだ。混線中に自分の電話番号を教えると、うまくすれば、すぐに電話がかかってくることもある。嘘のような本当の話。単なる都市伝説ではないようだ。

そんな遊びの延長にあるものと考えていた。ところが伝言ダイヤルはそんな牧歌的ものではなかった。実は、マニアの巣窟だったのだ。いまでこそ、HPやブログ、SNSなどで、マニアックな性癖や嗜好を持つものがイージーにアクセスできるようになったが、当時はマニアの専門誌や、夕刊紙やスポーツ紙の三行広告、マニア同志の口コミしかなかった。

当然の如く、その日はテレクラ遊びを早めに切り上げ、黒革の手帳を携え、家路を急ぐことになる。自宅では部屋に籠り、違う意味で、電話と格闘することになった。

まず、#8301にかけ、6桁から10桁の連絡番号と、4桁の暗証番号を入れ、伝言板のメッセージを聞き漁る。 その中で、私が嵌ったのは、2219だ。

“2219”とは、2(フウ)2(フ)1(イ)9(ク)の符丁。プッシュホン回線の電話から#8301にかけて、その連絡番号22192219と暗証番号2219を押す (これを2219のトリプルといっていた)と、様々なメッセージを聞くことができる(メッセージを録音するのは#8300にかける)。

他にも前述通り、7878(ナワナワ)や0213(オニイサン)、0721(オナニイ)、 6969(シックスナインシックスナイン)などの番号があった。 大体、メッセージの内容は想像がつくと思うが、 2219には、スワッピング(夫婦、パートナー交換)の勧誘とともに、3Pのメンバーやセックスフレンド、SMパートナーなどの募集も伝言されていた。

まずは、ものは試しとして、伝言ダイヤルに電話番号(直接、電話番号を入れることを直電といっていた)とともにメッセージを入れている中年の男性に電話(当時は携帯電話などではなく、自宅の番号がほとんどだった)をして、様子を聞いてみた。いきなり、男からの質問の電話で、その男性も驚いたと思うが、丁寧に答えてくれる。聞くところによると、勿論、悪戯も多いが、実際に出会え、遊んだこともあるという。とりあえず、伝言ダイヤルがテレクラ業者や風俗のやらせや作りではなく、実際にマニアも利用しているということを知る。

初めは様子見的に、聞く専門、いまなら“ロムる”という感じだったが、自分でも試しにメッセージを入れてみる。勿論、いたずら電話はおろか、返答はまったく来ない。暫く、空振り状態が続くが、私は決して、諦めるような人間ではない(笑)。

乱交パーティ

ある日、そんな伝言ダイヤル遊びをする中で見つけたのは、“アーバンクラブ”というパーティだった。2219にはスワッピングや3Pだけでなく、乱交パーティやSMサークルなど、様々なアングラ情報も飛び交っていたのだ。そのパーティは、当然、宴会やコンパなどではなく、いわゆる乱交パーティである。メッセージは可愛らしい女性の声で吹き込まれていて、当時としては珍しく携帯電話の番号もあった。

電話すると、女性ではなく、男性が出た。主催者だそうだ。20代後半の自営業の男性だった。趣味で仲間を集め、都内のシティホテルのスイートルームを使用して、月に数回、パーティを開催しているという。

元々は仲間内のパーティだったが、少しずつ人数が増え、伝言ダイヤルを利用して、さらに、その輪を広げようしているところだった。

性の冒険者たる私だ、乱交パーティは、お馴染み三行広告で見つけ、何度か、行ったことはある。ただ、風俗業者が仕切る“ビデオ観賞会”など、営利のものばかりで、趣味でやっているようなものは皆無だった。ある種、そんなものは妄想の産物で、実際は存在しないとまで思っていた。

ちなみにビデオ鑑賞会を簡単に説明しておくと、マンションの一室に男女を集め、売買春をするというもの。リビングで食事(やり手ババア的な仕切りの女性が作った手料理が多い)をしながら(ビデオ観賞会といっても特にエロビデオは流してなかった)、気に入った女性がいたら、指名して、プレイルームでセックスができるというもの。その部屋には特に仕切りなどはなく、隣で普通にセックスしているという乱交状態になる。参加費は2、3万円だったと思う。私的には質、量とともに、割の合わない遊びであった。実際、当時の私からすれば、年配者が多く、奮い立たないような感じの女性ばかり。ホテトルやヘルスなら、チェンジを連発したくなるようなレベルだ(この辺は、風俗遊びを経験した男性ならおわかりかもしれない)。

話を戻すと、アーバンクラブのパーティがその週末にあるという。場所は新宿の、誰でも知っている一流ホテル。これは行かないわけにはいかない。参加の意思を伝えると、7時開始なので、遅くても9時までには、そのホテルに来るように告げられる。ホテルに到着したら、また、電話をすればいい。簡単に話しただけで、私に関して特に詳しいことは聞かれず、名前も偽名、連絡先なども教えないで済んだ。随分とガードが甘い。

当日、8時過ぎに(開始時間早々だと、変にがっついていると思われるから、わざと遅れて行ったという記憶がある)指定されたホテルに着き、主催者の携帯に電話をすると、20階(何階かは覚えてないが、高層階だったはず)のエレベーターホールまで来るように言われる。いきなり部屋へ通すのではなく、まず、部屋の外で面接をするというわけだ。ガードが甘いと思いきや、意外と慎重なところもある。

そこで、再度、電話して、エレベーターホールに到着したことを告げると、主催者が出てきた。いまでいうところのイケメンだろう、甘い顔の二枚目だが、スーツ姿ながら、微妙に垢抜けず、ダサいところが却って親近感を抱かせる。簡単に話をしただけだが、どうやら、私は合格らしく、彼に参加費(多分、15000円くらいだったと思う)を支払うと、漸く部屋へ案内される。

部屋は、ツインベッドとリビングが一部屋で繋がっているスイートだった。中には、20名ほどの男女がごった返していた。男女比は、7:3というところだろうか。単独で参加する男女がメインだが、カップルや夫婦もいた。

年齢層は20代が中心で、かなり若いというのが第一印象。学生風から会社員風、自営風、主婦風まで、様々な人種がいた。仮面をつけるわけでなく、かといって、コスプレをしているわけでもない。思い思い、下着姿やバスタオル姿などで、妙に和気藹々としていて、寛いでいた。

ホテルの乱交パーティなど、淫靡で、倒錯した世界を想像していたため、少々、拍子抜けした。参加者は見知った人達が多いらしく、ほとんどが主催者と旧知の仲で、先日はこうだった、ああだったみたいな話をしている。

そんな和やかな雰囲気も、ある時間になると、おそらく11時過ぎくらいだろうか、一変する。あちこちで、同時多発的に“乱交”が始まる。男女で絡むもの、一人の女性を複数の男性が責めたり、女性同士の絡みもあった。

多分、その時は、私自身はプレイそのものはせず、池袋のSMクラブでアルバイトをしているというスレンダーな女性を、おもちゃで責めたくらいだった(プレイをしたといえば、プレイしたことになるか!)と思う。

結局、朝まで、その場に、まどろみながら、時を過ごすことになる。それから、このサークルとの付き合いが始まり、気がついたら、パーティの後片付けを手伝ったり、普通にメンバーと食事するようになっていた。

この辺の自然と仲間になる、取り入る“手口”は“テレクラ初めて物語”や“アンドフレンズ作戦”でも実証済み。我ながら、うまい立ち回りである。いまでも基本的に変わらない。「3.11以降」ではないが、SNSやFB、LINEなど、人々はコミュニティを築き、繋がることに腐心する。その中、仲間は裏切らない。独占するのではなく、共有する。欲望を露骨に出すのではなく、抑制するところは抑制する、つまらない自己顕示とエゴは捨てるなど……ある種、遊びとしてわきまえていれば、その関係は崩れることなく、常にいいバランスが保たれるというもの。

アーバンクラブに通いながら、様々な性癖や情報を持つ“仲間”からの生きた情報(口コミ)を仕入れ、黒革の手帳に書かれている情報をさらに肉付けし、その数字の正体へと迫っていった??。

ドーハの悲劇の女性(!?)とは、そんな伝言遊びの流れで出会うことになるが、その経緯は、また、別の機会にさせていただく。消化不良の終わり方で、申し訳ないが、クドカンではないが、覚えていたら、張り巡らした伏線(?)は、ちゃんと回収させていただく。ご安心いただきたい。

なお、現在、NTT伝言ダイヤルは上記のような形でのサービスは停止している(NTTでは災害用の伝言ダイヤルは機能している)。同様のことを試しても繋がらないので、無駄なあがき(!?)はしないでいただきたい。20年以上前のことである。当時のNTT伝言ダイヤルは、その後のダイヤルQ2やテレクラ業者の伝言ダイヤルの先駆けとして、マニアックな性癖を持つ者たちの巣窟、出会いの魔界として、密かに利用されていたのだ。

2013-04-12

第28回■南の国からの“人妻達の反乱”

 今でこそ、メディアでは、不倫や既婚者恋愛、婚外セックスなどが一般的なこととして語られている。その実態がどうなのかはわからない。ただ、周りでそういう話を聞く機会が増えたことは確かだ。いわゆる男性誌の“不倫人妻の暴走!”的な特集だけでなく、女性誌なども不倫を推奨(!?)しているような特集も盛んに組まれている。

もちろん、テレクラに関わっていれば、そんな現実は実感として把握していたし、人妻狙いも当然の如く、していた。テレクラは流行を先取りし、その先駆的、先導的な役割を果たしていたのだ。

そんな人妻達の恋愛やセックス最前線への進出ぶりは、ノンフィクション作家の本橋信宏やなめだるま親方こと島本慶など、フィールドワーカーの著書や記事を読めば、そこに答えがある。
後に八王子や町田、浦安、葛西など、東京の近郊や郊外の街が人妻の“メッカ”となるが、実際に人妻が蠢いていると私が感じたのはそんなところではなく、意外にも九州、福岡だった。福岡在住の人妻との邂逅がそんな感触を抱かせたのである。

九州の男と女

当時、私は仕事の関係で、福岡へ行くことが多かった。もっとも多いといっても年に数回で、毎月行くというほどではないが、出張の度に、天神や中州の屋台には足繁く通った。地元の知り合いからは、お勧めの屋台を何軒か聞いて、ローテーションを組んでいた。ちなみに、今でいうB級グルメの「焼きラーメン」や「どて丼」が当時のお気に入り。大体、仕事が長引き、屋台で締めということが多かったが、それでもテレクラの“旅打ち”は欠かさなかった。ちょっとでも時間があると、仕事仲間との打ち上げ後、翌日に備えて寝るふりをして、夜の町へと繰り出していたのだ。

以前も書いたかもしれないが、私と九州の女性とは相性がいいようで、学生時代、少しだけ付き合った女性は佐賀出身だった。夏休みには、帰省中のその女性の実家を訪ねたこともある。また、その佐賀から足を伸ばして行った天草で出会った女性も長崎出身だった。長崎の女性とは、何度か東京と長崎を行き来して、その機会に会ったりもした。その長崎の女性とは数年後、なぜか、原宿でばったりと再会した。ご縁があるかと思ったが、それから数年後、結婚したという知らせが入った。もし結婚したら、その女性の実家は造り酒屋をしていたから、いまごろ、杜氏にもなっていたのかもしれない……と、勝手に妄想してみる(笑)。

九州の女性と相性がいいものと勘違い(!?)していたからか、福岡でもテレクラ通いを欠かさなかった。もっとも、福岡での行きつけのテレクラはなかった。そのため、その人妻と出会うきっかけとなった店がどこにあったかは覚えてないが、福岡の中心から少し離れたところだったことは覚えている。本来、一番ありそうな、福岡を代表する歓楽街・中州ではなかったことは確かだ。取次制の店で、店に入ったのは多分、9時か、10時過ぎ。私が話したのは30代の専業主婦の女性で、ご主人の帰りが仕事で遅れ、時間が出来たから電話したと言う。たまたま、駅前で貰ったティシュを見て、初めてかけたそうだ。

大体、初めてという時は、2、3回は電話しているものだが、そこは大人の対応、とりあえず、信じたふりをしておく。もっとも、話していると、慣れていないのが手に取るようにわかった。ぎこちなさみたいなものがある。夫や子どもなど、生活に何ひとつとして不満はないが、このまま良妻賢母を演じることに窮屈さを感じ、女性としての自分を出してみたいと話す。だが、なかなかその一歩踏み出すことができない。そんなジレンマを抱えている。ある意味、贅沢な悩みというか、単なる愚痴みたいなものだが、そこは辛抱強く、つきあう。

その女性のジレンマだが、私には思い当たることがあった。私の勝手な思い込みかも知れないが、福岡は“男尊女卑”の風潮があるのだ。というと語弊があるかもしれないが、女性は奥ゆかしく、一歩下がり、男性に黙ってついていくという姿勢や風情が、今も良しとされる。考えてみれば、福岡に限らず、九州男児というのはおしなべて益荒男振りを競うようなところがある。博多の山笠などまさにその際たるもので、その気風の良さ、男前ぶりを誇示するものだ。

随分前のことだが、たまたま出会った福岡出身者たちとの会話から、福岡は男尊女卑なところと思いこんでしまった節もある。彼と彼女のお蔭で、そんな価値観が自然と刷り込まれていたのかもしれない。
ある撮影で知りあったヘアメイクの男性が福岡出身で、彼は、東京に来た時、男性が女性に媚びをうっていることに怒りを覚えたというのだ。好かれようとして、必要以上に卑屈になり、下手に出ているようなところが腹立たしかったという。失礼な話だが、ヘアメイクなどという、女性相手で、しかも男性でもおネエ系が多そうな仕事(完全に偏見です!)の方が言うのが意外に思えた。女性中心の職場にあっても九州男児の誇りや気概は失わないということだろうか。

福岡出身の女王様の意外な一言

また、ある女性の発言もそう感じさせるものがあったのだ。その女性とは、なんと、“S女性とM男性が集うスナック”で、出会っている。御馴染みの夕刊紙の三行広告から見つけ出したのが、私の渋谷のアジトのテレクラがある桜ヶ丘にあったSMスナック。SMクラブやSMバー、フェティシュ・バーなどとは違い、ショーがあったり、プレイしたりするところではなく、ママが女王様で、彼女を慕う素人のS女性やM男性が集まっていた。私自身はSM愛好者ではなく、ましてM的な嗜好があったわけではない。単純に、風俗情報誌を見ると、M女性よりS女性が綺麗なので(当時の風俗情報誌を見ると、女王様は宝塚の男役やスーパーモデルのような素敵な女性が多く、一方、M女は豊満で、それこそ、“この豚”という羞恥の言葉が似合いそうな女性ばかりだった)、そんなレベルの高い女性を“ナンパ”しようという魂胆からだった(我ながら、無謀とは思いつつも、その冒険者ぶりに関心してしまうというか、自画自賛したくなるが、後に福岡出身の女性以外にも成功もしている!)。

M男性とS女性が集まるスナック。周りはM男性ばかりで、S女性に従順で、思い切りかしずき、足を舐めたり、肩を揉んだり、ご奉仕していた。S女性に鞭打たれ、恍惚としているM男性を見たのもここが初めてだったかもしれない。乳首を洗濯バサミで嬉しそうに挟まれている男性もいた。SMの世界の奥深さを感じたものだが、本当のMではない私は存分に浮いていた。ローラや会沢アリーではないが、女王様にもため口だったのだ。

そんな意外性が功を奏したのか、ある女性を連れ出すことに成功。その女性が福岡出身だった。故郷を離れ、東京で一人暮らしをしているという20代の会社員。彼女が言い放った一言がS女性らしくなかったのでよく覚えている。福岡の男性は女性におもねることなく、俺について来いというタイプばかり。ちゃんとついていかないと見向きもされなくなってしまうというのだ。男尊女卑的な気風を了承して、それに従い、受け入れている。S女性らしくないといえば、らしくない。むしろ、男性に対するひたむきな思いを吐露していた。

SMの本質に支配と服従という概念があるが、彼女の場合、支配と服従というものが現実の世界にいる時と反転しているようだ。
福岡の女性がすべて男性に従順であるなどとはいわないが、自らの願望や欲望などを自己主張したり、そんな意思表示をすることは、福岡の風潮や環境ゆえ、難しいものがあったのではないかと感じている。

同じように、テレクラで繋がったその女性も、そんな生きにくさや住みにくさを理解しつつも、どこかで風穴を開け、自分らしくありたいと願っているように見えた。むしろ、そんな自分を新しい世界に連れて行ってくれる男性との出会いを求めているようでもあった。

気づけば翌朝、ほんのわずかだが時間が取れるらしく、会ってくれることになった。

待ち合わせに指定されたのはシーサイドももちだった。同所は現在のソフトバンクホークスのフランチャイズであるヤフードームやシーホークホテルなどがあるところだ。元々、港町で、魚村の風情もあった。随分前だが、開発される前に訪れたことがあり、のどかなところだったのを覚えている。

東京近郊の感覚でいうと、幕張や舞浜、浦安だろうか。「青べか物語」の街が様変わりしていったように、いまは海浜公園になっている。最近なら、臨海副都心といわれ、複合施設が隣接するお台場なども、イメージとしては近いかもしれない。

海浜公園のボードウォークで待ち合わせをした。ご主人が会社に出て、子供を保育所に預けてからの、午前中の数時間なら時間が取れるという。

その女性との待ち合わせの目印は白い日傘だった。遠くから近づくと、日傘を差した女性が微笑んでくれる。顔は南国系の濃い雑作に、品のいい笑顔が作られる。白のブラウスにダンガリーのスカートが、褐色の肌に合っている。5月とはいえ、既に夏の気配を感じさせた。太陽が眩しい、束の間の海辺デートである。

何を話したか覚えてはいないが、テレクラで話したのも初めてなら、勿論、話した人と会うのも初めてであること、そして、そんなことだけでもとても思い切ったことのようだった。特に話が弾んだわけではないが、既婚者である自分がご主人以外の男性、それも見知らぬ人と会うだけでいっぱいいっぱいだった。東京ではテレクラ巧者みたいな女性が多く、落ち着きはらった女性ばかりだったので、その慌てふためきぶりが却って初々しく感じ、微笑ましくもあった。

私がその女性の好みのタイプであるとか、恋愛の対象になるとかではなかったみたいだが、地元の人間ではないことが多少の安心感に繋がり、彼女にとっては大胆な冒険を可能にしたようだ。

海辺のベンチに並んですわり、他愛のない話をする。テレクラで会ったとは思えない、恐ろしく健全な“デート”ではある。

その女性にとっては、久しぶりの男性とのツーショットのようだった。元々、時間はないことを了承し、とりあえず会うだけ会うということだったので、話は進展せず、当然、色っぽいことはなかった。わずか1時間ほどの“逢瀬”のあと、二人はボードウォークを別々の方向へと歩いていく。彼女の生活圏に近いこともあって、手を繋ぐことさえできない、それだけでも充分に危険である。二人は、他人のふりをするしかなかった。

連絡先なども交換していない。その後、その女性がどうなったかわからない。テレクラに嵌り、いろんな男性と会っているのかもしれないし、テレクラに背を向け、良妻賢母、貞淑な妻を演じ続けているかもしれない。

ただ、一度でもその女性がそんな行動を取った、彼女の人生に、少なからず、波風を立たせたように思う。人妻がテレクラに大量参入するのは、そう遠くないこと。そんな萌芽や鼓動を、私は南の国で見、聞いた。何事にも控え目で、慎み深く、男性には黙ってついていくという福岡の“やまとなでしこ”でさえ、そんな反抗心を抱きつつあったのだ。

人妻たちの反乱の狼煙は南の国から上がった……私の中では、そう勝手に解釈している。その後の人妻事情を考える際に、象徴的なことだったように思う。1992年の5月のこと。テレクラは、いろんな層へと既に普及しつつあった。強烈な性愛描写が話題となり、“不倫ブーム”を呼んだ渡辺淳一の小説『失楽園』が流行る5年ほど前だ。時代は小説を先取りする。

2013-02-26

第27回■クリスタルな愛人Ⅲ(3000円の愛人契約)

 交際、出会い、出張、社交、鑑賞会、露出、SM、変態、パーティ、マッサージ、熟女、人妻、ぽっちゃり……。一定の世代なら、『内外タイムス』や『レジャーニューズ』の“三行広告”に心を躍らせた記憶があるだろう。わずかな文字から想像を巡らし、勇気を出して電話を掛ける。怪しい風俗との出会いの契機がそこにはあった。

 その中にはセックスをお金に変える出会いを謳ったものも多かった。90年代半ば以降、「援助交際」などと婉曲な表現もされたが、いわゆる売買春である。ソープランドやホテトルなどが代表的だが、愛人紹介なども“自由恋愛”“当人同士の話し合い”としながらも、その実は、売春そのものである。基本的に交際相手を紹介するだけで、恋愛やセックスは両者の合意があれば自由とされているが、そこには金銭が介在し、代価、対価としてセックスが行われている。管理売春ではないものの、その実態は限りになく売春のあっせんに近いものがある。中には一回限りではなく、長期的な付き合いもある。そのものずばり、“愛人バンク”などという名称も一般化し、一斉を風靡したこともある。ちなみに、愛人バンクは1982年に筒見待子が始めた「夕ぐれ族」がヒットして、当時全国的にブームになった愛人紹介業ビジネス。1983年に全盛を迎え、全国的に類似ビジネスが乱立した。実態は売春の斡旋であるため、警察は1983年に売春防止法違反等により14軒を摘発し、595件、68人を検挙。いわゆる愛人バンクという形態は鳴りを潜めたが、その後も類似ビジネスは存続している。

 バブル時代は、店舗や交際倶楽部などはなく、個人事業主として、生業としているような女性も多かった。その後、援助交際の主役は高校生や主婦などにうつるが、それ以前は、バブルの吹き溜まりに耽溺していた女性にも、同様の行為が蔓延していたような気がする。

 当時、羽振りの良かった不動産業や金融業などの経営者が愛人を囲っていたり、一回、セックスをしたら何万も貰ったという話がたくさん転がっていた。決して、映画やテレビの世界のことではなく、私の身近なところでもそういう女性はたくさんいた。セックスをお金に変えることのカジュアル化みたいなものが加速度的に広がっていた。いわゆるその場限りの売買春ではなく、愛人契約みたいに、長期的な交際を約束するようなものもあった。
 平成の毒婦といわれ、複数の被害者を出したとされる婚活詐欺女性の事件を聞いた時、婚活としながらも、その実態は当時の交際倶楽部などに所属した女性と相通じるようなものを感じた。時を経ても変わらないものがある。多少、自分に性的な商品価値があることを知る女性の中には、セックスをお金に変えてきたものも少なくはない。勿論、その価値は時代によって変わり、オプションそのものも代わる。

 さて、ひろみの話に戻そう。彼女の白金のマンションに家庭訪問し、しこたま酔っていながらも、私に持ちかけられた意外な話とは……。

○○××△△○□□××○○

 と、「……」と「○○」を入れて、テレビドラマのCM跨ぎのようなことをしたが、彼女から持ちかけられた意外な話とは、「3000円くれたら、セックスさせてあげる」というものだったのだ。

 売買春を持ちかけられたのも驚きながら、その料金(!?)もある意味、法外(勿論、安価という意味である!)である。3000円だ。30000円ならわかる。当時でいえば、ワンツー式というソープも珍しくなかった。入浴料10000円、サービス料20000円で、30000円である。相場といったら変かもしれないが、売買春の対価としては、30000円なら妥当ではあった。当時は、愛人契約をして月に30万貰ったとか、後に援助交際で高校生が5万などという高値を呼んでいた。セックスが値崩れする前の時代の話だ。3000円はいかにも低料金である。まるでデフレ時代のようだ。

 当時のテレクラでは、いわゆる街娼、たちんぼが客を求めてテレクラに電話することはあったが、援助交際時代ほど、売りのコールが頻発することはなかった。私自身、これまで書き綴ったセックスしてきた女性にお金を渡したこともなかった。ある意味、幸せな時代だったのかもしれないが、ここにきて、まさか、ひろみのような女性から、それも3000円という料金で、売春を持ちかけられるとは思ってもみなかった。

あまりにも突然の申し出に、一瞬、なんのことかわからず、訝しがったが、何度も3000円と連呼するものだから、勢いに任せ、財布から3000円を出し、渡してしまった。彼女は嬉しそうに受け取り、笑顔を作ったかと思うと、3000円を私へ投げつける。千円札が3枚、宙に舞う。その刹那、彼女は私に抱きつき、いままで飲んでいた居間から寝室へと誘う。寝室は和室で、ベッドではなく、畳の上に布団が敷かれていたのをよく覚えている。

契約成立(!?)である。私は遠慮なく、彼女の唇を貪ると、ひろみも同じ勢いで貪る。淑女から雌へと変わる。私など、単なる相談員で、男性として、それも性の対象として見られていないと思っていただけに、彼女が私を男性として、それも性の対象として見ていることに驚く。やや焦りながらも、勢いよく、彼女の服を脱がす。特にグラマラスで魅惑的という肢体ではないが、大酒飲みの割には贅肉のない身体に、透き通った肌が目に飛び込んでくる(実際には部屋が暗くしてあったので、薄ぼんやりと見えただけだ)。

布団に押し倒すと、彼女は思いのほか、恥じらうそぶりや躊躇うこともなく、積極的に求めてくる。激しく、荒々しい。まるで性的な飢餓感を埋めるようだ。ただ、アドレナリンやホルモンを全開にし、欲求をぶつけている割には何故か、それがこちらにはぶつかってこない。どこか、違う方向に欲望の矢が放たれているよう。変な表現だが、二人でセックスという行為をしているにも関わらず、それが向き合ってなく、自らの欲望や欲求を、その出所にぶつけているようでもある。お互いの身体を使って、自慰行為をしているような感慨すら抱いてしまう。

勿論、それだけでも彼女の嬌態や媚態は凄まじく、下品な表現だが、“入れて出したら終わり”ではなく、夜中から朝まで、何度も繋がった。普通なら、向き合わないセックスなどは徒労感が付きまとうものだが、3000円が介在したことで、思いや気持ちではなく、快楽や快感に身を任せられると割り切ることができたのかもしれない。変な罪悪感や疲弊感はなかった。

朝、尿意とともに目覚める。布団の中には、昨夜の居間でのように、自らの恋愛の不毛を嘆き、食って掛かってきたひろみではなく、何かつきものが落ちたように安らかな顔をした彼女がシーツに包まる。幸せそうな寝息を立てている。

私は起きて、急いでトイレとバスルームを借り、シャワーを浴びた。服を着て、帰りしたくをする。居間に投げ捨てられ、床に落ちていた3枚の千円札を取り、自らの財布に入れるのではなく、きちんと四隅を伸ばして、居間のテーブルに置いておいた。まだ寝ている彼女を残して、そのままひろみのマンションを出た。

何故、ひろみが3000円の愛人契約を持ちかけたかはわからない。同時に、本当にセックスをしたかったのかどうかもわからない。私なりに類推するなら、誰でもいいから抱かれたい夜というのがあるのだろう。一人ではなく、二人でいる、繋がることで、孤独が癒される。彼女は恋の敗者だが、それでいてプライドだけは高い。孤独を癒す相手は誰でもよくはない。特に彼女をよく知る者には、恋に破れ、孤独に沈み、癒しを求める自分は絶対、見せたくはない。しかし、私ならそれを見せられ、かつ、所詮、身体目当てのテレクラ男だ。そんな男にならセックスをおねだりすることだって構いはしない。ほいほいと涎をたらし、従うに違いない、といったところか。しかし、ここでも小さなプライドがあって、いきなり甘えておねだりするというのは、いままでの関係性からはしたくはない。ならば、そこに金銭を介在させることで、セックスを成立させようとする。多分、彼女のまわりには、アッシー、メッシー、ミツグくんなどを侍らせながらも、愛人契約をしているような女性が身近にいたのではないだろうか。そんなこともあって、売春するということでセックスする理由としたのだろう。

後年、援助交際がブームになった頃、主婦売春をする者の中には、生活苦など金銭を求めてするのではなく、性的欲求を満たすためにしていた者もいたのと似ている。彼女らは、夫とのセックスレスに悩んではいるものの、ただセックスがしたいとはいえず、援助交際を隠れ蓑、言い訳にしていたのだ。

本当のところはわからない。ただ、ひろみは私に向かい合おうとはせず、自らの欲求だけに向かい合っていたとしたら、それはそれで、彼女なりの誠実さだと思う。勿論、私自身も肩すかし感を抱きつつも、分は心得ている。彼女の要望に応えるだけで充分と割り切っていたのも確かだ。

ひろみとはそれ以来、連絡を取ることはなくなった。流石、3000円では長期的な愛人契約を結ぶことは困難だ(当たり前!)。そろそろ潮時だったのかもしれない。不思議なもので、当然の如く、喪失感などはない。いたって平静な私である。これまた、当り前のように、テレクラ通いが続く。

ちなみに今回、敢えて、テレクラ女性に、ひろみという名前を使わせていただいた。これまで“その女性”や“彼女”という表現を使っていたが、仮名にしろ、名前を出したことはなかった。今回は対価や代価が発生した。バブル時代だからではないが、エルメスやグッチのように、ひろみというブランド品を買ったという意味合いで、名前を敢えて出させてもらった。いうまでもないが、仮名である。某作家の知り合いにひろみなんていう女性はいるかといったら、いるわけはない。調べようとしても無駄である。勿論、20年も前のこと、いまさら、調べようなんていう酔狂のものはいないだろう。しかし、泡沫の時代には、そんな珍しい話ではなく、どこでもあったことかもしれない。そんな時代だった――。

2013-02-18

第26回■クリスタルな愛人Ⅱ(タッグ・オブ・ウォー)

前振りがすっかり長くなったが、“ひろみ”のことを話すとしよう。急がば回れ、恋は焦らず(ここ、何度か指摘しているが、“テレクラ試験”、出るので、メモしておくように!)だ。

最初の“呼び出し”があったのは92年2月のことだが、週末ではなかった。“花金”などの決戦日に、私などが呼び出されるはずもない。曜日は定かではないが、ウィーク・デイだったと思う。

渋谷のアジトに張り付き、コールを待つこと、数時間。漸く来た当たりは公衆コール。電話を取ると、周りは騒がしく、どこかの店内のようだ。コールしてきたのは、ひろみと名乗る女性で、20代後半のOL。いま、渋谷の居酒屋で一人飲んでいるので、これから来ないかと誘われる。特に会話らしきものはなく、ふわふわとした語り口なので、訳も分からず、かけてきたのかもしれない。

いきなりのお誘いであるが、その女性が飲んでいる居酒屋の名前を聞くと、どこにでもあるチェーン店、ぼったくりではないことは確か。これは行くしかないと、急いで店を目指す。

待ち合わせの居酒屋の店内に入ると、すぐわかった。周りには不釣り合いな、お嬢様然とした女性が一人、グラスを傾けていた。どういう経緯で一人飲みになったか、その時はわからなかったが、飲みたい気分だったのだろう。もちろん、会うなり、一人飲みの理由を聞いてみた。ひろみという女性は広告代理店に勤めているらしく、仕事仲間と飲んでいたが、電車の時間もあり、一人減り、二人減りという状況になる。結果として、その場は解散となったが、彼女はもっと飲みたく、一人にも関わらず、河岸を変え、飲み直しとなったそうだ。

バブル的な華やかさを纏いながらもコンサバティヴな落ち着きがある。服装や髪型も華美なデザインやスタイルにならず、上品な風情を醸し出す。それでいて、いわゆるブランドものは押さえている。仕事のできそうな“綺麗なお姉さん”(「きれいなおねえさんは、好きですか。」という松下のキャンペーンは1992年から開始されている)という感じである。普段であれば、絶対、テレクラなどとは縁のなさそうな人種である。かなり飲んでいるらしく、酔った勢いもあるのだろう。飲み相手、話し相手として、私が呼び出された。本人曰く、テレクラに電話するのは初めて、たまたま、貰ったティシュに書いてあった番号に電話したそうだ。本当か嘘かわからないが、特に警戒などすることなく、呼び寄せてしまうところなど、テレクラ初心者と言えなくもない。

そんな説明を「駆けつけ三杯」的な感じですると、いきなり、恋愛相談となる。付き合っている(!?)男性とのままならない恋の行方を嘆き、それをどう打開するかを相談される。何人もの女性を泣かせてきたような、かなり、問題のある手強い相手である。いいように遊ばれているといえなくもない。本来であれば、そんな男性とは付き合うのはやめなさいというべきかもしれないが、私は単なる通りすがりであるから、忠告や指図をするような立場ではない。なんとなく聞き役に徹し、答えを放棄させていただく。酔っているだけに、話はくどいくらいに繰り返され、回っていく。それは数時間にも渡り、酒量も上がる。私は時に笑顔、時には深刻な顔で、ちゃんと聞いているそぶり(!?)をする。さすが、テレクラ俳優、演技派と、自画自賛したくなる。

我ながら忍耐強いというか、内心では段々とどうでもよくなり、その場を逃げ出したくなる。しかし、その場に留まるのは、そんな面倒臭さを割り引いても魅力的な彼女の容姿や佇まいにある。酔った勢い、流れでセックスができてしまうのではないかというすけべ心があるからだ(笑)。私自身、行動のモチベーションをすけべ心と好奇心としているような人間である。“元気があれば何でもできる!”ではないが、“すけべ心があれば何でもできる!”。暫くは辛抱となる。

と、淡い期待を抱きつつも、話はさらに延々と続き、何度も回りまくる。まるでゴールのない、“血を吐きながら続ける悲しいマラソン”(by諸星ダン 「ウルトラセブン」第26話『超兵器R1号』)だ。“長距離ランナーの孤独”ではないが、終電も近づいてくる。連れ込む当てがなさそうなので、恋愛相談員をやめなければならない。ホテル代やタクシー代などを勘案しても撤収が妥当と判断し、終電で帰ることを決める。私のバランス・シート的には、本来であればこれっきりのはずだが、ひろみから電話番号を聞かれ、私が教えると、彼女もあっさりと電話番号(当時だから携帯ではなく、自宅の電話番号)を教えてくれる。また、相談に乗ってほしいので連絡するとまで言われた。

相談員登録

私にしては意外な申し入れ。まさかと思いつつも良からぬ期待もしてしまうというもの。とりあえず、話を聞き続けるという親身な対応に感じ入ったらしく、彼女の中では、私は相談員登録されたのではないだろうか。確かに、いくら友達でも酔いに任せての、終わりのない恋愛相談には付き合いそうもない。また、振り回されている自分のことは、自尊心もあり、知り合いには曝け出せるものではない。そんな彼女にとって、私のように自分の立場や面子を気にせず話せる相手というのは、貴重な存在ではないだろうか。ここでも私の“聞く力”が人を捉えて、離さないのである(笑)。

それからほどなくして、お呼びだしがあった。たぶん、一週間も経っていなかったように思う。今度は渋谷ではなく、新宿の居酒屋だ。デートなどではないので、前もっての約束もなく、ひろみの勝手な都合で連絡してくる。当時は携帯電話ではないので、自宅にいれば繋がるわけで、彼女は自分が今いるという店から掛けてくる。その日も都合良く在宅していたため、すぐに呼び出しに応じることができたというわけだ。

新宿の居酒屋で会ったひろみは、前回ほどは出来上がってはいないが、相変わらず、酒の乗りもあり浮かれ気分。決して、私とのデートにウキウキしているわけではない。前回は、いきなり恋愛相談だったが、今回は酒量も控えめなので、自分のことなども話出す。多分、初対面の際にも聞かされたと思うが、こちらも酒任せのでまかせと、ちゃんとは聞いていなかった。

聞けば、彼女の周りの華やかなこと。広告代理店勤務という派手な職場もさることながら、父親は一部上場企業の重役で、母親は華道や舞踊を教えている。大学もお嬢様大学出身だという。広告代理店を始め、証券会社、航空会社、芸能界など、華麗な人脈を誇り、彼女が足繁く通う飲み会(合コンか!?)にはスッチー(いまはそんな表現しないが)やモデルなども集うという。遊び場所も麻布や青山、銀座などの有名店で、セレブ感が漂うところばかり。また、都内だけでなく、国内のリゾートや海外まで、その行動範囲は広い。彼女の話の中には、ハイヤーの如く、高級車で送り迎えするアッシー、フレンチやイタリアンなど、高級レストランを定食屋にするメッシー、札束を高級ブランドの財布に詰め込み(アメックスのプラチナカードの日本での登場は1993年からだそうだ)、金に糸目をつけず、プレゼントしまくるミツグくんなどは普通に登場してくる。泡沫な話が満載である。まるで、バブルの総本山(成り上がり的なバブルっ子よりは一クラス上という感じではある)だ。

おまけに、バブルに先駆けた“ブランド小説”を著した有名作家ともお友達らしく、よく遊んでいるという。嘘くさいと思ったが、ディティールが正確で、私などに嘘をついて見栄を張る必要もないから、本当だろう。彼のことも“慣れた手つきで、ちゃんづけ”していた。

有名作家もいい女を引き当てるため、それなりに努力、精進をしているみたいで、微笑ましくもあった。ペログリな日常もまんざら嘘でもなさそうだ(笑)。

意外な大物を引き当てたわけだが、本来であれば、一切、縁もゆかりもないものを結びつけてしまうのが出会いメディアとしてのテレクラの不可思議さであり、醍醐味でもある。いきなりブランドやクラスを飛び越えてしまう。そういえば、テレクラ界では、後にアイドルがテレクラを利用しているという都市伝説まで生まれている。私自身は出くわしてはいないが、それも決して、起こらない話でもない。むしろ、現在のネットの世界で実現しているドラマを先取りしていたともいえる。

勿論、ひろみはアイドルなどではないが、なかなか、お目に掛かれない上玉(!)、粘る価値もありかと考えないでもない。そんなわけで、恋愛相談員として、この日も出動したわけだが、これまた、前回同様の恋愛話の輪廻転生、恋愛風車は空しく回り続ける。相談しながら、酒量も増えるから、最後は前後不覚になりつつ、どうして、なんで…みたいな感じで、ままならない状況に痺れをきらし、駄々をこねる。前述したが、多分、こんな姿はセレブな友達には晒すことができないのだろう。見栄と虚飾に満ちた“ソサエティ”では、決して弱音は吐けない。夜回り先生ではないが、いいんだよ、と言ってくれる相手が必要なのだろう。自分でも紋切型で表層的な分析だとは思うが、やはり、勝ち組が負け組の巣窟に吹き溜まるには理由があるというもの。世の中、光あるところに影あり、という感じだ。

という感じで、納得ずくでお付き合いをするものの、この日は目はないと、途中離脱させていただく。彼女自身も酒量の限度超え、店を出て、靖国通りでタクシーを拾うと、彼女を一人乗せて、運転手に託す。

それから何度となく、呼び出される。が、相変わらずの展開(さんざん恋愛相談をされ、最後は酔いつぶれ、ぐだぐだになるけど、セックスはできない)に段々、下心も失せてくるが、付き合いのいい私、相談をされるというのは頼りにされていることであり、それは悪い気はしない。また、周りが羨むようないい女といるという、つまらない自尊心のようなものもくすぐられる。恋愛やセックスにおいて、無理目だから、最初から引いてしまう人もいると思うが、そういう意味では、変な卑屈さを取り払い、明らかに無理目と思われるような相手にもなりふり構わずに行くという、私の攻めのスタンスは、このころ、出来上がったのかもしれない。自己評価は高くも低くも設定していないが、世間一般では無理目、高嶺の花といわれている女性でも、まずは挑んでみるものだ。扉が開くのを待つのではない。扉は叩いてみなければ、開くこともないだろう “Knockin’ on Heaven’s Door(「天国への扉」 by ボブ・ディラン)”だ。叩いたお蔭でいい思いもさせていただいている(笑)。何でも経験ではないが、修行(!?)である。私自身は、彼女のアッシーやメッシー、ミツグくんにならずに済んでいる。居酒屋の代金を払うくらいで、車の免許もないので、当然、送り迎えなどもできない。それでも付き合いが続いたのは、お互いに都合がよかったからかもしれない。

バブルの均衡

その日も渋谷の居酒屋に呼び出され、恋愛相談の無間地獄に落ちていくところだった。せん無い話の応酬に肉体的にも精神的に疲れ果てるというのがいつもの定番。そんな定食のような時間に付き合うわけだが、雪が降り積もるようにさんざん、繰り返し聞かされたにも関わらず、相談の内容はあまり覚えていない。親身になって聞いているふりをしていても、どこか耳をすり抜ける他人事なのだろう。とりあえず、前述通り、その男性が適当な言葉や行動で、彼女を惑わし、いいように振り回しているというのだけは覚えている。もちろん、彼女が貢いだり、彼女に貢いだりという関係ではなさそうだ。

そんな無為の時間が過ぎ、青山通りでタクシーを捕まえて、千鳥足の彼女を座席に放り込み、さよならするはずが、何故か、腕を掴まれ、私も座席に引きずり込まれる。酔っているのに、すごい力である。ひろみの自宅があるという白金まで付き合わされる。タクシー代を負担しなければならない。マンションの前まで着くと、これではアッシーか、と、トホホ感を噛みしめていたら、意外なことに、部屋まで来て、といわれる。思いもかけない、自宅訪問である。

親が彼女のために買え与えたというマンションは白金の奥まったところにあった。大型の集合住宅ではなく、戸数も少ないから、人付き合いの手間のかからなそうな佇まいである。ひょっとしたらという淡い期待を抱きつつ、酔人介護しながら部屋まで、彼女を運ぶ。内装は思いのほか簡素で、バブル期にありがちな華美なところはない。調度品なども品良くまとまっている。お茶などを出されるかと思ったら、ここでも酒盛りである。これでは飲み過ぎである。乱れれば乱れるほど、淫靡なものから遠ざかっていく。まったく、人のいいことである。

終わりのない飲みと、行くあてのない話は続く。考えてみたら、このバブルの時代、圧倒的に女性優位で、男性をいいようにあしらってきた彼女のように、容姿に恵まれ、金銭にも不自由することなく育ってきた女性でも、恋愛がままならないばかりか、逆に弄ばれてしまう。そんなあしらえない男性もいる。どちらが上か、下かではない。男女の不均衡はブランドやクラスだけではすんなりといかないもの。“強面で鉄火肌”(!?)の女性でさえ、都合のいい女に成り下がってしまう。私自身、都合のいい男を任じているだけに、都合のいい女であることに成り下がりと感じることもなく、何の抵抗もない。むしろ、その都合があうだけでも均衡は取れていると納得してしまうものだが、彼女としては、そうはいかなかったのだろう。恋の綱引きはままならないもの。以前も触れたと思うが、まだ、「アダルトチルドレン」や「共依存」などという言葉が一般化するにはもう少し時間がかかっていた(同用語は1993年には認知されるようになる)。

彼女にとっては帰る必要のない自宅飲み、いつ倒れてもベッドがあるという気安さか、エンドレスなドリンク&トークに私を巻き込んでいく。私自身は毎度のことながら後半からほとんどソフトドリンクという対応で、どう乗り切るかを考えていたところ、彼女は崩れる寸前、その刹那、目を光らせ、私の耳元に囁くのだった。それは、あまりにも意外な申し入れだったのだ。

2013-01-22

第25回■クリスタルな愛人Ⅰ(バブルのバランス・シート)

新年あけましておめでとうございます。
昨年はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

と、本来は「寒中見舞い」とするところだが、新春らしい(というには随分、日が経っている!)、月並みなご挨拶をさせていただく。思えばこの連載も回を重ねること、25回、愛読者様には毎度、お読みいただき、感謝に耐えない。思いのほかの長寿連載(!?)、87年の出来事から書き始め、まだ、91年である。蝸牛の歩みだが、暫く、お付き合いいただければ幸いである。

このところ、ただ、遊ぶだけでなく、正しい性知識や情報を仕入れるため、恋愛やセックスに関するNPO法人などが開催する公開講座や講習会に足繁く通っている。昨年は「世界 性の健康デー」のシンポジウムにも顔出しさせてもらった。正しい知識や情報を仕入れることで、安全で安心して、楽しく遊ぶためでもある。いわゆる“オヤジ系”の週刊誌でさえ、真面目に女性器を語る時代だ。それ以前に、女性向けアダルトショップや女性ライター、カウンセラーによるカルチャー・スクール的な講習会も盛んで、そんな状況を鑑みると、いつまでも男子も“ホットドッグ”や“プレイボーイ”のセックス特集に頼ってはいけない。知識と情報をアップデートし、先回りしなければならないだろう。そのくらいの努力は必要だ。この年齢にして、なかなかの向学心と、自画自賛したいところ。

そんな講習会の中に、受講生同士があるテーマで話し合うワークショップを設けているところがあった。恋愛観やセックス観の変遷みたいなことを話し合ったが、その中で印象的だったのは、福祉関係の大学に通い、卒業後は介護施設に就職が決まっている20代前半の男性との“街コン”話。

彼がいうには、街コンなどで出会う女性に福祉&介護関係と話すと、引かれてしまうそうだ。いまの時代、仕事先が決まっているだけでも優良案件のはずだが、仕事時間が不規則で労働が過酷なため、二人の時間が持てない、そんな理由から敬遠されてしまう。いまでは古語ならず死語になる“3K(きつい、汚い、危険)”(89年の流行語大賞にノミネートされている)の職場なのである。

既に仕事にレッテルが張られ、悪い意味でのブランド化がされ、下層に位置付けられている。格差社会などという言葉があるが、ヒエラルキーが形成されているのだ。

男と女の恋愛やセックスにおける格差社会、そんな端緒はどこにあったのだろうか。それを紐解いでいくという作業は、私のすべきことではないが、92年にテレクラで出会った“ひろみ”という女性との交流の中から薄ぼんやりと見えてきたりもする。

バブルの女たち

海外のブランドの洋服や装飾品、流行のレストラン、ホテルなどをカタログ紛いに併記した小説が一世を風靡したことがあった。80年代のことである。ある種、時代の雰囲気を書き留めたものだが、そんな空気が濃厚になるのは、やはりバブルの時代である。以前もこの連載で触れたが、高級車で送り迎えする“アッシー”や高価なレストランで食事をご馳走する“メッシー”、高級ブランドの品物をプレゼントする“ミツグくん”などの言葉も80年代後半には一般化され、同時に3高(高学歴、高収入、高身長)などが交際や結婚の条件にもなった。

すべてが数量化され、その数値の上下で価値が決まる。また、この時代は、男性と女性の立場が逆転し、選択権は女性が握り、圧倒的に優位に立つということも少なくなかった。社会的に女性の権利や地位が向上したというわけではないが、恋愛やセックスの市場においては、売り手市場であり、生殺与奪の権利は女性が握っていた。そのため、男性は必至に媚びを売り続けるしかない。いわば、マハラジャやジュリアナなど、ディスコのお立ち台に象徴されるように、ボディコンとワンレンで武装した女性が鉄火肌で、男性を品定めし、こき使う時代でもあった。勿論、極端な例でしかなく、世の中の多くがそうではなかったが、雰囲気は完全にそうといってもおかしくない。男性は女性を求めるためには、必至だった。

以前、「Looser’s Game」と表題のところでも書いたが、そんな強気な女性達は、勝ち組であり、負け組の吹き溜まりであるテレクラなどには目もくれないと思うだろう。ところが、そんな女性も何の間違いか、その吹き溜まりに紛れこむことがある。

“ひろみ”と出会ったのは、1992年も年が明け、2月に入った頃だと思う。私自身は、その前後から仕事も順調になり、仕事で海外に出かけることも多くなる。遊び時間も削られていったが、寝る時間も惜しんでも遊ぶというのが遊び人たるもの。懲りることなく(!?)、テレクラ通いを続けていた。

実質的には、92年の時点では既にバブルは崩壊していたという。しかし、実感としてはもう少し後だったかもしれない。周りには、まだ、景気のいい話はたくさんあり、男も女も浮かれていた。当然の如く、バブルを体現するような価値観を持った人達もたくさんいたのだ。

紛れ込み組(!?)だが、いくらディスコで遊んだり、高級レストランやホテルで豪遊したりしても、どこかに孤独を感じることがある。イケイケを装いつつも心には隙間風が吹き抜ける。話し相手さえもいない、そんな時に、テレクラに電話をかけてしまう。当時は、それだけテレクラの勢いが増し、広く認知されるところになっていた。前々回、前回と触れたように、テレクラも全国規模、いたるところに出来ていた。それだけ、目にする機会も増え、主要駅等でのティシュ配りも常態化していた。バーキンやケリーのバッグにテレクラの宣伝のティシュが入っている。いまでは俄か信じにくい、そんな均衡を欠く、不思議な時代でもあった。

ひろみだけでなく、“バブル女性”にはたくさん遭遇している。ひろみの話の前に、その“生態”を少しだけ、紹介させていただこう。バブル女性がかかるのは渋谷。間違っても新宿ではない。その“バブル女性A”と出会ったのは日曜の夕方。渋谷の桜ヶ丘のアジトで、網を張ると、公衆コールがかかってきた。「土曜の夜と日曜の朝」というアラン・シリトーの小説があったが、テレクラでは日曜の夜が狙い目。“サザエさん症候群”ではないが、月曜を前に、何も楽しいことがなく、休日が過ぎてしまう、そんな強迫観念から女性はテレクラへ電話を掛けてくる。

買い物を終え、少し時間があるので軽く飲みたいという。公衆コールなので、あまり話し込むことはなかったが、なんとなく、話がまとまり、即アポとなった。駅前で待ち合わせし、合流すると、そのまま飲みに行くことになった。

公園通りにあるカフェバーへその女性を案内する。カウンターチェアーに腰をかけると、長く、すらりと伸びた脚に目が行く。20代半ばで、イベント・コンパニオンをしているそうだが、それも納得の美脚である。脚だけでなく、流麗な肢体に涼やかな顔も人目を引くものがある。誰が見ても“良い女”である。女性をランク付けするのもいかがなものか(といいつつ、よくしているが…)と思うが、“上物”である。こんな優良案件(!?)を逃してはなるものかとなるところだが、なんとなく話が噛みあわず、カクテルを数杯飲んだだけ、文字通り、少し時間の共有するに留まる。
口説いて恋人にしようという邪心(笑)はない。“俺は、ただ、お前と、やりたいだけ”(by ザ・ルースターズ「恋をしようよ」)だ。“引き”がなければ、潔く撤収である。その女性の御眼鏡に、私自身が適わなかったというわけだが、なんとなく、求めているものに明らかな乖離があるようだった。余分な労力は無駄というもの。素敵な恋人にはなれそうもない。なんていうことを考える間もなく、速攻の撃沈ではある(笑)。

ただ、その女性がいわゆる高ビーな、バブルと寝たような女かというと、そうではなかった。当時ならコンパニオンという強気に出られるような職業にも関わらず、いたって謙虚で、奥ゆかしいのが印象に残っている。たいしておごったわけではないし、おごられることが当たり前に思っているのが多い中、その女性は、ちゃんと、ご馳走様といってくれた。そのことをいまでも覚えている。

ひょっとしたら、派手な仕事で、上っ面の付き合いが続く中、本当に心が通うような相手を求めていたのかもしれない。究極の美化(笑)だが、泡沫に浮かれることなく、堅実に真実の愛を求めていたとしたら、それはそれでいて、本当の意味での“いい女”だったのではないだろうか。当然の如く、いまとなっては知る由もないが……。

と、余韻を残すような女性もいれば、バブルな世相に踊らされ、勘違いをする女性もいた。“バブル女性B”である。多分、その女性も同じく渋谷で、日曜日に掛かった。夕方ではなく、昼過ぎだった。起きたばかりで、朝食を兼ねた昼食を取りたいという。どっかで、食べさせてくれというものだった。まるで、メッシー扱いだが、昼食なら高くはつかないと、判断し、会うことにする。なんか、こう書くとせこいような気もするが、バブル女性に対抗するため、費用対効果、遊びのバランス・シートというものを考えていたように思う。

昼過ぎの渋谷駅頭はごった返していたが、どうにか、アポを取った女性と会うことが出来た。20代の後半で、アルバイトをしているという。どこかしら、あか抜けない感じを漂わせつつも、ほんのりしたものはなく、どこかに険がある。私が気に入らなかったのか、少し話していてもつっかかってくる。

とりあえず、昼食ということで、レストランを探すが、日曜日の昼時の渋谷、妥当な店がない。さすが、いまでいうサイゼリアやガストのような低価格のファミレスには案内はしなかったが、かなり大衆的なレストランへ行くことにする。フレンチやイタ飯にでも連れて行ってもらうつもりだったのか、そうではないことに不満たらたらである。メニューもそんな高価(というか、妥当)なものがなく(!?)、仕方なくパスタをオーダーすることになった。特にうまくもまずくもないが、その女性が“スパゲティ(パスタと言えば、まだ、イタ飯感があるが、敢えてスパゲッテイと言っているようだ)か…”といいながら、パクついていた。大衆店のスパゲティは私には相応しくない、私には高級フレンチや豪華な割烹がお似合いとでも言いたげである。実際、この前、会った人にはどこそこのレストランへ連れて行ってもらったなどとうそぶく。何が、その“バブル女性B”を勘違い女にさせてしまったかはわかないが、バブルの幻想に囚われ、自らの価値を見誤ったとしかいいようがない。

私のバランス・シートでは、費用対効果がないと、査定させていただいた。これ以上、愚痴を聞くのも嫌だし、出費も無駄と考え、ランチでさようなら、である。当然の如く、その女性からは、ご馳走様という言葉はなかった。

2012-12-18

第24回■すべての人の心へ花を〜うちなー時間とてーげー女

松山のテレクラ、店名などは、まったく覚えてないし、早取り制か、取り次ぎ制かも忘れたが、確かにビジネスホテルのすぐそばにあったことだけは記憶している。全国展開のチェーン店などではなく、地場の店だった。いずれにしろ、こじんまりとしたところで、10名も入ればいっぱいになる。

どんな流れでアポを取ったかわからないが、公衆コールで、これから飲みに行こうというものだった。歌舞伎町であれば、すわ、キャッチと危険信号が灯るが、南国ムードに浮かれていたのか、すぐに待ち合わせをして、会うことにする。

待ち合わせ場所はテレクラの側のビジネスホテルの前。公衆コールなので、すぐにやって来た。現れたのは、いかにも沖縄の女性という感じの目が大きく、彫が深い、南洋風。ゴーギャンの描く絵の中にいそうな雰囲気(当然、容貌がではなく、雰囲気や佇まいがである)。20代で、“フリーター”(フリーターという言葉そのものは、既に91年には一般化していた)だ。

その女性は明るい笑顔で迎えてくれ、腕を組んで、松山の街を進む――といってもこちらは不案内。ぼったくりの危険も感じないわけでもないが、なんとなく、大丈夫そうな感じなので、彼女に従い、行きつけという店に行くことにする。もっともスナックやクラブではなく、大衆的な居酒屋で、沖縄料理と泡盛(古酒)が美味しいというところである。どうみてもぼったくりとは無関係そうだ。

多分、その店で初めて豆腐ようやスクガラスを食べたと思う。その女性は、流石、「うちなんちゅ」らしく、泡盛をかなりの勢いで飲んだ。次から次からという感じだ。私はといえば、泡盛に口をつけただけで、古酒は撤収して、すぐにオリオンビールに変えた。

どんな話をしたかは相変わらずよく覚えていないが、沖縄の観光地としての魅力みたいなものを教えてくれたような気がする。沖縄土産で有名な「ちんすこう」を熱く語ったのが記憶に残っている。私自身、「サーターアンダギー」は好きだが、どうしても、ちんすこうは好きになれないが、さすがにうちなんちゅの前で沖縄銘菓の悪口はいえない(笑)。

怒涛の飲みは続く。沖縄の飲みは長いとは聞いていたが、まだ、序の口である。スタートが遅かったとはいえ、既に3時を過ぎているというのにだ。ここで、河岸を変えることになる。今度は、その女性の知り合いのスナック。知り合いの店というと、前述通り、歌舞伎町ならば、ぼったくり防止のため身構えるものだが、ある程度、話し込んだことで、キャッチ・ガールなどではないことは把握していた。安心して、ついていくことにする。

沖縄のスナックで毛遊び(もうあしび)

居酒屋からすぐ、裏通りを少し入ったところに、そのスナックはあった。予想に反して、妙に新しく、小奇麗な店だった。カウンターとテーブルが数組という小さな店だったが、スナック特有の猥雑さとは無縁である。内装も全体にスカイブルーに統一され、海や空のイメージが溢れている。もう20年以上前だが、不思議なことにそこだけは覚えていた。

その女性は相変わらずのピッチで古酒をやり、私は超薄い水割りでごまかす(!?)。流石に、彼女も少し酔ったらしく、かなり色っぽくなり、しな垂れかかり、親密度(密着度!)も一気に増していく。いい感じではある。松山のスナックで、「毛遊び(もうあしび)」が始まろうとしている。

「毛遊び(もうあしび)」とは、かつて沖縄で広く行われていた習慣で、主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って食事や酒を共にし、歌舞音曲を中心として交流した集会のことをいう。沖縄版の元祖“出会い系”といっていいだろう。そんなおおらかで、ゆるやかな風習があることを知っていた。当然だが、なんだか、いけそうな気もしてくる(笑)。

時間が経てば経つほど、いけそうな感じは増大していく。そんな“いけそう感”が頂点に達したのは「花〜すべての人の心に花を〜」を歌った時だった。何故か、彼女から私が喜納昌吉に似ていると言われたのだ。喜納昌吉といえば、いうまでもなく沖縄の巨星である。いわれて悪い気はしないが、当時の喜納は野性児&ヒッピーのような風貌をしていたので、少し複雑ではある(笑)。そんな流れから、カラオケタイムに突入。勿論、カラオケボックスなどではない。スナック特有のミニステージに上げられる。歌うのは、当然、喜納昌吉&チャンプルーズしかない。かの「花〜すべての人の心に花を〜」である。我ながら、見事な歌い上げぶりと自画自賛したくらいの熱唱だった。泣きなさい、笑いなさい…というリフレインは、本当に心へしみる。歌っている自分さえもジンときてしまう。その魅惑の歌声に、彼女が官能しないわけはない。

沖縄で、それも見ず知らずの女性と、しかも初めての店で、「花」を歌うなど、ある意味、シュールである。いったい、何をやっているのかという気にはなるが、サービス精神旺盛な私のこと、女性が喜ぶことなら厭いはしないのだ。

いうまでもなく、「花〜すべての人の心に花を〜」は名曲だ。浄化されるなどというと、それとは対極にある行為をしているのにおかしなものだが、心が洗われる、聖なる心も芽生えてくるというもの。勿論、女性を取って食おうというのではない。自らの心の奥底にあるもの(欲望か!)を形にしようとしているだけだ。誰も傷つけもしないし、騙そうとしているのでもない。

歌い終わると、店内では拍手が鳴りやまず、その女性もうっとりとしている(というのは、体のいい記憶のすり替えか!?)。

そんなこんなで、スナックでゆるりとした時を過ごしていたが、気づくと、既に時刻は5時を過ぎていた。東京であれば、始発に合わせ、閉店となるが、沖縄には電車が走っていないせいか、始発時間はない(バスならあるか?)。そんなわけで、5時を過ぎても、店はやっていた。流石、沖縄飲みである。飲みにかける時間が半端ではないのだ。

その頃には、完全にいい雰囲気が出来上がり、その女性からは、私の泊まっているホテルへ行きたいと言われる。これは、いけるというもの。彼女からは性的なオーラが立ち上る。しな垂れ度数がさらに増す。

まさに、いけそうなところで、私の律儀な性格が災い(!?)となる。宿泊しているホテルは当然の如く、仕事先が取ったもの。そして、同じフロアにはクルーも投宿している。鉢合わせ以前に、仕事で取った部屋を遊びで使うことに抵抗があったのだ。何か、人の金で遊ぶ、他人の褌で相撲を取るという感じだろうか。職業意識みたいなものではないが、内と外、日常と非日常の棲み分けは、ちゃんとしたいところ。

そんなわけで、私が泊まっているホテルではなく、近くのラブホテルへ行くことを提案するが、彼女は首を縦に振らない。どこに違いがあるかわからないが、ラブホテルではなく、リゾートホテルではなければ駄目だった。

私としては、宿泊先へ連れ込むことを拒否しながら、なんとか、迂回処置を講じようとするが、彼女も頑なで、了解を得ることが出来ない。押し問答ではないが、言葉や表現を変え、何度か、試みてみる。簡単にいけると思っていたら、意外なことに長期戦になる。

ところどころで、いけそうな気配を感じつつも、物事は進展していかない。同時に夜は明け、陽は上る。既に早朝というには遅い、朝になっている。多分、7時にはなっていただろう。流石、沖縄である、前述通り、そのスナックは閉店する気配はない。沖縄の飲みは、本当に長い(涙)。

朝になって

彼女と、どれくらい一緒にいて、どれだけ酒を飲んだか、正確なところはわからないが、そろそろ時間切れである。仕事の時間も迫っているし、仕事に備え、多少なりとも仮眠をとらなければならないのだ。

残念ながら、店を後にして、ホテルへと戻る。幸いなことに、そのスナックの料金は長時間いたわりには格安で、懸念していたぼったくりでもなかった。やはり、南国の女性は優しい。彼女からは家の電話番号を聞いたが、結局、電話することはなかった。多分、既に、次のことを考えていたのだろう。

ちなみに、1時間ほどの仮眠後、何もなかったようにクルーと合流し、普通に仕事をこなしたことはいうまでもない。やはり、偉いぞ俺!だ。

本土とは異なる沖縄の“うちなー時間”と、おおらかで、のんびりとした沖縄の“てーげー女性”に翻弄された夜(から朝)である。この沖縄の夜のことは、いまでも忘れられない。多分、テレクラの「旅打ち」に目覚めたのは、こんな“洗礼”があったからだろう。勿論、沖縄では、後日、ちゃんと雪辱もしているのだ。失敗は成功のもとである。

土地、土地にテレクラあり、その土地、その土地に出会いあり――この連載でも機会があれば、全国行脚(!?)の模様なども小出しにできればと思っている。ストリートからロードへ。テレクラ遊びの全国展開やー!

2012-12-11

第23回■旅打ち

二週間とちょっとのご無沙汰である。おまんたせいたしました(笑)。このところ、アラフィフにして“モテキ”らしく、いろいろと、お声かけが多い。ふらふら、遊び呆けていた。また、この連載に際して、琉球の歴史を調べ直していた(嘘)。と、“ ( )”つきで、“嘘”としたが、まんざら嘘でもないし、当然、自らの怠惰さを糊塗する言い訳でもない。

これまで東京の街角に巣食う男と女の物語を紡いで来たが、たまにはシチュエーションを変えてみることにする。バチンコやパチスロ、競馬や競艇などの公営ギャンブルなどで、旅行しながら遊興(というか、勝負)することを「旅打ち」というらしい。旅先のテレクラへ行くことを「旅打ち」というかわからないが、もし、そういうなら、テレクラ版の「旅打ち」みたいなこともしていた。

その頃、仕事をしていた企画会社では、時々、出張などもあって、そんな機会を利用し、地方のテレクラを体験させてもらった。既に全国にはテレクラが普及し、どんな地方にも必ずあるという状況だったのだ。どこで、最初にテレクラ版の「旅打ち」をしたか忘れてしまったが、良く覚えているのが沖縄でのテレクラ体験である。

90年代の沖縄

たぶん、沖縄へは、ある会社の招待(接待ではない!)で行ったと思うが、同社のクルーと合流し、那覇の市内に数日間、滞在した。主に企画のための場所やスタッフ選びのためだった。これが私の初沖縄で、91年の秋だったと思う。10月に近かったが、まだ、沖縄は真夏。仕事の合間に、恩納村のリゾート・ビーチで、泳いだ記憶がある(すいません。しっかり、遊んでしまいました)。

バブル時代である。リゾート・アイランド、沖縄はトロピカルな意匠を纏い、多くの若者達を南国の楽園へと誘い、ダイビングやサーフィンなど、様々なマリンスポーツに興じたものだ。恩納村や残波岬、名護などのリゾートにはハワイやグアム、バリなどを模したホテルやペンションが立ち並ぶ。沖縄のリゾート開発は、国を挙げて促進されていた。

1987年のリゾート法(総合保養地域整備法)制定を機に、沖縄ではリゾート開発が相次ぎ、リゾート法に基づく、沖縄のトロピカル・リゾート構想などもあったという。

一方で、開発に伴うトラブルも続出。石垣市では牧場の土地売却が問題化。1991年には開発にからむ贈収賄の疑いで与那国町の助役と開発業者が逮捕されている。

勿論、いまも続く「米軍基地問題」は厳然として立ちはだかり、騒音や事件、事故なども頻発していた。ある種、いびつな形で、沖縄は成長していたといっていいだろう。

私にとって、沖縄といえば、リゾートというより、喜納昌吉&チャンプルーズやりんけんバンドなど、沖縄音楽を通して、馴染んでいた。勿論、紫やコンディション・グリーンなど、基地の米兵を相手にすることで育った沖縄産の ロック・バンドもよく聞いていた。THE BOOMが「島唄」を全国的にヒットさせるのは数年後(1993年)のことだ。

喜納昌吉を通して、琉球音楽の素晴らしさを知ったが、同時に、彼の壮絶な生き様を辿ることで、基地問題から発生したコザ暴動があったことも知った。紛争の街としての沖縄を認識しないわけにはいかない。

照屋林助や嘉手苅林昌など、沖縄音楽の大御所達が出演した高嶺剛監督の映画『パラダイス・ビュー』や『ウンタマギルー』を通して、毛遊びなどの風習、久高島や斎場御嶽(せいふぁうたき)の神事など、神話と幻想の国としての沖縄も理解していたつもりだ。

ガマに繋がる、第二次世界大戦時、沖縄戦の激戦地として、集団自決やひめゆり学徒隊などがあったという“記憶”も知識として理解していた(まだ、“ざわわ”でお馴染みの明石家さんまのドラマ『さとうきび畑の唄』は放送されていなかった。同ドラマが放送されたのは2003年のこと)

そんなわけで、“夏だ、海だ、タツローだ!”という“ラブランド、アイランド”的な浮かれた気持ちではなく、やや、複雑な感情を抱きながら、私は沖縄の地へと足を踏み入れた。

招待してもらった会社の方と合流し、現地のクルーと、昼食を兼ねた打ち合わせを済ませ、ロケハンをする。ちなみに、昼食の場所は、沖縄の胃袋、牧志公設市場の二階だった。空港に着いた時からそうだったが、市場の外に出ると、日差しが眩しく、その熱は東京のそれとは比べるもなく、熱帯そのものである。いまなら「かりゆしウェア」とでもいうのだろうか、アロハみたいなシャツでさえ、肌に纏わりつき、ベタベタと張り付く。

以前、あるインタビューで、照屋林賢が沖縄は湿気が高く、逆に東京に来ると、肌が乾燥し、三味線の革も乾燥して、張ってしまうと言っていた。そういえば、沖縄はスコールのような雨も良く降り、まるで熱帯雨林帯という感じでもある。地勢的に日本であっても日本ではない。「うちなー(沖縄)」と「やまとぅー(本土)」とでは、歴史も風土も文化も大きく異なる。

と、私のような半可通が沖縄論を語っていても意味がないだろう。ただ、バブル期にあっても「リゾート・アイランド・沖縄」には乗り切れず、どこかで複雑な感情を抱いていたことだけは書き記しておきたい。私なりに沖縄の光と影というものを認識していたといっていいだろう。

一通り、ロケハンが終わると、今度は夕食である。沖縄でも高級料理であるイラブ-(ウミヘビ)汁を出す店へ行く。当然、チャンプルーや豆腐イリチー、グルクンの天ぷらなども食す。東京の沖縄料理屋で、沖縄飯には慣れ、親しんでいたが、流石、にイラブ-などは食べられない。イラブ-は、ニシンを煮出したような黒色になり、その汁もどす黒く、中には、テビチといわれる豚足も入る。いわゆる滋養強壮にいい料理である。ヒ―ジャーといわれる山羊汁と同じように、夜の食事という感じだ。あとで、気づいたのだが、歓楽街の側に山羊汁を出す店が多かった。精力をつけてから、ソープやキャバレーへ繰り出すという感じだろうか。多少、飲みも入ったので、数時間は経ち、既に11時近かった。翌日もあるということで、ここで解散となる。

夜の単独行動

宿泊先は那覇市内のリゾートホテル。海に面してはいないが、全体の作りが南国風で、開放感のあるところである。クルーと挨拶をして、部屋に戻ると、シャワーを浴びる。汗だらけの身体を洗い、清める(!?)。明日のため、休むと思わせて、ここから動き出すのが私である。夜の街へと繰り出す。旅先、それも深夜の単独行動、なんか、それだけでもワクワクとするというもの。夜の街が俺を呼んでいる!

初めての土地だからといって、ただ闇雲に、当てもなく彷徨うのではない。不思議なもので、かの地でも夜の街の情報は下調べできている。特に情報誌などを熱心に事前に読み込んだわけではないが、遊び人の“常識”、もしくは“基礎知識”、または“嗅覚”として、自然に体得していた。真栄原や辻、松山などが那覇市内、もしくは近隣の歓楽街である。真栄原は、那覇市内から車で15分ほどの宜野湾市にある社交街。ちょんの間が乱立している。現在は浄化され、絶滅したといわれるが、大阪の飛田などと並ぶ、色街だった。セックスをしたければ話は早いが、当時の私の遊びのスタイルとはかけ離れていた。いつか、冷やかしでも行こうと思っていたが、結局、行く機会はなかった。

同じ理由で、那覇市内のソープ街として有名な辻にも行かなかった(後日、同所にある有名なステーキ屋には行った。前述通り、ソープ街に精力のつくステーキ屋というのも絶妙な取り合わせだ!)。

私が目指したのはキャバレーやスナックが軒を並べる松山だった。沖縄美女を口説こうという算段だ。ホテルからタクシーへ同所に向かう。ホテルからは大した距離ではないが、沖縄では短い距離でもタクシーは嫌がらない。鉄道がない(現在はモノレールがある)沖縄では、車移動が当たり前。ワンメーターくらいでも文句はいわれないし、沖縄の人もあまり歩かず、すぐにタクシーを利用するようだった。

タクシーに乗ると運転手が松山ではなく、しきりに辻へ行くことを勧める。あげくにはソープランドの名刺まで出してくる。客引きというか、名刺をよく見ると、タクシー会社(○○観光みたいな名称だったと思う)とソープが系列店になっていた。甘い誘惑を振り切り、松山で降りる。

いまはどうなっているかわからないが、地方都市にありがちな歓楽街という感じで、ネオンが眩しいが、新宿・歌舞伎町などと比較ができないほど、質素ではある。それでも歓楽街にありがちな怪しさが漂い、男と女の色と欲が絡み合う、私の好きな空気が充満している。既に0時近いというのに、人通りもそこそこあり、活気づいていたような気がする。沖縄の不夜城といわれているようだ。“不夜城”と聞くだけで、嬉しくなる(笑)。

端から端まで歩いても10分ほどで、そんな広くはないが、クラブやスナック、キャバレー、キャバクラなどが並んでいる。南国美女が闊歩している。夜遅くから出勤する女性も多いようだ。そんな女性に声を掛けてみる。いきなりのストリート・ナンパである。新宿・歌舞伎町でキャバクラ嬢に声をかけても無視されるだけで、足を止めることなどないが、沖縄の女性は優しいというか、足を止めて、話を聞いてくれる。これだから南国の女性(サザン・レディ!)は好きだ。映画『愛と青春の旅だち』の主題歌で御馴染みのジョー・コッカーも「Southern Lady」なんていう曲を歌っていた。浪人時代に付き合っていた女性も佐賀出身の女性だったし、旅先の熊本で出会った女性も長崎出身だった。しばらく、文通もしていた(恥ずかしい!)。そんなわけで、私と南国女性は相性がいいと、勝手に思い込んでもいた。

とりあえず、片っ端から声をかけていったが、出勤まで少し時間があるという女性のナンパ(?)に成功し、喫茶店(深夜喫茶か)で、お茶をすることにした。20代の派手な顔立ちの女性で、松山のスナックへ勤めているという。あまり時間がないので、他愛のない話しかしていないが、松山の街について、リサーチを入れる。私がテレクラマニアであることを伝えると、同所にはスナックやクラブだけでなく、テレクラもあるという。ビジネスホテルの側にあるテレクラを教えてくれた。ナンパした女性にテレクラの場所を聞くというロクデナシにも親切なことだ。サザン・レディは、男に優しいのだ。

いよいよ旅打ちだ。その成果については、また次回。

2012-11-20

第22回■heart of gold

「この東京の夜には、一千万もの孤独な魂達が浮遊している。そして、誰かと繋がりたいと思い、SOSを発信するのだ。幸せな恋人達や愛ある家族達の温もりを知らず、何故、一人であるのかを自問自答し、足掻く。そんな“思い”の行き所はどこにあるのだろう?」

これは、私のテレクラ仲間が呟いた言葉である。40代の自称・新聞記者兼小説家(たぶん、嘘)。彼とは深夜に車を飛ばし、横浜に住む子持ちで、離婚経験のある女性の家に上り込み、時間差で、その女性との秘め事(!?)を共有した“関係”である。ほとんど俗物といえるような下世話な男だが、珍しく、哲学的で文学的なことを吐いたから、驚いたものだ。

彼によると、そんな孤独な魂が発する信号をキャッチすれば、確実に会うことができるという。信号をキャッチしたからかわからないが、某撮影所の技術者である30代の女性とは、最初の家庭訪問以降、度々、家へお邪魔することになった。

私が仕事を終え、電話をして、彼女が家にいれば、伺う(というか、行く!)形だ。不規則な仕事なので、9時5時というわけにはいかず、彼女自身の帰りが深夜になることもあったが、断られることもなく、上り込ませていただいた。テレクラ活動を通して多少ずうずうしくなったというか、押しは強くないのだが、そのくせちゃっかりと自分のやりたいことを通すという厚顔無恥さが加わったのだろう。関西人のように「ええやろ? ええやろ!」といって迫るわけではないが、自然と押し引き(引いたと見せかけ、押しているのだが)を身に着けたのかもしれない。

まるで、仕事帰りに立ち寄る居酒屋やスナックのような感じ。さしずめ、彼女は女将やママのような存在だ。いつも笑顔で迎え入れてくれ、仕事の疲れを癒してくれる……。

なんとなく部屋へ上がり、酒を飲みながら、他愛のない話をして、彼女の愚痴を聞いたりする。そして、気づくと二人は、ベッドの中で朝を迎える。もし私が実家住まいではなかったら、彼女の家に居ついて、同棲などをしていたのかもしれない。
もっとも、そんな関係を築くほど個人情報は把握してはいなかった。いきなり会って、セックスして、入り浸ったわけだから、普通の付き合いなら知っているような家庭や仕事、性格や嗜好などもほとんど知らない。都会の片隅で、名も知らぬ男と女が出会い、静かで、時には激しい夜を分かち合うなど、「風情」と言ってもいいような赴きあるのではないだろうか。お互いがお互いをよく知らない、変に知ろうともしないという非日常の付き合いが心地良かったりもする。なんか、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の匂いも少しあったりして……なんとも官能的だ。

シルクのドレスシャツ

まるで、映画やドラマのシークエンスのようだが、ときおり、撮影した素材の急な直しがあって、彼女が撮影所に呼び出され、戻るまで、私が一人で留守番をするなんていうこともあった。かなり不自然なシチエ―ションでもある。流石に、自分の着替えや洗面道具を置くような真似はしなかったが、短期間ではあるものの、かなりの頻度で通っていた。“通い妻”“押しかけ女房”ならぬ、“通い夫”や“押しかけ夫”か。勿論、扶養など夫らしいことはしていないし、彼女自身、独立している女性である、そんなことを求めてはいない。当たり前だ。“恋のピンチヒッター”、“スーパーサブ”に過ぎない。

それでも彼女の話は聞いてあげていたような気はする。主に仕事のことだったように思う。私自身は、フリーター時代以降、とある企画関係の会社にフリーランスの立場で入り込み、仕事には恵まれていたため、仕事の愚痴などは一切、言わないし、当然、独身だから家庭の悩みなどもない。むしろ、私が客の愚痴を聞いてあげる女将やママの役回りをしていたといっていいだろう。特にアドバイスなどはないが、笑顔で聞いて、「いいんだよ」なんて、後の“夜回り先生”みたいな台詞を吐いていた。四面楚歌の世の中(というほど、大袈裟ではないが)に、誰か、自分を肯定してくれる人がいるだけで、安堵するものだし、私のようなろくでなしを受け入れる自分がいることで、自らの価値を再確認したりもしていたのかもしれない。アダルトチルドレンや共依存などという言葉が一般化するのはもう少し後のことだが、既に、そんな萌芽があったのかもしれない。バブル景気で浮かれながらも、どこかで寄り添いたいという思いが東京の片隅では吹き溜まっていたのだろう。

家へ行って、酒を飲んで、話して、セックスするだけの関係で、恋人らしいことは何もしなかったが、唯一、恋人の真似事をしたとしたら、プレゼントだ。どういう経緯からか、彼女からプレゼントを貰ったのだ。特に感謝されるようなことは当然の如く、何もしてはいないが、誕生でもないのに、楽器(サックスとピアノ)のイラストが描かれたドレスシャツをプレゼントしてくれたのだ。いわゆるワイシャツとは違い、布地もコットンやポリエステルではなく、シルクだった。うろ覚えだが、ボーリング・シャツを少しお洒落にしたような感じだろうか。私のためにわざわざ、買ってきてくれたのだ。

そのドレスシャツは、彼女があるブランドのセールで買って来たものだった。もともと、そのセールの案内をもらっていたのは私である。いまでは考えられないことだが、当時はアルマーニ(といってもジョルジョではなく、エンポリオくらい)やヒューゴボス、ヒルトンタイムなどのブランド服を持っていて、時々、晴れ着として着てもいた。流石、ベルサーチやアルマーニを全身纏うバブル紳士みたいな恰好はしていないが、そんな関係で、同ブランドを輸入している代理店などからセール葉書をよく貰っていたのだ。たまたま私が行けないので、彼女にその案内を上げたのだ。実家に着たセール葉書をそのまま差し出したわけだから、勿論、私の本名も住所も筒抜けだ。匿名の出会いだったが、ほどなくして、記名の付き合いになっていたのだろう。彼女としても身元不明者をそう何度も家に上げるわけにもいかない(笑)。

シルクのドレスシャツなど、どう考えても私には似合いそうもないが、彼女的には、似合うと思って見立ててくれたのだと思う。私がいない時にも私のことを考え、何かを私のためにしてくれるというのは嬉しいことだ。私のようなものにはもったいないくらいだ。シャツそのものは、失礼ながら、あまり趣味が良くなく、私としては気にいらなかったが、勿論、笑顔を作り、喜んでもらった。

翻って、私が彼女に何かをプレゼントしたかというと、それがあまり記憶ない。失礼な限りだが、多分、お礼に、少しいいお酒を持っていったような気がする。酒は何でもいける口の呑兵衛の彼女にはアルコールが一番のプレゼントだったのだろう。映画やテレビなどでいうといわゆる“消え物”だが、田園調布の“お嬢様”の時に、形の残るものをプレゼントしてしまい、そういうものは、私のような人種には相応しくないと身にしみて感じたのだ。

もうひとつの狩場

彼女の家に泊まり、そのまま仕事先へ行くこともあった。彼女の家から祖師ヶ谷大蔵駅へ行き、小田急線に乗るわけだが、当時、同時並行で祖師ヶ谷大蔵地域において釣果を上げるため“網”を張っていた関係で、ある女性と鉢合わせないか、内心、どきどきしたことを覚えている。

実は、その網はテレクラ系ではなく、失業後の隠遁生活(!)時代に嵌ったキャバクラ系である。“まなこ複眼 脳がない”は「昆虫群」(by  ハルメンズ)の歌詞だが、常に複眼的に漁場や狩場に目をやり、どうすれば釣果を上げ、獲物を仕留めるかに脳を悩ませてきた。その女性は、私のホームである新宿・歌舞伎町のキャバクラ嬢である。20代半ば、昼はOL、夜はキャバクラに勤めていた。まだ、肉体関係にはなっていないが、数回、デートらしきことをして、彼女の家にも行っている。家の前までで、まだ、上り込んではいないものの、もう一押しというところ。その女性が同じ駅を利用していて、OLだから当然、朝に出勤をしているので、同じ時間帯に同駅にいることも充分、考えられたのだ。幸いなことに、鉢合わせは避けられた。

折角、“雨宿り”や“居酒屋の女房”のような、いい雰囲気の女性との“逢瀬”を味わいながらも、常に次の一手を打っているところなど、私らしいというか、相変わらずの、一途とはほど遠い、ろくでなしぶりに我ながら呆れたりもする。でもそれが私だから、しょうがないといえば、しょうがない。当然の如く、一途などというものに価値などは見出してはいなかった。

多分、彼女との時間に居心地のいいものを感じながらも、どこかで、ここは自分の居場所ではないことを悟っていたのだろう。彼女とどうにかなろうとか、明日を考えることは一度もなかった。ただの通りすがりだ。それゆえ、自分の着替えや洗面道具を置くような真似をしなかったのだろうし、彼女自身、私のために、そんなものを買い揃えるようなこともしなかった。お互い、いつかは離れること、一時の慰みであることを本能的に察知していた。

“その時”は、当たり前だが、突然にやってきた。馴染の店(!?)に通い出して数か月後、いつものように、仕事終わりに電話をして立ち寄ろうとしたら、いきなり断られてしまったのだ。聞けば、彼氏が出来たという。同じ職場の仕事仲間で、前から熱心にアプローチされていたそうだ。せめて今夜くらいは最後に温まりたい、そんな思いはあった。季節は初秋を過ぎ、晩秋へと移ろうとしていた(「初秋」と「晩秋」なんて、ロバート・B・パーカーか。ハードボイルドだろ)。

最後にやらしてなんて下品な言葉は吐けないし、そんなお願いをするほど、固執する私ではないが、彼女は“テレクラ系セックス・ランキング”の上位に位置するだけに、惜しいというか、残念という思いは込み上げる(笑)。重力に負け、色がくすんだとはいえ手に余る巨乳と、括れのある腹から腰への放物線、甘えながら、しな垂れかかり、求め、挑むような眼差とともに、濃厚な情交の記憶は、未だに脳裏と身体が覚え、心の奥底に刻み込まれている……なんてね。

とりあえず、木梨サイクル周辺からは撤収だ。折角、馴染の、行きつけの店(!?)が出来たというのに寂しい限り。勿論、テレクラ男という分は心得ている。深追いする資格など、私にないことは充分に知っている。束の間の邂逅ではあったが、そんな出会いがある人生と、ない人生では大きく違うように思う。出会いと別離を繰り返し、私も悟り、大人になっていく。

その後、彼女がどうなったかまったく知らないし、調べようともしなかったが、彼女の名前がクレジットされた映画などを見ることがときどきあり、その度に、時々、思い出したりもした。もっとも、それがロマンティックな作品かというとそうでもなく、子供向けだったりするから可笑しなものだ。きっと、その映画のエンドロールを見て、妙に懐かしく、ちょっと切なくなったりするのは、私くらいだろう。
先日の『カメレオンマン』のウッディ・アレン繋がりでいうと、『カイロの紫のバラ』という感じだろうか。彼女は銀幕のスターではないが、銀幕に関わる女性であることに変わりない。

孤独の魂を巡る旅路は、まだ、続いていく。Long And Winding Road! 誠実とはほど遠い私だが、今宵、あなたの心の隙間に忍び込む――東京の夜には、まだ、そんな裂け目のような空間と時間が広がっていた。

2012-11-07

第21回■雨やどりと時代屋の女房

図らずも田園調布の“お嬢様”の誕生日会を祝うことになってしまったが、前回も書いた通り、イベント感覚でそれなりに楽しんだというのも事実。既に打算や目論見のある相手でもなかったのに我ながらご苦労なことだが、たぶん、そういうことが好きなのだろう。

実は先日、このところ一緒に遊んでいる“美人秘書”とのホテルデートの時に、ハロウィンが近いこともあって、部屋をリースやバナー、ランターンなど、ハロウィン仕様に飾りつけ、ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『ゴースト・バスターズ』のDVDを流し、パンプキンのスイーツなども用意。二人だけのミニハロウィンパーティを開催させていただいた。考えてみれば、私のイベント好きは昔から変わらない。この連載をさせてもらっている出版社の“美人取締役”からは、「梶木さんって、進歩がないのね」なんて言われそうだが、こんなにイベント好きなのは、お祭り好きの下町っ子の血ゆえのこととしておく(笑)。

新たな出会い

渋谷基点でも井の頭線方面に釣果が出たと、書き記した。実際は井の頭線を下北沢駅で乗り換えた、小田急線方面である。駅は、かのとんねるずの木梨憲武の実家、木梨サイクルがある祖師ヶ谷大蔵だ。1990年の初夏のことである。

田園調布戦線から撤収後、渋谷を基点に網を張っていたが、すぐに当たりが出たわけではない。なかなか釣果は上がらず、手痛い失敗も犯した。長時間話せばきっと相手は来るものと信じ切り、川越に住むという20代の会社員と川越駅で待ち合わせをし、見事にすっぽかされるという醜態も演じた(といっても誰も見ているわけではないが)。楽しいデート(!?)の予定が孤独な小江戸散策になってしまった(涙)。

また、深夜、渋谷からタクシーを飛ばして、桜台(西武池袋線の練馬である!)まで行ったところ、自転車に乗って現れたのは明らかに病んだ女性で、関わるとろくなことがなさそうだった。その時は電話ではあまり話し込まず、とにかく会おうなんて盛りが上がってしまった。ちゃんと話していればそんな失敗を犯すこともなかっただろう。“恋は焦らず”(by シュープリームス)、“急がば回れ”(by ベンチャーズ)というわけだ。

その日は週末の土曜日、9時過ぎた頃だったと思う。結婚式の2次会帰りで、いま渋谷にいるという女性から電話が入った。いわゆる“公衆コール”である。結婚式の2次会、かつ、公衆電話からの電話。美味しいことの二重奏。ある種、鉄板である。ここで取り逃すようではテレクラ男子の甲斐性もない。

少し酔っているのか、彼女は上機嫌だった。大して話してはいないが、なんとなく話が上手く弾み、すぐに会うことになった。こういう時は会話を長引かせることなく、即断即決させる。相手のやる気(!?)を削いではならない。当然の如くの“即アポ”だ。

待ち合わせは渋谷のハチ公前ではなく、モアイ像の前。同じ渋谷駅前だが、まだハチ公ほどメジャーではなく、人ごみも少なくて見つけやすいところだ。待ち合わせ場所に現れた女性は、レモンイエローのワンピースを鮮やかに着こなし、髪は軽いソバージュ。だからといって、バブルな感じはしない、少し70年代の新宿の香りもする。若干、ヒッピーぽいというのだろうか。目は大きく、鼻筋も通っている。月並みだが、可愛らしい顔である。

その可愛らしさだが、当時のアイドル歌手みたいなものではなく、一昔前の個性派女優の雰囲気。“フラッパー”という言葉が相応しい。フラッパー(FLAPPER)を辞書で引くと“[名・形動]おてんば娘。また、はすっぱに振る舞うさま。 「蝶ちゃんには、なかなか―なところがあるんだね」〈岡本かの子・生々流転〉。フラッパー‐ヘアー【flapper hair】ボブスタイルの全形にパーマをかけた女性の髪形。”とある。かの岡本太郎の母親である岡本かの子には似ていないが、フラッパーな雰囲気である。そのほんわかとしたしゃべり方やふんわりとした佇まいもそう感じさせた。

二次会で散々飲んだのに飲み足りないらしく、渋谷のセンター街の奥にある居酒屋へ行くことになる。当時、既に「すずめのおやど」や「つぼ八」など、いまでいう“せんべろ”な若者向けの居酒屋も多かったが、あえて、どう見てもいける口の彼女を納得させるようなうまいつまみと、銘柄の日本酒のあるところへ案内する。私自身、酒は用事(女性を落すため)がなければ飲むことはないが、大人の嗜み、もしくはホテルへの前線基地として、ある程度の店は押さえている。ホイチョイ・プロダクションズの『東京いい店やれる店』なんていうガイド本が出たのはそれから数年後、1994年のことだ(18年後の2012年には、同書の最新版が発売されている!)。

付きだしに何が出たか、当然、覚えてはいないが、日本酒を美味そうに、くいっとやる様はいまでも印象に残っている。情けないことに私は酒に強くなく、日本酒はまったく受け付けず、ぴちゃぴちゃと舐めるくらい(猫か!)。 格好悪いことこの上もない。酒が入ると、彼女の舌は滑らかになる。聞けば、映画やテレビ関係の仕事をしているらしく、某撮影所の技術者だそうだ。年齢は30代の半ばで、それなりに責任のある仕事をしているという。詳しいことはわからないが、後に、ある映画のエンディング・クレジットでその女性の名前を見つけたから、本当のことだ。いわゆる撮影秘話みたいな話も聞かせてくれる。私も興味ある俳優や女優のことを聞きまくる。具体的に、誰について聞いたか忘れたが、素人ならでは知りたい芸能人の素顔みたいなことを質問したように思う。なんともミーハーだ。彼女もサービス精神旺盛で、いろいろと教えてくれる。もう少し映画論やドラマ論などを話してもいいところだが、ここは新宿ゴールデン街ではない。そんな話は野暮というものだし、そもそも熱く語り合うというのは目的と違う。

午前3時の祖師ケ谷大蔵

なんとなく話が盛り上がり、時間があっという間に過ぎ、終電はとっくに出てしまった。それでも話は尽きず、また、おしゃべりしてしまう。いい加減、いい時間になってくる。飲み疲れ、話し疲れである。午前3時を回った辺りで、始発を待つことはやめ、タクシーで彼女を送ることにする。住んでいるところは、かの祖師ヶ谷大蔵。木梨サイクル前である(そんなわけはない!)。渋谷からタクシーで5000円ほど。ホテル代よりは安いという計算も働いた。勿論、一人暮らしであることは、調べがついていた。バブル期の週末は、タクシーを捕まえるのにも苦労をしたものだが、その時は幸いなことに、すんなり見つかる。

彼女は遠慮することも拒否することもなく、少し千鳥足ながら、タクシーに乗り込む。246号線が多少、混雑はしていたが、世田谷通りに入ると道も空きだし、スムーズに進む。ほどなくして、祖師ヶ谷大蔵へ到着する。詳しい場所は忘れたが、環八に近かったと思う。

彼女をタクシーから降ろすと、私も当然(!?)のように降りて、彼女の家まで一緒に歩いていく。タクシーを彼女の指示通り、家の側に付けたから、すぐである。何棟かある木造のアパートが彼女の家だった。流石、「○○荘」みたいな、名前からしての学生アパートという安っぽさはないが、ある意味、キャリアウーマン(というか、手に職のある女性)にしては、質素である。「メゾン○○」みたいな名前だったように思う。80年代のラブ・コメディー漫画の傑作『めぞん一刻』の読み過ぎかもしれないが、間違いなく、そんな感じの名前だった。

当然の如く、家庭訪問させていただく。玄関でさようならという雰囲気ではなく、“家でもう少し飲みましょう”という感じ。彼女自身、相当飲んではいるが、意識不明で何を言っているか、何をしているかわからないという状態ではない。完全に合意の上だ(笑)。

家に上がると、すぐダイニングキッチンとリビングを兼ねた8畳ほどの部屋(LDKなどではなく、居間というのが相応しい)がある。映像関係者らしく、映画やドラマ関係のノベルティーが目につく。中には人気ドラマのスタッフジャンパーもあり、思わず、欲しくなるものばかり。勿論、ポスターや台本などもある。

8畳ほどの部屋の隣が6畳ほどの寝室。玄関の脇にはトイレとバスがある(部屋の全貌がわかるのは1時間ほどしてからだ)。居間や寝室はフローリングなどとは無縁で、畳敷きである。部屋もドアやカーテンなどではなく、襖で仕切られている。学生時代、友人だった貧乏学生の下宿に行ったことを思い出したが、流石にそんなに狭くはないし、居心地も悪くない。何となく和める、丁度いい間取りである。不動産屋か! という突っ込みを入れたい方もいるかもしれないが、変にバブルに浮足立ったようなお洒落な部屋ではなく、しっとりとした情感がある。まったくの私好みだ。

居間は前述通り畳敷きなので、そのまま座布団に座り、低めのテーブルに、彼女が冷蔵庫から持って来たビールと乾きものを置いてくれる。酒飲みの彼女のことだ。乾きものなどは標準装備なのだろう。セットのように出てきた。飲み直しである。映画やドラマなどについて、他愛のない話をしながら時間を過ごす。

テレビの横を見ると、写真立てがあり、彼女の写真が飾ってあった。頭はアフロのようなヘアーで、Tシャツにマキシスカート。ちょっとヒッピーのような感じである。聞くと10代の頃で、顔立ちそのものはアイドルのような愛くるしさがあった。同時にTシャツの胸の膨らみも気になった。ワンピース姿の時は気付かなかったが、写真を見る限り、たわわな胸である。否が応でも期待は高まるというもの。

1時間ほど飲んでいると、朝も近くなり、二人とも眠くなってくる。気づくと、二人は寝室に移り、ベッドの中にいた。特にきっかけがあったわけではないが、自然と(という表現は毎回嘘くさいが、特に無理強いしたり、懇願したわけではない。押しの弱い私のこと、そんなことはできない!)裸になり、抱き合っていた。裸になると、眠いはずが元気になり、弄りあう。その胸は、多少弾力が落ち、乳輪や乳房なども黒ずんでいたが、想像通りの“巨乳”(巨乳という言葉は1989年頃から使われ出したらしいが、かのAV女優・松坂季実子がきっかけのようだ)。思わず、気分は村西とおる。思い切り、巨乳を堪能させていただいた。テレクラ系では、女狐に続く、セックス・ランキング(!?)の上位入賞者である……などと書くと、まるで肉欲まみれな感じではある。

しかし、単なる“性事”ではない、そこには“風情”もあったのだ。見知らぬ男と女が出会い、気づいたら身体を重ね、寂しさを埋めあう。何か、半村良の『雨やどり』や村松友視の『時代屋の女房』(1983年に森崎東監督、渡瀬恒彦・夏目雅子主演で映画化もされている)のようではないか。ともに男ではなく、女が居ついてしまい、いつの間にか消えてしまうという話だが、そんな話を自分と重ねていたように思う。偶然とはいえ、暫く、私は彼女のところへ居つく(といっても通いだが)ことになるのだった。

恋のピンチヒッター

その数年後、30代で結婚経験のない、子供のいない独身女性は“負け犬”と評されたことがあった。負け犬云々は別として、いくら仕事をして仲間がいても、一人家へ帰り、そこに家族がいないと寂しさを感じるものだろう。尾崎放哉ではないが、“咳をしても一人”である。そんな時こそ、“隙間産業”に従事するテレクラ男子の出番だ。

かのセックス・ピストルズもカバーした、ザ・フーに「恋のピンチヒッター(原題は“Substitute”。同語は代理人、代用品という意味)」という名曲があるが、私達は、心の隙間を埋めるピンチヒッター、スーパーサブのような存在だろう。“都合のいい男”になればいい。

私自身は実家暮らしで、一人暮らしの経験もない。実家が稼業を営んでいたから番頭さんやお手伝いさんも多く、大家族で孤独や寂しさを感じている暇もなかった。騒がしいくらいで、一人になりたいと思ったものだ。むしろ、 “ものの哀れ”や“無常感”として、一人暮らしの寂しさへの憧れを持ち、そんなシチュエ―ションを楽しむため、彼女の家へ通わせていただくことにした。

勿論、“同情”などというものではない。“同乗”(いや、“相乗り”か)ならあるかもしれない。ある意味、彼女は、私にとって居心地のいい居酒屋の女将やスナックのママのような存在になっていったのだ。

2012-10-29

第20回■“お嬢様”の誕生日

「梶木さん、ナルシシズム入り過ぎですよ〜」
と、この連載を担当している美人敏腕編集者に言われてしまった。うっうーっ、がっくしである(アスキーアートを使ってみると“orz”という感じだ)。

分別のある五十男。己というものを知ってはいる。当然、ナルシシズムなど、日常生活では浸ることはありえない。しかし、せめてテレクラ物語の中ぐらいは耽溺させてくれ……。束の間のヒーロー気取りをしたいのだ。
“女狐”と行ったコンサートで、アーティストは、アンディ・ウォーホールの“誰でも一日だけならヒーローになれる”という言葉を引用した歌を歌っていた。私も自らの恥を晒すような真実を語ることで、ヒーローになれるかもしれない。束の間でもいい、ナルな気分に浸らせていただき、暫くはナルシシズム溢れる週刊“実話タイムス”にお付き合い願いたい。

さて、話を戻そう。田園調布に住むお嬢様を籠絡し、それを契機にこの国を支配する上流階級にのし上がろうというハードボイルドな“野望と妄想”(笑)を抱きながら、私は彼女の後についてお嬢様のお屋敷を目指した。桜並木(かどうかは、良く覚えていない)を歩いていくと、果たせるかな、10分もせずに、お嬢様の家へと辿り着く。玄関から母屋まで数分はある“お屋敷”を想像していたが、実際に目の前にあるのは普通の2階建の木造の一軒家。田園調布だから、地価などを考えれば安くはないだろうが、特に広いとも思えない、近郊都市にある建て売り住宅のような作りだ。値踏みをするようで嫌らしいが、下町と山手という地代を差し引いても、私の実家の方が平米数も広く、建物自体4階建のビルだから、資産価値は高いだろう。

いきなり拍子抜けである。私の“野望&妄想”は脆くも崩れ去る。確かに、田園調布というブランドに惑わされていたふしもある。田園調布だからといってお屋敷ばかりではない。普通に庶民(!?)が暮らす住宅だってある。もっとも、小さくても田園調布の一戸建てだから、ある程度の富裕層であることに間違いはない。

彼女の家に入ると、すぐにリビングがあり、ピアノがあった。当然、グランドピアノかと思っていたら、アップライトピアノだった。これまた予想外である。陽の当たる広い部屋に白いグランドピアノが置かれている、これではジョン・レノンの家のようになってしまうが、そんな風景を想像していたのだ。

家には幸い、両親はいなかった。親を紹介されるという、最悪の事態は免れる。何しろ、テレクラ男など世の親の敵だろう。財産や閨閥目的であれば親との面談は必須だが、そんな淡い夢は、数分前に崩れたばかり(笑)。

彼女の部屋にも通されたが、小さなベッドと勉強机(デスクというより、勉強机というのが相応しい)があるぐらいで、普通の女の子の部屋という感じで、これといった特色はなかった。人形やぬいぐるみが所狭しと置かれていたり、クローゼットに高級ブランドの洋服やバッグがぎっしりだったら印象も変わるのかもしれないが、そういう面では精神的な安定や経済的な堅実さが部屋に表れていた。壁紙やカーテン、インテリアなども女の子らしい風情はあるが、変にファンシーでないのも自分的には違和感はなかった。

テレクラを通して女性の自宅へ何度となく家庭訪問をしてきたが、そのほとんどは独居女性で、いわゆる実家みたいなところは今回が初めて。流石、彼女の部屋で、ベッドに押し倒すような危険な真似はできなかった。父親は房総へゴルフ、母親は二子玉川へ買い物に行っているらしいが、変なこと(!?)をしているところに鉢合わせなんていうのは避けたい。どことなく落ち着かず、長時間の滞在は避けるべき、と、家を出ることにする。本当に短時間の家庭訪問だ。東急東横線を渋谷へ1駅戻る形になるが、自由が丘へ行くことにする。

カメレオンマン

当時、既に自由が丘は、若者向けのお洒落な街になりつつあった。しかし私としては駅前にあった餃子店(自由が丘・餃子センター)へ行ったくらいで、あまり縁のないところだった。その餃子センターに行ったのも、自由が丘にあった名画座、武蔵野館にウディ・アレンの『カメレオンマン』を見に行ったのがきっかけだ。カメレオンのように周囲の環境に順応する能力をもつ男、レナード・ゼリグの生涯を、ドキュメンタリー調で描いた1983年の作品。ちなみに、日本公開時には吹き替え版が上映されたが、UFO番組でお馴染みの矢島正明のナレーションが印象的で、字幕スーパーだと思っていたら、いきなり日本語が飛び出してきて驚いた記憶がある。いささかこじつけ臭くなるが、周りに合わせ、自分を変えてしまうというカメレオンマンぶりはテレクラマンとしても大いに参考になった、なんてね。

と、“自由が丘・青春プレイバック”をしてしまったが、私にとっては縁遠い場所(AWAY)でも、お嬢様にとっては地元(HOME)。流石に馴染みの店も多く、お洒落な店もたくさん知っている。彼女の行きつけという、いまでいうなら、イタリアン・バールのような雰囲気の、パスタやリゾットが美味しい店へ案内された。

赤ワインを嗜みながら、お嬢様を籠絡するという野心は既に消え失せたが、根がいい人である私は、またもや熱心に彼女の恋愛相談に乗ることになる。女性心理はわからずとも男性心理はわかる。彼女が二人の恋人から聞かされている言葉の真意などを尋ねられる。当人ではないので正解はわからないが、男の狡さというものを加味して、詳らかにしていく。彼らの真意を変に捻じ曲げず、多少、露悪的になるところもあるが、そんなところも含め、男の心理みたいなものを語っていく。二人の恋人の言動や行動からは打算めいた深謀遠慮みたいなものも感じたので、そんなところもさりげなく指摘していく。逆に、私の行為は打算がなく、無償の行為のように感じたらしく、知らぬ間に私の好印象度はさらに上がっていくことになる。

テレクラなどは、ある種、手練手管や権謀術数を弄するところだが、それらを放棄することで、逆に好印象を抱かせてしまうのだから、不思議なものだ。物事は道理のようには進まない。愛の不可逆性とでもいうのだろうか。

家庭訪問後の自由が丘では、軽くお酒を飲んで、食事しての健全デートだった。普通であれば、そろそろ欲望の牙を剥き出し、肉体関係モードに持っていくところだが、私自身にそういう気持ちが起きてこない。別に女狐の後遺症で好きな人でないとセックスができない、なんて、乙女チックな御託をいうつもりはない。以前、“エロブス理論”でも触れたが、一般的には魅力的とされる女性でも自分にとっては性的な魅力に乏しく、欲望に火がつかない。やる気が起きないのだ。当然、不能などではない。性的なモチベーションは、可愛いとか、綺麗とか、育ちが良いとかとは別なところにある。テレクラ男子たるもの、選り好みはご法度、やれるもの拒まずだが、流石に10代20代のやりたい盛りではない、そんなに飢えてもいない。『粋の構造』信者の私としては、武士は食わねど高楊枝ではないが、痩せ我慢の美学みたいなものもあった。

お嬢様からのアプローチ

そんなわけで、私としては、そろそろ、お嬢様を放流状態(キャッチ&リリースがゲーム・フィッシングの基本だ!)にしたいところだが、お嬢様の方から食らいついてくる。その頃には、餌付けもしてないし、釣り糸も垂らしてない。彼女にとっては、男の本音を知ることのできる数少ない情報源、逃したくないのだろう。

あまり会うことはなくなったが、それでも頻繁に連絡はくるし、相談は受ける。そしてこれまた意外な申し出というか、お誘いを受ける。それがなんと、誕生日を祝って欲しいというのだ。誕生日など、クリスマスと同様、本命の彼氏・彼女の“仕事”である。私達、隙間産業たるテレクラ男子の出る幕ではない。二人の彼氏のうちのどちらかに祝ってもらえばいいものを、私におはちが回ってくる。

多分、ゴールデン・ウイークだったと思う。正確な日時などは覚えてないが、その誕生日に起こったいろいろなことがそう記憶させている。
待ち合わせは渋谷だった。渋谷の百軒店に行きつけの台湾料理屋があり、そこに案内したと思う。イタリアンやフレンチではなく、ここも変化球を繰り出す。ひょっとしたら、変化球ついでで、台湾料理ではなく、桜ヶ丘のロシア料理屋にしたかもしれない。その辺の記憶は曖昧で不確かだが、店選びに関して、お嬢様には徹底して変化球を投げ込んだはずだ。

誕生日ということで、プレゼントも用意した。特に目論見も打算もなかったので、とりあえず、コストパフォーマンスを考え、スタージュエリーのネックレスにした。流石、ティファニーやカルティエをプレゼントする関係でもない。考えてみたら、当時からティファニーも随分と身近になったものだ。私でさえ、ティファニーの3連リングをプレゼントしたことがある(残念ながらテレクラで会った女性ではない!)。しかし、かのヘップバーンも価値暴落(価格が安価になったという意味ではない。特別な階級の持ち物ではなく、20代や30代のサラリーマンが平気で、買えるようになったということ)を嘆くだろう。既に“ミツグくん”も出没していた。

私自身、イベントやサプライズは大好物。放流しようという女性の誕生日を祝うなど酔狂なことだが、イベントをプロデュースする感覚で、それなりに楽しんでしまう。おそらく、彼女的には上々の誕生日になったはずだ。それに気分をよくしたらしく、思いもかけない“お礼”をいただくことになる。“プレゼントのお返しは私!”みたいなベタな対応をしてきたのだ。折角の申し入れだが、正直、気乗りはしないというか、我が“エロブス理論”(ちなみに“ブス専”というわけではない)に照らしても、積極的にしたいという気も起らなかった(セックス目的でテレクラ利用をしているにも関わらず、もったいないことだが、性的魅力以前に面倒なことは避けたかったというのもあったかもしれない)。

しかし、ここで断っては、女性の面子をつぶすことになる。あまり熱心にいうものだから、生来のスケベ心(笑)もあり、渋谷の円山町のラブホテル街を彷徨うことになる。ところが、どこのホテルも満室で、空室がない。まるでバブル時期のクリスマス状態だが、ラブホテル難民となる。たぶん、ゴールデン・ウイークだったから、おのぼりさんを含め、いつも以上に稼働率が上がっていたのだろう。十何軒(どんだけ、熱心なんだ!)も当たってみるが、どこも満室。30分ほど歩きまわり、疲れてきたので、そろそろ、今日は日が悪いから撤収しようかというところに、絶妙なタイミングで空室のあるホテルが見つかる。円山町もかなり奥まったところだったと思う。

セックスの不等価交換

ラブホテルに入れば、やることは同じ、久しぶりにねちっこく&じっくりと情感たっぷりに官能描写といきたいところだが、そのセックスには、残念ながら特筆すべきものがなかった。私自身は、ある程度、相手に不快な思いをさせず、同時に、ある種、誠意の伝わる対応をしたつもりだが、彼女からはその対価に見合うものは与えては貰えなかった。かのビートルズは“結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい”と歌ったが、等価ではなかった。もっとも、お嬢様の技術が拙く、魅力的な肢体ではないことが原因ではなく、それ以前に私の男性性に火をつけるもの、欲情を喚起するものが不足していた。そういう面では対価を要求する資格もないのかもしれない。

テレクラ時代以降、ただセックスをするだけでなく、どんなセックスをするかに拘るのは、ある程度テレクラでセックスができるようになると、回数や人数ではなく、量より質みたいな拘りも芽生えてきたからだ。私からしたら、淡泊なセックスだった(本音をいえば、味も素っ気もなく、情感不足だった)。短時間だが、枕を交わし、身体を重ねるも、泊まることなく、終電に間に合わせる(!)。

不思議なもので、そんなしつこくない、あっさりとした対応が逆に相手には好印象を与え、変に身体目的でないこと(私自身は身体目的に何の問題を感じてはいないが)に余計、信頼感が増したらしく、いままで以上に懐いてきてしまう。何が幸い(?)するか、わからないものだ。

そんなわけで、誕生日後も頻繁に電話がかかってきたり、セックスなしのデートを重ねることになる。いい人気取りの私も、そろそろ次のことを考え、だんだんと“親身”の度合いを薄くし、揶揄するような態度も見せ始めることにした。ある種、偽悪的に、ろくでなしな振る舞いをするようにしたのだ。いい人ぶるのに疲れたというところだろうか。そんな豹変(!?)に彼女も気付いたらしく。ある日、こんな手紙を寄越してきた。
「いつも会うたび、二人の恋人のことをおもしろおかしく聞いてくるけど、どうしても興味本位で聞いているとしか思えない。私の友人達は本当に親身になって助言をしてくれるけど、梶木さんはとてもそうは思えない。誠実なものを感じない──」
多分、もうちょっと辛辣なことも書かれていたと思うが、まさに彼女の言うとおりだ。そこに書かれていることに間違いはない。お嬢様だからといって、世間知らずかというとそうでもなく、本当にの心配や気配りと、そうではないものの区別はつく。もっとも私自身、故意に馬脚を現すではないが、私と関わっているとろくでもないことになると思わせるようにもした。私達のような人種に誠実さを求めるのは土台、無理な話であり、親身に相談に乗っていても、それはあくまでも興味本位や物見遊山でしかない。ハードボイルドにいうと、“お嬢さんがこんなやくざな男とつきあっていると、火傷してしまうよ”という感じか。私的には、私の父が愛したギャング映画の名作『汚れた顔の天使』(1938年・アメリカ映画)のジェームス・キャグニー気取りでもある。テレクラ男など、美化されてはいけない。

そろそろ、潮時だ。いい人ぶるにも限度というものがある。そんな気持ちが私の中を支配し、行動や言動も自然と、そんな思いを体現するものになっていった。

田園調布戦線からの撤退だ。逃げ足は速く、切り替えは早い。フットワークの軽さは、テレクラ男子ならではだ。彼女からの手紙を“最後通牒”と判断し、以後、関わらないことに決めた。彼女のテレクラ相談員という役回りは、辞退させていただくことにする。彼女が寄越した手紙に返事を出すこともせず、ほうっておいたら、自然と連絡も来なくなった。基本的にこちらから連絡を取るような立場ではない。時間がある時に立ち寄ってもらう飲み屋のようなものだ。何年か後、来たくなったら来ればいい。“開いていて良かった”と思ってくれれば充分である。そのくらいがテレクラ男子には分相応であろう。

田園調布とは縁遠くなったが、渋谷を前線基地とし、そこに地歩を固めながら、別の沿線に網を張ることにした。そうすると、同じ渋谷基点でも井の頭線方面に釣果が出てくる。それが今度は、私にとって、“開いていて良かった”的な“居酒屋”や“スナック”のような女性と出会うことになった。

2012-10-15

第19回■フィールド・オブ・ドリームス

 前回、伝説になる「コンサート」の後に“彼女”と六本木のビストロで食事をした、と書いた。実は、その時、なんとなく近況を話したくらいで、肝心なことは話していない。勿論、別離の「理由」は聞けなかった。また、知ってもどうにかなるわけではない。おそらく、想像通りのことだろうが、その理由に真実を肉付けしていく必要などないだろう。さらに傷つけ合うのは愚かしいこと。男女の仲では、知らなくていいことはたくさんある。
 真実は残酷で、人を傷つけもする。別離の泥濘に嵌り、もたつきはしたくないだろう。何も知らない、いまなら、笑顔で別れられるというもの。去り際は、ボギーのようにありたい。“君の瞳に乾杯”だ。二人の間には「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)」が静かに流れる。

 そんな女狐との格闘。喪失感と徒労感に苛まれつつも、真底に落ちないのが私である。春に向け、次の一手を打っていた。新宿を離れ、再び、渋谷へと舵を切る。すると、自然と釣果が出る。今度は、田園調布の“お嬢様”だ。

名だたる一等地に住む女

 下町生まれ、下町育ちゆえの山手コンプレックスなどはないが、ある種、生息地(!?)のランクによる、女性のランクアップもある。まるで、四万十川の鰻や大間の鮪、勝浦の鰹、丹波の黒豆、小布施の栗のようだが、グルメたるもの、ブランドというか、その産地や漁場には拘りたい。東京でも田園調布は特別な響きがある。麻布や六本木などではびくともしないが、やはり、田園調布には、豪邸が立ち並び、人生の成功者が住まいしところというイメージがある。かつて、1980年には、成功し、大金持ちになれば、“田園調布に家が建つ!”という、星セント・ルイスのギャグがあったくらいだ。

 そもそも田園調布の発祥は、かの渋沢栄一の息子・秀雄がイギリスのガーデン・シティーに魅せられて構想を立てた田園都市計画だった。しかし、この構想は、五島慶多を始めとする野心あふれる実業家によって欲望に満ちた不動産業へと変貌したという。大学の誘致、住宅地と鉄道敷設を一体にした開発、在来私鉄の買収劇など、東急王国はみるみる増殖、ロマンあふれる構想はもろくも挫折し、生臭い話が残るが、田園調布そのものは変わることなく、イギリスのガーデン・シティー構想を端緒とした田園浪漫が残る街ではある。その辺の経緯は現在、東京都副知事の猪瀬直樹の『土地の神話』(1988年)に詳しい。同書は第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『ミカドの肖像』(1987年)の続編ともいえる作品。近代の日本を描いた名著である。まさに、バブルの時代。土地開発など、どのように近代日本が作られていったか、西武と東急の暗躍(!?)を含め、自然と興味を持ち、貪るように読んだ記憶がある。東京生まれ、東京育ちの自分にとって、東京がいかに変わっていったか、気にならないはずはない。後の「地上げ」や「土地転がし」などに繋がる因子が書かれている。バブルの萌芽は既にあった────というような「都市論」は、またの機会に譲ろう。

 田園調布のお嬢様と出会ったのは、90年の春だった。丁度、女狐とのラブ・アフェアーがクロスフェイドした頃である。多分、再会の「コンサート」の前には会っていたと思う。懲りないとは、私のことだ(笑)。
 渋谷の桜ヶ丘にある、私の隠れ家「アンアン」で、コールを受けた。おそらく、夜の9時過ぎくらいだろう。どんなことを話したか、ぼんやりとしているが、お嬢様の恋愛相談に乗ったことだけはよく覚えている。好きな人が二人いて、その間で揺れる女心みたいなことを散々、聞かされた。テレクラ相談員としては、うんざりするようなことでも嫌な顔せず(当然、見えないが)、親身に聞くのが作法というもの。そういう点では、本当、根気のいる仕事(!?)だろう。

 ある意味、お嬢様はもてる女性、引く手あまただ。同時に、気の多いというのも確かである。一途などという言葉は、バブル時代以降、完全な古語、死語になっていた。そんな性格ゆえ、その気の多さゆえに、私も知らぬ間に彼氏候補になっていった。私の誠実(!?)な対応が気にいったのだろう。相談を受けながら、私への興味が増していったようだ。恋愛相談など、当人にとっては悩みごとだが、他人にとってはどうでもいいこと。しかし、それにちゃんと対峙するだけで、好印象を抱かせる。単なる思い違いや勘違いでないことは、この後の様々な出来事がそれを立証することになる。

コマ劇場近くの映画館で

 私が彼女と話していて一番、驚いたのは、お嬢様らしく、ピアノを嗜んでいる、その発表会が春にあるから、予定を空けておいてと言われたこと。その“春”だが、今春ではない、来春である。一年も先のことを言われたのには、正直、ある意味、驚きを超え、何を考えているのだろうという気さえした。数時間、話をしただけで、まだ、会ってもいないのにだ。その場限りや、セックスしたら終わりという出会いしか、考えられないテレクラ遊びをしている私にとって、1年後などは、とても考えづらいことだ。

 多分、ピアノの発表会の話が出るくらいだから、恋愛相談以外にも音楽などの話もしたのだろう。その流れから映画などの話題も出た。実は、そのお嬢様との最初の“デート”が「映画鑑賞」だったのだ。
 当時、封切られたばかりの『フィールド・オブ・ドリームス』(監督&脚本:フィル・アルデン・ロビンソン)を見に行くことになった。同作品は1989年4月にアメリカで公開され、日本では1990年3月に公開されている。ケビン・コスナー主演で、某映画評論家が「生涯最高の映画」と絶賛したもの。アメリカ文学の巨匠、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』を原作にした映画で、とうもろこし畑を野球場に変えたところ、続々と人が来るという夢物語のようなストーリーで、かの相棒と村上春樹ともに愛読した作家、サリンジャーを思わす幻の作家も登場する。私自身も気になっていた映画である。

 ある日の夕方、主人公はとうもろこし畑を歩いていると、ふと謎の声(”If you build it, he will come.” = 「それを作れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるとうもろこし畑を切り開き、小さな野球場を作り上げた……。

 1989年には『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー 2』などがヒットし、翌90年にも『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』『ダイハード2』など、満漢全席のようなハリウッド産の大作の豊漁は続くが、その狭間に“小品ながら良心的”な映画として、話題になっていた。実際、日本では、かのハリウッド大作に負けないくらいのヒットを記録している。毎回、満漢全席では飽きが来るというもの。精進や薬膳のような料理もいいというところだろうか。

 その女性、お嬢様らしく、女子大学(どこか、忘れてしまったが、いわゆるお嬢様大学だった)を卒業後、会社などに就職することなく、「花嫁修業中」という名の「家事手伝い」をしている。年齢は20代半ばだった。それゆえ、休みに関しては、平日も土日も関係ない。

 翌日、私達は新宿・歌舞伎町のコマ劇場の側にある映画館の前で、待ち合わせた。平日の昼間である。歌舞伎町は夜とは違う顔を見せる。まだ、コマ劇場もあったし、シアターアップルもあった。当然、映画館もいまとは比べものにならないくらい、たくさんあった。ある意味、文化的な街でもあったのだ。シネコンなどが普及する以前のこと、まだ、新宿は歌舞伎町を始め、新宿南口や靖国通り沿いにも映画館が林立していた。幼い頃、父親とかのコッポラの『ゴッドファーザー』の封切を見たのも新宿のコマ劇場の側だった。

 歌舞伎町は男と女の欲望が交錯する街だけではない。文化や芸術の街でもあったのだ。新宿のアルタ前(同所は既に1979年には出てきていた)などではなく、歌舞伎町の映画館の前で、待ち合わせたのも昼なら女性一人、歩かせても問題ないと考えたからだろう。

 さて、私の前に現れたお嬢様、どこかしら浮世離れした雰囲気があり、独特の浮遊感がある女性だった。良家の子女だからといって、高級ブランドを纏うことなく、落ち着いた、どことなくコンサバな服装をしているのも好感を抱かせる。顔立ちも特に目を引くような容貌ではないが、育ちの良さが現れている。皇室にでもいそうな雰囲気を持っている。どこか、理知的で聡明な風情を漂わせつつ、若干、メルヘンな香り(いまなら、不思議ちゃんとでもいうのだろうか)が包んでいく。

予想外なお誘い

 とりあえず、簡単なあいさつをして、映画の上映まで、あまり時間もないので、そのまま映画館へ入ることにする。テレクラで会って、いきなり映画館というのも不思議な感じだが、昨夜のトークで、なんとなく、お互いを知り得たようなところがあるので、まさにあいさつもそこそこに、敢えて自己紹介するまでもなく、すんなりと映画を見ることになる。

 映画館では当然、隣り合わせに座る。本来であれば、手を握ったり、肩に手を回したり、軽く前戯の前戯(!?)をするものだが、流石、初対面である。そこまではできないだろう。同時に、私自身、結構、映画を見入ってしまうタイプなので、そんなお遊びをすることもなく、かなり真剣にスクリーンと向き合ってしまった。

 映画そのものは、このところのハリウッド大作に食傷気味だったので、私的には丁度いい塩梅の腹持ちだった。ちょっと、いい時間を映画とともに過ごしているという感じである。ところが、お嬢様はお腹が痛くなり、途中で出てしまった。私も当然、最後まで見ることなく、出てしまったのだ(後日、ちゃんと、一人で見直した。映画の評価そのものは変わらない、名作である。私のように汚れきった生活をしているものを浄化してくれる)。

 映画館のベンチで休んでいたら、容態も落ち着いたらしく、顔色も良くなる。聞いたところ、前夜は興奮して、あまり寝ていなかったらしい(子供の遠足か?)。多分、睡眠不足が原因だろう。当然の如く、映画そのものは見ていて気持ち悪くなるような描写はない(ホラーやパニックものではない!)。

 とりあえず、軽く食事を取りに、コマ劇場から靖国通りに向かったところにあるタイ料理へ行くことにする。店選びは、敢えて変化球を投じることにした。
 シンハビールを飲みながら、トムヤムクンやパッタイ、グリーン・カレーなどを食す。お腹が痛いのに香辛料が強いものはどうかと思ったが、お嬢様は体調が戻ったらしく、もりもりと食べる。フレンチやイタリアンではなく、エスニックというのが珍しいらしく、彼女のツボに嵌る。私の目論み通りである。

 話した内容は、昨夜の繰り返しのようなものだが、それよりもお互いのことを話し合ったと思う。多分、その頃には、すっかり打ち解け、お互い信用したようで、結構、プライバシーを明け透けに話す。家族のことや学生時代のことなども聞いたはず。
 いつもであれば、時間を引き伸ばし、「終電逃し&ホテルへGO作戦」を取るところだが、今回は、誠実感(!?)を演出するため、すんなりと帰すことにする。すると、意外な申し入れがされる。今度の日曜日に家に来ませんか、と、誘われたのだ。家庭訪問を断る理由はない。テレクラ男を親にでも紹介しようというのか、あまりに予想外な展開である。

まぼろしの旧駅舎

 数日後、私は田園調布の駅舎に降り立った。先日、複々線化にともない、地下化していた旧駅舎が復元されたが(この辺は東京駅の復元と同様だ)、まだ、地下化される前だったと思う。東京急行電鉄のHPには「旧駅舎は東横線の抜本的な輸送力増強工事である『目蒲線改良工事および東横線複々線化工事』の一環として実施した田園調布駅改良工事により平成2年9月4日に解体されたものです。」とある。平成2年だから1990年のこと。お嬢様の家庭訪問時には、旧駅舎であり、それは昔の風情を残したものだった。その駅前には噴水や花壇があり、らせん状に道が広がっていた、と、記憶している。勘違いなら申し訳ないが、洗練されながらもどこか鄙びた趣きがあった。都心に比べれば、緑多く、空気澄む、田園地帯である。まさに田園浪漫、フィールド・オブ・ドリームスだ。

 お嬢様は駅舎に迎えにきていた。多分、家で昼食を取ってから出かけているから午後だったと思う。彼女の笑顔が迎えてくれる。その笑顔を見た時、私の頭の中には、セント・ルイスの“田園調布に家が建つ!”が木霊する。
 そして、伊達邦彦や北野昌夫など、我が敬愛する大藪春彦が描く世界の主人公たちは、政財界の要職にあるものの令嬢を誑かし、落として、上流階級に食い込み、地位や財産を築き上げていく。そんなハードボイルドな野望も擡げてくるのだ。

 そのために、羊の皮を被った狼は牙を隠し、誠実を装っていた。いきなり会って、すぐセックスしないのは、相手のことを大事にしているからと思われていた、のどかな時代でもある。テレクラ男子の大いなる野望劇の始まりである────なんてね。