ず・ぼん5●装丁・造本デザイナーの仕事 鈴木一誌

装丁・造本デザイナーの仕事 鈴木一誌

聞き手●清水良洋/
ず・ぼん編集部(沢辺均)

[1998-10-24]

鈴木一誌
すずきひとし●グラフィックデザイナー。
1950年東京生まれ。東京造形大学在学中より杉浦康平氏に師事し、1985年に独立。ブックデザインを仕事の中心にして現在に至る。
主な仕事に『昭和 二万日の全記録』『JAPAN An Illustrated Encycropedia 英文日本大事典』『世界全地図 ライブアトラス』『クロニック世界全史』『講談社漫画文庫』(以上講談社)、『戦後50年』(毎日新聞社)、『JAPAN
ALMANAC』(朝日新聞社)、『大辞泉』(小学館)ほか。

現在手がけている雑誌は、『趣味の園芸』(日本放送出版協会)、『陶磁郎』(双葉社)、『美術手帖』(美術出版社)などがある。

編集部● 最初に、鈴木さんのお仕事の全容を教えてください。
鈴木● 現在は、ブックデザインが全体の7割くらいですかね。残り2割が雑誌で、その他が1割といった感じ。エディトリアルデザインの中には、ブックデザインと雑誌のデザインがあると思いますが、その意味ではブックデザインが中心です。
 広告に関しては、(近くにあったポスターを指しながら)たとえばこういうポスター。これはこの本のブックデザインをやった関係で引き受けたんです。べつに広告・宣伝の仕事をしないわけじゃないけれども、広告はブックデザインのコアに触れるものだけやっているという格好ですね。
 ブックデザインには、装丁だけやるブックデザインと、造本といって本文まで全部やるブックデザインがあるわけですが、主義として、いや主義というわけじゃないか、本文まで全部やるのが好みなんです。仕事量の半分くらいは本文をやっているんじゃないかな。ということは、仕事の半分は趣味ということになるけど、その割には過酷ですね。

本には「時間のドラマ」がある

 装丁というのは、短距離走というか瞬間芸に近いと僕は思っているんです。反対に本文のデザインというのは、時間的にいうとマラソンになる。その両方をやるというのは、短距離かつマラソンの両方をやるわけだから、スタッフは非常に大変です。うちの事務所をよく知っている友人は、飯田橋の女工哀史とか野麦峠だとかいってます(笑)。
 なぜ本文をやりたいかというと、ブックデザインというのは「時間のドラマ」だと思っているんです。これは、杉浦康平[*01]事務所で仕込まれたことですけど、読者が本を手に取って、カバーから奥付にいくまで「時間のドラマ」があるんですね。時間のドラマとしてまとまりをつけるためには、本文をやらざるを得ない。
 時間の設計では、映画をかなり参考にしていますね。たとえば鈴木清順[*02]だったら、ここでどうするかっていうふうに考えるわけです。ここでズバッとまっ赤な見開きが来るんじゃないかとか、加藤泰[*03]だったらクローズアップを瞬間はさみこむかな、小津安二郎[*04]だったらジワーッとメリハリなくいくんだろうななんて、センスとしては映画監督に習っている。その恩返しをしたくて、比較的映画関係のブックデザインは仕事を取ろうとしているし、力を入れてやろうとしていますね。

編集部● 東京国際映画祭の日報[*05]のアート・ディレクションもその中のひとつですね。
 本文までデザインする場合、フォーマット[*06・図01]だけつくって渡すところから、フィルムで渡す方法[*07]まで、やろうと思えばどこまでもやれるわけですが、鈴木さんのところは、だいたいどのあたりが多いですか。
鈴木● 印象としてDTP[*08]バリバリと思われているかもしれないけれども、全体の半分くらいですね。その半分も媒体によって、フルDTPにしたり、印画紙で出して写真は通常製版というのもある。本のスケールやスケジュール、そして内容によって、なんでもあり。だから頭の中で瞬間的にシステムを切り換えなきゃいけない。級数からポイント、ポイントもアメリカンポイントからDTPポイントというふうにね[*09]

 DTPって一口にいっても、フルのDTPから印画紙で出して写真は通常製版するっていうグラデーションがあるでしょう[*10]。そのなかのどこでやるか、割り振りが難しいんですよ。それこそフローチャートを作るのが最初の大仕事。難しいしね。印画紙のほうが効率いいときもあるし、フルでやったほうがいいときもあるし。
編集部● 印刷屋さんの持っているシステムとか、空き具合によっても違ってきますしね。
鈴木● 印刷会社によって書体がないときには、フィルム納品することもあるわけです。さらに、個人的に頼める色校屋さん[*11]がいるから、色校を済ませて入稿ということも、理論的には可能になっているんです。近頃は、出力ショップでもオフセット印刷の色校をやってくれるので、これを使いこなすとかなりの時間の節約になる。デザイナーの切り札にとっておくといいですよ。
編集部● すごいことですね。印刷機がないっていうだけで。
鈴木● あとはなんでもできるし、交渉の面倒臭さをとりあえず無視すれば、どんなフローにでも乗れる格好にはなっている。ただし、仮に全部まる請けして儲けようと思っても、出版っていうのはたいしたことはない(笑)。長期低落傾向のなかで粘り強くやんないとね。

編集部● ブックデザインをやっていますという人が、フィルムまで出して納品できるシステムをもっているのは珍しくないですか。
鈴木● どうなんですかね。
清水● でも、だんだん求められてきていますよね。
鈴木● 話は少しそれますが、DTPによって「ねばならない」というのが全部壊滅したんじゃないかと思っています。「ねばならない」というのは、だいたい組織上「ねばならない」という場合が多いんじゃないかな。
 たとえば大手の出版社だと、制作があって、編集があって、校閲があってという流れがあります。今の校閲というのは、最終的な体裁になってから見ているけれども、DTPでやるときに、校閲の入るタイミングそのものが、今のままでいいのかという問題が出てきた。DTPの場合、校正を前倒しにして、テキスト段階でクリーニングをきっちりやっておいたほうが楽なんです[*12]。でも、きっと組版[*13]になってからでないと見ないんじゃないかな。組まれていないと本気で校正できないというか……。

 たしか新潮社は、校閲のセクションのほうが編集部より人数が多いと聞いたことがある。出版の予定も校閲の予定次第。編集の都合で発売予定が変えられないというくらい校閲局のパワーがある。これはすごいと思うのね。帯[*14]なんかも、ちゃんと帯の体裁にしたものを見てもらうという手順をとらないといけないらしいんだけど。それはやっぱり間違いが少ないと思うんですよ。どんなにテキストをクリーニングしていても、組版の段階で、改行の間違いとか、行末禁則[*15]ができていないことがあるからね。『ず・ぼん』もずいぶんあるけど(笑)。そういったものも間違いとするならば、校閲局が最終体裁で見るということはものすごく正しい。でもそれでDTPの流れに乗れるかというと、校閲がテキストクリーニングで見て、最終体裁でもう1回見られるのかっていう問題があると思うんですね。そういう意味で、今までの組織的な「ねばならない」をもう1度考えなおさなければならないのではないかと、思います。
 技術的なボキャブラリーそのものは、ほとんど個人の手に届くところにきていますよね。たとえば、うちではスキャニング[*16]を個人に頼んでいるんです、個人で本格的なドラムのスキャナ[*17]を持っている人がいて。
編集部● ほう。

鈴木● そういう人がいること自体、珍しいんだけど。
編集部● 珍しいですよ。以前は製版屋さんだったりして。
鈴木● 西川茂さんという方なんだけど、あるとき一念発起して、製版屋さんに丁稚奉公に行くことから始めた。もともと写真家だった人なんですよ。写真をやっていて、日本の製版はどうもうまくないと。じゃあ、自分でやるしかないって、何千万円もするスクリーンの機械を買っちゃった。そういう人の需要が現在あることが印刷のおもしろさだと思う。西川さんは江戸川橋で地理的に近いということもあって、以前は、大日本、共同[*18]あたりの仕事でも、手間がかかるのは西川さんのところにまわってきたのではないかな。DTPになって、なおさら個人でスキャニングを責任もってやってくれることの重要性が増したのもおもしろい。
 西川さんは写真をやっていたから、たとえば、コダクロームとエクタクローム[*19]で製版を変えるんですよ。ダイナミックレンジ(濃度域)でいうと、エクタクロームが2.5から3.0、コダクロームが3.5だから、下手すると1.0近く違うんですよ。1.0というと、もう2、3割違うということです。コダクロームを分解するのとエクタクロームを分解するのと、全く違う。それは誰が考えたってわかる。でも今、コダクロームとエクタクロームの違いをどこの印刷会社がやってますか。
編集部● 一緒ですよね。

鈴木● 西川さんは変えてくれるから、うちは彼の分解を信じていればいいわけです。
清水● デジタルになってきたから出てきたやり方だし、型ですよね。
鈴木● うちの好みなんていうのもわかってくれているしね。さらに、マットPPをかけるのか、かけないのか、ツヤPPであるかどうかとか、インキをどれくらい盛りたいのか、といった打ち合わせをしながら分解してくれる[*20]。こういう関係が、DTPのワークフローでは理想に近い。それで、料金は通常とたいして変わらない。今、大きさにもよるけど1点、千円から数千円でおさまっている。
編集部● えっ、そんなもんなんですか。
鈴木● 特別なお金はかからない。たとえばゴミを消したりして時間がかかれば、その分タイム・フィーを付けてもらうんだけども、それでもたいしたことないですね。だからってみんなが頼むと混んじゃって困るんだよね(笑)。まあ、頼んでくれてもいいんですけどね(笑)。

 これで色校正ごとやっちゃえば、完全に安定します。色校正までやってフィルムで渡す、それはできるんだけれども……。ここで言い淀んでしまうのは、そこまでやっちゃうと印刷会社は技術的にはほとんど滅びるんじゃないかなっていう思いがあって。印刷会社にも技術に誇りを持つ組織として生き残ってほしいからね。そうすると、ある程度の課題を与えつつ、品質は守ってもらわなくてはいけない。
清水● そうしないと、印刷所は本当に紙に色を付けるだけになってしまいますからね。
鈴木● 西川さんと同じように「個人」ということでいうと、長久雅行さんという手動写植[*21]をやっている人がいて、うまいのね。年齢的にいうと、いちばん若い手動写植の名人だと思うけど。その人が、マッキントッシュの詰めデータ[*22]を打ってくれるわけ。今、『美術手帳』(美術出版社)の目次は全部彼が打ってくれているね。(スタッフに声をかけて)手動とマッキントッシュの切り替わりを見せてくれる? それと最新号とね。
 マッキントッシュを考えたほうがいいからって薦めたら、彼は1年間くらい水面下で勉強していたんですよ。それで、ある月まで手動で打っていて、ある程度の自信がつかめた時点でガラッとDTPに変えたわけ。それが見事にいった。やっぱり手動のノウハウを持っている人がDTPやると違う。
編集部● ポイントと級の違いだけですもんね。

鈴木● (『美術手帳』の目次を見ながら)一見、全角送りに見えながら、改行とかがいろいろあるから難しいんですよ。
 これが手動で[図02]、これがマックです[図03]。
清水● すごいですね。
鈴木● 流行りの言葉でいうとポータブルスキルというのかな、個人が自分の個性として持っている専門技術ね。それを持っている人と組んでDTPをやると、最強なんですよ。こわいものがない。ただし、100人くらいのチームを組んでやるような大きな仕事はできないけどね。10人くらいの顔が覚えられる範囲がいいとこ。
 長久さんにはうちが直接仕事を頼んでいるんだけど、請求書は長久さんから直接出版社にいくわけね。
 でも出版社は写植で打ったのとDTPでデータ作ったのと、まったくわかってない(笑)。その移行のなめらかさがすごいでしょう。でもやっていることは変わらないんだから、全然、問題はないんです。だから、「DTPにしたらどうか」なんて打ち合わせをするとか、会議するとか、まったく無駄なわけ。こっちの采配で、できるものができちゃえばいい。

編集部● そうですよね。
鈴木● だから、もうDTPのことで会議する時代じゃないっていう気がするね。
編集部● 1枚で出てこようが、ピタピタ貼ってあろうが[*23]、出版社はどうでもいいわけですからね。
鈴木● さらに、その貼ってあるものがDTPで貼ろうが、印画紙だろうが、写植だろうが、構わない。
編集部● 機能してませんからね、出版社は。

鈴木● 編集者と印刷会社の営業が機能しなくなっていますね。テキストや画像を製造する人と、印刷現場のあいだにデザイナーがいればよいという感じ。ただし、今いったその「デザイナー」というポジションも、編集者や印刷会社の営業ががんばれば切り崩されてしまう可能性がある。「デザイナー」という職分は残るが、それをデザイナーがやるとは限らないという時代に入ってはいる。
清水● 現在での、デザイナーの大事な役割はなんでしょう。
鈴木● どんなシステムを通して印刷物を獲得するかというフローを描くことではないかな。デザインが決まるまで、どのシステムになるかわからない状況なわけで、そのシステムもフルDTPなのか印画紙なのかということすらまだわからない。
 簡単な例でいくと、カバーの締め切り当日に台紙を引いていたのでは間に合わないから、従来では仕事がきて束見本があれば、まず台紙をアートポストにロットリングで引いていた。ところが今は、フィルム入稿なのか、データ入稿なのか、トンボの入った印画紙入稿なのか、手で引いた台紙にDTPで組んだ印画紙を部分的に貼っていくのか、写植を貼るのか、デザインが思いつかないと決まらない。
 で、現状では、デザインに取りかかれるだいたいの材料がきたら、まずデータで台紙[図04]を引いちゃうんですよ。それで、版下入稿だって決まったら、そのデータをマイクロライン[*24]で出力して、それをちょっと厚い紙にして台紙代わりにする。つまり、データで引いておいて、どっちにもいけるように作業を進めておくということですね。

 どんなデザインにするのかということと、どんなシステムにするのかが渾然一体となっている。デザインを決めることが目的なのか、システムを決めることが目的なのか。システムによって、多分デザインが変わるわけですからね。そのシステムもページによっても切り替えなければならない。いわゆる本文と別丁トビラというのは、進行が違うでしょう。装丁というのは、さらに違う。だから、事態はものすごく複雑なんですよ。
編集部● カバーは写植で、本文はDTP、トビラは写植の切り貼りっていうのもあり得ますよね。
鈴木● 人間の手間が省ける度合いの高い4色ページのほうがDTPのコストパフォーマンスが上がるから、経済的にもDTPとの親和性が高いなんていう側面もあるし、必ずしも表現優先でシステムが決まるわけでもない。
編集部● 色校さえコストをかけずにできれば……。
鈴木● というふうにしたら、複雑なんです。ページごとに、デザインが決まらないとシステムが決まらないということをやっているわけですよね。だから、全部をフルDTPでやるって決める必要もない。
 アミ点[*25]も入らなければ印画紙でいいと僕は思っているんですけどね。ただの白黒反転とか、ただのベタ刷りなら印画紙で出して撮ったほうが楽だなと。ただそこで、何らかの掛け合わせとか、あるいは版のダブリなんかが出てくると、マイラーベース[図05]かぶせたりしないといけないから、手間がかかるでしょ。それならフルで出しちゃったほうがいいんです。

 こういう状況って、「進化」とはぜんぜん違う。全部の時代層が、この今の輪切りのなかにある。活字から手動写植に変わり、そして電算写植、DTPへ移行していったという進化主義ではなくて、それら全部が今あるんだということ。だから、百パーセントDTPにしようとは思わなくて、手作業をかなり残そうと思っているんです[*26]。DTP専門にしたほうが効率的だという経営判断もあると思うけど、絶対にしないわけ。手もやるしDTPもやる。頭がおかしくなるぐらい、カチャカチャと、チャンネルを切り替えるわけ。(仕事をしているスタッフを見て)今日は、比較的モニターに向かっているけど、手でやったりDTPやったり、忙しい、忙しい。
清水● 結局、手でやった感覚とかはDTPでも生きるような気がするんですけど。
鈴木● DTPの時代だからといって恐れることはない。手法が一つ増えたということなんだから。でも、DTPしかできない人、手作業を体験していない人に文字の詰めとかが本当にわかるかなと思いますね。アプリケーションが進化すればすむのかもしれないけれど。

組版の「連続」と「切断」

編集部● 「ページネーション・マニュアル」の本を出されるとお聞きしたんですが。

鈴木● 書いているんですよ、今。これが目次なんです[図06]。まだこの斜線の部分しか書けていないんだけど、壮大な目次なの(笑)。
清水● でも、もう随分書かれましたよね。
鈴木● 1章につき、原稿用紙20〜30枚はかかるんですが、計画では77章ある。そんなに書くのかって(笑)。1章書くのにだいたい1日かかるけれど、なかなか時間がとれない。
 知っていることは基本的に全部書くという覚悟なんですよ。手法をある種の作家性とかのなかに秘匿するのではなくて、全部出す。「なぜ行間は最低50パーセントなければならないか」ということとか、あとは「行長による行間のパラメーター(媒介変数)」とかね。
 それで、ソフトとの連動も考えている。つまり、ノウハウの公開なんだから、徹底した公開という意味では、テンプレートのようなソフトにしちゃえばいいと思っている。数値や書体の組み合わせまで入れちゃう。
編集部● なるほど。たとえば、欧文の書体は何を使うかといった設定のところを開くとボドニなどのベーシックな書体が3つくらい出てきて、その中から選ぶという仕組みですね。

鈴木● それがあるだけでだいぶ楽でしょう。
編集部● 12級で1行40字に設定した場合、行送りはいくらが適切なのか知らない人でも、今はいかようにも設定できてしまいますからね。その時に、自動的に行送りが出れば、なぜその数値なのか考えることができますよね。
鈴木● そんなことは、わかって当たり前なんだから。だから、すべてのデザイナーがそこそこまではいっちゃうはずなんです、本当はね。その先が個性の勝負。才能のあるやつは僕の作った設定を壊せばいいわけ。
清水● でも、壊すのって難しいかもしれないですね。
鈴木● ソフト内に入っちゃうのだから、ある種のスズキイズムになってしまって、そこから逃れられないっていうこともあり得るね。
編集部● でももっと無責任にいえば、「鈴木一誌さんバージョン」「府川充男[*27]さんバージョン」とか何枚かフロッピィが付いていて、その中から好きなものを選べる、ということも妄想できないことはないですね。

鈴木● うん、できなくはない。戸田ツトム[*28]っぽくとかね。
清水● 羽良多平吉[*29]さんに似せようと思って、級数とか計ってやっても「あれー、違う」ってなりますからね。
鈴木● 「ページネーション・マニュアル」の用途をもう少し絞れば、もっと細かい設定はできるんだけど、今回は汎用の提案が目的だからそこまではやらない。でも、私そのものが作る私用の「ページネーション・マニュアル」っていくらでもあり得るわけでしょう。それはそれで、ある時期が来たら用意しようと思っています。
 まあ、もう少し「ページネーション・マニュアル」では「標準の鈴木」でいこうと思っている。そのあとは「破壊の鈴木」でいこうという計画ですからね。
 組版においては「連続と切断」というのが最重要テーマなんですね。連続させて切断させるということ。

 新書に収められている文字数は、だいたい10万字程度ということなんだけど、10万字をああいうコンパクトな格好にできるのは、要するにページに切断しているからでしょう。ページに切断できるということは、行に切断できていたわけですよね。でも、考えてみると、読むほうはそれをもう1回連続に復活している。両者がまるでゾンビみたいなことをやっているという、おそるべき操作ですね。そこには連続したものを切断して、かつもう1回連続させて読ませるという、切断と連続という矛盾するベクトルが働いている。組版というのは、その徹底した設計なんだと思うんだけど、今のところ、なかなかそこまでの話にはならない。
編集部● 今の話をやわらかくしますと……。
鈴木● 1冊の本というのは、ある意味では他の本と必ず連続しているはずですよね。完全なオリジナルなことというのはないし、完全にオリジナルなテキストはほとんど理解できないはずですよ、共通の言語がないのですからね。だから、読めるということはすでに他の本、あるいは過去の文体と連続をしている。それを切断することで1冊になるわけですからね。
 あれっ、全然やわらかくなってないね。
編集部● さらにその1冊も、章や小見出しに切断され、どこかで折り返さないと延々にトイレットペーパーみたいになってしまうので、行として切断し、ページで切断する。その切断の繰り返しをして、1冊の本の中になんとか1つのテキストを入れ込んでいる。
 ところが読む人のほうは、それをまったく意識せずに1つの連続として読んでいる。

 本の作り手側からいえば、ここまでは前書きで、さあここから小説の本文の始まりですよという、切断したところはきちんと認識してほしいんだと、そういうことをやっていらっしゃるわけですよね。
鈴木● そういうこと(笑)。僕はページネーションという作り手側に重きを置いて提案しているわけだけど、本当は読むほうもページネーションだよね。ページの切れ目をなかったことにして繋げて読んでくれている。それはある種の、江戸でいうと見立てちゃう文化ですよね。切断がなかったことにするという、読み手側のページネーションもある。
 もう1つ、連続と切断の複雑なのは、ページで切れちゃうというのは、ある種、自動的な切断でしょう。でも、章とか見出しというのは、意味のほうからくる切断……、それは何ていうのかな、強制的な切断ですね。その2つが絡んでいるところがすごい。まったく違う2つの切断をコントロールするのがデザイナーなんだけど、今それが混乱している。
 その1つの証が、全部を本文箱組ルールでコントロールしようとしているでしょう。
 小河原誠さんという人が『読み書きの技法』(ちくま新書・1996)の中で、本というのはセンテンスからなる文章と、センテンスからならない語句で成り立っているって書いている。タイトルや小見出しはセンテンスでない部分で、それらは、本の構造を指し示しているんです。
 小河原さんはそれを「構造明示子」[図07]って呼んでいるんだけど、構造明示子は本文とは違う組版ルールでやるべきだと僕は思うわけ。そうじゃないと2つの切断が見えてこないでしょう。

編集部● デザイナーや編集者が、このページ寂しいから小見出し入れてよ程度の話になったりとか、本のどこの場所にそれが置かれるのかということの意味も理解されないと、読むほうも再構築ができない。強制切断の再構築ができづらくなっちゃうということですよね。
鈴木● そう、それを考えるベースとして、たとえば1つの意味、1つの形というような原則を立てておかないと、意味での切断が過重になるでしょう。あるいは連続のね。
編集部● 「ページネーション・マニュアル」[図08]のなかで、たとえば、小見出しは大・中・小の3つ以内にするといったベーシックな考え方まで提案されているのは、今のことに絡んでいるんですね。
 編集者からもらう原稿の中にも、たまにひどいのがありますからね。章ごとに構成がメチャクチャだったり。
鈴木● あと、1番だけあって2番がないとかね。1番があるのは2番があるという前提なのに、泣けてきちゃうよね。見出しの構造がしっかりしていないと、結局HTML[*30]なんかにのせられない。

清水● 文章構造の整理がないと、読者にとって連続の再構築がやりにくくなりますよね。本としてのコミュニケーションが成り立たないということですよね。
鈴木● 映画と似ているでしょう。映画だって、一齣一齣への切断があるじゃないですか。それがもう1回繋がって見えちゃうというのはすごいでしょう。しかも、ただ見えているだけじゃなくて、残像という格好で人間の生理が絡んで見えている。齣の切断というのはカット割りという意思による切断とはまた違うでしょ。映画監督によっても「カット」って本当に切る人と、繋ぐために「カット」をやる人とがいる。
清水● 長まわしで撮って、切断を見せないとか。
鈴木● でも、長まわしはどこかできつい切断がくる。だからチョンチョン切っている人のほうが「カット」の切断力を弱めているというか、なめらかになっているともいえる。
 スピルバーグなんか、まったくそうだよね。ものすごい細かいカット割りでざっと並べているでしょう。そのかわり、記憶にまったく残らない。
編集部● スピルバーグを本にたとえていうと、ページごとに細かい小見出しがワーッと最初から最後まで入っていて、そのままいっちゃうというような感じかな。

鈴木●箇条書きの羅列かな。1ページ完結とか、見開きごとのページネーションって意外と退屈でしょ。ブックデザインとしては、どこかで破調・乱調を持ち込まないとうまくない。
 スピルバーグも最初はびっくりしたけどね。運転手の顔が見えないトラックとか鮫の出方とか。でもだんだんわかってくる。
 マキノ雅広[*31]という職人芸というか映像の流れにかけては世界一ではないかというすごい日本の映画監督が、「だれ場」という言葉をいっている。「だれる場」という意味ね。クライマックスの前に「だれ場」をつくるんだって。観客が半分あくびを噛み殺すぐらいにしておいて、ドーンッといく。そうすると同じクライマックスでも、その前が下がっているほうが映像のジャンプ力が大きくなるでしょう。
 ブックデザインも100パーセント全部やるとデザイナーの汗水が見えてきて、読者がしんどくなる。そういう失敗をしたことが随分あります。どっちかというとそういう失敗をするタイプなんですね(笑)。7〜8分目でいくというのが原則なんでしょう。ただ、その7〜8分目も、いま話したような「だれ場」みたいなことを考えると、一見ちょっと手抜きっぽくしておいて、ドーンッといくとか、100パーセントにしておいてサッと下ろすとかの配分が必要でしょう。そこまでの計算をするのが本当のブックデザイナー。
編集部● 編集者はどうでしょうか。

鈴木● 流れが見えている編集者にはめったにお目にかからなくなった。
編集部● デザイナーにしても、それが見えるという人はなかなかの人じゃないでしょうかね。
鈴木● 僕もわからない。というか、(手元にある本を指して)これなんか時間がなくて、ほとんどドリフト走行しながら締め切りに間に合わせたんだけど、こういう本の姿になるってわかっていた人は自分を含めてほとんどいないと思う。最初から「俺はこうだ」というところがあってバシッと止まっているのではなくて、ツツツツーッと横滑りしながら決めていく。滑りながら、あるところに着地するっていう感じね。すべてが既知である必要はない。
 その横滑りしながらっていう感触をもう少しちゃんと語るために、フォーマットについて話しておくと……。フォーマットというのは必ず例外があるでしょう。言い方を変えると、例外を作るためにフォーマットを作るというところがある。フォーマットという一つの基準があるから例外が出る。その例外をどれくらい楽しんでころがっていけるか。「例外を切り捨てろ」という考えだと横滑りはできないですね。
 フォーマットを作るというのはかなり大事なことで、それをどう教えるかというのは、なかなか難しいんです。さらにもう一つ先があって、どう例外を生み出せるフォーマットを作るかというのが、究極の話です。どれくらい例外が生まれそうか、勘でだいたいつかめるようになれば、作るほうもかなりのものです。どういうフォーマットを作るかというあたりでウロウロしていたら、そこまでなかなか到達できない。既知と未知とがうまく戯れるようなフォーマットがベスト。口で説明するのは難しいけれど。
 フォーマットを作るためには、製本のことを知らなくてはいけないし、あまりフォーマットに懲りすぎて締切に間に合わないというのでは話にならないから、日程のこともわからないといけない。コストも考えなくちゃいけないし。デザイナーの総合力になる。

フォーマットの知的所有権について

鈴木● フォーマットの重要性については、実はデザイナー自身もあまり気がついていません。
 今、こういう事態が起きているらしいんですよ。出版社がデザイナーに8ページをDTPでつくってデータで納品してくれと依頼するわけです。その場合、納品される8ページはどうでもいい。出版社は、結果的にフォーマットを取りたいわけ。それでそのフォーマットに200ページ流し込みされて使われたというケースとかね。
清水● フォーマットも本当にデザイナーが作っていけば、そこに著作権のような1つの権利が出てきますよね。
鈴木● 僕自身も4年くらい前に1つの事件があってね。今、『知恵蔵』(朝日新聞社)のフォーマットの著作権をめぐって係争中なんです。かなり大詰めになって、ちかいうちに日本で初めてフォーマットにデザイナーの著作権があるかないかという判決が出る[*32]。

編集部● 鈴木さんが『知恵蔵』のフォーマットを作られてから、そのあと何年続けられたんですか。
鈴木● 4年。
清水● 5年目にデザイナーが代わったにもかかわらず、同じフォーマットのまま発行されたんですね。
鈴木● 新聞社って編集長が代わると週刊誌でも表紙がよく変わりますね。多分、そういう習慣があるんでしょう。自分に代わったということをアピールしたいから何かを変えたい。それで一番てっとり早いのはデザインなんでしょう。
 デザインといっても、多分、表紙しか念頭になかったと思うんですが、とにかくデザイナーを代えた。ところが、よく考えたならばフォーマットそのものが凸版印刷のどでかいCTS(電算写植)のコンピュータシステムにガチガチに組み込まれていた。『知恵蔵』の場合、原稿の半分ぐらいは前のをそのまま使うんです。デザインを変えると、とんでもないことになるってことに遅ればせながら気がついたわけね。それで慌ててうちに許可を取ってきたものだから、向こうは頼み方が中途半端になってしまった。
編集部● 中途半端な頼み方のというのは、具体的にどういうことですか。

鈴木● 使わせてほしい、だけど勝手に変えさせてほしい、というものだった。使わなければ本はできないし、リニューアルもしなければならないというジレンマに陥ったと思う。それで僕が許可しなかったから見切り発車で使った。
 『知恵蔵』のフォーマット[図09]を考えるのに、たぶん2日間くらいかかったと思いますが、うちの割付用紙とリニューアルした割付用紙を透明フィルムにして重ねたらぴったり同じだったから、裁判の証拠として出しました。論理的に組み立てられたフォーマットと割り付けをしているから、やっぱりくずせないんだよね。
 読者には印刷されたところしか見えないけど、この余段の整合性がどこかで誌面に影響している。
 ある種の知性というかね(笑)。本当は、フォーマットを作るためにどう計算したかなんていいたくも何ともないんですが、やっぱり具体的にいわないとわからない。裁判所に説明するのでさっき見せた図も作った。作るとわかりやすい。
 DTPだから全角で考えなくてもいいんだけど、じゃあ融通無礙でなんでもいいかというと、そうじゃないよね。ある考え方としては、全角という考えは有効だと僕は思っています。実際のペースは詰めても詰めなくてもいい。全角でやろうが、プロポーションでやってもいいけれど[*33]、全角を1つの単位とするということを自分で設定する。単位という発想が非常に大事。自分で自分の単位を作るということが大切ですよということですね。これなんか、天あき、地あきまで全部倍数計算になっています。
 この2つ[図10・11]は片岡義男の単行本の版面です。縦方向のベクトル強調のフォーマットと、横方向を強調したフォーマットですが、どちらもほぼ同じ字数が入っています。横強調のほうは、書かれている内容が、50年代のハリウッドのシネマスコープのイメージだった。そうすると横に繋がっていたほうがいいかなって気がしてね。横を強調するために、柱も改行して1行を短くしてあります。もう1つは、文学的な内容だったから息が長いほうがいいかなと思って縦を強調したわけ。同じ条件でもこれだけ変えられますね。

 これは『大辞泉』(小学館)という国語辞典で、最初の編集部の案なんですよ[図12]。この辞典はCTSシステムで15年延々組みつづけてきた。僕のところに話が来たのが16年目。16年間の最後の1年くらいで、デザインをしたのだけど、この4段の版面は変えられないですよ。その条件内で作った版面がこれなんです[図13]。
 版面も版型も変えられない。だけど、そこで一見余白があるように見せてこういうスタイルにするということだけで、ブックデザインの仕事が立っている。10分の1ミリの闘いです。
 だから限られた条件で、ある強烈な意志があればできるというか。
清水● リニューアルして見やすくなりましたね。
鈴木● 小学館編集部の出したフォーマットだと、辞書のツメの文字組みが一般的にはおかしいね。縦組みの本なのに、これでは横組みになってしまう。
清水● そうですね。

鈴木● というふうにして、読者の視線の連続性から考えると、デザイナーが考える余地がディテールにはたくさんあるということですね。

紙の話・書体の話

編集部● 鈴木さんは、書体とか紙とかで好きなものはありますか。
鈴木● 基本的に新しい紙を使おうと思っているんですよ、1回は。
清水● 出てきたらですか。

鈴木● そうです。イラストレーターからも売り込みがあると、なるべく1回は使おうという姿勢と一緒です(笑)。1回はチャンスを与えてみたい(笑)。
清水● その中で、最近お気に入りのものはありますか。
鈴木● いいことかどうかわからないんですけど、紙のサイズがいろいろある紙は安全なんですよね。たとえば四六で縦横ある、菊で縦横ある紙はものすごくトータルに本作りができるでしょ[*34]。たとえば厳密に紙の取り都合を考えていくと、本表紙とカバーで変えなくちゃいけないということがあるとか、見返しと本表紙で違っちゃうと困るというのがあるよね。大きく変えるのはいいのだけど、微妙に違うと気持ち悪いでしょう。ヴァンヌヴォーなんかの需要が高いのは、ほとんどのサイズをカバーしている紙だからじゃないですかね。
清水● あと、OKミューズガリバーやミスタービーとか。
鈴木● そうね、ジャンルでいうと塗工ファンシーというやつかな。やっぱり、取り都合に対応できる紙を使うことが多い。

編集部● あとは、その本の内容によって、いかようにもいろんな紙を使うということでしょうかね。
鈴木● そう。基本的には紙の取り都合は守る。どうしてもというときは我が儘でやりますけどね。基本的には守る。
編集部● しかしカバーというのは長いですよね。横広だから、これで取り都合で目を考えちゃうと、かなり制限されますよね。
鈴木● 四六の横目の半切で3面かな。四六の縦目でいくらいい紙があっても使えない。
編集部● それでなおかつ、見返しや総扉に応用できるような紙となると、けっこう難しいものがありますよね。
 書体で好きなものは何かありますか。

鈴木● これっていうのはありません。
清水● むしろ、いろいろお使いになられていると思いますけど。
鈴木● 絶対使わない書体というのはありますよ、やっぱり。
編集部● たとえばどんなのですか?
鈴木● 石井の特太明朝とか、石井特太ゴチックですね。あとは本蘭系はあまり使わないようにしています。石井の明朝体でも、かなのニュースタイル(NKL)系が好きではない。オールドスタイルの大がな(OKL)系列は許せるんだけど。NKL系がいやだな。本蘭系を本文で使うのは、スペースが狭くて字を小さくするときに、少し大きく見せたいというときだけ。0.5級得するでしょう、ボディが大きいから。
 そうでなければ、クラシックな書体をだいたい使う。

清水● 杉浦先生は秀英社の明朝とか使われていますよね。
鈴木● SHM(秀英明朝)。YSEM(新聞特太明朝体)、MM-OKL(石井中明朝体・オールドスタイル大がな)、YSEG(新聞特太ゴチック体)もね。
編集部● 欧文ではどうですか。
鈴木● DTPではパラチノ、フルティガーかな。パラチノ、フルティガーというちょっと新しい世代の欧文書体が、やっぱりDTPに合うというのは不思議なもんですよね。曲線が、和文と混植したときに合う気がする。ボドニだとちょっときつい。
編集部● デザインする道具に応じて、かなり幅広く使っていらっしゃいますね。
清水● あと、媒体やその内容によってもかなり変えていらっしゃる印象があるんですけど。たとえば『美術手帳』でしたら、今回はインターネットの特集でしたけど、ぜんぜん違う特集のときは、その内容に応じて書体を決めていらっしゃいますよね。

鈴木● 『美術手帳』なんかは、特集によって1つの書体にテンションをかけて指定することが多い。マルゴチならマルゴチをスタンダードにしておいて、そこからバラエティをつけていくというやり方。それこそさっきの基準と例外の話で、まず基準を作る。今回は、モトヤの明朝でいってみようと。それに対してのアクセントとして何を持ってくるかというふうにして配置している。そうやって、とりあえず自分のいる位置を決めるというのはけっこう大事なんです。その基準は何でもいいんですよ。たとえば見返しの紙がこれだなというのが1つ決まれば、あとはだいたい決まる。極端な話、花布[*35]の色でもいいというか。
清水● その本の1つのトーンを決めるんですね。
鈴木● そうそう、どこかに杭を打てればいい。その杭が書体のときもあれば、それこそデザインのときもあれば、色や紙で決まるときもあるんだと。
編集部● 鈴木さんのなかで、今後こういうことをやりたいという夢は何かありませんか?
鈴木● 1つは、さっき話した『ページネーション・マニュアル』のソフトとの連動です。あとは、少し出版もしてみたいなと思いますけどね。口開けて待っていても、だめそ、だから。

編集部● どんなものを作りたいとお考えですか?
鈴木● 批評誌。今、デザインの紹介はあっても、デザイン批評というのがない。デザインを中心に、5感が触れることができるメディアについての批評誌。そこで破壊的なデザインをしたい。読みにくそうな雑誌だな(笑)。
編集部● 大変ですね、それは。でもやれたらすごくおもしろいでしょうね。
鈴木● そういう雑誌って年に1回でもいいわけでしょう。
清水● そうですよね。隔年とか。
編集部● 『ず・ぼん』も年に1回ですから。

鈴木● そうそう。これを見てずいぶん勇気づけられている(笑)。
(このインタビューは、1997年4月23日に行いました)

[*01]杉浦康平(すぎうらこうへい)
グラフィックデザイナー、アジア図像研究家。大学卒業後、 高島屋の宣伝部に実習生として入社。そのとき描いたデザインが1955年第5回日本宣伝美術展賞を受け、約半年で独立。以来、切手、ブック・デザインなどの第一線で活躍。また、「マンダラ展」「アジアの仮面展」など、アジア文化を造本や展覧会で紹介。主な作品に「真言院両界曼荼羅」の造本デザインなどがある。また86年にはブータン王国の切手のデザインを依頼され、マンダラの切手を作製して話題となった。
[*02]鈴木清順(すずきせいじゅん)

映画監督。1923年東京生まれ。48年松竹大船撮影所に助監督として入所。54年日活に移籍し、56年監督に昇進。第1回監督作品は「港の乾杯 勝利をわが手に」。その後、「肉体の門」(64年)、「東京流れ者」「けんかえれじい」(66年)、「殺しの烙印」(67年)などを撮る。日活から契約を解除されてから約10年のブランクを経て、「ツィゴイネルワイゼン」(80年)、「陽炎座」(81年)、「夢二」(91年)を発表。
[*03]加藤泰(かとうたい)
映画監督。1916年兵庫県生まれ。34年京都陶磁器会社に入社するが映画への夢が捨てきれず、37年東宝砧撮影所に入る。第1回監督作品は、「剣難女難」2部作(51年)。56年に東映に移籍。任侠映画で名声を得る。主な作品に「風と女と旅鴉」(58年)、「瞼の母」(62年)、「幕末残酷物語」(64年)、「明治侠客伝・三代目襲名」(65年)、「緋牡丹博徒・花札勝負」(69年)、「花と龍」(73年)などがある。ローアングルを多用する監督としても知られる。85年死去。
[*04]小津安二郎(おずやすじろう)
映画監督。1903年東京生まれ。小学校の代用教員を勤めた後、23年松竹キネマ蒲田撮影所にカメラ助手として入所。第1回監督作品は「懺悔の刃」(27年)。「大学は出たけれど」(29年)は、当時の就職難を描いた作品で流行語にもなった。その後の主な作品は、「お嬢さん」(30年)、「生まれてはみたけれど」(32年)、「一人息子」(36年)、「晩春」(49年)、「麦秋」(51年)、「東京物語」(53年)、「秋刀魚の味」などがある。63年死去。
[*05]東京国際映画祭の日報

「第9回東京国際映画祭」(1996年)の会期中(9月27日〜10月6日)毎日発行された、和文縦組6ページ、英文横組6ページの印刷物。監督インタビューや評論、解説、その日の催し物などの情報が収録されている。午前11時の編集会議からスタートし、取材、原稿アップ、翻訳、組版、そして翌日の午前4時半くらいに印刷にとりかかり、午前11時前後に映画祭会場に届けるというスケジュールで制作された。おもしろい日報が出たという噂が広がり、この日報を1号の抜けもなく揃えるのがコレクションの対象になったほど。この日報を1冊にまとめた『第9回東京国際映画祭[保存版]映画祭日報』(財団法人東京国際映像文化振興会)も出版された。鈴木一誌氏は「第九回東京国際映画祭」のプログラム、日報などの公式印刷物のアートディレクターを務めた。
[*06]フォーマット
レイアウトの基準となる組み方の基本形のこと。判型や、本文に使用する文字の書体や大きさ、1行の文字数、行間、1頁の行数を決定することから、小見出しやノンブル、柱などの位置や形態などを決めることまでを含む。
[*07]フィルムで渡す方法
フィルムとは、写真でいうところの現像されたフィルムと同じ意味。フィルムができていれば、あとは印刷機にセットする刷版というものをつくり、印刷するだけ。つまり、フィルムで渡すということは、印刷工程のかなりの部分まで担当することになる。
[*08]DTP

デスクトップパブリッシング(Desktop Publishing)の略。もともとは、「デスクトップコンピュータを使って出版物を作成する」という意味。最近、特に印刷業界では、デスクトッププリプレス(Desktop
Prepress)の意味で使われることが多い。デスクトッププリプレスとは、コンピュータで製版を含む印刷前工程を行うこと。
[*09]…級数からポイント、ポイントもアメリカンポイントからDTPポイント…
いずれも文字の大きさの単位。級数は手動・電算写植の文字サイズを表し、1級=0.25ミリ。ポイントは活字の大きさの単位で、アメリカ式ポイントと、ディドーョポイントがあるが、日本ではアメリカ式ポイントに基づいている。日本のJIS規格では、1ポイント=0.3415ミリ。DTPポイントは、DTPソフトアプリケーションで使われる文字の大きさで、国際単位系(SI)が採用されている。それによると、1ポイント=0.352777ミリだが、「Illustrator」「QuarkXPress」「PageMaker」などのアプリケーションソフトは、小数点第3位で四捨五入し、1ポイント=0.353ミリの設定になっている。
[*10]…フルのDTPから印画紙で出して写真は通常製版するっていうグラデーション…
フルのDTPとは、写真までパソコンに取り込み、印刷に必要なデータまでをすべてつくってしまう。そのデータを印刷所に渡すこともあればフィルムまで出力して納品することある。フルDTPの手前には、いくつものやり方が存在する。たとえば、文字のみをDTPで組版して印画紙で出力する。画像はアナログ製版をしてフィルムにし、最後に文字のフィルムと合わせて1枚のフィルムを作るというやり方もある。
[*11]…個人的に頼める色校屋さん…

印刷物の制作工程の1つに、色指定した部分がその通りに刷られているかどうかを確認する作業がある。これを色校正と呼び、本番の印刷に入る前に、必要に応じた部数を刷る。印刷所が社内に色校正紙を出す部署を持っている場合もあるが、色校正を専門に刷っている業者に外注することが多い。鈴木氏のように、デザイナーが直接色校業者に発注することは、あまり多くない。
[*12]…テキスト段階でクリーニングをきっちりやっておいたほうが楽…
組版に入る前に、ワープロやパソコンで書いた原稿の段階で誤字・脱字のチェックや、表記統一をしっかりやっておくと、その後の作業が非常に楽になる。
[*13]組版
もともとは活版印刷で使われていた言葉。原稿の指定に従って、拾った活字・罫線などを組み合わせて版を作ること。また、その版を指していた。現在では電算写植やDTPで版下を作成することにも「組版」という言葉を使ったり、「レイアウト」と同じ意味でも使われる。
[*14]帯

本のカバーや箱に、着物の帯のように巻き付けてある紙のこと。本の内容や宣伝が書かれていることが多い。
[*15]行末禁則
日本語の組版は、行末に、起こしのカッコがきたり、行頭に句読点などの約物がくるのを避ける。避けるための処理を禁則処理という。
[*16]スキャニング
写真やイラストなどの画像を印刷するために、スキャナという機械を使って読み取ること。
[*17]ドラムのスキャナ

スキャナには、コピー機のように画像をフラットな状態で走査するフラットベッドスキャナと、ドラムと呼ばれる筒状のものに画像を巻き付けるドラムスキャナがある。一般にフラットスキャナは安価。ドラムスキャナは、安価なものでも百数十万円、高価なものでは一台数千万円するものまであり、フラットベッドスキャナでは実現できない多くの利点を備えている。
[*18]大日本、共同
正式名称は、大日本印刷株式会社、共同印刷株式会社。いずれも大手印刷会社。
[*19]コダクロームとエクタクローム
どちらも、カラーリバーサルフィルム(いわゆるスライドフィルム)の種類。コダクロームは外式フィルムと呼ばれるもので、優れた解像力・鮮鋭性・粒状性が特長。エクタクロームは内式フィルムと呼ばれるフィルム。現在は、エクタクロームの性能が上がり、プロカメラマンもエクタクロームを使っているが、ひと昔前は、再現性へのこだわりからコダクロームを使うカメラマンが多くいた。
[*20]…マットPPをかけるのか、かけないのか、ツヤPPであるかどうかとか、インキをどれくらい盛りたいのかといった打ち合わせをしながら分解…

マットPP、ツヤPPともに紙に施す表面加工のこと。カバーなどの紙の表面にフィルム(PP=ポリプロピレン)を貼ることで、紙に耐水性などの強度をもたせる。マットPPは光沢が出ない加工、ツヤPPは文字通り紙に光沢が出る加工をいう。
その加工の仕方やインキの盛りによって仕上がりが違ってくる。そこまで考慮に入れて画像のスキャニングをすることは、多くの印刷物では行われていないと思われる。
[*21]手動写植
写植とは写真植字の略称。写真の原理を応用したもので、専用の印画紙に文字を1つずつ露光していき、最後に現像する。写植は、大きく手動写植と電算写植に分けられ、手動写植は、オペレーターが一文字ずつ直接印画紙に打っていく。一方電算写植は、いきなり印画紙に印字するのではなく、入力した文字データをいったんコンピュータに記憶させておき、印画紙に1度に印字できる。その前に普通紙で出力し校正することができる。
[*22]詰めデータ
文字と文字の間隔を、文字の形に合わせて詰めて並べること。

●字間を詰めていない文字列
あっという
●字間を詰めた文字列
あっという
[*23]…1枚で出てこようが、ピタピタ貼ってあろうが…
DTPで作った版下は、基本1枚の印画紙に大小、書体の違った文字をレイアウトのとおりに配置することができる。一方、手動写植で作った版下は、大小、書体の違う文字を切り貼りして一枚の版下に完成させることが多かった。

[*24]マイクロライン
印刷に耐えうる文字や罫線を出力できる比較的安価なプリンター。
[*25]アミ点
印刷物の写真の部分をルーペで見てみると、細かな点が見える。この点をアミ点といって、印刷における濃淡はこの点の大きさで表現する。アミ点は写真だけではなく文字などにも使用され、0〜100%のグラデーションをつけられる。100%はベタと呼ばれ、点はなくなり全部が塗りつぶされる。
[*26]…手作業をかなり残そうと…
パソコンを使わずに、レイアウトをしたり版下を作ることを言っている。

[*27]府川充男(ふかわみつお)
編集者、エディトリアル・デザイナー、印刷史研究者(近代日本印刷史専攻)。印刷史、タイポグラフィック研究、文字論関係の論考多数。1993年より阿佐ヶ谷美術専門学校講師(「タイポグラフィ」担当)、同年より株式会社聚珍社の電子情報処理部門ディレクターズフラクションのプロジェクト・マネージャー。著書の『組版原論——タイポグラフィと活字・写植・DTP』(太田出版)が業界の話題を集めた。
[*28]戸田ツトム(とだつとむ)
グラフィックデザイナー、編集者。工作舎の『遊』編集部を経て、戸田オフィス創立。グラフィックデザイナーとして本格的に活動を開始する。『メディア・インフォメーション』(TODAOFFICEプラスK&)、『ウェイブ』(リブロポート)などの雑誌を手がる。また、デザインと科学に関する季刊誌『スフィンクス』を84年に麻布書館から創刊。書籍の造本装幀でも活躍している。
[*29]羽良多平吉(はらたへいきち)
アートディレクター。1980年に創刊されたインディーズ系マガジン『ヘヴン』(群雄社)や、『ガロ』(青林堂)の表紙を手がける。『ガロ』は、1981年から90年の間は背表紙のみをデザインし、95、96年は表紙も手がけた。近年の作品に、『青猫島コスモス紀』(スコラ)、『陰界伝』(講談社)、『月の子』(白泉社)などがある。

[*30]HTML
Hyper Text Markup Languageの略。インターネットのWWWで利用するための基本言語。テキスト形式の文書に、タグと呼ばれる命令語(コマンド)を埋め込んでいく。
[*31]マキノ雅広(まきのまさひろ)
映画監督。1908年京都生まれ。マキノ雅裕、雅弘、正博も用いた。父親は日本映画の父といわれる牧野省三。俳優として出発したが、間もなく監督に転向。第1回監督作品は、「青い眼の人形」(26年)。主な作品に「肉体の門」(48年)、「次郎長三国志」シリーズ(52〜54年)などがある。60年代の東映任侠映画ブームのなかでも「昭和残侠伝・血染の唐獅子」(67年)、「同・死んで貰います」(70年)などをヒットさせた。93年死去。
[*32]…デザイナーの著作権があるかないかという判決が出る
1998年5月29日、東京地方裁判所民事29部は、鈴木さんの「著作権使用料等請求」を棄却。現在、鈴木さんが東京高裁へ上告している。

[*33]…全角でやろうが、プロポーションでやってもいいけれど…
文字の中心から次の文字の中心までの長さを字送りという。字送りを文字の大きさと同じ数値に設定するのが全角送り。プロポーションとは、文字の形に合わせて字送りをしていくことをいい、隣り合っている字の組み合わせによって、字間が変わってくる。手動写植では全角送りよりもプロポーションで送っていくほうが手間がかかったが、DTPでは、全角送りがむしろ難しいといわれている。
[*34]…四六で縦横ある、菊で縦横ある紙はものすごくトータルに本作りができるでしょ…
四六、菊ともに印刷用紙のサイズの名称。印刷用紙のサイズは書籍のサイズに対応していて、四六判の書籍を作るときには、四六判の印刷用紙を使うと紙の無駄が少ない。また、紙は繊維の流れの方向によって縦目と横目に分けられる。例えば、本が仕上がったときに本文用紙は縦目(のどに対して繊維が平行)になっていないと、頁がめくりにくくなるため、印刷用紙を決める際には、紙のサイズと目を考慮に入れる。四六判で縦目しかない紙もあり、各サイズに縦目横目のある紙は本の作り手側にはありがたい。
[*35]花布(はなぎれ)
製本段階で、本の背の天と地との両端にはりつける布地。本来は補強を目的としたが、現在は装飾的な要素が強い。

注に関する参考資料

●『第9回東京国際映画祭[保存版]映画祭日報』(財団法人東京国際映像文化振興会)
●アサヒグラフ別冊『日本映画100年』(朝日新聞社)
●『プリプレス用語集 この一冊でDTPがかわる』(大阪府印刷工業組合)
●『クリエーターのための印刷ガイドブックDTP入門編』(玄光社)

『ネガ&リバーサル カラーフィルム撮影ハンドブック』(玄光社)
●『実戦デジタル写真術』(ディー・アート)
●『日本語の文字と組版を考える会 会報第1号』(日本語の文字と組版を考える会)
●『日本語の文字と組版を考える会 会報第3号』(日本語の文字と組版を考える会)
●『新編校正技術 上巻』(日本エディタースクール出版部)
●『デザインの現場』(98年8月号・美術出版社)

星への筏 著/武田雅哉 発行所/角川春樹事務所
発行日/1997年10月18日 定価/3000円

第9回東京国際映画祭[保存版]映画祭日報 監修/東京国際映画祭
組織委員会事務局・山根貞男 写真/首藤幹夫
発行所/(財)東京国際映画映像文化振興会

海市(ICCオープニング展覧会パンフレット)
監修/磯崎新 発行所/NTT出版 発行日/1997年4月19日

第9回東京国際映画祭日報0〜10号 監修/山根貞男
発行所/東京国際映画祭、組織委員会事務局
発行日/1996年9月25日〜10月6日

大図解 九龍城 写真・文/九龍城探検隊
絵/寺澤一美 監修/可児弘明
発行所/岩波書店
発行日/1997年7月10日 定価/2600円

SFへの遺言 著/小松左京 発行所/光文社

発行日/1997年6月30日 定価/1800円

ランティエ叢書2●江戸前食物誌
著/池波正太郎 発行所/角川春樹事務所
発行日/1997年7月8日 定価/1000円

ランティエ叢書3●山歩きの愉しみ

著/串田孫一 発行所/角川春樹事務所
発行日/1997年7月8日 定価/1000円

ランティエ叢書5●冒険者と書斎
著/開高健 発行所/角川春樹事務所
発行日/1997年9月18日 定価/1000円

図08●鈴木氏が提案した『ページネーションのための基本マニュアル』
ホームページでも公開されている。
[PDF版]http://www.jpc.gr.jp/jpc/download/
[Text版]http://www.pot.co.jp/moji/index.html/

メタボリズム 著/八束はじめ・吉松秀樹 発行所/INAX出版
発行日/1997年10月1日 定価/2800円

20世紀年表 発行所/毎日新聞社 発行年/1997年9月30日
定価/9500円 朝日新聞

ジャパン・アルマナック 発行所/朝日新聞社
発行日/1997年10月30日
定価/1600円

建築家30人の“わが家”プロは自邸をこう建てた
著/佐藤健 写真/杉全泰

発行所/講談社 発行日/1997年11月4日
定価/2600円

銀幕ロマン館 時代劇スター大行進 責任編集/山根貞男
発行所/淡交社 発行年/1997年11月1日
定価/2500円