ず・ぼん4●富山県内の『ず・ぼん』の行方 『ず・ぼん』データ消滅のミステリー
富山県内の『ず・ぼん』の行方
『ず・ぼん』データ消滅のミステリー
取材・文●長岡義幸
[1997-12-10]
富山県内の図書館が使っているデータベースから、かつては存在した「ず・ぼん」の書誌データが消えていた。
いったい、図書館の内部で何が行われたのか。真相を知るべく、富山県立図書館を取材した。
「天皇図録」事件が背景に?
「ず・ぼん」編集委員の堀渡さんは九七年一月、富山市立図書館のレファレンスコーナーで見たパソコン上の図書データベースの検索結果に驚いた。『ず・ぼん1』のデータがこつ然と消えていたからだ。
検索をしてくれた市立図書館の館員も「以前は引けたからあるはずなんですけど。へんですね」と首をひねるばかりだったという。
実は九六年四月、堀さんの知人の図書館員ふたりが同じ富山市立図書館に赴き、書誌データの存在を確認していた。堀さんもまた同日中にその事実を知らされていた。今年一月の富山行きには、このときの検索結果を実際に見ていた図書館員も同行していたから、堀さん自身いっしょにこの目でデータを確かめてみるつもりだったのだ。
ということは、一年弱の間に『ず・ぼん1』のデータがなんらかの理由で“抹消”されていたということなのだろうか。
「市立図書館で検索してもらったデータベースを実質的に運営しているのは富山県立図書館です。県立にとっては当然『ず・ぼん1』は気に入らない内容だろう。しかし、理由もなく消されるというのはふつうあり得えない。図書館界の常識では考えられないことなんですが、意図的に消したと考えてもおかしくはないでしょう」
堀さんはこう思わざるを得なかった。
『ず・ぼん1』の内容は、本誌読者ならご存じのとおり、自民党・社会党の富山県議、右翼団体の抗議によって富山県立近代美術館が廃棄処分にして、収蔵していた富山県立図書館が非公開措置にした「天皇図録」の事件を特集した号だ。美術館の行為はもとより、自らを“国民”の「知る権利」の主体と位置づける図書館で起きた出来事だからこそ、県立図書館のあり方を問う内容になっている。もちろん、誌面には右翼らの“攻撃”を受けた大浦信行さんの一連のコラージュ作品「遠近を抱えて」もカラーで掲載していた(ちなみに、県立図書館は収蔵していない)。
このような経過もあって、関係者ならずとも『ず・ぼん1』が不当な扱いを受けているという疑念が湧いてくるのは自然なことだ。県立図書館にとっては、自らにかかわる“不快”な出版物だから、データ上、存在しなかったものとして扱おうとしたのだろうか?
“復活”していた図書データ
「そんな話しはじめて聞きましたね。どういうことなんですか?」
八月上旬、富山県立図書館を尋ねた。さっそく加藤淳館長に、『ず・ぼん1』のデータが消去された理由を説明してほしいと切り出すと、逆にこちらが質問されてしまった。取材の趣旨は電話で事前に冬木勲副館長に伝えてあり、なぜ訪問したかは了解済みのことだったはずだ。
「私ではよくわからないので、担当の詳しい者を呼んでみる」と加藤氏がいうので待っていると、普及課の林俊一課長がやってきた。顔を見て気がついたのだけれども、林氏は九六年、新潟で開かれた図書館大会の「図書館の自由」分科会で、「天皇図録」問題の経緯を富山県立図書館で働く一職員として会場発言をしていた人だった。ならば話がはやそうだと、内心“安心”してしまった。
ところが、その林氏に同じ質問をしてもどうも要領を得ない。
「では、実際のデータベースを見せてほしい。話はそれからにしましょう」と水を向けると、林氏がしぶしぶというふうに席を立ち、電算室に案内してくれた。
パソコンの前で林氏は、パスワードらしきものを入力する。そのあとカタカナですらすらと書名を入れたら、消えていたはずの『ず・ぼん1』のデータがほとんど間をおかずに画面上に現れた。
それは次のような内容だった(表1を参照。プリントアウトしたデータから。引用時に一部の記述を補足した)。
ついでに、『ず・ぼん2』と『3』の検索も頼んでみた。『2』は以下の内容で登録されていた(表2を参照。『3』もほぼ同様の表記。ただし「出版事項」中の発行元名は「ポット出版」になっている)。
結局、消去されていたはずのデータが少なくとも九七年八月上旬の取材時点では復活していたのだ。とすると、堀さんらはなんらかの錯誤によって、登録されていたはずのデータを発見できなかったということになってしまうのだろうか。私にとっても、取材そのものが無駄足だったということになりかねない。
しかし、データが存在していたからといって別段、驚くようなことではなかった。消されていたデータが再入力されているらしいという情報を取材に出かける前にうわさとして得ていたからだ。しかも、あらためて登録された書誌情報は、タイトルが変更されているらしいという話も伝聞として知っていた。取材者である私にとっては、実際にそうだったことをこの目で確認できたというだけのことでしかなかった。
館長は「不思議だね」を連発
実は堀さんの知人が『ず・ぼん1』のデータを確かめたときは、書名の表記は「ず・ぼん’1」となっていて、『ある自画像の受難 ?富山県立近代美術館・図書館事件?』ではなかったという。タイトルが変更されたというのはそういう意味だった。
電算室で出力してもらった検索結果を片手に、再度、加藤氏と林氏に事情を尋ねた。
「『ず・ぼん1』のデータが引き出せなかったのは実際に確認した人から聞いた事実ですが、それはどういう理由だったのか教えてほしい」
「不思議だね。そんなことがほんとうにあったんですか」
加藤氏は同じ答えを繰り返したうえで、こんな考えを述べた。
「ひとつはっきりしているのは、県立図書館がデータをなんとかするということはありません。情報を制約するようなことはしない。データの利用もそれぞれの図書館の自由にやってもらっています。県立図書館はサービス機関だから市町村立の図書館への補助はしますが、規制はしていませんよ」
館長の話を継いで林氏はこう説明した。
「あくまでも一般論ですが、データの引き方はいろいろあります。前に借りた本が出てこないと利用者から苦情をいわれることもありますから。書籍を雑誌と間違えて引くとか、著者名を一字アキで入力するのにベタで入れると出てこないとか。ないとおっしゃられても実際にはあったということはよくあるんです。職員が引けばちゃんと出てくるはずなんですけどね。どのような引き方をしたんですか」
素人が自分で端末を操作すれば間違いもあると言いたげだ。図書館以外の公共機関、学校などでも図書データの検索が可能になっているシステムだと聞いていたけれども、汎用性がないのならデーターベースの設計そのものに欠陥があると自ら言っているようなものではないか[*]。
「富山市立図書館のレファレンスの係の人が検索したときいています。図書館のプロでさえ引き出せなかったということですよ」
こう応えると林さんはしばらく沈黙してしまった。そこで、再度、ほんとうにずっとデータが存在していたのか念を押してみた。
「パソコン通信を通じてデータを提供しているので、場合によっては回線が切れることもあるかもしれない。それで引けないということはあったかもしれません。私どもの方もしょっちゅうデータをいじっているんです。間違いを直さなければならないときは、遡及入力もしている。TRC(図書館流通センター)のデータなら、辞書がちぎれるというのもよくあることです。メンテナンスはしょっちゅうのことなんですよ。それで、システムが不安定になることもあったのかもしれません」
「あくまでもデータは存在していた。しかし、引き方が悪かったか、システム上の問題でたまたま検索できなかったに過ぎないということなんですね」
「理由はわかりませんが、一般的にはそういうことだと思います」
それなら、『ず・ぼん1』のタイトルが変更されていたのはどうしてなのか。
「いまのシステムにバージョンアップしたのは昨年の四月です。現在は二十四時間稼働のシステムになっています。その間、データが変になって困ったことはあるんですが……」
「『ず・ぼん1』もそれで入れ直したということですか。でも、題名が変わってしまうというのもおかしいんじゃないですか。それとも、もともとその題名だったとでもいうんですか」
「……。どういうことだったのかわかりません」
「それならデータの入力日と更新日を教えてください。はじめから同じデータだったのか、途中で変えたのかわかるはずではないですか。その日付がいつだったかで判断できることもあるでしょうから」
「画面からは隠しているので、すぐには見られないかもしれません。システムの運用は私のところでやっていますが、細かいところは業者にやってもらっているので……。対応できるかどうか、いますぐにはわかりません」
「紙の目録にだって登録日が記入されているんですから、コンピュータで管理されているデータでも同じではないんですか。いますぐ調べてください」
結局、林氏と私のやりとりを聞いていた加藤館長が、システムのことはわからないが調査はすると約束したので、後日、その結果を尋ねることにした。
市立図書館はデータを提供していた
県立図書館が運用しているデータベースは、もともとは県内図書館の収蔵図書を網羅したカード式の「総合目録」を基礎にし、それを電子化したものだ。現在は県立図書館のほか、富山市立、高岡市立中央、魚津市立、砺波市立、大沢野町立、富山大学付属、県立大学の各図書館の図書データを逐次収集し、「とやま学遊ネット(富山県生涯学習情報提供ネットワークシステム)」の一部として県内図書館や利用者向けに情報提供を行っている。
その「学遊ネット」の特徴のひとつは、ある図書館が未所蔵であっても、ほかの図書館に収蔵してあれば一目でわかるしくみであること。図書館間の相互貸借に使われ、利用者にとっても他館を含めて図書の存在が把握できるので、それなりの利便性がある。
『ず・ぼん1』の場合は、堀さんの知人が検索したときには富山市立図書館にあると表示された。実際に書庫から出してもらい閲覧もしている。ところが、今回の検索結果では収蔵図書館から富山市立の名が消えていた。これはいったいどうしたことだろうか。
林氏はこう説明した。
「原則としては郷土資料のデータは入れていない。カード時代からそうでした。富山市立図書館では『ず・ぼん1』は郷土資料の扱いになっていると聞いている。市立図書館からデータが届かなければデーターベースには入らないということです。ただTRCのデータをそのままもらっていれば郷土資料でも入ったりすることはありますが」
「でもいったんは入力されているんですよ。郷土資料だからというのは、理由にはならないのではないですか」
その質問には、加藤館長が「不思議だね」と言うだけだった。
その後、富山市立図書館のレファレンス担当者に確認したところ、「この本は郷土資料の扱いにしています。しかし県立図書館にはそっくりそのまま新刊データを渡しているので、(市立図書館がデータを操作したといった)心配はない。データがないとか、市立図書館の名前が出てこないということは、県立図書館のほうの問題なのでそっちに聞いてほしい」と説明し、あくまでも運用者たる県立図書館の判断であることを強調した。
県立図書館の言い分に整合性がないことが明らかになったといっていい。
糊塗を重ねる県立図書館
『ず・ぼん1』が消去されていた件は日本図書館協会の「図書館の自由に関する調査委員会」の近畿地区小委員会でも対応することになり、富山県図書館協会(事務局は県立図書館の普及課内)にも問い合わせが行っていた。ところが解せないことに加藤館長は「聞いていない」という。普及課長の林氏は隣でただ黙っていた。
ことほど左様に、『ず・ぼん1』にかかわる疑問点には加藤館長、林課長とも「わからない」か「どういうことなんでしょう」と応えるのみだった。
「意図的に消したのではないかという心証が強まった。そう受け取ってもいいのですね」とあえて尋ねたが、加藤館長は「そう思われるのなら私の方はなんとも言えない」と語り、これ以上“弁明”はしなかった。
誤ってデータを消してしまうといったことはどこの図書館でもよくあるそうだから、取材に行く前はその可能性も否定できなかった。明確な説明があれば“納得”できることもあっただろう。けれども、直接話を聞いていっそう疑惑が深まってしまった。
もしかしたらこんな経過だったのではないだろうか。気に入らない資料だからデータベースから消してしまったものの、日図協が動き出したからあわてて復活させた。しかし同じタイトルで再登録してしまったら検索できなかった理由の説明がつかない。書名を変えておけば検索者の技量の問題に転嫁できるだろう——。仮にそうだとしたら手の込んだ、けれどもあらの目立つ“糊塗”策だ。
県立図書館を訪問したときに調査を求めた更新日の件は、その後、林氏に電話で問い合わせたところ、「更新日はわからない。登録日ならわかる」と回答。その場でパソコンを操作しているらしい音が聞こえてきて、すぐに「九六年六月二七日です」と答えた。直接赴いたときは入力日もすぐには調べられないといっていたにもかかわらず、なんとも簡単にデータが出てきたものだ。
それ以上に不可解なのは、堀さんの知人がデータを確認していたのは九六年四月だから、六月にはじめて登録したというのでは話のつじつまが合わなくなってしまうことだ。
「それ以前に見ている人がいるのだから、その日付ではおかしいのではないですか」と林氏に尋ねると、またまた「なんともわからないです」と答えるのみ。結局、“言い訳”は二転三転して、いっそう“謎”が深まっただけだった。
富山県立図書館は「天皇図録」問題でもかたくなな態度を貫いている。右翼によって切り裂かれた「図録」の所有権を放棄し、『ず・ぼん1』など「図録」関連資料の受け入れも拒んでいる。相互貸借による「図録」の貸し出し予約にも応じていない。
加藤館長は「裁判が続行中で、前任者の引き継ぎ事項でもあるので、いまの状態ではベストの対応だろうと考えています。内容ではなく、あくまでも管理運営上の問題です」と、従来からの見解を変えていない。
では、未来永劫その状態を続けるのかと質問したところ、「変わるファクターはいくつもあるでしょう。東京裁判の資料のようにいずれ公開されるということもありますから」という答えだった。いったい何十年待てというのだろうか。
「図録」そのものへの対応も、今回の登録データの抹消も、根はいっしょだろう。県立図書館が“原則”を回復する道のりはまだまだ遠そうだと思わずにはいられなかった。
[*]富山県立図書館への取材後、富山市立図書館で『ず・ぼん1』を検索してもらった。ところが“プロ”の図書館員でさえ、タイトルが変更されているために、自力でヒットさせられなかった。図書館員でも使えないデータを県立図書館は入力していたというわけだ。