ず・ぼん3●[わたしの図書館宇宙3]「レファレンスの、か・い・か・ん」
[わたしの図書館宇宙3]「レファレンスの、か・い・か・ん」
新海きよみ
[1996-09-05]
新海きよみ
しんかい・きよみ●おとな。立川市図書館レファレンス丁稚。理想と現実の間の深く冥い河を相変わらずもがき泳ぐ○歳。『疲れても絶望しない。』『疲れたらすぐ休む。』そして『楽しくお仕事したい。』
前回の最後に書いたように、去年の4月から調査資料係でレファレンス・サービス修行中の身であります。実は長いこと「自分にはレファレンスは不向きである」と思い込んでいた。生来が、無精でズボラで飽きっぽい。探し物が下手。うっかり者。地道な努力が苦手。諦めが早い。ね、レファレンス・ライブラリアンに必要な資質をことごとく裏切っているでしょ?
それに、わたしはいつも自分は “図書館界のはずれ者”——だと思っていて、レファレンスなんていう王道中の王道は、純血のメイン・ストリーマーの方たちが究めればいい、と……正直言って、いつもお任せ気分だったのね。
新人時代にまともに学ぶ気さえあったならと悔やまれるけど、しょっぱなに「ダメダ、こりゃ。」と思ったままうかうかと時を過ごし、今となっては、年経たわたしに、誰も何にも教えてくれやあしない。
そう、いつのまにやら8年の歳月を図書館で過ごしてしまったわたしは、黙っていると結構ものを知っているに違いない、と誤解されてしまうのであった。これは結構辛い。
知ってて当然のことを全く知らない。そのことにまず自分で呆れる。ちょっと自己嫌悪に陥ったりする。さすがにね、こんなに知らない事ばっかりなのか、とがっくりきますね。おまけに自分より若い人達の勇姿を目の当たりにすると(うちの係の園ちゃんも有能だし、先輩に誘ってもらって「三多摩レファレンス探検隊」なんて集まりに何度か参加させて頂きましたが、ここのお若い皆さんなんかホントに優秀で、わたしは自分の年を考えて悄然としてしまいました。)ガガーン!
わたしはおとなにしては「知らない」ってことが平気で言える人間で、それ自体はけっこういい所、と思っていますが、目尻に皺が増えるにつれて、このままじゃいかん、と思うようになりました。だってかっこわるいんだもん。
わたしは図書館がすきで、図書館員の仕事がすきだ。ほんとに面白くて奥が深い仕事だと思う。ついでにもっと赤裸々な告白をしちゃえば、図書館員であることに誇りとアイデンティティを持っていると言っても過言ではない。
はずれ者とはいえ、わたしはけっこう理想だけは高いんである。よりよい図書館サービスを展開するには、そのために必要な専門性ってのが絶対あると信じてる。レファレンスもその一つ。今までは回りに頼れる先輩がいっぱいいたから、そっちで必要とされる専門性は安心して皆さんにお任せして好き勝手なことをしてもいられたが。いい年こいて今のままでは「基本も身に着けずにエラそうなこといってんじゃねえやい!」と言われたら返す言葉が無い。
ミーハーでありながら、質問を受けたら余裕の笑みを浮かべつつ適確な対応ができる、ってのが一番かっこいいもんね。そのためには苦手な努力も一度は試みなくては!と、一念発起した所までは、わたしには珍しく前向きな、刻苦勉励路線だったのですが。
正直言って4月からの半年あまりは毎日が針の筵でした。あまりにも日々刻々と、自分の無知・無能力を思い知らされて。カウンターに出るときは、どんな質問を喰らうかとガチガチに緊張していた。
何しろ基本が全く身についてないから、例えば漢字・漢語なら諸橋の大漢和、日本史なら國史大辞典、和歌なら国歌大観、とかいうこともぜ〜んぜんっ!思い浮かばない。このへん、同じ4月からの配属ながら教養のある忠さんなんかは楽々クリアしていて、つくづく我が身が情けなかった。ようやくそういったご立派な資料の存在を朧気に見知ってからも、今度はそれぞれの参考図書の使い方がわかんない。利用者が側に居て焦ってる時なんか、凡例見ても訳わからんは、索引は見つけられないは、そりゃあもう、てんやわんや。かえって利用者の方が必要な資料を早く発見しちゃったりして、「よかったですね。」なんて、愛想だけでカヴァーするしかなくて。今、少しはそういう事がわかりかけて来たのは、実に実に、この1年足らずの経験のおかげ。本も人間と同じで、親しく付き合ってみなくちゃ気立てや質は分からない。レファレンス本なんてみんなしかつめらしい顔しててとっつきにくいけど、根はいい奴が多いかもしれない。
それにレファレンスって、付き合い方が人間的でしょ。常連さんの読書傾向も大体掴め、相手によっては「ダンナ、いいのが入りましたぜ」なんてオススメも出来る小さい図書館からすると、デカイ中央館てのは人情味が乏しくて…と思っていたわたしですが、実はレファレンスがこんなに利用者との信頼を深めるってことを知りませんでした。
ラッキーで拾ったレファレンスで、後々までご丁寧に「先日は本当にありがとうございました。」なんて頭を下げて頂くと、こっちの方が恐縮して、穴があったら入りたいよなもんですが、役得ながらほのぼのしあわせな気持ち。「やっててよかった、公文式」ってなもんです。
それと意外な事に、こんなに根気のないわたしが、手のかかるレファレンスほど解決した時の快感が大きい、という真理にも気付いてしまった。私見ですがレファレンスって結構マゾっぽい人のほうがはまるでしょ?わたしはどちらかというとS系だから、その線からも絶対はずれるなあと思ってましたが、人間てやっぱり両面合わせ持っているのかも。ちなみにわたしの今までの快感レファレンスは——
(1)「成長期のラットの必須アミノ酸必要量を知りたい。」
(2)「穂積八束の“民法出デテ忠孝亡ブ”を探している。また、この人ともう一人の民法論争の内容が知りたい。」
(3)「窪田精の“フィンカム”という作品が読みたい。」
(4)「ソルジェニーツィンが1960年代にアメリカのハーバード大学で行った講演の記録が読みたい。」なんてとこかな。(詳しく知りたい方は「レファレンス実践録」を御覧ください。けっこうオマヌケ、の実例でもあります)ベテランの方々から見ると“楽勝”の事例かもしれないけど、わたしときたら、あっちに回り道、こっちで行き止まり、とずいぶんてこずったものだから、回答に辿り着いた時には「AH!か・い・か・ん!」
だからもしかして、物知らずの人間の方がいっぱい気持ちよくなれて得なこともあるかもね。
もちろん、回答に辿り着けなくてギブアップしてしまったり、「もういいです」と利用者に見捨てられたりした事例は、快感レファよりずっとずっといっぱいあって、そういうのは喉にひっかかった小骨のように、いつまでもしこりが残ってしまうけど。
でもね、かつてのわたしのようにレファレンスを食わず嫌いしてる人、もしいたら、どうぞご安心を。
正直言って以前のわたしはレファレンス受けただけで「めんどー」とか思っていたし、今でも地道なシラミ潰し調査なんかだと、調査中に心と頭があちこち飛んでしまってきっちり詰めていくことができなかったり、飽きちゃってイヤンなることも多いです。(ゴメンナサイ!)
でもこんなわたしでさえ、失敗しながらも結構楽しくレファレンスの日々を送ってるし、それなりの快感てのが絶対あるんだから、ホント。
ま、いまだに“目の前レファ”(利用者が目の前や隣にいて、資料あたるとこから何からずっと見てる。見当違いなことしてるのも丸見え、物知らずもモロ出し。)と“今すぐレファ”(今すぐ回答が出ないと間に合いません、と言われる)の地獄には慣れることができなくて、あがりまくりー!!だけどね。