2008-04-09
お部屋1447/あれやこれやの表現規制 3
さすがオリンピックだけあって、大変な盛り上がりですね、火消し競技。
ロンドン大会では攻め切れずに惜敗を喫した妨害チームですが、人権宣言の地のプライドをかけたパリ大会では見事3ポイントゲットして快勝です。
間もなく始まるサンフランシスコ大会では、試合前から妨害チームが勝利宣言の横断幕をゴールデンゲイトに出して出場停止処分をくらっていて、こちらでも乱戦が予想されます。
月末の長野大会は、警備チームの守りが厚く、聖火ランナーの姿は見えないでしょう。対する妨害チームの選手層は薄いと予想されるため、外国人選手の強化が急がれるところです。
この事態を受けて、法輪功の選手が参加するとの情報もあるらしい。気功で火を消す作戦か。恨み骨髄でしょうから、火ぐらい消せそうな気もします。
このような妨害行動を支持はせずとも、妨害チームにシンパシーを抱いてしまうことはとめられません。妨害チームは聖火の火を消すための消化器は準備していても、非暴力による行動のように見えます。スポーツマンシップに則り、正々堂々と聖火の火を消そうとしているわけです。
すでに書いたように、私はオリンピックは中止にすべきではないと考えてまして、アウェイでのより効果的な抗議の場を存分に活用すべきです。フランスチームは選手自身が抗議バッジを着用すると発表、各国の抗議活動競争も北京オリンピックの見所です。
この調子だと、サッカーの試合が終わってユニフォームを脱ぐと、体にマジックで「FREE TIBET」と書いてあるシーンなどが次々と見られそうです。
さて、本題。パリ大会についても、「産経新聞」が多数の写真を出してます。
いいですね、手錠の黒五輪旗。欲しいな。「国境なき記者団」が作ったもので、「国境なき記者団」のメンバーも競技に参加して3名逮捕。
今回の写真でも逮捕者、抗議グループ、警察、警備、見物人の顔が大量に出てます。
違法行為の現場では、その行為者は肖像権の行使が制限されます。写真を撮られてもやむを得ないってことです。聖火ランナーを妨害する行為はこれに該当します。現場じゃなくても容疑者や犯罪者の写真は無断で出していいわけですし。
また、公務中の警察官には肖像権がありません。「最初からない」とすべきか「行使できない」とすべきかよくわからないですが、どちらにしても、顔を写していいわけです。
もちろん公務員であっても、私生活を撮られていいということにはなりませんが、顔を晒して選挙に出て、議会でも顔を晒している政治家については、さらに肖像権は制限されましょう。私生活において写真を撮られてさえ文句は言えないのではないか。選挙に協力しているのであれば、妻も同様。
古い写真を選挙公報に出し、選挙民を欺いて選挙に当選した東村山市の矢野穂積市議と朝木直子市議が、市議として参加している場で写真撮影を拒否するのは、彼らがいかに市議としての自覚がないのかを明らかにしてます。
だから、市議としての仕事をしないで趣味の訴訟競技に熱中しているのですね。攻めは強いのですが、守りに弱いので、たいてい負けてます。現在も守りに入ってますが、無駄かと思います。
聖火ランナーも当然肖像権放棄ってことです。公然とパフォーマンスをやっているのですから、「顔を写されたくなかったら、そんなことをするな」って話にしかなりません。今回のような騒動がなくても写真は無断で撮られて、無断で公開されてしかるべきです。
このような人にも許可をとらなければならないとなれば、聖火ランナーを呼び止めて、「写真撮っていいですか」と聞くしかない。捕まりますよ。相手の行動を尊重するためにも、許可はとらなくていい。
この場合は誰が聖火ランナーであるのかわかってますから、事前の許可申請も可能ですけど、個人の肖像権をクリアするために、数百という報道関係者から撮影の申し込みがランナーにあったら迷惑でしょう。「明日は朝が早いのに」って腹が立ちます。
著作権もそうでして、過剰に著作権に配慮する人たちは時に迷惑です。引用するのにわざわざ連絡してくる人たちがいて、「引用は黙ってやればいいだろうがよ」って思います。連絡するとしても、「引用させていただきました」って報告で十分であり、それがなかったとしても問題なし。
まだまだ肖像権の話は続きます。
件のブログで
「昔はよく新聞記者は新米の時、死亡事故の死者の写真をとってくるように言われて、すごくつらい思いをした、という話をよく耳にしましたが今はどうされているのでしょう。」
という質問に対して
阿比留記者様は
「この作業は、私も写真入手はそれほど得意ではありませんがやりました。現在は、以前と比べ、事件事故の死亡者の写真を紙面に掲載することが減っているので、作業自体も少なくはなっていると思います。しかし、数年前の関西地方の電車脱線衝突事故のような場合には、犠牲者の顔写真を主に社会部員と地方支局員が集めます。その際、ご遺族が抵抗なく写真を貸してくれることもあれば、いやだと言われることもあり、人によって対応もいろいろです。個人的経験では、家族やその周囲から写真が入手できない際には、学生であれば在籍・出身の学校のアルバムなどを関係者や友人から借り、接写したという経験はあります。ただ、それに対するクレームは特にありませんでした。 」
と回答されていらっしゃいます。
阿比留様は、上記のように誠実、正直にお答えになる方なので、あまり突っ込みたくは無いのですが、有村議員の「肖像権」に関する質問に賛同されているのを見ると、やはり「新聞」では良くて、「ドキュメンタリー映画」ならダメなの?
と突っ込みたくなります。
新聞において、あとのクレーム云々は、事実上救済措置に結びつかないでしょうし。
言っておきますが、ムチャ長いです。
私は古い写真、とりわけ写真館で撮った営業写真というものが好きでありまして、以前は毎週、「マツワル」で公開して、その写真の意味を解読してました。その時も死者の肖像権はどうなのかと気にはなったのですが、なにしろ私が収集しているのは明治のものが中心なので、まず問題にはなりません。
ちょっと前にモンローの肖像権に関する記事が報道されていて、ニューヨーク州では死亡時に消滅、カリフォルニア州では死後も残るとあります。
http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20080401010002381.asp
これは財産権のことなので、人格権がどうなのはわからず。ネットで検索してみましたが、見当たりません。
おそらくニューヨーク州でも、死ぬや否や、人格権が消滅するってわけではなく、著作者人格権同様、人格権としての肖像権は一身専属の権利で、死後も消滅しないということになっているかと思います。でも、それが合理的に思えるだけで、本当にそうなのかどうかは不明です。
日本ではなにしろ独立した法律がなく、これについての判例もないようなので、何を基準していいのかもわからないのですが、遺族に許諾をとればたいていの場合は問題は生じないでしょう。死後、人格権が残るとしても、クレームをつける主体が遺族以外にはあまり考えられませんので。
しかし、阿比留記者は、遺族は写真を貸すのを拒否したのに写真を新聞に掲載していたってことですよね。もっとあとのコメントで【どうしても写真掲載はしてほしくないという人がいれば、それは別途写真を入手していたとしても、当然考慮しただろうと思います】と書いてますけど、有村議員が現役自衛官について「靖国」を批判しているのは、「拒絶したのに撮影した」という話ではなく、「許諾をとっていない」ということですから、阿比留記者が説明すべきは「遺族以外から借りた写真を新聞に掲載するのに遺族の許諾をとったかのかどうか」です。とってないでしょ、たぶん。
だからといってそれを私はことさらに非難する気はないです。ただ、有村議員の発言を支持することとの整合性を問わないではいられません。
【肖像権や個人情報が大きなテーマとして重視されるようになったのは割と近年の話で、私が顔写真集めを経験した十数年前には、一般人についてはあまり言われることはありませんでした】ともあって、一般的に大きなテーマになったのはたしかに近年ですが、肖像権は日本でも昭和20年代から訴訟が起き始め、昭和40年代には確立していた権利です。
私だって20年以上前にだいたいのことは把握してましたぜ。そこから進歩していないことが問題ですが。
なのに、「あまり言われることはなかった」というのは、「産経新聞」(あるいは他の新聞社も)が肖像権を重視していなかっただけのことで、なんの言い訳にもなりません。
クレームがあったか否かは判断の基準にはならず、親族が亡くなった時に、遺族はいちいちクレームはつけんでしょ、普通。
実際問題、「靖国」では揚げ足とりのために文句をつける人たちが出てきただけで、同じことはテレビであろうと映画であろうと雑誌であろうと、いくらでもやっていることです。つまり、「靖国」の手法は通常クレームがつくはずのないことです。
すでに書いたように、また、これからひとつひとつ説明していくように、宣伝利用だけ微妙ですが、あとは法的には問題がないことなのですから、どこのメディアもやっているのは当たり前です。としか私には思えません。しっかり肖像権を理解した上で、なお違法性があると言っている人っているんですかね。ネットを見る限り、「有村議員が言っているから」と鵜呑みにしている人たちしか見当たらないです。
【何かの事件 事故を報じる報道目的の場合、写真掲載=肖像権の侵害とストレートに結びつくものでもない場合もあるでしょう】というのは「報道の自由」のことを言いたいのでしょうけど、「報道の自由」は新聞にのみ認められているのではありませんし、事件・事故の報道のみに認められているものでもありません。
甲斐良一著『写真と人権』(東京写真専門学院) にこうあります。
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「表現の自由」「報道の自由」などというと、一部マスコミ機関関係者には、マスコミ機関の特権を保障した権利であると誤信した向きがある。こういう誤認はえてして新聞記者に多くみられる。新聞記者に特権はないのである。
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では、加害者の写真や事故現場、犯行現場を出すのは公共の利益があるとして、被害者や事故の犠牲者の顔写真まで出すことに公共の利益があるのかどうか、報道の自由の範囲かどうか。顔を出していいと覚悟して被害者、犠牲者になったはずもなく。
現に掲載することが減っているのは、「まずい」という判断があるからではないでしょうか。あるいは阿比留記者の知らないところで、クレームが増えているのではないでしょうか。
私もここは公共の利益があるに1票入れたいところですが、法曹関係者でも意見が分かれるのではなかろうか。なんにしても、「靖国」における自衛官の肖像権よりはるかにこちらの方が微妙な問題、つまりグレーゾーンかと思われます。
だからさ、メディア関係者が肖像権に関する有村議員の質問を支持すると、「おまえはどうなんだ」と突っ込まれて困ることになると思いますよ。
おそらく阿比留記者は肖像権のことをちゃんと理解できてないと思われるので、ここはしっかり調べて、有村議員の発言の中で、この部分は支持できないと表明しなおすべきかと思います。
松沢様、お忙しい中、明快で詳細なコメントありがとうございました。
大変勉強になります。
あくまで、WIKIPEDIAによれば、ですが稲田朋美議員は
「(稲田氏が)主任弁護人を務める「南京百人斬り競争名誉毀損裁判」の経過報告を『WiLL』2006年6月号及び8月号に掲載したが、その際「百人斬り」をしたとされる被疑者の刑死写真を原告団(被疑者遺族)に無断で掲載。更に2006年10月13日に九段会館で行われた「(百人斬り裁判を)支援する会の決起大会」においても、同大会配布資料に刑死写真を無断掲載し、「(百人斬り裁判を)支援する会」及び「英霊にこたえる会」より注意を受けたが謝罪を拒否。「英霊にこたえる会」等は、「稲田弁護士は弁護士法第一条(弁護士の責務は人権擁護と社会正義実現)に違反している」として、2006年11月21日大阪弁護士会の綱紀小委員会において懲戒委員会に付託するよう請求した。」
そうです。
とすれば、有村議員は稲田議員も糾弾しなければならないはずですね。
なるほど。改めて整理しましょう。
「百人斬り裁判」において、稲田議員は「死後、肖像権は消滅する」あるいは「死後、肖像権は消滅しないが、この場合は公共の利益が優先する」と考えているのだと思われます。
対して「支援する会」と「英霊にこたえる会」は、これを違法だとするのですから、「死者に肖像権はあり、公共の利益に優先する」と考えているのでしょう。
阿比留記者は、事故・事件の犠牲者、被害者の写真を遺族に無断で出していたと推測できますから、稲田議員と同じ考えです。したがって、「支援する会」と「英霊にこたえる会」を批判する立場にあります。
「靖国」において、稲田議員は肖像権を理由に批判はしていないかと思われますので、矛盾は生じておらず。
「靖国」において、有村議員は「法律以上に、肖像権を守らなければならない」と考えているようです。つまりは、道義、礼儀のレベルです。そんなことを国会で持ち出すことの方が税金の無駄遣いだろうと思いますが、それはさておき、その有村議員は「百人斬り裁判」の記事での稲田議員を批判しなければいけませんね。
当然、阿比留記者は、有村議員の質問を支持する資格はありません。支持するなら、自己批判すべきです。
ということになりそうです。
阿比留記者は、どうも大阪弁護士会が、「英霊にこたえる会」等、どちらかというと右派からの懲戒請求により、稲田氏に対してアクションを起こしたことを知らずにいたらしいです。稲田氏は阿比留記者には「大阪弁護士会は左翼的傾向があるので稲田氏に対して2年間も言論弾圧をした」と言ってたらしい。
そんなわけで、「英霊にこたえる会」など稲田氏の懲戒請求をしたグループの名前、そしてその理由が「遺族に無断で刑死者の刑死写真を使ったこと」などであることを知って、突然、今までの「稲田擁護発言」が中断しております。一種の軽いショックを受けているのかも知れません。
阿比留記者は、右か左かの枠組みでしか事の是非を判断できない人のようですね。今回もそうですが。そうすることで、自分の判断を放棄するのは楽でしょうけど、正義と悪の二種類しかいない社会ではないんですから、もう少し自分の頭を使えばいいものを。
しかし、大阪弁護士会が動いたということは、死者にも肖像権があって、なおかつ裁判を報じる記事に公益性がないと弁護士会が判断したってことなのかなあ。死者の肖像権はあるとして、このような場合は公益性が認められてしかるべきとも思います。この点については、私は稲田議員を支持できるかもしれません。
あるいは「刑死写真」ということは、単なる肖像写真ではなかったってことなのでしょうか。だとすると、公益性のあるテーマであっても、その目的の範囲を越える内容ってことになって、弁護士会が動いた事情も理解できます。公益性が認められる条件については、「あれやこれやの表現規制」の8に出てきます。