2007-08-09

お部屋1306/印刷代金踏み倒し事件

宇留嶋瑞郎氏による特別寄稿「東村山『草の根市民クラブ』による選挙ポスター印刷代金踏み倒しの顛末」を公開いたします。

宇留嶋さんに、この一件についての詳しい事情を聞いところ、送られてきたのがこの原稿でした。すでに取材してあったものをまとめたもので、私一人が堪能するだけでは惜しい。

これを一読すれば、いかに矢野・朝木が自分勝手で、常識が欠落した人間たちかよくわかりましょう。彼らからなんらかの仕事の依頼があったら、よくよく注意していただきたい。

S印刷を調べたところ、社員80名以上の大きな印刷会社です。だから、訴訟を起こすこともできた。これが小さな会社だったら泣き寝入りするしかない。ということは、これ以外にも、そういった事例があるのではないか。

そのような被害に遭った方はこの機会に是非名乗り出てください。

なお、この文章の掲載責任は私にあります。

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東村山『草の根市民クラブ』による選挙ポスター印刷代金踏み倒しの顛末

                                宇留嶋瑞郎 

他人との信頼関係をいっさい築こうとせず、それどころか自分たちの意に沿わない者に対しては理不尽な言いがかりをつけることも辞さない「草の根市民クラブ」(矢野穂積と朝木直子)の本質を知る最もわかりやすい例が「選挙ポスター印刷代金踏み倒し事件」である。その顛末を紹介しよう。

平成7年4月の東村山市議選で落選した矢野への議席譲渡を行い、一般人に戻った朝木直子は翌々年に予定されている東京都議選への立候補を考えていた。彼らが印刷代金を踏み倒した選挙ポスターとは、この東京都議選用のポスターである(もちろん選挙当時は、堂々と掲示されているポスターをめぐり、そんなトラブルが起きていたとは知るよしもなかった)。

このポスターの印刷を請け負ったのは東京・小金井市にあるS印刷。S印刷と「草の根」との付き合いが始まったのはその5年前。朝木直子の母親である朝木明代が東村山市議となって4年目の平成2年ごろである。それまで彼らは、彼らの政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』の印刷を東村山市内の業者に依頼していたが、明代の実の姉の夫(つまり、明代にとっては義理の兄で、直子からみれば義理の伯父)がS印刷に務めていた関係からビラの印刷を委託することになった。あるいは、彼らのビラを印刷していた東村山市内の印刷所とトラブルを起こしたことがあり、代わりの印刷所を探していたのかもしれない。

それはともかく、朝木明代はS印刷に勤める義理の兄を通じてこう依頼した。

「これまでの印刷会社では1枚3円でやってもらっているが、なんとか3円より安い値段でやってほしい」

当時、B4(彼らが発行するビラのサイズ)裏表の印刷物を請け負って利益を出すには、1枚あたり6円かかるという。つまり3円でも利益は出ない。しかし、S印刷は社員の縁故者から儲けても仕方がないと、その社員の顔を立て、つまり好意から明代の依頼を引き受けることにした。その金額は1枚あたり2円90銭だった。

こうして実際にS印刷が矢野のビラの印刷を本格的に行うようになったのは平成4年ごろ。その後、平成7年10月までは、毎月平均4万5000部の印刷代金12~13万円が滞りなく支払われていた。ちなみに、明代が万引きを苦に自殺した平成7年の取引総額は337万9027円。平成7年には市議選があったから、ビラだけでなくポスターの印刷代金など費用がかさんだようだ。

とりわけ、明代が万引きを働いたこの年の6月、明代は16日に70万6675円(ポスター代金など)、万引き当日の6月19日に15万6078円(ビラ折り込み手数料)、30日には14万5969円(ビラの印刷代金)を振り込んでいる。明代はポスターとビラ関係の費用として6月だけで計100万8722円の支払いをしている計算になる。

6月の明代の収入は、ボーナスにあたる期末手当92万5500円と通常の議員報酬39万6040円の計132万1540円。このうち明代は21万320円を「返上」しているから実質収入は111万1220円。仮に明代がこのすべてを自分の懐から支払ったとすれば、明代の手元には10万円余しか残らなかったという計算になる(矢野によれば、「東村山市民新聞の発行費用の多くは、代表である朝木明代が個人生計費などを充てていた」という)。明代が東村山市内の洋品店で万引きを働いたのは、銀行で新聞折り込み代金を振り込んだ2時間後である。

明代は6月30日に初めて東村山署の取調べを受け、7月12日に窃盗容疑で書類送検されるが、そんな騒ぎがあっても毎月八個売れるビラの代金は滞りなく支払われていたのだった。明代にしても、親戚を通じて仕事を依頼したのだし、利益も出ないような値段でやってもらっているのでから、支払いが滞れば姉の顔もつぶすことになるという思いがあったのかもしれなかった。

ところが、同年9月1日に明代が自殺を遂げて以後、矢野、直子とS印刷の関係がにわかにおかしくなる。11月になってS印刷が「今年で『東村山市民新聞』の印刷を終わりにしたい」といってきたのである。明代が亡くなって、もう利益の出ないような値段で付き合う理由もなくなったということだったのだろうか。通常の半額以下で印刷してもらっていたのだから、矢野にとっては不利な話だし、矢野を知る者からみればなおのこと、簡単に容認するような話ではないと思われた。しかし矢野は、意外にもものわかりがよく、S印刷の申出に対してこう応えた。

「新聞のことはわかったから、ポスターをできるだけ安くやってほしい」

ポスターとは、平成9年の東京都議選に出馬を予定していた直子の選挙運動用ポスターである。S印刷側は「できるだけ勉強しましょう」と応えた。こうして、矢野とS印刷との間で、平成7年11月発行分のビラ4万8000部(14万4869円=単価2円90銭)とポスター1万枚(68万1860円)の最後の契約が結ばれた。ポスター代金は、通常なら95万5900円になるところを3割近く値引きした値段だった。3割引いてもなお、S印刷は矢野との取引を終える方が得になると考えたのだろうし、矢野とのトラブル回避を優先するのなら、これはきわめて賢明な判断だったろう。S印刷は同年11月10日にビラを、同12月11日と18日にポスターを納品。11月21日にビラ代金、12月20日にポスター代金を請求している。
 
S印刷としては、ポスターを3割近く値引きし、矢野も納得していたから、これですべて終わったはずだった。ところが、それまで一度も滞ることのなかった支払いが、今度ばかりはいつまでたっても実行されなかったのである。S印刷は平成8年3月から5月にかけて直子に対して郵便で何度も支払いを催促するがなしのつぶてとなり、電話をかけてもいっこうにつながらないという状態になってしまう。

そこでS印刷は同年6月、やむなく明代の親戚の力を借りることにした。直子の義理の伯父と実の伯母が直子の自宅を訪ねて支払いを求めたのである。すると直子は伯父に対してこういったという。

「ポスターは1万枚の契約なのに、請求書では5000枚の金額になっている。あとでもう5000枚分の請求をされたのではたまらない。それに印刷代が高い」

実は、S印刷は通常よりも3割、30万円近い値引きをしていたから、経理処理上、5000枚分として請求しただけで、それが全請求額の半分ということではなかったのである。その説明をしていなかったことが落ち度といわれればそうかもしれないが、請求書の記載内容に疑問があったのなら、最初に請求書を受け取った時点で問いただせばそれですんだ話なのである。伯父がそう説明すると、直子はこういった。

「ヤクザじゃないから、踏み倒すようなことはしないですよ」

しかしその後も支払いは実行されず、その代わりにS印刷には平成8年8月29日、矢野と直子の連名による次のような内容の「通告書」が届いたのである。

〈昨年9月朝木明代議員が殺害された直後に、貴社は貴社内部の事情であるにもかかわらず、代替策の提示も一切ないまま、突然、一方的に昨年12月で当方との印刷契約を破棄し、東村山市民新聞の発行自体が不可能となる重大な損害を発生させる事態を招きました。
 昨年11月末、この件に関し、ポスター印刷等をもって契約解約に伴う当方の損害補てんとする旨、貴殿との間で約定しております。
 貴社関係者Sなる人物から文書等が郵送されておりますが、当方としては、現在においても右補填は十分なものとは考えておりません。なお、貴社から何か補填策につき話し合うことがあるのであれば、これを拒むものではありませんが、右経過から、貴殿以外との話し合いは事態を混乱させるだけであるので、予め通告いたします。〉

平成7年11月8日、S印刷と矢野、直子が最後の契約を結んだ席では「補填」などという話はいっさい出なかった。それだけでなく、S印刷側から出された取引停止の話に対して、矢野は「新聞のことはわかった」といい、その代わりにポスター代金を勉強するということで納得していたのである。そもそもS印刷はビラの印刷を止めるのに、ポスター代をまけなければならない理由はない。これまでの付き合いから、好意で勉強することになったにすぎない。ところが矢野は、請求書を送付してから半年以上たって、「ポスター代金の値引き」は補填であり、しかもそれだけでは補填は不十分などと主張していたのである(伯父と伯母が直子の家を直接訪ねた際の直子の言い分ともかなり異なる)。

この通告書の内容を矢野が当初から考えていたのなら、やはり直子同様、請求書が届いた時点でそれなりの意思表示をすべきだろう。それをせず、今頃になってこのような通告書を送りつけるとは、やはりどうみても、いいがかりをつけて印刷代金の踏み倒しにかかっているとしか思えなかった。

4年間にわたって儲け抜きで(どこまで本当かわからないような内容の)ビラの印刷を引き受けてきたS印刷は、要するにみごとに善意をアダで返されたということだろう。明代の頼みを引き受けたかたちの伯父や、実の伯母にしても、まさか身内からこのような仕打ちをうけるとは思ってもみなかったにちがいない。しかし、伯父や伯母が実際に相手にしていたのは身内である明代でも直子でもなく矢野だった。そこにすべての災難の元凶があった。

同年9月20日にはやはり矢野と直子の連名で同じ内容の内容証明郵便が送付され、さらに同9月27日には同内容の「通告書2」なる文書が立て続けに送付された。矢野と直子が印刷代金を踏み倒すつもりであることは明らかだった。もはや話し合いの通じる相手ではないと判断したS印刷は平成8年9月、紛争の解決を弁護士に依頼し、直子に対してビラ及びポスターの印刷代金の支払いを求めて武蔵野簡裁に提訴した。

裁判で直子は「東村山市民新聞及びポスターの注文者、受領者はいずれも東村山市民新聞社であり、その代表者は矢野穂積である。朝木直子は発注・契約に関与したことはない。したがって、朝木直子は当事者適格を欠き、請求は失当」「契約解消の代償として、新聞とポスターの印刷を無償で行うことで合意していた」などと主張した。これに対して平成11年1月、武蔵野簡裁は、ビラについては直子を責任者と認定せず請求を棄却したものの、ポスターについては直子の主張を認めず、ポスター代金の支払いを命じるとともに仮執行の宣言を行った(ビラに対する請求については、S印刷側の主張に弱点があったことは否めないが、そのミスを指摘するよりも、裁判所が認定しなければよしとしてなんら省みることのない矢野の特異性にこそ目を向けるべきだろう)。

「東村山市民新聞」の代表者以外の点について裁判官は直子の主張を退けたわけだが、このほかにも直子の主張には嘘があった。S印刷が親戚の紹介のよしみで利益の出ないような値段でビラの印刷を引き受けた経緯について直子はこう主張していた。

「過去の印刷ミスの損害補填分を考慮して安くしてもらった」と。

実はこの「過去の印刷ミス」とは、『東村山市民新聞』平成4年3月号でタイトルが脱落したまま印刷したことを指していた。しかし、これはもともと矢野が持ち込んだ版下の段階でタイトルが脱落していたのであり、つまり彼ら自身のミスなのだった(いつも完全版下の状態で持ち込んでいた)。したがって、S印刷がこのことを理由に印刷代金を安くするということはあり得なかったのである。

それにも増して、直子の身内であるはずの伯母夫婦の心労も察するに余りある。裁判では直子が、なにか根本的に他人に対する敬意や誠実さを欠落しているのではないかと思わせる陳述書を提出していた。伯母夫婦が直子の家を訪ねて支払いを促したときの模様について、直子はこう書いていたのである。

〈平成8年頃、Yさん夫婦が夜遅く突然訪れて、伯母さんの方が玄関先で封筒の紙切れを振り回しながら、何か、代金を払っていないなどと、大声で理解できないことを盛んに言い立てて帰りました。……激しやすく感情的になりやすいYさんの伯母さんが一緒だったので、……反論せずに帰しました。〉

直子の説明によると、説得に訪れた直子の実の伯母はまるでヒステリーでも起こしているかのようである。実の姪の本性を知った伯母のショックははかりしれない。

ポスター代金に対する判決については当然の結果と思うかもしれない。しかし、提訴から判決(それも一審)までに2年以上を要したこと、しかも次から次へと虚偽の主張を繰り出す直子への反論というだけでも、S印刷にとって十分大きな消耗だったというべきだろう。

さて、直子が簡裁の支払命令に素直に従ったかといえば、もちろんそうはいかなかった。直子は東京地裁に控訴。しかし同年7月26日、東京地裁は直子の控訴を棄却したが、それでも直子は素直にポスター代金を支払おうとはしなかった。二審で勝てなければ上告しても勝算はきわめて0に近いが、それでも直子は上告したのである。

S印刷の代理人によると、控訴審の判決が出た時点で支払いがなければ差し押さえに出る可能性もあるということだった。はたして直子の議員報酬は差し押さえられたのか。手っとり早いの直子本人に聞くことである。10月、私は直子に会う機会があったので単刀直入にこう聞いた。

「直子さん、9月の給料は受け取ったんですか?」

すると、直子はなぜか私の質問には答えず、ただ語気も強く「近寄らないで!」とだけいったのである。もちろん直子は質問の意味を理解していたはずである。私の質問はあまりにもいわゆる個人情報、それも都合の悪い部分に踏み込み過ぎた、ぶしつけなものだったのかもしれない。

しかし後日、すべての裁判資料を閲覧した私は、直子が私の質問に答えなかった意味を理解した。8月26日(8月分の給料日の翌日)、東村山市に対して東京地裁から1通の債権差押命令が届いていたのである。「請求債権目録」には、S印刷が直子にポスター代金を請求した件に関して81万4046万円を差し押さえる旨の記載があった。

債権差押命令とは、第三債務者(この場合は東村山市)に対して、債務者(朝木直子)に債権を支払ってはならないとする命令である。すると、直子の議員報酬は債務額81万4046円には足りないから、9月分全部と10月分の一部が差し押さえられたことになる。直子が私の質問に答えられなかったわけである。

ちなみに、平成12年2月1日付『東村山市民新聞』には、矢野と直子の平成11年9月から12月までの収支報告が掲載されている。それによると、矢野と直子の議員報酬にはだいぶ開きがあった(矢野の方が多かった)。なぜ矢野と直子には差があるのか。これも本人に聞くのが一番と、私は矢野に聞いた。

「同じ市会議員でも、やっぱり 能力が高いと給料も高いんですか?」

すると矢野は一言こう答えた。
「そういうこともある」
と。

しかし、市役所に問い合わせると、議員報酬は正副議長を除いて一律であるという。すると、役人か矢野のどちらかが嘘をついていることになるが、それはどちらか彼らのビラに掲載された金額を見ればその答えは歴然だった。矢野と直子の議員報酬の差額は81万4046円となっており、まさに差押命令にある金額と端数までぴったり一致していたのである。

なお、直子の議員報酬が差し押さえられた事実については、上告理由書の中で直子自身が認めるところでもある。直子は上告理由書で「不当な請求を受けた末に平成11年8月26日付で差し押さえられた」とした上で、S印刷が差押申請をした理由について次のような珍妙な主張を展開していた。

〈差押は、……殺された朝木明代を継承する議員としての、朝木直子の政治的社会的信用を失墜させることを目的とした政治意図から出たもの〉
〈(朝木直子は)公職にある者であり、本件訴訟で争っているのは、金額の問題ではなく、不当な請求を受けているからであって、金員の支払い能力がないわけではない。〉

などと。

9月13日、東京高裁は直子の上告を棄却したが、なにも直子の社会的政治的信用は差し押さえられたから失墜したのではない。善意から儲けも出ないような値段で印刷を請け負った印刷会社を泣かせ、実の伯父や伯母を平気で裏切った時点ですでに社会的政治的信用は失っている。ただし、矢野と直子に根本的に欠けているのはそんな次元の信用ではなく、もっと単純な「人間として誠実に生きようとする」意思であるというべきだろう(矢野と直子のせせら笑う顔が浮かぶが)。裁判を通して明らかになったのは、矢野と直子が難癖をつけて印刷代金を踏み倒したという現実である。直子が伯父にいった「ヤクザじゃないから踏み倒すようなことはしないですよ」というセリフは、そのまま彼らの実態を映す逆説にほかならない。