ず・ぼん5●[気になるあの話 その壱]少年法騒動と図書館
[気になるあの話 その壱]少年法騒動と図書館
としょかん松子
[1998-10-24]
1997年7月、酒鬼薔薇事件を扱った『フォーカス』と『週刊新潮』閲覧をめぐって、公立図書館の対応に注目が集まった。
閲覧制限するのか、公開するのか。図書館の自由とは何なのか。
としょかん松子
としょかん・まつこ●じつの名は東條文規(とうじょう・ふみのり)。1948年、大阪生まれ。1975年から四国学院大学・短期大学図書館に勤務。
本誌の編集委員のひとりである。
早いものね。もう1年が過ぎてしまった。季節は夏。キャンパスには学生たちの屈託のない声が響き、図書館にも明るい元気な顔が見えるのだけれど、わたしの気分はもう1つ。
例のあれよ。去年5月の神戸の酒鬼薔薇事件。被害者が小学校6年生。容疑者が顔見知りで近所の中学校3年生。わたしの息子よりずっと小さい子どもたちなんだから。
これだけでもショックで気分が滅入ってしまうのに、追いうちをかけたのが『フォーカス』(7月9日号)と『週刊新潮』(7月10日号)の顔写真と記事。
じつは、発売前日、知りあいの新聞記者からわたしの家に電話があったの。『フォーカス』が容疑者の少年の顔写真と記事を載せて発売される。いろんな方面で問題になると思うけれど、図書館はどうするのか、って。
突然のことで、わたし、事態がよく飲み込めなくて……。
だけど、この記者さん、わたしが普段、図書館には「図書館の自由に関する宣言」というのがあって、図書館はどんな資料でも利用者に提供するのが第一の仕事なのよ、とちょっと胸をはって話しているのを覚えていて、「もちろん、利用制限なんてしないでしょうね」なんて電話の向こうでおっしゃるの。
一瞬、迷ったのだけれど、「やっぱり、提供するべきだと思います」と、つい答えてしまった。
でも、わたしの名前でそのまま新聞に出るのも困ると、一瞬自己防衛も働いて、わたしの勤める大学図書館では、『フォーカス』も『週刊新潮』も定期購入していないこと。公共図書館のことはよくわからないし、ちょっとしんどいかもしれないので、日本図書館協会の図書館の自由に関する調査委員会の委員の人を知っているので、その方の意見もぜひ聞かれるように、なんて付け加えたの。
電話を切ったあと正直、わたし、勤めている大学図書館が両誌を定期購入していなくてよかった、と思ったの。恥ずかしいはなしだけれど、ホッとしたっていうのか。
で、翌朝出勤して若い同僚に聞いてみたの。みんな制限派なのね。やっぱり、少年法違反だとか、人権だとか……。
もちろん、自分の図書館が定期購入していないので、半分他人事で無責任なんだけれど、わたしは、若い人があまりにまともで良識的なのでちょっと物足りなくて逆に、わたしなら、せいぜい妥協するとしても、カウンター内に置いて、希望者には一応、少年法等の問題を説明して見てもらうぐらいかな、なんて、いったのだけれど。
そうこうしているうちに、出入りの本屋さんが、その『フォーカス』を一冊わざわざ持ってきたの。本屋さんがいうには、新聞やテレビが騒いでいるので、朝から「売るのか?」という電話もかかって、10冊ほど全部すぐに売り切れたんですって。
せっかく持ってきてくれたというんで、事務室にいた何人かは、わたしも含めて、この『フォーカス』の記事を見たの。
それで、「ふつうの中学生ね」とか、「ちょっと神経質そうだけど……」とか、ほんとに興味本位でしかないはなしをして、「わたしたちも俗物ね」なんて、いわずもがなのことをいったりして、またまた気分がずーんと重くなってしまったわ。
だって、そうでしょ。わたしたちがさんざん(ではないけれど)、とにかく見たあとで、これは少年法に抵触する、人権問題だ、だから図書館では閲覧に供すべきではない!なんて、どの面さげていえるのよ!
あ、はしたなくてゴメンナサイ。でも、わたしたちは図書館の専門家だから、見てもいいけど、いっぱんの利用者は見てはいけないなんて、こっちの方がずっとイヤらしくて、はしたないと思わない? 図書館員の専門性なんて、まさか、こんなことをするために主張してきたのでは断じてないはずよ。
ついでにいえば、そのあと、インターネットに凝っている先生がわざわざ図書館に来て、「見たよ、見たよ、酒鬼薔薇くんの写真、どうってことないじゃない」といってきたりして、またまた嫌な気分になってしまったわ。
ま、それでもわたしのところは、何度もいうようだけど、両誌を定期購入していなくて、「助かった」という感じなんだけれど、定期購入している公共図書館はやっぱりたいへんだったみたい。
日本図書館協会(以下、日図協)には、朝からジャンジャン電話が入って、だから、協会も放置するわけにはいかず、すぐに「『フォーカス』(1997・7・9号)の少年法第61条に係わる記事の取り扱いについて(見解)」【図1】という文書を都道府県立図書館にファックスで流したの。
中身は、かなり苦慮したあとが見られ、意を尽くしているようだけれど、歯切れはよくないわね。
でも、それは仕方のないことで、日図協もいっているように(三苫正勝「図書館の自由をめぐる動き——『フォーカス』問題を中心に——」『図書館雑誌』第91巻第12号、1997年12月)、日図協に全国の図書館に指令を出す権限もないし、たとえ出したとしても、全国の図書館が日図協の「見解」に従うことなどあり得ない。
その意味では、気の毒といえば気の毒なんだけど、一部の新聞にあたかも日図協が一律に「閲覧制限を求める」と報道されたこともあって、相当神経過敏になっていたみたい。
だからしきりに、「各図書館で対応を」といったり、結果よりも、各図書館でどれだけこの問題について議論したか、図書館のもつ社会的役割の重さをどう受け止めたかが、大切な意味を持つなんて強調せざるを得なかったのね。
とはいってもね。現場の図書館員としては、ああでもない、こうでもない、侃侃諤諤、資料をはさんで議論するのは、じっさいむつかしいと思うわ。とくに、今度の場合、週刊誌だし、じっくり時間をかけてなんていってられないし、やっぱり、どこか上の方で判断して欲しい、と思ってしまうのじゃないかしら。
たとえば、教育委員会にとか、市町村立なら県立にとか、日図協にとか、じっさい、日図協にいっぱい電話がかかったのも、普段、なにかと図書館の専門性とか、図書館の自由とかエラそうなことをいっている日図協は、どんな判断をするのか、聞いてみたい、なんて気持ちもあったのかもしれないわね。
日図協としては、それだけ存在を重要視されたのだから、「よかった」といえなくもないんだけれど、「ちょっと待ってよ、ほんらいそれぞれの図書館で決定すべきなんだよ、こんなときだけ日図協の『権威』を使うのはズルイよ」といいたいのじゃないかな。だからしつこいほど、「各図書館の判断で」とか、「なにより議論を!」といっているんじゃないかしら。
じっさい、わたしも参加したのだけど、10月の甲府での全国図書館大会の「図書館の自由」の分科会では、この件についてのパネルディスカッションがメインだったし、日図協ではないけれど、今年(1998年)3月、京都で開かれた日本図書館研究会(以下、日図研)の研究大会でも「プライバシーと図書館」というテーマでシンポジウムがあって、かなり関心は高かったわ。それはそれでとりあえずいいのだけれど、その研究大会のすぐ前に、またまたやってくれたのよ。
今度は、『文藝春秋』(1998年3月号)と『新潮』(1998年3月号)。『文藝春秋』の方は、公にされないはずの例の容疑者の少年の供述調書。『新潮』の方は、堺市の19歳の少年による通り魔事件のルポ。少年の実名と顔写真入りというもの。
今回もまた、日図協にマスコミも含めていっぱい問い合わせがあり、「『文藝春秋』(1998年3月号)の記事について」【図2】を2月13日、今度は前回の「見解」ではなく、「参考意見」として発表した。「参考意見」というようにニュアンスを弱めたのは、前回の「見解」が一部に「指示」と受け取られたからというのよね。
日図協もかなり神経質になっているようなんだけど、じゃ、「付記」というのは何なの、へたすると蛇足ではすまないわよ。
日図協にしてみれば、前回、ファックスを流したのが都道府県立図書館だけで、他の市区町村立図書館に文句をいわれた。だから今度は、都道府県立におねがいして、市区町村立に伝えてもらおうと、軽い気持ちだったと思うの。それに、日本中の2千以上もあるすべての公共図書館にファックスを流すことなんて、物理的に不可能。日図協といっても、専従の職員が十分いるわけではなし、図書館の自由に関する調査委員の人たちも、みんなそれぞれの職場があちこちにあって、何か問題が起こっても、ソレェーって集まれる状況ではないのよ。
だから、わたしは同情はするんだけれど、でも、やっぱり、この「付記」は問題よ。せっかく、「見解」を「参考意見」にし、各図書館での判断を強調したのに、「伝達」をおねがいしたら、それこそ「指示」、それも今度は日図協からではなく、都道府県立からの「指示」と受け取られないかしら。
とすればよ、日図協が誇りにしている数少ない成果のなかの最大のもの。そう、『中小都市における公共図書館の運営』(1963)の精神に水を差すことにならないかしら。
いうまでもないことだけど、各自治体の図書館は、それぞれ対等、平等であって、県と市や町に上下関係はないのよ。図書館法にだって、「総合目録の作製、貸出文庫の巡回、図書館資料の相互貸借等に関して協力を求めることができる」(第8条)と書いてあるけれど、戦前の図書館令のように「指導・助言」なんて、どこにも書いていない。
このあたりのところは、日図協が出している森耕一編『図書館法を読む』(1990)でも、強調されていることだし、『ず・ぼん』の読者なら、いわずもがなと思うのだけれど、日図協も、もう少し慎重に考えて欲しかったわね。
最近のように都道府県立図書館が立派になってくると、やっぱり、大きいものに指導・助言をして欲しいと思うような雰囲気になんとなくなってくるのよね。でも、もう一度、戦後地方自治法、図書館法、そして『中小都市における公共図書館の運営』の精神を踏まえることも大切なんじゃないかしら。
「少しまずいんじゃない」と心配していたら、やっぱり水戸市立中央図書館がきっちり批判しているの。
「(個人的な見解も含みますが)私たちは今回、この問題を出版・言論の自由対少年法ということではとらえませんでした。自治の問題、教育の問題という考えにたって決めました。結論から言えば、閲覧提供をしても制限してもいい、それは自治体の問題であり自治体の公共図書館が正規の手続きをふんで決めるべきことだと思います。その点、日図協が見解なるものを出したのも茨城県立図書館が日図協見解を待って、県内図書館に実質的な指示を行ったのも間違っていると思います」。
どこに載っていた資料かというと、『創』1998年4月号の「『文藝春秋』『新潮』少年法騒動の波紋——全国の図書館に緊急アンケート——」という記事。
この記事、編集長の篠田博之さんがまとめたものなんだけど、なかなか参考になるのよね。都道府県立図書館と県庁所在地の市立図書館に、(1)『文藝春秋』98年3月号 (2)『新潮』98年4月号 (3)『フォーカス』97年7月9日号 (4)『週刊新潮』97年7月10日号のそれぞれについて閲覧制限を行った場合のみ、中身を尋ねたというもの。
結果は、『創』4月号を見てもらえばわかるのだけれど、水戸市立中央図書館は、(1)(2)(4)の全部を閲覧制限している((3)は購入していない)。だけど、その制限について先のようなコメントをしているの。
なかなかいいとこ突いてんじゃない。わたし感心しちゃった。さすが水戸っぽね。そうかんたんにはお上のいいなりにならないという気概のようなものを感じたのはわたしだけかしら。
そうはいってもね。この『創』のアンケートを見るかぎり、だいたいが日図協の「見解」、「参考意見」に近い結果がでてるのよ。
ま、「自由宣言」をその気で読めば、こういう結果になるだろうということは予想されるし、だから日図協の「見解」や「参考意見」も慎重な、もしくはまわりくどい言いまわしではあるけれど、『文藝春秋』は閲覧OK、『新潮』『フォーカス』『週刊新潮』は閲覧NOに結局はなってしまうのね。
日図協はもちろんそうだけど、去年10月の全国図書館大会や今年3月の日図研の研究集会でも、「いずれにしても横並びはいけない」という議論が何度も出て、それはそうに違いないのだけれど、やっぱり横並びに近くなってしまうのよ。
もう少し『創』のアンケートを利用させてもらえば、(2)(3)(4)、つまり『新潮』『フォーカス』『週刊新潮』に関しては、アンケートに回答した図書館すべてが当該部分は閲覧禁止なの。唯一、例外といえそうなのが滋賀県立で、『新潮』と『フォーカス』は購入していないが、『週刊新潮』に関しては、「人権・プライバシーを侵害するおそれのある資料については、当館の『制限図書取扱要綱』により閲覧申請書を提出していただいたうえで利用していただくことになっており、当該号については、その対象となる制限図書として扱っている」とコメントしている。つまり、閲覧申請書を提出すれば、利用できる可能性があるということね。
さすが滋賀はちょっとちがう、というところかもね。
それから(1)の『文藝春秋』にしても、回答館68のうち、NOが26もあるの。
わたしとしては、「ウーン」と思ってしまうわ。どうしても制限の方へ制限の方へと傾いて行くように思うの。
わたし、そんな心配を人知れずしていたら、「やっぱり、案の定!」という事例が出てきたわ。
今年(1998年)の『図書館雑誌』5月号の「こらむ図書館の自由」で山家篤夫さんが報告している「『三島由紀夫——剣と寒紅』をめぐって」なんだけど、例の三島由紀夫のかつての恋人だったという男性が書いた小説の件。裁判所が著作権侵害(三島の著者宛の私信を無断掲載)で、頒布差し止めと回収の仮処分が出たので、ある公立図書館が受け入れしないといったというはなし。
あるのよね。こういうの。羹に懲りて膾を吹くっていうの?
わたし、図書館員になって、もう20年以上が過ぎてしまったのだけれど、記憶しているだけでもいろいろあったわね。ま、このあたりのところは、去年、日図協から出た『図書館の自由に関する事例選』「図書館と自由」第集を見ればよくわかると思うけど、こういう問題は、なかなか気分的に元気になれないし、だから共有もされにくいのよね。じっさい、わたしも、最初に書いたように、新聞記者から電話があったとき、『フォーカス』も『週刊新潮』も定期購入してなくて、「助かった」と思ったのだから、偉そうなことはいえないんだけど。
でも、最後にちょっとだけ、わたしの気持ちも書いておかなくてはズルイわね。
わたしは、といえば、最初にもちょっと触れたんだけど、ほんとはね、無条件全面公開派なのよ。じつは、図書館には、あらゆる資料が、たとえ、人権、プライバシーを侵害するおそれのあるものや、差別的な資料も含めてあるんだ!というようになればいいなあ、と思っているの。図書館とは、そういうところなんだ!ということが、社会的合意として承認されていればすばらしいな、と考えているんだけど……。
だって表現なんて、出版を含めて、志の高いものもあれば、品性下劣でいかがわしいものもあるんだし、それはそれで、人間社会の「文化」だと思うの。
もちろん、図書館が歴史的、社会的存在であって、没価値的に中立だなんて思わないし、じっさい少し図書館の歴史を学べば、右や左や上や下に翻弄されてきたのは間違いないけれど、だから逆に、図書館ぐらいは没価値的に中立であって欲しいと思うの。
ほんとの気持ちをいえば、「図書館の自由に関する宣言」にしても、1979年改訂の「提供の制限がありうる」という例外規定は、好きじゃないの。
図書館ぐらいは、なんの制限もなく、自由な空間であって欲しい。図書館は、ラビリンスであって、かつアジールなんて、どうかしら。
もう少し気の利いたことを書きたかったんだけれど、気分が滅入っているとダメね。ゴメンナサイ。
【図1】
平成9年7月4日 社団法人 日本図書館協会
『フォーカス』(1997.7.9号)の少年法第61条に係わる記事の取り扱いについて(見解)
各図書館、マスコミ関係からお問い合わせがありましたので、以下のような見解を表明いたします。
1.写真週刊誌『フォーカス』(1997.7.9号)掲載の、14歳の殺人罪等容疑者の正面顔写真は、少年の保護・更生をはかる少年法第61条に抵触する可能性が高い。
2.すべての図書館資料は、原則として国民の自由な利用に供されるべきであるが、上記の表現は、提供の自由が制限されることがあるとする「図書館の自由に関する宣言」第2−1−(1)「人権またはプライバシーを侵害するもの」に該当すると考えられる。
3.この対応にあたっては、「宣言」第2−2(資料を保存する責任)に留意する。受入・保存を差し控えるような対応或いは原資料に図書館が手を加えることについては、首肯しがたい。また、当該誌の損壊・紛失等のないよう配慮が必要である。
4.週刊新潮についても上記に準ずるものと考える。
5.各図書館におかれては、以上を踏まえての対応をお願いする。
平成10年2月13日 社団法人 日本図書館協会
『文藝春秋』(1998年3月号)の記事について
標記雑誌に掲載された「少年A犯罪の全貌」について、各図書館、マスコミから問合せがありましたので、当協会として下記のような参考意見をお知らせします。
1.公刊物の表現に名誉棄損、プライバシー侵害の可能性があると思われる場合に、図書館が提供制限を行なうことがあり得るのは、次の要件の下においてと考えます。(1)頒布差し止めの司法判断があり、(2)そのことが図書館に通知され、(3)被害者(債権者)が図書館に対して提供制限を求めた時。
2.標記雑誌の当該記事に関する限り、特定の少年を推知させる表現は無く、少年法第61条にかかわる問題は見うけられません。
3.当該記事にかかわる法的問題は、少年法第22条2項により、非公開であるべき文書が当事者以外に開示されたことにあります。しかし、これは開示した者の責任に帰せられるべきであり、これを報道・提供する側には法的規制は無いと考えます。
4.法律上、および「図書館の自由に関する宣言」(1979年改訂)にかかわる問題としては、本件は提供制限をする理由を現在のところ見出せません。
5.以上、当協会としての現段階の検討の内容を、参考意見としてお知らせしました。なお、本件の出版倫理・社会倫理にかかわる問題については、別途検討すべきものと考えます。
各図書館で主体的な検討をされた上での対応をお願いします。
付記 都道府県立図書館各位へお願い
ご多用中お手数をかけますが、それぞれの都道府県内の市町村図書館へご伝達くださいますようお願い申し上げます。