2009-11-07

お部屋1978/断裁と裁断は違う

「図書館がどうなるのか」を説明するため、「出版界はどうなるのか」という話を書いていたのですが、あまりに長くなってしまいました。「出版界を筆頭とした既存メディアの現実と未来」というテーマについては、「マツワル」で今も書き続けていて、すで連載は140回を超えています。これをコンパクトにまとめることはなかなか難しい。

たぶん私の読みは当たるだろうとは思うのですが、そうなる根拠として他業種のことまで持ち出す必要があって、丁寧に説明すればするほど読む人が減る上に、読んだところで理解できない人も増えるので、大幅に端折ろうと思うのですが、その作業が終わっていないです。

なので、今回は図書館の話はお休みをして、「訂正・お詫び・宣伝・言い訳」をやっておきます。

まずは他人の訂正。「1975/図書館の中では見えないこと 5」に断裁について書きました。ネットではこれを「裁断」としている人たちがけっこういることに気づきました。

この場合は「断裁」とするのが正しい。通じればいいってもんではありますが、「断裁」と「裁断」は意味がちょっと違って、出版界において、廃棄の意味で「裁断」を使用することはないと思います。詳しくは、当該エントリーに追記しておきましたので、そちらを参照のこと。エロライターが書くことでもちょっとはタメになりましょう。

続いてお詫びと訂正。今の今まで、私はkensyouhanさんのことをkenshouhanと書いてました。「sy」を「sh」にしていたのです。オレは唐沢俊一か。こっそり全部直しましたので、お許しください。

そのお詫びとして宣伝です。『唐沢俊一検証本vol.1』は残部50部程度になっています。まだ購入していない方はお早めに。増刷されるんだったら、『唐沢俊一検証本vol.2』『トンデモ「昭和ニッポン怪人伝」』が出てから一緒に頼んだ方が送料分お得ですけど。

あと、kensyouhanさんは、国会図書館に納本した方がいいと思う。法律で納本が義務づけられていることでもありますし。郵送すると受領書が送られてきて作業完了です。

他の図書館に寄贈しても捨てられかねませんが、国会図書館は保存してくれます。いずれはデジタル化されて、金を払えば、各図書館で読めるようになる模様です。

続いてもうひとつ訂正。先日、「唐沢俊一検証blog」のエントリー「唐沢俊一の書籍に関する情報。」に以下を書き込みました。

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単純に「品切れになったまま増刷予定がない」ってことかと思いますが、品切れになって、「さて、どうするか」と検討する段階で、「唐沢俊一の本はもうやめよう」という判断が働き始めているかもしれない。回収や訴訟のリスクが非常に高い著者ですから、出し続けることの利益とのバランスを考えれば「増刷なし」とした方が賢いです。

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「なぜ唐沢俊一の本はこうも品切れになっているのか」って話です。

改めて、今もなお在庫がある著書の順位をアマゾンで確認してみたのですが、ムチャクチャ売れてないっすね。私の本より売れていないのですから、どんだけ売れてないのかよくわかります。

「生活マゾ」(性的ではない分野でマゾ的思考、マゾ的行動をとることを指す松沢用語です)なもんですから、売れない話ばかり書きたがる習性があるだけで、実際にはそんなに私は売れない書き手ではないのですが、自分を正解として、ライターのサバイバル術を語りたがる人の本が、私の本より売れてなさそうなのはやはり驚きです(売れているかどうかで、物書きを評価しようというのでないですからね。それをやり出すと、所詮目糞鼻糞なので)。

この様子だと、軒並み断裁されているはずで、在庫があるものも、断裁された残りがまだ売り切れないってことだと推測できます。50万位、60万位だと、年に50部くらいしか動いていないでしょう(アマゾンだけではない総売上です)。それならまだしも、在庫があるのに100万位台のものまであります。半年の間、新品も古本も、アマゾンで1冊も売れないようなことがない限り、こうはならないはずです。

なので、単に売れないから増刷されないだけで、出版社はリスクなんてことを考えてないかもしれない。はっきりとはわからないながら、訂正しておきます。

本は内容によって、著者によって、流通によって、売れ方の傾向があって、短期決戦型の本もあります。コンビニやキオスクに並んだ文庫や廉価本はたいていそうです。いわゆる読み捨て本です。

もしかすると、唐沢俊一は、短期型の書き手かもしれず、出して何年も経った本の順位だけでは「売れているか否か」を見定めることが難しいのですが、新刊だって全然売れてないですから、単純に売れていないと言っていいでしょう。

前からこんなに売れていなかったのなら、ああも本は出ていないでしょうから、おそらくパクリとガセで評判を落としたか、粗製濫造で飽きられたか、どちらかだと思います。

にもかかわらず、今なお唐沢俊一の本を出す出版社があることについて、最新エントリー「唐沢俊一の本を出すために。」でkensyouhanさんはこう訝っています。

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 …自分が唐沢俊一の検証を熱心にやっていることを不思議に思われることがしばしばあるが、そんな自分以上に現在に至って唐沢俊一の本を出そうとする会社の方が不思議な存在なのではないか。「評判が良くないうえに仕事の遅いライターの書いた特別念入りにチェックする必要のある本」を出す理由が一体どこにあるのかよくわからない。

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たしかに不思議。私にもこういう出版社が何を考えているのか、わからないです。たぶん唐沢俊一はマメに営業をしているのでしょうが、それにしてもって話です。「売れなくても出す意義がある内容」と判断する出版社があるとも思えず。

売れるんだったら、パクリがあろうが、ガセがあろうが、kensyouhanさんに何を言われようが、出す版元はあるでしょう。全部パクリでも出す出版社があって、それでも売り逃げできるのが、出版界の現状であります。出版界の惨状と言いますか。

多くの出版社が売れるものを出したい。しかし、商売にもモラルというものがあって、欠陥商品を出すわけにはいかないと判断する出版社ももちろんあります。8割くらいの出版社がそうだろうと私は信じたいのですが、現実にはそうでもなさそう。唐沢俊一の本を出してきた出版社の数々を眺めれば、そのことは一目瞭然です。

とくに今の出版状況では、「パクリやガセがあってもいい。たいして売れなくてもいい」ということになっている出版社が相当数ありそうです。出版点数を増やさないと金が回らず、すぐさま倒産しかねない状態になっている出版社が少なくないってことです。

最近ではゴマブックスがその典型でしたが、原稿があればすぐに本にする。こうなると、パクリやガセのチェックなんてやっている暇はない。売れるかどうかの検討もなく、数が揃えばいい。

いずれ限界が来るにしても、こういう自転車操業によって、破綻の先送りができてしまうのが出版の仕組みです。

つまり、大量の新刊を出し始めた出版社と、唐沢俊一の本を出すような出版社は遠からず……これ以上は言わないでおきます。

さて、「唐沢俊一の本を出すために。」で、kensyohanさんはこうも書いています。

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 『博覧強記の仕事術』(アスペクト)で味をしめたのか、語り下ろしである。しかし、『博覧強記の仕事術』の惨状については9月23日の記事以下を参照していただければわかるし、単純にラクをしたいだけなのではないか?と思う。

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ヤバい。私の次の単行本も語り下ろしです。

しかし、最初からそうしようと思ったのではありません。前々から、インターネットについて「マツワル」で書き続けていて、ポットから「本にまとめよう」と言われていたのですが、量が膨大で、全然まとまらない。

そうこうするうちに、「談話室沢辺」で、YouTubeを切り口にインターネットについての話をすることとなり、4時間話したものに加筆していたら、単行本1冊分になったため、「だったら、このまま本に」ということになった次第。

編集者のテープ起こしが終わってから、「談話室沢辺」用に直し、それから、単行本用の第一稿に直すのに、まるまる10日くらいかかっているので、ありものの原稿を単行本にまとめる作業より手間取っていると思うのですが、単行本何冊分かの量のものを短くまとめる作業はどこからどう手をつけていいのかわからず、その点、今回はラクだったなと。

言い訳しつつ、結局ラクだったんですけど、どうしても私の文章は、細部に入り込んで長くなる傾向があるので、読者にとっても読みやすいはずです。

それでもなお「物書きが自分で原稿を書かなくてどうする」という後ろめたさが拭えないことをすでに「マツワル」で告白していますので、許していただきたい。