2009-11-04
お部屋1976/図書館の中では見えないこと 6・私設図書館とコレクター
1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示
1966/廃棄本・里親探しの実情
1967/改めて地域資料を調べてみる
1968/除籍予定本の大半は多摩の資料ではないのでは?
1969/図書館の中では見えないこと 1
1970/図書館の中では見えないこと 2
1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報
1972/図書館の中では見えないこと 3
1973/図書館の中では見えないこと 4
1974/情報を訂正するためのツール
1975/図書館の中では見えないこと 5
ポット出版の沢辺さんが教えてくれたのですが、特定非営利活動法人「共同保存図書館・多摩」が見解がこちらで読めます。
一通り目を通しましたが、「うーん」と唸るしかないです。
そりゃ、古本屋で100円で売っているような本まで里親探しをするのですから、今回の処分を「絶対に容認することはできません」とするのは当然でしょうが、そのうち、出版社に対しても「本を断裁するな」とか言い出しそうで怖いです、この団体。
ここで私も提案です。最初から言っていることですが、そうも大事な資料で、そうも保存する意義があるというなら、そう思う人たちが100人くらい集まって、年間1万円ずつ出して、倉庫を借りればいいんじゃないでしょうか。
とっくにそう書いているのに、誰も相手にしてくれないのが悲しいですが、冗談や当てつけで言っているのでなく、本気ですからね。
「すべて私たちが保存します」と申し出れば、都立図書館としても、譲ってくれるのではなかろうか。それがダメだと言うのなら、古紙として金を出して引き取ってもいいでしょう。数万円程度のことです。いざ集めようと思ったら、とんでもない金と労力がかかる資料をタダで、あるいは安く譲り受けられるんだったら、ラッキーです。それが貴重だと思う人たちにとっては。
閲覧できるようにすると、什器を買わなきゃいけないし、人も雇わなきゃいけない。広いスペースが必要になり、管理用の作業や補修作業も出てきます。光熱費、通信費もかかります。どうしたって、年間数千万円の事業になりますが、どうせ他の図書館にあるのですから、閲覧なんてことは考える必要はなく、保存のためだけの倉庫を不便な場所に安く借りればいい。
仮に6万冊が残るとして、段ボール箱を積み上げるだけだったら、たいしたスペースはいりません。年間100万円の倉庫代があればいい。そんなにかからないかも。
「それらの本を保存することにしました」と発表すれば、尊敬されます。3年くらいしたら、金を出す人が減って維持できなくなるでしょうが、誰も覚えてないので、八王子の山の中に埋めればわかりゃしません(ひどい)。
こういうことを書くから、「こいつは資料を保存する意義をわかっていない」と言われてしまうわけですが、ここまで書いてきたことをちゃんと読んでいただければおわかりのように、資料保存の意義は重々わかっているのですよ。ただ、「何をどう保存するのか」の考え方が図書館関係の人たちと違うだけです。
図書館の外には、図書館が保存していないものがたくさんあって、そちらを放置したまま、複数の図書館が保存しているものを重ねて保存する意味はないと言っているだけです。
図書館が保存してこなかったものは、個人のコレクターがそれこそ私財を投げ打って保存をしてきたし、今も保存しています。明治大学の東京国際マンガ図書館も、早稲田の現代マンガ図書館も大宅文庫も、風俗資料館も、すべて個人のコレクションが始まりです。こちらに対しては無条件に共感をしてしまいます。
「1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報」のコメント欄で教えられて、エル・ライブラリーの存在を知りました。共感しました。
実現しなかった産業技術史博物館に収蔵される予定だった資料を救済したのは感動さえしました。機械やら道具やらの展示品は、おそらく一点しか残っていないものが多いでしょうから、こっちの方をなんとかすべきだったでしょうが、保管だけでとてつもない費用がかかるので、しゃあないですわね。
その点、本はまだしも保存に金がかかりません。だとしても、このエル・ライブラリーには頭が下がります。
皆さんも是非「資料紹介」のブログを見てください。ゾクゾクします。労働争議の絵はがき、公安の資料、組合旗……。
社史を集めている図書館はありますが、ガリ刷りの時代のものはもちろん、今現在出ている労働組合の通信の類いでさえ残りにくいでしょう。組合員だって、たいていすぐに捨てますから。
私が言っている「紋切り型の図書館が十あるんだったら、ひとつくらいは特性のある図書館にしてもいいだろ」というのは、まさにこういうことです。
しかし、公立の図書館ではやらない。どこでも似たようなものを並べて後生大事にしているだけ。だから、ここがやる。大阪府からの援助が打ち切られても、自分たちでやる。
今度大阪に行った時に立ち寄ってみて、納得すれば私も会費を払います。
多摩図書館の廃棄本とエル・ライブラリーに対する私の態度が180度違うのは、第一には、エル・ライブラリーの資料こそ貴重だと思うからです。どこの図書館も博物館も組合旗を保存する発想はないでしょう、おそらく。
個別に見れば多摩図書館の廃棄本にも貴重なものが含まれているでしょうが、どうせ他の図書館にもあるだろうことが想像できたので、複本であることがはっきりする前から、私は冷淡でした。
第二には、エル・ライブラリーは、今現在、税金を使わずに運営しているからです。そりゃ、頑張ってくれって気になるってものです。
お上を批判しながら、お上に依存する発想をしている限り、税金がまた使われてしまうだけですから、自分らでできることは自分らでやった方がいい。それをやっている人たちに対しては私も協力します。「廃棄本の里親探し」は何の意味も感じられないので、「勝手にやれば」と思うだけですが。
私もその作業をやっているわけです。エロを保存しているというだけではないですよ。次回、この話を書きましょう。
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[...] 続きます。 追記1:よくよく考えたらポット出版から、いつも通知はもらってませんでした。あとで知るだけです。もしかすると、人を選んでいるのかもしれません。「松沢は断裁しても納得するので、何も言わなくていいだろう」と。実際、ダメージは受けますが、断裁の判断が間違っているとは思わず、「また売れないものを出してしまったぜえ」とひたすら反省です。 [...]
[...] 1975/図書館の中では見えないこと 5・断裁の現実 1976/図書館の中では見えないこと 6・私設図書館とコレクター 1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である [...]
[...] 1975/図書館の中では見えないこと 5・断裁の現在 1976/図書館の中では見えないこと 6・私設図書館とコレクター 1977/図書館の中では見えないこと 7・本は商品である [...]