2008-11-07

落合恵美子『21世紀家族へ』

*マイミク募集中! http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3837974 

* ↓↓現在、ブログ布教中につきご協力を。踏んだ数だけご利益がある!?
ずっとベスト10前後を行ったり来たりなので、もう少しのご助力を!(笑)

● 落合恵美子『21世紀家族へ―家族の戦後体制の見かた・超えかた (有斐閣選書)

★★★★★ 家族の一般教養!

人が問題意識を抱く契機には、幸福よりも不幸が作用するものだ。なんで自分はこんなに幸せなのか、ではなく、なんで自分はこんなに不幸なのか、ということから自分を取り巻く状況に思いをめぐらせていく。そうすると思考する者はとりあえず、いまある社会的条件を否定することから出発することになる。

すでに家族社会学の古典となりつつある落合恵美子の『21世紀家族へ』(初版は1994年)も、フェミニムズ世代とも言える彼女のそうした問題意識から積み上げられた論集だ。「わたしは、いわば親世代の家族を相対化するためにこの本を書いた。批判するため、と言ってもよいだろう」。

この世代の女性、それも知的で自立志向の強い女性にとって、家族によって生み出される性別分業の押しつけは、自分の可能性をせばめる手かせ足かせに感じられた。それをいかに外すのかに、著者の思いはそそがれたのだろう。

そういうモチーフから彼女は、自分たちが当たり前のものだと思っていた「家族」は実は歴史的な産物であり、まさに「近代家族」という家族の一形態にすぎない、ということを明らかにしていった。「近代家族」とは、夫婦の紐帯を核とし、子供が二、三人と、老親などが組合わさったユニットで、男女の性別役割りが明確にルールづけられているような情緒的関係である。それは近代化の過程で生み出される形態であり、また人口学的な条件によって方向付けられた家族にすぎない。

そうした議論を具体的なデータを挙げながら展開していったところに、この本の説得力があった。

「近代家族」は普遍的なものではなく、多様な家族の一つなのだから、それを絶対的なものとする規範を相対化させ、そうではない可能性を繰り込んでいく、という落合のモチーフは成功したと言える。が、初版から10年以上経って刊行された新版では、落合もこういう言葉を記している。「しかし今となっては、彼らも(*親世代のこと)懸命に自分たちのよいと思う家族を作ろうとしてきたのだと、それなりに理解できる」。人間がある社会構造を作っていくときには、そこに絶対的な悪の意志があるわけではなく、一定の理が存在している、という気づきなのだろう。


実際、落合が「近代家族」として批判した男女の役割り分担によって成立する家族がほころびをみせ、家族が多様になっていったことは、プラス面ばかりでなく、マイナスの結果もまねきつつある。山田昌弘『新平等社会―「希望格差」を超えて』では、「様々な家族形態を選択することが可能になったこと」で家族の収入源の多様化がもたらされ、格差が生じてきている、という指摘もなされている。サラリーマンー専業主婦型の家族を基盤としていた社会は、画一的で、そこで抑圧される人々もいたにせよ、一方では安定的で格差にはどめがかけられていた、とも考えられるのだ。

結局のところ、人間は、現状には絶対に満足ができず、つねに新しい時代を切り拓いていく存在であるが、そこに生じた状況には新たな問題がもれなくついてくるということだ。現実に絶望するあまり、「昔はよかった」と復古主義にもならず、「今がいちばんよい」と開き直ることもなく、理想と困難のいたちごっこを続けていくしかないのが、人が生きるということなのだろう。

*初出/現代性教育研究月報(2007.3)