2007-07-13
QJw「会社で生き残る!」10
大手出版●31歳
風俗接待はエンターテイメントの一種
[名前]近藤崇
[居住地]東京
[業種]大手出版
[職種]編集者
・はじけた大学時代
新卒で入りましたから、入社して9年目になります。早稲田大学の文学部にいたこともあって、卒業したら出版社で編集の仕事をしたいと思っていたので、希望通りです。文芸雑誌を出している出版社を主に受験していまの会社に合格しました。最初に配属された部署は漫画週刊誌でしたが、現在は小説の単行本をつくる編集部にいます。役職はついてませんし、私が一番若いので部下はいません。
就職活動で自分のセクシュアリティを意識することはありませんでしたね。入社したら大学時代の自分とは一回縁を切って、社会人としての自分に切り替えようと思っていたので、わりとすんなり、全てを受け入れていく姿勢で臨んでいました。研修を3ヶ月みっちりこなして、ほんと、最初はがむしゃらでしたね。なんでも吸収してちゃんとした社会人になろうと思っていました。組織の人間になるということは割り切って考えていた。誰もが知っているような出版社ですし、入社試験をクリアーした自分がやっぱり嬉しいし誇らしかったかもしれない(笑)。組織で働くということに関しては、中学、高校と体育会系の運動部に所属していたので、なにかに縛られながら動くということには免疫がありました。
大学時代は二丁目に行きまくっていました。一番行っていた時期だと思います。大学のGLOWというゲイサークルに友達が何人かいたので、一緒に飲みに行ったりゲイナイトに行ったりしていました。90年代の頭ぐらいですね、よく行っていたナイトは「ラジオシティー」や「ディライト」とか。サークルでは「大学生ナイト」を大々的にやってすごく盛り上がっていました。会社に入ってからは、たまに飲みに行ったりしますが、大学のときに比べたらおとなしくなりましたね。
ゲイを自覚したのは中学時代。本屋でゲイ雑誌を見つけたときにそれに興奮している自分を発見しました。そのころは女の子と付き合ったりしていましたが、徐々に女の子と付き合う自分は消えていきました。男との初体験は高1か高2か忘れましたがそれくらいのときでした。初めて上野の映画館に行ったら、映画を見ないでウロウロしている人がたくさんいて、なんじゃこりゃ、と思っていたら手を出されて……いや、ホテルに連れて行かれたこともあるからそっちが先かな? もはやよく覚えていません(笑)。相手がどうというより、とりあえず済ませてしまいたかった。
そのころはゲイであることを悩んでいましたね。高校は付属の男子校だったので、受験しなくても大学に行けるから、みんな遊びまくっているわけですよ。女の子との合コンの話もしょっちゅうあって、それにぼくもついて行くけど、自分は女の子に興味がもてないじゃないですか。そういうときに葛藤はありました。
ゲイということを受け入れることが出来たのは、大学に入ってからですね。最初にゲイナイトに行ったときの衝撃は大きかった。ここにいる奴らみんなホモなんじゃん!という衝撃(笑)。友達がゲイでウリセンを始めたりとか、GLOWにも店子をしている人もいたりして、世界観は一気に広がりました。いや、でもサークルの中で恋愛はありませんでしたね。ぼくはハッテン場で出会うパターンが多い。エッチをする前後に話をして、相手の人となりを知ることが好きなんです。最初につきあった人も公園で知り合いました。
・ロケの帰りに風俗へ
会社でオープンリーなわけではありませんが、カミングアウトをした上司はいます。何人かゲイの社員も知っています。みんなが見てそうだとわかる感じの人もいますが、ゲイナイトで偶然出会ってお互い、そうだったの?となった人。それから、ミクシィの日記に書き込みをしてくれていた人にコンタクトを取ったら同じ会社だった、ということもあります。みんなカミングアウトはしてないですね。やっぱりマスコミ関係とはいえ、普通のノンケ社会だから言いづらいのかもしれない。
ぼくには、結婚している同僚を見ると羨ましいと思う気持ちもあります。だけどうちの会社ではとくに結婚していないことは出世には影響しません。男女格差もあまりないと思います。女性の社長はまだないと思いますが、編集長クラスの女性はたくさんいます。いまの部署では猥談みたいなものもありませんね。個人間の距離を保っているような状態なので、相手の領域に踏み込んだりするような人はいない。最初の漫画週刊誌の部署はみんな若くて年も近いし、グラビアのロケの帰りにみんなで風俗に行くことはありました。ぼくも行きましたねー。抱っこパブみたいなところに行ったら、女の子がひざの上に裸で乗ってくるんです。それで照明が落ちて椅子が揺れ始めるんですよ(笑)。だけど嫌ではなかった。それは単にエンターテイメントとして面白い体験でしたね。
女の人とセックスをしたい気持ちはありませんが、やれと言われれば出来ます。いまの部署ではそういう付き合いはないけど、作家の接待で風俗に行ったことはあります。自分はマグロ状態ですがエッチもしました。それはマッサージをされている気分ですね。普段出来ないことをいろいろ経験してみたいという感じがあるので、それ自体はストレスではありません。でも性にまつわる話題で男女を置き換えて話したりすることはやっぱりストレスになっているのかもしれません。ただ社内ではあまりそういう話題はなくて、銀座で作家を接待しているときなんかですね。ホステスさんを挟んで脳みそ筋肉みたいなノンケの男性作家を接待しているときは、すごく頭を働かせて話をつくらなくてはいけないし、他にはそれこそ風俗にもゴルフにも付き合わなければいけない。接待の伝統のようなものがあって、そういう路線に乗らなければいけないという意味ではストレスを感じますね。
・うつ病で休職
去年、うつ病で休職したのは仕事のストレスが原因でした。ゲイということは関係ありません。仕事でたくさん担当の作家を抱えて、連載も多くなって、毎月いろんな人と打ち合わせをして、新刊が出るたびに全部読んで作家に感想をメールで送って……というような生活を続けているうちに、だんだんそれが出来なくなってきたんですよ。次の日に会う作家なのに、その人の本を読んでいないとなったらそれは編集者失格じゃないですか。やっぱりその人の原稿を取るためには最大の理解者になっていないといけないわけだから。それで徹夜で読んだり、校了前には原稿の遅い作家のところへ毎日行ったり、そういうことをしていたら、だんだん朝が起きられなくなってきて、会社に行く時間も夕方の4時くらいになって、それから夜中まで仕事をするという状態になっていきました。会社に行っても人と会ったりメールや電話をできなくなって、トイレの個室にずっとこもったりしているんですよ。でも仕事はしなくてはいけないから、一瞬テンションが上がったときにガーっとして、またガクっと下がる。
それで残業時間を見てさすがにおかしいと思ってくれた上司が声をかけてくれたんですね。そのときに、実はこういう状態で病院にも通っているんです、と事情を説明したら、「じゃあ思い切って休め」と言ってくれました。ぼくも本当にその言葉を待っていたという感じで、「ハイ、休みます」と次の日からパタっと会社に行かなくなりました。自分から休みたいとは言えませんでしたね。どこかで敗北を認めたくなかったというか……。トイレにこもっている時間が長くなっていっても、いつかはここを出て仕事をしなければいけないと、自分を追い込んでいましたから。その上司にはカミングアウトしました。
休職していた期間は6ヵ月です。その間はほとんど布団の中にいました。食料は彼氏が買ってきてくれました。彼氏が唯一、ぼくと外界を繋ぐパイプになってくれていたので、彼氏と住んでいたことがぼくにとっては良かった。彼氏とは、入社して1年目くらいにハッテン場で出会って付き合い始めました。寝るときにいつも隣にいて欲しくなって同棲を始めたのは2年前です。うつ病の症状が出始めて自分から病院に通い始めた頃には、もう一緒に住んでいてそれをわかってくれていたので、会社を休むことになったときはすごく喜んでいましたね。だから、だんだんと良くなって復職したときはけっこう心配していましたけど。一生共にしたい相手ですね。
ゲイであることを挫折と捉えたことはありませんが、病気のことは大きな挫折でした。第一線でばりばりやりたいと思っていて、そこから退いたという意味での挫折感はいまでも大きい。会社に来ないと決まった時点で、それまでの担当をすべてはずされました。それでいまの部署に移されたんです。だからいまも会社に行くのはちょっとつらいです。でもこのまま辞めると、負けた状態のまま退くという形になるので、自分の場所はここじゃないとちゃんと確認できるまでは辞めないようにしたい。いまは自分にしか出来ない仕事を探しています。サブカルチャー扱いをされているセクシュアルマイノリティの作家の方にアプローチをして、うちのようなメジャーな出版社で本を出してもらうことを考えています。そうすればゲイの世界も周りにいままでとは違った見方をしてもらえるようになるかもしれない。そして、この本は君にしかつくれない本だったね、と言われるようになりたいですね。