本の紹介

三浦しをんさんとの対談

P1020286.jpg● 拙著『百年の憂鬱』の刊行を記念した三浦しをんさん(作家)との対談が本サイトで公開されました!

伏見 僕が三浦さんのことを知ったのは、三浦さんが朝日新聞の連載(『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社)として単行本化)で『ゲイという経験』を取り上げてくださったときだったのですが、その後で新潮社からお出しになった『きみはポラリス』についての原稿を書かせていただきました。三浦さんのご指名だったと聞いたんですけれども、僕を指名してくれたのはどうしてだったんでしょうか?

三浦 『ゲイという経験』を拝読して、「論理的かつ、生身の人間としての感情や痛みも文章にこめられていて、すごいかただ」と思って、次に小説『魔女の息子』も拝読したんです。この作品がまた、胸に突き刺さってくるんだけどユーモアもあって、とても好きだなあと。『きみはポラリス』を出す時に、新潮社の『波』というPR誌で、どなたかに原稿を書いていただけると言われたので、いろんな恋愛を取り上げている短篇集だったこともあって、伏見さんにぜひお願いしたいと思いました。

続きは→「セックスよりもエロい関係性の快楽」

P1010983.JPG● 中村うさぎさんとの対談も公開されています!

伏見 本日はお暑いなかお集まりいただきまして、ありがとうございます。今回はぼくの新刊小説の『百年の憂鬱』にちなんだテーマでお話しできたらいいなと思って、中村うさぎさんをゲストにお迎えいたしました。『百年の憂鬱』はいわゆる私小説です。うさぎさんは(その出来事の渦中に)かなり身近にいたので、ただの小説としては読みづらいだろうとは思うんですけれども(笑)、でも、この前メールで、「ラストシーンはこれでいいんじゃないか」っておっしゃってくれて、ちょっとホッとしました。

中村 そうなんですよ。最初に(「すばる」で)読んだときに、ラストが主人公の裏切り行為っぽく感じてしまって、「なにこいつ。いい加減にしろよ!」とか思ったんですよ。「デブのくせに」とかね(笑)。

伏見 基本的に、この小説はデブのくせに、っていう話なんだよね(笑)。
続きは!→『百年の憂鬱』刊行記念・エフメゾ・トークライブ「100%の自由や平等は、人を幸せにはしない!?」

有元伸子さんからいただいた書評

51fXkkLfnRL._BO2_204_203_200_PIsitb_sticker_arrow_click_TopRight_35__76_AA300_SH20_OU09_.jpg広島大学大学院文学研究科の教授の有元伸子先生から、『百年の憂鬱』の書評をいただきました。有元先生は『三島由紀夫 物語る力とジェンダー』(翰林書房)などで知られる三島研究の第一人者! 心より感謝申し上げます。

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 世に認められていないという屈託を抱えた中年の男性作家が、目の前に出現した若さに夢中になり、そして……。いわば「私小説」の常道ですが、『百年の憂鬱』が従来の作品と大きく異なるのは、ひとつには主人公の前に現れるのが若い娘ではなく、アメリカ出身の若い男性だということ。
 数十年来のパートナーの忠士との自然で馴れ合った関係と、新たに目の前に現れたユアンとの激情。主人公は二つの男同士の関係の意味を知悉していながら、両方に手を伸ばそうとしますが、その狡猾さと純情さとが、真摯に、ときにコミカルに描かれ、ぐいぐいと小説世界に引き込まれました。

『百年の憂鬱』のもうひとつの特徴は、「松川さん」というゲイコミュニティの先駆者との交流が描かれること。小説の主筋であるユアン-私-忠士の恋愛関係に、松川さん-私-ユアンという世代の問題が交錯し、同性愛に対する世代や文化による感覚の差が、この小説のもう一つのテーマとなっています。
 明治末年生れで敗戦後のゲイ社会を生き抜いた松川さんが語るオーラル・ヒストリーのすさまじさ、面白さ。彼が身につけた猜疑心や厭世観は同性愛受難の時期をサバイバルするのに必須のものだったのでしょう。同性愛に向けられた当時の社会のまなざしが実感させられますが、そうした差別や疎外をリアルに受け止められる主人公と、まったく想像9784780801842_2.jpgの外にあるユアンの世代・文化の感覚の差。にもかかわらず、三者は確かにつながっています。
 主人公は一人暮らしの松川さんを長年にわたり訪問し、彼の語る貴重なゲイの歴史を記録しながらも、書き手としての利益のために松川さんと関わっているのではないかといった葛藤を抱えていました。松川さんが主人公をどのように見ていたのか、最後に開示された松川さんの言葉と松川さんの歴史そのものである「アルバム」の行方は、血縁によらない男性たちのすがすがしい関係を示して、大きな救いとなっています。

 初読では主人公とユアンの恋愛の顛末に目を奪われて、あっというまに読了してしまいましたが、再読すると、図と地が入れ代わるように、松川さんの語るゲイの歴史の物語の方が表層に浮び上がり、主人公の恋愛劇が地模様に転じて映りました。
 主人公にとって切実な愛の喜びや悶えは、もちろん彼にとってはかけがえのないものなのですが、松川さんの語ったような多くの男たちの関係や情念の歴史の一コマに過ぎないものでもあります。『百年の憂鬱』のタイトルそのまま(マルケス!)、個人的な恋愛関係や感情が、日本近代100年の男たちの歴史のなかに溶かし込まれていくような、なにかとても大きな広がりをもつ世界に誘われました。

 知的で魅力的な一人の男性の身の丈の感情と、その背後に広がる男たちの歴史的な連続性。二つの世界を交錯させる緻密な構成と、意欲作でありながらナチュラルな描写。
 小説中の松川さんの語りには、江戸川乱歩や三島由紀夫を思わせる人物も登場します。三島の『仮面の告白』や『禁色』からほぼ60年。男同士の恋の小説はここまで豊かに成熟したのだなあという感慨にかられました。

 伏見さんにとって「もっとも重要」な作品だという言葉に、素直に納得です。

『にじ色 ライフプランニング入門』トーク

51JwHAnKXxL._SL500_AA300_.jpg9/1のエフメゾのカフェ営業(毎月第1土曜日)は、16時からLGBTやシングルのみなさんにお役立ちの『にじ色 ライフプランニング入門』(にじ色ライフプランニング情報センター)を著した永易至文さんを迎えての、小さなお茶会トークがあります。

伏見も現在、親の介護問題などはじまって、「生きていくのって厳しい…」と噛み締めているところなので、永易さんにさまざまお伺いしたいと思っています。また、LGBTやシングルの人たちがどう後半生を生きていくのか、その可能性/不可能性についてみなさんと一緒に話すことができたら、と。

料金は飲み物代だけです(1000円/1drink)。LGBT以外でもご興味がある方は参加歓迎。カフェ自体は13時からオープンで、19時くらいまでやっています。トークとは関係なく休日の午後のカフェを楽しみたい方も、もちろん、遊びに来てください!

永易さんの本の概要→「同性愛者のライフプランは、持ち家、保険、老後などなど、いろんなところで「男女夫婦・子どもあり」とはちょっと違う。お金が続くか? 老親どうする? 子どもなしで迎える老後って? そんなゲイたちの疑問に、長年ゲイのエイジング問題を追いかけてきたライターでFPの著者が答えます。セクシュアリティを超えて、シングルや非法律婚カップルのライフプランニングにも最適な一冊。 」

佐藤雄駿 著『悪魔の飼育』

51b9NQvRbuL._SL500_AA300_.jpg8/29(水)のエフメゾははじめ、気鋭のロックバンド、NON’SHEEPのボーカリスト、佐藤雄駿さんを迎えたトークイベントを行います(19時〜20時)。

佐藤さんはバンド活動の他にも最近、徳間書店から『悪魔の飼育』という小説集を上梓するなど、才気あふれる28歳。伏見が二十歳で子供を作っていたらこんな年頃の息子がいて不思議ではない、というくらい年齢が離れていますが(笑)そんな世代も経歴もセクシュアリティも異なる二人が対話して、いったいどんな言葉が紡がれるのか。異文化間コミュニケーションを楽しみたいと思っています。

トーク後、佐藤さんの気持ちがノッていたらアコースティックギターによる生演奏もあり、とのこと。楽しみです。

『悪魔の飼育』も、佐藤さんならではの厭世的な?物語世界が広がっていて、刺激的な小説集です。「一度目の歌は、終結部(コーダ)で”喉が渇く前に埋葬を”と歌われる」「僕は”死”が放置されることが何よりも怖かった」「僕の今日は、僕の昨日と酷似している」「誰に届くでもないその言葉は、鵯(ひよどり)のさえずりとともに、そよ吹く風に入り交じっていく」……等々、印象的なフレーズも満載!

平日の夜の早い時間帯、という日程ですので、地味なイベントになると思いますが、異色のトークを聴きに来てください。そして、そのあとはゆっくりエフメゾで飲んで帰ってください。

『百年の憂鬱』書評、感想集

20120805org00m100002000p_size5.jpg● 中村うさぎさん

若い美青年と恋に落ちる中年男の複雑な心情を描いた本作だが、その背後にBGMのごとく流れる年老いたゲイの孤独と厭世と呪詛の独白が素晴らしい。

人間は他者を裏切らずにはいられない生き物なのか。そして、裏切り裏切られてもなお他者を必要とせずにはいられない生き物なのか。

そんなことを考えながら読むうちに、胸の底がひたひたと冷たい水に浸されていく。それは厳しく冷ややかだが、どこかで心地よい清涼感すら含んだ水だ。私はそれを「真実」という名の水だと思った。

(「サンデー毎日」8.19-26号より、転載させていただきました)

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● 南定四郎さん

adon.jpg貴著『百年の憂鬱』をお送り頂き誠に有り難く御礼申し上げます。さっそく今朝から読み出し、今、読了いたしました。あっという間に読み進みました。登場人物のそれぞれの持つ人生経路と、そこから発生する必然として愛情と嫉妬と軽い憎しみが織りなす人間模様のすさまじさ、あるいは加齢がもたらす人生の哀感がそこはかとなく表現された物語に時間を忘れて読みふけりました。私はかねてから、「日本にはゲイ・ポルノはあるけれどもゲイ・ノベルスがない」と、自戒をこめて言ってきましたが、これぞまさにゲイ・ノベルスだと言いたいと思います。オスカー・ワイルド、E,M,フォスター、サマセット・モームのゲイ・ノベルスと肩を並べる『百年の憂鬱』に快い読後を味わっています。有難うございました。(私信より)

*画像は南氏がかつて編集長を務めていたゲイ雑誌「ADON」

中村うさぎさんとトークショー!

nakamurausagi.jpg毎月第1土曜日のエフメゾのカフェ営業、8/4(土)は『百年の憂鬱』の刊行を記念して、中村うさぎさんとのトークショーも開催!

うさぎさんと伏見で、中年の恋とは? 制度としての結婚の意味って? 性愛とパートナーシップの関係って?などなど語り合いたいと思います。ゲイの夫を持ちながら、ホストやウリ専にはまったうさぎさんならではのお話しが聴けると思います!

料金は飲み物代(1000円/1drink)。カフェ営業は13時からですが、トークショーは17時からです。

ゲイにかぎらず、みなさん遊びに、聴きにお越し下さい。

*エフメゾは水曜日と第1土曜日の昼にメゾフォルテさんを借りて営業しているバーです。
新宿区新宿2-14-16 タラクビル2F メゾフォルテ

中村うさぎ/作家。
1958年福岡県出身。同志社大学文学部英文学科卒業。OL、コピーライター、雑誌ライターなどを経て、1991年にライトノベル作家としてデビュー。「ゴクドーくん漫遊記」で人気を博す。
ライトノベルを中心に作品を発表していたが、ショッピング依存症、ホストクラブ通いなどの浪費家ぶりや、自らの美容整形について赤裸々に書いたエッセイを発表。「ショッピングの女王」「ビンボー日記」「美人になりたい-うさぎ的整形日記」が大ヒット。
主な著書に、「私という病」「屁タレどもよ!」「人生張ってます 無頼な女たちと語る」他多数。

『百年の憂鬱』発売記念のエフメゾ!

DSCN0555.JPG8/1(水)のエフメゾは、伏見憲明の新刊『百年の憂鬱』(ポット出版)の発売記念の営業です。

人気ドラァグクィーンのアルピーナちゃんをゲストに迎え、ユーミンや聖子のなりきりショーを楽しんでいただきます。ご本人をも感心させたというユーミンDQ、エフメゾ初登場です!

他にも『百年の憂鬱』のブックプレゼントもありますので、とってもお得な一夜になるはず。

開店はいつもどおり17時。閉店はママの体調にもよりますが、04時です。食事は朝からママが煮込んでいるカレーライス! ワンコイン(500円)でおなかが満腹になりますよ!

スタッフ一同皆様のご来店をお待ちしております。

『百年の憂鬱』はネットでもお買い求めできます→ amazon

● アルピーナ/Mの付くアーティストをリスペクトするイベント「M☆night」所属、今で言う「エアもの」なりきりドラァグ・クィーン。レパートリーは、ユーミン、中島みゆき、松田聖子、ドリカムの吉田美和、渡辺美里、浜崎あゆみ、aiko、など。

伏見憲明 著『百年の憂鬱』、予約発売!

昨年、文芸誌「すばる」に発表した『百年の憂鬱』が、ポット出版より単行本化されることになりました。
伏見にとってもっとも重要な作品ですので、ぜひ多くの人に手に取っていただければ、と思います。単行本化にあたって、少しだけ改稿を加えました。

お申し込みは→ポット出版サイト
amazonでも予約開始!

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雨宮まみさんを迎えてトークライブ!

978_4_7808_0172_9.jpg2/15(水)のエフメゾは、深夜1時くらいから小一時間、トークライブを行います。

ゲストは雨宮まみさん。雨宮さんは昨年、ポット出版から『女子をこじらせて』という自伝?エッセイ集?を出版し、現在、注目のライターさんです。

本の帯にあるコピーを紹介すると、「「女子」という生きづらさに真っ向から向き合う半生記! ブログ「弟よ!」で人気の雨宮まみが全国のこじらせ系女子に捧ぐ! 非モテからなぜか「職業・AVライター」になった…その曲がりくねった女子人生を描く怒濤の13万字!!」

エフメゾでも「こじらせ」問題は、男女オカマ問わず、よく話題にのぼる話。書評の仕事で雨宮さんのご著書を拝読した伏見は、「彼女を招きたい!!」とすぐにオファーしてみました。すると、なんとこんな場末のゲイバーに来てお話ししてくださるという返事が。というわけで、久しぶりにエフメゾ営業中にライブをはさむことにしました。

一応、ユーストなどでの中継もする予定ですが、ぜひとも、当日エフメゾにナマ雨宮さんを見に来てください。

ちなみに、伏見が『女子をこじらせて』について書いた書評も近日、日本性協会のサイトにアップされる予定!

● 雨宮まみ/おもにエロ・AVのフィールドで活躍する「今もっとも“イタ刺さる”」女子ライター。 ハヤリのキーワードに収まりきらない女子や男子のもやもやを、自身の思いを交えながら明快に切る語り口にファンが多い。 共著書に『エロの敵』(翔泳社)、『リビドー・ガールズ』(パルコ出版)。『AV FREAK』『SMネット』などで連載。ブログ『弟よ!』を精力的に更新中。

書評『女嫌い』


● 上野千鶴子『女嫌い』(紀伊国屋書店)

 「デブ専のゲイ」の友人がいる。デブ専というのは、太った男性を好む嗜好を差す。その友人は美形でスタイルもいいのだが、「そんな自分がどうして肉のついたデブが好きなのか!」と、欲望の逆説に憤慨している(笑)。

 そういう背理は珍しくない。一般的な男性の欲望もまた矛盾を含んでいるからである。ミソジニー=女ぎらいこそが異性愛そのものの基盤であり、異性愛の男性は女ぎらいでありながら女性を性愛の対象としている。そして、女ぎらいによって成り立っているのが男たちの連帯であり、それを維持するためにもホモフォビア(同性愛嫌悪)が、強迫的に同性愛疑惑を点検させる。というのが、フェミニズム界隈で共通了解になりつつある性差別の図式だ。

 上野千鶴子氏の新刊『女ぎらい』は、そうしたホモソーシャルの理論を援用して、「皇室」から「婚活」「負け犬」「DV」「モテ」「少年愛」「自傷」「援交」「東電OL」「秋葉原事件」……まで、快刀乱麻を断って分析してみせる。読み応えはあるが、こうした理路に違和感を感じずにシンクロするには、上野氏やフェミニズムの世界像とリアリティを共有していなければならない。 続きを読む…

書評『うさぎとマツコの往復書簡』


● 中村うさぎ/マツコ・デラックス『うさぎとマツコの往復書簡』(毎日新聞社)
● マツコ・デラックス『世迷い言』(双葉社)

 世間は空前の「オネエブーム」。昨年は女装コラムニストのマツコ・デラックスなどがブレークした。それにしても、どうして「オネエ」はこんなに求められるのだろうか。

 日本には歌舞伎の女形という伝統芸能があったが、現在のような女装や女性的な態度物腰を商品性にするタレントの走りは、戦後にスターダムにのし上がった美輪明宏に遡る。以降、中性的な魅力で人気を博したピーター、「ホモ」を堂々と公言するおすぎとピーコ、オネエ言葉で再ブレイクした美川憲一などが大活躍。そして、二千年代に入ってからのテレビ界は、料理家でオネエとか、美容家でオネエとか……各分野に一人はオネエのタレント枠が設けられているかのような活況である。

 視聴者や読者の側はそれをどのように受け止めたのか。初期の頃は美輪にしても「シスターボーイ」と半ば揶揄されているし、ゲイバーのママなどがテレビ出演する際のあつかわれ方も、間違いなく「キワモノ」だった。それが九十年代以降は「文化人」として認知されるようにもなり、美輪に至っては近年、その「霊能力」によって宗教的な尊敬まで得た。そうしたオネエ系タレントのメディア露出に対して、保守的な勢力からの批判があまりなかったのは、日本の社会やジェンダーを考える上で興味深い。 続きを読む…

書評『アンアンのセックスできれいになれた?』


● 北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版社)

 本書は「アンアン」という隆盛を誇った女性誌の創刊から今日までをたんねんにたどることによって、女性の意識、とりわけセックスについて分析を試みた評論である。著者の北原みのりは「アンアン」が創刊された1970年に生まれ、青春期に同誌のセックス特集に大きく影響を受けたフェミニスト。

 彼女によると、初期の「アンアン」は、きわめて前衛的で、女性解放への志向も色濃く、レズビアンさえも肯定的に扱われていた。80年代に入っても、政治色こそ後退するが、女性の欲望に肯定的で、性的にもより解放されていく。この頃に、北原は「アンアン」と出会うわけだが、彼女を開眼させたのが、有名なセックス特集「セックスで、きれいになる。」(89年)。北原に言わせると、これが新しかったのは、「欲望を丸出しにしているのに、きれい。そして全然男に媚びてない。……すべてが『女目線』だった…」 続きを読む…

書評『発達障害の子どもを理解する』


● 小西行郎『発達障害の子どもを理解する』(集英社新書)

 ここ数年やたらと「アスペルガー」とか「発達障害」という言葉を見聞きするようになった。メディアばかりでなく、日常会話のなかでも、「あの人、絶対アスペルガーなんだよ」とか「自分、子供の頃を振り返ってみると、アスペじゃないかと思うんです」といったふうに気軽に語られる。それは揶揄や差別的なニュアンスばかりでなく、他人や自身の不可解な行動の原因が解明されたかのような安心を伴っている場合もある。

 本書『発達障害の子どもを理解する』は、急増しているといわれているアスペルガー症候群や自閉症の背景にある社会の側の変化に注視しつつ、現場から障害の概要を説明してくれる良書である。良書であることの理由は、それを語っている医学や医療者の限界についても謙虚に言及しているゆえだ。

 著者の分類によると、発達障害というのは包括概念で、そのなかに自閉症やアスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥多動性障害などが含まれる。自閉症には「言語の遅れ」「対人関係の質的な障害」「独特の物や場所、行為へのこだわり」の三つの能力障害がある。それに対してアスペルガー症候群は「知的発達の遅れを伴わず、かつ自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わない症状群」だという。 続きを読む…

書評『友だち幻想』


● 菅野仁『友だち幻想』(ちくまプライマリー新書)

 知人の若い女性が愚痴っていた。「友情って難しい! 恋愛だったらパターンが決まっていて、それに則してやっていけばなんとかなるのに、こと友だち関係となると、相手との距離感がなかなかつかめない」

 たしかに、恋愛というのは、どんなに当事者には困難に感じられても、よくよく観察してみると、いくつかの類型に分けられるゲームになっている。それに比べると友情は、これといった目的も、快楽も持たないままに、日常的に交わされるコミュニケーション。そして駆け引きでもある。もしかしたら、こちらのほうが、恋愛などよりよほど難易度の高い関係性かもしれない。

 菅野仁『友だち幻想』は、他人とつながることが「自然」ではなくなった時代の友情論である。著者は「一人でも生きていける社会だからこそ〈つながり〉が難しい」と問題提起をする。他者なしでも生きていけそうなのに、誰かを必要としている点において、私たちの分裂がある。人間には、社会的な利害などとは別に、他者によって「承認」されることや、交流そのものから喜びを汲み上げることが、不可欠な精神活動なのだ。 続きを読む…

書評『〈麻薬のすべて〉』

● 船山信次『〈麻薬〉のすべて』(講談社現代新書)

 東日本大震災の直後に読むと、本書『〈麻薬〉のすべて』のあとがきは、まるで予言ような示唆に富んでいる。「対応を誤ってしまったら麻薬や原子力は間違いなく人類を滅ぼす可能性を秘めている。今、人類にはヤク(薬)とカク(核)との付き合い方が真剣に問われているといってもよい」

 たしかに核に関しては、私たちは福島原発の事故を目の当たりにし、今後、その利用について再検討がなされることは間違いないだろう。一方、本書のテーマであるところの〈麻薬〉は、いまだ検討すべき課題として国民的な関心を集めているとはいいがたい。芸能人のスキャンダルとして話題になることはあっても、多くの国民にとって薬物使用の問題はまだ自分とは遠い世界のお話のように感じられているのではないか。 続きを読む…

いただいたご本『カイゴッチ 38の心得』

● 藤野ともね『カイゴッチ 38の心得』(シンコーミュージック エンターテイメント)

フリー編集者の藤野ともねさんが、本を出版した。伏見も別冊宝島などの仕事でお世話になった方なのだけど、この本がなかなか痛くも面白い。

『カイゴッチ 38の心得』は、彼女自身の介護体験を綴ったエッセイであるとともに、役に立つ情報満載の実用書である。伏見などはもうじき老母の介護生活に入るはずなので、他人ごととしてはとても読めず、文章のユーモアに爆笑しながらもため息をついたりしたのであるが、これも一度は通らなければならない道。藤野さんの言う通り、「燃え尽きないための介護」「がんばらない介護」を目指せばいいや!とかえって覚悟が決まった。

この本を読んで初めて気づかされたのであるが、介護って身体や精神的なケアだけじゃなくて、犯罪にまで対処しなくてはらない場合もある。藤野さんは、認知症のお父上が悪徳証券会社につけこまれて全財産5400万円をだましとられた!なんていう笑えない経験もして、それすら笑い飛ばす境地に達しているのが、まったくもってすばらしい。まあ、うちの母にはそんな財産はないので、だまされても、せいぜい子供の小遣い程度の被害にしかならないが……。

「介護では誰もが最初はヒヨッコ。介護生活5年目に入った私だって、まだまだ羽が生え揃っていない状態だと思う。……人気の育成ゲームになぞらえて介護人を「カイゴッチ」と呼ぶことにした」伏見も介護生活で何が起きても笑い飛ばせるような精神力をいまから身につけなければと、カイゴッチの第一歩を踏み出そうと決意したのであった。

書評『TOMARI-GI』

 きっと、HIVの問題で多くの人が腑に落ちないのは、どうして感染者や患者が圧倒的に男性同性愛者に集中しているのか、という事実だろう。そしてその「どうして」に触れるのがなんとなくためらわれること。ためらわれる理由は、かつてAIDS=ホモという科学的に間違った偏見が広がってしまい、その苦い体験から少数者の人権に触れるような言及を避けたい気分があるのかもしれない。しかし、AIDS=男性同性愛者は「偏見」のはずなのに、「どうして」男性同性愛者がHIV感染者、AIDS患者過半数以上を占めるのか?

 その答えは単純ではないが、肛門性交がHIVの感染に相性が良いこと、狭く密度の濃いコミュニティでウイルスの伝搬が加速されること、ジェンダー規範にとらわれない男性同性愛者の性行動が活発な傾向にあること……などが考えられる。それらによってHIVは男性同性愛者のネットワークのなかで増殖しやすく、彼らの身体は危険にさらされている。 続きを読む…

書評『図書館からはじまる愛』

本書『図書館からはじめる愛』は、第二次世界大戦時のインドを舞台にした物語である。主人公の少女ヴィドヤの父親は医者で、ガンジーの唱えた「非暴力不服従」の独立運動の活動家でもあった。当時のインドでは支配側のイギリス人からの差別は日常茶飯事。ヴィドヤも街中でイギリス人の少女から、「さわらないでよ、汚らわしい!」と罵倒されたりもする。

 そうした状況のなかで、父がイギリス人警官に警棒で頭を叩かれ、致命的な傷を負ってしまう。そこで彼女の一家は父方の祖父の家に引き取られ、因習がはびこる大家族の一員として暮らしていかざるをえなくなった。カーストの最上層に位置するその家族は、食事をするのも寝る場所も男女別、男女の役割分業は当然のこと、女性は階段の上に立ち入ることも許されていない。ヴィドヤの唯一の喜びは、女子の立ち入りが禁止されていた図書館に忍び込んで、本に耽溺し、心の自由を確保することだった。

 一方で当時は、戦争が連合国と枢軸国の間で行われており、インドは後者の日本軍からの脅威にさらされはじめていた。宗主国であるイギリスに反発を持ちながらも、日本の侵略に対して闘おうとする兄のキッタ、戦争そのものに加担しないことを願うヴィドヤ。戦争に対する政治的立場も、カーストという伝統的な身分制度をめぐっても、家族内ですらそれぞれの価値が対立せざるをえない状況が描かれている。 続きを読む…

春休みキャンペーン!

エフメゾでは「春休み学生キャンペーン」として、エフメゾ初体験の学生さんに、伏見ママの著作のなかから一冊をプレゼントをいたします! 期間は2/9、16、23(水)。来店時に「ママの本ください」とお申し出ください。←言わないと健忘症のママは忘れていることあり。

プレゼント本には、よりみちパン!セの理論社版の『さびしさの授業』『男子のための恋愛検定』も含まれます。

*エフメゾでは3月からの大学生バイトを募集しています。条件は、ゲイで、好奇心旺盛で、人と話すことが好きなこと。ノンケでも容姿端麗で、差別意識のない男子大学生なら検討します。時給、勤務時間等は面談時に。希望者は履歴書を持ってエフメゾ営業中にお店にお越しください。決定し次第、募集を止めますので、なるべく早めの水曜日にご来店のこと。よろしくお願い申し上げます。

ご紹介が遅れていた、いただいたご本

すみません、いただいたご本の記事のアップが遅れていて、不義理をしています。読んでから、と思っているうちに発売日を遠く過ぎてしまい……。宣伝にご協力できなくなってしまうので、ここで未読のものも含めて一挙にご紹介!

広島大学教授の有元伸子さんの『三島由紀夫物語る力とジェンダー―「豊饒の海」の世界』(翰林書房)は、三島由紀夫をテーマにした博士論文の『豊穣の海』の章を単行本化したもの。伏見は昨今、三島由紀夫に再び関心を抱いていて、有元先生の博士論文を先般国会図書館で読ませていただき、とても感銘を受けた。このご著書も読み進めているのだが、やはり『豊穣の海』も再読しつつ読み合わせなければと思うと、なかなか時間がかかる。なにせ、三島の遺作は大作だから。

デニス・アルトマン著『ゲイ・アイデンティティ――抑圧と解放』(岩波書店)の刊行はちょっと感慨深い。この本は1971年にオリジナルが出版され、当時のタイトルは『Homosexual』。実は伏見は四半世紀以上前、ゲイリブの先輩から原著を借りて読もうとしたことがあったのだ。でもそのときは英語力が不足していて、数ページで挫折(笑)。あのときにちゃんと読めていたら、その後書くものは違ったのかなあ……。

相澤啓三『冬至の薔薇』は詩集。「死を眼前に凝視する詩人の脳裏を一人の少年がよぎる。スキップして野を行く少年に死の日はまだ遠い。彼は険しい道を辿りどこまでも川を遡ることになるだろう……」。詩がまったくわからない伏見ですが、行間から臭い立つ相澤さんの性への「執念」みたいなものにあてられました。

よりみちパン!セ(理論社)からも相変わらず、面白い本がばんばん出てきますね。写真家の平沼正弘による『世界のシェー (よりみちパン!セ)』は、彼が欧米諸国、アジア、ジンバブエ、ルワンダ、パプアニューギニア……など世界中を回って、現地の人々に「シェー!」のポーズを取ってもらった写真集。「シェー!」って知ってる? 

葬儀と墓といえばこの人、ともいえる書き手となった井上治代さんも『より良く死ぬ日のために (よりみちパン!セ)』という一冊を上梓している。「ーー人がより良く生きるためにある、「死」という営み。いつか、かならず訪れる「その日」の前に学んでおきたい、葬式とお墓のこと」。

加門七海という作家の『「怖い」が、好き! (よりみちパン!セ)』は伏見も興味津々で、早く読みたいと思っている。「怖いとは、何か。どうして、何かを怖いと思うのか。ーーそして、恐怖をおぼえながらも、どうして人は、この世ならざるモノたちに「萌える」のか。私たちには、「お化け」が必要です」。オカルト系のことは現代社会を生きていく上で一度は考えるべきテーマですよね。

伏見とハーヴィー・ミルクの写真集を出版したAC BOOKSさんはこれから文芸方面にも進出するということで、翻訳本を刊行。この夏に米ABCネットワークでドラマ化されるという『ライアーズ1 ひみつ同盟、16 歳の再会』。サラ・シェパードによるガールズ・ミステリー。「イジワル女のみなさま、私はまだいるわよ。そして、何もかも知ってまーす!」オカマ心をくすぐる帯の言葉であります。

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