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[第6章●本にしてしまえ] 2… 編集者にHTMLで入稿するという方式 |
[2004.09.23登録][2004.10.02更新] |
石田豊 |
本論(ってのがあるのかどうだか)に入る前に、もう少し今回の「本」づくりの経緯を報告しておきたい。忘れるといかんからね。 前回書いたように、今回の「本」づくりの目的は、近く出す書籍の内容を「査読」してもらうことである。そのためには最低限のレイアウトを施さなければならない。 一般に、ライターは原稿をエディタで書く。エディタであるからフォントの種類とかサイズとか色とはは選べない。もちろん選べるものもあるが、そうなっちゃうと、本来の意味のエディタでのデータではなくなる。分野がら、多くの図版が含まれる。図版はTIFF形式の別ファイルとして用意している。 だから、ライターが脱稿して編集者に「入稿」する時のカタチは、テキストファイルと多数の画像ファイルを一まとめにして圧縮したものであるのが普通だ。原稿には図の入る位置に図版のファイル名が記してある。 編集者はこうして送られてきた原稿を図版と付き合わせながら読んでいくわけだが、それはかなり困難な作業である。面倒なんだよね。多数の図版から原稿のその場所に指定してあるものを探しだし画像ソフトで開いて確認する。それもひとつやふたつではない。ちなみに今回の原稿では図版が281点あった。つまりこの方法では281回、この作業を繰り返さなければならない。 編集者は商売だから、こういうやり方も受け入れてくれるかもしれないが、査読者にはお願いするわけにはいかない。じゃあ、とりあえずDTPに出すのか? われわれの業界では、組版はほぼすべてDTPで行っている。DTPの料金体系は不透明だということも影響されているのだろうが、最近の編集者や、時にはライターの中には、文字校も原稿整理もせず「とりあえず組んでみて」という人がけっこう多い。「とりあえず」組んだものに朱を入れていく。場合によってはまるごと入れ替えというようなこともある。だからといって、DTP屋に対して余分に支払うことはない。きちんと原稿整理、文字校正をおこなってから入れてくる編集者と同額なのだ。よしんば、余分に金を支払っていたとしても、組まされる側としては面白くない仕事である。金さえ払えば何をさせてもいいというものではないと思う。 ぼくもまた編集・DTPも業として行っているから、それがよくわかる。だからそういうやり方を誘引しがちな原稿の入稿方法に以前から疑問を感じていた。 やはり図版とテキストが別になっていることが諸悪の根元なのだろうか。図版がテキストの適切な位置に挿入され、強調などでフォントが変わる部分もちゃんと視認できるようなカタチで、ライターは入稿すべきなのだろうか。たとえばワープロソフトで書く、とか。 ただ、そうすればそうしたで問題は生じる。 商業ライターってのは、マラソンランナーでもなく100m走選手でもない。リレーの選手の一員であるのだ。そもそもの原稿はたしかにライターが書くが、それを編集者が読み、なにかと加工をし(たとえば校閲を行い)、それをDTPオペレータに渡す。関係者一同がつぎつぎとバトンを渡していくことで、シゴトは成立している。だから、原稿がどのような形式であるべきなのかでもっとも重要なファクターは「関係者一同にとって、問題なく扱えるもの」でなければならないということだ。 バトンタッチにワープロソフトのデータを使うなら、関係者一同は同じワープロソフトの同じバージョンを揃えなければならないし、最終走者のDTPオペレータはワープロを出力したものを片手に参照しつつ、ワープロデータをテキスト書き出ししたもので作業しなければならなくなる。ここにあまりに負荷がかかってしまう。 だから、みんなにとって問題が少ないデータ形式という「最大公約数」でもってリレーするのが順当だ。それがテキスト(エディタ書類)であると思う。 リレーメンバー全員の環境やスキルを完璧に把握していない場合、バトンはテキスト形式でしかありえない(このあたりのしちめんどうくさい議論については項を改めて書く)。 図版や表現を誤解・ストレスなく伝えながらも、テキスト形式を維持したままの入稿形式ってないかしら。そう考えると、それはHTMLである、とすぐに気が付いた。最近のことだ。いままでなんでこんなことに気が付かなかったのか。 ぼくの問題意識からのアプローチがHTMLに到達したのは、いわば非常に自然な流れであるといえよう。というこのHTMLそのものが「同じような問題意識」により作り出されたものであるからだ。 周知のようにHTMLそのものがそのような目的のために誕生してきた考え方であるからだ。90年代にぼくらがはじめてHTMLという概念を知ったとき、その本質の中心を「リンク」として捉えたのは無理はない。開発者自身もそっちへ体重を掛けていたし、世界の動向もそうだった。しかし、現在の時点から振り返って考えると、リンクも大事だけれど、それ以上に「文書の論理的構造をしっかりしめす」という考え方も濃厚に含まれていた。だってHTML1で定義されているタグは24種類あるが、そのうちリンクに直接的に関係しているのはAタグひとつきりで、あとの23個はTITLE、H1はじめ、文書の論理的構造を表現するためのタグなのである(ただ、IMGタグはHTML2以降)。 テキスト形式では伝えにくい文章のナカミそのものを、どうやって書き、あるいは読むかというソリューションがHTMLだった。 ぼくの欲しいのはそれなのだ。 ライターであるぼくはエディタでシンプルなテキスト形式で原稿を書く。それをちょこちょこと最小限の加工をすることで、HTML化できる。HTMLを見るための装置、つまりブラウザはいまや「誰でも持っている」し、「誰もが使っている」。インストール方法や使い方を教えるまでもない。どこかに置いておいて、その置き場所(URL)をメールか何かで教えるだけで、チームの全員が見ることができる。 そして、それをテキスト形式で保存することで、チームの全員がぼくが書いたテキストそのものをも入手することが可能だ。つまり「誰もが見ることができる」こともブラウザで実現するし、編集現場で文字数をカウントしたり、DTP現場で流し込みの元に使うためにテキストファイルが必要になれば、「誰しもが扱うことができる」エディタの形式にストレスなしで即座に戻すことができる。 もちろん現在使っているHTMLはバージョンが進んでいるから、図版をしかるべき位置に挿入しブラウザ上で表示することもできる。 具体的には、書き手としては構造上の要素(中見出しだとか小見出しだとか、図版の挿入位置と図版名とか)を「文中一意」でタイプする。たとえば「小見出しは■で始める」とかという具合に。 これはある程度以上の長文を記述する場合には書き手としては必須の要件であって、逆にそうするなと言われる方が難しいことだ(とぼくは思うが、不思議なことに反対意見もある。これはぼくにはまったく理解不能だ)。 全章がほぼ書き上がった段階で、このテキストファイルをHTML化する。具体的には、文中には図版とそのキャプションを ☆図zuhanmei△キャプション というカタチで書いておく。ローカルルールなのだが、コンピュータ関係のものの場合、イラスト以外の図版は書き手が用意することになっており、印刷上の理由でTIFF形式のものを作成する。つまりたとえばzuhanmei.tiffというファイルを用意するわけだ。しかし、ブラウザではTIFF形式の図版を表示することができないため、ここの図版名は拡張子を外したものにする。図版名とキャプションの間には「△」を書いておく。 そうしてHTML化する際に ^☆図{N[^△]+}△{[^<]+}<br />¥r ↓ <br />¥r<img src="img/¥1¥.jpg" width="300"><br /><span class="caption">¥1△¥2</span>¥r という正規表現置換を行う。あわせて図版をTIFF→jpegへの一括コピーを行う。これは画像ソフトを使えば一発で可能だ(ちなみにMac OS Xの場合は標準添付のグラフィックコンバーターを使う)。同じく小見出しは「■」からはじめて ■変数の初期化 という具合に書く。これを正規表現でHタグでくるむように置換する。 ■とか△、☆はなんでもいいわけで、文中一意であれば十分なのだ。つまり小見出し以外の行で文頭に「■」を書かないと決めておくだけ。 こういう置換はPERLなどを使ってもいい。最初はぼくもそうした。でも、毎回改正部分とか例外規則とかが発生するので、いまはエディタの検索置換機能でインタプリタ的におこなっている。 それ以上に気を付けなければならないのは、置換後に「■」などを残しておくということだ。 ■変数の初期化 を <h3>変数の初期化</h3> にしないということ。あくまでも <h3>■変数の初期化</h3> でなければならない。そうじゃないとHTMLからテキストに戻した時に、どこが小見出しだかわからなくなる可能性がある。 話がいささか細かいところに入り込んじゃったが、要は、構造的な文章をこころがけていれば、生テキストからHTML化するのは、ほとんど手間がかからないということだ。そうしていったんHTML化してしまえば、当のライターを含めたプレーヤー全員にとって、とっても見やすく、利用しやすいものになるということなのである。 これに気が付いてから(先にも書いたように恥ずかしながら最近のことである)、書籍の原稿はHTML化するようにした。編集者にもDTPの現場にも、おおむね好評である。 ともあれ、原稿はこの状態にあった。校正もなにもかけていない極め付きの初稿の段階ではあるが、ともかくもこの状態にはなっていた。 だから、これをプリントして製本したら査読のための「テキスト」は完成する。 ではどうやってプリントするか。ぼくはヒューレットパッカードの両面インクジェットプリンタを所持している。これを使えば自動的に両面印刷ができる。ブラウザの印刷機能は優れていて、ほとんどのブラウザでは「用紙サイズに縮小して印刷」ということができる。つまりB5の用紙に縮小して印刷ができる。画面で見て快適な文字サイズは印刷するとヤケにでかくなる。だからこの縮小印刷は必須の機能である。 刷り上がったものを製本するのは、前回も書いたようにきわめて楽しい作業だ。これはちっとも苦じゃない。 印刷は自動でできる。製本はヨロコビである。これは楽勝だ。 作業を始める前にはそう思った。しかしそれがとんでもない見込み違いであることは、実際に作業をはじめてすぐにあきらかになった。 タイヘンなことであったのだ。 |
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上山さんより [2004.10.02] |
標準にしたいですね 私はHTML→MSWordでやろうと思っていることがあります。 辞書のようなものです。 エディット並び替えはエディタやスクリプト言語でちょこちょこやって MSWordへ流し込み。 柱もMSWordのフィールドを使って自動で例えば用語のふりがなの 頭三文字分の柱をつけることができます。 原稿→HTMLを標準にしたいですね。 TeXがそうなるかと期待したのですがダメでしたからね。 HTMLなら現実的だと思います。(やっぱりむずかしいのかな(^_^;) ただwordで書いてHTML保存なんてのはやめて欲しいですよね。 ____ 標準ってのはムリかもしれませんが。ただ、「受け手のスキルを要求しない」というところはいいかも。(石田) |
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