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[第17章●よくわかる十干十二支]
3… 十干十二支暗算法
[2006.03.23登録]

石田豊
ishida@pot.co.jp

前回書いた十干と十二支が「それぞれが独立して次のヤツにバトンを渡しているだけやん」と気がついたその瞬間、同時に、「そしたら十干は西暦の年の一の位と連動しているはずや」ということに気がつきました。甲乙丙丁が10年ローテーションしているなら、甲の年の西暦の一の位はいつも同じはずじゃないか、と。

歴史年表で確かめてみると、ビンゴでした。西暦の末尾が0で終わるのは、ぜんぶ庚の年だったのです。南都美し平城京の710年は庚戌、せんろっぴゃくの関ヶ原は庚子です。

これに気がつけば十干のどれが西暦末尾のどの数字に対応しているかをひとつだけ覚えれば、後は自動的にわかるということになります。今見たように、庚は0なので、それで覚えてもいいんですが、私は「甲は4。だって甲し園っていうからね」と覚えました。「丁という字は7に似ている」でもいいかもしれません。とにかくひとつ覚えれば、あとは指折り数えればすぐに求められる。

甲4・乙5・丙6・丁7・戊8・己9・庚0・辛1・壬2・癸3

この「法則」を覚えてしまえば、少なくとも今年の干支は自信をもって断言できます。エトは(年賀状とか、あ、ことしお姉ちゃん年女やん、とかで)覚えているから、それと組み合わせればいい。2006年は戌年ですし、6は丙だから、丙戌、ということになる。ヘイジュツと読んでもヒノエイヌと読んでもOKです。

十干と西暦末尾の数字の関係に気がついたら、その類推で十二支のほうも「西暦の年を12で割った時のあまりが十二支に一致する」ということにひらめくのは時間の問題です。つーか、すぐにピンとくる。

西暦年を12で割ったとき、余りが「4」になるのが「子」の年です。「子」は「シ」と読みますし、干支の最初が甲子ということからみると、甲は4(10で割った時に余りが)、子も4(12で割った時の余りが)で、奇しくも一致しています。甲子は4ゾロメで始まる、と覚えたら、もしかすると早いかもしれません。

動物イメージがついているため、「サルは割り切れる」(余り0)というイメージで覚えてもいいと思います。割り切った関係のサルを想像するわけですな。

子4・丑5・寅6・卯7・辰8・巳9・午10・未11・申0・酉1・戌2・亥3

つまり、まとめてみると、西暦年を10で割った時の余り(それは西暦年の1の位の数字と同じということですが)で「干」がわかり、12で割った時の余りで「支」がわかるということになのです。

この関係を覚えておけば、どの年でも、たちどころに干支を導きだすことができますし、干支を示されれば(だいたいどの時代の出来事だということがわかっていれば)西暦に換算することができます。

甲子園球場は甲子の年にできました。「干」が「甲」ですから、西暦の末尾は「4」です。「支」が「子」であるから西暦を12で割った時の余りも「4」ということもわかります。

この球場ができたのは、そんな昔(たとえば江戸時代)ってことはありえません。だったら1900年代で「甲子」の年は何年だと計算してみるわけです。1900を12で割ると余りが4です。つまり西暦1900年は「子年」ということがわかります。だから1900、1912、1924,1936,1948が子年ってことですよね。この中で1の位が「4」なのは「1924」だけです。1924年が「甲子」の年だということが算出できたわけです。

この年の60年前、60年後も甲子です。1924に60を加減すると、1864と1984となります。1864年は「いちやむなしく」の前ですから幕末ですね。なんぼなんでもこれじゃない。1984年ということもありえない。それだったら20年ほどの歴史しかないってことですからね。江川卓はどこで投げたんだ、ということになる。

こういう過程を経て、甲子園球場ができたのは1924年ということがわかります。大正13年ですな。

つづいて壬申の乱を「計算」してみましょう。「壬」から末尾が「2」、「申」から12で割り切れる年であるってことがわかります。この乱はだいたい7世紀ころじゃろとのアタリはありますから(それがなかったらお手上げということですが)7世紀で考えると、まず612年が壬申ですな。ひとつでてきたら、それに60を足せばいい。552年、612年、672年、732年が壬申であるということがわかります。

552年ということはありえないし、732年はもう奈良時代だからダメでしょう。ってことは、612か672のどちらかということになる。ここでウンウンと脳内をまさぐって「大化の改新ムシゴ匹」というのがぽっかり浮かんできたりすればメッケもんです。大化の改新は中大兄皇子であって、彼の後継のゴタゴタが壬申の乱。ここまでわかれば自信を持って「672」がファイナルアンサーってことになります。

どーですか。キホンのところをちょっぴり(しかしシッカリ)覚えておけば、干支は非常に整理されたシステムであるので、とてもパワフルってことがおわかりいただけた、と思います。

ただ、問題は「12で割った時の余り」っていう計算ですね。これは暗算では難しい。電卓または紙と鉛筆が必要になる。本を読んでいたり、会話の中で干支が出てきた時に、電卓を持ち出すことはいささか面倒です。こんなことはできれば暗算でおこないたい。それは可能か。

へいへい旦那、ええ方法がありまっせえ。

まず、西暦の百の位に注目します。百の位が3で割り切れる世紀末、つまり西暦300年を筆頭に、600、900,1200、1500、1800、2100年は同時に12でも割り切れます(つまりこれらの年は「庚」年です)。それから100年後、つまり400、700、1300、1600、1900、2200年は12で割ると余りが「4」になります。なおも100年後、つまり500、800、1400、1700、2000、2300年は余りが「8」です。最初にこれを覚えてしまいます。つまり「3で割れれば余りなし、そのつぎが4、そのつぎが8。ゼロヨンパ」ということを覚えるわけです。これを覚えればあとの処理は残りの2桁(つまり01年から99年)だけが対象です。

私がかねてから主張しているように、日本の小学校でもインドのように「19の段までの九九」を暗唱させるようにすると、それだけで問題解決なのですが、そうじゃなくても、2桁の数字の中に収まる12の倍数はわかるはずです。

12、24、36、48、60、72、84、96
の8つです。これくらいならまる暗記しちゃってもすぐですし、暗記しなくても脳内でパコパコパコと組み立てられます。

西暦の下二桁がこの8つの「12の倍数」からどれだけ離れているかを引き算するのです。

たとえば1951年を例にとると、「51」は12の倍数「48」から「3」離れています。つまり余りは「3」です。これなら暗算でOKでしょ。

つづいて上2桁、つまり1900の部分。これは先ほどのゼロヨンパの定理(になっちゃたんかよ、おい)から「4」ということがわかっています。そこでこの「3」と「4」をたして「7」。これが1951を12で割った時の余りに等しくなります。

余り7は卯です。つまり1951年は卯年ということが暗算できるわけです。

同時に1の位が「1」なのは辛だということがわかっているので、1951年は辛卯だということがわかります。カノトのウですね。

いかがでしょう。これならどんな西暦からでも暗算で干支を割り出すことができます。逆方向に考えれば、干支から西暦を導きだすことも可能でしょう。

紀元前はどうするか? これはやめときましょう。干支システムは漢の時代に成立したもので(しかも漢代にはシステムに混乱がある)、ざっくり言って、紀元前の干支は無視しちゃったほうがいいと思います。現実的なニーズもないことでしょうし。

ここまで来ると、もはや十干十二支はバッチリマスター、自家薬籠中のものになったと思います。しかも、このシステムは「年」だけでなく、他の分野でも使われているのです。歴史の中での時間や方角も、あと少しでバッチリわかるようになります。

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