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ゲイという[経験]増補版
[2004.01.05刊行]
著●伏見憲明
定価●3500円+税
ISBN4-939015-60-2 C0095
A5判/672ページ/上製
印刷・製本●株式会社シナノ
ブックデザイン●小久保由美
在庫有
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(締切2004年1月3日まで)
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(締切2004年1月4日まで)
【立ち読みコーナー】※本書所収原稿の一部を紹介
◆対談
「ゲイという経験」をめぐって
伏見憲明×野口勝三
(一部抜粋・冒頭部分)
野口…… これまで伏見さんは「ゲイ」のフロントランナーとして、さまざまな活動をしてこられました。活動の期間である90年代以降は、日本の社会で「ゲイ」という主体が共同性として確立していく過程でもあったといえるでしょう。その活動の社会的側面は、伏見さんの内的必然性に裏打ちされていたと思います。今回は実存の側面と絡めつつも社会的側面に力点を置いて、「ゲイ」と「社会」の関係、ゲイ共同性内部の問題、「ゲイ」とその他のセクシュアルマイノリティの関係、「ゲイ」の現実と言説の領域、などを軸にしてたどり直してみることにします。
お話をうかがっていく上で、「ゲイ」というマイノリティの問題を、一部の特殊な人々だけの問題として扱うのではなく、少数者一般や、近代社会と個人の関係、または理論と現実といった、より大きな諸問題を照らす鏡となるように、扱っていきたいと考えます。
カミングアウトの動機と、
過去のリアリティ
野口…… 伏見さんは『プライベート・ゲイ・ライフ』(1991年・学陽書房/1998年・学陽文庫/『ゲイという[経験]』収録。以下、『プラゲイ』と表記)で91年にデビューされました。この本はゲイの初めてのカミングアウト本であり、またゲイ差別の問題を個別的な差別問題としてではなく、ジェンダー論やセクシュアリティ論という、より大きなパースペクティブのもとに位置づけたものとしても初めての著作でした。一例を挙げれば、セクシュアリティを、身体の性別やジェンダーといった独立変数の組み合せで考察するなど、現在では常識となった見方を提示され、その後のセクシュアリティ研究に多くの影響を与えた作品でもあります。そこで最初に、当時伏見さんが一体どんな問題とぶつかり、どのようにその問題に取り組まれ、そしてそこから何を取り出されたのか、出版以前も含めて振り返っていただきたいのですが。
伏見…… うーん、あまりにも今とリアリティが違いすぎて、過去を思い出すのはとてもむずかしいですよね。一気に近代からポストモダンまで駆け抜けた感じだから(笑)。
野口…… 伏見さんのデビュー当時の状況というのは、「ゲイ」というカテゴリーが受けてきた抑圧や利害が、そのまま「ゲイ個人」に対する抑圧や利害とぴったり重なっていたと思うのですが。
伏見…… 僕が『プラゲイ』を書いたのは、単純に、なんで世間でゲイについて書かれたものは、こんなに嘘ばっかりだったり、偏見に満ちていたり、差別的であるんだろう?という義憤、私憤からです。一般大衆からインテリに至るまで、ゲイについては間違ったことをいっていても許されるという状況に、激しい怒りがありました。しかし、そういう気持ちを共有してくれるゲイの仲間が僕にはいなかったんです。ゲイということでなにかを語り合うとか、問題意識を共有すること自体が成立し得ない時代だったんですよね。新宿二丁目なんかでもそうです。セックスライフ以外のライフスタイルを共にしているという感覚はなかった。だから、僕は『プラゲイ』以降も、そういう共同性が成立するなんてことは、まったく想像していなくて、あの本の中にも、「もしかしたら他のゲイの人に反発を買うかもしれない」とわざわざ書いているくらいです。みんなで何かをするという意識、例えばウーマンリブの田中美津さんの表現でいえば「点ではなくて面になって闘う」という現実的な目標すらなかった。だから、とりあえず一人で私憤を晴らそうと思っていました。自分に加えられた差別やら偏見に対して、私は私の闘いをするんだ、という感じだったんですね。
野口…… 90年代初頭には、伏見さん以外にも、アカー(動くゲイとレズビアンの会)や、大阪のグループ、南定四郎さんたちなどゲイのアクティヴィストが登場していたわけですが、伏見さんはそういう活動と連帯を組んでいるという意識はなかったわけですね。しかし、同時代的なある種の感受性というか、共通の問題にぶつかっているという感覚はあったと思うのですよ。
伏見…… だからもちろん、自分は「前衛なんだ」っていう意識はあったんじゃないの?(笑)
偉そうに上からゲイシーンを眺めていたっていうのはある。こっちの方が正しいんだ、という確信はあった。
野口…… 社会的な「抑圧」が存在すると感じるとき、それを処理するやり方には、抑圧を解消するように働きかける運動や言説を組み立てる方法と、抑圧があったとしても、それを内的に正当化することで問題を処理するやり方があると思いますが、利害として「抑圧がある」という点で両者は共通しているのですね。僕は伏見さんの後を受けて、ゲイと社会の関係について考えるようになった人間ですが、伏見さんの活動から受け取ったメッセージは、自分たちは社会的抑圧の中、自由を手にしていないのだが、ゲイとして、社会的自由を追求していくことが可能なのだということでした。少し大げさないい方をすれば生きていく力を得たというか。
伏見…… だけど、しつこいようだけど、「ゲイ」全体の利害、という発想は僕の中では非常に理念的なものであって、現実感はなかった。当時二丁目にいた友達の様子とか、ハッテン場にいるようなほかのゲイの様子とかを考えたときに、「ゲイ」という共通の問題意識が実体化するようには思えなかった。
[……続きは本書でお読み下さい]
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