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ポット出版
立ち読みコーナー●ゲイという[経験]増補版
[2005-01-31]
ゲイという[経験]増補版

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ゲイという[経験]増補版
[2004.01.05刊行]
著●伏見憲明

定価●3500円+税
ISBN4-939015-60-2 C0095
A5判/672ページ/上製
印刷・製本●株式会社シナノ
ブックデザイン●小久保由美

在庫有

★予約および予約特典はすでに完了していますのでご注意ください。[2005-01-31]

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ご希望の方には、予約特典CD『伏見憲明「生」LIVE・のりえのお悩相談(仮)60分』を送ります。通信欄に「予約特典CD希望」とお書き下さい。 (締切2004年1月3日まで)


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【立ち読みコーナー】※本書所収原稿の一部を紹介

◆曲がり角を過ぎても
人生をバックアップしておくこと
雑誌『バディ』
二〇〇三年四月号

 この連載は静かな反響を呼んでいるようです。読者の方からのメールは多いですし、二丁目などで見知らぬ方から感想を言っていただくことも何度かありました。その後、急に、いろんなところで中年期以降のゲイライフの問題が語られ出したのにも勇気づけられました。きっと、こういったテーマを考えるべき時期にシンクロしていたのでしょうね。
 読者の方からこんなメールをいただきました。

「……三十代を半分過ぎて、俺も自分の人生がなんだかつまらないものに思えてきてしようがないんです。仕事が生き甲斐かといえば、そんなことはないし、とくにこれから達成したいこともなし。たしかにここ数年、ゲイであることを自由で楽しいと思えるようにはなったけれど、平平凡凡な俺が、これから何を拠り所にして暮らしていくのかを考えると、ため息をついてしまうのも事実です。ある意味で時間が余りすぎているんですよ……」(匿名A)

 こういう内容のメールはいくつかあって、みんな同様の壁にぶち当たるのだなあと痛感しました。もちろん、資産があったり高収入だったりする人は、派手な消費で時を稼ぐことはできるけれど、多くの人たちは限られた生活条件の中で、人生の果てしない時間を埋めることに戸惑わざるを得ない。ましてや、右肩上りの時代のように未来になかなか希望を見出しえず、不況の風にさらされている昨今なわけですから。そして、一番多い悩みはやっぱり恋愛です。

「三十歳を越した頃からゲイバーとかにも行くようになったのですが、三十八歳の今日まで、結局、パートナーと呼べるような出会いはありませんでした。たまに付き合うようなことがあっても、しばらくすると、どっちかが浮気をしてケンカして別れる、といったことばかりでした。最近ではもう理想なんて求めてないのですが、今度は出会い自体がなくなってきて(!)、そういう相手を得ることをあきらめかけています」(匿名B)

「……あんまり男ができないので、ジムに通うのも面倒になってきました。どうせこれからも一人で生きていくのだからと、ジムに払うお金を貯金に回そうかとも思うんだけど、それも空しくて。これって負け組ってことでしょーかね?(笑)」(匿名C)

 ゲイシーンの利点は、ハッテン場などのアトラクションや出会い系システムの充実によって、性愛の実現が容易なことでしょう。けれども、それがたやすいということは、性的な排他性によって関係が保障されづらいということでもあります。社会学者の宮台真司さんは、そういう方向性で進んでいる状況一般を「流動性が高い」という言葉で表現しますが、まさに、僕たちのパートナーシップは、そんな激流の中に危うげに置かれています。大塚隆史さんの連載で常に話題となっているのも、まさに関係の安定・永続性と、個々の欲望の自己実現をいかに両立しうるか、といった事柄です。そして、そこで語られていないもう一つの重要な側面は、結果、人生でもしパートナーと出会えなかったとしたら……ということでしょう。
 対関係の流動性の高い現実の中では、人生はシングルであることを基本に考えなければならないでしょう。今現在パートナーと思える相手がいたといっても、その関係はいつ解消されるかわりませんし、結局、カップルにしても最後は時期をずらして死別することになる。そういうことを考慮すると、僕たちはシングルとしてのゲイライフを鍛え上げていくしかありません。
 また、こんなメールもいただきました。

「伏見さん、今度の連載、身につまされるところがあります。私は伏見さんと同世代、四十一歳の者です。先日、ハッテン場に行ったのですが、そこで二十代のイケメン君にちょっかいを出したら、手を払われた上に、『うぜぇんだよ、オヤジ』とすれ違いざまに言われました。私はけっしてしつこく迫ったわけではなかったので、いくらなんでもそれはないだろうって……ジムにもたまに通っていて、実年齢よりは若いつもりになっていた私ですが、今回の件で、すっかり中年であることの悲哀を感じるようになってしまいました。これから若くない年代をゲイとしてどんなふうに生きていけるのか、不安を感じています」(匿名D)

 ゲイ雑誌の広告などを眺めていると、ハッテン場で四十歳以下と入場者年齢を限定しているところは多いようです。肉体の衰えが顕著になる年齢になると、若者に混ざってそういった場所に行くのも段々とためらいが生じるようになりますが、実際、そこで中年以上の人が疎まれるケースも珍しくありません。
 振り返ってみれば、僕なども若い時代、サウナなどで『ジジイは来んなよ!』などとよく思いましたし、友達どうしの会話の中でも、年配の人たちのことを揶揄していた記憶があります。そしてそれは現在でも若者の間ではしばしば口にのぼることでしょう。性愛の論理においてそれは仕方ない面もあるにしても、僕らの世代も天に唾した罰を、今になって受け取っているということかもしれません。
 ゲイの性愛は、そこに結婚といった社会関係が入り込んでいなかったがゆえに、見た目(筋肉とか髭とか短髪とか…)をルールにした純粋な記号ゲームになっています。それはきわめて合理的で、効率的になされているので、ゲームとしては確かに面白いし、セックスのパートナーを見つけやすいという良い面も多分にあります。しかし、ゲームを追求するあまり、他の要素を軽視しすぎる傾向もないとは言えません。その人が人格的に成熟しているか、どんな人生観を持っているのか、関係性に何を求めているのか……といった精神的な面よりも、髭があるかどうか、短髪かどうか……といった要素ばかりにパートナー選択のプライオリティにあるとしたら、それもまた滑稽なことと言えなくもありません。
 ちょっと道徳的な物言いになりますが、ゲームをゲームとして楽しむ一方で、人間全体として相手を理解し、関係を育むという意識も大切なのでしょう。僕たちがそういう深みのある性愛文化を作っていかないかぎり、ゲームの果てに待っているのは、ある種の消耗感と、寂しさだけのような気がしてきます。
 そして、その文脈でゲイライフを考えるとき、やはり「ゲイコミュニティ」というフィクションを無理やりにでも立てて、さまざまな属性の、さまざまな世代のゲイたちが交流する機会を促していく必要を強く感じます。
 それはゲイという共同性に閉じ篭るという意味ではありません。ゲイという「縁」を利用して、コミュニケーションを可能にする「場」をいくつも設定することで、自らの人生をバックアップしておくということです。
 そうして育まれる友愛こそが、僕らの後半生を豊かにする資源となるのではないでしょうか。

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