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たったひとりのクレオール
聴覚障害児教育における言語論と障害認識
[2003.10.20刊行]
著●上農正剛
定価●2700円+税
ISBN4-939015-55-6 C0096
四六判/512ページ/上製
決してきちんとは「聞こえない」にもかかわらず、「聞こえているはず」という視線の中で生きていかざるを得ない子どもたちの苦しみを、私たちは本気で考えたことがあったのだろうか。(本書より)
約10年にわたる論考の数々によって、聴覚障害児教育に潜む諸問題を分析し、新たなる言語観、障害観を提起する試みの書。
無料【宣伝リーフレット】
『たったひとりのクレオール』という1冊
直接触れることのできる書物は、
聴覚障害者にとって健聴者以上に重要
■福嶋 聡
一一月一一日(火)竹内敏晴氏、一二日(水)石井正之氏と、ぼくが担当するトークセッションが二夜連続であった。両日とも手話通訳の方に来ていただいた。もちろん、聴覚障害者のお客様の参加があったからだ。
経緯はこうである。一〇月二六日(日)の夜、トークセッションの受付を担当しているサービスコーナーから内線があり、「一一日と一二日のトーク、手話通訳を付けていただけるなら参加したいというお客様がお見えなのですが……」と告げられた。最初虚をつかれたぼくは程なくハッと思い当たり、すぐにサービスコーナーに向かった。予想通り、そのお客様は、その日のトークセッションに参加されていた、聴覚障害を持つTさんだった。
その日のトークは、講談社ノンフィクション賞を取った『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史著、北海道新聞社)をめぐってのものだった。開演前に会場である四階喫茶にいたぼくは、Tさんの存在に気づき、担当者から講師の手配で手話通訳の方も来られていることを知った。その時のぼくは、「なるほど、テーマがテーマだけにそういうこともあるのだな。」という程度の認識だった。サービスコーナーからの内線にハッとしたのはそのためである。その日の状況が、約二週間後に自分が企画しているトークセッションにも生じうるということを想像もしていなかった不明を恥じたのである。
竹内氏はほぼ成人するまで難聴者として苦しみ、言葉を自由に操れるようになったのは四〇歳を過ぎてから、という演出家である。九七年に『顔面漂流記』で「顔にアザのあるジャーナリスト」としてデビューした石井氏の今回のテーマとなった本は『肉体不平等』だ。聴覚障害を持つTさんが何としても「聞き」たい、と思うのは、当然であった。手話の出来ないぼくは、Tさんと筆談で「会話」しながら、何とか努力してご参加いただけるようにしたい、と約束した。
さっそく、翌日からいくつかの方面に助力を依頼し、竹内さんの伝手で紹介された通訳者の方に両日ともお願いすることができた。Tさんへの連絡はEメールで行ない、もちろんTさんは両日とも参加下さった。終了後「参加できてとても有意義だった」という内容の感謝のメールを下さり、「これからも参加したい企画があれば、無理をお願いしたい」と書かれていた。ぼくは「できるかぎり努力するので、遠慮なく申し出て下さい」と返信した。
ちょうどその頃、ポット出版の、『たったひとりのクレオール』をたまたま読んでいたのも不思議な縁だった。この本は、長年聴覚障害児・難聴児の教育に携わり、また思索を深めてきた上農正剛氏が論文や講演をまとめたものであり、そうした世界に余り縁のないぼくにも、極めて刺激的で示唆的な本であった。
周囲の無理解や、皮肉にももっとも近しい人たちである親や医師、教師たちのいわば「善意」(実はエゴイズム)によって、聴覚障害児・者がいかに不利益を蒙ってきたかが、切々と語られる。教育実践者であると同時に哲学研究者である上農氏は、具体的な事例を掲げながらも声高な告発をするわけではなく、ことの本質を冷静に見極めようとする。もちろん、それは何よりも聴覚障害児・者への寄与を目指してのことである。
たくさんの人に掛け値なしに薦めたい、新鮮な刺激に満ちたこの本は、読者一人ひとりに多くの発見をもたらし、新たな思考を促すと思われるが、書店人であるぼくにとって、特に重要に思われたのは、聴覚障害者にとって、「聴覚口話法」「書記日本語」「手話」が、全く別個の言語であり、(ぼくらが想像するように、たとえ「翻訳」のような形であれある種のリンクが張られているのではなく)それぞれの間は完全に寸断されている、という事実である。
話題になった本の著者に来ていただいて話をしてもらう「トークセッション」という企画において、本とトークは地続きである。内容的にそうであることはもちろん、本を書くという行為と、語るという行為、即ち書かれた表現と語られた表現は、地続きである。ぼくは、確かにそう思っていた。でなければ、著書をめぐって語って下さいと著者に依頼する「トークセッション」の企画自体が生まれない。
しかし、明らかに聴覚障害者にとってはそうではない。「聴覚口話法」と「書記日本語」はふたつの別々の言語なのだ。聴覚障害者は「書記日本語」による書物には直接触れることが出来るが、その書物を巡る「トーク」に触れるためには、手話通訳者の介在が不可欠なのである。「トークセッション」における前述のエピソードが物語るのは、この単純な、しかし重要な事実なのだ。
ぼくら書店人にとって特に重要なのは、直接触れることのできる書物という形態が、聴覚障害者にとって健聴者以上に重要だ、ということである。上農氏によれば、読書を通じてハンディキャップを乗り越え、「エリート」への道をたどった聴覚障害児も多いという。ただし、「多くは自分一人だけで没頭した読書や暗記型の勉強で身につけたもの」(『たったひとりのクレオール』四一九頁)でしかない経験や知識は、聴覚障害者「エリート」にとって新たな問題をもたらす。また、「書記日本語」に習熟することが、逆に「日本手話」の習得に弊害をもたらすということもあるらしい。(ここでは十分に紹介できないので、是非『たったひとりのクレオール』をお読み下さい。重ねて、推薦します。)
しかし、「読書とは書かれた言葉を通して『他者』の思考と出会う体験であり、その意味で異文化理解への非常に重要な入り口」(同二二〇頁)であることに間違いはなく、「『他者』の思考と出会う体験」が人間にとって不可欠なものである以上、書物が聴覚障害者にとって健聴者以上に重要だと言っても誤りではないのではないか、と思う。
ならば、書店現場にもっと聴覚障害を持つお客様がいらしていても不思議ではない。そうではないのは、手話通訳を含めて、われわれ書店側に、そうしたお客様を迎える準備と構えがそもそも出来ていないからではないか。
「トークセッション」での手話通訳の依頼。ほんの小さな出来事が、こんな反省にまで、ぼくを連れて来てくれた。
(初出●人文書院ウェブサイト連載コラム『本屋とコンピュータ』二〇〇三年一一月二六日)
■福嶋 聡
◎ジュンク堂書店・池袋
ふくしま・あきら
一九五六年に生まれる
京都大学文学部哲学科卒業
一九八二年・ジュンク堂書店に就職、サンパル店(神戸)勤務
一九八八年・京都店、人文書売り場を担当、のち副店長
仙台店店長を経て、現在、池袋本店副店長
●著書
『劇場としての書店』(新評論)
『書店人のしごと―SA時代の販売戦略』(三一書房)
『書店人のこころ』(三一書房)
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