今日、沖縄県女性総合センターの図書館から借りて読みました(雑誌最新号では図書館は悪くないという話題だそうですね)。
私は(といって、自分自身のプロフィールを書いて、自分が差別を経験したって書き出すこと自体、なんだか胡散臭いし、いんちきっぽいですが)生まれも育ちも沖縄。
父が幼少の頃から私に向かって「川崎に行ったら、食べ物屋の店先に沖縄人お断りって書いあったんだよ」とか、ジャズボーカリストをずっと続けている母を指して小学校のクラスメートから「アメリカーの歌を歌うのか?」とか「売れない歌手のむすめぇ〜(でもレコードとか出してるわけでもないから、売れる売れないは関係無いんじゃないか、と幼い心ながら疑問に思ってたんですが)」、とか、それでも2級(ぐらいだったはず)障害者で働く母とかを見てきて、障害とか差別とか興味津々、大好きな一児の母です。で、興味をそそられて読んでみました。
私の友達に…、とか当事者近辺ぶって弱者ぶって本文を続けるつもりじゃありません。
私が投稿した理由は、ぜひここ沖縄でも差別についての言葉を考える議論の場かなんかをできたらいいな、と思いまして。
「ばかちょんかめら」。むかーしはみんな使ってた気がするけど、朝鮮人をばかにするという意味で、使っちゃダメらしいよ、と幼少のとき父からそっと教わりました。そして初めて朝鮮人が「差別」にあっているんだと知りました。そんな感じで、消えていく、いや恣意的に消していく言葉のその恣意の部分に差別が有るような気がします。そこで…、
『部落』。実は沖縄では、日常茶飯事に使われています。なぜなら、私達は、部落が差別にあたることばだという認識がありません。田舎のおばあちゃんがインタビューに答えて「うちの部落の年間行事になってますよ〜」とか平気で答えちゃったりしています。普通に暮らしている沖縄の人の中でも、部落という言葉自体に敏感な人はあまりいないと思います。でも、都市化、そして沖縄のマスコミ自体もその言葉を本土に真似て消そうとしています。私自身、恣意的に消そうとしている、育児休暇中のローカル局のディレクターをしています。実際、事前に収録してその言葉が出てきたら消しちゃいます。でも、そうやって過敏に反応すること自体、改めて部落は差別されていることを上塗りしているような気がして止みません。ここで部落という言葉を消してくのは、いったいどうなんだろう、という漠然とした気持ちでおります。差別についての議論、沖縄でもできたらいいなあ、と思いメールしました。あと、『「沖縄」は差別されているのか』、とか。
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