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コンクリート固めにより、折れ部分撤去作業はいったん休止せざるを得なくなってしまった。むやみに掘り返そうとしても、うまくいかないことが明らかだからだ。
そこで、再チャレンジに備えてその周辺を少し治療することにした。自前-インプラント-歯なし-自前となっている歯並びの、自前2本である。インプラントによって連結されていた10年半、ここは手つかずで放置されていたわけで、その間に虫歯になっているらしいのだ。
自前といえば聞こえがいいが、この2本は完全な歯ではなく、根っこがちゃんとあるという程度の意味。歯茎の上にちょっとだけ出ている以外、目に見える部分はすでに削り取られていて、上ものを被せることでなんとか機能を果たしている。
歯が丈夫な人から見たら寝たきり病人レベル。こんなものにすがりつき、自前であると強調してしまうのも欠歯者の悲しさである。普通の感覚だとぼくの歯は、死にかけ-インプラント-歯なし-死にかけと表記するのが正しいのかもしれない。
だが、死にかけていようと、生きているメリット大きいのだ。生きてさえいれば補強が効き、入れ歯やインプラントと無縁でいられるのである。
自前歯2本の虫歯化に話を戻そう。これが深刻な要素をはらんでいるのは、もし悪質でどうにもならなかったら、インプラント計画の根底から考え直さなければならないからだ。
ここまでの計画は、自前-インプラント-歯なし-自前の4本連結をやめて、自前、インプラント2本(連結させるかは未定)、自前の4本立てプラン。自前歯はそれぞれ独立させる方向だった。ところが自前歯が弱体化してしまうと、1本立ちが困難になってしまう。
一番奥の歯は最悪の場合、抜きっぱなしの処置もあり得るが、手前の歯はそうもいかず、抜いたら何らかの方法で歯を作らなければならない。その方法とは、やはり入れ歯かインプラントなのである。
インプラント4本立て(または3本立て)という強烈すぎる対応か、それをあきらめて入れ歯にするか。経済力がないぼくの場合、インプラントうんぬんの線は完全に消え、黙って入れ歯を選択するしか道がなくなる。
だがしかし! 入れ歯にするにしても支障はあるのだ。入れ歯というのは必ず、支える歯を必要とするのである。右下全滅男になってみろ、支える奥歯はないわけだ。運良く一番奥が使える状態だとしても、手前がだめだったら前歯で支えなければならないのである。丸わかり式保険入れ歯でそれをやった姿を想像するだけで涙が出そうにならないか。
そういうことを前触れなしに言われたものだから、ぼくの動揺は激しかった。うろたえながら口をあんぐりと開けているのだった。そこに容赦なく機械がネジこまれ、まず虫歯箇所を除去。慎重に残った歯の強度が確かめられる。ぐらぐらしているようなら万事休すだ。
「うん、これならなんとかなりそうですね」
神の声に聞こえましたよ。
幸いにも根っこまでは虫歯化しておらず、かろうじてセーフ。将来的にはどうなるかわからないが、いまのところは独立を保てるらしい。
まったくものが噛めないままでは不自由なので、自前2本に仮歯を立てることになった。歯茎が歯に被さった状態になっている最奥は、歯茎をレーザーメスで焼き切り、仮歯がきっちり収まるよう処置。また虫歯にならないようにケアをする。医師としても、活かせる歯は活かしたい。少なくても、ぼくの担当医はそう考えているようだ。
見捨てられる恐怖から解放されるとともに、危機を回避してくれた医師への信頼感が芽生えるのを感じる。赤坂に比べたら最初から数段マシではあったが、担当医がしっかりした人かどうか、わからないままここまできたのである。当初の対応から人柄に関しては問題がないと思っていたが、腕前は未知数。それが今日の自前歯治療でぐーんと株が上がってしまったのだ。
この医師なら、手を抜くようなことはしないだろう。あとは、いかにして持てる技術のすべてを発揮してもらうか。ヤル気になってもらうかだ。
さて、次回の治療までに折れたりぐらついたら、支えとしての役割を果たせないと脅された仮歯もなんとか無事で、ぼくは再びスタートラインに。これでやっと、本格的なインプラント除去作業に取りかかれる態勢になった。
でも、相変わらず望みは薄そうである。自前歯の治療を施しているとき、通りかかった偉い医師に、担当医が大学病院の持つ除去機械の使用を求めたのだが反応は鈍かった。たぶん、ぼくのインプラントとは機械が合わないだろうというのである。
打つ手なしか。以前と同じように、はかない望みをかけ、根気よく超音波で揺さぶるしかないのだろうな。医師も「だめだろうな」と思いながら治療をし、ある程度の時間を費やしたところでギブアップ。そんな光景が目に浮かぶ。
そろそろ、ぼくも最悪の事態になったときのことを考えておくほうが良さそうだ。
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