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ポット出版欠歯生活
第12回3本目の抜歯

書き手北尾トロ
[2003-10-17公開]

 どーん!
 景気いいフリしても無駄か。
 また抜いたのである。今度は以前から予告されていた左上、最奥から3本目。すでに弱り切っていた歯はほとんど抵抗することもなく砕け、座って5分後には跡形もなく消えていた。
 新しい歯を人工的に1本作るには数十万の金と数ヶ月の時間がかかるというのに、本当に抜くのはカンタンである。歯科医としても気持ちいいんだろうなあ。スコーンと抜いて、それでお終いなら、こんなラクな商売ないよ。
 覚悟はできていたので精神的なダメージは少ない。抜歯も3本目となり麻痺してきたのだろうか。こんなことにだけは慣れたくないものだが、歯が消失したことの悲しみをほとんど感じないのだ。
 なにしろぼくの現状は抜歯3本に加え、インプラントを施した歯(最初に折れたところ)と、その手前が仮歯である。都合5本が不完全な状態なのだから、どうにでもなれといった心境になるのも無理はないのだ。
 しかし冷静に考えてみると、1本のインプラントが折れてしまったことに端を発する今回の治療で、治療にに半年以上費やしているのは、いささか時間がかかりすぎじゃないのか。しかも、まだ1本も完治していないのである。
 自分でも驚くほどの長期欠歯生活だ。
 医師は歯の全体を考え、将来を見越して治療をしているわけだが、なんとなく“不自由な暮らしを満喫”するために時間と費用をかけているような気になってくる。やがては歯を意識することなく生活ができる日常に戻れるという希望がなかったら、とてもガマンのきく現状ではない。
 なにしろ仮入れ歯がなかったら、まともにモノが噛めないのだ。そして、ぼくは自宅での朝・夕食時以外一日、仮入れ歯なしで過ごしている。入れ歯丸わかりで外出はできないからだ。
 外食は噛まずに呑み込める麺類が増え、定食なんぞは気が進まない。米が食いたいときはスーパーで寿司など買い、自宅で食べる。自分には、パック入りの寿司を買う習慣などまったくなかったから、これはあきらかに欠歯の影響だろう。オカズに他の総菜を買う気はまったく起きず、いつも寿司のみ。寿司は数回噛めば飲み下すことが可能で、ラクチンなのである。
 当然、いまやせんべいなどには何の興味もなく、今年に入ってガムを噛んだこともない。その代わりに口臭を消す、粒状の清涼菓子ばかりナメている。
 仮歯は要するに強力な接着剤でくっつけられているわけだが、歯磨き時にその接着剤らしき独特のイヤな匂いがするのである。実際には口臭を指摘されたりはしてないのだが気になるのだ。ひょっとして人様に不快な思いをさせているんじゃないかと。ガマンされてたらイヤだなと。
 口臭を指摘する。これは親しくなければなかなかできることではない。ちょっとアナタ、臭いますよとは言わないもんな。言えるとすればニンニクぐらいだろう。でもそれは、ニンニク臭に市民権があるからだ。みんながニンンクの臭さを知っていて、しかもそれを許す土壌がある。なぜならニンニクのうまさを知っているからだ。臭さの元がすぐにわかって納得できる上、ニンニクを憎む気持ちもないわけで、悪臭とはいいながら充分に守備範囲。自分だってラーメンにはニンニク入れます。ギョウザも食べます。お互い様じゃけんの気持ちにもなれるってもんなのだ。
 だが接着剤の臭いに市民権など皆無だ。接着剤の口臭? WHY? てなもんである。そんなものが面前の人間からタレ流されてきたらリアクションのしようがないではないか。嗅いだことのない悪臭は不気味さも手伝い、慣れ親しんだ悪臭の数倍は人を不快にさせると思う。
 その元がぼくなのだ。これは避けたい。で、がむしゃらに粒状清涼菓子。シュガーレスの「ミンティア」に頼っている。1回1粒なんて生ぬるいことでは不安はうち消せない。1回最低3粒。しかもひっきりなしなので、電車に乗ると口の中が爆発状態である。降りてタバコを一服したら強力メンソール味になっている。
 食事、口臭対策以外にも、残る歯を大事にしようと朝昼晩とヒマさえあれば歯磨きするデメリットがある。歯磨きのせいで逆に歯を痛めているような気がするが、わかっていても止められないのだ。欠歯+口臭のコンプレックスをまぎらわすために、他に何ができるというのか。必死で歯茎マッサージをし、ふと鏡を見ると、そこに写るのは口内が老人並になったオヤジである。情けない。

 抜歯後の経過は順調で、医師はつぎなる計画を発表した。インプラント手術をする前に、今回抜歯した左奥上3本目の両隣を整備して、ブリッジでつなごうというものだ。ま、インプラントを増やしたくはない以上、選択の余地はないだろう。そのために両隣を多少削ったりしなければならず、それはそれでイヤなのだが、何も考えることができないまま、ぼくは医師の提案に同意していた。

第11回●仮入れ歯 第13回●再開のごあいさつ
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