|
●ベストセラー複本論争を読み、かつ参加した後で思ったことが一つある。複本の購入を批判する人々(それは同時に現在の図書館のあり方を批判する人々でもあるのだろう)に対する複本の購入を擁護する図書館人(職員)という構図は何かが抜け落ちている気がするのだ。
それは予約をしてたとえ何ヶ月経とうと図書館を使ってベストセラーを読もうとする利用者がこの論争に参加していないことだ。カウンターにおいては、「私の予約した本(ベストセラー)はいつになったら借りられるのか」「いったいいつまでまたせるのか」といった声をしょっちゅう耳にする。そういった利用者が新聞の投書欄まで賑わす論争を目にしていないとは思えない。▼「私は、ベストセラーを待たずに読める図書館サービスを求める」という市民こそが、図書館を批判する人々と真に四つに組むことが出来る本当の対戦相手なのではないのか。▼そのような論戦において図書館員は対戦者ではなくレフェリーを務めるべきであろう。▼図書館をめぐる論争がしばしば職員同士で、あたかも学術論争のように行われるこの国で、図書館は真に市民に根付いたと言えるのだろうか。(小形)
●もうだいぶ前になるが、今年度の都立多摩図書館の逐次刊行物(雑誌・新聞、年報・年鑑)一覧を見た。今までは所蔵していたが、今回の再編計画によって購入されなくなる資料が黒く網掛けがされているリストである。ページごとに多くの黒い網掛けが続く墨塗り状態。“墨塗り……”——言論統制や情報の非公開を連想する行為だが、まさに、まさにである。通常の蔵書(図書)の処分がクローズアップされる中で、気になっていたのが逐次刊行物の処分。やはり大量に処分されている。▼市町村の図書館では逐次刊行物を長期間保存するスペースがない。市町村にかわって保存し、バックナンバーを提供してくれたのが都立多摩図書館だった。都立中央図書館は逐次刊行物を貸してくれない。墨塗り資料を見るには都立中央図書館まで行くことになる。電子ジャーナルを期待するには、まだ時間がかかる。そういえば、都立では、『ず・ぼん』も逐次刊行物扱いだったはず……。やっぱり墨塗り対象だ!(斎藤)
●図書館の複本問題について。ベストセラーを出している出版社は、図書館が大量に買って貸し出すから本が売れないという。私は、自分が編集した本を図書館が数十冊も買ってくれためちゃくちゃ嬉しい。それだけ売れることだから。ベストセラー版元がいっている「本が売れない」というのは本は、すごく売れている本だ。ということは、図書館が貸し出しに力を入れる前のベストセラーというのは、今よりもっと販売数が多かったのだろうか。大手出版社による「出版社一一社の会」が図書館に貸出実態アンケート調査というのを行ったけど、自分たちもベストセラーの発行部数の推移を発表するといいんじゃないだろうか。▼ベストセラー作家は、図書館が貸し出している回数分が売れたとして印税を計算すると、すごい損をしていると思うのだろう。でも、ベストセラーなんだから、その分がなくてもかなりの印税額になるはず。私が担当している著者の印税は、例えば二〇〇〇円の本を二〇〇〇部刷って全部売れたとして(ポット出版では、印税を実売数で支払っているケースが多い)、一〇パーセントの印税では、たった四〇万円にしかならない。▼図書館における著作権使用料は検討していったほうがいいとは思うけれど、ここ数年問題にされている複本については、捕らぬ狸の皮算用っぽい感じがする。これって、零細出版社のひがみなのかな。(佐藤)
●街の本屋がなくなるのか。街の小売店なんかほとんど使わない。食べ物はコンビニかスーパーかハナマサ。電機屋でなくビックカメラ。街の小売店で好んで行くのはパン屋くらい。本屋も大型のチェーン店ばかり。こうして街の小売店を使わず、街の本屋にも行かない僕は、本屋だけ残って欲しいなんて言えないし、おセンチな感情としか感じないと、言い切りたい気分。讃岐うどん(生麺)のお土産をもらった。とっても美味くて電話で注文してみた。電話にでた婆ちゃんはまるで注文受け慣れしていない様子。こういう小売店ならい……。▼図書館が必要なのは人間が生み出した知識を溜めてあとで使えるように保存しておくためと、金がなくても知識を生み出すことができるようにしておくことだと思う。レヴィ=ストロースがナチスから逃げて資料をなくしても、ニューヨーク市立図書館(だったっけな)で論文を書いたように。コレを「機能その一」とすれば、楽しむための読書のを提供するといった最近の図書館がやってることは「機能その二」。人気の本を何冊も買って提供するのは「機能その二」だから、そんなに複本が気に入らないんだったら、図書館を減らすしかないでしょ。今の図書館の件数は「機能その一」のタメには多すぎる。都道府県に各一つくらいじゃないのって話だ。でも僕は「機能その二」もあった方がいい。だから、複本もオーケーです。(沢辺)
●住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)には、多くの問題点があることが指摘されているにもかかわらず、8月5日からの稼働が強行された。住基ネットは、区市町村と都道府県、国の機関のコンピュータを接続し、住所、氏名、生年月日、性別及びその変更履歴、更に国民一人ひとりに付けられる11桁の数字の「住民票コード」を共有化するネットワークのことである。▼第一に、人間に番号を付け管理すること自体が許せない。まさしく「国民総背番号制」である。しかも、現在のところ、10省庁93事務が対象になっているが、今後民間団体をも加えた利用に拡大されることは必至であるとされている。▼第二に、そのセキュリティが脆弱であること。▼第三に、莫大な経費を投入して構築されるシステムでありながら、行政サービスの向上にあまり繋がらないこと。▼地方自治体に膨大な経費負担を強いるものであり、税金の無駄づかいである。住基ネットの施行は、「個人情報保護法」の整備が前提となっていたはずであるが、防衛庁が組織ぐるみで情報公開請求者の個人情報リストを作成していた事実を考えると、この国には、「人権」などという言葉は無きに等しいのだと思わざるを得ない。たとえ、「個人情報保護法」が成立したとしても、危険なシステムであることにはかわりはない。(手嶋)
●いま、私の勤務する大学で図書館を建てている。今秋着工の予定なので、正確には設計をすすめている段階だが、設計者と何度も話し合い、思いが二次元の上に表現され、三次元の模型になり、やがて実現される——と思うと楽しい。▼大学のある香川県善通寺市は、空海の生誕地だが同時に、第十一師団がある四国最大の軍都でもあった。初代師団長は乃木希典。じつは大学も戦後、騎兵連隊の跡地に、米国のキリスト教宣教師らによって創られたのである。▼現在でも旧軍の建物が事務室や研究室に使われていて、最近、これが国の登録有形文化財に指定されることになった。恥ずかしい話しだが、その後建てられた大学の建造物でこの旧軍の建物を超えるものはない。▼新しい図書館は、設計者選定時にお世話になった鬼頭梓氏に監修者という立場でご教示いただいている。大学の歴史を資料に刻み込みながら、百年、二百年と続いて、歳月が経つほど美しくなるような図書館をぜひ建てたいと思う。(東條)
●図書館サービスってなんだろうと考えさせられた「ず・ぼん8号」だった。正直にコクハクすると、私は最近、図書館に行ったことがない。行く暇がない。行く必然性もあんまりないんです。すみません(誰に謝っているのか……)。▼住民への図書館サービスというけれど、住民は必ずしも利用者になるわけではなくて、だから利用者といっても限られているなあと常々思っている。今の利用者だけの声で図書館をつくっていくとしたら、いま利用していない人は永遠に図書館なんか利用しないかもとも思ったりして。▼もしかしたら、銀行のATMみたいに町のあちこちに小さなコンビニエンス図書館があれば、仕事の昼休みのついでにちょっと休憩がてら本を読みに行くとかが起こりえるかもしれない。丸の内コンビニエンス図書館には「もっとビジネス書をそろえろ」なんて声があがり、表参道コンビニエンス図書館では、「カフェの本や美容師の本をそろえて!」なんていうリクエストが多いかもしれない。ベストセラーだけにリクエストが多いという今の図書館の状況って、やっぱりなんだか金太郎飴の品揃えをしている本屋に似ている。そしてベストセラー本を予約する人たちも、それが熱烈に読みたいわけじゃなくて、「まあちょっとおさえておこうかしら」という程度のものかも。▼図書館や本屋に行くおもしろさって、自分が予期せぬ本との出会いにあるように私は思う。「ああ、あなたに会えてうれしいわ」と思わず本を抱きしめるような、そんなシアワセな出会いをもとめて図書館や本屋に行きたくなる。だから、予約やリクエストを一切受けつけない頑固一徹コンビニエンス図書館があってもいいじゃん!と、図書館を利用もせず「理想の図書館」を妄想する私です。(那須)
●「杉浦茂——なんじゃらほい——の世界」という回顧展が三鷹市美術ギャラリーであり、日曜開館のあと、見てきた。一九五〇年代から六〇年代、月刊少年雑誌の最盛期に、「猿飛佐助」「少年地雷也」「モヒカン族の最後」など印象深い作品を残した漫画家だ。子供心に何か素敵ですごいのだが、なんと言っていいのかわからない。八〇年代以降、何度かメディアに引っぱり出され、識者がオマージュを繰り返した。“ナンセンス漫画”と呼ばれ、“シュールだ”“洒脱”“ユーモア”と評されるのを読んで、「そういうものか、間違いではないけど……」と黙ったものだ。▼一昨年に亡くなり、後半生を過ごした彼の地での展覧となった。当時の雑誌をならべ、原画と印刷紙面を比較したシンプルな内容だった。拡大コピーしていないのがコマ割りを読んでいく身には難儀だった。一枚また一枚クスクスと笑い続ける隣のおばさんに、それほどには反応出来ない自分が悲しかった。▼閉館が迫り、すべての展示を読むのをあきらめ、広くもない会場を一巡しながら、僕は不思議な安息と満足感につつまれた。帰りの中央線は適度にすいて、皆おしゃれにデフォルメされていて、杉浦茂の登場人物のようだった。▼「何だかんだ言って、結構好きなように生きているじゃん」。深夜、焼酎を飲みながら家人がほざいた。(堀)
●あなたの図書館、私の図書館、街の図書館、田舎の図書館、学校の図書館。▼こどもの図書館、大人の図書館、朝日のあたる図書館、昼下がりの図書館、宵の図書館。▼見る角度によっては、その後も影の形さえも違って見える▼そして、書く人、読む人、作る人、買う人、売る人、貸す人、借りる人、関心ない人……▼それぞれの立場がそれぞれの図書館を必要としている▼さて、図書館に新しい形容詞が必要になるのかな▼おっと副詞だったかな(真々田)
|