都立図書館あり方検討委員会の最終報告を批判した著者が再度、批判。今回は、最終報告書の結論を導いている論拠「役割分担論」と「一元化論」について、その妥当性を考える。
文●守谷信二
もりや・しんじ●町田市立図書館勤務。
一九五二年生まれ。固定資産税課に七年勤務の後、希望して図書館に異動。
図書館の面白さ、大切さに気付かされて、通信教育で司書資格を取得。
はじめに
筆者は『出版ニュース』二〇〇二年二月下旬号に、都立図書館あり方検討委員会の最終報告「今後の都立図書館のあり方〜社会経済の変化に対応した新たな都民サービスの向上を目指して〜」を批判する文章を寄稿した。その策定過程や内容について、事実と異なる点、矛盾すると思われる点などを、筆者なりに指摘したものである。
しかし、最終報告を読んでその記述内容を逐条的に批判するのは、空しくかつ苛立たしい作業だった。ある明確な意図を持ちながら、それを正面から率直に語るのではなく、流行のカタカナ語や定義の曖昧な常套句を駆使し、しかも自論の展開に不都合な事実については意識的に黙殺するような文章は、それだけを批判してみても本質に届かない空しさと苛立たしさがある。
たとえば、最終報告の第1章では、「都立図書館を取り巻く環境の変化」として、「情報通信技術の飛躍的な進展」「区市町村立図書館の充実」「行政改革・地方分権の進行」の三つの要素を取り上げている。この三つの選択自体きわめて意図的なのだが、特に「区市町村立図書館の充実」では、近年の区市町村立図書館の館数・蔵書・貸出冊数の増加や、多様なサービス内容を挙げて、その充実振りを強調している。しかし、区市町村の図書館が共通に抱えている課題、たとえば資料費の削減や書庫スペースの不足、各種の書誌情報がインターネット等に公開されるようになったため、古い本やマイナーな出版物への要求が急激に増大していることなど、都立図書館の役割と密接に関わるもう一方の事実については、全く言及していないのである。それはおそらく、そうした事実が最終報告の策定者にとって、自ら意図する結論を導く上で不都合だからなのだろう。
こうした点を批判したところで、策定者はそれを承知で書いているのだから、まともな議論にはなるまい。最終報告を一貫する論理、それ自体を批判しなければならない。
最終報告の結論とその論拠
最終報告は都立図書館を具体的にどのように変えようとしているのか、その結論をまず見ておこう。それは、第3章「都立図書館の目指すもの」の4、「都立図書館の運営体制と機能」(最終報告二〇頁以降)に述べられている。記述の表現を活かしながら整理すれば、次のようになる。[ ]内は、補足または筆者の意見である。
1:中央図書館にほとんどすべての機能を集中させて、日比谷図書館、多摩図書館はその統括のもとに運営される。[中央図書館を名実ともに中央館とし、日比谷図書館、多摩図書館はその分館とする。職階も中央図書館長は局長級から部長級に、日比谷・多摩は部長級から課長級に格下げされる。]
2:多摩図書館のサービスを地域分担から機能分担に変更すとともに、収集・整理を中央図書館が一元的に行う。[多摩図書館は、多摩地域の市町村立図書館を支援する図書館ではなく、日比谷図書館から移管する児童・青少年資料、文学、多摩地域に関する郷土資料のみを担当する都立図書館の分館とする。多摩図書館には、今後文学作品と児童資料以外に新しい資料は入らない。]
3:中央図書館と多摩図書館で重複した資料の収集・保存は行わない。収集・保存する資料は原則1点1冊のみとする。[現状で重複した資料は除籍し、区市町村で「再活用」する。書庫の拡張は行わないので、今後も溢れた資料は順次除籍する。]
4:区市町村立図書館では収集が困難な専門書や高価本などを、都民や区市町村立図書館に提供するとともに、広域的自治体の図書館に期待されるより高度・専門的なレファレンスにも対応する。[区市町村立図書館が都立図書館に期待する支援の内容を、どれだけリアルに把握しているのだろう。]
5:都立図書館の書庫を一体的に管理することにより、現有書庫の範囲内で収蔵の効率化をはかる。[「現有書庫の範囲内で」がミソである。]
6:中央図書館と多摩図書館とで重複した資料は、区市町村立図書館での再活用をはかり、蔵書の充実に寄与する。[「再活用」を強調するが、区市町村立図書館の一般的な書庫状況をどうみているのだろうか。自館単独で持つことが合理的なら、そもそも都立図書館の存在意義はどこにあるのか。]
7:児童・青少年資料を多摩図書館に移管した後の日比谷図書館は、「当面は継続」するが今後「抜本的な見直し」をする。[おそらく閉鎖を視野にいれているのである。]
こうした結論を導く論拠となっているのは、都立図書館と区市町村立図書館との「役割分担論」と業務や機能の「一元化論」である。言い換えれば、都立図書館と区市村立図書館とでは役割が異なるという論理と、業務・機能を中央図書館に集中することが効率的であるとする論理が、最終報告を一貫するふたつの中心的な論拠である。ここでは主として「役割分担論」に絞って、その妥当性を考えてみたい。
「役割分担論」の概要と批判
では最終報告は、「役割分担論」をどう記述しているのだろうか。具体的な文言に則して、批判を試みたい。
都民サービスの向上と運営の効率化の視点から議論を積み重ねた結果、都立図書館の役割を明確にし、新たな都立図書館のあり方を示して、ここに報告書をまとめる運びとなりました。(「報告にあたって」)
最終報告冒頭のあいさつ文のなかで、都立図書館の「役割の明確化」に触れていることでも、「役割分担論」がこの報告書の主要なポイントのひとつであることがわかる。
他方で、平成12年4月には、いわゆる『地方分権一括推進法』が施行されるなど、直接的な行政サービスを行う基礎的自治体としての区市町村の役割への期待は増大しつつある。
こうした社会経済環境の変化の中、都立図書館が広域的自治体の図書館として果たす役割を明確にし、効率的な運営のもとで、区市町村と連携した質の高いサービスを都民に提供していくことが期待されている。
(第1章「都立図書館を取り巻く環境の変化」3「行政改革、地方分権の進行」)
ここでは「役割分担論」の正当性の根拠として、近年の地方分権の流れを示唆している。確かに地方分権の精神は、国、都道府県、市町村がそれぞれ対等の存在として、その役割を自立的に果たすことを求めている。だがその趣旨は、国が住民に身近な行政に関わる権限と財源を地方自治体に委譲し、地域に則したきめ細かな行政サービスを実現しようとすることにあるのであって、都道府県が自ら行うべき業務を市町村に押しつけるための口実を与えるものではない。地方自治法には、いわゆる「分権一括法」施行以前から、「都道府県は、市町村を包括する広域の地方公共団体として、第二項の事務で、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理するものとする。」(現行法第二条五項)という内容の規定があるのである。
地方自治法が都道府県の事務とする「その規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められもの」を図書館行政に当てはめれば、一自治体で持ち切れない古い資料を都立図書館が集中的に保存し、必要に応じて区市町村立図書館に提供する協力貸出しは、真っ先に都立図書館固有の事務として位置づけられるべきものである。
そうした観点に立てば、多摩図書館の協力貸出事業の廃止、都立全体での1点1冊収集・保存、現有書庫容量の不拡張といった方針は、「役割分担」ではなく「役割放棄」、少なくとも「役割縮小」ということになるのである。
平成13年に「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」が、文部科学大臣から告示された。その中で、市町村立図書館と都道府県立図書館の役割については、以下のように示されている。
○市町村立図書館は、住民のために資料や情報の提供等直接的な援助を行う機関として、住民の需要を把握するよう努めるとともに、それに応じ地域の実情に即した運営に努めるものとする。
○都道府県立図書館は、住民の需要を広域的かつ総合的に把握して資料及び情報を収集、整理、保存及び提供する立場から、市町村立図書館に対する援助に努めるとともに、都道府県内図書館の連絡調整等の推進に努めるものとする。
都立図書館は広域的立場から、都民全体へのサービスを提供し、区市町村立図書館を支援する図書館であり、地域住民のニーズに応え、直接サービスを行う区市町村立図書館とはおのずと役割は異なる。
しかし、現状では、例えば、都立図書館でも個人貸出しを行っているなど、サービス面で区市町村立図書館との重複があり、両者の役割分担が明確になっていない。このため、都民に、都立図書館と区市町村立図書館との役割や機能、サービス内容の違いが十分理解されていない面がある。
(第2章「都立図書館の現状と課題」2「都立図書館の課題」(4)「都立図書館と区市町村立図書館」ア「役割分担」)
「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」の市町村立図書館および都道府県立図書館の「運営の基本」を、「役割分担論」を正当化するもうひとつの根拠とし引用している。しかし「望ましい基準」は、最終報告が引用した都道府県立図書館の「運営の基本」1:の後で3:として「都道府県立図書館は、住民の直接的利用に対応する体制も整備するものとする。」と述べ、直接サービスも都道府県立図書館の仕事として規定しているのである。また、同じく「望ましい基準」の(2)「市町村立図書館への援助」の項では、「図書館の資料を保存すること」に努めることを明記し、さらに(6)「資料の収集、提供等」で、「市町村立図書館の要求に十分応えられる資料の整備」に努めるべきことを特筆している。「望ましい基準」をまじめに読んで、その趣旨を尊重しようとすれば、やはり最終報告が結論付けるような都立図書館にはなり得ないのである。
現在の相互貸借は、都立図書館から区市町村立図書館への協力貸出しが中心であり、区市町村立図書館間の相互貸借も行われるようになってきているとはいえ、都内の全ての自治体が参加するに至っていない。区市町村立図書館が、利用者の多様な資料ニーズに応え、迅速かつ的確な資料提供を行っていくためには、都内公立図書館が所蔵している資料を相互に有効活用していく必要がある。
(前同、イ 協力事業)
こうした記述を、都立図書館の協力貸出を縮小し、区市町村立図書館間の相互貸借に肩代わりさせようとするものと読むのは、邪推にすぎるだろうか。少なくとも、区市町村立図書館同士の「相互貸借」と都立図書館との「協力貸出し」は、別々に論ずべき問題であることだけは確かである。相互貸借は、お互いの信頼関係を基礎とするもので、正式な協定を結ぶにしろ紳士協定にしろ、原理的には互いへの好意であり特典である。しかし、協力貸出しは権利であり、義務である。なぜなら、区市町村立図書館の利用者は同時に都民県民であり、都道府県立図書館にとって、協力貸出し以外に県下の全住民に等しくサービスを提供する手段はないからである。県下の住民が最寄りの図書館を通じて、都道府県立図書館の資料を利用するのは権利であり、それに確実に応えるのは都道府県立図書館の義務である。県下の全住民に等しくサービスをしない図書館なら、都道府県立図書館である必要はない。
言うまでもないが、筆者は都内公立図書館の相互貸借制度の充実を、不要だと考えているのではない。原理的にも、また資料内容という現実的な点からも、区市町村立図書館間の相互貸借と都立図書館との協力貸出しは、同列に論ずべきものではないと考えるのである。
まず、都立図書館と国立国会図書館、区市町村立図書館との役割を明確にすることが必要である。
都立図書館の主な役割は、高度・専門的なレファレンス等、広域的・総合的な住民ニーズに応える図書館サービスと、『図書館の図書館』として区市町村立図書館に対して行う協力支援であると言える。[守谷注……国会図書館が国内唯一の納本図書館として資料保存に責任をもつ役割を担っていること、区市町村立図書館は地域に則した直接サービスを行う役割を持つことを述べて]
こうした役割の違いの中で、都立図書館は、国立国会図書館及び区市町村立図書館と相互に連携・協力しながら、広域行政にもとめられる以下のような図書館サービスを目指していくべきである。
(第3章「都立図書館の目指すもの」1「都立図書館の役割とサービス」)
第3章の冒頭は、このように書き起こされている。この章が、具体的な今後の都立図書館像を描いた部分であることは、先に述べた。全体の半分を占めるこの章で、都立図書館の役割は次のように述べられている。
広域的・総合的情報拠点として、高度・専門的なレファレンスや情報通信技術を活用した都立図書館独自のサービス[中略]を行う
区市町村立図書館で収集することが困難な専門書や高価本、インターネット上の情報等の多様な資料を、都立図書館が広域的な立場から収集・整理し、長期に保存することによって、都民の利用に供する。
都立図書館は広域的自治体の図書館として、区市町村立図書館が行うことが困難な高度・専門的なレファレンスを中心に行う。
都立図書館は広域的自治体の図書館として、区市町村立図書館が収集することが困難な専門書や高価本などの多様な資料を幅広く収集し、区市町村立図書館に提供していく。
最終報告の全体を通じて、「広域的・総合的」「高度・専門的」という言葉が頻繁に使われている。都立図書館の役割は、区市町村立図書館のそれとは異なり「広域的・総合的」なものであり、そのサービスは「高度・専門的」なものなのだ、ということが繰り返し述べられているのだ。だが、果たしてそうなのだろうか。
区市町村立図書館が都立図書館に期待するのは、いわゆる「高度・専門的」なサービスばかりではない。むしろ日常的に必要なのは、ごくありふれた一般的な援助である。『出版ニュース』の拙稿でも触れたが、協力貸出を依頼する資料は一〇年前の家庭雑誌であったり、少し前に話題になった民間療法の本だったり、購入を見合わせた全集の一冊だったりする。協力レファレンスにしても、区市町村立図書館では難しくて手に負えないというより、当たるべき資料が限られているので都立図書館に依頼するのである。「区市町村立図書館=低俗・一般的」「都立図書館=高級・専門的」という「役割分担」を、この最終報告は自明の前提としているフシがある。
「役割分担論」は、都立図書館が区市町立図書館を支援することを、そのもっとも重要な役割と考える限りにおいて有効である。この最終報告の策定者たちは、『公立図書館の任務と目標
解説(増補修訂版)』の都道府県立図書館の役割と機能に関する解説をどのように読むのであろう。本当は全文を掲げたいのだが、せめて次の文章だけでも引用しよう。
県立図書館の役割を考えるとき、あらゆる局面において、市町村立図書館こそが公立図書館であるという原則に立たねばならない。県立図書館は、広域的な自治体の責務として市町村立図書館のサービスを援助し、それらの発展に寄与することによって、その存在理由が認められるのである。
「県立図書館は市町村立図書館とはちがう」といい、この「ちがい」を模索する県立図書館もある。この模索があくまで住民と市町村立図書館の要求にそったものであればいいが、「ちがい」を際立たせることによって県立図書館の存在理由を創り出そうとするためのものであれば、図書館発展の要因とはならず、市町村立図書館・県立図書館それぞれにとっての障害となるであろう。
このような場合、県立図書館は「高度なサービスをすべきである」といわれ、「高度」の内容として、マルチメディアへの接近ないしそれらへの重点の移行、ネットワーク化、そして「高度な」利用者へのサービスがとりあげられる例が多い。
「一元化論」について
最終報告のもうひとつの論拠「一元化論」は、例えば次のように述べられている。
[守谷注…これから都立図書館が行うべきは、広域的・総合的視点からの高度・専門的なサービスであることを述べ、]しかし、従来の地域分担では、限られた財源、人的資源を、こうしたサービスに重点的に投入していくことが困難となっている。このため、効率的運営の視点から、都立図書館として統一された運営方針のもとで、中央図書館と多摩図書館の機能を見直し、再構築することが急務である。
(第2章「都立図書館の現状と課題」2「都立図書館の課題」(5)「中央図書館と多摩図書館の運営」ア「地域分担の問題点」)
わずらわしいので他の文例は省略するが、「一元的」「一体的」「統一された」というのは、やはりこの最終報告でしばしば使われる表現である。しかしながら、この「一元化論」を批判するのは、次のような理由から必ずしも簡単ではない。
1:「一元化」「一体的」などの言い回しは、その内容の如何に関わらず「効率の良さ」を連想させる語感があること。
2:最終報告には、「一元化して効率化をはかる」というような記述が多く、従来の「多元主義」のどこに問題があり、「一元化」することでそれがどう解決されるのかという、合理的な説明がほとんどないこと。
3:都立図書館内部の事務処理に精通していないと、「一元化」の結果どのような問題が生じるのか、外部の人間が指摘するのは相当に困難なこと。
したがって、「一元化論」については、一般的な問題点を指摘しておくほかない。いずれことの成否を、都立図書館内部の事情に精通した方に、具体的に報告していただきたいと思う。
「一元化」は、「無駄」または「不要」と判断した部分を、切り捨てることによって可能となる。言い換えれば、何を「無駄」または「不要」と考えるかが、「一元化」を本当の意味で有効なものとするか、単なる「切り捨て」のための口実とするかを決定するのである。最終報告の「一元化」は、文字通り「中央集権化」にほかならない。この「分権の時代」に皮肉な選択であるが、策定者たちはその意味をどれだけ意識しているのだろう。
都立多摩図書館の職員と市町村立図書館の職員は、お互い個人的にも親しい場合が多い。それは、単に研修などの公的な場面ばかりでなく、私的な勉強会や飲み会などを通じて作り上げてきた関係である。そうした交流の中で情報交換もし意見もぶつけ合って、それがまた仕事にも大いにプラスになってきた。
一般行政の部署から図書館に異動してきてから、たまたま知り合った都立多摩図書館の職員が、「私たち第二線図書館の職員は」とこともなげに言ってのけるのを、感動をもって聞いた想い出がある。それからはお互いに無理も言い、信頼もし合ってきたように思う。中央図書館への機能集中という「中央集権化」が、「無駄」または「不要」として切り捨てるのは、個々の具体的な業務もさることながら、そういう人間的なつながりなのではないだろうか。中央図書館一館の職員が、全東京の区市町村立図書館の職員とそうした関係を築くのはおそらく不可能だし、そういう目に見えないつながりが無くなることで、サービスが目に見えて低下するというのは、よくあることである。
おわりに
区市町村立図書館を支援することは、東京都が区市町村に与える恩恵でも特典でもない。それは東京都の義務であり、区市町村の権利である。そのことを確認した上で、都が直面する深刻な財政問題を区市町村も共有し、なんとか知恵を出し合って、よりよい東京の図書館サービスのあり方をともに模索することはできなかったか。そのためには、まず東京都が率直に区市町村に問題提起し、ともに解決に取り組むよう促すべきであった。都の支援を受けるのが区市町村の権利なら、そのあり方を自らの問題として主体的に引き受けるのは、区市町村の義務である。それこそがまさに分権時代にふさわしい、都と区市町村との対等な関係のはずであった。
しかし、都庁の当事者はそういう開かれた視点に立つことは、ついになかった。都民や区市町村立図書館の関係者の参加どころか、極力情報を外部へ洩らさないようにさえしたのである。「成果」と「スピード」というキーワードが、都庁内を席巻していると聞く。都民や区市町村立図書館の関係者に問題を投げかければ、反対意見が続出して収拾がつかなくなる。時間ばかり掛かるから、内部で秘かにことを進めよう。その程度の発想ではなかったろうか。しかし、そういうやり方のツケは、いずれ何らかの形で確実に支払わなければなるまい。
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