●昨年春、十九年目にして図書館の事業部門から、初めて管理部門へと異動になった。今まであまりに「司書」であったがために、まったく転職した気分。建物のどこそこが壊れたから修理を頼んだり、苦情の手紙に回答を書いたり。支払いの書類にまみれ、予算、決算期には数字漬けの日々。
普通の役人やサラリーマンとはこんな生活をしていたのかと驚きつつも、図書館に居ながら本に触れもしない生活には、虚しさを覚える。
そんな時に初めて参加した『』ず・ぼん』の編集は、自分を取り戻してくれる時間であった。出世してつまらない毎日を送るよりも、再び「司書」の世界に戻れる日々を夢見る今日この頃である。(小形)
●「合理的・現実的な思考を欠き、失敗から学ばない体質の転換を」と帯に記されている薬袋秀樹著『図書館運動は何を残したか─図書館員の専門性─』(勁草書房)は刺激的だ。東京都の区立図書館の司書職制度をめぐる三十年来の議論を整理し、当時の関係者の発言を俎上に載せて総括を迫っている。
俎上に載せられているのは、「過去の人」ではなく、いまも現役で、業界のリーダー的存在の人たちだ。「あとがき」の薬袋の姿勢(日本図書館協会から原稿依頼がないとか、図書館大会に招かれないとか)はちょっと気にかかるが、いずれにしても、黙殺で応えることだけはして欲しくない。(東條)
●高校図書館生活も十五年。見ると聞くとは大違い。更に、見ると関わるでも大違い。そして、関わり方によっても見えてくるこのは違ってくる。「教育」をめぐっての責任を持たない(日々関わる必要のない)立場からのあぁだ、こーだのご高説も聞き飽きた。
何となく、高校生のイライラがわかるような気がする。大人がうまい嘘をつけなくなったからも知れない。自分達の都合だけで正しさを装っているのがバレバレ。それの世界中でリアルタイムだから。(ままだ)
●図書館システムのリプレイスに多忙を極め、編集委員としての役割を果たすにいたらなかった。申し訳ない限りである。
さて、当然ながら、周りはIT、インターネット、メール……等々、コンピュータに絡むことだらけで、PC(パーソナルコンピュータの略でこの言い方にも慣れてきた)を使わずには仕事にならない。
仕事上、Windowsを使ったこともない職員にその使い方を一生懸命教えている自分がいる。以前では考えられなかったことである。このような状況を避けて通る方法をなぜ考えてこなかったのかと自問自答することもある。しかし、日々の図書館サービスのなかで、使い方によっては、たいへん有効な道具であることを実感している自分もいる。
PC漬けの中、ホッとするのは、本の重さであり、インクの匂いであり、本のなかの活字を追うことの心地よさである。それに市民の笑顔が加われば…。(斎藤)
●今回ほど難産の号はなかった。一年七ヶ月ぶりの発行である。主要な原稿は昨秋から年末には入っていた。制作上の遅延もあったが、内容的な宿題も浮上した。
公共図書館の学校支援をめぐる話題、学校図書館自体の直面する課題、それらを現在の教育改革をめぐる議論や広く子どもの問題と同じ誌面上に置き、貫通させて見通すことが業界誌ならざる『ず・ぼん』の野心だった(私流に言えば)。〈図書館が拓く学校の未来〉なんて軽々に言えるの?という初発の意識。多くの力作をいただきながら編集者としては未熟だった。
どこか、二児の親である自分の無自覚、矛盾につながるのかナというのが今の実感である。(堀)
●公立図書館のベストセラーの複本購入等をめぐって、日本ペンクラブが「声明」を出した。
「同一作品の大量購入は、利用者のニーズを理由としているが、実際には貸し出し回数をふやして成績を上げようとしているにすぎない。」「かぎられた予算が圧迫され、公共図書館に求められる幅広い分野の書籍の提供という目的を阻害しているわけで、出版活動や著作権に対する不見識を指摘せざるを得ない。」というもの。
粗雑で的外れの声明だ。図書館で大量にリクエストされる本は、話題の相乗効果で書店でも売れるはず。図書館が大量に購入するから個人が買わなくなるというのは、一面的な見方にすぎない。利用が見込まれない本を買うことの方がもっと問題である。日本図書館協会の対応を注視したい。(手嶋)
●『ず・ぼん』二号まで編集委員をやっていたが、その後リタイヤのため、ほとんど浦島太郎状態だった。今回の特集が、学校図書館だったため、学校現場にいる私に再度声がかかり、何となく関わるハメに(編集作業をほとんどお手伝いできずスミマセン)。本号に原稿を書きながら、実は学校現場にいる人間が最も学校を理解していないのではないかと思い始めてしまった。
とにかく、学校に関わっている人は一旦「エポケー(=判断停止)」して学校から距離をとり、学校を突き放してからもう一度学校について考えてみてはどうだろうか。私も含めて。(宮崎)
●学校の図書室といえば、岩井俊二監督の映画『Love Letter』の図書室でのシーンを思い出す。映画には図書室とか自転車置き場とか、青春の恋をイメージさせるにはぴったりの場所が出てきて郷愁をおぼえたくせに、よくよく考えてみると、私自身の学校の図書室の記憶はほとんどない。
図書室で恋をはぐくむこともなく、それどころか本なんてろくすっぽ読まなかったし、図書室がどこにあったのかさえよく思い出せない。「無関心」だった。そしてやっぱりいまもたいていの教師や生徒にとって「無関心エリア」なんだということがわかった。
学校図書館が機能するってどういう場面?(那須)
●表紙の『ず・ぼん』の題字を変えました。
デジタルフォント特大明朝体仮名書体=「もじくみ仮名」というフォントです。これは、「日本語の文字と組版を考える会」というところがフォントグラファーの小宮山博史さんに総合ディレクションをお願いして制作したもの。見出しに使うための明朝体漢字に合わせる仮名書体で、アウトライン化されています。「日本語の文字と組版を考える会」のウェブサイト(http://www.pot.co.jp
/moji/)から、誰でも無料でダウンロードできるようにするそうです(この『ず・ぼん』が発行されている頃は、ダウンロードできるようになっていると思います)。きれいな書体なので、興味のある方はサイトにアクセスして見てみては?(佐藤)
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