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宮崎さんの図書館利用歴は長く、図書館にまつわる思い出は豊富だ。その宮崎さんが感じている図書館利用者の意識と、図書館員に望むこと。
文◎宮崎淳子 藤の台子ども文庫
みやざき・じゅんこ●1980年から子ども文庫のおばさんになり、地域に目覚める。町田市図書館協議会委員。
育て!かしこい利用者
何事にも初めがあるように、私が生まれてはじめて会った図書館員さんは男の人で、はじめて図書館で借りた本は「あんみつ姫」でした。昭和20年代半ば、母は「米の通帳」を持っていけば本を貸してくれると祖母に話し、私は母の背におぶさって「大寶館」へ出かけました。「大寶館」というのは城趾公園のなかにある明治の西洋建築の赤い屋根に白い木造の建物で、そこが鶴岡市立図書館(山形県)、私の公立図書館利用初めでした。それまで講談社の『桃太郎』『舌切り雀』『鉢かつぎ姫』『童謡絵本』等々しか知らなかった幼い私にとって『あんみつ姫』は強烈な印象で、それ以後、[としょかん]という音に対して反応するようになりました。職員の印象はもはや残照の彼方……。
昭和20年代半ばと言えば日本の公立図書館がスタートしたばかり。町田市立図書館協議会でいただいた「町田市立図書館の専門職問題」に関する資料の中に、図書館法が国会に提出された際、当時の文部大臣、高瀬荘太郎が行った提案理由説明に次のような一節がありました。「祖国再建の途上における、社会教育の占める役割の重大さ。国民の自主的な立場を尊重すること。図書館は、社会教育機関として、きわめて重要な位置を占めているが、現状は、欧米先進国のそれに比して、きわめて不十分を免れない。したがって、図書館が健全な発達を図るための法的措置を講ずる」。これを読んだとき50年後の今日もさほど前進がなく、むしろ当時の文部大臣あるいは世論が今の私達より燃えていたかもしれないと思いました。半世紀にわたって討議の対象になってきた「公立図書館における専門職問題」、どうしていまだに手探りなのでしょうか。
私はアメリカの図書館を利用したことはありませんが、映画や本の中でこれぞアメリカの図書館と思ったことが度々ありました。国が“欧米先進国のそれに比して、なおきわめて不十分を免れない”と認めながら、日本の公立図書館が再スタートした1950年代のアメリカはどんな様子だったのでしょうか。
地方都市の図書館ですが印象的な映画がありました。主人公は10代の女性、都会の匂いのする洒落た格好の小父と名乗る男性が駅に降り立ちました。主人公は都会の話を興味津々で聞いているのですが、そのうち、近所の人々が小父さんは何か事件を起こして田舎に隠れているのだと言いはじめるのです。女の子は大して気にしませんでしたが、次第に周りがよそよそしくなってきて不安になり、ついに、小父さんがやってきた日からさかのぼって新聞のチェックを思いついたのです。もちろん都会の新聞を、図書館でチェックすることを。それが夜でした。まもなく九時、彼女は走って走って町の図書館へ滑り込みました。年輩の女性職員は帰る仕度の所でしたが、新聞を見せてくれました。
さあ、そこにはどんな記事が出ていたのでしょうか……。ミステリー、ミステリー。興味と暇があったらフィルムを探してみてください。タイトルは忘却の彼方、すみません。本の探偵・赤木かん子さんに公開調査依頼の手もあります。小父さんはハンフリー・ボガード ちがう? 似ていた! それにしてもこれを見たのは4分の1世紀も前のこと、BSなどがまだない深夜映画の時代で画面は白黒。印象的だったのはストーリーの面白さより、図書館が「平日夜間9時まであいてる」ということでした。
次は“目から鱗”の絵本です。“公立図書館が民主主義や地方自治を根底で支える機関として重要”などと日本の小中学生、また高校生でも理解しているのでしょうか。私がこの絵本を知る前は、図書館に対して自由の匂いがすると言う嗅覚のみの利用者でした。『ちいさいケーブルカーのメーベル』(バージニア・リー・バートンさく、かつらゆうこ・いしいももこやく・ペンギン社)です。ストーリーは、サンフランシスコで自動車が多くなり、レールの必要なのろまの“ケーブルカーが廃止”と市議会が計画したとき、「私達の町のことは私達で決めましょう」と市民が集まって話し合いをし、署名を添えて市議会に請願書を出し投票に持ち込むというものです。プロのバレーダンサーを断念しなければならなかったバートンの思いが、優雅な流れる線の形で表現されているこの絵本にはケーブルカーの構造まで描かれています。でも何より感激したところは「おぼえている?(略)むかしはよかったわねえ。」と何度も言っていることではなく、結論としてケーブルカーが廃止にならなかったことでもありませんでした。ケーブルカー好きの人達が図書館に集まって意見を述べ「サンフランシスコのケーブルカーをまもるしみんのかい」を結成したことでした。学校ではなく、公民館でもなく自由と平等が保障されている図書館に集まったことでした。「としょかん」という単語はストーリーの中でただ1度使われているだけですが、バートンはたれこめた雨雲から強い雨が降っている中、傘をさした大勢の市民が「しりつとしょかん」とかかれた建物に入っていくようすを描いています。
それまで、私にとって単に自分の求める本を貸してくれる建物だった図書館は、この25頁、ただ1頁で、図書館のもうひとつの素晴らしい役割があることを教えてくれたのでした。そんな理想の建物の中で仕事が出来る人、すなわち司書の方々は尊敬に値するはずです。このストーリーは1930年代の実話を元にした作品で、この本が出版されたのは1952年、日本で訳されたのは1979年、今も版が重ねられています。しかも、70年代この“メーベル”はトロント市で小学校低学年の社会科の教材だったそうです。日本の多くの公立の小中学校は図書館司書がいなく、多くの先生たちが学校図書館も地元の公立図書館も利用してないのが現状です。図書館や司書の役割、違った意見を述べて当然なこと、自由と平等、民主主義の原理、こんなことは子ども時代に楽しく獲得することなんですよね。大人になるほど学びと活用に時間がかかりますもの。
10数年前、私の住んでいる団地に公共の建物が欲しいと青少年対策の人々が中心に集まったとき、私はこの本を手に図書館が単に本を借りるだけの建物でないことを話したつもりでしたが、図書館のイメージは文庫の大きいもの程度の人がほとんどでした。現在進行の複合施設に対しても似たようなもの。だから住民の学習会が重要。人口が37万近い、首都圏の我が町田市ばかりでなく、2000年を前にした今日でも、日本人利用者の図書館に対する要望は建物があって、本とビデオとCDの数がそろっていればそれでまあしょうがない、納得。しょうがない部分は何か、与えられたものが自分の思いより進んでいることが多いのに満足してしまうことでしょう。図書館に対して、司書に対して利用者の意識はまだまだ不十分。
さわやかプロ集団に制度の援護を!
一方、利用者の求めにいかに満足度高く応じられるかが専門家の仕事なわけです。利用者はお客、図書館はサービス業といわれ来館者の数に一喜一憂してませんか。「本を借りなくても構いません、小さい子どもも自然に利用の仕方をおぼえます」などと言う職員がいるから図書館の本来の役割があやふやになっているんです。私達の暮らしを豊かにし、守ってくれる知恵や知識や情報を惜しみなく与えてくれる大事な図書館のイメージを50年かけてこの程度にした責任はどこにあるのでしょうか。「素晴らしい図書館の利用法お教えします。あらゆる本にお応えします」このぐらい思っていて欲しい。
5000年前吹雪の中で倒れた人間の髪の毛についた花粉からその人の生業を推測したり、百億年前の宇宙のビッグバーンのカラフルな神秘の様子が伝えられたり、時代を超え国籍場所を構わず飛び交う情報、ミクロの世界から等身大、マクロな宇宙まで利用者の求める資料は限りなく、日々続く中、それに応ずる専門職集団・プロフェッショナル・エキスパート・スペシャリスト!!それが人もうらやむ図書館員!!信頼あつい専門職!!
飛躍した考えと笑われても構いませんが、日本のプロ野球のピッチャーがメジャーリーグで注目され、日本人対決が実現し、メジャーリーグで通用する外国人選手が日本で活躍しています。商業ベースと行政を同一視は出来なくともチームワークの中の個人、観客と利用者、キャンプと研修、自己管理と自己研鑽、高校あるいは大学野球と司書資格、めちゃくちゃやなあと言われても、プロ野球は戦後再出発でした。
図書館も戦後再出発しました。何が一方の技術と体力を国際化とし、一方を神経性の骨粗鬆症にしているのでしょうか? メジャーリーグの監督が試合中にルールブックを片手に審判に抗議してました。ルールは変わるのです。日本の図書館法は21世紀にマッチしてますか。ふーん、法律はなかなか変わらない。フランスの文化省がいろいろあるように日本に図書館省が出来たらいいのにね。プロ野球のキャンプは海外、それもほとんどが図書館先進国のアメリカ。町田市だって中学生がニュージーランドに行ったりきたりしてますよ。
アメリカ図書館のお手本はイギリス、イギリス直伝がニュージーランド。マーガレット・マーヒーさんは図書館員でした。ドロシー・バトラーさんは本屋さん、専門職は専門の楽しみが伴わなくちゃやってられない、些細なことに喜びを見つけるんだから。
町田市は貧乏? どこの自治体も厳しい! 子ども文庫には助成金を出してくれる企業が何社かありますよ。大蔵省じゃないんだから自治体が企業から直接援助を受けるのは不可能。じゃあ、日本図書館協会はどんな所なんですか? 公立図書館をバックアップしてくれるんでしょ? 全国の公立図書館職員の国内外派遣、研修、プロ意識向上のため、ここのところだけプライドを横において企業に基金を募ったらいいのにね。もちろんそれには税金を掛けない。
人には何事に依らず支えが大切です。人という文字からして支えあっている様子とか。それが集団になったとき、心の支えであり実務の支えと希望につながる制度は当然布かれるべきでしょう。町田市の場合、降って湧いたように建てられた建物、中央図書館が大いに利用されてはいるけれど、全国紙の一面トップを飾った「蔵書の紛失問題」をはじめ、付随して多くの悩みも出てきましたからね。頭数で他の職場に比較されてはたまりません。図書館で誇りを持って自信を持って働けるよう、専門職制度を確立することは当然のことに思われます。先長く広い目で判断し制度化できることはプロ集団に任せましょう。
東京都二十三区の問題、行革、地方分権、自治体行政、等々波に逆らいあるいはハードル高くとも、『町田市立図書館における専門職員のあり方』――組織等検討委員会――には大きなエールを送り1日も早く制度化されるよう願っています。利用者のサービスアップのためにも!
最後に、ひと月ほど前のこと、町田市立中央図書館の四階カウンターで貸出しの手続きをしながら、職員の方が「この本ならもっと新しいのがありますよ」と声をかけてくださいました。シェイクスピアの『十二夜』で芝居を見る前にちょっとおさらいと思って借りたのでした。私がカウンターにもっていったのは昭和47年発行の全集の中の1冊で、以前あの書架では見かけない全集でした。「シェイクスピアは昨年200周年で文庫本も結構入れましたから」といい検索してくださいましたが、あいにくほかの『十二夜』はすぐに手に出来ませんでした。文庫本は目が疲れるからと自分で慰めましたが、男性職員さんの応対がさわやかでした。
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