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戦前の非合法活動に身を投じた左翼が、獄中で考えに考え抜いた末に、生涯かけて農民と生きることを決意して転向を表明し、釈放後すぐ農村図書館開設の準備に着手しました。そして、農村に定住を図り、文字どおり身命を賭して農村図書館づくりを実践したのです。このことは、日本の左翼運動の歴史として類を見ないことであり、図書館史上にも特筆されるべきことだと思います。
浪江氏の功績は、それだけにとどまるものではありません。「農村図書館は部落文庫である。それは農民自身が生み出すのだ」という確信は、かつて誰ひとりとして書くことがなかった農民にわかる農業技術書作りに着手することになります。それが『誰にもわかる肥料の知識』として実を結びました。また、農業書の分野だけではなく、『村の政治』や『町づくり村づくり』など地方自治の第一線に関わる本も書きました。
自治労(全日本自治団体労働組合)の「自治研」の助言者になった浪江氏は、公立図書館の問題を自治体の問題としてとらえるようになります。さらに、『中小都市における公共図書館の運営』(いわゆる「中小レポート」)が発表されると、いち早くそれに賛意を示しました。
また、同じ時期に町田市では、地域文庫が続々に誕生しましたが、それは浪江氏にとって「姿をかえて蘇った部落文庫構想」に他なりませんでした。「親図書館=公共図書館」が地域文庫を「大量貸出しで支えることによって」両者の発展を図るという戦略はそこから生まれたからです。
以上、概観しただけでも浪江氏の軌跡は、終始一貫して主権在民の思想に裏打ちされていることが実証できるはずです。すなわち、図書館運動の展開それ自体が、すぐれて民衆の主権者意識の獲得=自治の確立へと分かち難く結び付いているのです。
浪江虔氏ご自身には、数多くの著作がありますが、インタビューという形で、記録を残しておくことがぜひとも必要であると考えました。インタビューした日から1年以上経過してしまい、浪江氏には大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。また、浪江氏の年譜とそれに関連する特筆すべき事項を「浪江虔とその時代の年譜」として付しました。更に、インタビューに加えて、山代巴さんに「浪江虔夫妻との交友」と題する一文を寄せていただきました。浪江氏ご夫妻との交友という側面にとどまらず、当時の時代背景を理解する上でも、欠くことのできない貴重な歴史的証言になるものと確信しています。
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