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文●新海きよみ
しんかい・きよみ●立川市図書館地域行政資料担当(またまた丁稚)。いつの日か一人前になれるのかなあ。
今年の四月から、「地域・行政資料」の担当になりました。なにしろこの雑誌は一年に一回しか出ないので、次の回の原稿を書く時には既に状況は変わってしまうわけです。
イヤ、館や係の異動はなかったし、めでたいことに館外へ放出されることも免れたので、相変わらずレファレンス・カウンターには就いているのですけど。昨年までの二年間はレファレンス担当だったので、選書も棚作りも、主にR本(レファアレンス本)に目配りしていたのです。それで「地域・行政資料」というのは自分のキャラクターからは一番遠いもの、と思っていたの。
なんだ、前号でレファレンス始めた時も同じこと言ってたね、って思ったでしょ、今。
なんと言っても「地域・行政資料」って、イメージ暗くて地味ですよね。薄暗い書庫の片隅で黙々と資料整理してるって感じ。実はわたし、意外かもしれませんがそういうのはわりと好きなんですよ。国会の地下で古
書の修復なさっている方の話なんか、うわあ、いいなあと、憧れてしまうくらい。でもね、「地域・行政資料」の場合、担当者は無口で博識、学究タイプ。それってわたしにはジェーン・ジェーン合わないんだもん。
ただ、この二年間様々なレファレンスを受け続ける間に、実は「地域・行政資料」……あー、もー、長ったらしくてメンドくさいなあ。あ、ウチの図書館ではこう呼んでいますが、「郷土資料」という名称を使う図書館もあり、この用語の定義を巡っては、このサービスの分野では本質的な長い論争が延々と続いているようです。とりあえず今わたしはめんどーなので、以後この文中でこれを「ちーちゃん」と呼ぶ事にします、トートツですが……で、「ちーちゃん」は、レファレンスの時にすごい威力を発揮するとっても力強い味方だ、ということに気付き始めてはいたのですね。わたしがいっぱしのレファレンスライブラリアンとして独り立ちするためには、いつかは真剣に「ちーちゃん」とお付き合いしなくちゃならんのだろうなあ、と薄々は感じてもいました。
でもそれはあくまでいつかはであり薄々であって、その日がこんなに早くやって来るなんて思ってもいなかったのよ。
係長に「今年は地域・行政資料の担当をやってもらいたい」と言われた時、内心ギョエッ と思いながらも、地団太踏んで「やだよー!」とか言えなかったのは、いつかは、薄々、がとうとう、やっぱり、になっちゃったって事ですね。
何と言ってもわたしの仕事場は公共図書館であり、である以上、自分ちの自治体に関わる情報、地元情報については、収集・提供の最終責任をわが図書館が負う、ということです。真剣に取り組めば実にやりがいのあるサービスだし、責任も重い。郷土史研究などには縁もなく、お役所情報にも疎いわたしなんかに果たして務まるのか、という危惧は頭を掠めつつも、誰でも最初は初めてのはず、わたしなりにできる事をやってくしかないよね、と腹を括りました。眉しかめてるだけなんて、それこそ性に合わないもんね。
まずは際限なく送られて来る「ちーちゃん」の受入れ・整理。(実はこのように寄贈扱いで送付されてくるのは圧倒的に「ぎょーちゃん」=行政資料が多いんですが、この稿では「ちーちゃん」と「ぎょーちゃん」の区別はしません。全部「ちーちゃん」一本で行きます。)これを毎日地道にシコシコやっていかないと、たちまちドシャッと溜まってえらいことになっちゃう。それと平行して手を着けたのが、当然ながら書架整理です。今までそんなに親しくお付き合いして来なかった棚だけに、「へぇー、こんな面白気な資料もあったのかー。」と楽しみな反面、「どうしてこの資料にこんな分類がついてんの?」とか、「年版資料のこんな古いとこ並べといたって誰も見ないでしょう」とか、「なんだこの資料、途中から途切れちゃって、ここ数年の分がないじゃない」とか、「キャー、うちの市の基本行政資料なのに飛び飛びに抜けてるよ、これ」などなど、いままで漠然と眺めていただけの棚のいろんな問題点が一挙に目に入ってきちゃった。
利用者が使いやすい棚、利用者から見て魅力的な棚作りは、何と言っても図書館の基本です。そのためには収集・分類・整理・棚の演出、と実に様々な心配りを絶え間なくしなくちゃなりません。それでようやっと求める情報が求める人に届きやすくなる素地できるわけで。
「ちーちゃん」のような地味な子の場合、魅力的に見せるためには結構いろんなハンデ背負ってるんですよね。
まずは根本の収集なんだけど、色々送られて来るものが多い割に肝心の資料はちっとも届かない。特に自分ちの市が発行している資料でもらえないものが多いのが辛い。それだけ図書館てものが行政内部で認知されていないことの表われなんでしょうね。
最近ようやっと発行した資料を届けに来てくれたり、送ってくれる部局が増えてきて喜んでいるのだけれど、まだまだこれから地道にお願いとPRを繰り返していかなきゃならんでしょう。
東京都の発行資料は結構いろんな種類があって、使えるものも多いのですが、寄贈依頼の電話をしても「関連の所管課に送付済みです。」とすげなくされる事がしばしば。かと思うと、こんなにいっぱいどうすんの?と思うほどたくさん送られてきたり。まだ二ケ月程度の感じで言えば、どうも都市計画だの建設だの、いわゆる行政の根幹的業務っていうんですか? そういう部署は対応がお役所的な気がする。反対に福祉や労働、女性関係なんかは、もっとPRお願いしますねって腰の低い感じ。もっともこういうのも要はその時対応してくれた人によるんですけどね。
それからまた最近は売り物や自費出版の「ちーちゃん」なども色々あり、だけども通常の流通ルートに乗ってる一般的な書籍と違って、「ちーちゃん」の場合その情報を掴むのがなかなかに苦労なのです。
つまり必要な「ちーちゃん」をきちんと入手し揃えていく、ということだけでも、普通の本の何倍もの労力が要る。
それから分類・整理ですけど、これはやっぱり「ちーちゃん」専用の分類体系が必要ですね。だってNDC使ってたら、例えば213.6(日本史・関東・東京)とか317.8(政治・行政・地方自治)とか、特定の分類のとこに資料が集中しちゃうじゃない。そんなの棚的には全然使いやすくないもの。ちなみにウチは「三多摩郷土資料研究会」の研究成果を反映させた独自分類を使っています。これは過去の先輩たちの努力の賜物。
で、最後に棚の演出。これが今回わたしが一番言いたい所。「ちーちゃん」はね、総体的に造りが地味なんですよ。表紙は色上質紙にタイトルのみ、なんてのはざら。中には背にタイトルが無いのもあるし、そもそもホチキス止めで背自体が無いもの、薄っぺらいパンフレットなどなど、ほんとに担当者泣かせ。
まずは背を付け、タイトルと、年版資料の場合には何年版か背文字に明記する、ってのは必ずしなくちゃ。それに「ちーちゃん」だって表紙を見せて人目を引いてあげたい。たまにはきれいな写真やカラー多色刷りの本もあるし。
そもそもPRがほとんどされない出版物だけに、どんなものがあるのか、ふつうのひとびとに全然知られていないと思うんだな。わたしなんか十年も図書館で仕事してきても、ようやくこの度はじめましてって資料ばっかりだったもの。(って、そんなのは私だけですか?)ということは、むしろ「ちーちゃん」こそ、「きみのようなひとを探していたんだ!」といった利用者が実はいっぱい居るんじゃなかろうか。こちらがいい棚を作りさえすれば。
というわけで、毎朝シコシコ書架整理に精出し、除架・分類訂正・装備手直しなどに励むわたくしなのであります。
で、資料の中身を読み込んで、あれを聞かれたらさっとこの資料、というふうになるためのお勉強は、もうちょっと先の話、ウフフ。 |