日本の洋書小売業界は大学によって成り立っている。大学、そして大学図書館が変貌を遂げている今、洋書業界はどのように対応していくのだろうか。
洋書営業三十一年のベテランに、インターネットの普及による影響、価格問題、外資系業者の参入など、多面的な角度から語ってもらった。
A氏●某・洋書小売書店・営業担当者。
営業歴三十一年、転勤で四カ所の営業所勤務、五十歳の現役営業担当者。労働組合運動でも少々活動中。
出版産業の源流をテーマに研究、学習中。
ゆあさ・としひこ●全国一般労組大阪府本部旭屋書店支部。書店トーク会事務局。日本出版学会会員。
著書に『「言葉狩り」と出版の自由』(一九九四年・明石書店)など、共著に『岩波講座 現代社会学第十五巻 差別と共生の社会学』(一九九六年・岩波書店)、『多文化社会と表現の自由』(一九九七年・明石書店)など。
はじめに
湯浅● 今日のテーマとしては「洋書小売業者から見た大学図書館」ということで、大学図書館について気がついたことを全般的に見通すような話にしたいと思います。大学図書館が変貌する中で洋書小売業界は低迷しつづけているわけですが、そうした中で大学はどうなろうとしているのか、洋書小売業界の果す役割とは何なのか、といったことにアプローチ出来ればと考えています。最初に、大学図書館の変化の中でも洋書小売業界として直接的な問題でもある大学の受発注システムの変化についてお話しいただけますか?
A● 冒頭から、具体的な質問をされたけれど、一般的に洋書小売業界がどうなっているのかということについてまずお話ししなければ理解しにくいのではないかと思います。まず、洋書を買うにはどうすればよいかといいますと、洋書屋さんに行って店頭で買う方法と、海外の出版社に手紙を書いて、返事が来たらお金を送って個人輸入する方法があるわけです。ところが、洋書小売業界というのはそういうところで仕事をしていることはほとんどない。
湯浅● 店頭と個人輸入というのは業界における売上から見ればわずかということですね。
A● そうです。例えば洋書屋さんは日本で約三〇〇社あるわけですが、その三〇〇社のうち店頭販売を全国的規模でやって商売として成り立っているところと言えば、丸善と紀伊国屋書店、そして商いとしてはそこから遠いところに位置しているロシア書とかスペイン書とかを扱う東京の神田あたりに店を出している業者がある。実際、店舗を構えてやっているのは、ごく一部。例えば、洋書の好きな人がある地方都市で小さな洋書屋さんをやっているというようなケースが若干あるけれど、具体的にそれがどこかと言われたら思い出せないというような世界です。そうすると洋書小売業界とは何なのかと問われれば、大学相手に、大学の教員を相手に売っている業界ということがいえます。
湯浅● そうですね。
A● だから、洋書屋さんは大学に出入り出来なかったら、基本的には仕事が成り立たない。
湯浅● それはものすごく重大なことですね。
インターネットによる洋書販売
A● ところがそのことが変化しつつあるのです。まず、インターネットの問題。今ですとプロバイダーを介在させてインターネットで海外にアクセスして、本の購入が出来る。例えば「ダイイチ」という業者がそれをやっている。あるいは丸善や紀伊国屋書店もやりだした。そして、それと同時に手数料が一・三というような数字が出て来た。これが外国為替との関係でどういうことかということになるんです。
湯浅● 手数料について少し説明して下さい。
A● それぞれの洋書小売業者によって若干は違うのですが、これは和書の業界でも同じでしょう。書店の宅配便サービスの金額や送り方がそれぞれ違うじゃないですか。洋書の店頭価格は、外貨の実勢レートに、一定の上乗せ、つまりマークアップした金額を設定しています。店頭価格/実勢レートの係数が一九九四年までは約一・七、翌年の四月以降は約一・五と、利益率に換算すれば四一パーセントから三三・三パーセントに減少したことになります。洋書小売店の手数料には輸入運賃、通関料、輸入保険料などの事務経費をいろいろ含ませているわけです。ところがダイイチのような他産業からの参入と大手卸業者によるインターネット販売などの価格破壊状況によって、インターネット上での販売では、丸善は係数一・三+送料一冊三八〇円などとなっているのです。
湯浅● ダイイチというのはもともとは家電販売店ですね。
A● そうです。ここがSPI(Stanford Publications International=インターネットで洋書販売を行っている企業)、つまり新しい流通形態と提携した。だから英米圏のうちの一部の出版社のものが早くはいるんです。SPIは一九九三年に設立され、ダイイチがインターネットで購買者から受注し、SPIは書籍などのデータベースを提供し、ダイイチからの受注にしたがって各出版社から商品を取り寄せ、日本の購買者に送る業務を行っている。また、大学生協もそのようなことを始めました。大学生協の場合は洋書小売業界が顧客にしている大学の教員に対してもっとも近いところにあるんです。
湯浅● 学内にあって販売しているのですからね。
A● 大学生協はインターネットでSPIに発注して、配達はいわゆる定員外職員といいますか、アルバイトの人が安い給料で配達し始めているのです。そうすると経費がかからない。
湯浅● だから、手数料が少なくて済むわけですね。大学生協では係数が一・二五ではなかったのですか?
A● そうです。そしてこの数字はいろいろ今後動いていくと思うんですね。どこまで行くか分からないのです。
湯浅● つまり、従来の洋書小売業者より安い手数料で、しかもインターネットで発注するという早い方法で洋書を仕入れる仕組みが出来てきた。
A● だから、お客様にとってはある一面では非常にいいことですよね。しかし私たち既存の洋書屋は、のんびりとはしていられなくなってきた。そこで丸善や紀伊国屋書店もホームページを開設して発注出来るようなシステムをとるようになった。ただ、先程言った三〇〇社の洋書屋さんのうちでいわゆる会社組織の機能をもってやれているところがどれだけあるのかという問題があります。もう零細というか一人で専門店をオープンさせて二〜三人のアルバイトを使ってやっているとか、一人か二人の社員で家内工業的な感じでやっておられるところが多い。そういう洋書小売業界の中で、大手二社さえ洋書の専門店の顔をしながら洋書オンリーではないんですね。
湯浅● 店舗展開をして和書も取り扱っている。また、丸善の一九九六年三月期決算では商品別売上高の構成比は書籍が四九パーセント、文具・OA機器三三パーセント、洋品一三パーセント、その他となっています。
A● そこがミソですね。通常、一つの産業で最大手の二社がその産業の専門でないというのは珍しい。この見方は洋書小売業界を見るときに大事な視点だと思います。
湯浅● そういう指摘はこれまで聞いたことがないですね。
A● 大手二社が洋書専門ではないという背景には、大学相手にほかの仕事がいっぱい後ろにあるわけですね。例えば、出版もそうでしょう。先生と親しくなって出版物を出してもらうような関係。先生方もみずからの本を出せるというのは嬉しいことだし、そういうからみがあります。それから私がもっとも大事な点だと思うのは、これは大学側の問題でもあるのですが、これまでは本を買ったら図書館職員がその書誌データをみずから作って、それをカードにして、学生や先生たちに図書館の所蔵が分かるようにするシステムだったんですね。だから図書館職員は書誌に精通しているということが重要な要素だった。
湯浅● 特に洋書の場合、分類も含めてそうですね。
A● こういう仕事がもうまったく消えてしまいましたね。言い切っていいかどうかは別にしても、私は消えたと思いますよ。極端に言えば、洋書問題研究会の三回の集会に出て思ったのは、書誌に詳しい人よりパソコンに詳しい人の方がその図書館にとって大事になっていることです。
公取委勧告と洋書問題研究会の取り組み
湯浅● 洋書小売業界がそんな状況で、一方で大学図書館が書誌データをみずから作るという機能を失っているということなんですが、そんな中でいま言われた「洋書問題研究会」の活動についてちょっと聞かせてもらえますか?
A● 一九九五年三月九日に丸善・紀伊国屋書店をはじめとする洋書輸入関係一四社への公正取引委員会による強制捜査が行われました。一四社の中には出版労連加盟組合のある極東書店・ナウカ・海外出版貿易・南江堂・医学書院も含まれていて、これらの労組の代表が集まり情報交換などを行い、出版労連だけでない洋書関連の労組や組合員でない人々にも呼びかけ、同じ年の秋に洋書問題研究会準備会を発足させたのです。
湯浅● 公正取引委員会による捜査についてもう少し詳しく話してください。
A● 一般的に業者が談合しているっていうとみなさんが思うのは、マージンをアップさせるために、政治家に流れるお金も含めて、ある金額にどれだけゲタをのせるか入札金額を話し合って、それを入札の時に、ある企業が落とすというふうな談合ですね。洋書小売業者の場合はこれとは本質的に違うと思うんです。これは確かに、法を論じたら、一般競争原理の中で業界が集まって納入価を決める事は確かに法に違反することでしょうね。ただ、大学の図書館が書籍を購入する時に、例えば、その大学に出入りしている業者から一冊の洋書を入れた時に他の業者との価格が違うと困ると言われる。
湯浅● そうですね。同じ価格に合わせよと言われますね。
A● それで、固定相場から変動相場に変わった段階で、大学の方からレートのやりとりが求められてきたわけです。つまり、一ドルいくらにしてこの本を入れましょう、と。そしてそれは大学の図書館の中でそこに出入りしている業者を集めて、大学サイドと話をして、この期間はこれでいきましょうと話し合って決めていたわけです。
湯浅● つまり、業者が勝手に談合したのではなくて、大学図書館との間で…。
A● 大学側の指導も含めて。実は、公取委が指導してこういう購入をやっていたと、ある大学図書館員から聞いていましたね。
湯浅● ところが公取委は一九九六年四月に、独占禁止法三条(不当な取引制限の禁止)違反で排除勧告を丸善、紀伊国屋書店、極東書店、ナウカ、国際書房、海外出版貿易、日本出版貿易の七社に出したのですね。
A● というのはね、全国で今から二〇年くらい前からと思うのですが、それまで北大、東大、名古屋大など旧帝国大学のブロックがだいたい業者と価格交渉をして、それを周辺にある昔で言う国立二期校がそれに合わせてレート、納入価格を決めていたわけです。全国の大学図書館の事務長クラスが全国を異動政策によって動いていかれたわけですね。そうすると、北と南の大学で価格に差が出たら困るということが起こってきたわけです。俺のところはいくら安くたたいたとか、おまえのところより安くしたということが異動することで現れるでしょう、いやおうなくね。その結果、そういうことはあんまり良くないということで、六大協という東京を中心とした大学と業者の代表が、その中でも当番校を決め、業者の方も七業者ほどが当番になって、価格交渉をして、そしてそれが全国に一定の指標になった。それが大学への納入価格の決め方として定着していたわけです。ところが、これが公取委から違反だと言われたわけです。なぜ違反かというと、それまで大学の中で価格交渉をやっていたわけですが、それは良くないよという指導が公取委から何年か前にあったので、業者の方は外でやったわけです。あまり大学、大学というと大学の人の責任追及になってしまうものだから業者の方は言わないんですが、大学の方でも一定連絡しあいながら、じゃあ業者さん決めましょう、と。ゼネコンのように上乗せを決めたのではなくて、納入価格をどういうふうにしたらいいのかということを決めたと言えるのではないでしょうか。
湯浅● 大学のせいになってはまずい、というところがおもしろいですね。
A● 業者のつらいところでしょうね。それを全面には言えないし、言わない。だって、小さな世界なんですから。最初に申し上げたように所詮、中小の洋書屋は洋書以外に生きていけない世界。しかも買っていただく先が大学だ、と。
湯浅● 他に販路を求めることが…。
A● できないわけです。ただ、今度の公取委の排除勧告が出て、お客様から、大変でしたね、ひどい目にあいましたね、と言われましたよ。大学の一部の方は分かって下さっている感じでした。
湯浅● 洋書問題研究会では具体的にどのような活動があったのでしょうか。
A● 一言で言えば、報告集を出したわけです。本来の洋書屋の姿というのは早くて安く入るということも大事だけれど、先生の研究に役立つ情報をどうやって供給するかということも先生方のメリットとしてあったわけです。
湯浅● 業者の側にはそういう自負がある、と。
A● まして、それがより専門的な洋書屋さんだったら、なおさらのことですね。
湯浅● そのメリットや自負というのがちょっと崩れかけているという危機感から洋書問題研究会を始めた?
A● そういう自負もあるし、片方で大学の合理化も進んでいるわけですね。大学は合理化せざるをえない。これはもうご承知の通り、学生数が減るという背景があるわけです。学生数が減ってくれば当然、大学自身がすごい生き残り競争を始めるわけです。そういうからみもあり、そして一方でインターネット、これは四年前くらいでしたら誰も知らない世界でしょうが、今ではインターネットを使わなければ仕事ができないくらいになっている。そういう社会の変化の中でいやおうなく、洋書を取り扱う仕事に従事する労働者にとって、今までのやり方ではとても対応できないということがテーマです。
湯浅● 現象面だけでなく、そういう地殻変動のようなものをとらえるやり方に切り替えないと、だめだということなんですね。
A● 洋書を取り扱う労働者の労働条件が悪くなり、年収がダウンしてくる。そして、背景には従業員の高齢化が洋書小売業界にもおのずと起きている。だからそういう中でどう生き残っていけるか、という不安感があるわけですね。だから労働組合で要求闘争をする以上に、出版労連の言葉で言えば「職と食を守る」。つまり両方守るってことが労組のメインテーマに入ってくるわけです。そうすると今までは会社相手にやっていたのが、それだけではもはやだめで…。
湯浅● 賃上げや労働条件向上を要求するだけではだめで、もっと業界の置かれている構造的な課題に取り組まないとどうしようもないんじゃないかという発想ですね。
A● そういう背景が一方でありながら、片方で洋書業界はぼろもうけしているという妙な噂があって、マスコミの話題になってきた。これは日米構造協議で、日本とアメリカの貿易収支において日本の黒字をアメリカが叩き出した。その場合、本来、政府が叩いたらいちばんいいところは、これはもう経済のことをよく知らなくても、日本が貿易収支で黒字になるのは自動車産業と家電産業だと思うんですよ。ここを逆に日本国内でも叩いたら、いや叩くという言い方は良くないけれど、収支の問題だけど、そんなところには今の日本サイドは触れようとしないじゃないですか。確かに南アジアや東アジアに工場をもって行ったりとか、アメリカのどこかにもって行って、自動車の逆輸入なんかやってますけど、あれは小手先で、本質的には日本の自動車産業をどう守るのかということになるでしょう。ところが、洋書小売業界の場合、マスコミで、例えばの「時の動き」か何かで、洋書の換算は高いんじゃないかというふうなバッシングを受けるわけです。
洋書の価格問題
湯浅● この問題は要するに内外価格差の問題で、東京を一〇〇とした場合のニューヨークはいくらという指数が出た時に、例えば外国雑誌の『VOGUE』だとかが東京でいくらで売っていて、他の諸国ではいくらで売っているという指数の比較が出て、そういう洋書小売業界が価格の問題でまず叩かれた。あれは何年前でしょうか。
A● 六〜七年前に叩かれたのじゃないでしょうか。それは日米構造協議以後ですね。そこで、初めに言ったことと裏腹なんですけれど、洋書小売業界が大手でも洋書専門店として存続できていないといいながらも、丸善と紀伊国屋書店が全国の大学のシェアをずっと押えているわけです。そうすると大学への洋書の納入価格を決めるレート交渉というのがあるんですが、先程も申し上げたように、昔でいう国立大学の一期校でレート交渉がなされて、昔でいう二期校がそれに追随するという形であった。また、大手の私立大学は独自の交渉をしているんですが、一方で小さな私立大学では価格交渉はほとんどなされていないわけですよ。小さな私立大学にはこの二社以外の洋書小売業者はほとんど出入りしていないんですよ。極端な言い方かも知れませんけれど。
湯浅● 特に地方の私立大学では業者があまり来ていないという発言がいろんなところで出ていますね。取捨選択するほどたくさんの業者は来ていません、と。
A● そうするとどういうことがこの七年ほどの間に起きてしまったかというと、レートが円高になっていったにもかかわらず、大手二社をはじめとしてレートを変えなかったわけですよ。それはなぜかというと、大手の洋書小売業者は確かに大きな大学とは価格交渉をして納入価格を変えるんだけれど、店頭販売価格は変えなかったわけです。だからレート交渉していて異常な事態が起きる。二八パーセント引きとか。結局ですね、定価を高く設定して、そこから二八パーセントとかを引くことになる。
湯浅● 店頭価格との乖離ですね。
A● これは異常っていうか、業者の問題ですよ。一般消費者から見たら、これは騙しでしょうね。そこからどういうことが起きているかというと、例えば二八パーセント引きというと二八パーセントという数字が残るわけですよ。ある年は二八パーセント引きで、なぜ今度は五パーセント引きなんだ、となる。ここでね、洋書小売業界はまったく信用を落としたと私は思います。大手二社は国立大学の大きなところでは二八パーセント引きをやって利益幅を少々落としても、他の大学では店頭販売価格の五パーセント引きとか、一〇パーセント引きとかでやっていたから、利益を確保できていたわけですよ。
湯浅● つまりもうかっていた?
A● もうかるという言い方よりは利益が一応はそれなりに確保されていたということです。それともうひとつ裏の話ですけれど、大学に本を納入するときに、その本のデータをカードでつける。和書屋さんで大学に出入りしているところは日販MARCとかの目録カードをつけるということが二〇年くらい前、いやもう少し前からありましたが、それと同じような感じで一時期、洋書のカードというものがあったんですね。だけど、技術革新が早かったものだから、洋書のカードではなくてMT、つまり磁気テープにデータをインプットして、汎用機を使って図書館システムを機械化してきたわけですよね。まあ、電子図書館の走りですよね。それにヒットするような形でデータを、例えば一冊の洋書の書誌データをヒットさせて、大型コンピュータ用のMTに落とし込んで、それを添付して納める。まだパソコンがそんなに普及していなかったから、そういうことをその当時、できるところと言ったらこれも丸善と紀伊国屋書店しかない。その結果、大学ではそのテープ一件あたりいくらかということが洋書を売ることとセットにされていた。商売として成り立っていた。洋書の場合、データの作成はすごい能力が必要だったから、お金を取って納めていた。ここが表裏一体のものがあって、そのデータを納めてくれる業者に洋書を発注する。洋書屋の方はデータをやるから定価の一〇パーセント引きのところを五パーセント引きくらいまでにしながらも、データはちゃんと商売として成り立たせるようにしておいた、大手の方は。私は最近この金額を知ったんですけれど、一件が一六〇〇円前後だったといいます。ローカルデータといって、その大学が独自の、自分のところのいろいろな管理方法があるからそういうデータを入れての価格です。だから極端に言えば、一〇〇冊の本を入れたら一六万円の売上がデータであった。洋書の値引きがあったとしても、他の洋書小売業者ができないところで、そういう商売をしていたということです。いま、私は二つの点を挙げました。電算書誌データ作成をやったということと、レートに併せて店頭販売価格を変えなかったということ。この戦略が大手が生き延びる上ではうまく行ったけれど、大手二社以外のところはまったくさかさまの方向に走って、結果として二十何パーセント引きとかいう世界が残って、そして話を元に戻しますが、NHKとか何とかで叩かれるような背景が作られたのです。
湯浅● 価格に関して言えばもうひとつには競争入札させるという大型コレクションの問題もやはり日米構造協議の中にあったと思うのですが、いかがでしょうか。
A● それは私は難しい問題だと思うんですけれど、もともと競争原理というのはありますよね。大型コレクションは図書館の契約ではなくて大学の会計課と契約する。公告を出して。そうすると洋書は輸入物品ですから、原価をオープンにするというのが原則なんです。というのは予定価格を購入サイドは考える必要があるから。私は大学が物品購入する時に見積もり競争の原理というのは当然あると思う。ただ、疑問に思っているのは例えば薬品の輸入価格がどういうレートを使ってどうなっているのか。例えばでAIDS問題になった非加熱製剤の原価はいくらで価格決定はどういうシステムになっているのか、これはひとつも触れられていない。国内価格と海外価格が、日本では十倍くらいになっていると言われているけれど、私はそんな比じゃない、もっとあるのじゃないかと思うんですが、そこは分からない。つい最近、「文教速報」で薬品の輸入方法についての記事を初めて見ましたが、「インボイス提示を要求し、できない時は国内販売価格証明書をとるように」と記載されていた。一般にインボイスを提示して商売をするわけがない。さらに証明書は企業が発行するから結局、輸入薬品のレートは存在しないと思われるのです。とある医学大学の人が調べようとすると上から抑えつけられたというオフレコの話があるんですけれど。
湯浅● 洋書の場合は?
A● 話を元に戻しますけれど、輸入物品で大学が買うのは実験器具とか、機械類。そうすると原価に対して手数料が五パーセントくらいだったりします。例えば一億円の五パーセント。予定価格がです。ところが、いったんこれを購入するとそういう機械類には必ず消耗品がついて回るわけです。そこで商売が成り立ったりするけれど、本はそんな消耗品のついて回る世界じゃないですから。にもかかわらず、契約するのが結局そういう人たちを相手にするもんですから……。
湯浅● もっと安くならないか、と大学当局の方から要求される。
A● そういうことがここ三〇年来ずっとある。そういう中で確かに専門店でそこでしか取れないものとか、代理店ものとかを除けば見積もり競争になるわけです。代理店というのは自動車なんかでもそうですが、「この車はこのディーラー」という特別な世界ですよね。そこを通じないと取れない。輸入ものでも円価で表示するわけです。そのかわり売るほうは特約メーカーと当然、契約を結んでいるわけですから、一定量以上売らないとだめとかあります。代理店ものの商品であれば見積もり競争はなくなります。ただ代理店をとるためには当然、その企業はリスクを負うわけです。そのリスクを負えるのはやはり大きな洋書屋さんですよね、これも。代理店取ってリスクは負うのだけれど、定価から何パーセントという低い値引き率で購入してもらえる。ところが小さな業者はそういう代理店を取れない中で、そして案内したものは見積もり競争という世界に入るわけです。そうすると大手の方がより安く見積もりを出せますよ。そうするとせっかく、先生にぴったりする洋書を捜し出して案内しても、それが価格ということでやったら、大きな流れで言えば、大手にばっかり注文が行く可能性が常に大である、ということですね。
湯浅● 洋書の場合、何カ月も前から出版社のアナウンスがあって、こういう本が出ると。例えば、英文学の本が今度の秋に出ることが分かって、そのことを研究者に案内する。だけれども図書館の方では安い業者に発注する。そういうことで事前に案内したことはまったく無駄だったという話ですよね。
A● 私たち洋書屋の本来の姿というのは、先生と本来一体のものなのですが、今ではもはや数字が走っていく世界が構築されている。逆に先生方もかつてはそういうことを望まれていても今やいろいろな要素を含めて少しでも安いところ、というやむをえない側面がやはり今日出てきている。だから洋書問題研究会が言っているところの生き残りをかけているというのは、このような流れの中で指摘しているのだと私は思っているわけですね。
外資系業者の参入
湯浅● 価格の問題は結局、一言で言えば、大手には競争力があって、中小の業者っていうのは競争力に欠けているということになるのでしょうか。外国雑誌の販売についてはさらに極端に表れてくるのではないでしょうか。
A● 一九九四年の輸入通関統計によれば輸入された出版物三九二億円のうち、雑誌が一五八億円で、書籍が二三四億円。これ自体は間違いではないですが、抑えておかなければならないのは、これは一点五万円以上のものの、かつ仕入額なんです。売上がこの数字ではない。だいたい日本の洋書業界の総売上というのは八〇〇億円から一〇〇〇億円の間かなと思っているのですが、これは誰も分からない。そのうちの雑誌が、ここ三年ほど、これも日米構造協議以降なんだけれど洋書小売業界の弱点も含めながら、結局外資が入ってきて、外資系企業は消費税がかからないという背景もあって伸びてきたのです。
湯浅● この外資というのは具体的にはSwets社と…。
A● Faxon。
湯浅● しかし、Faxonは今はかなり…。
A● 撤退しています。
湯浅● そうするとSwets社がいまや外資系として、規模の大きい大学の外国雑誌を取っている。
A● そしてSwets社が取っていったのを日本の大手が取り返しにかかっているのが、ここ一〜二年の動きです。
湯浅● つまり、丸善と紀伊国屋書店が取り返そう、と。
A● すると取り返そうとする数字はまさに利益が出ないような低い数字です。それどころか仕入額もすれすれ。経費を計算したら絶対マイナスになる数字で外国雑誌を取り返そうとしている。
湯浅● すると、小規模の専門業者は外国雑誌は…。
A● もう扱えない。この数字は粗っぽいのですが、二〇億円くらいの市場が日本の洋書小売業界から消えたということです。
湯浅● 従来は外国雑誌は大手の丸善と紀伊国屋書店もそうですが、小規模な専門業者もいろいろな形で、つまり研究者とのつながりの中で大学に納入していたのに、それが今や価格競争の問題で仕入額すれすれとかの係数が出たことによって、そういう業者は外国雑誌から撤退していった、という状況ですね。
A● それが一つと、もう一つは大学の図書館の電子化にもとづいて、外国雑誌の受け入れがそれに対応できる業者に絞り込まれてきたのです。例えば、以前は雑誌というのは海外の出版社から直接、大学に送られて検収されていた。だけど今や業者を通じて、現物納入と同時にその雑誌のデータをフロッピーに落とし込むんです。例えば、『American
Anthropology』のvol.25 no.2というのが何月何日に入りましたということをフロッピーディスクに入れて、それを大学の図書館がすぐ読み込めるというようなかたち。それからさらに大学の図書館の所蔵の印とか、ISSN(=国際標準逐次刊行物番号)をバーコードでラベルを打ち出して、それを貼ってというサービスなんかもして、納める。しかも価格は安くする。そういったことができる業者しか、雑誌は扱えないような傾向が全国的にずっとでてきたのです。
湯浅● これができる業者というのは結局、外資と、大手二社と、一部の小規模業者で努力してそれに対応しているところですね。すべての図書館がそうではないにしても大きな流れとしてはそうなっている。
A● それは大学図書館職員の仕事と裏腹の関係なんですね。大学自体が学生数が減って予算が縮小していく中で、そうしないとやっていけないと言われている。それはもう合理化とかいう問題ではなくて、なんといったらいいのか、歴史の流れと言ったらいいのか、日本の経済性の問題でそうなった、と。経済原則の必然のようなものではないでしょうか。
大学教員と洋書
湯浅● このへんで少しあなたの目から見た大学教員を語ってくださいませんか。
A● 先生方にもいろいろあるわけです。私が三〇年前にセールスをやりはじめた時、先生というのは私より年上でした。ところが、三〇年たったら先生の半分は私より年下の人がいますから。私が年上だからていねいに言われるケースというのは増えてきます。単なる出入り業者というよりも研究者の仲間扱いにして下さる先生と、そんなのはぜんぜん関係なく、白髪頭でおまえは何をやっているの? というふうな雰囲気の先生もいる。
湯浅● 何をやっているのというのはどういう意味ですか?
A● 例えば、セールスお断りと研究室に書いてある。洋書の営業担当者を必要としない先生が増えてきている。さらに言えば洋書を読まない、洋書を必要としない先生が増えてきているのです。
湯浅● 大学教員が以前と変わった?
A● 基本的にはどの時代もあまり変わらない、と私は思う。あえて言えば、先生自身がリストラの対象になる世界が想定されるようになったことですね。今までは論文を書かなくても安泰だった。例えば、教養部という言葉がありましたが、今はもうなくなっていますよね。教養部の教員というのは高校の教師の延長とそう変わらん、語学を教えていてもちょっとレベルが高いくらいで、なんてことをみずから謙そんしておっしゃっていた先生がいましたが、私はそういう人が好きでした。今は教養部がなくなっていったように、先生自身がまさにリストラの対象になってきた。それは先生だけじゃなくて、大学もリストラの対象になってきたのですが。そして、業者もリストラの対象になってきた。三〇年前と違うところと言えば、そこでしょう。
湯浅● それでもあなたの目から見た教官像、研究者像というのがあるのではないでしょうか。
A● 私の論理で言えば先生はあまり変わっていないのです。いつの世でも勉強している人がいてその研究心にはすさまじいエネルギーを感じます。そしてそんな先生に出会いたいのです。
湯浅● 外在的な要因も含めてなにかありませんか。
A● そういう意味では予算構成が変わって来ていますよね。四〜五年前に先生方は研究費でパソコンを買い出した。そうすると先生が買える予算は決まっているから、パソコンを買えば本を買うお金は少なくなる。それでもその年だけであとは大丈夫だと思っていたんです。次の年からまた本を買ってくれると思っていた。それがパソコンのバージョンアップが次々なされたのです。極端な話、私はこの前、ある先生の部屋でパソコンを四台見ましたね。
湯浅● 本の地位が低下した?
A● 洋書の地位という言葉が良いのかどうか分からないけれど、例えば具体的に外国雑誌という世界がありました。以前、ある研究所では雑誌が到着すると研究者たちにコンテントをコピーして、回していました。図書館から研究者に対するすごいサービスですね。そうすると先生方はコンテントを見て、「あっ、この論文」と思ったら、そこだけコピーとってくれとか言ったのです。自然科学系ではこの早さが重要です。ところが今、これはパソコンの前に座ったらすぐ出来る。サマリーだけじゃなくて、論文のテキストファイルの中のキーワードから検索出来るようになってきた。例えば、環境問題をやっていてenvironmentというキーワードを最近どんな論文が使っているかをヒットできる。しかも、二年前からCD-ROMでそういうデータベースができたと聞いて、すごいなあと思って二年たったらもうCD-ROMが消えつつあるというのか、インターネットでデータベースがもっと豊富になっている。文字をデジタル化するのにスキャナーが改善されて、早くデータベース化されているのです。
湯浅● CD-ROMやデータベースの利用というのは研究者が便利だと感じて使い始めているだけではなくて、文部省としてその利用を奨励しているようですね。学内LANのCD-ROM検索を奨励して、CD-ROMをもっと購入するようにとか。それからデータベースの利用ということで言えば学術情報センターによって文献複写が簡単に大量にできるようになった。これが雑誌購入自体にすごく影響があるのではないでしょうか。研究には文献情報が必要ですが、今までの冊子体からCD-ROMやデータベースにシフトしてきているようですね。
A● 例えば、CD-ROMで検索したら確かに早いんですよ。学術情報システム(以下「学情」と略す)で検索するよりもCD-ROMの方が早い。また、DVDという、CD-ROMに代わるもっと二ギガとかすごい容量をもつものが出て来た。かつては大型コンピュータ同士を結ぶのに電話回線を使っていたわけですが、これが独自の回線をもつようになって、早さが倍加しました。「学情」でアクセスしていても集中すると時間がかかるので、まだまだ「学情」ってだめだとこう思っていたわけです。それが一九九五年頃から、伝送の早さがすごく早くなってきた。さらに学情データが市販のパソコン図書館システムでストレートに取り込めるようになった。すなわち、学情データを取り込むことによってみずからの図書館所蔵データを構築できるようになったのです。
学術情報システムと洋書小売業者
湯浅● その「学情」の電子図書館サービスは今年の四月から開始された…。
A● さらにJAVA言語(インターネットのプログラミング言語)を使ってバージョンアップを考えているようです。
湯浅● 大学のコンピュータ・システムが変わっていくことによって便利になっているかというと、業者の立場で言うとむしろ不便になっていることが多いのではないでしょうか。経費がかかったり、そのシステムにのれないと排除されるという点で。
A● 私自身、考えの整理がついているわけではないのですが、三回の洋書問題研究会で大学図書館職員の人と洋書小売業界の人間が話し合った中で、電子図書館に向けて取り組んでおられるある図書館職員の方が「インターネットというのは弱者のものだ」とおっしゃった。私は当初、ものすごく疑問に感じたのです。もともとインターネットというのはアメリカの軍事産業から出てきた。しかし、その人の言い分を聞いていたら、一定説得力があるわけです。地方の大学の、本を買いたくても買えない予算の中で、もし端末一台あって、それで検索して、その本の所蔵がわかって、逆に本そのものが全部データ化されていたら、もう五分もかからずに本の中の自分の読みたい論文をインターネット上から自分のフロッピーに落とし込めるわけですね。その費用というのはその本を買う金額の何分の一かでやれるわけです。そうすると、そういう地方の予算のない先生が低価格で情報を得ることができるというのは、これは一つの弱者のものですね。
湯浅● 東京にいないと情報が得られないとかではなしにね。
A● そういう意味では全世界共通の、いやこれはすこしオーバーかもしれませんけれど、すくなくとも日本の大学の北から南まで、しかもパソコンのインターネットは安いものです。それについては、私は反論できないですね。
湯浅● それは業者の立場ではなくて?
A● 個人的な意見です。私個人としては、洋書小売業界は洋書を売ってそこで生活の糧を得るような産業ではもはやない。だから、いみじくも大手はすでに分かっていて、それに付随するような世界を描いて生きようとしている。お客様自身が、外国雑誌を本屋を通じて買うよりも、インターネットで直接やってサマリー見ながら、フルテキストを取り込んでいるのです。データを写すのではなくて、テキスト・ファイルでデータをもてるのです。英語のタイプに入力しなくてもテキスト・ファイルをとってきて、そこまで出来る。
湯浅● エルゼビアのニュースレターに、そのような事例が紹介されていましたね。インターネットで読めて、テキストファイルに落とし込んで、美しい製本のアプリケーションソフトがあれば、もう外国雑誌なんて不要なのでしょうか。そうなると、洋書小売業界も…。
A● 終わった。私は言い切りますね。それを言うと、職場では浮いていますけれどね。私も終わったといいながら、終わり方と関連業界との生き残り方を追求したいのです。大学の動きを客観的に見れば、コンピュータ化による図書館の様々なシステム変更にしても、ついて行けない業者は来なくていい、なんてことを大学図書館職員が業者に言わなければならないのは、大学図書館職員がそういう立場に追い込まれているということなんです。大学の人の立場になって考えてみたら、完全に合理化ができているわけです。大学と洋書小売業界の関係で言えば、洋書小売業界は大学があって成り立っている。その大学がまさに変貌しているわけです。それは大学が変貌したいから変貌してきたのではなくて、変貌しなければ大学そのものが存続できないような流れの中に来ているのだということです。その上で、洋書小売業界はそれにどう対応できているのかということなんです。外国雑誌では商売できなくなった。いやおうなく撤退せざるをえない。そうなると残るは書籍ですよ。でもそれも商売として成り立たないとなれば、いずれ撤退せざるをえない。一部の専門家の世界というのはたしかに書籍の場合はありますけれど。しかし、私がどれほど努力して先生に情報提供しても、インターネットで例えばenvironmentというキーワードで検索したら、論文全部でてくるわけです。料理人の立場で見た時にね、平等に素材を与えるということなんです。そういうことができる世界が構築されたと私は言いたいわけです。例えば、地方と中央で、地方ではその雑誌を買いたくても予算がないわけです。environmentというキーワードでその論文を検索させてヒットさせたら、中央にいようと地方にいようと低価格で、同じ条件で、いわゆる料理で言ったら同じ素材を得ることができる世の中ができているということです。確かに、料理人の腕によって当然違うんですけど。ただ、洋書屋と図書館という世界で見た時に、この技術革新というのはやはり弱者に平等になる可能性はある。
湯浅● たしかにテクノロジーの進展はマイノリティの可能性を広げてきたとは言えるでしょう。例えばこれまで本を読もうにもそもそもアクセスを拒否されていた視覚障害者にとって。しかし、いま現在、洋書小売業者に求められているタイプの「経済合理性」は合理的じゃないような気もするのですが。
A● 私もそう思うのですが、電子図書館にしても一旦走り出すとどんどん推進される。今の世の中、すべてそういう傾向にある。例えば、産学協同ということばは私らの若かった頃は批判の対象でしたが、今ではその路線にのったら、予算がすごくつくわけです。
湯浅● COE=「卓越した研究拠点」ということで重点的に大型の予算がつくんですね。
A● それは権力サイドの路線にのった研究テーマをやれば予算がつくということです。そこに反発したら排除される。でもね、私はそのことも分かったうえで、今の技術革新そのものは、すごいところまで到達していると思っています。
大学図書館はどうなる
湯浅● 大学図書館についてはどうなると思いますか?
A● だから大学図書館職員の人がもし生き延びようと思えば、昔でしたらリファレンスをもっと知れという世界だったじゃないですか。でも今、本当に生きようと思ったらパソコンを知るべきなんでしょう。以前でしたら、研究者が図書館に来て、これこれの本がないか、というと図書館職員がすぐ出して来るのが図書館のリファレンス。洋書屋であれば先生から聞かれると、そういうテーマでしたらこういう著者のこういう本が出ていました、と。それがいま機械に変わろうとしているんです。先程のenvironmentというキーワードで言えば、私がどんなにカタログを読んでいたとしても、雑誌の論文のキーワードまで頭に入るわけない。大学図書館も洋書屋も研究の役に立ちたい、文化の役に立ちたいと言ってもそれはあくまで研究者を通じてのことですよね。文化を発展させるのは、洋書屋の場合、フィルターがあって、あくまで縁の下の力持ち。それが機械化で形の違う縁の下の力持ちが出て来たっていうことを私は認めるべきだと思うのです。業者を介在させなくても先生が端末でそのことができてしまう。京阪奈の第二国会図書館建設も二〇〇〇年に向けて走り出しているけれど、それも電子図書館という発想ですよ。本を収集するよりも本のデータを収集するわけです。著作権の問題とか出てはいるけれど、荒っぽい言い方をすると図書館に本は要らないというわけです。
また、すでに述べた「学情」の問題抜きにこれから大学の図書館がどういうふうに変遷していくのかは語れないでしょう。というのは、かつては大学はみずから所蔵している書籍類は非公開の世界でした、基本的に。できるだけオープンにしたくない。重要な資料は自分のところのステータスとして隠していた。それがインターネットができて、基本的な考え方が一八〇度変わった。みずから持っている資料は極力アクセスしてもらってオープンにしよう、と。同時に、大学自身もよそのデータをいつまでも見られるような相互利用関係を、いかに作っていけばいいかということに一八〇度変わった。日本の国会図書館と海外を比べたら日本の方が非公開の側面がまだまだあるけれど、基本的には外部の者にオープンにしていくということが、私は民主的国家にとって大事なことだと思っています。そして、情報公開をどういうふうな形にしていったらいいのかというと、統一的なシステムをもっていないとできないわけです。
湯浅● そうですね。
A● 統一的なシステムをつくるとその互換性の問題とかいろいろな技術的な問題でもクリアしやすいわけでしょ。だから、検索するデータのありかたも統一規格でやっていく、と。その統一のしくみにのっとって、小さな大学も大きな大学もその共通項に向かっていく。そのことは私は経費の面から考えても必ずその方向に行くだろうし、また先程言ったように公開という大前提に立つならば、そうならざるをえないし、そうなってほしい。私個人が自分のパソコンから、ある大学のもっている情報を検索できる時代というのは私は望ましい時代、世界だろうと思うのです。問題は、そういうことと一八〇度違うことなのですが、大学図書館が学情のラインにのっているとリスクの問題が出てくるわけです。例えば、こういう例は原発でもそうでしたね。電気は必要だし、発電する能力が高い原発というものに対して、初期の頃は反対できなくてもそれが稼働すればどんどん廃棄物が出て、「えっ!そんな世界」という感じで知らされていなかったことが分かってきた。人類にとって原発っていうのはよくないっていう段階に来てる。まだ全部廃止しようという動きにはなっていないけれど。「学情」のリスクはまだ見えてきていなかったのが、いろんな人の意見を聞いているとポツポツと、見えてきていますね。その点で言えば、私がいちばんびっくりしたのは、教員の採用を「学情」のラインで公募するというものです。公募するので先生の履歴とか全部送れっていうわけ。だから「学情」も図書館システムだけの問題じゃない。
湯浅● 「学情」はそんなことも?
A● 私も知らなかったのです。だから、図書館という一つの世界の後ろに「学情」を見てそれが便利だというけれど、「学情」そのものが単に図書館だけじゃなくて、大学の機関そのものをターゲットにもっと壮大な世界を描こうとしているのが、まだ見えていないんですね。見えていないんですが、教官の公募をするというのには私はちょっと怖さを感じました。それから、通信網がどんどん速くなったSINET(学情のインターネット・バックボーン)の世界でも、海外とのアクセスとなると急に遅くなるということがあります。それだけ量が増えている。それと、問題になってくるのはコンピュータ・ウィルスなどの問題。ある日、気づいたら膨大なデータが全部消されていたということが起こりうる。それから、もっと図書館の資料的な面でもさっきの、インターネットは弱者のものだと言っていた同じ人が一年たった今、「機械化、ネットワーク化は必要最低限に止め、資料購入費への配分を増やす」ことを提言していたりする。最先端にいる図書館員から疑問が投げかけられているのです。私は「学情」のラインで行った方がいいと思うのですが、そのリスクを考えると決してバラ色ではない、いろんな問題がこれから見えてくるだろう、と。それが現時点の大学図書館のおかれている状況でしょう。大学図書館を市民が利用するのはよいことだけど、利用しようとすると規格を統一しないといけない。Windows95でネットワーク上で何とかというけれど、データのあり方は統一させないとそういうことはできない。しかし、統一されたものがどれだけ怖いかということは歴史が証明していること。だから、現時点で洋書屋も現実的には、数字的には成り立たなくなってきているけれど、一方で「学情」だけでなく資料を買いましょうという発言も出て来るわけでしょ。
湯浅● それでは図書館にも洋書小売業界にも未来はある?
A● 洋書小売業界は存続しないと思いますが、そこで働いている人間としてはなんとか関連した仕事を維持させたい。約三〇〇社の洋書屋さんが一年ごとに何社か減っていくでしょう。そういう中で図書館システムの問題やもう少し多角経営、つまり大学相手のすきま産業というのか、コーディネーターの仕事がまだあるんじゃないか、と思いもするのです。私が本当に言いたいのは、洋書屋も図書館職員も研究者に尽くすわけでしょう?
湯浅● そうですね。
A● 尽くすんだけど、その研究者自身がリストラの対象になったり、時間に追われ、執筆した論文の数を点検されて、そして結局これだけの大量の資料やデータが与えられても、描く世界がこれだけのものだとしたら。技術革新が進めば進むほど、すごいものが出来るんじゃなくて、つまらないものが出てくる危険性がある。料理で言えば素材がない方がいい料理ができて、素材をたっぷり与えられた方がいい料理ができないというような、裏腹な世界が感じられるのです。 |