文●石塚 栄二
いしづか・えいじ●1927年生まれ。文部省図書館職員養成所卒業。
和歌山県立図書館・大阪市立図書館勤務をへて、現在帝塚山大学教授(図書館学)。
日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会元委員長、現件名標目委員会委員長。
「講座図書館の理論と実際 1図書館概論」(共著)ほかの論文執筆。
富山県立図書館の図録問題が新たな局面をみせた。しかも、今回の問題が図書館の主体的な行動によって引き起こされたという点において、これまでの経過とは異なる性格を持っている。最初の問題発生時、日本図書館協会の図書館の自由に関する調査委員会の全国委員長を勤めていた関係でこの問題に関わって以来、関心を持ち続けてきた私としては、今回の同館の行為に対しては、強く抗議の意志を表明せざるをえない。
今回の問題の経過
昨年(一九九五)九月、かねて係争中であった図録損壊問題に対する最高裁判所の判断が示され、上告棄却となった。これにより、図録を破った被告の有罪が確定し、証拠物件として裁判所が保管していた当該図録が図書館に返還されることになった。
ところが、裁判所に出向いた同館の中野義之館長は、図録の受領を拒否し、その所有権を放棄した。報道によれば、館長がその理由として挙げているのは、次の二点である。
1図録をめぐって相反する意見の対立があり、これを所蔵することは管理運営上の支障になる。
2破損した部分が大きく、修復することが困難で、図録としての価値が失われている。
この所有権放棄は、県の事務決裁規程により館長に委ねられている権限によって決定したものであるとしている。この決定は、館長自身の判断によって行なったと伝えられているが、官公庁の通常の意思決定の過程からして、当然上部機関である教育委員会の関係者等と協議したうえでの決定であると推定できる。
さらに、その後明らかになったことは、この図録問題及び問題となった美術作品に関する出版物は、図書館資料として収集・所蔵することはしないという方針を決定したということである。
問題点の整理
まず、今回同館がとった措置についての問題点を整理しておきたい。
第一に問題として指摘しなければならないのは、館長の当該図録の所有権放棄が、結果として図録損壊を行なった犯罪者の行為に荷担することになったという点である。
第二としては、館長は、この破壊された図録そのものが持つ歴史的な資料価値を評価することを避けているという点である。この点は、この一連の事件に関する資料の収集・保存をしないという方針をあわせ考えるならば、事件そのものに対する歴史的な認識が欠落していることを意味する。
第三には、資料の損壊を器物毀損事件として裁判所に提起した県の姿勢と、館長のとった措置の間には明らかな矛盾が存在するということである。
第四には、証拠品としての図録の返還にあたって、これを受領せず所有権を放棄するという措置をとったことは、県の事務決裁規程の趣旨からしても適正な措置とはいいがたいという点である。
第五には、図録の損壊事件が発生した際、県議会は「かかる事件が二度と繰り返されることのないよう、関係当局において断固たる措置をとるとともに、表現、言論の自由と民主主義を守り抜く決意をもって臨むことを改めて表明する。」と決議しているにもかかわらず、この決議の後段の趣旨を無視したことである。
問題点に対する批判
●第一の問題点について
図録の所有権を放棄することは、同県において公的機関が所蔵する同図録が存在しなくなることを意味する。まして、図書館という県民に資料を公開する機関の資料の存在を否定することは、県民の目から同図録を消滅させることと同様である。
国会図書館が所蔵しているではないかという意見に対しては、印刷・刊行された資料は複数存在することが当然であるというべきであり、それをできるだけ利用者の身近かに存在させることが図書館の基本的役割であると考えるべきであろう。
同図録が同県の公的な図書館から消滅して、利用者が閲覧できなくなることは、図録の損壊事件を起こした犯罪者の意図したところであり、同館がとった今回の措置はこの犯罪者の意図を実現したことになろう。
●第二の問題点について
今回の一連の事件は、富山県の近代史に記録されるべき重要な事件であり、その事件をもっとも端的に示す歴史記録が、この破損した図録であることはいうまでもないが特に強調されるべきである。
したがって、歴史的観点からするならば破損したまま保存されるべき史料であるが、これが唯一の図録であるという面からすれば、それをできるだけ修復して保存することが要求されることになるのである。
なお、この問題に関連する他の資料も一切収集せず、したがって利用に供さないということであるが、これは「郷土資料の重点的収集」という同館の資料収集方針に反し論外である。特定の資料の収集を行なわないということは、自由宣言の「収集の自由」の項の副文第2に明らかに抵触する。
こうした姿勢は、図書館の歴史的任務を全く理解しないものであり、館長の歴史認識が疑われる。特に資料の消滅をきたすような措置は、図書館そのものの存立基盤をあやうくする行為であると非難されるべきである。
●第三の問題点について
犯罪者の行為を器物損壊罪にあたるとして告訴し、公判を経て有罪が確定した。この一連の訴訟行為が県の公費によって行われたことは、民事訴訟による現状回復の請求が含まれなかったとはいえ、判決の後には、当該証拠資料の返還を受け速やかに修復して通常の状態を確保することが期待されていたというのが、県民の常識ではないか。
この期待に反して証拠品の所有権を放棄するのは、明らかに常識を逸脱する行為であり、この裁判は、犯罪者を処罰することと、その行為が違法であるいうお墨付を裁判所からもらうことを目的とし、これによって管理者としての責任を果たそうというだけのものであったのか。あまりにお役所的発想ではないかと批判することができる。
●第四の問題点について
今回の措置の決定は、県の会計規則や事務決裁規程などにより館長に委任されている権限により行われたという。本来、これらの規程は管理者の支配に属している物品の処分に関する規程のはずであって、いまだ物品が裁判所の手にあり、管理権が及ばない物品の処分にまで適用できるというのは、拡大解釈のそしりを免れない。
仮に廃棄処分をするとしても、一旦裁判所から受領し、図書館長の手に移ってから処分を決定するのが、通常の形式であろう。
この手順をふまずに、裁判所からの受領前に所有権放棄の措置をとったのは、おそらく一旦図書館に持ち帰ると再び公開・非公開の論議が再燃し、収拾が困難になるという配慮からであろうと推定される。この事は、所有権放棄の理由として挙げられている「意見の対立があり、管理運営上困難がある。」ということによっても裏付けられる。
●第五の問題点について
県議会の決議には「言論・表現の自由と民主主義を守り抜く」という語句がある。言論・表現の自由に、情報享受の自由が含まれていることは最高裁判所の判例によっても明らかであり、今回の図録を閲覧する自由が含まれることはいうまでもない。まして、今回の一連の問題に関する資料の読書を規制するようなことが許されるはずがない。
県立の公的機関の運営にあたっては、県議会の意向を尊重する義務がある。これを無視して今回のような決定をすることは、地方自治の原則を踏みにじる行為であるとして、非難されてもやむをえない。
もちろん、図書館は教育機関として一定の範囲での自由裁量権が委ねられているとしても、言論・表現の自由のような憲法で保障されている権利の問題について県議会の意志を無視するようなことが許容されるはずがない。むしろ、そうした原則に抵触するような議会の意志が仮に示された場合には、再考を求める立場にあろう。
その後の報道によれば、今回の措置について県議会に報告したというが、その報告に対して県議会はなんらの見解を示さなかったのであろうか。もし、示さなかったとするならば、先の決議はいったいなんだったのかと問わざるをえないことになる。
総括的な意見
今回の一連の措置がとられた背景として、富山県における図書館運営に一定の限界があったことを考えざるをえない。
図書館界においては周知のことであるが、富山県は全国でもっとも早く市町村の図書館設置率一〇〇%を達成し、館種を越えた総合目録の編成を実行し、そのコンピュータ化をも手がけ、つねに図書館運動の先頭を歩んできた輝かしい実績をもつ。しかしながら、そうした努力が必ずしも県民の意識の近代化・民主化にまで及んでいなかったことを、率直に認めざるをえない。やはり、意識の近代化・民主化は図書館サービスを前進させるものではあっても、図書館サービスが意識の近代化・民主化をもたらすものではないのであろうか。
それにしても、今回の経過において県立図書館長の果たした役割は否定すべくもない。同館が広瀬元館長の次から、館長職が県内の高校長や教育委員会関係者によって占められてきたことが、今回の経過を生みだした遠因ではなかったか。特に、今回の問題を引き起こし、図書館の存立基盤そのものにまで危惧の念をいだかせた前中野館長の責任は大きい。明らかに中野館長は、図書館長としては不適格であったといわざるをえない。こうした不適格の館長を任命し、かつ、今回の館長決定に暗黙の承認を与え富山県の輝かしい図書館史に汚点を残した、県教育委員会の責任こそ問われるべきである。
もうひとつ、書き加えておくべきことがある。それは、今回の事件に関する日本図書館協会の取り組みである。
今回の新しい富山問題の展開について、新潟の全国図書館大会で話題とし、「図書館雑誌」のニュースに取り上げたが、協会としての公式見解を公表していない。図書館の自由に関する調査委員会からも報告が公表されていない。この問題は、図書館自体の主体的な行動によって引き起こされた事件であり、しかも図書館資料の消滅に関わる重大な事件であるという認識が乏しいのではないか。施設会員を含む組織上の限界はあるとしても、問題の重要性に鑑み、協会としての見解を知りたいと思うのは、私ひとりであろうか。
図書館は社会を離れては存在しない。機会をとらえて図書館の立場を社会に対し明確に示すことが、必要である。今回のような事件について、見解を明らかにし社会の理解を深めることは、図書館の振興に国民の協力を得るためにも欠かすことができないと考える。
●ひとつの提案
富山県立図書館では、この4月館長が交替したという。この機会に前の決定を改め、所有権放棄を撤回し、関係資料の収集・提供に努めるべきである。幸い、この図録は他の裁判の証拠資料として裁判所が保管しているという。
返還された図録および関係資料の公開にあたっては、県内の有識者および図書館関係者による検討会を開き、その方法について十分討議し、さきのような事件を生じないような方法を探ることにしてはどうか。
富山県には多くの先輩や友人がいる。教職についてからの教え子もいる。この原稿ほど書き難かったものはない。何度も中断し、放棄することを考えた。しかし、編集担当者からの再三の督促と激励によって一応書き上げたが、多くの人々に迷惑をかけたこと、富山の人々に失礼の言辞を数々呈したことにお詫びを申し上げる。
『ず・ぼん1号』を富山県内の市町村立図書館に寄贈
●編集部
4月13日、「図書館の知る権利」集会に参加するため、富山市に行った編集委員たちは富山市立図書館・県立図書館をまわって蔵書目録を検索してみた。もちろん県立図書館には『ず・ぼん1号』は未所蔵だったし、市立図書館は所蔵のはずだが、請求したところ行方不明との返事だった。石塚栄二氏の論文にもあるように、富山県は、県内図書館の蔵書総合目録の実績がある。現在は目録カードの集中は中断し、電算を導入した館だけがデータを交換・蓄積しているという。
総合目録を検索していくと、この時点で『ず・ぼん1号』を所蔵しているのは、さきの富山市立とただひとつの町立図書館だけだった。
富山県立図書館に私たちが寄贈した『ず・ぼん1号』も受け取りを拒否されたので、富山県の方々に読んでもらえるようにと、県内の市町村立図書館35館に寄贈することにした。5月31日に一斉に発送し、寄贈礼状や「蔵書に加えます」というご挨拶もぼちぼちいただきつつある。1996年8月10日現在『ず・ぼん1号』を送り返してきた図書館はない。
●寄贈した図書館
魚津市立図書館/小矢部市立石動図書館/小矢部市礪中図書館/黒部市立図書館/新湊市立新湊図書館/高岡市立中央図書館/礪波市立図書館/富山市立図書館/滑川市立図書館/氷見市立図書館/朝日町立中央図書館/井波町立図書館/井口村立図書館/宇奈月町立図書館/大島町立図書館/大山町立図書館/上平村立図書館/下村立下村図書館/城瑞町立図書館/庄川町立図書館/大門町立正力図書館/平村立図書館/立山町立立山図書館/町立上市図書館/町立小杉図書館/利賀村立図書館/入善町立図書館/福岡町立図書館/福野町図書館/福光町立図書館/婦中町立図書館/舟橋村図書館/細入村立図書館/八尾町立図書館/山田村立図書館/
|