オカマ問題のシンポジウムのビデオを見る機会があったので感想を書いてみよ
うと思います。
まずビデオとはいえ「面白いシンポジウムでした」ということを書いておきた
いと思います。一歩間違えばまさに糾弾の会になりそうなシンポジウムだった
のに、こんなに面白くてためになる内容になるなんて、伏見さんの司会の力量
のたまものだと思います。
『言葉狩り』ということがまるで現実的でないというのは僕もそう思います。
『オカマ』という言葉で傷つくは確かにいるんでしょうけど、それをいいだせ
ば『ホモ』も『ゲイ』も『同性愛者』も同じことだし、さらに言えば、同様に
してどこまでも広がっていって、どんな言葉でも誰かを傷つける可能性を含ん
でいますよね。どの言葉で誰が傷ついているか分からない状況で、さらに
「もっとも弱いものに合わせる」んだとしたら、恐らく使える言葉の方が少な
くなるんじゃないかとさえ思います。昔、野犬に襲われて酷い目にあった人が
『犬』という言葉を見ただけで辛い感情が甦るとしたら、そして、それを抗議
されたとしたら『犬』という言葉を使えなくするのでしょうか??極端な例えで
すけど、無理がある話ですよね。伏見さんが「(自分は『中性』とバカにされ
たことがあるので)『中性洗剤』が駄目になっちゃう」という意味内容の発言
をされましたが、この発言は、笑いとしても面白く、かつ、『弱いモノに合わ
せる幻想』や『言葉狩り』の無意味さを分かり易く伝えていたと思います。
ですから、僕も週刊金曜日さんの結論である「タイトルにオカマを使わない」
という意見や、すこたん企画の伊藤悟さんの「とにかくオカマは駄目!!」とい
う意見には賛同できないですね。
言葉というのはもともと何かを指し示すためのものですから、僕たちは言葉を
使って何かと何かを区別しているんだと思うんですね。でも、そこに優劣の
ニュアンスが加われば、区別が差別へとあっさり変わってしまうと思います。
ですから、言葉を使ってコミュニケーションをしている以上、何かを差別して
しまう危険性は常に孕んでいるとも思います。で、その優劣のニュアンスはど
こで加わるかというと、やはり今まで言われてきたように『文脈』しかないと
思うんですよ。差別語など最初から無くて、『文脈(=使われ方)』が言葉に
差別の意味を込めている。だとしたら、その差別的なニュアンスをうち消す手
段も『文脈』でしかないと思います。そういう意味で及川健二さんの「伝説の
オカマ」記事は、オカマという言葉を肯定的に使っているということが、とて
も素敵で有益だと思うんですね(ゲイメディア以外でですから本当に意味があ
ると思います)。差別的な文脈で使われる言葉を敢えて肯定的に使っていくと
いう作業は、きちんと差別的な使われ方をする文脈を産み出す背景に働きかけ
ていると思います。時間はかかるのかもしれないですけど、こういうことから
差別そのものも改善されていくんじゃないかとも思いますね。その点、どれだ
け言葉狩りを行っても、元になる否定的な文脈を産み出す背景を改善すること
はできないだろうと思います。同じ文脈が他の言葉に乗り移ることはそんなに
難しいことじゃないと思いますし、問題そのものが隠されてしまうだけですよ
ね。
あと、シンポジウムの感想というわけではないですが、すこたん企画・伊藤悟
さんの表現者や言論人としての対応は、いくらなんでも哀しいところがある
なぁと思います。今からでもいいので、議論に参加して欲しいと思いますね。
しがない感想でした。
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