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コーナー●その5この問題を考えた [2001-11-11]

●その5-08 
[01-11-09アップ]
H氏への回答 1

松沢呉一

→松沢呉一
ウロコの部屋へ飛ぶ

 

 ようやっとH氏という人物から批判らしい批判をいただきました。「ウロコの部屋」で回答しようかとも思ったのですが、あっちはとっくに最後まで原稿ができていることでもあるので、私の回答もこちらのコーナーでやらせていただくことにします。
 彼の指摘のかなりの部分は既に説明済みだと私は感じていますし、本論にはあんまり関係のない話が多いと思われるのですけど、批判は批判として受け止め、「既に説明済み」ということを含めて、極力すべてに答えていきたいと思ってます。ただし、それを一度にやると、またまた長くなり、論点がとっちらかるので、ひとつひとつやっていくことにします。
 
 まずは今回のことにおいての「すこたん企画」に対する評価です。H氏はこう書いておられます。

[(1)「表現する側」は自分ができる範囲で、読む人を傷つけないように 配慮した文章を書くように努力する。
(2)その表現を読んで傷ついた人は、「表現する側」に対して傷ついた理由を説明し、その表現を別の表現に変えて欲しいなどのお願いをする。
(3)このとき、「傷ついたと主張する側」は「表現する側」に対して、できる範囲で自分の主張を正確に伝えるように努力する。また、「表現する側」は「傷ついたと主張する側」の主張について、できる範囲で正確に理解しようと努力する。
(4)その上で、もし「傷ついたと主張する側」の主張に対して納得ができない場合は、「表現する側」は自分がした表現について説明し、理解してもらうようにお願いをする。
(以後2〜4を、下記の5〜7のどれかになるまで繰り返す)
(5)もし「傷ついたと主張する側」が、自分のお願いが行き過ぎであったと 納得したなら、自分の主張を取り下げる。
(6)もし「表現する側」が、自分の表現が不当に相手を傷つけるものであったと納得したなら、自分の表現を撤回する。
(7)もし、相手にそれぞれ正当性があるとお互いが判断したなら、両者で妥協点をみつけておりあいをつける。]
 H氏は、これが表現するという行為において、[ 至極あたりまえの事]と考えておられているようです。これについて私がどう考えるかは別途論じるとして、H氏は[これまでの経緯を読んでいて、すこたん企画さんと週間(ママ)金曜日さんのやりとりは、基本的にはこの流れにそってなされているように私には感じられた]のに、対して松沢はその考えにそっていないと指摘してきたわけです。
 どうしてこうなるのかまったくわかりません。以下も既に説明済みのことだと思うのですけど、今回の一連の出来事をもう一度整理します。「人を傷つける」という表現は情緒に流れやすく、また、この言葉を使用すると、この問題が最初から「差別」という認定をされた事象に関する議論であるかのように思われ、「そうではないのではないか」という立場を否定しかねないので、ここでは「異議を感じさせる」といった言葉を使用します。
(1)「週刊金曜日」に掲載された「伝説のオカマ」に対して、異議を感じた「すこたん企画」が抗議した。その抗議はあくまでタイトルに関するものだということだったので、ここでは、タイトルに責任を持つ「週刊金曜日」が「異議のある表現をした当事者」であり、「すこたん企画」は「異議を感じた当事者」である。
(2)しかしながら、現に公表された「性と人権」の特集では、「すこたん企画」は及川氏の原稿も批判対象としていて、及川氏はこれに異議を感じている。ここにおいて、問題は「すこたん企画」と及川氏の関係においても生じていて、(1)とは別の関係が新たに成立している。
(3)公開された「性と人権」を筆頭とした「週刊金曜日」の記事に対して、異議を感じた多くの人達がいる。ここでは、それらの人々と、「週刊金曜日」「すこたん企画」など、原稿に責任をもつ人々の間に新たに問題が生じている。例えば私は「週刊金曜日」、「すこたん企画」、編集委員たちに対して異議を感じており、「異議のある表現をした当事者」と私との関係がそれぞれに成立している。
 以上のようなさまざまな関係が成立していて、こと(1)のみを見て、H氏は[この流れにそってなされている]と判断しているのでしょう。一時公開された担当編集者、山中登志子氏の手紙を見ると、山中氏は冷静に対応しようとしていたにもかかわらず、「すこたん企画」はそれに真摯に応えようとしていたとは思いにくく、この関係においてさえも、「すこたん企画」は、H氏が[至極当たり前の事]とする対応をしていませんよ。
 また、「すこたん企画」もまたH氏が言う「表現をする側」なのです。(2)の関係を見ると、「すこたん企画」は、「週刊金曜日」に対して、あくまでタイトルの問題だとして及川氏を排除することを主張しておいて、そのくせ及川氏の批判を誌面でやったわけです。その反論がようやく「週刊金曜日」に掲載される運びになったのは、一連の議論があったためでもありましょうし、いずれにしても、これは及川氏と「週刊金曜日」との関係において成立したものであり、「すこたん企画」と及川氏の関係において成立したわけではありません。
 現に及川氏が参加するシンポを彼らは辞退しています。スケジュールの問題、場所の問題などではなかったことは既に述べている通りであり、「異議のある表現をした当事者」である「すこたん企画」と「異議を感じた当事者」である及川氏との関係において、「すこたん企画」は話し合うことさえも拒否したわけで、H氏が説明していた流れには全くそっていないではないですか。 
 また、これは伏見氏や野口氏、私などにとっても同様です。とりわけ伏見氏らのように投稿が掲載されなかった人々は、「週刊金曜日」との関係において、「すこたん企画」とは全く違う扱いをされているわけです。「週刊金曜日」が今回及川氏らの意見を掲載したことによって、これまで私が抱いていた不信感がかなり薄らいでいますが、真っ先に異議を唱えた伏見氏らの意見は相変わらず掲載されておらず、また、今回の記事においては、「週刊金曜日」の対応の問題点については触れられておらず、これではただもう「すこたん企画」のみが悪者であるかのようです。
 掲載されなかった伏見氏らの投稿を含めて、さまざまな異論がこのコーナーにも出されており、これに対してポット出版から意見を表明しないかと「すこたん企画」に申し入れているにもかかわらず、「すこたん企画」は何ら弁明なり反論なりする気はないようです。ここにおいても「すこたん企画」は[至極あたりまえの事]をやっていません。
 このように、「週刊金曜日」も「すこたん企画」もH氏が書く[至極あたりまえの事]をやってきていないにもかかわらず(特に「すこたん企画」は)、あたかも私のみが[至極あたりまえの事]ができていないとするH氏の文章に、私は大いに「傷つきました」。そういう扱いを事実体験してきた私としては、「エロライター、風俗ライターなんて肩書きを持つ人間は所詮こういう扱いをされるしかない存在なんだよな、ケッ」てな具合です。
 私は、H氏が書く[至極あたりまえの事]を至極当たりまえとは必ずしも思っていないのですけど、ここから外れることをもって私を批判的に書いてきたH氏にとっては、私の比ではなく「すこたん企画」は批判対象になるはずなのに、どうしてそうなっていないのか、どうか説明してくださいな。

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