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コーナー●その5この問題を考えた [2001-11-09]

●その5-07 
[01-11-09アップ]
私なりに考えたこと

H

→松沢呉一
ウロコの部屋へ飛ぶ

 

ポットのサイトに連載している『松沢呉一・ウロコの部屋』の「●5の家 オカマ表現を考える」に関する意見、として、Hさんからメールが届きました。
書かれているテーマが「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」についてのものだったので、Hさんにお願いして転載させていただきました。(編集部)

私は普段はあまり差別表現などについて深く考えたことはなく、また、
実名を出して議論しようという気概を持っているわけでもないので、
意見を送ってよいのかどうかかなり迷いましたが、このコーナーを読んで、
抗議に対する反論の仕方などについていろいろと私なりに感じたことが
ありましたので、それを中心に私が考えたことをメールしたいと思います。

松沢さんの「オカマ表現を考える」のコーナーを一通り読ませていただき
ました。ただ、私は「ホモ」という言葉に非常に否定的なイメージを感じる
ので、この言葉が頻出する個室13だけは、申し訳ありませんが読み飛ば
させていただきました(頑張って読もうと思ったのですが最初の数行を
読んで気分が悪くなってしまったため、それ以上読み進められませんでし
た)。
もし私の意見の中で既に個室13に書かれているものがありましたら、
ご容赦ください。

松沢さんは「文脈を考慮することが必要だ」という趣旨の発言をなさって
いて、私も文脈を考慮する必要はあると思っています。
しかし、言葉から受けるニュアンスによって、個人的にできるだけ使って
欲しくない言葉が、各個人ごとに存在することもまた事実だと思います。
私にとっては「ホモ」という言葉がそれにあたります。例えば私は
「ホモサピエンス」の略語としてこの言葉を使われた場合にも、最初に
その文を読んだときには一瞬嫌な感じをうけます。
ただ、たいていの場合、嫌な感じをうけるのは最初の一瞬だけで、言葉に
否定的な意図がないと頭で理解できた後は、あまり気にならなくなる
(あるいは我慢できるようになる)ことが多いです。しかし、この単語が、
「筆者が読者である同性愛者に対して呼びかける」文脈の中で使われた
場合や、この単語があまりにたくさん頻出する場合、あるいは、タイトルに
でかでかと掲載された場合などには、たとえそれが肯定的な内容であっても、
あるいは当事者が使っていても気分が悪くなることがあります
(上の個室13の場合のように)。
確かに、言葉の持つニュアンスを変えていくためにどんどんその言葉を
使っていくという方法は、この問題を解決するひとつの方法ではあると
思います。しかし、「ホモ」という言葉に対してその方法を取られた場合、
私個人としてはニュアンスが変わるまでの間、かなり嫌な気分を味あわざる
を得ないように思います。それで数年後にニュアンスが変わるのであれば
我慢しようという気になれるとは思います。しかし、10年20年たっても
変わらないのでは…という心配もあります。例えば、仮にこれに便乗して
否定的な意味で使う人たちも増えてしまったなら、なかなか言葉のニュアンス
は変わらないように思います。だからと言って他にニュアンスを変える
有効な方法を思いついてるわけではありませんし、この言葉を使わないように
する事で問題が解決できるわけではないとも思います。

私は、この種の問題については、言葉を使う側には自分にできる範囲で
表現に配慮してもらって、問題があると判断した人がそれに抗議し、
議論していきながら、ひとつひとつ地道に問題のある文脈(あるいは言葉の
使われ方)とそうでない文脈を整理していく以外にないように思います。
もう少し詳しく、抗議する人と抗議をうけた人がその時にできることを
まとめると、下のようになると思います。

(1)「表現する側」は自分ができる範囲で、読む人を傷つけないように
配慮した文章を書くように努力する。
(2)その表現を読んで傷ついた人は、「表現する側」に対して傷ついた
理由を説明し、その表現を別の表現に変えて欲しいなどのお願いをする。
(3)このとき、「傷ついたと主張する側」は「表現する側」に対して、
できる範囲で自分の主張を正確に伝えるように努力する。また、
「表現する側」は「傷ついたと主張する側」の主張について、できる
範囲で正確に理解しようと努力する。
(4)その上で、もし「傷ついたと主張する側」の主張に対して納得が
できない場合は、「表現する側」は自分がした表現について説明し、
理解してもらうようにお願いをする。
(以後2〜4を、下記の5〜7のどれかになるまで繰り返す)
(5)もし「傷ついたと主張する側」が、自分のお願いが行き過ぎであったと
納得したなら、自分の主張を取り下げる。
(6)もし「表現する側」が、自分の表現が不当に相手を傷つけるもので
あったと納得したなら、自分の表現を撤回する。
(7)もし、相手にそれぞれ正当性があるとお互いが判断したなら、
両者で妥協点をみつけておりあいをつける。

# 至極あたりまえの事のようですが。

これまでの経緯を読んでいて、すこたん企画さんと週間金曜日さんの
やりとりは、基本的にはこの流れにそってなされているように私には感じ
られたので、このまま成り行きを見ていこうと私は思っています。

一方、「オカマ表現を考える」の文章を読んで、私は最初は松沢さんが(1)を
否定しようと試みているのではないかと思いました。しかし、肯定している
ように思える部分もみうけられるため、どちらの立場をとろうとしているのか
とてもあいまいに感じました。もし(1)を否定する立場であるなら、私は
それはよくないと思っています。
また、松沢さんは、反論の中で「すこたん企画さんは(5)を考慮していない」
という仮定をおいたうえで反論しているように思いました。私も(5)を考えず
に抗議するのはよくないと思いますが、私はすこたん企画さんも当然その点は
考慮しているだろうと思っています。

ところで、「オカマ表現を考える」の記事の中には「文脈を考慮することが
必要だ」という趣旨の記述がありますが、私には、この一連の記事の中にも、
「すこたん企画」さんの記事やホームページの記述に対して文脈を考慮せずに
反論している部分があるように思えました。

例えば、すこたん企画さんは、「おかま」という言葉がこの言葉をなかなか
肯定的にとらえることができない集団(例えば子どもたちや、いわゆる地方に
住む人たちなど)の間で否定的に使われている点を問題視しているように
私は思いました。しかし、松沢さんの記事では、このような集団の中での
言葉の意味についてはふれておらず、主に、いわゆる性労働に従事している
方たちや、その方たちと交流のある人たちの間での言葉の使われ方を説明して
いるように思いました。これでは議論はかみあわないように私は思います。

また、ジャップとジャパニーズについても、私はすこたん企画さんのページ
を読んで、「言葉を略す場合と略さない場合とで言葉の意味やニュアンスに
違いが生じることがある」ことの例として英単語の習慣を持ち出しているよう
に思いました。しかし、松沢さんは「略すことがいけない」と解釈して
反論をしているように思いました。これが、すこたん企画さんの主張への
反論ではないのであれば納得できますが、もしそうであるなら、この反論は
かなり誤解をまねきやすいのではないか?と私は思いました。

また、類型化についても、類型化そのものに問題があるのではなく、その
表現の仕方を問題にしているのだと私は思います。例えば、「日本人は
アメリカ人に比べて背が低い傾向がある」「日本人にはご飯が好きな人が
多い」などのような表現を用いれば、集団に対してある種の決めつけをして
いるという誤解をできるだけまねかないようにしながら、集団の傾向や
特徴を表現することはできると思います。ここからは、余談になりますが、
私は学生時代にコンピュータ関係の論文を書いたことがあり、その際、
「傾向を示す場合と、断定する場合とで、表記上の区別をするべきだ」と
指導されました。「傾向」について語る際に「断定」の表現を使うと、
嘘を言っているととられかねないからです。もちろん一般的な会話や
簡単な意見表明などでいちいち気を使っていたら面倒だし、文章に
インパクトを持たせるためにあえて断定的な表現を用いることもあるとは
思います(私も普段はよく使ってしまいます)。
しかし、これは表現上の区別をおこなった場合と比べて誤解をまねく可能性
が高いということは、意識しておいて損はないと思います。

以上、細かい点をいくつか指摘いたしましたが、私は、「抗議に対して反論
する場合」にも「抗議する側の文脈を考慮することは必要だ」と思います。
ウロコの部屋の「前口上」に書かれたこのコーナーの趣旨から判断して、
ここまで厳密に考える必要はないのかもしれません。
しかし、松沢さんの反論の多くは「オカマ表現を考える」の文章に対しても
そのまま言えるように私には思えるのですが、いかがでしょうか?
もちろん、私のこのメールも「反論に対して、さらに反論をしている」
わけで、いたらない点もたくさんあるかと思います。私のできる範囲で
配慮したつもりですが、もし松沢さんの記事に対して文脈を誤解している点
などがありましたら、ご指摘をいただければと思います。

乱筆乱文で失礼いたしました。

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