私は、今回の記事「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」の掲載は基本的にOKだったと考えています。
タイトルに「オカマ」という言葉が使われていたからといって、
その言葉が伊藤悟の言うように一人歩きするとは思っていません。
掲載された「週刊金曜日」は同性愛者を侮蔑するのを目的にしているのではないし
(目的がないから許される、というものでもないですが)、
記事の内容を読めば差別の苦しみを受け止めた上で、
「オカマ」を自分のアイデンティティとして選んだ東郷健の生き方を理解することができると思います。
しかし、
伊藤悟や辛淑玉がなぜこれほどまで抗議したのか私は知りたいです。
意見が正しいか間違っているのかは別として、
私は知りたい。
今回の抗議には今までの体験から裏打ちされている部分もあるでしょうから。
ロフトの話し合いは実現しませんでしたが、
何度でもしぶとく核心に迫れればと思います。
そして、
当事者の1人として及川健二は堂々と反論してほしいと思っていました。
物書きにとって一番大事なのは自分が何を書きたいのか、
何を伝えたいのか、
ということだと思います。
たとえ「差別」と批判されても、
それが本当に大事なことだと確信しているなら、
極端に言えば全世界を相手にしても(現実には無理ですが)、
自分の作品を守るべきと考えています。
自分が納得もしていないのに謝罪するより、
議論の中からこそ、本当の理解があると思っています。
今回、ポット出版のページで及川の反論を知り、
期待して見たのですが、
私の期待するようなこと、
つまり記事を書いた動機、
あるいは編集部内での克明なやり取りは載っておらず、
がっくりしてます。
言いたいこと、聞きたいことはいくつかあるのですが、
とりあえず1つだけ。
及川は伊藤の著作のプロフィール欄に東大の文字があることを何度か言及していますが、
これは次のどちらと見なすべきでしょうか?
1、及川は伊藤の著作のプロフィール欄に「東大」の文字があることを別に自慢だとは思っていないが、「伊藤悟さん的二元論」(c及川)でいくと自慢になる。
2、及川は本心から伊藤のプロフィール欄の記述を自慢だと考えている。
最初私は2だと思っていたのですが、
最近の彼の文章を読んでいると1の様にも思えてきます。
実際はどちらなのでしょう?
1ならともかく、
2の方だとすると、
「オカマ」のタイトルとどっちもどっちだと思います。
「オカマ」という単語がタイトルが入っているからといって、
即差別と言い切れないように、
プロフィール欄に「東大」という単語があったからといって、
それが即自慢になるとは思えません。
伊藤が著述や講演などで自分が東大卒であることを吹聴しているなら別ですが。
少なくとも、
早稲田出身であることを隠していない及川の主張には説得力がありません。
そろそろ記事を書くときの動機について語って欲しいです。
騒動があってから彼の発言がないのがずっと気になってましたから。
最後になりますが、
今回の問題についての答えは自分の中で出ていません。
ただ、1つ言えるのは
とにかく各当事者の意見の背景を知りたい。
(文中敬称略)
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