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コーナー●その4シンポジウム [2001-10-06]

●その4-04 
[01-10-06アップ]
シンポジウムへの
メッセージ

田亀源五郎
(ゲイ・エロティック・アーティスト)

 

*この文章は、
当日参加できないので、
シンポジウムを主催した
伏見憲明さんに送られた
メッセージです。

 

私は「オカマ」という言葉がけっこう好きでして、
何故かというと、ここ数年、幾つかのゲイ・メディアや
一部のゲイ・コミュニティ内で、この言葉が持つ
ニュアンスが変化しつつあるということを、かなり
喜ばしく思っているからです。現在、上記のような
場における「オカマ」あるいは「オカマっぽい」という
言葉は、一般的な字義とは意味合いを異にした、
過去に「ゲイ・テイスト」という大きすぎる括りで
語られていた諸々のテイストの中の、一つを指すような
使い方に変化しつつあるように感じています。
それによって、何でもかんでも「ゲイ・テイスト」
という言葉で括ってしまうことへの居心地の悪さ
(個人的な、ですけど)が解消され、それと同時に
「オカマっぽい」という言葉が、ニュアンスとしても使
われ方としてもポジティブな、ステキな言葉へと生まれ
変わりつつある、という印象があります。(私見では、
これは斉藤靖紀さんの功績が大きいと思っています)
これによって、ゲイという言葉が画一的な価値観のもの
ではなく、様々な異なるテイストのパラレルな混在だと
いうことが、それ以前の時代と比較して、より明快に
なるのではないかと期待しています。
しかし、せっかく「楽しく使えるステキな言葉」に変わり
つつある言葉が、一般のメディアでいわゆる「差別用語」
として、使用そのものが問題視されたり自粛されたり
することは、当事者(一部の、ですけど)にとって
ステキな言葉に生まれ変わりかけているものを、
再び「見るのも聞くのもイヤな言葉」へと逆戻り
させることではないかという懸念があります。
つまり、言葉の印象が変化することによって、
「オカマという言葉に抵抗を感じない」ゲイが
増えていくことと、言葉の印象を否定的なものに
固定することによって、「オカマという言葉が嫌い」な
ゲイが増えることと、どっちを歓迎するかという
ことですが、私はだんぜん前者なわけです。
簡単かつ乱暴な例えで言えば「オカマという言葉が、
日本におけるゲイという言葉や、英語のqueerのように
良い方向に変化しつつある時期に、今さらfagへ戻そうと
しない方がいいんじゃない?」ってことです。
また、言葉をタブーにすることで逆に露悪趣味的な
使われ方が増えることや(ネットでは面白がって
「差別用語」を濫用しているケースが見られます)、
それによって新たな隠語が生まれる(テレビの
バラエティ番組で耳にする「モーホー」なんてのは、
そうした文脈で生まれたっぽいですね)のも、
できれば遠慮したい。
よって、一般メディアには、単純に「オカマ=使用禁止」
ではなく、差別や人権を考えるのならば、使われ方に
気を配ってほしい。(だから今回の問題は、まずすこたん
企画さんの抗議に「?」で、次に週刊金曜日さんの特集に
「???」でした、正直なトコロ。で、そこいらへんは
識者の方々による議論に期待しています)
あと、一作家としても、「使えない言葉」が増えるのは
マッピラゴメンです。(ま、私の場合は発表媒体が
ゲイ雑誌オンリーだから、あんまり関係ないけど)。

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