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コーナー●その4シンポジウム [2001-10-03]

●その4-01
[01-10-03アップ]
感想など……

下村健一
(東京大学社会情報研究所客員助教授/キャスター)

 

掲載の経過●松沢呉一

今回のシンポを取材しに来ていた下村健一氏から以下の文章が送られてきました。
パネラーの我々だけが見て終わらせるのはあまりに惜しい内容ですので、下村氏の承諾を得て、ここで公開いたします。
ご存じの方も多いかと思いますけど、下村氏は、元TBSアナウンサーで、現在は東京大学社会情報研究所客員助教授、ラジオ番組や衛星放送のキャスターとして活躍しておられます。
シンポでは、放送の現場で立ち止まって考えることの困難さを語っていただきましたが、このことだけでなく、視聴者・聴取者からの抗議によって表現がどう制限されているのかといった話をさらに書いてもらえるといいのになあ、と本人にはさりげなく伝えてあります(全然さりげなくないってか)。
実現不能の空論に走らないため、メディアに携わる人たちからの意見もたくさん聞きたいものです。
(松沢呉一)

伏見憲明さま・松沢呉一さま・野口勝三さま・及川健二さま
ロフト+1 にお邪魔した、下村健一です。
おととい夜は、本当に楽しく知的なひとときを、ありがとうございました。

「最も弱い者に合わせた配慮」という考え方が空論であることは、《最も》という単語が、あらゆるファクターを単線上に一列に並べてモノサシを当てることを前提にした表現であることからも、自明です。

“どのぐらい弱いか”に、1番とか2番とか、つけられるとは思えません。
松沢さん・野口さんの御指摘と、客席の原さん(共同通信)の発言を足し算すると、結局、差別語問題では今回の件に限らず一般に、

[ 絶対正義の弱者側 vs 無謬神話のメディア側 ]

という“どっちもどっち”の硬直した構図を如何に脱するか、が出口なんだろうなと感じます。双方がこの自縄自縛から解放されるには、とにかく、《揺れている自分》の姿を正直にさらけ出すこと。(山中さんのように!)
そして、それを周囲(読者・視聴者・運動支援者など)が許すこと。−−−
これが必須であろうと思います。

伏見さんの司会名言集の中でも、特に私の心の中に問題意識として刻まれたのは、「ある言葉を消せれば、とりあえず《達成》感は得られるもんね」というご指摘でした。そんな似非《達成》でない、我々が現段階で目指すべき建設的《達成》点とは、何なのか? 「言葉の問題に矮小化せず、その土壌にある差別意識そのものを解消してゆかねば」という決まり文句は、今回も黒川宣之さんから何度か聞かれましたが、それ自体、「ははーっ、おっしゃる通り!」でオシマイの、絶対正義的物言いです。それは遥かに仰ぎ見る最終目標であって、今踏み出す“初めの一歩”を具体的に教示してはくれません。

そう考えると、どうも私には、前述の《揺れている自分を両者が議論の場でさらけ出せるようになること》それ自体が、まず今目指すべき最初の達成点なのではないか、と思えてなりません。

ですから、週金8/24号や、一昨日のディスカッションは、その意味でも非常に有意義な試みであったと思います。「すこたん企画」さんも、己の揺れを見せてもいいんダ、と“悟”れば、きっとこういう場に欠席はしなくなってくれるでしょう。 引続き、この路線で行きましょう!

乱文でスミマセン。

下村 健一  拝

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