コーナー●その4シンポジウム | [2001-10-03] |
●その4-01 下村健一
掲載の経過●松沢呉一 今回のシンポを取材しに来ていた下村健一氏から以下の文章が送られてきました。 |
伏見憲明さま・松沢呉一さま・野口勝三さま・及川健二さま 「最も弱い者に合わせた配慮」という考え方が空論であることは、《最も》という単語が、あらゆるファクターを単線上に一列に並べてモノサシを当てることを前提にした表現であることからも、自明です。 “どのぐらい弱いか”に、1番とか2番とか、つけられるとは思えません。 [ 絶対正義の弱者側 vs 無謬神話のメディア側 ] という“どっちもどっち”の硬直した構図を如何に脱するか、が出口なんだろうなと感じます。双方がこの自縄自縛から解放されるには、とにかく、《揺れている自分》の姿を正直にさらけ出すこと。(山中さんのように!) 伏見さんの司会名言集の中でも、特に私の心の中に問題意識として刻まれたのは、「ある言葉を消せれば、とりあえず《達成》感は得られるもんね」というご指摘でした。そんな似非《達成》でない、我々が現段階で目指すべき建設的《達成》点とは、何なのか? 「言葉の問題に矮小化せず、その土壌にある差別意識そのものを解消してゆかねば」という決まり文句は、今回も黒川宣之さんから何度か聞かれましたが、それ自体、「ははーっ、おっしゃる通り!」でオシマイの、絶対正義的物言いです。それは遥かに仰ぎ見る最終目標であって、今踏み出す“初めの一歩”を具体的に教示してはくれません。 そう考えると、どうも私には、前述の《揺れている自分を両者が議論の場でさらけ出せるようになること》それ自体が、まず今目指すべき最初の達成点なのではないか、と思えてなりません。 ですから、週金8/24号や、一昨日のディスカッションは、その意味でも非常に有意義な試みであったと思います。「すこたん企画」さんも、己の揺れを見せてもいいんダ、と“悟”れば、きっとこういう場に欠席はしなくなってくれるでしょう。 引続き、この路線で行きましょう! 乱文でスミマセン。 下村 健一 拝 |
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