2012-09-07

世界で拍手喝采!演劇の金字塔『Studio HEADZ』の新作を拝見して

 その日、脚本家兼演出家で女優でもある田代有希恵さんは柄に合わず厳しかった。8月28日の劇団『STUDIO HeadZ』(www.studio-headz.net)の稽古場でである。
「アナタから雛という生き物はどう見えますか?黒くって、どこにでも無数に存在しているかのような雛。微生物から植物、物に動物そして…人間…。男も女も赤子も老人も、どんな容姿でもどんな中身でも、楽しんでも苦しんでも、笑ってても泣いてても、結局は一つの細胞。全てが繋がっている。そう全ては…一つなんだ…。」
 ストーリーは『雛命』のフライヤーに次のように記されている。
 東京公演を終えて9月1日(土)に札幌のシアターZOO(www.h-par.ne.jp)にて公演した(13時~/17時~開始)オリジナルミュージカル『雛命(ウンメイ) 言葉と景色と色の中に』 の最終稽古を、無理を云って拝見させてもらった。同劇団は東京公演においてAチームとBチームに分けて、一つの演劇を二組でやるのが通例になっている。時間・日にちによって、AかBかで配役が役者が異なるわけだ。そして、地方ではその中から選抜された役者が公演する。東京において厳格に審査された役者が演じるのだが、地方ではさらに絞られる。
 それでも、演出家は、一演技ずっといっても過言でないほどに、役者のに演技を矯正していった。
 ストーリーは逆説的だ。
 喩えるならば、映画『ライフ・イズ・ミラクル』(La vie ets miracle)のような……。
 フランス語でインタビューを読んだのだが、監督は映画について、サラエボを舞台にして西欧が好きな“ロミオ&ジュリエット”を撮ることによって、故郷の“悲劇”を伝えたい……旨、述べていた。賞を総なめした『アンダーグラウンド』という映画が、一方で政争の具とされ、作品はもう撮らないと一度宣言した方である。

 死が多い話にはなっている。死ぬ場面が多い。が、「生き抜いて、愛したい」という感情が烈しく燃やされている。

2時間の超大作などを二ヶ月おきに発表する『Studio HEADZ』のたくましさには脱帽する。そして、田代さんには「本当にお疲れ様でした」と声をかけたい。

2012-08-24

対話なき人間は人間失格~自己抑制と理性に裏打ちされた対話を~

池田大作「SGI」会長は2008年SGI提言で次のように述べている。

☆☆☆☆☆
ヒューマニズムを言う限り、最大の武器、コミュニケーションの手段が対話――人類史とともに古くて新しい課題であり続ける対話に帰着することはいうまでもない。古来、”対話的存在”であることは、人間の本質に根ざし続けており、対話が途絶するということは、人間が人間であることをやめるに等しい。いうなれば、対話なき人間は人間失格であり、対話なき社会は墓場といっても過言ではありません。
☆☆☆☆☆

大韓民国・中華人民共和国(*)との領土問題でこの箇所を思い返した。
日本国総理大臣によるイ・ミョンバク大統領への書簡を返送するという行為をした者に対して“対話なき人間は人間失格”といっても言い過ぎだろうか。

池田会長は「自己抑制と理性に裏打ちされた対話」の重要性も提言で言及する。
感情のぶつけ合いでなく、自己抑制と理性に裏打ちされた対話を!

*Republiqueの名を汚すようなマネは辞めて欲しい、とフランス新政治ムーヴメント『連帯共和国』党員として願う

2012-08-22

パリからの悼辞

三島由紀夫の「仮面の告白」に刺激され、日本に2年間、留学し、3.11を受けて大江健三郎『ヒロシマ・ノート』を読んで、今年一月に広島を訪問した畏兄・クリストフ=ジラール・パリ副市長に、休暇中なのでTWITTERで、山本美香さん殺害の報を知らせる。

ツイートあり。

小選挙区制の弊害(月刊『公明』9月号)

月刊『公明』は同党の機関誌とは思えないほど
幅広い意見が載る。論文の質も高い。

参考資料になるのでバックナンバーを
揃えている。

今月号では政治学者の小林良彰氏が

「選挙制度改革は何をもたらしたのか?」

という論文を寄稿している。

小選挙区制度だと何故に二大政党が
似通うかを論証しているのだが、
そういうご意見は小選挙区比例代表並立制が
導入される時に、述べて欲しかった。

2012-08-15

戦後50年 小泉スピーチ

(過去50年の歩み)

 50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は、平和国家として、国家発展に努める決意を表明しましたが、現在も、この50年前の志にいささかの揺るぎもありません。
 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/17/ekoi_0422.html

【再録】小泉談話

内閣総理大臣談話

 私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。

 先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。

 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。

 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。

 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。

 戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。

平成十七年八月十五日
内閣総理大臣  小泉 純一郎

敗戦の日に……

戦後50年の1995年8月15日に当時、首相だった
日本社会党の村山富市氏は日本の戦前・戦後について
総括する談話を公表しようと考えていた。

当時は自民党・社会党・新党さきがけの
三党連立政権。

村山首相は推敲してかき上げた談話起草文を
全閣僚、とりわけ、自民党の閣僚に見せ、
意見を仰いだ。

平沼赳夫「たちあがれ日本」代表が
運輸大臣で、いわゆる「日本遺族会」の
会長だった橋本龍太郎・副総理も目を通した。

橋龍さんからの訂正の意見は、
「終戦」という曖昧な表現を「敗戦」に
変えろ、というものであった。

村山首相はそれを受け入れた。

村山談話は後に受け継がれていき、
アジア侵略への反省を、より真摯な
表現で謝罪する小泉談話へと
受け継がれた。

2012-08-08

土井たか子の誕生日に花束を贈ったハマコー

ハマコーさんが亡くなられた。

浜田幸一・元衆院議員。「浜」で獲れた魚介類と「田」んぼでとれたお米を食べるのが
「一」番「幸」せといって憚らなかった。

ハマコーさんにはこんなエピソードがある。

土井たか子さんとは同期で1969年当選で、議員宿舎も同じだった。
夜遅くまで勉強する土井さんにハマコーさんは「勉強って面白い?」と尋ねて、
「おもしろいよ」と応えられたら、「へえー、変わっているね」と興味深げに云ったという。

おタカさんが社会党委員長のときに自由民主党の席からのヤジがひどいとき、
制止することがあったと土井さんは回顧する。。誕生日には花束を土井さんに
渡す意外な面もあった。

ベストセラー『日本をダメにした9人の政治家』(講談社)で
55年体制の国対政治で自由民主党・幹部が日本社会党・幹部に
カネを渡してきた実態を暴露したが、

「社会党幹部で潔白なのは土井たか子だけ」

とことわった。

9人の政治家のうち、いまや、現職議員は小沢一郎・衆院議員だけ。

政界も世代交代した証だろうか。

2012-07-29

東郷健・野中広務・土井たか子

7月1日の「東郷健を偲ぶ会」。
開始時間になっても行列ができ、
来場者が入れないほど
会場には大多数の人が
集まった。

来場者には伏見憲明さんによる追悼文が
配られた。心打たれる名文と、凡庸だが、
そうしかいいようがない文章だった。

ワタシが自分のスピーチの最期に
カトリック式の黙祷を捧げたのには
理由がある。

あれは2008年秋のことだ。
浅沼稲次郎を悼む会が連合会館であった。
パネリストは野中広務、土井たか子の両元衆院議員と
大谷昭宏であった。野中さんは自分の番になると

「浅沼先生を悼む会なのに黙祷を捧げないのはおかしい」

と発言して、

会場全体で黙祷を捧げた。

次にマイクを握った土井たか子・元衆院議長は

「野中さん、ワタシは恥ずかしくて恥ずかしくてしようがない」

と、追悼がまずなされずに会が始まったことを詫びた。

「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ(笑)」

とかつて、野中さんを侮蔑した麻生太郎・首相(当時)が解散をするかどうか、という、時期なので、野中さんの発言をとろうというメディアと参加者で会場はあふれていた。

野中さんは「身分の高い麻生首相」というように暗に麻生を揶揄したが、直接的な批判はせず、土井たか子さんと浅沼さんについて語り合い、「『ダメなものはダメ』といえる勢力が必要なんですよ」と土井さんを持ち上げた。

そんな記憶がよみがえったのだ。

2012-07-23

世界の東郷健を偲ぶ会

 東郷健を偲ぶ会が7月1日に営まれた。

故人について語る鼎談に出演したのだが、
初めにマイクを握ったワシは立ちあがって
会場に向かって5~10分ほど、演説を
した。

本来ならば健さんの傘寿(そうじゅ)を祝う会が
催されていただけだろうに、それを前にして、
逝ってしまい、本当に悔しい、と訴え、
健さんの歴史的な意義について述べた。

話の途中で、自然と拍手がおきて、嬉しかった。

「偲ぶ会」なのに黙祷の時間がないことに不満を覚えて、
カトリック大国フランスに倣って、

「恵みと憐れみに冨みたまふ御在天の父なる神様」

で始まり「アーメン」で終わるお祈りをあげた。

書棚を片付けていたら、昨日、東郷健さんに
インタビューしたMDテープが2つ見つかった。

人生の道の途中で、筆をそっと置くように、
逝った健さんについては、また、改めて
書く。

欧州はヴァカンスへ

フランス共和国では革命を記念する7月14日が終わると
バカンスのシーズンに入る。9月の第一週・月曜日から
始業となる。

この間はフランスの政治家に連絡しようと思っても
事務所は閉まり、バカンスを知らせるアナウンスが
流れる。メールしても9月○日まで事務所は閉鎖します、
という返信が自動的に来る。

いやあ、うらやましい限りだ。ワシはパリ在住の折は
バカンスになれば帰国する。
なぜならば、たとえば、シャワーが壊れて、
お湯が出ないで、配管工に仕事を依頼しようと
しても休業中だからだ。医者も最低限の数に
なるし、大きな病院以外はまず空いていない。

フランスの主要な政党の機関紙と仏版『噂の眞相』
(装丁はViViのように全面カラーでサイズも一緒)を
ワシは購読しているが、政党機関誌はバカンス中は
休刊になる。

ワシは2009年にフランス社会党に入党して以来、
2012年仏大統領選での政権奪回を夢見ていたが、
今年はオランド大統領が誕生し、国民議会選挙も
社会党及び連立与党の圧勝で、嬉しい限り。

2012-07-13

12日、フランスのプジョー・シトロエンが8000人の解雇を発表した。

マリーヌ=ルペン「国民戦線」党首は

「ウルトラ・リベラリズムだ」

と反発のコメントを 動画で配信した。

政府与党のエロー首相はこの解雇を容認しし、モントブール生産再建大臣に月末までに失業者への対策を作成するように指示した。

絶滅危惧種の正統派ドゴール主義政党『立ちあがれ共和国』(1999年結党)の畏兄・ニコラ=エニャン=デュポン党首は「国家の危機だ」と指摘する。

フランス社会党のマルティーヌ=オブリ第一書記(党首)は

「プジョー・シトロエンのすべての労働者を支持する」

と政府の解雇容認に反する声明をTWITTERで発表した。

早くも政権と党本部で見解が相違する状況で、
今後の動向が注目される。

2012-07-11

欧州で瓦解する民主主義

フランス大統領選第一回投票の投票率は77,96 %(3588万3209票)で、白票・無効票は1,52 % (70万1190票)であった。決選投票の投票率は75,68 %(3486万1353票)で白票・無効票は4,68 %(215万 4 956票)であった。

国民議会選挙の決選投票の投票率は55,40%(2395万2486)で、白票・無効票は3,85%(92万3178票)だった。

フランスは大統領選挙の投票率が高いし、政治番組がゴールデン・タイムに選挙前には連日、放映されるくらいだから政治に関心が高い、と思われている。確かにそれは事実だ。しかしながら、国民議会選挙(下院選)や地方議会選挙、欧州議会選挙は日本並みに低いのが現状だ。年々、投票率は下がっている。

先進国において、政治に期待を持てず、棄権する人たちが増えていくのは、共通する状況だ。日本も同じ道をたどるのか?

2012-07-10

フランスはTVA(消費税)引き上げを撤回した

フランス共和国のフランソワ=オランド新大統領が、サルコジ前大統領が決定していた本年10月からのTVA(消費税)の1.6%引き上げを撤回した。日本でも消費税増税派を負かして、増税を拒否したいもんだ。

大川隆法『幸福の科学』総裁、曰く 「創価学会は最大・最悪の邪教」

“再誕の仏陀”大川隆法「幸福の科学グループ」総裁の著書を
読んでいると、これでもか、というほど、創価学会を批判している。

後日、詳しく書くが、戸田城聖「創価学会」2代会長は
火焔地獄で焼かれ悶え苦しんでおり、池田大作SGI会長も
同じ道を歩んでいる、と大川総裁は指摘する。

さらに、大川総裁は池田会長の「守護霊」を呼び出し、
好き勝手、語っている。

大川総裁は統一協会のトップ「文鮮明」氏の
守護霊も呼び出し、統一協会から抗議を
受けているが、創価学会はどうなのだろう?

総裁による学会への論難はノリを越えているように思う。

東郷健さんの追悼イベントについて書こうとしても
筆がなかなか進まず、宗教対立の話について
書いた。

それでは、また。

2012-07-04

幸福の科学『最大・最悪の邪教集団、創価学会を斬る』

幸福の科学『創価学会亡国論』では、同宗教を「最大・最悪の邪教」と
評する。そして、『創価学会負け犬論』においては
戸田城聖2代目会長を「宗教詐欺師」「阿修羅の手先」
そして、戸田2代目会長は
「火炎地獄(かえんじごく)の底で阿鼻廏叫喚の苦しみを
味わうという悪果に、いま現在ももだえつづけている」
と書かれ、池田大作SGI会長も同じ道を歩んでいると
痛罵する。

この幸福の科学による創価学会・批判は
大川隆法「幸福の科学ぐるーぷ」創始者&名誉総裁による
指示に基づくものである。

『創価学会ドラキュラ論』の表紙には
日本人の生き血を吸う瀕死のカルト教団と
書かれている。

日本人の生き血を吸うのはいったいどちらなのか……
と突っ込みたくなる人も少なかろう。

2012-07-03

『創価学会』を殺人集団と匂わせた『幸福の科学』

幸福の科学は「創価学会・批判3部作」を出版している。

『創価学会亡国論』『創価学会負け犬論』『創価学会ドラキュラ論』が
それだ。ドラキュラ論では、幸福実現党の出版局長で参院選2010
東京選挙区から出馬した矢内筆勝氏が
『第二の坂本弁護士事件-「朝木市議変死」の怪』という記事が
70頁にわたり書かれており、幸福の科学の広報局長の
里村英一氏が都知事宛の提言で
「信教の自由のために即刻創価学会を解散すべし!」
という論考を載せている。

警察が自殺と断定した故・朝木明代・東村山市議の
転落死に関して、幸福の科学は創価学会には
いわゆる「殺人部隊」が存在し、朝木氏の死との
関係を匂わせている。

創価学会が幸福の科学に抗議をしたという
話は聞かない。完全に無視なのか、
相手にしたくないのか……。

2012-06-20

東郷健をおくる会7月1日

ある程の 菊投げ入れよ 棺の中(夏目漱石)

東郷健を思い起こす時に、この歌が浮かぶ。

「東郷健さんをおくる会」が7月1日に
表参道のCAYで行われる。

詳しくは

www.togoken-memorial.com

Adieu Ken-san

2012-05-29

新世代で成るエロー内閣の陥穽

1997年の国民議会選挙で左派連合が過半数を制して、ジョスパン内閣が誕生した時に、
ミッテラン政権下で要職に就いていた人物ではなく、『世界の医療団』創立者のクシュネール氏や
オブリー現社会党第一書記、前IMF理事のDSK氏が財務相に就き、緑の党からヴォワネさんら若手が
抜擢され、世代交代が印象づけられた。

あれから15年。エロー内閣で抜擢された人材も世代交代を感じさせる。

フィヨン前内閣ではジュペ元首相が外務相をつとめたが、
エロー内閣では、ミッテラン政権下で30代にして首相を務め、
インフレ緩和の為にレガノミクスを断行したファビウス氏が
ついた。ファビウス元首相は2月にオランド特使として来日し、
野田首相や玄葉外務相と会った後に、帝国ホテルで
お目見えすることが出来た。投票二ヶ月前に、
実質的な選対責任者が来日して驚いたが、
日本は重要なパートナーになると発言されて
いた。本土ではオランドさんが現職陣営から熾烈なネガティヴ・
キャンペーンにあい、ケリー上院議員vsブッシュ息子だった
2004年米国大統領選のようだと表現された。

私の在仏時は欧州憲法条約の国民投票があり、
フランス社会党は賛成だったが、ファビウス氏は
反対にまわり、党幹部から総スカンを食らった。
離党すべきだという党幹部もいたから、隔世の感だ。

官邸を去ったフィヨン前首相で想起されるのは
大統領の代わりに来日し、震災後に石巻市に赴き、
被災者の声に耳を傾けていた姿だ。

エロー前首相はナント市長を務めていた頃、
チベットの旗を掲揚したこともあり、下院で
チベット民族の問題に取り組んだ。

ヴァル内務相はライシテ(政教分離、非宗教性)に拘りがあり、
理念がアップロードされるだろう。サルコジ政権で緩和されたセクト(カルト)規制への
対応が注目される。

かつては唯一の黒人議員だった左翼急進党・会派のトビラさんは
司法相に就いた。海外領土圏が地盤だ。

みどりの党系全国書記の若きセシル=デュフロさんは
地域間平等・住宅大臣に就いた。任期2年だった
緑の党・全国書記で、カリスマ性と人気から
2006年から再選している。

緑の党を、ヨーロッパ・エコロジー&緑の党(EELV)という
新党にするために献身した立役者の1人で党を分裂させず、
まとめあげた。

デュフロさんが就任されたばかりの2006年12月末に、
福島みずほ社民党・党首が渡仏したのだが、メールで
面談依頼を直前にした非礼にも拘わらず、休日である土曜日に
時間を割いてくださったことが思い出される。

EELVの看板であり、全国書記について以来、
EELVは諸々の選挙で議席を大幅に増やした。

国民議会選挙では劣勢で、左派・エコロ派が
社会党支持にいっている。巻き返せるか。

エロー内閣は男女同数だが、フィヨン前首相が
国防相のような要職にも女性を抜擢したが、
外交・内務・国防・財政&金融といった
内閣の要を新政権は男性をあてている。

ナント市長の経験から統治能力は エロー首相はあるのかもしれないが、
1997年からずっと下院議員団長を務める議会の人のように思える。
大統領も首相も閣僚経験がないため、新内閣は未知数だ。

ファビウス外務相のような首相経験があり、党務の経験もあり、
ジョスパン内閣で2000年から財政・金融・産業大臣を務めた
ベテランが主柱になるのだろうか。

オブリー社会党第一書記が入閣しなかったこともあり、
内閣と党の関係に一抹の危惧を覚える。オランド氏に
近しかったが、パリのドラノエ市長は予備選でオブリー氏を
支持した。

大臣18人、大臣代行(たいていは兼職)16人の
集合写真を見ると、橋本行革で大臣数を大幅削減して
一大臣が担う範囲が大幅に広がったのが
よかったのかなと思う。

2012-05-07

サルコジ大統領のゴールイン

これほどの嫌日大統領も珍しかった。

任期5年で公式訪問したのは2008年の洞爺湖サミット、一回。
G8首脳会議で6人の首脳と会談したが、ホスト国の日本の
福田康夫・首相との会談は避けて帰って行かれた。

日仏150周年で3回、その年は来日するはずだったが、
洞爺湖の一回のみ。翌年に訪問するといったものの、
翌年一月の大使館ホームページには、大統領来日の
延期を知らせる文書が掲載された。

外交は大統領、内政は首相という
慣例なのにフィヨン首相が代わりに
毎年のように、来日した。
石巻市を訪問して被災状況を視察した。
現地の市民と交流したのもフィヨン首相だった。

サルコジ大統領は3.11以降、突如、電撃来日。
先進国の首脳として最初に日本入りしたと喧伝した。

シラク前大統領は回顧録Ⅱでサルコジ大統領の
日本嫌いは自身が大の親日家だったことが
影響している、と評している。

経済失策が敗因にあげられよう。
130万人が任期中に職を
失った事実は重い。

しかし、同氏の罪はムスリムを第二次世界大戦前夜の
ユダヤ人化してしまったことだろう。

公の場におけるブルカの着用を禁じるなど、
イスラム教の“異人”化が進んだ。

包摂より排除。

大統領選ではEU域内の移動の自由を保障した
シェンゲン協定の見直しを公約し、内外から
“極右”との非難を浴びた。

フランス国民が願うのは経済危機からの脱却である。
ただ、願わくは排斥から包摂への社会へと変容させる
政策を期待したい。

また、フランス共和国-日本の友好関係の構築を
期待したい。選挙直前に選対責任者・ローラン=
ファビウス元首相が来日したことからも
関係改善への意思が伺える。