第17回セミナー
「組版が立ち現れるまでに」
報告集



はじめに



〔図版は当日も使用した『印刷ガイドブックDTP実践編』1999.9玄光社刊から許諾を得て引用〕

●沢辺……「日本語の文字と組版を考える会」発足の契機になった、鈴木一誌さんの『ページネーション・マニュアル』が公開セミナーで発表されたのが、ちょうど3年前の1996年12月でした。
 今年(1999年)の9月に、その鈴木さんと、前田年昭さん、向井裕一さんの3人で、この『印刷ガイドブックDTP実践編』の前半部分に、『明解 日本語文字組版』をまとめました。
 これは、『ページネーション・マニュアル』をより進化させた形だと僕は思います。今日のセミナーは、『ページネーション・マニュアル』で始まって『明解 日本語文字組版』にまで進化していった成果を共有しようじゃないかと企画しました。
 それでは、きょうの講師を紹介させていただきます。
 皆さんから向かって右側が鈴木一誌さんです。よろしくお願いします。
 真ん中にいらっしゃるのが前田年昭さんです。
 そして今日お見せする画面を全部作り、手元でオペレートも全部やっていただきます向井裕一さんです。


第1部
■『明解 日本語文字組版』がめざしたことは

●鈴木……よろしくお願いします。私と隣にいる前田年昭さん、向井裕一さんの3人で、この『印刷ガイドブック』の前半の『明解 日本語文字組版』を書きました。3人の役割は、私がデザインに、前田さんはさまざまな組版システムでの組版実務に携わり、向井さんは私よりもひと回り若くて、もう少し広いマルチなメディアでおやりになってるデザイナー、そういう3人のコラボレーションでやってみようという役割分担だったわけです。
 では、『明解 日本語文字組版』は、『ページネーション・マニュアル』とどう違うのか。先ほど沢辺さんが進化させたとおっしゃってくれたんですけど、進化とは少し違う、という話から始めます。
 『ページネーション・マニュアル』は原稿の受け渡しから画像のコントロールまで、かなり広範囲にわたっています。その分、組版についての書き込みがちょっと弱い、薄いかなと思っています。『明解 日本語文字組版』のきっかけは、組版についてもう少し突っ込んでみたい、これが一つの動機だったわけです。これははっきりしてるんですね。もう一つは、やりながらだんだん気が付いてきたことです。『明解 日本語文字組版』の6ページの上にほんのちっちゃい注意書きがあるんですね。
 それを今ちょっと読みます。

この本の基本的な用語の使い方としては、「組み」はページネーションした姿、例えば全角ベタ組み、プロポーショナル組みという。「送り」はトラッキング、「詰め」はカーニングともいいかえる。「詰め」の実際はあけることを含んでいる。ゆえに、ベタ送り、均等送り、仮名詰め、食い込み詰めと呼んだ。

 このように用語の定義をしてるわけです。あるとき、この用語の定義の背後にあるものに気がついたわけですね。背後にあるものは何かというと、つまり「実現」された組みと、「操作」としての「組み」というか、「実現」された組みというのは読者に見えるものですが、「操作」された組みは読者に見えない、その違いですね。
 『ページネーション・マニュアル』は、実現されたもの、目標になる結果しか書いてない。それに対して『明解 日本語文字組版』が目指したものは操作、いかに操作するかということだったと思います。
 この二つを組版においてはっきり分けて考えてみよう、ということです。ここの用語の定義でいえば、「組み」っていうのはあくまでも実現されたページのことだと。それに対して「組み」を実現させるために「操作」として何があるかっていうと、「送り」と「詰め」があるんだと言っているんですね。ですから、この用語の定義は同時に、『明解 日本語文字組版』の立場を明らかにしていると思います。
 今の「実現」されたものと、「操作」されたものという区別で言うと、われわれが何となくベタ組み、プロポーショナル組みと言っているなかに、実現されたベタ組みというものと、操作としてのベタ組みっていうものがある。プロポーショナル組みも実現された誌面としてのプロポーショナル組みと、操作としてのプロポーショナル組みとがある。だから、見えるものと見えてないものの差をはっきりさせたい。
 操作というのは、機械を使ったとしても必ず人がやるわけです。だから、操作には必ず動機があると思います。ということは、『明解 日本語文字組版』が目指したものは、組版をする意識について書こうということだったと思います。ただそれは、書きながら気が付きだしたことなので、あらゆる文章に貫徹してるかどうかはちょっと約束できないですけど、われわれ3人の意識は最終的にはそこにたどりついた気がします。『明解 日本語文字組版』を見てもらうと、一見マニュアル風、技術書風なんだけれども、実は作業する意識の流れを追ってるんだということを言っておきたいと思います。
 今日の話は、レジュメで言うと、下段のチャートを中心に話が進むことになります。それから画面に映し出される組版の実例の多くは、金井美恵子さんの『文章教室』(河出文庫)を出典とさせていただきました。つまり、今までのよくある組版の実例が、読むとくだらないというか、読んでも役に立たないものが多かったんですけれども、先ほどの意識の流れっていうことを重要視するならば、作例に使う文章も読むに堪えるものを使いたいということで、金井美恵子さんの了承の上で使わせていただいてます。


■組版ルールの民主主義化が招く危機

 パソコンの普及によって、組版の操作そのものがパーソナル化してしまっています。最近あった実例で、大手印刷会社が出してきたゲラを見て仰天したんですけども、300ページほどのゲラが、ホッチキスでいくつかに綴じられていました。その中のあるブロックが、ほかとまったく違う組版ルールで組まれているんですね。それは細かく言い出すときりがないんですけど、顕著に言えるのは、テン・マルが突然半角になっているんです。
 一冊の本をある印刷会社が請け負って組版するにしても、担当者が替わると組版ルールがまったく変わってしまう、という事態も起きています。これは、電算システムというかなり大きなシステムだったものですら、ダウンサイジングによってパーソナル化し、その結果、電算写植組版もまたパーソナル化したということだと思います。そして組版ルールそのものが民主主義になって、ある人が持ってる組版ルールを他者が否定できないという事態がほの見える。
 私自身の『ページネーション・マニュアル』は、クォークエキスプレスに依存していました。その後さまざまな方が、例えばエディカラーによる『ページネーション・マニュアル』を発表し、ほかのシステムによる『ページネーション・マニュアル』を発表して、『ページネーション・マニュアル』の相対化が図られました。
 しかし、組版ルール全体の民主主義化という危機感の中で『ページネーション・マニュアル』を考えると、それが必ずしもプラスの方向に行っていないのかなとも思う。クォークエキスプレスを使ったAさんの組版ルールが存在し、エディカラーを使ったBさんの組版ルールが存在するという格好で、極端に言えば一人一つずつの組版ルールがあってもおかしくない状況が生まれた。他者が他者を否定できない。組版ルールが個人化して、それが個人の主体性だと言われると誰も介入ができない。だから、妙な組版ルールの民主主義が実現されてしまったということだと思うんですね。
 そのことを何とかしたい、じゃあ組版ルールとは何だ、組版ルールを支える意識とは何だ、というふうに考えようと思いました。それが先ほど言った、意識ということにもつながってくるわけです。そのことで、他者が他者を批評しうる共通の基盤を探ろうと考えました。
 組版ルールが、今、無数にある。例えば、ダヴィッド社『オックスフォード大学出版局の表記法と組版原則』、日本エディタースクール『標準校正必携』などに載ってる組版ルール、それから派生した岩波書店などのハウスルール、あるいは講談社の校閲局ルールがあるっていうふうに、横並びになってるわけですよね。それぞれを暗記しなければいけなくなっちゃった、って感じですね。ある体系をマスターするには、それを丸ごと暗記しなくっちゃ使いこなせない雰囲気がある。
 でも、組版ルールの一つずつのルールにはなぜそうするかとの意味があったはずだ。その意味は何か。そこで、組版する、操作する意識に戻らなければいけない。こう考え、組もうとする意識から言えば組版ルールは四つに分けられるのではないかと思います。

■組版ルールは、四通りに整理できる

 四つのルールを今言いますと、弱いぶら下げの組版ルール、弱いぶら下げなしの組版ルール、強いぶら下げなしの組版ルール、強いぶら下げの組版ルールというふうになってます。この四つに集約できるのではないかと思います。
 この四つが、今こういうふうに並んでいることには、理由があります。それは、行末を揃える意識ですね。強いぶら下げの組版ルールが最も強い、行末をぴたっと揃えようという意識ですね。意識の強さによって、この四つに分かれるのではないかなと思います。
 この四つの組版ルールの名前がすべて行末のぶら下げあり、なしっていうふうになってます。ということは、組版ルールを行末のふるまいによって分けてしまってる。これはなぜか、という話になります。
 つまり四つの組版ルールの根底には、四つの行末揃えのやり方があるのではないかということですね。先ほどから意識、意識って言ってるんですけど、われわれが組版を見るとき、あるいは組みをやるときの意識を、もう一回ゼロ地点で思い返してみると、どうもその行末のふるまいこそが、気になってるんじゃないか。その、気になってるってことを少し論理的に腑分けして見ていくとどうなるか、ということでこの四つの行末にたどり着いたわけです。もちろん「強いぶら下げあり」が行末を揃えようという断固たる意思があって、「弱いぶら下げあり」は断固たる意思がないとは言わないですけども、見た目から言うと少し弱い。
 こういう「強いぶら下げあり」から「強いぶら下げなし」、「弱いぶら下げなし」、「弱いぶら下げあり」へというグラデーションに並んでるわけですけども、どれを取るかということは、おそらく機械的には決まらないと思うんですね。ただ一つ言えるのは、行長30字以上ないと「強いぶら下げあり」と「強いぶら下げなし」の二つ、ないしそれに「弱いぶら下げなし」を加えた三つは、厳しくなってくるということですね。
 ただ、行長30字以上あるから「強いぶら下げあり」、あるいは「強いぶら下げなし」をしなさい、ということではないんです。強く行末を揃えるという意思を実現するために、行長30字以上の方がその意思を実現できる。これが目安ですね。
■四通りの行末のそろえ方を知ろう ◆図06
 
 四つの行末というのを、見てみましょうか。
 まず「弱いぶら下げあり」。
 例えば版面ぎりぎりに来た句読点をみると、句読点の位置が二つありますよね。これを揃ってる、と見てしまおうと。これが揃ってる、包摂されるんだというふうに言うということにおいて、弱いと言ってるわけですね。この弱いぶら下げありは、句読点の位置が一、二、三カ所あります。これをもって、揃ってると言ってしまうかどうか。行末尾の括弧類、ここピタッと来てるけれども、厳密に言うと二分のアキがあるわけですよね。この二分のアキをないものとするということですね。ですから本当はあるんだけども、ないものとするということと、本当にないものとを、両方とも包摂してしまう。ですから包摂力が強い方が弱い、ということになる。そういう仕掛けになってます。これを1番「弱いぶら下げあり」と称しました。
 では、2番を見てみましょう。「弱いぶら下げなし」ですね。
 これも同じように版面のぎりぎりのところの句読点は、句読点の位置が二つ存在します。この二つを違うものと見ないということにおいて弱いと言っております。
 では3番。これは「強いぶら下げなし」です。
 ここが全角で切っていったグリッドですけども、版面ぎりぎりのところに、句読点や括弧類が来たときには半角押し出してますね。押し出すという操作をしなければいけないと自分を縛ることにおいて、強いと名付けようということです。
 4番、これが、行末を揃える意思において最も強いだろうと思われる「強いぶら下げあり」です。句読点の位置はもう一カ所しかない。中黒も四分下げて、ここのアキをほとんどなくしてます。中黒がある種文字記号として認識される、ぎりぎりの余白まで攻めてます。括弧類もそうです。ですから、見た目にこれが一番揃って見えるはずですね。
 揃っていることの背後に、操作が多いということが張り付いてる。でも多分、実現された組版としては揃ってるということがシンプルに読者の目に入って、おそらく、操作が大変だろうとは読者は思わないだろう。だからそこにおいては、実現されたものと、操作することのあいだで発想を切り換える必要がある。
 今のような四つのルールに気が付いた後で、自分が今までに組んだ誌面を見てみると、いろいろ不統一なんですね、やっぱり。意思として貫徹できていない。つまり、貫徹する意思に気づかずに行った組版はどこかで不揃いが生まれる。一応ぶら下げになっているけれど1字残りがある。拗促音が行頭のどっかにある。というふうに、この自分でやった組版というのは、四つほど破綻が来てます。だから「まあまあいいじゃないか」ということと、「破綻がある」ということの間には、やっぱり距離があって、気がつくと、ああよくこんな組版で許したな、というふうになりますね。
 この四つの行末の揃え方というのは、結局、行末の版面の線をどう見るかですよね。行末の線の内に二分の余白があったとき、それを余白として見るか見ないか。それこそ、意識の問題だと思うんですね。どうしなければいけない、ということではないし、この組版でもいい。また、頭に拗促音が来てもいいし、1字残りがあってもいいと。それもいいんですけども、それでは良くない、とする意識もある。

■行末が決まると、他は体系として決まってくる

 行末が決まれば、ほかの組版ルールも決まるのではないか。これが第2の着想です。
 例えば、自動車の運転をしていてスピードを上げたいときに、ブレーキを踏む人はいない。アクセル踏みながらブレーキを踏む人もいない。つまり、スピードを上げることにむかって、車という全体系のあらゆる機能が集中して行くのが基本だと思うのです。
 しかし、現在の組版のアプリケーションは、スピードを上げながらブレーキを踏むというようなことも、メニューの選択としてありうるわけですね。結果的に実現された組版の中に、ブレーキをかけつつ、スピードも上げてるということが存在してしまう。
 もちろん、スピードを上げながらブレーキをかけるということも、ヒール・アンド・トゥと言うのかな、高度な回転技術としてはありなんだけれども、基本としては、スピードを上げるときにはアクセルを踏もう、ブレーキをかけるときにはブレーキをかけようと。そのように、ある実現に向かって体系のもつ選択肢を一本化しようという立場に立った時に、行末が決まれば、ほかの組版ルールも決まるのではないか。
 行末がどうだということが決まる、すなわち行の切断位置が決まると、次の行の行頭が決まります。行頭が決まって、行頭行末が決まれば、その間の行中のふるまいっていうのは決まってきます。
 だから行の決定においては、今までの組版ルールでは、行頭行中行末というふうに、三者が並列に並んでいたんですけども、そこに実は階層があるのではないかと思います。
 行末こそが大事。大事という言い方も変なんですけど、組版の実践においては、行末をまず作業仮説として決める。それで行頭に戻って、行頭が禁則に引っかかってなければ行中が決まるというふうに、明らかに回転運動をしてるのではないかという気がします。
 もちろん、その行頭で禁則にかかれば行頭が変わるわけで、行末が変わってきます。そこで、もう1回、回転運動が起きる。この回転運動を繰り返すことが、組版の実現なのではないかなと思います。
 フォーマットを作ったり、組版をした後に、訂正や校正によって調整が必要になってくる時にもこの回転運動が繰り返されます。
 だから1冊の本を、チームワークを組んで作るということは、一人ずつがこの回転運動を共有するということです。その共有の仕方において、あるプロフェッショナル性が出るんではないかな、という気がします。

■二つの改行をみきわめよう

 ここまで、行末行末と言ってきました。では行末というものを決めるために、何を決めておかなくてはいけないか。何を自分の中で、態度決定をしておかなくてはいけないか。それは、改行の方法だと思うんですね。
 改行方法には、二つあります。「メカニックな改行」と「意味による改行」です。さきほどから行末を話題にしてるわけですが、それはつまり行を話題にしているということです。行を把握するためには、その行がどういう方式によって改行されているのか、ということを見極めないといけない。
 小河原誠さんが、『読み書きの技法』(ちくま新書)で、「構造明示子」という言葉を言っているのを読んで、組版に応用できるな、というある種の発見をしました。
 小河原さんが言ってるのは、こういうことです。本は2種類の文字符号からなっていると。センテンスを持っている文字と、センテンスを持たない文字とからなっているんだと。センテンスからならない文字というのは、ここに矢印が付いているものです。
◆図12
〔『ビデオサロン』1999年7月号、玄光社、から引用〕
 これらは、センテンスになっていない。単語や句でも成立します。例えばノンブル。ノンブルはセンテンスじゃないですね。主語述語があるわけではない。あるいはその誌面の特集名。それからキャプション。キャプションも、文章構造を持たないことがある。さらに、小見出し、中見出し、サブタイトル、タイトル、柱ですね。
 こういったセンテンスを持たない文字に対して、センテンスを持つ文字が、箱組みされている本文です。箱組みされてる本文は、センテンスを持ってます。主語述語があり、文章構造を持っている。
 なぜ、われわれがふだん目にする本は、文章構造を持つ文字と、持たない文字の二つによって成り立ってるのか。本文がない本、というのもあり得ないし、見出しやタイトル、ノンブルがない本もありません。つまり両方がなければ本として成立しない。これはなぜか。
 小河原さんは、センテンスからならない部分というのは、その本の持っている構造、あるいはそのページが本という構造体の中で、どういう位置を占めているかを示すものだということで、「構造明示子」という名前をこれに与えました。
 ノンブルは、全体の中で今、自分はどこら辺にいるのか、何番目のページを読んでいるのかを示し、見出しは、目次立ての中でどういう位置付けのものを自分は読もうとしているのかを示す、というふうになっている。
 ここから二つの改行方式を読み取ると、センテンスからなる本文というのは箱組みという改行方式です。これは、例えば1行が24字ならば、24字まで来たら自動的に折り返します。これはメカニックに改行していきます。
 ところがこっちの構造明示子の方は、文節改行ですね。単語ごとに切ってます。単語で切るということは、意味の切れ目によって切るということです。
 こうやって本というのは、センテンスからなる文字と、そうでない文字から成り立つと同時に、「メカニックな改行」と「意味による改行」の二つから成り立っていると思います。
 では、「ページネーションを考える人になりたい。」という、20数字の文字列に、どれだけの改行の可能性があるか、見てみましょう。
○文で改行――ページネーションを考える人になりたい。
○文法上の切れ目で改行(詞や語)――ページネーションを考える人になり
○文節で改行――ページネーションを考える人に
○語で改行――ページネーションを考える人
○文節で改行――ページネーションを考える
○文節で改行――ページネーションを
○語で改行――ページネーション
○語の要素で改行(欧文組版におけるハイフネーションに近似)――ページ
○字で改行――ぺ
と、いろいろあります。
 文節で改行、単語で改行というふうに、だんだん意味の単位が細かくなっていくわけです。「ページ」で改行までは、いずれにしろ意味による改行です。「ペ」で改行してしまうという場合、「ぺ」そのものには、まったく意味も何にもない。本文の箱組みの改行というのは、この「ぺ」、1文字で改行していいということを選んだ改行方式なんだ、ということなんです。改行という可能性が、これだけあるけれども、字ごとに改行する、という決意の上に、本文の箱組みというものが立っているんだということです。

■改行モードには意味による改行とメカニックな改行がある

 本文箱組は、1文字ずつ改行してもいい、許すということの前提に立った改行方式です。これを今度は、行に展開してみると、「メカニックな改頁」になる。つまり、1ページが18行ならば、19行目は次のページに行く。
 それから「メカニックな改段」というのがあると思います。1ページが2段組みならば、3段目は次のページに行きます。
 それから別の折り、1台・16ページの折り、折り単位の印刷物ならば、17ページ目は二折り目の表面、ということになる。
 ですから、「メカニックな改行」は階層をもって、本文を覆っている。階層上にメカニックなという考え方、1文字ずつ改行していいんだという考え方が、層をまたいで積み重なっているんだと思います。
 それに対して「意味による改行」が本の中でどういうふうに重なっていくかというと、まず段落、これはもちろん意味によって文章の単位を切って行くわけですよね。
 その次は意味による改段。ここで意味が切れるから、次の段に行こうと。
 次が意味による改ページ。ここで大きく意味が切れるとか、あるいは、大見出しが立つから改ページしよう。あるいは改見開きしよう。大きい部立てが変わるから扉を立てよう。
 さらには装丁という格好で、書物全体をまとめるということになると思います。
 ですから、本文箱組が何気なくまとっている「メカニックな改行」は、「意味による改行」と緊張関係を保ちながら、両者の階層が本を構成している。どちらかだけでは、絶対にページネーションは成り立たないんですね。
 例えば、折りのない印刷物はない。折りでみれば、ある章だけをスミじゃなくてセピアで刷ろう、という時に、折りという切れ目と、扉という切れ目の一致点を探すことになるわけですね。そう考えてくると、この「メカニックな」ベクトルと「意味による」ベクトルのバランスの中で、本文が立っている。
 今の話を少しまとめると、行揃えは二つに分けられるということです。ひとつは、メカニックな改行は箱組みになりやすい、ということ。もうひとつは、意味による改行は不揃い組みになりやすい、ということです。頭揃え、尻揃え、天地左右揃えないしは上下左右揃えですね。
 意味による改行をしながら箱組みするっていうのは、どう考えても難しいということは分かりますよね。だから意味による改行を選んだとたん、行のどこかが不揃いになることを覚悟するということです。箱組みにするからこそ、1字ずつ切っても構わないというルールを自分に課したはず、という論理構造になってるわけですね。
 ここで、行の中身をちょっと見てみましょう。ちょっと気を付けておきたいのは、箱組みと、全角ベタ組みというのは必ずしも一致しないだろう、ということです。確かに、箱組みのときには全角ベタ送りの組版が多い。99%以上だということは前提なんですけども、必ずしもその二つは概念としては一致してないと思います。
 だから、これから少し、箱組みと全角ベタ組みの関係を探ってみたいんです。
 箱組みだから、何気なく全角ベタ組みに結びつくというものでもなかろうと。やはり箱組みで、かつ全角ベタ組みを選ぶことの意思というものをちょっと探ってみようと。全角ベタ組みとプロポーショナル組みというのを対比させてみます。全角ベタ組みはとりあえず分かることにしておいて、プロポーショナル組みの方の細部を見てみましょう。
◆図19
 これが全角ベタ組みですね。正方形のピッチによって送る。
 それからこれは、文字のセット幅によってその隙間を除去していくというやり方をしています。これは「う」と「つ」の組合せによってさらに食い込み詰めをやってますね。
 全角ベタ組みの応用としては、これを正方形でなくて長方形だとして、数パーセントずつカットしていく均等詰めというのがありますね。
 それを先ほどの用語の定義では、送りと称している。クォークなどではトラッキングというやつですね。ですから全角ベタ組みの応用としてトラッキングないしは送りということがあるわけです。
 文字ごと、文字という単位によって詰めるのを、カーニングあるいは詰めと言おうというふうにしています。
 行の理解のために、やっぱり詰めのモードとテクニックが分からないと、と思います。

■箱組は全角を基本とする

 詰めのいろいろを見てきたんですけども、ここでもう1回、箱組みと全角の関係に戻ることにします。
 箱組みは全角を基本とする、というふうにしたいと思います。もちろんその全角ベタ組みというのは均等詰めを含むわけですけども、その理由の一つは書体設計と関連しています。現状で言うと、詰めを想定して作られた書体はないと、一応言っていいと思うんですね。それが一つ。
 もう一つは、全角によって組まれた誌面にわれわれが慣れているということ。
 だから、詰めを前提にした書体設計はどうあるべきか。あるいは、何によったら良い詰めになるかというセオリーの発見ができてないというようなことで、基本としては、箱組みと全角はとりあえずイコールで結んでおいていいのではないか。
 もう一つはプロポーショナルにしたとき、あるいは文字をプロポーショナルにして、箱組みに組んだときを考えてみると、先ほど行末のモードが四つあると申し上げたんですけども、あれがさらに複雑化していくわけですね。
◆図30
 例えば、この例で言いますと、今一応横が全角で切れてることを前提に、行末の揃いを問題にしてるわけですけれども、プロポーショナルに詰めてきた時に、例えばこの「い」ですよね。「い」の上下というのは隙間が書体設計上あるわけですけども、行中がビチビチに詰まったときに、「い」の上のアキが気になるという問題が出てきますね。そう考えると、行中をプロポーショナルに詰めたときに行末のふるまい、あるいは行頭のふるまいそのものが、はるかに複雑になります。それを処理するのは現時点では現実的ではない。でもそれは、まったく未来の話ではないんです。「い」の上の隙間、そして先ほどから言っている行末の半角の隙間がテン・マルの後ろに来たとき、この余白を見ないことにしたという意識がありましたね、先ほど。見ないことにした意識と、この「い」の上の隙間を見ないことにする意識、あるいは見ることにする意識っていうのは、これはもう一直線につながってるものです。見ることにする意識がたかまれば、隙間を除去できる書体開発もありうる。その意味では、決して遠い将来の話ではないんです。ですけども、現時点ではやっぱり「い」の上の隙間を見ることにする組版は、少し先の課題にしておきたいと思います。

■詰めのモードとテクニックに習熟しよう

 『明解 日本語文字組版』では、字あけとは字詰めの逆の応用だという考え方です。ですから字あけに関しては、冷淡に書いてます。字詰めの後に、字あけという操作がある。先ほどから言ってる「操作」という観点から字あけを見るならば、まず理想的に文字を詰めておいて、それに均等にあけをかけるという操作を推奨している、というふうになります。
 詰めのモードとテクニックに習熟しよう、と偉そうに書いてるわけですけども、1行ずつ、仮名詰めと食い込み詰めの調整は追い込みを基本に、調整においてはトラッキングとカーニングを併用などと、あたかもマニュアルとして完成した言葉のように書いてます。こういう言葉を、ある種の命令として受け取るかもしれないんですけど、実はこれらの中には揺らぎがあって、提案というのかな。問題提起があるわけですね。
 その辺を少し考えてみましょうか。例えば、今ここに座ってる3人の中でもどのくらいの意見の食い違いがあるか、ということをみなさんに見ていただいておいた方が、マニュアルの絶対性を崩すためにはいいのではないか。
●前田…… ちょっと違った角度から考えてみると、DTPによる組版が汚いといわれる場合、汚いと感じるいくつか契機があると思うんです。
 一番典型的な例は、雑誌の組版などに見られるもので、日本語で同じ階層の約物、例えばマルという一番文章の区切りとして強い区切りが、見かけ全角取りになってるところ、見かけ半角取りになってるところ、見かけもっと詰まってるところっていうふうに、てんでバラバラである。一つのドキュメントの中でバラバラである。それがまた段落ごとに違ったりする。こういうのをとりあえず格好悪いという意味で、汚い組版、良くない組版というふうに名付けます。
 そこから日本語の論理に立ち戻って、一応同じ階層の約物は同じ取り幅で階層が分かるようにという動機が、そこで発生するわけですね。そうするとそれはどこで調整するか。
 私自身も含めて、まず約物で調整すると。そうすると『JIS X 4051-1995日本語文書の行組版方法』(日本規格協会)にしても、それから従来の組版の教科書にしても、どの約物がどのぐらい調整幅があるか。こういう議論になりますよね。
 ところが、根をつめて手間はかかっても、読者から見て調整がわざとらしくない組版を実現しようとすると、行の単位で調整してるんですよね。これは全角ベタ以上に詰めることができなかった活版の時代には見られなかったことで、DTPになってというか、正確に言うとコンピュータ処理と文字組版とが出会ってからの手法ですよね。例えば写研のサプコルだったら、体裁制御6という命令があります。
 つまり理屈から言うと、ほかに調整する場所がないと。例えば八分しか詰められないという約物を一つ設定すると、当該行に8カ所その約物がないと詰められないことになる。そういうことは、よっぽど行長が長くてもありえないと。すると、どうしても追い出しになりますよね。
 その追い出し、追い込みという言葉自体が、古い、規範意識の名残であって、13回のセミナーの時にも参加された方から質問があったと思うんですけど、追い出しと追い込みというのはどっちかでないといけないのか。この言葉は、そういう気分をもたらしますよね。でも追い出しを併用しない追い込み、追い込みを併用しない追い出しというのはないんですよね、実際は。
 そう考えると、追い出しに優先して、仮名の前後でやはり調整して追い込むっていうのが、日本語行組版がコンピュータ文字と最初に出会ったときに、サプコルが体裁制御6〔追い込み優先/仮名つめ追込み/追い出し優先〕として設定した内容だったわけです。
 その後DTPになって、いろんなことが考えられてきて、現時点での一つの提案として、ああじゃないか、こうじゃないか。言葉にすると、こういうことじゃないかなっていうのが今回の議論だと思うんですね。
 行末の四つのルールごとに、約物の調整幅を書いてありますけど、やっぱりこれには前提があって、改行位置を決定したら、その次どういう順番で調整するか。どこでどれだけ調整するかっていうことをもう少し言葉にしておきたいなと思っています。
 これはまだ宿題で、まだ古い言葉でしか説明できてないなっていうのが『印刷ガイドブック 明解 日本語文字組版』バージョンの反省なんですよね。向井さんどうですか。
●向井…… 『印刷ガイドブック』の編集の時点でもそうだったんですけども、気になる言葉が一つあるんです。詰めっていう言葉です。
 詰めの中にも、仮名詰めと食い込み詰めというものを定義してるんですけども、仮名詰めっていうのは、結局は写植の時代にあったもので、仮名だけをとりあえず詰めてしまって調整しようと。
 本来は1行全体にわたって、漢字も含めて調整したいはずなんだけども、生産性の都合というか、システム上の制限の中でやられていることで、今のDTPというか、コンピュータの能力を考えれば、仮名詰めっていうのは、私はあんまり考えなくてもいいんじゃないかなと思ってます。
 だからこの三つに分けるんじゃなくて、二つでいいんじゃないかと思うんです。
 一つは書体のデザイン上、本来持っている全角ベタ送りのいわゆる均等で文字を配置していくという方法。もう一つは書体設計自体が本来その1文字1文字というか、固有の文字列を対象に設計されたものじゃないわけですから、組んだ状態で、もう一度再配置して調整し直すっていうことから生まれるプロポーショナル。この二つでいいんじゃないかなと。
 将来的にはその二つをどう考えるかっていうことで、この詰める、あんまり詰めるって言いたくないんですけども、再調整するっていうことは考えられるんじゃないかな。そこが『印刷ガイドブック』と、今回のレジュメを作って一番抵抵抗のある部分でした。
●鈴木… 結局、文字をどう詰めるか、それにアプリケーションや書体設計がどう対応していくかというのは、かなり緊急の問題だろうという気がします。
 向井さんがおっしゃったのは、仮名ばかりではなく漢字も固有のセット幅を持つべきだろうとのことですよね。それは1文字ずつ全部違うかどうかは別にして、いくつかの分類によるにしても、8種類ぐらいのセット幅を持つ時代が来ないのか、ということだと思うんですね。

■全角ベタ送りは、特殊な美学

●鈴木…… 今日の話の基調は、箱組みで全角ベタ送りにおいて、組版をどう実現するかという話なんですけど、ここにきてプロポーショナル組みというのかな、字をどう詰めるかという話が突然割って入ったかのような印象があるかと思うんです。
 なぜ、この割って入るかのようにプロポーショナル組みの話をするかというと、全角ベタ送りの組版というものが、組むボキャブラリーの中ではほんの一部分でしかない。ある特殊な美学なんだということ。その特殊な美学に賭けよう、ということをはっきりしようではないか。
 全角ベタ送りの組版以外のやり方があって、いろいろな組みのバリエーション、全体図の中での全角ベタ送り組版の位置づけをしてみたかったのがひとつ。そしてもうひとつ、「操作」と「実現」から言うと、実現されたベタ組みの背後には、必ず送りと詰め、プロポーショナルな組版操作が入ってこざるを得ない、ということを強調しておきたかったからなんです。
 もうしばらく、詰めと送りに関する構造を見てみましょう。普通のアプリケーションソフトだと、トラッキングとカーニングという操作があって、トラッキングは行全体をどうするか。カーニングは、字と字の間をどうするかということですね。
この本では、「送り」はトラッキング、「詰め」はカーニングと呼ぼうとしてるわけで、トラッキングとカーニングの組合せによって、ベタ送り、均等送り、仮名詰め、食い込み詰めの四通りの組が実現される。
 仮名詰めっていうのは、非常に中途半端な組版ではないかという意見が向井さんから出たけれども、カーニングが緩いか、普通かによって実現され、食い込み詰めっていうのは、どちらかというときついカーニング。文字の組合せを考えてやる。つまりカーニングとトラッキングという、二つの操作によってさまざまな詰め、あるいは送りが実現されるんだということです。
 組みを実現させるための操作としては、とりあえずこの四つのボキャブラリーがわれわれの手元にありますよということですね。
 それをさらに組みの側から見てみますと、全角ベタ組みとプロポーショナル組みとがあるとすると、見た目の全角ベタ組みを実現する操作としては全角ベタ送りと、均等送りがある。これは両方ともカーニングはありません。
 プロポーショナル組みっていうのは、仮名詰め、食い込み詰めの二つがあってそれを実現させる操作としては、均等詰めと、均等詰めでかつカーニングするのと、さらにそこにカーニングペアまでを考えるという、この三つがあります。
 あくまでも今日の主題に戻るんですけど、箱組みの全角ベタ送りという組版が一見われわれの眼前に実現されてるとしても、おそらくこの五つの操作というのが複雑に背後に滑り込むことによって、その何気ない誌面が成り立っているんだろうなという話に移っていきましょう。

■追い出し追い込みは、行中の姿に影響する

 もう一つの相関、余白を好きに使えるか、使えないかということと、実は詰めモードが関係あるんじゃないか。ここから調整ということに話が入ってきます。
組版は、一つのルール、あるいは一つの仮説によって組みを始めるということなんですけど、そこにさまざまなルールとか禁則が引っかかってきて、どうしても何とかしなくちゃいけない。その何とかしなくちゃいけないということを、調整と呼びます。
 先ほど言ったように行末から始まって行頭、行中に行くということ。それが調整に密接に関連してきます。今まで言ってきたのは、行末の意識をどうするかというふうなことだったんですけれども、調整は、どっちかというと行中をどうするかという意識に話が行く。
 ですから行末→行頭→行中という回転なんですけども、調整においては行中をどうするかということがポイントになる。行中をどうするかということがあるからこそ、追い出しなのか、追い込みなのか、この二つが調整の大きなベクトルですね。
 これも、意識そのものだと思うんです。追い出し気味に行くのか、追い込み気味に行くのか、それをその本1冊で統一しなければいけない。どっちにするか。それこそ組版者の意識の問題です。
 意識はどこから来るかと言ったら、それはその書物の特質ですね。この書物が何を伝えたいのか、どうあるべきかという書物への読み、あるいは書物への愛と言ってもいいと思うんですけど、そこから追い出し追い込みが来る。それで追い込み追い出しっていうのは、どちらかというと行中の姿に影響するので、調整とは行中に重きを置いた操作なんだ、というふうに言ってもいいと思います。
 ここから、現場で苦労されている前田さんに話してもらいます。
●前田…… うちでやってる仕事で、13級15字詰めで行長195歯、行送り18歯という、週刊誌の本文組版のように行長の短いのがあるんです。そういうコラムなんかは、段間の白い帯をすーっと通したいという動機がかなり強くあります。ぶら下げなしで、行末をやはり揃えたい。そうすることが一番段間の白い帯をきれいに通すことができる。
◆図26
 例を上げると、上が強いぶら下げなし。下が成り行きっていうか、弱いぶら下げなし。行末を揃えようという意識が比較的下のほうが弱いわけです。
 少し拡大してみますと、1段目この「立ち」とか、「だ」とか、こういうところを引っ張って、「だ」を引っ張って下ろして、テンをここに持ってきてると。つまりテンの後に普通だったら半角あくのを、それをわざわざ引っ張ってきていると。引っ張ってきていることによってこの箱、行末のラインを揃えたいっていう動機に奉仕してるわけです。
 普通に組むと、この下のように「だ」の後もあくし、「ち」の後もあくわけです。この「だ」の後、マルの後にあいてるっていうのは、これは意味が介在して、段落の終わりであることをはっきりと示してる。
 それに対して、ここはたまたま字詰め的に行末にかかったからあいてるということで、改行の位置が変われば、ここに2字挿入になればこれはまた変わるわけです。それをはっきりさせてこの箱という意識、行末を揃えるという意識を強くしたものが強いぶら下げなし組みなんです。
 このような例に当たれば当たるほど、追い出しか追い込みかっていう、二者択一ではあり得なくなる。追い出し、といったん立てても、行長が短いものですから、すぐばらついた印象になる行が発生します。それに対しては逆に追い込むと。
 これを繰り返していると、やっぱりどっかでラインを考えないといけなくなる。
 追い出しか追い込みかっていうそのときに、行末のラインに対して一つ手前にもう1本仮の線がある。それを行末のラインまで引っ張るのを追い出し、行末のラインの下に仮の線があって、それを行末のラインまで縮めるのを追い込みと、そういうふうに呼べば、お互いに排除しあうんじゃなくて、併用できることが分かり、調整量が視えてくると思います。
(*図27 入れる)
 この文章は金井さんの小説の一節なんですけれども、どういうふうに仕事をするかというのを、右から順番に示したものです。
 強いぶら下げありでやる。こういうふうにまずルールを立てます。ルールを立てたら、必ず例外が発生します。
 右から行くと、「部屋の片隅で」っていうふうに、こう来ます。このあきを、行末のでこぼこをならそう、ぶら下げようということで、40字、字間で割って広げてぶら下げるわけです。これをここまでぶら下げる。ということは、1行目がどこまで受け持つかはこの時点では変わらない。
 次に2行目を組む。そうすると3行目の頭にテンが来る。これは、行末つまり「白衣を汚し」で改行になっているということは、結局強いつながりである「し」の後に付いたテンを分離したくないっていうことで、ここにぶら下げたわけですね。これは普通のぶら下げ、字詰めプラス1字のところにテンを置いたわけです。それで2行目がこういうふうにとりあえず決まると。
 そして3行目、これもやはり強制的にぶら下げるというふうにして組むと。
 こういうふうに、前から順番に決まってきます。前から決まってきて、段落で一応決まるんですけども、ここで逆に後ろからもう一度決め直す広域調整をして、もう一度改行位置を変更する場合ももちろんあります。強いぶら下げありというのは、行末を揃えようという動機が強い分だけ、手間がかかるものなんです。
 これは恣意的に作ったものじゃなくて、たまたまこれを普通に弱いぶら下げありで組むと、こういうふうにルール的には行末の句読点は3通りの位置を許すわけですが、この場合はたまたま2通り、隣り合った行で混在すると。これを認めたくないということでこういうふうに組んだということだと思うんですね。
(*図28 入れる)
 これが先ほどの追い出しと追い込みとの関係です。
 普通に組んでぶら下げても、ここに「た。」という孤立が来るので、「1字プラスマル」っていう孤立をできるだけ防ぎたいので追い出そうとする。
 しかし、「っ」だけを1字取ってきても、行頭禁則でよけい読みにくくなり、強いつながりがあるこの「笑う」という漢字と促音との間が切られてしまうものですから、2字持っていかないといけない。2字持っていくということは当然、一つの行だけで字間を広げて、負担を多くするわけにいかないから、その前から「て」とテンも持っていくという形で広域調整したものです。
 それに対してこちらは追い込みで調整したものです。このような場合は「追い出し優先」といったんルールを立てたとしても、調整量がどちらが多いかということを考えると、追い込みした場合の方が調整の量は少なくなるわけですね。
 だから、いったん立てたルールでも調整量が多いか少ないか、調整量が何文字なのか、四捨五入というか、どっちが多いかということを見て、この場合は追い込みというふうに決定する場合があるわけです。
◆図29
 これが従来の教科書にはなかった実際の仕事の例ですけれども、右側の例だと1字追い込んだ場合、それからぶら下げた場合、2字追い出した場合、調整量は、2字追い出すよりも1字追い込んだ方が少ない。こっちも同じですね。1字追い込んだ方が調整量は少ない。こういう場合が必ず出てきます。さっきの「笑った」と同じで、「しょう」ですから、拗音だけを行頭に置くわけに行かないので、この場合「しょ」というふうに追い出さないといけないと。
 そうすると41字詰めの場合と42字詰めの場合、文字の切れ目、改行の位置は同じところになる。こういう場合が出てきますね。
 こういうふうにテンの多い文章、仮名の多い文章だと、普通に調整量の大小を優先させて、追い込む場合が多いんですけれども、漢字が多くて句読点が少ないと、追い込みが厳しい場合が出てきます。その場合は追い出す。
 こういうふうに説明をし始めると、あんまり仕事の経験のない方は、いったいどうしたらいいんだと焦って尋ねる方もおられるかもしれません。けれども、追い出しか追い込みかという考え方自体が、そもそも無理というか、誤解を招く言葉ではないかというと言い過ぎかもしれませんけど、そう私は思ってます。
●鈴木…… ここで例えば詰め組み、あけ組みとの関係はどうなるんですか。
●前田…… 1字追い込みという場合、約物の部分だけですむ場合と、すまない場合がある。すまないというか、すまないようにしたいっていうか、ほかでうまく行の全体で受け持たせたいという場合があります。
 左の例で言うと、Bの方、AではなしにBを選択したとします。42字詰めで1字追い込んだ場合、テンが三つありますので、仮名も漢字もそのまま詰めなかったとしても、42字に対して1字ですから、テンのところだけで詰めようと思ったら詰められると。
 ところがこのテンがない場合、1字追い込んで詰めると言うときに、さっき言ったコンピュータ処理ならではの追い込みよりも、仮名詰めを優先するっていう手法が登場するわけです。
『明解 日本語文字組版』では、二つの改行と三つの字送り、というふうな形で整理しました。
 これに対して、向井さんから「歴史的にそうだったとしても、結局二つなんじゃないか」という意見が出ました。
 でも逆に今度はソフトを作る側、私自身の、組む現業の側としてソフト作りにかかわってきた経験からお話ししますと、写研のサプコルの場合、体裁制御10-1っていうベタに対して、10-2という均等の送り、10-3という仮名の字面詰めおよび均等詰めとの併用、そういう歴史を経てます。
 それからするとさっき言ったような順番になって、これは別に写研のことだけじゃなくて日本のDTPを考えると、そういうのが意外とあっちこっちに残ってるなということです。
 先日も鈴木さんと話したんですけども、電算の出始めの頃のある詰めソフトだと、まるで尺取り虫が歩いたみたいに一部分すごく詰まって、詰めすぎみたいになる。それが部分的に現れると。詰めは非常に不自由で、ベタか、極端な詰めかしかできない。そういう事態を経てきた。
 そういう事態を経て今のDTPがあるということを考えると、向井さんがさっき言ったように二つの字送り方式に、そう遠くない将来に整理されていくようにも思うんですけどね。
●鈴木…… 調整量が少ないというのは、例えばテン・マルとかですむということですね。
●前田…… そうですね。
●鈴木…… ということは、先ほどの詰めのボキャブラリーで言うと、カーニングでいけるっていうことですね。
●前田…… そうですね。
●鈴木…… ということは、サラの状態から組むときには、均等詰めというトラッキングがあって、その先にカーニングがあるという順番だったんですけど、調整の場合にはそれが逆転して、カーニングから先にできないかという発想になって、それでできなければ広域なトラッキングになるというふうに考えていいんですか。
●前田…… そうですね。
●鈴木…… やっぱり組みと調整で、詰めのベクトルが変わるというようなことなんでしょうかね。例えばその追い込み追い出しを、1行ずつこういうふうに決断していくわけですけども、それが本全体になったときというのは、やっぱりだいぶ違うものですか。
●前田…… 組版屋としては、だいぶ違う。
 逆にまた別の立場から見ると、まあ細かいことで大した違いじゃないじゃない、という場合がありますね。もちろん全ページきちっとしたフォーマットとして、文字サイズと字送りの方式があったとします。しかしその中で組版の立場からやはり、個々に判断が求められる場合があります。それが異なる改行位置、改ページ位置に作用して、折りが一つ違うほどは変わりませんけども、四六判200ページの本で、今までの私の経験から、最大で3ページ違ったことがあります。それを大きいと見るか、小さいと見るか。
 実現されたものでは、まあ大したことないんじゃない、小さいことで大変だねという問題かもしれませんけども、作業者にとっては極めて大きい作業になるわけですね。
●鈴木…… 追い出し優先、追い込み優先という、その二分法というのは有効なんですか。
●前田…… 私は数値とケースで決定をします。
 数値とケースでというのは、さっき言った行長40字ぐらいですけども、39字を40字に引っ張ることは許容するけれども、38字を40字に引っ張ることはやめようと、こういうふうに仮に決めますよね。決めても破綻するわけです。ルールっていうのは破綻するわけですから。
 破綻したときどうするか、というと広域調整をします。
 2字広げるのが無理だったらそのもう一つ前の行から1字借りてきて、39字の行、その次も39字の行にすることによって、調整しようと。とりあえずそういうことを優先して立てる場合と、いや、38字を40字にするんじゃなくて、41字を40字に追い込むことをよしとする場合がある。
 わずかな差ですけれども、どっちかへ寄ってるというか、ちょっと例えが悪いかもしれませんけど、四捨五入にするか、五捨六入にするかっていう意味での追い込み優先というか、追い込み的意思を強く持つということはありますね。

■約物の階層を知っておこう

●鈴木…… というふうにして調整というものがあるわけですけども、どうしても半角をなんとかしなくちゃいけない。詰めなくちゃいけない、あけなくちゃいけないということになると、約物がターゲットになると。
 約物について知っておくということは大事で、今の文脈の中では、調整の対象としての約物をどう考えるかということにおいても有効なんだろうなと思います。
 約物の、詰めに堪えられる強度の階層性からすると、全角箱組みのベタ組み組版においてはマルは全角死守だと。テンの方は見かけ全角が守られれば、多少はいいかなというふうにして、こういうグラデーションの中で調整対象になるという階層ですね。昨今の文字組版でいうと、階層がなくテンマルが半角になってしまっているなんていう組版がままあるわけです。
◆図33
●前田…… 約物が二重に、多重約物、二つ三つ重なる場合ですね。連続するとどうするかっていう場合にも、一つの法則性がある。これは覚え込むものではないんです。
 このマルはこちら側の黒い側の文字、語なり、文なり、句を受けてるわけです。閉じてるわけです。こっち側の山かぎはこの四角い文字なり、語なり、句を始めてるわけです。山かぎは、起こしの山かぎと受けの山かぎでセットになって、ある文字なり、語なり、句なり、文なりを包んでるわけですね。外側の皮、餃子の皮みたいなものです。
 このかぎ括弧で挟まれた起こしのかぎ括弧と受けのかぎ括弧、始め括弧と終わり括弧、これの外側にアキがある。これは、どっちも受けなんですよね。上の文章を受けてると。だから受け同士だからここの間はベタで、ベタっていうのは、この約物二分と置いたときに、ベタで間にはアキを入れない。ここが外側になる。
 内とか外っていうのは、一番最小の単位で見たときに、この「43歳」という一番最小の語で見た場合に、こっちが外側ですね。この外側に対してもう一つ外側があるから、ここが外側のアキ。アキを含むことによって文章のリズムが生まれてるわけです。
 従ってすべての約物を、多重約物も単独約物も二分で組むと非常に読みにくいのはなぜかといえば、このリズムが狂って、この語と句の階層性が分かりにくくなるからです。
 日本語の場合はハングルや英語とは違って、ワード間スペースっていうものがないので、こういう明示的な約物をどういうふうに組むかで非常に読みやすさが変わります。
 中黒は、並列の場合だけじゃなく意味的にいろいろありますけど、これは対等です。対等ですから、同じようにあけなければいけないと。行末に来たときはこの下の四分アキがなくなる場合が当然ありますけれども、行中に来た場合は当然これは対等ですから、対等のものとして同じアキでないといけない。このように、対等であるかどうか、どちらが階層的に上なのかということで、アキが決定されます。
 もし調整に使うとしても、一定の節度を持って使う。恣意的にある部分、ある段落だけ、強烈にそのアキを全部調整に使っちゃうというのは、組版として格好悪い。良くない組版というふうに、とりあえず今は呼んでいます。

■ルビの基本

●前田…… ルビも同じです。
 行頭と行末と行中、片付きについても中付きについても行頭と行中と行末、それぞれの基本的なルールがあります。
 よく、したり顔してルビはこういうふうに組むべきだという人がいます。「京都」に、「きよう」と「と」と別々にものルビでふったときに、親文字間もルビ文字間もあくのが本当なんだというふうに解説してる本もありますけれども、なぜそうなのかということを習慣や思い込みを排して、説明を求めると説明できないわけですね。
 親文字同士もルビ文字同士もどちらもあいてるっていうことは、基本的にはあり得ないわけです。
 それからもう一つ、ルビ文字っていうのはここだけが線路が複線になってるわけで、ルビ文字が隣の文字にかかっていいとさっき言いましたけれども、漢字の隣は仮名なんですよね。漢字に対してカタカナでルビがふってあると。そうするとここが同じように漢字で、これがもう少しかかってると、この漢字にかかってるのか、こっちの漢字にかかってるのかは判別がつかなくなる。そういう混同を招くようなことがない限り、ここは詰まるわけです。
 この「フィクション」の場合はこれは分離させないということで、ざっと流してこんなところにあきが来て、「フィクション」でここで切れちゃうのがだいたいおかしいんで、これを追い出してこういうふうにするわけです

◆図34
◆図35
●鈴木…… ということで、1部をそろそろ締めくくりたいわけですけど、1部の話は、本文をいかに発見するかということでした。何が本文で、何が本文以外なのか。
 本文を発見したならば、それはとりあえず箱組みの全角ベタ送りでいけるという判定がつくわけですね。つまり、本の中でのメインストリームの発見ということから始まりました。
 約物とかルビは、本文の行というメインストリームに対して補助的なものなのだから、補助的なもののふるまいが本文に影響してはならないことを基本とする、というのが前田さんの発想の根本ですね。
 ですから、あらゆるルビの例外的なことを覚えてもしようがない。基本だけ押さえて、かつ、このルビの処理はどうしたかということが説明できれば、なんでもありだろうなというのが非常にさっぱりした結論だと思います。
 約物に関していえば、本文というメインストリームの中に目を凝らしてみると、必ず内側と外側がある。これは今日の話全体の最後の結論になると思いますけども、約物とは、ひとつながりの文章の中で必ず内側と外側を分けるものだと思うんですね。
 テン・マルは、ここまでで一つの文章が終わりました、と示すもの──ということは、文章の起こしということから内側が始まって、マルで内側が終わるわけですね。そのマルの中のさらに内側がテンなんだと。あるいは括弧類も内側と外側を分けているということで、何が内側で何が外側なのかということを見失わなければ、組版ルールを丸暗記することはないだろうということでした。
 では、ここで少し休憩をします。

第2部
■本文を発見する

●鈴木…… 2部は、1部を少し総括する格好でフォーマットデザインの話をしてみたいなと思います。
 1部で伝えたかったことを端的にまとめると、組版とは、突き詰めて言えば、ある行をどこで切るかの発見に尽きる、ということです。例えば、調整において追い出し優先なのか、追い込み優先なのかという話にしても、この行を切るのかどうかという見極めです。
 見極めそのものには正解も間違いもないわけですから、そこで組版者の意識が優先されます。その意識が、誌面のたたずまいとなって、書物の意識となって、読者の意識になるんだろうなと思います。
 ですから、組版というのはある行をどこで切るか、それに尽きると言っていいと思います。そう言っていいのであれば、組版は行末にこそ注目すべきだ、という断定もまた許されるのではないかなと思います。
 ということで、これから組もうとしている本、これから作ろうとしている本のテキストの見極めがあります。その本にふさわしいのは、横組みなのか縦組みなのかということの発見はかなり大きくて、これはかなり神経質に決めた方がいいんだろうと思います。
 その上で、本文の発見ですね。必ずしも量が多いテキストが本文だとは限らないと思います。
 例えば写真集などは、本文は一見、あとがきとまえがきぐらいしかないと思うんですけど、私の経験で言うと、写真集の本文とは、写真番号ないしはノンブルだと思うんですね。ですから写真集の出来不出来は、写真番号をどう付けるか、ノンブルをどう付けるかによります。写真番号とノンブルの同在というのはあり得ないと思います。どっちかでいいはずですね。
 写真集においては、あんなにちっぽけな写真番号こそが本文なんだと思うんです。そして、写真集においても縦組みの本にするのか、横組みの本にするのかということは大事です。どういうふうにページをめくっていくのか。写真集にも厳然と本文があって、そのスペースは小さい分、難しいということだと思います。

■行末の四つのモード

 本文を発見した前提で、行末に注目していただいています。行末のモードは四つある、という話をしました。その行末のモードが決まれば、行頭行中のふるまいが決まり、それに付随してほかの組版ルールもほぼ決まるという仮説を立てて、それを懸命に証明しようとしたわけですね。それをまとめてみましょう。これは大事なんで、ちょっと読んでみましょうか。
◆図39
1、弱いぶら下げ
 行末、句読点のぶら下げ、ベタ、および直後の二分アキの混在を許容する。
 行末に関して、終わり括弧直後の二分アキを許容し、半角取りでも全角取りでも可とする。始め括弧直前は二分アキとする。二分アキっていうことは全角取りですね。つまり二分の約物に対して二分のアキがくっついて全角という括弧が成立すると。
 行中に関しては、句点直後は二分アキ、読点と終わり括弧類直後のアキ、および始め括弧直前のアキは四分八分〜二分浮動とする。行中、中黒直前直後のアキは八分〜四分浮動とするということで、それを図示するとこうなります。
 行末は、こういうふうに二つを許容するということですね。括弧の末尾のアキも許容しました。
◆図40
2、弱いぶら下げなし
 行末、句読点および終わり括弧直後の二分アキを許容し、半角取りでも全角取りでも可とする。行頭は始め括弧直前は二分アキ、全角取りにする。行中、句点直後は二分アキ、読点と終わり括弧類直後のアキ、および始め括弧直前のアキは四分八分〜二分浮動とする。四分八分〜二分浮動という言葉については後ほど説明してもらいます。
◆図41
3、強いぶら下げなし
 句読点行末に関して、句読点および終わり括弧直後の二分アキを禁止し、半角取り固定とする。行末は中黒直後の四分アキ全角の4分の1の大きさのアキを禁止する。ただし段落末尾の句読点や終わり括弧類直後の二分アキを許容する場合もある。行頭始め括弧直前の二分アキを禁止し、半角取り固定、いわゆる天付きとする。行中、句点直後の二分アキ、読点と終わり括弧類直後のアキ、および始め括弧直前のアキは四分八分〜二分までの浮動とする。行中は中黒直前直後のアキは、八分〜四分の浮動とする。
◆図42
4、強いぶら下げ組版ルール
 行末に関して、句読点は強制ぶら下げ、終わり括弧直後の二分アキを禁止して半角取り固定とする。中黒直後の四分アキを禁止する。ただし、段落末尾のみ、句読点や終わり括弧類直後の二分アキを許容する場合もある。行頭、始め括弧直前の二分アキを禁止し、半角取り固定、いわゆる天付きとする。行中、句点直後は二分アキ、読点と終わり括弧類直後のアキ、および始め括弧直前のアキは四分八分〜二分の浮動とする。行中は中黒直前直後のアキは八分〜四分浮動とするということですね。
 やっぱり3番4番になってくると、禁止という言葉がだいぶ増えてきていますね。この1から4のルールの整理は大事なんで、少しゆっくり説明しましょう。
●前田…… その前提として、前半のおさらいをしておきます。
 よく書籍本文の組版を説明している本や雑誌の特集などを読むと、メカニックな改行、折り返し改行の始め括弧類は天付きにする方式とそうでない方式があるということについて、詳しく書いてある本は結構あります。けれども、行末への意識が非常に弱い。むしろ行末が決定的だったんではないか、という提案を前半でしました。
 どういうことかというと、行頭への意識と、行末への意識は本来一体であるべきじゃないか。つまり体系としてあるべきじゃないか。
 折り返し行頭のかぎ括弧が天付き、すなわち行頭のラインに対して、一つの段落の途中ででこぼこを許さないというふうにしたときに、同じように行末に対しても許すべきでないというのが本則だろうと。そういうふうに体系を成してるんではないか。行頭で許して、行末で許す。やっぱりそれが一つの体系だろうということです。
 用語の説明をしますと、これは文字サイズに対してではなく、字送り値に対しての半分というのを二分、字送り値に対して25%というのを四分、字送り値に対しての12.5%というのを八分と表現してます。従って半角の約物、つまり字送り値の50%の約物に対して、例えば行中のところで句点直後は二分アキということは、半角の句点に対してやはり半角分のアキがあって、全角分取ろうということですね。
 それで読点と終わり括弧直後のアキ、および始め括弧直前のアキは四分八分〜二分浮動。
 これはどういうことかというと、八分分調整に使っても良いということです。つまり四分八分、100%に対して、37.5%から50%の間の浮動とする。つまり八分分、12.5%分は詰めても良い、詰めることを許可すると。それだけ幅があるということを、こう表現してるわけです。
 最初に全角とかベタとか送りとか、いろいろ用語の定義をしましたけれども、字送りを基本にして言ってるということ。
 それから前半でもお話ししましたけれども、これを機械的にとらえるのではなく、コンピュータ処理と文字組版が出会ったことによって16分の1とか、あるいは8分の1まで仮名、あるいはある種の漢字、あるいは行全体で均等に詰めることを併用しても良い、ということが前提にあるわけです。

■単純化できない、行末のアキ

●前田…… 写研のサプコルの宿題の一つが、この弱いぶら下げあり、あるいは弱いぶら下げなしであったわけです。和文のラグ組みをするしない、という体裁制御があったりしたんですけれども、和文のラグ組みっていうのが、果たしてあるのか、どういうルールで立つのか。箱組みでどういうふうに立つのかっていうのが宿題になったわけで、そこでやっぱり行頭と行中と行末で分ける、というところまでサプコルではたどり着いた。
 たどり着いて、そこから今度はDTPの時代が始まったということで、さっき言ったとおり弱いぶら下げなしっていうのは、行末のアキが非常に不均等にあるわけです。
 とりあえず用語の定義としても、二分取りの約物の下に二分アキがある、と類型化してます。
 けれども実際はこんなに単純じゃなくて、本文中その行中に和欧混植などがあった場合、同じ単位で走ってても、級数なら級数で走ってても、欧文を級上げする、しない。あるいは級上げした欧文の単語と和文との間に四分アキあるいは八分アキ、あるいはその欧文書体によって違うアキが混在してる場合は、二分あくか、あかないかっていうふうな単純なものではないんですね。その間に何通りもの数値が出現する可能性があるわけです。
 それに対して、2番が弱いぶら下げなしですけど、4番、強いぶら下げありということで、行末のラインから出発して改行位置を決定して、その調整を行中で行うことにしたわけです。行末を強くこのラインに吸着させよう、左右に幅を持つ約物については、とりあえず行末ラインの中に納めようと。習慣の力があって、テンとかマルははみ出す形で版面の出島になってるわけですね。
 ラインを揃えよう、と行末のルールを決めたことによって、行頭も箱に強く吸着するようにしようと。行末が決まるから行頭も決まる、従って結果として行中が決まると。
 この関係は、ソフトを作っても必ずそうなるわけです。
 現に、写研のサプコルでも行末と行頭が決まったときに、行中はある体系をもって決まる。何でも勝手に選べるものではない、っていうことは体系として必然だったんですけども、昨今のDTPソフトでH&Jとか、あるいは文字種ごとの調整の幅を選ぶメニューが出てきて、何でも選べるかのように場面が出てくる。あれは非常に使いにくい。プロは、こんなのは嘘だと思うし、アマチュアにとっては「なんでこんなにいちいち設定しないといけないの」ってなる。
 そうではなくて、組版演算ていうのは、説明の行く数値での足し算、かけ算、引き算で、すべて説明が付くものでないといけない。説明の行かない0.001をぶち込むとかいうことで調整しないといけないようなソフトは、およそ日本語の組版ソフトとして、未成熟だとしか言いようがないわけですね。
 行末が決まるから行頭が決まり、行末行頭が決まるから行中が決まる、という体系でいくつかに類型化でき、それは独立してバラバラに選べるってことはないと思うんですね。
 サプコルでも体裁制御1で半角約物の制御をやりますけども、半角固定か全角固定か、あるいは半角ないし全角か、あるいは半角から全角の間での浮動か、この4通りの組合せで成り立ってるわけです。 行頭で4通り、行末で4通り、行中で4通り、そうしたら4×4×4通りあるのか。4×4×4で64、本当に64通りあるのかっていったらないんです。あり得ないんです。
 つまり行末と行頭が固定モードだと、行中は浮動モードにならざるを得ない。
 それなのに、何でも選べるかのように錯覚させてしまう最近のソフトの方がおかしいわけで、説明がつかないわけですね。説明がつかないのに、そのしわ寄せがある種の約物、例えば中黒が勝手に詰まっちゃう、というふうな現象に出会うことが多いと思うんですね、実際に仕事してみると。
 それをとりあえず、四つのルールとして整理してみたということです。

■ぶら下げありの歴史

●鈴木…… 行末が決まって行頭が決まるというんですけど、今の前田さんの話を聞いてて面白かったのは、例えばこのかぎ括弧の行末での配置が決まるとこっちも決まる。だからこことここでシンメトリーを描いているんだ、という指摘は新鮮ですね。
 1番から4番まで4つの組版ルールが強度順に並んでいて、1番弱いのがぶら下げありで、真ん中になしなしとあって、強いぶら下げありってなりますよね。それはなぜなんですか。
●前田…… なぜでしょうね。
●鈴木…… 1から4番までが、行末への意識があり、なし、なし、ありって並ぶのが不思議だなっていうのが一つと、それから調整量という意味から言えば、この順番に並んでいるのかどうか、ということをお聞きしたいんですけど。
●前田…… ぶら下げあり組版というのは、新聞ではほぼあり得ません。世の中に出されている印刷物で言うと、とりあえず文庫本なんかではぶら下げあり組版の方が多いですよね。その中でも弱いぶら下げあり組版の方が多いです。
 隣りあった行で、ぶら下がったものとぶら下げなくてもいい、たまたま42字詰めで42字目にテンやマルが来て、そのままおいておくと。それ1番のルールですよね。
 今回の強いぶら下げありというのは、基本的にはコンピュータ処理と出会った中でのぶら下げ組版の再発見、再評価なんです。それで、極端に1と4という両極にぶら下げあり組版が出てきたんじゃないかと思うんですよね。4番というのは、再発見されたぶら下げありだと思うんですね。
 歴史的に言うと、ぶら下げありというのは、活版においては字間を広げたりしないという、一つの逃げ方のようなものだったわけです。逃げ方というか、守り方というか。
 それに対して強いぶら下げありは、コンピュータと出会い、1行中の調整をきれいに、簡単に、機械が助けてくれることによってできたと思うんです。
 つまり、弱いぶら下げあり組版の中で、強いぶら下げありをしようと思うと、活版の場合、昔の校正の人は、特に新聞などの校正の方はよくご存じと思いますけど、どことどこに四分とか、あるいは八分のあけを入れるかということを、1行1行赤字で入れた。つまり漢字と漢字の間の方をより入れると。新聞のように文字サイズが小さい場合は、八分ずつ込めものを入れるというのは手間で、四分ずつぐらいしか入れられないと。入れる個所が少ないわけですから、どことどこっていう指示を赤字として入れなきゃいけなかった。
 これに対してコンピュータ処理と出会ったことによって、行全体で、もう少しふんわりと調整できるようになったということだと思うんですね。
●鈴木…… 前田さんの話でわかってきたのは、強いぶら下げあり組版というのは、活字組版がもっていたはずの美意識のコンピュータによるきわめて現在的な実現だと言うことですね。また、見た目が美しい「全角ベタ組み」であればあるほど、それを実現させるためには「送り」や「詰め」といった「プロポーショナル組み」のテクニックが背後に隠れている。「全角ベタ組み」と「プロポーショナル組み」のあいだにも回転運動が起きる。

■四つの組版ルールに共通するルール

●鈴木…… さらに、自分たちで立てておいたルールに揺さぶりをかけてみたいのです。『明解 日本語文字組版』を書いた時点では揺れていた、ということを一つ示しておこうかなと思います。
◆図43
 ここで段落が切れて、改行でここでインデントがありますよね。では、強いぶら下げありの時にこれを許容するかどうか。
 これが『明解 日本語文字組版』を書いた段階では少しぶれていて、左側が本則だったのかな。こちらが本則で右側がお好きならどうぞという格好で推奨してたんですけど、昨日の時点でわれわれが話し合ったのは、右側を本則で行った方がいいと。
 つまり段落の最終に、これは1字の余白があって、そこにマルがぶら下がってるんだという解釈ができるんじゃないかなと思い始めてます。
 強いぶら下げあり組版というふうに名付けてしまうと、何から何までが決まってるかのように聞こえるかもしれませんけども、やはりこういう論議の余地はあるんだということの一例です。
 これまでの話は、行末に注目すると、組版ルールを四つに整理できるということでした。しかし、それで組版ルールを全部包み込んでるわけではなくて、今の四つの組版ルールにこれを接着すると、とりあえず実用的な組版になるだろうなというのが4通りの組版に共通のルールというものです。読んでみましょうか。
●疑問符や感嘆符の直後は、基本的に全角アキとする。ただし、行末に来た全角アキはトルツメとし、当該の疑問符や感嘆符を行末に一致するように伸ばす。
●段落最初の起こし始め括弧類は全角下げを基本にする。編集者との協議によって半角下げも許容するが、同一文書内では統一する。ただし、見出し直後は字下げしない。
●特殊な場合、たとえば古典物や改行2字下がりの引用文などは、行頭から組むこともある。ただし、この場合は、前行が行末まで組まれているときに、改行の区別がつかないので、前行の行末に余白をとるか、1行増やすなどの調整を必要とする。
●プロポーショナル組みのときのインデントについては、インデントなしや2倍下げなどを検討すべきである。また、行長30字詰め未満のときは、ぶら下げありを選択しない。
●欧文を組んでいて、一つの単語が2行にまたがるときは、ハイフネーション改行を使用する。
●ハイフネーションは、3行連続までを許容する
●前田…… 行末に来た疑問符・感嘆符、これは字間が開いているので分かると思いますけど、その字詰めの最後から一つ手前のところに来た場合は、最後まで引っ張ると。
 それから段落始めの起こし括弧類は全角下げを基本にする、というのはこういうことです。習慣の力で、現在日本語組版として文庫本などで出てるもの、文芸ものなんかは、見かけ半角下げの方が多いか少ないかでいうと、多いと思うんですね。
 ただインデンションとは何かを考え、また行末の揃えラインを強い動機で揃えることにすると、かぎ括弧というのはやはりここになるのが本則だろうと。それから三つ目、欧文を組んでて、一つの単語が2行にまたがるときはハイフネーション改行を使用すると。これは一応目安ですけれども、その度合いによっては追い出しして、例えばAだけ行末に引っかかって、BCDEFGと2行目にまたがるようなところだったら、追い出してこの行で全体で広げることも当然あると思うんですね。
 これはまあ目安というか、「行長30字未満の時はぶら下げありを選択しない」としたのも、これは目安で、なかば経験値です。字間が開くことが気になる、それがだいたい30字かなという、一つの経験則ですから、それを逆に規範と受け取ってもらう必要はないと思うんですね。

■禁則処理はなぜ必要か

●鈴木…… 今の共通ルールのほかに禁則処理というのが、またさらに接続してきます。これも、読んでみましょう。
 文字や行の孤立を防ぐために禁則処理が必要となってくる、という理由をしっかり理解しよう。
●句読点、中黒、受けの括弧類、感嘆符、疑問符、繰り返し符号、拗促音、音引きは、行頭禁則とする。拗促音、音引きのみ許容することもあるが、好ましくない。
●起こしの括弧類は行末禁則とする。
●二倍ダーシ、二倍リーダー等のつなぎ罫は分割禁止とする。
●数字、および数字と単位記号類は分離分割禁止とする。
●単位語付きの漢数字か、一○方式の漢数字か、洋数字かは、第一に後続の単位記号類の属する文字セットとの統一を考え、第二に数字の途中での分離分割禁止が保たれることを考えて、統一する。
●行末行頭の禁則は、当該行の直前行から1文字追い出すことで処理する。1文字ですまない場合は、さらに前の行から追い出して広域調整する。広域調整する余裕のないときは、追い込みによる調整と犠牲の度合いを比較したうえで、調整量が少なくなるように追い込むまたは追い出す。
 おおまかにいえば、追い出し方式のほうが調整量つまり余裕が大きく、適用力が高いということなんですね。
 なぜ禁則という概念が出てくるか。箱組みでは、1文字単位で切っても構わない。切ることによって、組もうという選択をしたわけですね。この1文字で切る、ということは意味をまったく考えない、意味にまったく斟酌しないという決意であったんですけれども、それでも意味を考えざるを得ない場面が実際の組版では出てくる。それが禁則処理なんだ、ということだと思います。
 本来の1文字ずつどこでも切ってもいいというルールには、禁則処理はないはずですよね。ではなぜ禁則処理が出てくるのか。
 拗促音が行頭に来るのはなぜ禁則かというと、拗促音というのは前の文字に対してどう読むかというのが決まってきます。あるいは音引きも同じで、前の文字が何であるかが分からなければ、その音引きは何の音を伸ばすのかが分からない。
 例えば、こういうイメージを思いうかべてみるといいと思うんです。自分が小学生で、立たされて朗読をするというイメージです。行頭に音引きが来てる。なんだかどぎまぎしちゃって、その音引きはどう読んだらいいか分からない。これが要するに読み手の意識だと思うんですね。それは小学生でもわれわれでも、変わりがないわけです。拗促音とか、音引きの行頭を禁止するというのは、そういう意味だと思うんですね。つまり小学生の意識というと変ですけど、読むことの原点に立ったとき、意識としてはそうなるだろう。
 ですから、一字ずつで切る箱組みにおいて、やはりそれでも意味に立ち戻らなくてはいけないだろうなというときの、最小限の例外処置が禁則処理だと定義できると思います。
 拗促音、音引きのほかに、文章の内側と外側を示すものが行頭に来たらまずい。例えば3点リーダー二倍というのは、二倍セットで一つの意味を表し、二倍で文章の内側と外側を示しています。あるいは、500センチメートルというとき、500とcmは意味上は分離できないものだと思います。500という数字が単独にあるわけではなくて、センチの500倍なんだということにおいて、これはなるべくならばセットにしたいというふうに、意味による揺り戻しなんだということを理解しておきたいと思います。一字ずつメカニックに切る箱組みにおいても意味への回転運動が起きている。
 今は文字単位での禁則ということを申し上げたんですけども、その禁則がさまざまな階層に出てくる。
 例えば行だけの孤立、それから字の孤立。
 先ほどから、内側と外側ということで約物なども説明していますが、見出しについても、これからある内側が始まりますよという括弧の大きいもの、という解釈ができると思うんです。それがページの後ろに来たら、やっぱりまずかろうというのが、行の孤立を避けるという禁則になってるわけですね。
 字の孤立というのはどういうことなんでしょう。
●前田…… 字の孤立というのは、文章の中での一番最後の1字だけというのは、独立性がないわけですよね。ないというか、薄いというか、小さいわけで、最後の一字をそれだけにしないと。
 行頭禁則ということはページ末禁則でもあるわけですし、要するにどこで切断するかということから、行を切断するときに行末禁則と行頭禁則が同時に発生し、ページを切断、つまり改ページすることによって、ページ末禁則とページ頭禁則が同時に発生する。いずれも切れちゃ困るよと。切れちゃ読みにくいよというところだと思います。
 箱組みは基本的に許容したはずだけれども、やっぱり意味が介在します。例えば「フォーマット」という用語、これには小さい字が二つあって音引きが一つあると。6文字のうちに3文字独立性の弱い文字、読みにくい文字というのがあります。そうすると別に見出しだけでなくても本文中に来たときに、切れる可能性というと、音引きと「マ」の間しかないわけですよね。
●鈴木…… これが一つの見開きだという図になってます。これが行の孤立なんだから、これは何とか前に1行追い込むか、あるいはもう1行増やして2行にしようというのが推奨される処置ですね。
 あと論議の的になるのは、じゃあこれは許すかどうかですね。見開きで視覚単位としては一挙に見えてるわけだから、これは許容するかどうか。現状でいうとこれを許容してる例が多いですかね。
(図49 入れる)
●前田…… そうですね。
●鈴木…… これは論外なんだけども、最近はだいぶ頻発してるなというところです。
 先ほど言ったように、行にはメカニックな改行と意味による改行があって、メカニックな改行というのは階層を持っていて、例えば改ページだとか、改段だとかというふうになるわけですけど、その階層のたびに孤立が生まれ、孤立が生まれればそれが禁則になると。
 ですからこれ、メカニックな切断のいろいろですけど、この階層ごとに、それぞれまた禁則が出る。つまり機械的に切断しようという約束で始めたものの、意味による揺り戻しが来るということです。

■フォーマットをいかに作るか

●鈴木…… ここで組版の実践という話をとりあえず終えて、フォーマットの話をします。
 きょうの話の流れを確認すると、四つの組版モードから話が始まって、行末のふるまいに戻ったわけです。最終的に言うと、行末から行頭、行中の話になって、それが調整の話になったと。
 この円還する運動が調整にもあった。調整において重要視されたのが、行中の追い込みか追い出しによる文字の雰囲気ですね。この円還は各作業において繰り返されるんだけれども、少しずつそこのバランスが変わってくる。
 さて、フォーマットをどう作るかということですが、今日のパンフレットの何ページかにフォーマットを作るためのチェック項目というのがあります。そのチェック項目をチャートにするとこうなるというのを、向井さんがつくってくれました。少なくともこの項目の情報がないと、フォーマットをつくりようがない。
 例えば本のジャンルは何か、組み方向がどうか、小見出し、中見出し、大見出しがあるのかないのか。1ページに収容する文字量、ないしは全体のページ数に対しての原稿量。必要なフォーマットの数、本文に対して対談やコラムがあったりするのか。一つでいいのか、三つでいいのか。
 それからテキスト以外の要素がいくつあるのか。これとフォーマットの数というのは関係してきます。テキスト以外の要素というのは、同じ誌面の中に注という格好であるのか、ページごとにコラムがあるのかという辺りも違ってきますね。
 そしてページのサイズ、プロポーション。例えば四六判と言っても各社規定が違ったりするので、どの四六判なのか。菊判は仕上がりサイズが規定されてないので、最大限取るのか取らないのか。この点は、その本に裁ち切りがあるかないかでも違って来るんで、一概には決まらない。少なくともここら辺を編集者と話しながらフォーマット作りが始まります。
 また、フォーマットの基本的な条件は、活版、オフセット、グラビアなど印刷方式によって全然違います。それから何色刷りなのか。
 さらに、組版の方法は、活字で組むのか、活字母体のCTSで組むのか、電算写植なのか。あるいはDTPなのか。それによって単位系が決まってきます。これも表層に出てきている単位系は本当の駆動、その組版システムを駆動している単位なのかということの見極めが必要だと思います。何でもかんでも、級数で指定すれば組版者や印刷会社がなんとかやってくれるけども、実はインチ法で動いているということが多いわけですね。
 組版方向の決定、本文書体の決定、本文以外の書体の決定、本文の書体と本文以外の書体との差の度合いですよね。限りなく近い方が格好いい場合もあるし、本文が明朝でそれ以外がゴシックというはっきりした違いがある方がいい場合もあるし、大きさの違いですむ場合もあると。同じ書体でも字送りを違えて、ニュアンスを変える時もあるっていうことですね。ですからここら辺で誌面のメリハリ、コントラストの設計が必要になります。
 版面サイズは字送り/字間、1行の字詰め、文字サイズ、行送り/行間、行数。これによって版面が決定するわけですけども、自動的に決まるわけではないですね。それで行を決めるのに関しては段組、行長、級数、文字の大きさ、という辺りが決まらないといけません。
 ここまでは、版面の内側の話なんですね。誌面というのは余白があって版面がある。すなわち内側と外側で言うと、版面という内側を決めるためには余白という外側を決めなくちゃいけない。だから、フォーマットの決定とは、余白の決定だという言い方もできると思います。

■組版は、版面の内側・外側の闘いだ

 のど、小口のアキ量、天地のアキ量、というふうに版面の内側である行がどうあるべきか、文字がどうあるべきかということに対して、余白がどうあるべきかの決定がある。
 そうやって版面が決まって、フォーマットが完成するということです。
 ここでちょっと言っておきたいのは、版面の外側に余白がある、これをどう決めるかというときに、二つの考え方があるということです。一つは、余白を決定すれば自動的に版面が決まる、という考え方です。例えばクオークエクスプレスというソフトでは、マスターページを作るときに、まず余白を聞いてきますね。だから余白優先のアプリケーションだといえます。
 それに対して現状での本の作り方は、43字17行で版面ど真ん中でよろしく、という指定が結構多い。つまり、版面から誌面を作ってると。
 この二つのやり方が、現在の日本ではぶつかり合ってると思うんですね。これは、どっちがいいのかというふうに設問しないで、両方からいくべきだと思うんです。
 編集者との会話でフォーマットの基本的な条件を聞く。自分なりに理想的な版面を作る。自分なりに理想的な余白を作る。それを重ねてみます。隙間が出ればまだスペースを使わなくちゃいけないわけだし、重なるんだったらば、どこかを犠牲にして小さくしなければいけない。
 つまり内側と外側の重なり、ずれを見ることから始めようという提案をしておきたいと思います。それは、組版というのは版面をめぐる内側と外側の闘いなんだ、という話につながって行くわけです。行間ということに絞って、フォーマットを決めるときのデザイナーの迷いのフィールドというか、迷いの幅について、説明しましょう。
 例えば、同じ行間でも、字間ベタと字間プロポーショナルを比べると、プロポーショナルのほうが行間があいて見えるはずですね。先ほど言ったように、外側から余白を決め、内側から版面を決めたら重なって、スペースが足りなくなった。その時に字送りのモードを変えるだけで、同じ行間が広く見える。行間を縮められれば、スペースが稼げます。
 どのような本を作りたいのか、ということがまずあって、どこに解決を求めるかというのは、きょうのセミナー第1部の冒頭から今まで話してきた、あらゆる地点にあるということです。
 例えば、行間は文字詰めのモードによって見かけが違ってくる。実現された行間と操作としての行間ということですね。実例で言うと、操作された行間は同じだけれども、実現された行間は広く見えたり、狭く見えたりする。このように行間は微妙なものだけど、では無限の選択肢があるかどうかということなんです。
 コンピュータを使ったアプリケーション上では、無限の選択肢があるけれども、やはり狭いところから始めようというのも基本的に訴えておきたいところです。これは『ページネーション・マニュアル』以来、一貫して言ってることで、自分なりの少ない目盛りを作ることから始めようと。少ない目盛りでカバーできないときに、細かい目盛りをさらにつくればよい。
 例えば行間も少ない選択肢を出発点にしよう。全角アキ、二分三分、二分四分、三分四分、二分、三分、四分。活字の時には基本的にこの行間でやってきた。二分四分というのは二分プラス四分ということですよね。
 コンピュータ時代の今は全部できるからと言って、いきなり何千種類、何万種類という選択肢の迷いの道に入るのではなく、ここから始めればいいじゃないですかという提案です。これも操作系としてはまったく同じ行間です。行長によってやっぱり行間がだいぶ違ってきてるよと。
 これが先ほどから問題になっている、30字というボーダーラインですね。1行30字。操作系としては、二分という行間です。二分という行間は、例えばクオークなどでもデフォルトで二分になると思いますが、ルビが入ってもその行間で耐えられるということで、二分から行間を始めるという極端な提案をとりあえずしておいてもいいと思います。
 そして、もし自分が作ろうとしている本に二分という行間がふさわしくないなら、広げればいい。あるいは字詰めをするなら、狭めればいい。二分を基本にしよう。
 先ほど活版の10種類ぐらいの行間を表示しましたけど、さらに絞り込んで、行間は二分から出発、ということを置いておきたい。そして、30字までは何とか二分でもいいけれども、30字以上超えると二分では辛くなる。このように操作系の二分という同じ行間も、行長によって変わると。ですから操作系による組版と、実現された組版の違いということですね。
◆図57
 これも操作系としては縦横同じ字送り、行送りです。これを日中と読むか日本と読むか、一瞬迷います。この組版がおかれてる本の状態、縦組みをずっと読んできて、突然これがあったらば何とか読むと思うんですね。
 ですからメカニックにいうと同じアキなんだけども、その読者の目が縦組みに加速してるのか、横組みに加速してるのかで、このアキが変わって見えるわけでしょう。ニュートラルにはどっちに読むんだか分からない組版になっちゃう。でも、読者の意識の中ではどっちかに読もうとする。ここで視線が迷うわけですね。ところがこれ、当たり前のことですけれども、字間を詰めたとたんにここに行間が発生してくる。ですから、行間、行送りという操作がニュートラルにあるわけではない、ということです。フォーマットっていうのは、本文サイズおよび字送り行送りの方式の決定に、かなり重きがある。
 これは、『市川雷蔵』という本を作ったときの、フォーマットが決定するまでのフローチャートです。会議のたびに話が覆って、かなりぐちゃぐちゃしてます。もうひとつは『印刷ガイドブック』を向井さんが作るとき、フォーマットがどう変遷していったか図示したものです。執筆者の逡巡・遅筆もあって、向井さんが3回フォーマットをつくりなおしたわけです。
 『市川雷蔵』は、5年前の本なんですね。新装版が出て、装丁だけ今年新しくなり、中身は5年前のままです。『印刷ガイドブック』で向井さんが苦労したとはいえ、フローチャートを比べてみれば、『印刷ガイドブック』の方がすっきりしているのは、やっぱり5年の歳月の差でしょう。
 『市川雷蔵』は5年前ということもあって、あるページは印画紙、あるページはモノクロデータのあたりだけ、あるページはフルDTP、あるページはグラビア、あるページはオフセットという格好で、その本の中が、DTPそのものもグラデーションがあるし、印刷方式もいろいろあったということで、蜘蛛の巣状の、リゾーム状態のワークフローになってる。
 フォーマットというのは、そのフォーマットを取り巻く時代、技術力、あるいは条件によっても変わる。ですからありふれた結論ですけれども、フォーマット作りに鉄則はない。けれども、とりあえずの目安として、チャートを作っておきました。
 そのチャートを一言で要約してしまうならば、版面を決めることがフォーマットだろうと。その版面を決めるためには、余白という外側と版面という内側のぶつかり合いがあるということです。

■本文以外のページ、部分を別体系で考える

 今日の話は本文ページをいかに作るか、という話です。
 本文ページの中に、本文とそれ以外があると。その発見ということを申し上げたんですけど、本全体で考えると、本文とそれ以外のページというのがあると思うんです。例えば目次とか奥付というページです。
 ここでも面白いのが、本文ページにはメカニックな改行と意味による改行がありましたが、本文ページ以外にも、ある意味では構造明示子的なページというのがあるわけです。本文以外のページというのは、おしなべて構造明示子的なページなのではないか。
 例えば目次、奥付、扉。これらは、必ずしもセンテンスからなる文章で埋まってはいないけれども、本の中でのそのページの位置、今めくろうとしてる本の中のどこに自分がいるのか、を示すという意味において、本文以外のページは構造明示子的なページなんだと思います。ということは、例えば改行方式について言えば、箱組みにこだわらないというのを基本にすべきだろう。このあたりが、フォーマットを作る際の一つの目安になるんではないかなと思います。
 原稿がどかっと来て、じゃあこれを縦組みにするか横組みにするか、という決定はなかなか難しいんですけれども、とりあえず次のようなまとめにしておきます。
 縦組みを基本とし、あるときは、なぜ横組みでなければならないかを考えた方が当たる確率が高いですね。欧文が主役の英会話の本とか、数式が頻繁に出てくる文章は横組みがいい。URLなども、横組みにした方が読みやすい。
 逆に仮名の大返し、踊り字のように、横組みでは組めないものもあります。
 縦組み中の欧字・洋数字は、右90度回転した状態で組むのを基本とする。縦横両用の和字と横組み専用の欧字の特徴と区別を知る。単位の表記と数字表記を整合させる。欧字や洋数字は和文従属の書体を使わない。縦組みと横組みの混在を、視線の流れから点検しよう。和文は、つねに行センターで計測しようということです。

■書物にふさわしい版面を見極める

 これは、同じテキストを縦と横で組んだものです。縦組みの行末の強さと横組みの行末の意識の強さをふわっと見ると、僕はどうも縦組みの方が意識が強いんじゃないかと思うんです。つまり縦組みと横組みにおいて、両方とも行末が存在するけれども、縦組み、つまり重力がかかっている行末の方が、重力が均等にかかってる行末よりも意識が強いのではないかという気がします。
 そういう意味でも、ぶら下げぶら下げと言ってきましたが、じゃあ、縦組みと横組みで同列にぶら下げということを論議できるか。そこら辺にも考える余地があるのではないかなと思います。『明解 日本語文字組版』では、字詰のプロポーショナルな横組みでぶら下げ組みにしました。では、そこに欧文が入ってきたときに、欧文のカンマ・ピリオドはじゃあぶら下げにするのかどうかと。これはちょっと悩ましい問題です。
(*図65 入れる)
 行中のふるまいが和文の方は全角で送っている。欧文の方はプロポーショナルなピッチで送ってます。そうするとアキの厳しさが違う。欧文の方はこの線にいっぱいに詰まってる。和文の方は考えてみれば、この線に文字を包む正方形が接してるということでしかない。だから、その版面の線に対する接し方がまったく違うわけですね。
 こういう違いを踏まえた上で、和文の中に欧文が組まれるということはありうるわけで、テン・マルのぶら下げという問題は、今後、外国の文字を含めてどうするかということを果敢に実験しつつ、自分の見る目というか、自分の素直な感覚を大事にしてやっていかないといけないと思いました。
 いろいろな誌面を見てもらいましょう。どれがベスト、というわけではないんですけど、フォーマットとは版面を決めることだ、ととりあえず断定しておきます。
 良い版面というものがあるというわけではない。よく、デザインの本でテンプレートないし付録の形で、フォーマットが付いてますが、ほとんど使いものにならない。これはなぜかというと、結局、汎用的なフォーマットなど、あり得ないからだ思います。誰にでも使えるものは、誰にも意味がない。自治体でいうと、多目的ホールは無目的ホールだといわれるようなもので、多目的なフォーマットは、無目的だということだと思います。
 ですから、書物には、それぞれふさわしい版面があるだけだと。書物に対してふさわしい版面を見極めることが、デザイナーの一つの役割だと思います。

■版面をどう演出するか

 デザイナーが考えたふさわしいフォーマットに、ふさわしい組版を与えるのが組版者なんだ、と思います。組版に対してふさわしい調整をするのが、調整する人の役割です。
 今、組む人と直す人、訂正する人の間に憂うべき職種的な分断というのが始まっていて、組む人のベクトルとまったく逆の直しをするというようなケースがあります。組む人の個性プラス直す人の個性が、誌面ごとに違うというような、すごい事態になってるんだろうなと思います。
 フォーマットの話に戻すと、フォーマットとは版面を決める、ということです。版面は、野球で言うとストライクゾーンと同じなんじゃないか、という気がします。この前、江夏のインタビュー記事を読んでいてそう思ったんです。
 本のサイズや目的が決まれば、版面の極端な選択値はないと。その意味では、ストライクゾーンはすでに決まっている。
 けれども作りたい本、江夏で言えば「今日はこういうゲームをしたい。今日は内角攻めにして揺さぶりをかけたい」というゲームの設計があるとするならば、プレーヤーによってストライクゾーンが揺さぶられる可能性がある。
 そういう意味で、版面というのはストライクゾーンに似ていると思います。
 江夏が言うには、例えばツーアウト満塁、この試合負けたらもう日本シリーズ負けだというものすごい局面で、本気でボール球を投げたらば打者は絶対にふるっていうんですね。それが投げられる人がいない。江夏は2回投げたそうで、それをちゃんと見ていたのが野村だった、というような話です。
 四六判の単行本なら、だいたい43字から45字ぐらいの間で、16行から20行ぐらいの間だという共通感覚があると思います。これが野球ルールで言うところのストライクゾーンです。
 それに対してフォーマットを決めるということは、そのストライクゾーンの演出をするということですね。それのぼけ足を見極めるということだろうと思うんです。
 『ページネーション・マニュアル』は、あらかじめストライクゾーンを与えたようなものです。だから、ピッチャーがストライクゾーンをどう演出するかということは、まったく書いてなかった。ですから『ページネーション・マニュアル』は、マニュアルの外側を定義した。内側と外側という話で言うと、内側と外側のずれを判定することがやっぱり大事だろうなと思います。

■版面をストライクゾーンにたとえてみる

 今日は行末に注目し、行を発見し、行の集積によって版面を発見するという話をしました。そして、最後はフォーマットの話、版面の話、そして版面とはストライクゾーンだ、とまとめました。
 ストライクゾーンは、ストライクとボールの境界線を仕切っている。ということは、ストライクゾーンとは、ボールではないゾーンだ、とひっくりかえしてみることができる。面積も、可能性もうんと広いボールの側からストライクゾーンを見るとどうなるでしょうか。
同じように、版面も余白の側から見てみるとどうか。版面をストライクゾーンにたとえて、それは余白という外側と、版面の中のテキストという内側を仕切っているものだとすると、版面の内と外という問題設定ができると思うんですね。
 それがいくつの問題を生み出すかと言うと、ざっと七つあげられます。
(1)線と行 版面という面に対して、線が1文字ずつ積み重なっていって、ある行長を発生させる。発生させた行に、どうしても端数が出る。その端数をどうするか。その意味で、版面という面と行という線が、版面の内側と外側という境界線によってぶつかっている。
(2)内の中の内、内の中の外 版面の中に本文とそれ以外があり、版面の外の余白にもノンブルという版面がある。だから内側の中にも外側があって、外側の中にも内側がある。
(3)ぶら下げと追い込みの発生 句読点に附属している、あるいは括弧類に附属している約物を外側の余白と取るか、内側の余白と取るか。その余白は内部のものだと言ったとたん、弱い方のルールでいける。この余白は外部のものだと言ったとたんに、それは押し出さなくちゃいけないんだから、強いルールの適用になる。
(4)テキストの内と外 約物は、必ずテキストの内側と外側を分けている。だから本文という内部中の内部においても内と外の問題が発生してきている。
(5)フォーマットと組版 フォーマットとはデザイナーによる余白の決定。とすると、組版をする人は、その内部である版面を決定する人という役割分担が想定できる。版面の内側と外側を、それぞれ担当することによってチームワークが生まれる。
(6)余白と版面 これをどちらから決めるか。どう接合させるか。フォーマットづくりは、この点にかかっている。
(7)デザインとテキスト 版面の中の意味内容だけに頭を集中させれば、それは抽象的なテキストになり、その瞬間に版面あるいはページという誌面のたたずまいは消えてなくなる。デザインには著作権があるかないか、というような話と絡んできます。
 神聖なテキストにしか著作権がなくて、見えていること、眼前にページとして出現していることには何の意味もない、という現在の著作権の考え方があります。ですから、内側と外側という話は、実は法律の話にまで届いてしまうものなのだ、ということだと思います。
 きょうは行の話から始まって、版面の内側と外側の話、そして版面をストライクゾーンと考えれば、江夏のように思い切ってボール球を投げる勇気も必要だろうという話をしました。その勇気を与えるものとして、われわれのマニュアルが役に立てばいいなと思います。では、これで終わります。(拍手)

Q&A
会場との
質疑応答

●沢辺……どうもありがとうございました。とても内容の濃い話だったので、時間が押していますが、可能な限り意見やご質問を受けさせていただきたいと思います。どなたか発言を求められる方はいらっしゃいませんか。

●質問1
 小池と申します。意見になるのか、感想になるのか、ちょっとごっちゃごちゃしますが、2点ちょっと申し上げます。
 一つは、今日配られたレジュメの鈴木さんの書かれた「フォーマットとストライクゾーン」という文章についてです。句点の後の非常に大きなスペースを、組む立場というよりは、読む立場として見た場合、数多くの段落のある文章としか見えないんですね、やはり。
 あえて段落として改行してあるほかに、句点で区切られたところがすべて段落として分類されるような意味で、ちょっとこれは句点の在り方として過剰ではないかという気分を受ける組版であると。これは、この会の文章ではよく見るので、慣れているんですが。
 また、左ページの文章の途中、フォーマットの「マ」で切れて、「ット」と始まっている行があります。これは行頭禁則の禁則しそこないと言えると思うんです。
 これを読んだときに、私はちょっと逆のことを考えてしまいました。この横組みの行長は、私にとってはちょっと苦しいぐらい長いんです。いわゆるA4版ワープロ打ちの文章には非常に読みにくいものが多いんですが、それと同じように次の行へ飛ぶことが非常に辛い、そういう行長を持ってると思うんです。でも逆にここで拗促音が頭にあることによって、「フォー」「マット」の連続というのが、非常にきれいに見えるんですね。そういう意味で、果たして本当に拗促音行頭禁則は絶対的なものなんだろうかと、考えさせられてしまった。
 それと逆に言うと右ページの「5 フォーマットと組版」という章では、下3行、行頭が全部「と」なんですね。これだけ長い行長で読み進むのに、非常に違和感を覚えるということになると。単純にこの「と」が三つ並ぶのに対しては、われわれの組版ルールは何も言わないんですが、しかしこれには何か考えざるを得ないものがあるんじゃないかと思います。これが1点目です。
 二つ目は、『明解 日本語文字組版』についてです。単なるバグ出しかなとも思ったんですが、いろんな問題を含んでますので申します。
 38ページの小見出しですけれども、漢字はゴシック、仮名は太い明朝で、マンガの吹き出しなんかによく使われるフォント構成かなと思ってみますと、おやカタカナはゴシックだなと分かる。さらによく見ると、カタカナの拗促音はまたアンチックだなと。これは自動処理ができないんじゃないかと思うような、実に複雑なフォントの組合せをしてらっしゃる。
 おそらく、全部手でフォントの変更をされてるんだなというのは、右側39ページの見出しをみるとわかります。ここでは拗促音はアンチックになってないからなんですね。次のページでも、10級の小さい字においては拗促音をアンチックにするところまでは凝っていないですね。
 そういうこだわりで手作業をやると、どうしてもこぼれも出ると。作業性とその効果をどこかで天秤にかけた上でのフォント選びはあっていいはずだと思うんですが、そういう意味でこれは単にここがバグだったよというよりは、こういう選び方自体がやはり禁じ手なんじゃないか。やっちゃいけないことをやった結果なんじゃないかと私は思ったんです。以上の2点です。
●鈴木…… このレジュメの組版について言いますと、横組みの行長とこの前田さんの文章の縦組みの行長は、縦組みの方が長いそうですよ。絶対にそうは見えないということの実例として見ていただくとうれしいですね。縦組みの方が明らかに短く見えるんだけども、実は縦組みの方が長い。フォントに関してはどうですか。
●向井…… まずレジュメの横組みの方ですけども、横組みで行長はどこまでいけるのかな、ということを実験しようと思ってやりました。
 縦組みの方が1行44字、横組みの方が40字。4文字の差があるけれども、横組みの方がどうも長く見えてしまうと。これは余白の関係もあると思うんですね。どこまで長くできるかということと同時に、行長を長くしたときに、小池さんは読みにくいとおっしゃるんですけども、句点の後に形としても区切りの強弱、句点と読点の強弱をつけた方が行長を長くしたときは読みやすいんじゃないかなと思って、このようにしました。
 それと縦組みも横組みも、これは全角ベタ組みを基本として組みました。その結果、小池さんのご指摘のとおり、「フォーマ」「ット」という改行の位置が出てきてしまったと。できればこういう場合は、文章の方を書き直していただきたいなというふうに組み手側は思います。
 それと「と」が連続するのも同じような原因でベタを維持していて、自動的に改行していくと偶然「と」が三つ並んだというふうになります。
『明解 日本語文字組版』(『印刷ガイドブック』)の、カタカナと漢字はゴシックで仮名を明朝系の書体を使ってる件ですが、最近の文章では、カタカナというのはほとんど名詞というか、固有名詞になって、どちらかというと記号的な漢字的な強さがあるんじゃないかなと思うんです。それでカタカナはあえてゴシック、漢字と同じにしました。仮名は送りがなということで、書体を変えました。
 次のページの文章については、作業性というよりも文字の大小ということで、大きな文字は拗促音の強さを弱めたいというふうな意識です。だから拗促音は大きな文字では明朝系のものを使って、小さい方、これは本文とまったく同じサイズなんですけども、本文の方の拗促音はゴシックのままにしました。
 
●質問2
 小宮山と言います。行末を揃えるというのは、非常に面白い考え方だなと思います。僕は、いまだ24ドットのワープロで文章を組むぐらいしかしてませんので、よく分かりませんけれども、今日のお話の中で行末を揃えるときに、全角ベタ組みと均等組みの場合は、多分問題がないと思うんです。
 ですが、この『明解 日本語文字組版』という本の場合、当然文章を書く人が遅かったり、量が多かったりして、最終的には第3番目のベタベタになったと思うんです。行末はもう波打ってて、揃ってない。
 つまり何が言いたいかというと、多分これから詰め組み、プロポーショナルピッチの書体が出てきたときに、行末をどう揃えるかっていうのがすごい問題になってくる。よく分からないんですが、縦組みの場合はまあいいとしても、横組みでもやっぱり僕らは縦に見たときに文字の重心で見てるんじゃないか。ですから例えば上の行に「り」があって、下の行に「し」があったときに、版面に揃ったら、右側揃ってしまえば、「り」は右に出るし、「し」は左に入っちゃうと。そういうことが当然起こってきたときに、行末の処理をどうするかをお伺いしたいのですが。
●鈴木…… 先ほど僕が申し上げたプロポーショナルで送ったときの、行頭行末揃えをどうするかという話ですね。今のご質問はまさにそこにかぶっていて、やっぱりどうしても文字の重心ということで見ると、正方形のセンターが揃ってるかどうかということにおいて、行末行頭が揃っているかという視線になると思うんです。
 今回、向井さんの組みでは、クオークではなく、イラストレーターを使って面で行頭行末を揃えるということをやったわけです。そこでの視線の慣れとの齟齬と言っては大ざっぱすぎるかもしれないけども、文字の重心によって揃えるのか、文字面によって揃えるのかということの差だろうなと思います。
 さきほどの小池さんの質問も、広めに理解すれば、全角の横の並び線を重視する組みがいいのか、行頭行末禁則を厳しくして、その中のピッチは可変でいいのかという、やっぱり重大な問題に対しての質問ととらえられます。
 向井さんはこの横組みの組版においては、縦の並び線というか、全角の並び線を重視してみるとこうなった、ということでしょう。
●向井…… 鈴木さんが言われたように、私が意識したのはその字面で、重心ではありません。ですから見た感じというのも、ベタ組みに慣れた人にとっては、行末あるいは行頭は波打って見えると思うんですけども、字面で見ていただくと、かなり揃ってるんじゃないかなと思います。
 また、字面で揃えたとしても、文字によっては若干内に入れたり外に出したりして、重心も含めた揃え方っていうのは、やっぱり必要かなとは思います。
 
●質問3
 大熊と申します。ルビの問題で、「虚構」に「フィクション」とふっている件なんですが。
 例えば一つの語を括弧でくくる場合に、括弧の前後に二分スペースを入れると。それと同じような考え方で、「虚構」という一つの語の間にスペースが入るのが、僕はちょっと違和感を覚えるんです。「虚構」の間にスペースを入れずに、「虚」の上と「構」の下にスペースを入れて、そのスペースにかけてこの「フィクション」とルビをふるというのはどうかなと思って、たまにやってるんですが、その辺はどうでしょうか。
●前田…… 体系としてまず説明がつく試みであれば、仮説として成り立つと思うんです。例えば、ルビ文字のサイズを二分と、とりあえず本文でおいたとしますよね。見出しとか大きいサイズじゃなくて。
 その場合、普通にベタで並べたときに、親文字のトータルの行長の方が長い場合どうするのか。あるいは、ルビ文字のトータルの行長の方が長い場合どうするのか。それぞれについて同じ体系として1:2:1ルールとか、いろいろありますけども、説明できるものとして立ってれば、僕は一つの仮説としてありだと思います。だから「虚構」という場合はと言われたら、じゃあそれはどういう体系なのか、それを聞かないと私としてはいいとも悪いとも答えきれない。あるいはいい悪い以外の答えかもしれないけど、ちょっとそれだけでは正面からは向かいきれないんですね。ごめんなさい。
 
●質問4 
 野村です。ルビの場合は、仮名には1字分かかっていい、というルールが一般的だと思います。ですからこの場合は「フ」が上がって、真ん中が詰まっても通常のルールだったら許されるものです。それをこうされたのが、逆になんか中付きというような感覚になるのではないかと私は感じますが、いかかでしょうか。
●前田…… おっしゃるとおりだと思います。さっきも途中で説明したようにサプコルでもそうですけれども、隣り合う文字が漢字の場合と、仮名の場合、この場合、「虚」の上の仮名に対してはルビ全角、親文字に対して半角かかってよいというルールを適用した場合は、「は」の上にカタカナの「フ」が乗り、「虚」の横に「ィ」と「ク」が乗るという場合もありだと思います。

●質問5 
 長沢です。先ほど文字と行の孤立を避けるというお話がありました。
 文字の孤立という場合はたった1文字2文字なら調整しやすいと思うんですけども、行の孤立を避けると言った場合、後ろに1行出ちゃった場合、私はすぐ次のページに送って、そこを2行あけたりしちゃうんです。
 でも、1行、頭の方にはみ出てるのを前の行に持っていくという時、そのはみ出た1行が非常に長い場合には、その調整の仕方が非常に難しくなってしまいます。そのページだけ文字の間隔、カーニングとかトラッキングですか、いっぱいしなきゃいけないのかなあって思って、テクニック的にどうしたらいいのかをお聞きしたいんですけども。
●前田…… いろいろあると思います。
 改ページということの内側でまず解決を図る場合、つまり、その前の一つの固まりの一番最後の行だけがめくったページの頭に来る場合ですよね。それはルールを立てて、その前のページのグループ自体を追い出すと。こういう解決の方法もあり得ると思います。
 それからワークフローの内と外ということで考えると、編集者、書き手に問題を返すっていう場合もあると思います。だから内と外というのは、ワークフローの内でどういうふうに解決するか。どういうチームの中で解決するかっていうことも含めて、答えがあると思うんですね。
 それには、言葉のやり取りとしてはかなり激しい議論なんかも関係しますけれども、通常は編集者が書き手と組版者なり、デザイナーとの間に立って調整をすることが多いと思います。
 改行位置、あるいはテン・マルを誰がどの時点で触っていいか、ということのルールが立っていないと駄目だと思うんですね。それがある程度立っていて、確認するルールが成り立っていれば、改行位置を増やす。つまり部分の字送りの方式を変えて、詰めたり追い出したりするというのはかなり無理があると思うので、改行位置を増やすとか、あるいは追い込んじゃうとか。改行せずに追い込んじゃうとかいうことによって、1行孤立は解決できると思うんです。
 少なくとも私は組版者の立場として、そういう提案を返してます。校正の時、新組みしたときにね。ここのところはこういうふうにした方がより美しい、格好いいと思うんですが、いかがでしょうかと。
 
●質問6
 牧野といいます。質問を二つさせていただきたいんですが。
 このパンフレットの算用数字ノンブルの8の16番、食い込み詰めの場合の句読点および中黒の詰め方の記述がどうにも読みとれないので解説していただきたいのが一つです。
 それからもう一つは、箱組みにこだわるのであれば、約物では改行しないという組み方も可能なのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
●前田…… 句読点とか括弧類というのは、フォントによってずいぶん見かけが違います。四角い枠の本当にぎりぎり端にあるものと、結構真ん中に寄ってるもの、大きいもの小さいものがあります。
 ここで整理したいのは、基本の字送り幅に対して、結果として二分を確保しようと。そういう動機で説明しようとしたものです。
 つまり全角ベタの枠を前提にした場合、テンとかマルが真ん中へ寄ってたりするものがありますけれども、それは思いっきりその直前の字に見かけ上ひっつけて、なおかつ結果として、取り幅として半角分取ろうとか、そういう問題の立て方が必要なんじゃないかなと思います。
●牧野…… 半角というのは、見かけの半角ですか。
●前田…… 字送りに対してです。文字サイズに対してじゃなくて字送り。
●牧野…… 字送りに対して半角。
●前田…… そうです。
●牧野…… 均等にではなくて、プロポーショナルで詰めた場合の送りというのは、どういうことでしょう。
●前田…… プロポーショナルということを前提にした上でも、日本語の論理から立てた場合、約物の階層性が貫かれる必要があると思うんです、私は。従ってやっぱりマルはマルとして一番大きく取ると。
●牧野…… この基本的に全角とすると、あるいは直後のアキを含む字取り幅をというのが、一体どのくらいのことを指しているのかが分からないんですけれども。
●前田…… それぞれの文字とか記号、約物を外接する四角形でエリアを測ったとします。その外接する四角形でテン・マルの直前の文字と、直後の文字、それぞれを四角で囲みます。その間のテンを含むその間の文字のエリアを四角で測ります。それがどれだけ幅を取ってるかという数え方です。分かりにくいでしょうか。すみません。
●牧野…… 同じ幅を取るべきだというのはよく分かるんですが。
●前田…… 例えば雑誌組版などは、詰まってることだけが汚いんじゃなくて、詰まったときに例えばマルの前の字、例えば横組みだとしますよね。例えば「か」「テン」「と」とある場合、フォントの関係もあって、「か」とテンの間の方が「テン」と「と」の間よりもあく場合、あるいは真ん中に見える場合があるわけです。中国語組版じゃなくて、日本語組版の場合は、それはあまり自然ではないと。直前の字にひっついて、やっぱりテンとかマルがあるべきですよね。そのことが第一。
 それなら、すべてその外接する四角形として全部詰め詰めにできるかというと、後ろにあるアキを持たないといけない約物、終わり括弧類や句点、読点などの場合には一定のルールを決めないといけないであろうと。その基準になるのはやはり字送り値であろうということなんです。
 つまりテンというものが持ってるエリア、同じように前も後ろも詰めていいかというと、そうじゃないと思うんです。
●沢辺…… ちょっと時間の問題もあるので、解決まではここではご勘弁ください。ほかにご意見ご質問の方、いらっしゃいますか。

●質問7
 田中と申します。2点だけお聞きします。
 まず中黒のことですけれども、行末に中黒が来た場合、その下の主文を削除すると言われていましたけれども、真ん中にあるから中黒だと私ずっと思っていたんですが、そうなりますと、どうも真ん中にあるように見えない。こういう考え方についてちょっとお聞きしたいのが一つ。
 もう一つは行末を揃えるのに強いぶら下げ組みをしますと、活版では普通3種類出てくるのが、1種類で全部並んできれいじゃないかということと、行頭禁則が多いという両方の要素が絡み合って、本文中の調整がかかってくる。
 調整のかかってくる行がすごく増えると、横のラインが揃わないということが非常に不安、そういうイメージを持って私は誌面を見てしまうんですけれども。調整がかかるということについては、これは美しいということになるんでしょうか。その2点をお聞きしたいと思います。
●前田…… まず中黒の説明ですけれども、真ん中にあるのだから中黒っていうのは、確かに言葉としてもそうでしょうね。
 ただそれはどういう書体で、どういう文字サイズの、どういう字送り方式で組んでるかによって変わってくると思うんです。二分の字幅を持つというふうに考えて、前後に四分のアキを持って、全角取るというふうにルールを立てても、見かけでぼてっと大きい中黒と、それほど大きくない中黒と、同じに論じることができないと思うんですね。後ろの四分を取るというのは、別に新しい提言とか何とかじゃなくて、4051でも許容の範囲ですし、あるわけです。
●田中…… その上のその幅も取って、例えば今、二分になってるわけですよね。二分の中央に来てるんでしたらいいんですけれども、その下のアキだけ取ってしまうと、下に下がって見える。何となく仮想ボディで見てしまうものですから、下に下がって落ちているように感じるんですけれども。
●前田…… それはもう一つの質問と関係があって、慣れやなじみとか、好みが介在すると思うんですけど、字送り方向の並びと行送り方向の並び、つまり縦組みのときの隣り合った行同士の並び線を重視する見方、それはそれでありだと思います。
 その考えからすると、強いぶら下げあり、あるいは強いぶら下げなしという形で、その行で割って引っ張って伸ばすというのは嫌だと。あるいは慣れない、ということは当然ありだと思います。それを否定しているんではないんです。だから行の揃え方に四つあるんではないかと言ってるわけです。

●質問8
 木村と申します。欧字や洋数字は和文従属の書体を使わないという項目がありましたが、その理由といいますか、私もちょっと文字のデザインに携わってる人間ですので、作る側と文字を使う側とで意識のギャップがもしあるならば、その辺のところをお聞かせいただければと思います。
●向井…… これは私の個人的な意見ですけれども、今まで出されている和文書体に従属する欧文のバランスというか、和文とのバランスがある書体は少し大きすぎるような気もしますし、ある書体では少し小さすぎるような気もする。あるいは少し太いような気がする。あるいは細いような気がすると。
 今までの私の経験の中では、あまりうまく合ったものはなかったんじゃないかなと思います。一部あるのかもしれないですけれども、私の経験上は知らない。
 一般的に言えば、和文従属のものを使うよりもネイティブな欧文のデザイナーがデザインしたものの方が、これは印象かもしれないですけれども、信用できる。間違いがないんじゃないか、という気がするので、和文従属は使わないというふうに今のところ私は思ってます。
 ですからこれから先、和文従属の書体でもいいもの、私の趣味に合うものがあれば、私は使おうと思います。
●木村…… はい、ありがとうございました。
 ●鈴木…… 欧文では、固有のピッチを持ってそのプロポーションの中で形が完成されてきたと思うんだけど、和文従属ということは、二分か全角の中に押し込めるか押し広げるかということになって、形とそのプロポーションが合わないというのが、最大の理由ですね。無理がある。だから、のびのびと元のプロポーションでやらせた方がいいんじゃないか。プロポーショナルピッチで和文従属っていうのはありうると思うんだけど、誰もやらないのがおかしいなっていうことですね。
●沢辺…… すみません。もう、全然時間がなくなってしまいました。ここで、いったん終わりにさせていただき、二次会もあるので、そちらで継続して議論していただいてもかまいません。では鈴木さん、前田さん、向井さんのお話はこれで修了させていただきます。
 最後に「日本語の文字と組版を考える会」の杏橋から、一言ごあいさつさせていただきます。
●杏橋…… 皆さん、こんにちは。高いところから失礼します。あっという間に3年たちまして、そういえばこの垂れ幕も、第1回の時に前田さんにお作りいただいたもので、本当にもう長い間使わせてもらいました。中には、この「日本語の文字と組版を考える会」に参画していただいたおかげで、本日結婚式を挙げているカップルも生まれてる状態で、いろんな面で影響が大きかったんじゃないかと思います。
 まだまだ問題も残っているようなので、また何かの機会があれば、こうして皆さまとお会いできれば大変うれしく思います。
 それから最後になりましたけど、本日見えている世話人を簡単にご紹介いたします。前田さん、向井さんですね。ありがとうございました。それから沢辺さんです。そして、ブースに入っていますけど、高野さん、萩野さん。それから逆井さん、そしてウエッブの方を担当しますスタジオポットの日高さんです。そのほかスタジオポットの社員の皆さま方には受付とか、いろいろな名簿の整理とか、お世話をかけました。ありがとうございました。
 この会が、こうしてさわやかに終わりますのも、皆さまのご参会のおかげでございます。さらにはいろんな方のご協力をいただきました。本当にありがとうございました。一言お礼を申しまして、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
●沢辺…… それでは、今日は長い間本当にありがとうございました。講師のお三方には、何日もかけて、かなりの準備をして頂いています。本当にありがとうございました。皆さん、よろしければ、最後にもう1度拍手をお願いします。(拍手)
 では、これで第17回セミナーを終わらせて頂きます。
 どうも皆さん、ありがとうございました。
 
(17回セミナーまとめ●沢辺均)


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