第13回セミナー・「もう一度、組版」
参加者の意見や感想と
それに対する回答
第13回セミナーにいただいた意見・感想・批判およびそれに対する回答を掲載します ●掲載は、新しく届いたものから順に掲載しています。「感想--01」がセミナー後、最初に届いたものです |
|
回答--02 ここで話は西井氏に戻ります。あそこでの応酬で僕が問題にしたのは、「行の短縮に関わる原稿改変」でした。実はこれってどうってことない問題なんです。だって一言文字校に「ここをこう直せば1行短縮できますが、よいですか?」と書けばすむんですから(それすら無用と言う西井氏は論外)。 |
|
|
回答--01 |
感想--09 通常、異業種間でこのような話しをする機会はほとんどありませんから、セミナーでのやり取りを、興味深く拝見したのですが、お互いの認識がこれほど違うものかと驚愕いたしました。 最近では編集と組版現場とのやりとりの中で、こちらの意図が正しく伝わっていないことがあります。入稿の際の原稿指定や、校正ゲラに入れる赤字の指定は、従来、簡潔であるべきものです。しかし、それだけではわかってもらえないことが度々あります。校正記号というものは、いわば共通の言語のようなものですから、これでは意味をなしません。それゆえ、日本工業規格いわゆる、JIS規格でも定められているもので、お互いにこれらの理解と徹底が欠かせません。しかし、誤用されているのを多々見かけます。JISの校正記号ですが、これは、1965年以来改訂がなされていません。詳細に眺めてみますと、活字組版に特有の校正記号もあり、現状に則した適当なものであるとは、必ずしも言いがたいわけです。また、データのやりとりが増えるにしたがい、指定書などで使う制作用語の標準化、共通の理解が必要であると感じます。デジタルの文字組版の工程に合った校正記号への改訂が望まれます。 以前は熟練した職人さんの領域であった組版現場に、DTPソフトの普及によって、経験や知識に乏しい作業者が流入してきたことが、その原因のひとつであることは否めません。DTPソフトには活版や写植で培ってきた、原理原則が踏襲されていません。例えば、設定ひとつ取り上げてみても、各社各様で、驚いたことには、行間に相当する部分を行送りとしているものまでありました。経験のない若いオペレーターが、それらのDTPソフトを扱うことを考えると、まず、用語を定義することから始めなければならないのかも知れません。そういった相違点を意識しておられるというのならともかく、システムの変化によって継承されるべき原理原則が断絶されてしまった。 『基本 日本語文字組版』に書かれている、組版ルールはベーシックなもので、書籍制作に馴染んでいる方々には、なんらの違和感をおぼえることはないでしょう。実際の制作現場においては、あらゆることがおこります。それは、複合的であったり、思いがけない偶然がもたらしたものかもしれません。例題同様のことが出現するとは限らないわけです。それに、制作物によっては必ずしも必要とは限らないルールもあるでしょう。組版ルールが煩雑すぎるということをよく聞くのですが、それは、無知の開き直りとしか思えません。組版ソフトの出来が悪いから、組版ルールが複雑だからできないのではなく、選択の余地がない、方針がないのは知らないだけなのではないでしょうか。 それぞれの制作物は、編集意図も異なれば、版面を構成する要素も自ずと異なってくるはずです。このように個々の持つ意味自体を考え始めたとき、意識する、しないに関わらず、文書は様々な要素の集合体であることに気がつきます。例えば、大見出し・小見出し・段落・箇条書き・註…… それらはシステマティックな一定の規則性に基づいて表記されることが望ましいからです。括られた要素は、ある一定の条件を満たした要素ごとの集合体です。組版の構造や階層性はそういった文書の論理構造を表したものと言えるでしょうか。版面を構成するのは文字や記号の羅列なのではなく、意味あってそこに存在しているものだからです。 思い通りの最終物を得るためには、共通の合意とでもいったものが、業種を越えて共有されなければならないと思います。そのためには一連の工程や組版システムに対する理解を欠かすことはできません。『基本
日本語文字組版』は、日本語組版の慣習的に行われていると思われている組版の中から、システマティックな構造という側面を鮮やかにとりだしてみせました。それは日本語文書の新鮮な発見でもあります。組版ソフトウェアの開発者側である、逆井氏によって提案された文字組版は、業種を乗り越えたご理解とご傾注を感じさせるものでありましたことに、敬意を表します。 | |
|
感想--08 |
|
感想--07
|
|
感想--06 『基本 日本語文字組版』について--V.2 道広勇司・編集者/新技術コミュニケーションズ mich@red.an.egg.or.jp 1999.04.20 『基本 日本語文字組版』を購入いたしました。大変素晴らしい内容で,買った価値がありました。組版ルールを書いた本は数多くありますが,各検討項目について,いくつかのルールを併記してそれぞれの根拠,長所・短所を考察した本は,私にとってこれが初めてでした。 ルールだけ示されても,その理由が分からないと身につきませんし,ハウスルールを作ろうとしてもあまり参考になりません。その意味で本書は画期的だと思います。議論に入る前に基本的な用語の意味が説明されている点も良かったと思います。というのは,例えば「行頭のカギが半角下げ」と言ったって,カギの大きさを二分と考える,という事を知らなければ言っている意味を理解できないからです。 日本語の文字と組版を考える会において,本書について ・あれもある,これもあるじゃなくて,反発をくらってもよいから,どれか一つのルールを挙げたほうがいい。 ・ルールをもっと簡素化したほうがいい。という趣旨の発言がありました。おっしゃるところ,分かります。 これは本書を何のための本と捉えるかの問題だと思います。私はこの本を,組版ルールについて考えるための本だと思っています。本書がマニュアルだとすれば,なるほどややこしい議論は最少限に抑えておいて,これだ,というルールを簡潔に提示していくほうがよいでしょう。しかし本書の執筆意図はそこには無いんだと思います。 誤解をまねいた原因は,帯に謳われている「新時代の組版ルールが身につく」というコピーではないかと思います。これを素直に読めば,マニュアル本と思って当然です。こういうコピーは,我々の業界ではお馴染みの,本を売るための常套手段ですよね? 次に,ではどうしてこのような「考えるための本」が必要かを考えたいと思います。ここで前田年昭さんが仰った「ルールは破綻する」という言葉が思い出されます。与えられたルールを金科玉条の如く守っていても,必ずどこかでうまくいかない場合が生ずる。そういうときに,「はて,どうしてこういうルールになってたんだろう」と考えることで,その場その場での自分なりの妥協策や解決策が見つかる(かな?)。本書はそのための手掛かりなんじゃないかと思います。本書の役割はもう一つあって,それは「組版の工程も様変わりしたことだし,ここらでもう一度組版ルールを再点検して,新しいルールをつくっていこうよ」ということだと思います。 ですから,「とにかくルールを提示してよ。それに従うから」という人には本書は適していないでしょう。「ややこしい議論はたくさんだ。簡素なルールがいくつかあればそれでいいじゃないか」という意見もあろうかと思います。デザイナーは見た目の美しさを追及したいし,編集者は文章そのものに心血を注ぎたい。私はその気持ちも非常によく分かるつもりです。私は確かに組版にも関心があるけれど,編集者として,文章を良くすることに,より強い関心があります。組み方の事ばかり,あーでもない,こーでもないって考えてたら,仕事なんてできやしない。 でもでも,組版ルールって確立してないし,ちょっとした工夫で可読性が少しでも向上するんなら,「読者に届く」っていう最終目的がよりよく達成されんのかな?とか思いつつ少ない経験を背景に,ルールについて考える日々? ◆本書の中身について 何ヶ所かで,「日本語組版では…とするのが普通」のような表現がありますが,これはどうも「日本語の本文組版では」という意味のようです。というのは,それらのルールが,見出やタイトルには適用できそうもないからです。本文の概念を明確にし,見出,タイトル,キャプションの特殊性を(鈴木一誌さんがされたように)明らかにして欲しかったと思います。 ※続編を出してほしいと思います。箇条書きの体裁(字下げの仕方など)とか,ノンブル・柱の組み方,あるいは,「いわゆるボールド」の和文・欧文書体の組み合わせなど,基本的なことで考えるべきことがたくさん積み残されていると思います。 |
|
感想--05 例会御礼及びコメント 藤島雅宏・伊藤忠テクノサイエンス(株) 1999.04.20 伊藤忠テクノサイエンス(株)の藤島雅宏です。 先日のミーティングは大変刺激的なバトルトークで面白く拝聴しました。 会場の雰囲気を引きずって、二次会でも面白いお話が聞けるかと暫くロビーでお待ちしてましたが、やりかけの野暮用などが気になり失礼してしまいました。 会場でも一寸発言しましたが、気の付いたところをコメントします。 会場では、「完全な組み版ソフトはない」ということと、「やりっぱなしはだめで、気をつけて不具合個所を修正する体制作りが必要」という趣旨で発言しました。 とっさの発言でしたので、まとまりの悪いコメントでしたので、ここに再度コメントさせていただきます。 1:完璧な組み版処理システムは不可能である。 実データでは色々な組み合わせがあり、例題に示された方法でも解決しない例はほとんど苦労せずに提示できる。 例えば、2字以上の送り出しをした行の字間がバラバラに見えることの対処として、前の行に遡って一字でも送りだしてもらえば、どの行も平均して余り大きな調整スペースを使わなくてもよくなるという。 これも、例にある場合には解決するかもしれないが、段落開始から2行目で禁則が発生し、1行目がバラついたときはどうしようもない。 また、ばらついた行の前の行が、句点や受けのカッコでで終わり、丁度収まっている所で一字分の調整用字送りを要求すれば、句読点や受けカッコと共にもう一字送り出さねばならなくなり、結局不具合個所を順送りする結果になり、時には解決できなかったり、却って悪くする例もすぐ思いつく。 2:最終的には機械的な組み版処理を経て出力せざるを得ない。このとき自分の思うとおりの出力が得られるように、個々に調整スペースや調整ファンクションを入れて対処しなければならない。この場合、編集者の希望するように調整できるシステムかどうか、また、編集者に分かり易いシステムかどうかが問題になる。 3:従来のシステムでは、編集者は組み版体裁の悪いところを指摘するだけで、修正するのは組み版工や、写植オペレータであった。 他人の仕事に注文を付けてやり直しを命ずる時は、修正の苦労が身に浸みてないため、厳しい注文が付けやすい。植字工は指示された事は仕事として受け、徹夜してでも最大限の技術や裏技を使って修正してきた。 最近のように、編集者自身が組み版の修正をするとなると、 (1)その組み版システムに精通してないため修正しきれない。 (2)修正できても面倒だから適当なところで自分で妥協してしまう。 (3)当面する場面では設定の変更で対応できても、他の部分にその影響が波及してしまい、全体の解決にならない。 (4)折角裏技を使って調整したのに、校正で文字の増減が発生すると、却って裏技の処理をしたところがみっともない処理になってしまう。 など、一筋縄で行かないことが理解でき、結局妥協の産物になりやすい。 ――自分でやるなら徹底的にやる編集者も居られるでしょう。―― また逆に、組み版とは何かを理解していない編集者が増えたというなら、ワークフローでサポートする体制を組むべきだと思う。 特に、編集自体が得意であっても、組み版などの機械を扱うことには興味も湧かないし、寧ろ苦痛になる人もいるだろう。こうした人には組み版処理をきちんとする人を組にして、組織でサポートする必要がある。 4:繰り返しになるが、最終出力を自動組版処理機能を経て出力しなければならない上に、出力されたものを手修正できないシステムの中では、機能が優れていようがいまいが、出力システムの組み版機能が満足な体裁で出力してくれるように、予めシュミレーションして万全の対応をしておかねばならない。自動で組めるからとオペレータ任せのワークフローでは必ず不満足な組み版が横行するに決まっている。 5:経済原則が働く今日のシステムや体制では、自動で上手く処理できないところは割り切って目をつむるより止むを得ない。 しかし、任せ放しで、指定枠取りの中に不適当な字数で組んで、字詰がばらばらだったり、詰まりすぎたり、行間が極端に詰まっていたり、行長が文字サイズに対して長すぎて、字詰数が多すぎたり、などなど、基本的なルールは組み版システム以前の教育の問題と思う。 会社が社内教育をする体制にないから、これを読んでおけという教科書が欲しいということなら、逆井氏の本の様な教科書は有用であろう。 以上、まとまらないコメントですが、思うところを書きました。 |
|
感想--04 第13回セミナーについての感想です 斎藤敏雄 fwga0478@mb.infoweb.ne.jp 1999.04.19 斎藤敏雄と申します。 1949年1月30日生まれ。50歳。 現在、貼りこみソフトという非常にマイナーなソフトを使っています。 簡単に言いますと、写研のコーダーからファイナルデータをもらい、 それをページに組む仕事です。ほとんど版下ですね。内容は。 そして、今年の7月にDTPへ移ることが決まっています。 現在、DTPの勉強をしている最中です。 経歴 最終学歴、1972年、早稲田大学教育学部社会科学科卒。 1972年、内田洋行入社。 1975年、退社。 1976年、麻布十番の建築会社で1年間総務。 1977年、写植・版下業界に入る。 1981年、有限会社サイトーアートスペースを設立。 1987年、解散。 1987年、サラリーマン生活に戻り、数社を経て、 1990年、株式会社アスクに手動写植で入社。 1992年、電算写植のチーフになり現在に至る。 今回、はじめてセミナーに出席致しました。 自分なりに、第13回セミナーの感想を述べたいと思います。 (1)逆井克己さんの講演について。 「日本語文字組版」はまだ読んでいませんので、講演の感想です。 行末処理を中心とした内容でしたが、あそこまでまとめられたのは、 素晴らしいと思いますし感心しました。 手動写植、版下、レイアウト、ロゴデザインを経験している私は、 自然と、と言いますか、仕事を経験していく過程で、周辺の印刷物とか専門書を参考にして、自分の組版のスタイルというものを持っております。しかし、それを他人に教えるとなると大変です。ですから、逆井さん、府川さんのような書物は貴重です。 しかし、DTPから、広く言いますと印刷業界に入ってきた人達に以上お二人の書物を読めと言えるでしょうか? 私は、言えないといいますか、言いません。最後に沢辺さんが言われたように、 A4、1ページに箇条書きにするとか、何しろ、抵抗のない形にして渡します。 祖父江さんも言われてましたね。もっと簡単にというようなことを。 結論です。 逆井さんの功績は認めます。 しかし、組版のルールを広く普及させるには、もうひと工夫、ふた工夫、 いや、もっと、もっと、普及させる内容と方法を議論すべきだと思います。 (2)深沢英次さんの発言について。 深沢さんの発言には、反対するところはありません。 賛成です。 ルールの簡素化。 「デザイナーの方にもっと読みやすいものを作るという意識を持ってほしい。」 と言われました。賛成です。 それと、MB31の本文は読みたくない。賛成です。 話はそれますが、今回、写研の話が出て来なかったのは、残念でした。 どなたか、前田さんでしたか写研の書体にふれていましたが。 写研はどうなるんでしょう?情報はありませんか? (3)祖父江慎さんの発言について。 1959年生まれですね。 39歳か40歳のデザイナーですね。 ですから、あの程度でしかたがないでしょ。 今、グラフィックデザイナーっているんですか? 本当のデザイナー。存在していても、もうそろそろ引退でしょ。 鈴木一誌さんならデザイナーと言ってもいいですけど。 (4)西井一夫さんの発言について。 素晴らしいの一言です。 西井さんには、大学時代の学生運動の息吹を感じます。 あれだけ、はっきり言える人、最近いません。 まぁ、私の世代ですから。 それと、西井さんには、「アメリカ」が入っています。 要するに、アメリカ的な考え方。合理主義ですね。簡単に言いますと。 ですから、今回の「レジュメ集」の4ページの下にある欧文のサンプルなんか 馬鹿らしくて、見てられないんじゃないかな、と思います。 無理矢理左右をそろえるなんて、アメリカ人はそんなことしません。 (5)太等信行さんの発言について。 発言についてというより、人柄についてです。 温厚な方で一緒に仕事が出来そうという感じです。 「写研の組みNOW」懐かしく、思い出しました。 発言については、「T-time」の話、参考になりました。 「9号の会報」読みたいですね。持っていません。 (6)前田年昭さんの発言について。 こういう方がいないといけないんだなという感じの方ですね。 発言については、「ごもっとも」です。 最後になりましたが、 沢辺均さん、司会お疲れ様でした。 名前も知らない多くのボランティアの皆さんお疲れ様でした。 2次会に参加出来なくて残念でした。 次回も参加させていただくつもりです。よろしくお願い致します。 1999年4月19日(月) 追伸 小生もホームページを持っております。 時間がありましたら、観てください。 URLは、 http://village.infoweb.ne.jp/~fwga0478/index.html |
| 感想--03 まず原稿という質の高い材料がきちんとあること、そしてそのいい材料を見た目にも美しく、味よい仕上がりにするにはどうしたらよいか。そういうとらえかたは、西井さんにとっても、また組版、レイアウトを追求したり、書体デザインを追求する方々にとってもまったく同じといえるのではないでしょうか。 |
| 感想--02 おいしい印刷物 太田温乃・フリーランス執筆&編集 mz7a-oot@asahi-net.or.j 1999.04.19 この第13回セミナー「もう一度、組版」では、いろいろな立場のコメンテーターや参加者の意見が活発に交わされ、大変面白かった。ここ1年くらい考える会のセミナーに参加しているが、もっとこういった活発な議論があるといいと思う。 司会の質疑応答の進め方もよかった。 さて、今回のセミナーの中で、コメンテーターの西井さんが編集者の立場から、「なにより大切なのは文章の中身自体だ」という趣旨の発言をされた。まあ、わざと過激に極端に表現なさったのだとは思うが、写植やデザインを生業とする人の多い会場では、反論も強かったようだ。 同じ編集者の末席に連なる私はどうかというと、基本的にその意見に賛成である。 なんで賛成なのか、以下に理由を文章化してみたので、お送りします。 もともとは、まず伝えたい内容があった。それを印刷して読むときに、同じ作るなら読みやすく分かりやすいほうがいいということで、「組版」という技術が発達してきたのだと思う。 「自ら文章も書き、写真も撮り、イラストも描き、レイアウトも組版もこなす」私もそんな人になりたいとは思うが、理想はひとまず置くとしよう。現実には私自分の専門である文章以外は、お金を払って読んでくれる人に恥ずかしくないよう、ちゃんと各分野の専門家にお願いしている。 さて、内容(文章・図版・写真)とレイアウト(組版も含めて)の関係は、料理と盛り付けの関係に喩えられるのではないだろうか。 そこでは、文章・図版・写真などの素材=食材、料理=編集、盛り付け=組版やレイアウト、器=体裁を含めた印刷物としての本という位置づけが相当する。どんなにおいしい料理でも、紙皿にぞんざいに盛り付けたのでは食欲をそそらない。まずい料理であっても、立派な器に美しく盛り付けてあれば、ちゃんとした一皿に見える。だがしかし、一口味わってみれば、本当はどうなのかその価値はすぐに分かる(もちろん、その内容を求めている人にとっての価値ということでもあるけれど)。 食材を作ってくれるお百姓さん(生産者)に当たるのが、著者やカメラマン、イラストレーターで、料理人=編集者、盛り付けの専門家がデザイナーだ。慣れない家庭菜園で作っているような野菜の出来はお百姓さん(生産者)の作った野菜とは違う。そういった「顔の見える」プロの生産者からその日に使うぶんだけ直送してもらい、料理人が腕を振るい、盛り付け担当者がTPOや料理に相応しい盛り付けを行なう。十分な連携を計り、それぞれがプロとしてのベストを尽くせば、良いものが出来あがるだろう。 もしも、料理がまずかったときには料理人の責任になる(もしくは料理長=編集長、もしくは店長=社長)。だから、良い素材を手に入れて美しく盛り付けしたおいしい料理を作ろうと努力する。これは、プロとして当然の姿勢だと思う。腕の良い料理人が「自家製のアイスクリームに使いたいから、低温殺菌した本来のおいしさを活かした牛乳を分けてくれないか」と生産者と材料を選ぶように、優れた編集者もどんな原稿が欲しいのか、ちゃんと著者に伝え、またもらった原稿について気が付いたことをフィードバックするだろう。同様に盛り付けも「季節感を出したいから、カラフルで躍動的な盛り付けにしてほしいんだ」と、担当者にリクエストするだろう。もちろん、出来上がった料理を味見した生産者や盛り付け担当者は、素材の活かし方や料理の出来具合について、料理人にアドバイスをしたり文句を言う。しかし、その交換した意見をどう反映させるかは、最終的に各担当者の責任となり、それぞれの職分は尊重される。 なにより大事なことは、「どんな人にどんな時に出すどんな料理なのか」ということをちゃんとみんなが把握して、おいしい料理を作ろうと協力することではないだろうか。 |
| 感想--01 |
| 『基本 日本語文字組版』について 道広勇司・(株)新技術コミュニケーションズ 編集部 1999.04.15 ●●●セミナーの感想を加えてV.2を送ってもらいました。感想--06にして掲載しました(編集部) |