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ポット出版欠歯生活
第10回2本目の抜歯

書き手北尾トロ
[2003-07-07公開]

 外れてしまった左下の被せ物は、最奥から3本を連結していた。2本目はすでに欠歯なのでブリッジというやつである。
 涙目になりながら診療を受けに行く。自分がみじめだ。どうして不幸は連続するのか。歯のことで悩んだことのない人だっているというのに理不尽ではないか。
 医師は歯を覗くなり「一番奥は抜かないとならないでしょうね」と言った。
 もともとこの歯は数年前におかしくなったとき、抜いたほうがいいと勧める歯医者の勧めを断り、土台を残してもらって、かなり強引にブリッジにした部分。そのときから「いずれは土台が持たなくなりますよ」と断言されていた箇所である。時間の問題だったのであり、ショックはさして大きくない。でもなぜいまなのか。せめて上の歯の治療が終わるまで待ってくれてもいいではないか。
 それはともかく、善後策を練らねばならない。
 最奥歯を抜いたらどうなるのか、ぼくにも想像がつく。
 奥から2本が連続欠歯なのだからブリッジは不可能。右下奥とさして変わらない状況になるのだ。つまり、奥から2本目をインプラントにするのが最善ってこと。
 頭の中にあるレジスターに35万という数字が打ち込まれ、チーンと鳴った。
 これまでですでに50万かかる計算だから、計85万である。これは、最奥歯2本を欠歯のまま放置しての値段だから、場合によってはもっとかかる。それでも医科歯科大だからこれで済むのであって、最初に行った赤坂だったら、この段階でインプラント3本分ということになり、安く見積もっても200万は下らないだろう。
 なんて、ボッタクリ歯科医と比較して喜んでいる場合じゃなかった。85万は大金だ。家人(きわめて歯が健康)の理解を得られないまま治療を続けているぼくにとって、はいそうですかと出せる金額ではない。
 苦悩が顔に出ていたのか、医師がさりげなく提案した。
「入れ歯にして様子を見る方法もありますよ」
 くぅ、また入れ歯話かよ。たちまちわき起こる激しい抵抗感に、ぼくは首を振って答えた。
「いや、それはちょっと。入れ歯だけは‥‥」
 よくある反応なのか、医師はそれ以上は突っ込まず、抜歯作業を開始。麻酔をして専用器具で砕くこと5分。衰弱しきっていた奥歯は、何の抵抗もせずに消滅してしまった。
「いずれにしろ」
 器具を片づけながら話が再開される。
「このままでは噛むことが不自由ですし、かといって右側の傷がまだ完全にふさがっていない状態ですから、すぐにインプラントの手術をするわけにもいきません。順序としては、やはり左上の抜歯ということになります」
「‥‥」
「左下についての結論は、まだ急ぐ必要はないので、ゆっくり考えましょう。ですが、いずれにしろ早急に物が噛めるようにしたい。で、仮の入れ歯を作ります。保険が利く範囲でやりますから経済的負担は小さいですし、あくまで仮ですから、作ってみて合う合わないを考えてみてはいかがでしょうか」
 入れ歯に対する拒絶感は大きいが、「仮」と強調されて心が揺れた。入れ歯男になったとしても、それはあくまで仮の姿なのだ。一過性のものなのだ。
 どっちにしろ、インプラント手術をしたら、骨と癒着するまで入れ歯を装着する必要がある。今回の入れ歯も、いってみればインプラントへの布石だと思えばいいのだ。それに、自分がなぜこれほどまで入れ歯を嫌がるのかを知るために、入れ歯男になってみることも無駄ではないだろう。
「わかりました。では仮にってことで。あくまで仮ですよ。食事の手助けツールとしての入れ歯といいますか、そういう意味合いで仮の入れ歯を作ると。もう最低ランクのでいいですから。噛めればいいんですから。不要になったら捨てるんですから」
 しつこいトークをかましながら、ぼくは入れ歯を受け入れることにした。抜歯箇所の腫れが引いた次回にさっそく型を取り、そのつぎに行ったときには早くも完成。
「はい、大きく口を開けて」
 アゴが外れるほど開けた口に、医師の右手が近づいてくる。そこには不自然なくらい美しいピンク色の歯茎と、歯に引っかける針金のような金属とを併せ持つ、不気味な物体が握られていた。

第9回●連鎖反応 第11回●仮入れ歯
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