投稿者「舞 山根」のアーカイブ

そして僕はからっぽな自分に気がついた [下関マグロ 第35回(最終回)]

事務所から外に出ると冷たい風が吹いていた。あたりはすっかり暗い。陽が落ちるのが早くなったなぁ、そんなことを思いながら、荻窪駅の改札に向かった。ファンキー・タルホ氏と待ち合わせをしているからだ。駅に着いて、しばらくするとタルホ氏が改札を出てきた。

挨拶代わりに、「寒いね」と言うと、タルホ氏も「寒いね」と応じた。

「温かいモノでも食べたいね」と提案すると、無言で頷くタルホ氏。

「ラーメンがいいかな。でも北口はダメだね。こんな寒い中、行列するのはちょっとイヤだよね」

「寒くなくてもご免だね。行列しなくてもうまいところはあるでしょ」

そのころ、荻窪駅北口のラーメン店はたいへんなことになっていた。もともと「丸福」をはじめ行列店がいくつかあったのだが、テレビ番組が、「佐久信」という不振だった店を応援しはじめたことが話題になり、青梅街道沿いのどのラーメン店にも行列ができていた。歩道が行列する人たちであふれて、時には通行の邪魔になるほどだった。
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下血報道とフリーペーパー [下関マグロ 第34回]

その何年か、僕には月に一度のお楽しみがあった。それは大宅文庫へ行くことだ。大宅文庫は、京王線八幡山駅から少し歩いたところにある。有料で過去の膨大な雑誌を閲覧することができ、記事のコピーもできる。以前は会員になれば無制限に閲覧できたが、やがて利用者が増えたためか、一日に100冊までという制限がつけられた。

利用者は、ライターや編集者が多かったと思うが、テレビの人たちも多かった。たとえば、「徹子の部屋」でゲストの情報を探し、コピーしているのを何度か見たことがある。

僕はたいてい、青春出版社の月刊『BIG tomorrow』のデータ集めのために行っていた。データ用の調べ物を午前中のうちに済ませ、午後からは自分の好きな週刊誌などを閲覧するのが習慣だった。自分が子供の頃に読んだ記事やら、自分が生まれる前の週刊誌なんかを読んでいると、その時代の世相がわかり、おもしろかった。そうやって一日中いるので、自然と他の利用者と顔見知りになったりもした。

1988(昭和63)年の秋、大宅文庫はとくに人でごった返していた。顔見知りの週刊誌記者がいたので、「最近、人が多いね」と声をかけると、「そりゃXデーが近いからに決まっているじゃないですか」と言う。見れば、彼はテーブルの上に昭和天皇の記事が書かれた週刊誌を積み上げていた。
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消費者金融とNTT伝言ダイヤル [下関マグロ 第33回]

「スタジオ代、ちょっと立て替えといてよ。厳しいんだよ」

いつもなら金がないなんてことは口が裂けても言わない伊藤ちゃんが珍しく弱音を吐いていた。

バンドというのは、金もかかれば時間もかかる。ライブをやっても黒字になることはまれで、たいていは赤字だった。

にしても、この頃僕は伊藤ちゃんに10万円以上の金を借りていたわけで、これをいっきに返せばいいのだが、当然そんな余裕はない。

僕は伊藤ちゃんに、こう言うしかなかった。

「だったら、いいところを紹介するよ。駅前の武富士」

「えーっ、消費者金融かぁ、大丈夫かなぁ」
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ドント・トラスト・オーバー・サーティー [下関マグロ 第32回]

「どっかで晩飯にしようか」

ホンダシビックの運転席から伊藤ちゃんが同乗している僕とおかもっちゃんに言った。僕らはミスティという音楽スタジオで練習を終えたところだった。ライブハウスで演奏しようとするなら、やはりきちんとアンプを使って練習したほうがいいと気付いたので、以前バンド練習用に借りた江古田のアパートは既に引き払っていた。

桃井にあるミスティは他よりも料金が安かった。たいてい一回につき2時間くらい利用することが多く、この日も午後7時にスタジオに入り、出たのは9時だ。

「どっかって、いつものとこでいいでしょう」

おかもっちゃんはそう言う。

「いいね、いいね」

僕は賛成した。いつものところというのは、青梅街道沿いにある「びっくりドンキー」であった。伊藤ちゃんはちょっと顔をしかめたが、関町方向へ車を走らせてくれている。

「30歳になるってどんな気持ち? なにか変わるの?」

ハンバーグを食べながら一足先に30歳になった伊藤ちゃんにこう聞いてみた。僕らの世代には、「ドント・トラスト・オーバー・サーティー(30歳以上の人間を信じるな)」というような文句が流行った頃があった。その僕らがオーバー・サーティーになるのである。 続きを読む

新連載「プータローネットワーク」と事務所の居候 [下関マグロ 第31回]

新橋にあるリクルートの『とらばーゆ』編集部に打ち合わせに行き、帰ろうとしたときに声をかけられた。

「増田くんじゃない、元気?」

村上麻里子さんだった。村上さんはかつて『ポンプ』という雑誌の事務局にいた人である。この『ポンプ』という雑誌はちょうど僕が大学に入学した78年に創刊されている。中身は今でいえば、ネットの掲示板をそのまま雑誌にしたようなものである。当時としては画期的な試みで、僕は創刊号からずっと買っていた。

僕は読者でもあったが、投稿者でもあった。その『ポンプ』がまさにネットのオフ会のようなことをはじめ、読者同士が集まるというということが行われていた。村上さんはそこの事務局にいた女性で、オフ会のサポートをしていた女性で、美人だった。僕はその、オフ会のような集まりに何度か参加したことがあったが、ライターの仕事をするようになってからは足が遠のいていた。

「村上さんがなんでこんなところにいるんですか?」 続きを読む

ついにライブの日程が決まった! [下関マグロ 第30回]

また夏が近づいていた。およそ一年前、荻窪のマンションに引っ越したのは夏真っ盛りの頃

2DK風呂付きで家賃は6万5千円と格安だったが、なにしろクーラーがついていないのは辛かった。ぼくは暑さには弱いのだ。

それまで住んでいた木造のアパートは風通しがよかったし、仕事がそんなになかったんであまりに暑いときはパチンコ屋で涼んだり、近所の喫茶店に行ったりしていた。

ところが、今いるのは、鉄筋のマンションである。クーラーがないのはつらい。最初の夏はとにかく我慢して、扇風機だけでやり過ごしたものの、今度の夏はどうしようかと迷っていた。 続きを読む

30歳までにライブをやるぜぃ! [下関マグロ 第29回]

僕らは、バンドを組んで、30歳になるまでライブをやるという目標ができた。とはいえ、時間はあまりなかった。なにせ伊藤ちゃんは半年後の1月23日で30歳になってしまう。急がなければ……。

そんなわけで、岡本くんを伊藤ちゃんが車でピックアップして、荻窪の僕の部屋に集まる日が増えた。バンドについての話し合いが目的だったが、いつまでもパートも決まらず困っていた。そんななか、最初に決まったのはドラムだ。人間ではなく機械に任せることにしたので、誰からも文句が出なかったのだ。

あるとき、2人がいろいろな機械とシールドやらを抱えて僕の部屋にやってきた。 続きを読む

バンドやろうぜ! [下関マグロ 第28回]

1987(昭和62)年、4月1日に国鉄が民営化され、JRグループとなった。<スキー田舎紀行>の取材をした3月はまだ国鉄だったが、原稿を書くときには「JR」と表記したのを覚えている。

ひとりで国鉄に乗って取材に行く<スキー田舎紀行>のスタイルは僕には合っていた。しかし、伊藤ちゃんたちとチームを組んで、スキー場へ取材に出かけることもあった。カメラマンや編集者といっしょに行動するのは、それはそれで楽しい。だが僕には大きな問題があった。それは夜のイビキである。いっしょに泊まる人たちには相当不評だった。朝起きたら、自分の周囲に堆(うずたか)く布団が積まれていたり、布団ごと廊下に出されていたりした。しかし、僕にはどうしようもできないのだ。とにかく集団で宿泊する仕事には向いていなかった。

この年の6月、僕は29歳になった。相変わらず伊藤ちゃんとはよく会っていた。学研でも会っていたし、僕が住む荻窪のオンボロマンションに伊藤ちゃんが来ることもあった。 続きを読む

スキー田舎紀行 [下関マグロ 第27回]

1986年の2月のことだった。

「ちょっといいかな?」

いつもの学研「ボブ・スキー」編集部で、ライターの細島くんに呼び止められた。

同年代の細島くんは、いつもスポーツタイプの自転車で編集部へやって来る、細マッチョで色黒な男だった。彼はライターでもあるが、「ボブ・スキー」では編集もやっていた。

編集部には社員の席以外にフリーのスタッフが座るデスクがいくつかあった。その日はフリーのデスクの一角に、細島くんだけが座っていた。僕が細島くんの前の席に座ると、彼はすかさずA4用紙を僕によこした。それは「スキー田舎紀行」と題された企画書であった。 続きを読む

パインの事務所にお別れ [下関マグロ 第26回]

久しぶりにパインの事務所に顔を出すと、事務所のレイアウトがすっかり変わっていた。

右手の壁際中央にパインのデスクがあるのは変わらないが、以前は全てくっつけて置かれていた他のデスクが、それぞれ離れて部屋の隅に配置されていた。伊藤ちゃん、伏木くん、坂やん、三角さんといった人たちの姿もない。かわりに奥の席で長髪の男が原稿を書いていた。

「あ、紹介するよ。バンドやってる青木くんっていうんだけど、仕事を手伝って貰ってるんだ」とパインが言った。

立ち上がって挨拶をした青木くんという男は、座ってるときの印象とは違い、えらく背が高かった。

僕が名刺を渡すと、青木くんは申し訳なさそうな顔をした。

「すみません、名刺ないんですよ」

「キミ、ライターさん?」 続きを読む