ず・ぼん9 ●特集:図書館の委託 わりきれない思いが、私たちの出発点だった 太田区図書館奉仕員連絡会の二年間

最長で五年という条件で大田区の図書館非常勤職員に採用された。が、五年目に入り、仕事に意欲と情熱を持っていて、なお図書館で働きたいと望んだとしても、やはり最初に五年までとあったから諦めるしかないのか。仕事がなくなるわけではないのに、やはり辞めなければならないのか。
大田区の図書館非常勤たちはまず「奉仕員連絡会」という連絡組織を作った。その後、この組織は労働組合へと形を変える。

文●熊倉京子  港区図書館非常勤職員

くまくら・きょうこ●一九五八年生まれ。自営業手伝い兼主婦生活を十年以上続けていたが、九七年四月、大田区の図書館に非常勤として就職。図書館の仕事がおもしろくなり、大田区の非常勤を辞めたあと、夏期講習で司書資格を取得。〇三年四月から港区の図書館非常勤に。港区立三田図書館勤務。

 今から七年前の一九九七年四月より、大田区立図書館一五館で「図書館奉仕員」という名称の図書館非常勤職員四五名が採用され、働き始めた。採用の際、任期一年、四回まで更新可(最長で五年)という条件が提示されていたが、五年目に入った時点で、六割の二八名が当初から働き続けており、あとから採用された者も含めて非常勤四五名のほとんどが図書館での仕事を続けたいと希望していた。「図書館非常勤の仕事がなくなるわけではないのに、なぜ五年で辞めなければいけないのか、もっと働き続けたい……」その思いの実現をめざして、図書館非常勤の労働組合「大田区図書館奉仕員連絡会」を結成し、区側に対し、雇用継続を求めたが、聞き入れられず、雇い止めされた。
 二〇〇二年三月、二八名が五年の任期満了で退職を余儀なくされたあとには、再任用(六〇歳定年後の職員)が配置された。組合員は大幅に減ったが、「奉仕員連絡会」は引き続き雇用継続を求めて活動を続け、辞めさせられた元非常勤も図書館の仕事への復帰に希望をつないだ。
 ところが二〇〇二年秋、大田区は図書館業務の一部委託を決めた。二〇〇三年度から三年にわたり毎年五館ずつ、中心館を除く計一五館を委託することになっている。図書館非常勤職員の新たな募集はもう行われず、いずれ図書館奉仕員はいなくなる。大田区の図書館で働きたければ、図書館業務を受託した民間会社に就職するしかない。「奉仕員連絡会」は、雇用年限の残っている組合員が任期満了となる約一年後には解散する他はなく、終わりの見えている組合となった。
 以下は、大田区の図書館非常勤が労働組合を結成した際に、執行委員として係わった上で考えたこと感じたことを、私の個人的な視点から述べたものである。組合員全員が私と同じ考えを持っているわけではないし、私たちの希望——図書館で非常勤として働き続けること——を実現させるための方法として「労働組合」というかたちをとることが最善であったかどうかについても異論があっただろうことをお断りしておく。

非常勤が入る前の大田の図書館の状況

 非常勤制度が導入される前の大田区の図書館は、職員に司書有資格者も多く、現在はほとんどない館間異動も行われていた。大田区の職員になってから二〇年以上図書館職場に勤務し続けているようなベテラン職員もいた。
 昭和三一年に区立図書館の第一館目(池上図書館)が開館して以来、大田区の図書館づくり構想は、すべての区民が平等に図書館サービスを受けられるよう、区内のどこに住んでいても歩いて行ける距離に図書館を作ろうという考え方のもと、各地域に多数の図書館を建設した。区内全域にバランスよく配置された図書館、そのシステムづくり、メールカー制度、豊富な蔵書、数多い司書有資格者の各館配置など、日本でも有数と評される図書館サービスを展開していた時期もあった。
 非常勤制度が始まった頃には、常勤職員は原則として五年で異動、館間異動もほとんどなくなり、図書館にいる間に司書講習を受けて有資格者となった職員も、時期が来れば図書館職場から出されてしまい、図書館に長くいるベテラン職員はしだいに減少していた。

非常勤の勤務条件と職務内容

 大田区には現在一六の区立図書館がある。一九九七年四月に図書館非常勤職員制度が導入され、中心館(大田図書館)を除く一五館に三名ずつ計四五名が配置された。区立図書館が土日祝日を開館するのに伴い土日出勤率の多い要員として勤務してもらうこと、また、非常勤職員にカウンター業務の一部を任せ、同数の常勤職員を減らすことによる人件費削減を図ること、以上二点が導入の主な理由であったと聞いている。仕事内容は、貸出・返却などのカウンター業務を中心とし、一日八時間勤務、月一三日出勤で月給約一二七、〇〇〇円(六年間に多少の増減あり)、四五名のうち大半を占める女性にとっては、扶養からは外れるが社会保険は自己負担という中途半端な所得である。
 「図書館奉仕員取扱要綱」なるものに定められている、奉仕員の職務内容は、(一)図書館資料の貸出し・返却・検索等のカウンター業務、(二)その他大田図書館長が特に必要と認めた業務、である。が、配属された館によって、仕事の内容や、任せる側の常勤職員の意識にかなりの違いがあった。
 私が配置された館では、勤務時間八時間のうち、半分の四時間はカウンターでの仕事、それ以外は事務室での仕事で、リクエスト本の処理と利用者への連絡、登録申込書のチェック、図書の受入の補助などをしていた。カウンター業務が仕事なのだからと、五時間をそれにあてて、他には特に決まった仕事を与えられなかった館もあれば、カウンターは基本的に三時間で、雑誌の受入れや、CDの装備を任されたりした館もある。児童担当として、お話し会を企画したり、読み聞かせをしていた非常勤もいる。
 常勤職員側の、非常勤に対する考え方も様々であったようで、非常勤だからとわけへだてされることもなくとても働きやすかったという者もいれば、アルバイト扱いをされたと不満を持つ者もいた。
 もちろん非常勤の側にも意識の違いがあり、与えられた仕事だけしていればよいし、そのほうが気楽だという考え方もあれば、改善したほうがよいと思うところはどんどん意見を述べ、仕事ももっといろいろ任せてほしいと意欲的に取り組む者もいた。
 人はいろいろな考え方を持って仕事に就くのだから、どんな職場であれ、そのような事情はきっと同じだろうと思う。ただ、五年目に入ってなお図書館で働き続けたいと望む非常勤は、この仕事に適性があったのだろうし、仕事に対する意欲と熱意を持っていたのは確かである。誰でも、自分の好きな仕事、やりたかった仕事に就くことができれば、今度はその仕事をできるだけ長く続けたいと思うだろう。私も図書館で働きだしてすぐにこの仕事が気に入ってしまった。

私個人のこと

 私が図書館非常勤の職に就いたのは全くの偶然で、家計の補助のために何か良いアルバイトはないかと探していたときに、図書館にある非常勤募集のチラシを見かけ軽い気持ちで応募したのがきっかけである。時々図書館に出かけて気に入った本があれば借りる程度の利用者であり、仕事に就くまでは「レファレンス」という言葉も知らなかった(非常勤の募集要項には「図書館業務に意欲のあるもの」とあり、資格や経験は応募の条件として必須のものではなかった)。司書資格も図書館勤務の経験もないのに採用されたのは、とても幸運なことだった。
 一年目は目の前の与えられた仕事を覚えるだけでせいいっぱいで、この仕事を客観的に見ることはできなかった。読書は好きだったので、大好きな本にいつも関わっていられる仕事に就けたことが単純に嬉しく、待遇や報酬についても、私のような立場の者(スタンダードな正規の雇用から一旦離れた主婦)が就職可能なごく普通のパートを考えれば、かなりいい方なのではないかと思っていた。更新は四回までということについては、そんな先のことまでは考えられないというのが正直なところだった。
 後に、連絡会ができてから、非常勤の三分の一が司書資格を持ち、資格がなくても図書館でのアルバイト経験者も多く、この仕事が全く初めてという者は意外に少なかったことがわかった。図書館で働いているのは司書資格を持つ常勤職員ばかりではないこと、非常勤の中にも図書館の仕事に対する希望や高い理想、深い見識を持つ人が少なからずいること、仕事場としての図書館に魅力を感じ、非常勤やアルバイトというかたちでもよいから働きたいと思っている人が大勢いること、等々、図書館界(?)新参者の私は全く知らなかった。図書館に関してはまだまだ知らないことばかりの私が、ここで大田区の図書館非常勤について何かを言うのはたいへん気が引けるし、本当のところ、たいへん気が重いのだが……(それにやっぱり、雇い止めされてしまったわけだし……)。

会ができる前の非常勤

 今振り返るとおかしなことだと思うのだが、四年目の終わり頃まで「図書館奉仕員」は意見を言う場がなかった。もちろん個々の職場の上司や職員は何かあれば快く話を聞いてくれたが、その一奉仕員の悩みが他館の奉仕員と共通性を持つものだとしても、他館の奉仕員はそれを知り得ない。図書館全体を統括する中心館の館長との懇談会も四年目までは一回もなく、常勤職員には毎年行われるヒアリングも、奉仕員に対しては強く希望した者以外には行われなかった。 
 一五館に三名ずつ散っている奉仕員は基本的に異動がなく、他館の奉仕員と顔を合わせるのは年に一回の辞令交付の時のみであり、辞令交付がすめばすぐ勤務先の図書館にとって返した。何という名前のどんな人がどこの図書館にいるのかは知らないままに過ぎてしまった。非常勤制度が始まる前から図書館でアルバイトをしていた者同士の交流が一部であったようだが、奉仕員全体で交流を図ろうという動きにはならなかった。
 同じ非常勤という立場で、同じ大田区の図書館で働いていたのに四年近く交流の場がなかったのは、不自然だし残念だったが、連絡を取り合うきっかけもなく、私も自分の勤務している図書館と目の前の仕事しか見ていなかった。

「奉仕員連絡会」をつくるきっかけ

 図書館非常勤が「奉仕員連絡会」という連絡組織を結成するきっかけを作ってくれたのが、常勤職員の組織である大田区職労図書館分会である。奉仕員のおおかたの者が雇用年限に不安を感じるようになる前から、分会役員の間では、更新回数に制限があることを問題視していた。制度四年目の一二月に、図書館分会は奉仕員全員に対するアンケートを実施した。

 アンケートの質問内容は、勤務日数、報酬、当初の決まりである四回更新五年勤務可能などの労働条件や業務内容について意見を問うものであった。奉仕員を一堂に集めて懇談会を開いたら参加を希望するかどうかについても尋ねている。
 結果は、勤務日数については適当という人ともっと多くしたいという人が半々、報酬についてはこの程度でしかたないという人が多数派だった。しかし五年雇用については、できればもっと働き続けたいという意見が圧倒的に多かった。奉仕員間の交流も、そういう機会があるのなら参加したいという希望が多かった。アンケート調査の結果を受けて、図書館分会が奉仕員の懇談会を設定してくれた。そこではじめて各館の奉仕員が顔をあわせて話し合うことができた。
 同時期に、図書館非常勤制度発足四年目にして初めて、中心館の館長との懇談会も開かれた。各館の奉仕員が日々どんなことを思って仕事をしているかを聞くという主旨で進んでいったが、雇用年限に不安を持つ奉仕員からの「五年までしか働けないんですか」という質問に対しては、「ええ、五年ということになってますから」という答えだった。私はこの懇談会の日まで、漠然とした期待であるが、図書館非常勤制度が続いていくかぎりはこの仕事を続けていけるのではないかと思っていた。今思うと何の根拠もない期待だったが。一年目の研修時に、この制度はまだ始まったばかりでこれからどうなるかは決まっていないという話を聞いて、期待を持ってしまったという奉仕員もいた。
 やはり、最初に五年までとあったのだからしかたがないのか。でも、私はもっとこの仕事を続けたいし、仕事がなくなるわけでもないのになぜ辞めなければならないのだろう。図書館のカウンター業務は、経験が生かされる仕事である。特にレファレンスにおいてそう言える。どんなに経験を積んでも、レファレンスに完璧に答えられるわけではないが、それだけに、難しいレファレンスを受けて、利用者の求める情報を探しあて提供することができたときの喜びは大きい。この仕事をしててよかったなと思う瞬間である。
 非常勤は、主にカウンター業務をするために雇われているので、常勤職員より多くの時間をカウンターで過ごしている。制度発足当時から働いている非常勤が、レファレンスについてはあとから異動してきた常勤職員よりもくわしくなり、教える場面も出てくる。そのように経験を積んできた非常勤を、五年の期限が来たからといって辞めさせ、新しい人を雇わなければならない理由は何だろう。資料にくわしい者がカウンターにいた方が、利用者にとっても利益になることなのに。このような疑問とわりきれない思いが私たちの活動の出発点になった。私たちは仕事を続けたい。そのためにはどうしたらよいのか。

連絡会の結成と最初にしたこと

 一回二回と奉仕員の懇談会が続くうちに、私たち独自の連絡組織の必要性が痛感されてきた。三回めの懇談会では、一〇年以上前から図書館非常勤制度があり、今では図書館専門非常勤職員として図書館サービスを支えているという練馬区の図書館協力員労働組合の方を招き、組合作りの話を伺った。
 五年雇用の最後の年の四月になって、やっと大田区の図書館非常勤は、自ら「大田区図書館奉仕員連絡会」という連絡組織を作った。会の目的は、勤務条件の維持改善と、奉仕員相互の交流を図ること。だが当面は、雇用の継続——五年を越えて働き続けること——を一番の目標として活動することになった。
 六月に、雇用期間の延長をお願いする「要望書」を、奉仕員全員の署名を添えて、教育委員会あてに提出し、社会教育部長、大田図書館(中心館)館長と一時間ほど話し合いの場を持った。要望の主旨は、業務が恒常的にあるのだから雇用継続への期待が生じていること、任期満了だからと辞めさせられれば私たちは失業者になり収入もなくなり生活に支障が出ること、区民との接点であるカウンター業務においてはレファレンスも含め常勤職員とほぼ同等の仕事をしていること、常勤職員の司書が減っているのでかわりに私たちを図書館専門の非常勤として長く雇い活用してほしいということであった。しかし、しばらくたっても何の返答もなく、話を聞いただけに終わったようだった。

連絡会が「労組」になるまで

 このままでは事態の進展は望めないと思い、労政事務所に相談し、アドバイスを受けながら労働組合結成を考えるようになった。「労働組合」という言葉は、イメージが悪い。なじみのない者にとってはある種の拒否反応を誘う要素があるように思う。私も「組合ってストライキして賃金上げろとこぶしを振り上げるあれ?(かなり古いイメージかもしれないが)なんだか気が進まないなあ……」と思った。
 労働者が就職するとき、希望どおりの労働条件で採用されることは少なく、多くの場合、使用者によってあらかじめ決められた労働条件を呑んで採用される。そこでは使用者の力が強く、労働者が条件を変えてほしくても希望がかなえられることはあまりない。その時に、組合の力が必要になるのだという。
 要望書提出のとき、のちの団体交渉のときに、私たちが言われ続けたのは、「五年というのは最初からの約束だ」「あなたたちは五年という条件をわかっていて、非常勤に入ったのだろう」「その条件に納得しないのなら入らなければよかったじゃないか」というものだった。
 私たちの要望は「わがまま」なのだろうか。一度その条件で入ったら変えてほしいと望んではいけないのか。でも私たちのほとんどは、好きでこの仕事に就いているのだから、意欲を持って働いてきた。また働き続けることにより、図書館の現状に対して貢献できることもあると思った。それに、五年たったからといって、使用期限切れのモノみたいに使い捨てにされるのは納得がいかなかった。
 私たちの訴えをビラにして撒いたり、署名活動に取り組んだときにも様々なご意見をいただいた。「補助的な業務なんだから、五年で切られても仕方ないんじゃない?」「でも役所なんだから五年は保障されているわけでしょう。民間はリストラもあるし、もっとひどい。それよりもいいじゃない」等々。
 常勤職員は、異動により同じ部署にずっといることはできないにしても、終身雇用が保障されている。私たちは、非常勤の部分で途中から入ったのだし、最初からそういう約束なのだからわがままをいってはいけない……、カウンター業務で常勤と同等の仕事をしていて一時間あたりの賃金が常勤の三分の一でも、最初からそういう約束なのだから文句をいってはいけない……のだろうか?

 たとえ最初にその条件を呑んで採用されたのだとしても、現状に見合わない点の見直しを要求したり、安心して働けるような条件に変えてほしいと要求したりするのは、労働者としてあたりまえの権利である。要求を実現する方向に一歩でも近づけるための方法として、労働組合は必要なものであると、今は思っている。たとえ結果が望みどおりにならないとしても。
 常勤職員は、就職した時点で、すでにそこにある労働組合に加入する場合がほとんどだろう。非常勤である私たちには、そのような組織はなかった。何もないところから非常勤が労働組合を作るとき、その目的とするものは何だろう。例えば、当初私たちは、一日単位でしか休暇をとることができなかったが、現在では時間休もとれるようになった。これは、組合として声を上げたから実現したことで、一つの成果といえるだろう。でも、何といっても、常勤と非常勤との間にある身分の上下関係のようなものを感じさせられることが少なくなり、誇りを持って仕事ができるようになること、短い勤務時間でも仕事の内容が同じであれば、時間あたりの賃金は同等にしてもらうこと、つきつめていけば「均等待遇」が理想であり、それが組合の目指すところではないだろうか。
 しかし、組合を作ろうかどうしようかと迷っているその時の私たちは、遠い理想よりも、とにかく目前に迫っている雇い止め問題に取り組まなければならなかった。労働組合であれば、一人では言えないことが、労使対等の立場で主張できる。結果を保証するものではないが使用者と交渉できる。また団体交渉を申し入れれば相手はそれを拒否できない。これらのことが、労働組合を作るメリットであると知った。私たちの要望はわかったが、聞く気はないという教育委員会に、再度話し合いの場を設けてもらうには、やはり労働組合として団体交渉を申し入れるしか方法がないように思えた。
 その時点で連絡会は、図書館非常勤四五名中四一名で構成されていた。組合を作るかどうかについて、会員にアンケートをとった。連絡会を組合にしたほうがよいという意見が多かったが、組合に対する拒否反応を示す人もたしかにいた。その後、連絡会を「労働組合」とする際に、それなら会をやめるという人は一人も出なかったのではあるが。
 「組合にすれば区側と交渉できる」とはいえ、交渉してもこちらの主張がとおる保証はない。五年という「決まり」を変えるなんて、聞き入れてくれるわけがないだろうという半ばあきらめの気持ちも多くの会員が持っていたと思う。

連絡会が「労組」になってから

 七月末、連絡会は、規約を労働組合の資格要件を満たすものに改正し、労働組合「大田区図書館奉仕員連絡会」として、事態の進展を目指すことになった。
 八月末、教育委員会に、組合の結成を通知し、団体交渉を申し入れたが、何度連絡を取っても「今は忙しい」「まだ準備が整わない」等と言われ、応じてもらえなかった。一回目の団交が開かれたのは、申し入れから一カ月半を過ぎた一〇月半ばである。
 「奉仕員取扱要綱」に当初から「更新四回」とあるのは知っていたが、これに異をとなえれば採用されるはずもなく、「従属契約」である。なぜ四回でなければならないのか、合理的な理由を示してほしい。単に区の方針として決めただけなら、図書館の現状を鑑みて、変更してほしい。団交ではこのようなことを主張した。区側は、「話は聞いたので検討する」という。
 ところが、これから何回か話し合い、協議、検討していくのだろうという期待は裏切られ、一一月初めの二回目の団交では、冒頭で「更新回数四回は変更しない」と「回答」し、それ以降の団交申し入れには「同じことの繰り返しになるから」と応じてもらえなかった。
 使用者が団交に応じてくれない場合はどうするか。労働組合と使用者の当事者間で問題が解決しない場合、第三者機関である地方労働委員会に調整をゆだねる方法がある。

 一一月、連絡会は、東京都労働委員会に「団交促進」で「あっせん」を申請した。団交にも応じてもらえない状態は不当であるとして、団交を促進するように求め、あっせんしてもらうのである。一回目のあっせんで事情説明、二回目のあっせんで立ち会い団交をした。労働委員会の委員の方も、団交でのこちらの主張の主旨に理解を示してくれたが、三回目のあっせんで大田区側が「図書館奉仕員はもう募集しない」と発言したため、あっせんは中断した。あっせんは奉仕員制度が続いていくことを前提に行われており、奉仕員がいなくなり前提がくずれてしまうのでは、交渉自体が成り立たない。労働委員会からは、あっせんをいったん中断して、当事者どうしで自主団交するよう示唆された。二月初めに自主団交をしたが、区側は「二八名が辞めてもサービス低下については心配していない、そのあとには再任用職員を配置するつもりだ」と述べるのみで、進展のない話し合いに終わった。

自治労加盟との交渉の結果

 雇用期限が来る三月末まであと一カ月半というところで膠着状態になってしまった。その頃、自治労都本部(労働組合を束ねて、かわりに交渉もしてくれる上部団体)から加盟してはどうかという話があった。「非常勤職員のあとに再任用職員を置くのは不適切」だという総務省の見解も出ているので、区側が非常勤のあとに再任用を配置するといっているのはおかしい。その点を突いて、かわりに交渉していただけるということだった。
 二月末、連絡会は、東京都労働委員会のあっせんを取り下げて自治労に加盟し、雇用継続問題についての交渉を、上部団体である自治労都本部に委任することになった。三月初め、都本部の担当者が区側に交渉に行ったが、時すでに遅く、もう来年度の体制は決めてしまったので時間切れであり解決は困難とのことで、私たちは後日その報告を受けた。雇用継続とはならなかったが、次年度の復帰の道を探って、連絡会の活動は続いていくことになった。しかし、先にも述べたとおり、次年度の秋には図書館業務委託が決定し、図書館非常勤は雇用年限が終わり次第雇い止めになることとなった。
 区との交渉を進めていく中で、私たちが主張の根拠としたものは、「労働基準法第一四条」である。大田区の図書館非常勤は、地公法三条三項の三により任用されている。そのため、私たちには民間会社の社員と同じ、労働基準法、労働組合法が適用される。労基法一四条によると、期間の定めのある雇用契約は一年までしか結べないのだから、それを繰り返して四年を越えて働き続けている私たちはすでに期間の定めのない雇用契約と見なされるべきではないか、年度ごとの更新の書類も形式的に出してきたもので、業務内容も恒常的であるため雇用継続への期待も生じている。このような主張は、民間の場合は認められることも多いのだが、自治体との契約においては、実際に裁判で負けている判例もあり、法的にも確定していない部分であるらしい。

 しかも、私たちが要望書を提出した同時期に、区は「おおた改革推進プラン二一」の中で、大田区の全ての非常勤職員の雇用は最大で五年にするという方針を打ち出していた。私たちの主張はその方針に真っ向から異をとなえるものだった。区が出したばかりの方針を変えてほしいというのは、ある意味、無謀なことでもあると自治労都本部からは指摘された。
 私たちは、何をどうすればうまくいくのか、よくわからないままに無我夢中で、図書館分会や労政事務所のアドバイスを受けながら、いろいろなことをやってきた。区役所の前でビラをまいたり、雇用期限五年の見直しを求める署名活動にも取り組んだ。常勤職員にも応援してもらい、大田区職労大会では、「非常勤を再任用に置きかえることに反対し、奉仕員連絡会を支援する決議」も採択された。しかしこれらの活動に、雇用を切られようとしている現状を、変える方向に持っていく力があったとは思えない。この事態に対する影響力があったとは思えない。
 団体交渉の場で、こちらの出した要求に対して「持ち帰り(上層部と)検討する」という答えが返ってきたことにも端的に表れているように、その方針を決定し、あるいは変えることもできるところと交渉する現実的な力が欠けていた。教育委員会と表面的なやりとりはできても、実際に決定権を持つところ、事態を動かせるところに働きかけることは最後までできなかった。それに、区側が「検討する」と言ったところで、ほんとうに検討しているのだという姿勢は全く感じられなかったのである。
 と、このように述べてくると、苦しく、悲しく、つらいことばかりだったみたいだが、実際のところはそうでもない。ビラまきや団交など、めったなことでは経験できるものではなく、「えーっ、こんなことするの?」といいながらも、仲間と励まし合いながら、けっこう楽しくやってきたようなところもある。貴重な経験をさせてもらった。
 図書館の仕事に思い入れを持ってしまった私は、失業中の身である昨年の夏、数人の元非常勤仲間とともに司書講習を受けた。皆、めでたく資格を取得し、委託先の社員に採用された人もいる。私は現在、港区の図書館非常勤をしている(こりないヤツ)。

雇用止めのあと

 大田区の図書館非常勤制度は、発足から六年目の時点で順次廃止の方向が決定した。区の図書館委託案に、大田区職労、図書館分会は反対し、連絡会も歩調を合わせてきたが、委託を止めることはできなかった。委託が経費の面で本当にベストなのか、図書館業務が区職員と委託会社の社員とで分断されても支障が出ないのか、いろいろ問題点は指摘されているが、民間でできることはなるべく民間でという流れは続くのだろう。奉仕員連絡会は、区に、図書館非常勤としての雇用継続を求め、雇用年限をなくしてずっと働けるようにしてほしいという無謀な要求をして、みごとに(?)敗れ去ったわけだが、それでも私たちのおおかたは、「図書館で働くこと」を望んでいる。前年度の終わり、図書館業務を受託した会社が求人広告を出すのを待って、私たちはそれぞれ個別に就職活動を行った。
 二〇〇三年度に委託された五館は、すべて違う業者(うち一館はNPO)が受託したため、状況は複雑で予想以上にきびしかった。月給制の契約社員(一年契約、更新可)の二〜三名の枠はあったが、大部分は時給八〇〇〜九〇〇円のパートの募集である。非常勤であったときの報酬を時給に換算して考えれば、確実に条件は下がっている。それでも昨今の就職難を反映してか、応募が殺到したらしい。若い人の応募も多く、年齢的にハンデのある元非常勤は苦戦を強いられた。希望どおりに就職できた者ばかりではない。
 私もいくつかの会社や自治体に応募してみて、実感した。図書館で働き続けることは難しい。私の立場ではもう常勤職員にはなれないし、なれたとしても、司書職制度を採用していない東京二三区では異動があり、ずっと図書館にはいられない。非常勤職員になっても十分な収入は得られないし、図書館の委託の際に雇用を切られてしまうおそれがある。委託先に就職しても、区との委託契約が一年単位であるため、社員としての契約も一年までであり、次の年に契約できるという保証はない。しかも労力のわりに満足のいく収入は望めない。図書館で働き続けながら、安定した雇用と、生活を支えるのに十分な収入を得ることは、ほとんど不可能なのではないか。そのようなポジションにつくことができた人は、たいへん幸運な人なのである。

最後に

 結成して三〜四年でいずれ解散という方向が決まり、徒労に終わった感のある「奉仕員連絡会」だが、それでもこの活動を通して得たものは少なくない。「図書館非常勤交流会」では、東京都の図書館非常勤職員が区の垣根を越えて集まり交流している。そこに参加して、学んだり励まされたりしたことが、大田区での活動の活力にもなった。参加する機会が私たちに与えられたことをとても感謝している。
 「奉仕員連絡会」ができなければ、大田区の図書館非常勤が集まって話し合い、ともに悩むこともなく、それぞれバラバラに辞めていったかもしれない。声を上げることもなく、問題を提起することもなく辞めていったかもしれない。そう考えると、連絡会は本当に必要だったのだと今は言い切れる。現在も、少人数の組合ではあるが活動は続いている。現奉仕員の雇用保障を求めるなど、まだ取り組むべき課題も残っている。
 最後に、お互いに支え合ってきた組合員のことばを一部紹介したい。私も思いは同じである。
 「組合活動をすすめていく中で職場に変化がでてきた。はじめは奉仕員に対する(正当な)認識はほとんどなかった。失うことよりも得ることのほうが多かった」
 「奉仕員の経験力だけで雇用の確保を結実化することはできなかったけれど、この経験が、委託業者のスタッフ、奉仕員、あるいは区の内外で図書館業務に就く職員など、それぞれの道へ進んだ時、互いを思い合える原動力として発展できればいいと思う」
 「大田区の図書館、図書館を考えるという基本的な面を、組合活動、職員との交流の中で、不毛でもその視点を見失うことなく関係が続いていくことを願います。今後とも共に考え合っていけたらと思います」

 「この二年間の活動の成果については、人によりとらえ方もまちまちでしょう。二年間声を大にして訴え続けてきた雇用の確保については一〇〇%ではなかったかもしれませんが、非常勤の位置付けや、図書館業務の在り方、区の姿勢や内情などについて、様々な立場の方たちと意見の交換をする事により、あらゆる視点からとらえることができ、一奉仕員としては得ることのできない、たくさんの情報を得、たくさんの事を考え、たくさんのつながりができました。奉仕員連絡会の目的の一つ(よりよい図書館のための意見交換、交流)に焦点を合わせるならば、私たちの組合活動は決して、無駄なものではなかったと思います。奉仕員連絡会を通して得た経験は、私の今後の仕事に確実につながっていくことと思います」

〈追記〉

 ここまでの原稿を書いていた頃、私は港区の図書館非常勤になったばかりで、それから一年近くが過ぎた(現在二〇〇四年二月)。読み返してみて、今の気持ちとかなり違うのに驚いている。
 大田区の非常勤として雇用止めに必死に抵抗していた頃は、「契約期間が最初から五年だったんだから、そんなの無理に決まってるじゃない」と言われると、「そりゃそうだけど、でもね…」と反論していたが、それは非常勤制度がずっと続くという前提にたっての話で、今までの人を五年で辞めさせて、また新しい人を雇うなら私たちに続けさせてよと主張していたわけである。
 ところが、ここ二年で、東京二三区の公立図書館の一部業務民間委託はどんどん広がり、今や図書館非常勤は絶滅寸前(?)職種である。図書館職場のリストラ(人件費削減)をすすめるために、一部の区では常勤→非常勤化しているが、それは少数派。多くの区は民間への業務委託を選択している。そりゃあ非常勤を直接雇うより、業者にどーんとまかせてしまったほうが楽だろう。それに非常勤は組合作ってうるさいこと言ってくるし…。

 図書館の委託が進むと、そこで働く多くの人は、時給八〇〇〜九〇〇円で雇われるパート・アルバイト労働者となる。あまり良い条件でないことは確かで(非常勤は常勤に比べ待遇がよくないんですと今まで言ってきたのだが、それより更に低い条件になってしまう)、図書館で働きたければ、そういう形で雇用されて働くしかない立場としては、なんだかやりきれない思いである。
 私が現在勤務している港区でも、図書館での業務委託を検討している。一〜二年後、私は図書館非常勤でいるのかどうか、先のことはわからない。