ず・ぼん5●[ながおかの意見]自分には優しく、他人には厳しい人!? 出版業界で生き抜くための「処世術」とは

[ながおかの意見]自分には優しく、他人には厳しい人!?
出版業界で生き抜くための「処世術」とは

長岡義幸
[1998-10-24]

長岡義幸●フリーランス記者
ながおか・よしゆき●一九六二年、福島県生まれ。主な取材テーマは出版流通、言論・出版・表現・流通の自由、子どもの人権、労働者協同組合など。
著書に『物語のある本屋』(共著、アルメディア刊)。
本稿に対するご意見・ご感想などがありましたら、こちらまで、お寄せ下さい。

フリーであるということ

 クレジットカードをつくるとき、職業を「フリーライター」にするとたいていの場合、審査ではねられてしまうそうだ。ところが、何度試みてもカードをつくれなかった知人が最後に生業を「文筆業」として申請したらすんなりと発行されたという。
 書類上は肩書き以外、なんの違いもない。フリーライターも文筆業もやっていることは同じだ。けれどもクレジット会社にとっては決定的に“信用力”が違うということだろうか? 申込み者にとっては趣向を変えた便法にすぎなかっただろうに……。
 ぼくは「雇われ人」をやめて「自由業」になってから五年あまりになる。サラリーマン時代は業界紙の記者。取材して書くのが仕事だった。テーマを別にすれば、いまもやっている作業そのものはほとんど同じ。取材して記事を書く記者だ。
 ただしどこにも属していないから「フリーランス記者」あるいは「フリー記者」を名乗っている。肩書きはただの記者でもいいのだけれど、組織から“自由”になって、それなりに自分の主張や意見を言いたいという気持ちもあるのでフリーランスをくっつけているのだとこじつけることもできる。口の悪い知人からは「フリー記者ではタダ(無料)で文章を書くといっているようなものじゃないの」と茶化されることもある。まあフリー記者の呼称は、自分が名乗る以前に見かけたことがないので、それなりにオリジナルなものだとは思っている。

 とはいえ、ときには記者という呼称を聞くと新聞(日刊紙)だけを舞台に仕事をしていると思い込む人もいるので、説明が面倒なときは一言「ライター」と名乗ることもある。所属がないのに「記者」を自称する人は身近でもそんなに多くないから、初対面の人に「フリーの記者の長岡です」と自己紹介しても、「フリーライターですか」と問い返されたことが幾度となくあるからだ。

フリー記者を名乗る理由

 別な呼称を考えないこともない。かつてもいまもぼくにとって「ルポライター」はあこがれの“職業”だ。でもぼくごときがルポライターを自称したのでは先達に申し訳ないと思う。気恥ずかしさもある。「ジャーナリスト」あるいは「フリージャーナリスト」という呼び名も自分でつかうことはない。編集部が独自に「出版ジャーナリスト」の肩書きをつけていたり、別な雑誌では「フリーの方の肩書きはルポライターかジャーナリスト、フリーライターのどれかに統一しています。ジャーナリストでいいですか」と編集者に確かめられたのでそうしてもらったこともあるけれど、自分としてはどうも落ち着きが悪い。
 それはジャーナリストという言葉にどことなく権威主義的なにおいを感じてしまうからなのかもしれない。たとえば、出版ジャーナリストの呼称をつけた編集部にしてからが、ぼくの記事だからというよりも、フリーライターが書いた記事とは違う“重み”を誌面に持たせたかったかのように感じとれた。

 けれども自分からフリーライターとは名乗りたくない。もちろんクレジットカードがつくれないからではない。それはぼく自身、「フリーライター」になりたいと思ったことが一度もないからだ。
 ぼくは経験がないが、同業者の話を聞くと、世間には「フリーライターになりたい。どうすればなれるんですか」と尋ねる人がいるそうだ。これがとても不思議でならない。なにか訴えたいこと、知らせたいことがあるからこそ、書くという作業をするのではないのだろうか。その前提として、いまは流行らない言葉だけど「問題意識」がなければなにもはじまらないし、その問題意識をベースに、文献調査や実地の取材をし、試行錯誤があってはじめて文章のかたちになるはずだと思うからだ。
 だからほんとうは文筆を生業にしたいという人には「これこれのことが書きたい。そのためにはどうしたらいいのか」と質問してほしいという気持ちがある(ただぼくはそんな偉そうなことをいえる仕事をしていないのだけれど。それに問題意識がなくたって後からついてくることもある。そういう仕事の受け方をぼくもよくしている)。
 しかしなんとなくフリーライターになってしまう人はかなりいるようだ。内容を問わなければけっこう仕事もたくさんあるらしい。ぼくの偏見かもしれないが「フリーライター」を名乗ってしまうと、「問題意識はありません。でも要領よく文章をまとめることは得意ですから好きなように使ってください」とでも宣伝しているような居心地の悪さを感じてしまいそうだ。
 もちろんぼくがそう思っているだけのことでしかなく、フリーライターを名乗る人のなかにはぼくが及びもつかないすばらしい仕事をしている人が大勢いる。人それぞれ肩書きにはいろいろな思いが込められていることは言わずもがなだろう。

フリーランス蔑視の風土

 肩書きをめぐっては、本末転倒だと思えることもあった。ある雑誌で仕事をしたとき、ほかのフリーの社外執筆者はすべてフリーライターの肩書きだったところに、ぼくはフリー記者の肩書きを明示してくれるように頼んだ。いまはその編集部とは疎遠になっているのだけれども、最近たまたまその雑誌を書店で手に取ったら、所属をもたない執筆者の肩書きが全部フリー記者に統一されていたのにはびっくりしてしまった。
 ぼくがフリーライターを名乗りたくない最大の理由は、その呼称がまさに編集者側からすれば“一〇〇円ライター”のごとく使い捨てにできるといったイメージを伴った存在でもあるからだ。
 かつて書き手をフリーライターで統一していたその雑誌では、編集者の“好み”が優先するかのような押し付けがましさ、あるいは書き手を見下ろすかのような高圧的な雰囲気が漂っていた。署名であるのに執筆者の原稿に勝手に手を入れてもなんの連絡もなく、もともと上手ではないぼくの原稿をもっとひどい悪文に変えてしまうことも再三だった。もちろん書き換えられていい文章になっていれば感謝もするだろうが、仮にそうであっても執筆者に一言確認するのが本来の編集者の姿勢だと思う。
 だからその雑誌がフリー記者に呼称を変えたのをみて、なんとも悲しい気分になった。なぜフリーライターと呼ばれるのをぼくが嫌がったのかを編集者は理解できていないだろうし、それなのに言葉だけを変えていまもフリーを一〇〇円ライター扱いしているのは想像に難くない。

 問題は、仕事を出す側が「フリーライターごときが」という差別感を隠しながら、社外執筆者を廉価かつお手軽な外部労働力として扱おうとすることだ。「どうせ使い捨てのライターだからこきつかってやろう」という相手側の魂胆に乗っかるような働き方をぼくはしたくない。
 そんなわけで、ぼくにとっては「ライター」でも「ジャーナリスト」でもない「記者」の呼称は自分なりのこだわりの反映のつもりでいる。当然「フリーライター」はフリーライターとして、「フリージャーナリスト」はフリージャーナリストとして、尊厳をもって仕事ができることが理想だ。
 文筆業だとクレジットカードを持てて、フリーライターだとクレジットカードが持てないなんて、ほんとうにばかばかしい話ではある。

「新聞記者」の処世術

 朝日新聞社を退職後も「新聞記者」の肩書きを使いつづける本多勝一は、新聞記者にこだわりがあると書いていた。『週刊金曜日』という雑誌を立ち上げはしたものの、いずれは「まともな」日刊紙を創刊したいという意思の表明であるようだ。それはそれでけっこうなことだ。彼の「ルポルタージュ」と冠した膨大な著作群、しかも言葉の上では首尾一貫しているかのように見える明快な“論理”の開陳によって、本多勝一は「ジャーナリスト」を目指す若者のあこがれ的な存在として影響を与えつづけている。彼に刺激を受けて「新聞記者」になった人も数知れないことだろう。

 けれども彼は自分の新聞記者という肩書きを大切に思うほどには、他者の肩書きを尊重していないようだ。ここ最近の『噂の真相』や『創』では「フリージャーナリスト」を相手に口汚ない罵倒を浴びせ掛けている。しかもフリーに対する差別丸出しの傲慢な発言だ。
 問題の係争をかいつまんで書くとこういうことだ。
 リクルート事件が朝日新聞横浜支局のスクープで発覚する一年前の一九八八年四月、朝日新聞社の社員や家族がプライベートでリクルートの関連会社が経営する安比高原スキー場で二泊三日の旅行を楽しんだ。ツアーの手配はリクルート広報室が行い、現地のホテルの宿泊費やリフト代はパック旅行でもあり得ないような格安料金だった。さらに旅行参加者らはリクルートの江副浩正会長(当時)に夕食を振る舞われ、その翌日にはメンバーのひとりが帰郷のために江副氏が頼んでいたヘリコプターに便乗するというおまけまでついていた。
 この“事実”を掴み、雑誌『Views』(講談社、現在休刊)九七年一月号に「朝日にもあったリクルート汚染」の記事を書いたのがフリージャーナリストの岩瀬達哉氏だ。プライベート旅行の実態は「接待」だったと記し、「このスキー旅行も株譲渡と同じ意味を持つ『懐柔策』であり、朝日の大記者たちはまんまとその罠にはまった」と書いた(今年六月に刊行された『新聞が面白くない理由』〔講談社刊〕に岩瀬氏の連載記事がすべて収録されている)。
 これに怒ったのが朝日新聞社の元「大記者」の面々たち。『Views』の記事には旅行参加者の実名は出てこないが、ひとりは「天声人語」の執筆者だった編集委員(当時)の疋田桂一郎、そしてもうひとりが誰あろう本多勝一(現在、株式会社金曜日代表取締役社長)だった。

 本多はこう反論している。接待だったというのは「虚偽をもとに捏造」、代金の一部を払っていないというのは「かんじんの事実が大間違い」だと。さらには「岩瀬のいうとおりであれば、私は『ジャーナリスト』としての過去の全著作を破棄して筆を折る」と啖呵を切ってみせた。
 リクルート広報室がスキー旅行のために新幹線の予約を行いホテルを確保したこと、江副氏のお金で会食をしたことは争いのない事実らしい。問題は朝日社員らが支払った金額が適正なものだったのか、そうではなかったのかということになっているようだ。この点はお互いがそれぞれの言い分を実証してもらうしかない。

フリーランスは「飼い犬」「傀儡」?

 さて、肝心の「フリー差別」だ。本多は岩瀬氏らにこう悪罵を投げかける。〈講談社のカイライの役割しかない〉〈飼い犬なんか攻撃したってしょうがない〉〈飼い主が鈴木(『Views』元編集長のこと)。さらにその上には講談社という不法集団体制がある〉……。同時に、岩瀬氏をはじめとした関係者らに対しては〈ヨタ〉〈クズ〉〈カス〉と罵倒のオンパレードだ。
 もうバカも休み休みいってほしい。岩瀬氏とそれにかかわりのある人間を揶揄する文章のつもりかもしれないが、フリーを出版社の「飼い犬」呼ばわりする心性が許せない。

 媒体の傾向とそこの執筆者を同一視したり、似通ったものと判断するのはよくあることではある。執筆者の主張や研究テーマ、言動、取材活動にある種の評価が働いたからこそ、編集者が執筆を依頼するのだから、雑誌の編集方針を踏み越える言説が掲載されることはそうそうないだろう。けれども、だからといって外部執筆者は媒体や出版社に従属する「傀儡」でしかないのだろうか。
 本多はこうも書く。岩瀬氏を〈捏造記事のライター〉と——。岩瀬氏はジャーナリストを名乗っている。本多は「反権力ジャーナリスト」を自称しているらしいから、自分以外の〈ニセモノ〉には「ジャーナリスト」の呼称をつかわせたくないとでもいうのだろうか。
 また、ぼくは読んでいないから孫引きでしかないのだけれど『週刊金曜日』には『Views』編集長と岩瀬氏を〈卑しい職業の例にあげられる売春婦よりも本質的に下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中である〉と書いているそうだ。編集者・執筆者に対してはもちろんのこと「売春婦」をも二重に差別する「本質的に下等な、人類最低の、真の意味で」悪質な言説を撒き散らしている。こんな反論を書かざるを得ないぼく自身がなんとも卑しい気分にさせられてしまう。
 その一方で本多は、仲間の疋田を〈長年にわたる記者活動と名文・名ルポは誰しも認めるところだったから、役員待遇になった上「日本記者クラブ賞」を受賞している。私なども入社以来その記事に教えられつづけていた〉と誉めちぎる。朝日新聞社という組織に守られた社員記者が「役員待遇」になり「日本記者クラブ賞」なる身内の賞をもらったのがそんなに立派なことか。恐るべき権威主義というほかない。
 そういえば、本多ははかつて小説家の大江健三郎氏を商売に長けた「文筆業者」と批判したものだった。今回も岩瀬氏を本多流レトリックを駆使して「文筆業者」と罵っている。
 ぼくは本多の「文筆業者」の言葉の裏にはこういう感情が含まれていると思う。「俺は新聞記者として直接的な金銭の見返りを期待しないで記事を書いてきた。自由業の売文屋どもはお金のために原稿を書いている」と。しかし文筆活動だって経済活動のひとつだ。ぼくも取材・執筆を生業にしている文筆業者だ。文筆業者であることを本多流「文筆業者」としてなぜ揶揄されなければならないのだろうか。

 高みに立った自称「新聞記者」のフリーランス差別・自由業差別には不快感しか残らない。クレジット会社なんかとは比較にならない差別が、実は民主的そぶりで人権や反権力を語ってきた人物の心のなかにあった。

アイスクリームを食べて解雇!?

 いままでの文章とかかわりはあるのだけれど、少し話を変える。
 日本出版労働組合連合会の機関紙『出版労連』(八月二四日付)に「“人権の明石書店”で人権無視の解雇」という記事が載っていた。記事によると、今年四月、新卒で入社したばかりの社員(女性)が「六カ月の試用期間中に適不適の判断をし採用するかを決めると本人に言ってある。会社は不適と判断した」(会社の説明)という理由で解雇されたという。この女性は出版労連傘下の東京出版合同労組ユニティ分会の組合員だ。
 世間は不況風が吹き、企業の倒産やリストラが相次いで、会社から締め出された失業者は何百万人にもなっている。山一證券のように、つぶれるはずがないと思われてきた「大企業」の労働者でさえ、安閑としていられない時代だ。中小・零細企業ならなおさらのこと。出版業界だって例外ではない。

 しかし、明石書店の六カ月の「試用期間」というのがそもそも公序良俗に反する。この一点だけでまさに不当解雇だ。しかもこのところ横行している「リストラ」という名の首切りでさえ、企業側に厳格な要件を課しており、本来はおいそれとはできない。もちろん労働者には徹底的に「整理解雇」に抵抗する権利がある。
 『出版労連』の記事はこう続く。〈三回にわたる団交で、解雇の具体的理由を追及したところ、(1)コピー取りで何度もミスがあった、(2)電話対応がまずく、外部からの複数のクレームがあった、(1)(2)の改善が一向に見られない、(3)二年ぐらいしたら他に転職すると複数のものに言い放っている、これでは会社としてたまらないの三点を挙げている〉
 〈しかし、Aさん(記事では実名)は、コピーの件はバイト時代を含めて二度ほどで、その後は注意している。電話対応については、本人から「これでいいでしょうか」と周囲の人に尋ねたりしており、会社からは注意・指導が特にされていなかった。また、転職の件は、会社側も、同期に入社した人が四月頃に聞いたという以外は事実をつかんでいない。むしろ、解雇を示唆されて以降の会社との話し合いで、「入社数カ月で解雇はひどい。せめて、二〜三年は仕事をしたい」という発言を、「二年でやめるといっている」と捻じ曲げているにすぎない〉
 会社の言い分はいわば揚げ足取り。“本質”は別のところにあると記事は指摘する。〈解雇通知を受け取る前の(Aさんと)社長との直接の話し合いで、社長は「君の立ち振る舞いが気に入らない」「君がアイスクリームをおいしそうに食べているのを見ると気持ちが悪くなる」などと発言しており、会社の言う解雇理由は単なる口実にすぎず、むしろ社長の個人的な好き嫌いによる恣意的判断にすぎないようだ〉〈明石書店では、このような社長の独断によると思われる一方的な解雇がこれまで何度もおこって〉いるという。
 そのうえ、この社員の机の引出しを開けて、アンパンの食べ残しがあったと非難しているそうだ。人権もへったくれもない。まるで学校の私物検査だ。いや学校が治外法権とはいっても、暴力教師ならいざしらず、日ごろ人権を標榜していた教師がこんな“実力”を行使することは希だろう。

 「“人権の明石書店”で人権無視の解雇」という『出版労連』の見出しは嫌みにすぎる。ほんとうは「人権書を出版する出版社だからこそ、足もとの労働者の人権を見つめ直せ」と訴えたほうがいい。明石書店は『子どもと人権双書』といった素晴らしい本を出しているのだから、理論だけでなく実践で範を示すためにも、直ちに人権侵害をあらため、Aさんに謝罪のうえ職場に戻すことを決断してほしいと強く思う。

出版内容と労働者の権利との相関は

 ところが、悲しいかなこんな話は出版業界では掃いて捨てるほどある。
 たとえば子どもの本や障害者の人権を考える本などで知られる偕成社では、十六年前に時給三十円のアップを求めて臨時労働者が労働組合をつくったら「アルバイトごときがなにをいう」と怒った経営者が組合員二十数名全員を解雇した。「民主主義の擁護」を標榜していたという当時の社長(現会長)によってなされたことだ。解雇撤回・原職復帰を求め続ける偕成社関連企業労働者組合に対しては「社屋に入れば直ちに牛込警察署に通報する」と記された張り紙をして、公安刑事を差し向けるということをいま現在もやっている。専務の口からは「バカヤロー」「お前らとは話し合う必要はない」と罵詈雑言も繰り返されている。ぼくも彼の声をこの耳で聞いた。ときには専務の部屋がある四階から組合員の立っていた歩道に向けて唾を吐きかけてきたこともある。会長の娘婿である現社長は組合から逃げ回るばかりだ。
 『ノンタン』シリーズや『はらぺこあおむし』に感動した子どもたちは、その本を出している出版社が“人を人とも思わない”企業だと知ったら、いったいどう感じるのだろうか。

 以前にもこの欄で書いたが、『週刊金曜日』の発行元・株式会社金曜日でも立ち上がり時期に編集、企画営業、経理の三人の社員が次々と解雇された。そと向けにいっていることと内情が違いすぎると指摘し、経営や編集方針に口を挟みすぎたのが解雇の理由になったようだ。しかも被解雇者三人のうち二人が女性。当時、金曜日関係者は「企画の九割は上から降りてくるだけ。自分たちの企画はほとんど誌面に載っていない」と話し、別の関係者は「雑誌では労働問題と女性問題は取り上げようにも取り上げられない」と指摘していた。いまはどんな記事を載せているのかは知らないけれど、解雇事件に責任のあった人物が編集・経営に関与しているので、本質的には変わらないのだろう。
 退職勧奨に抗議したら、「出版労連でも全国一般でもなんでも呼んできなさい。私はなんにも恐くない」とうそぶいた経営者がいる。この人物は労働組合のつくり方を解説した書籍を編集したことがあるのだからあきれるばかりだ。
 女性しか社員を採らず、肩揉みや足揉みをさせたり、日中自宅に行かせて掃除をさせる出版社の社長もいる。硬派の書籍を数多く出版しているところだ。この出版社でも首切りが相次いでいる。
 旧ソ連・東欧の出版物を翻訳して刊行していた出版社ではパート労働者が首を切られ、争議になった。
 いわゆる「民主経営」と呼ばれる経営者らによって設立された洋書専門店「洋書センター」では、労働組合を結成したことを理由に従業員全員が解雇された。洋書センター労組の解雇撤回闘争は二十数年に及ぶものの、旧経営陣は労組を過激派呼ばわりしていまだに団体交渉にも応じようとしない。
 あるいは、争議にならないまでも「お前が気に入らないから解雇だ」「あなたの将来をいちばん考えているのは私だよ。君のためにもほかの会社を見つけたら」などといいながら首切りをする出版社はいくらでもある。しかも世上では「良心的出版社」と評価されているところが少なくないのだから、なにをかいわんやだ。

以って他山の石としよう

 他人に厳密すぎるといつか必ずしっぺ返しを食うのかもしれない。あんまり自分をカッコよくみせすぎると、いつかボロが出てしまう。本多勝一しかり、人権問題のオーソリティー出版社しかりだ。
 もちろん「フリーランス記者だ」と大見得を切って、フリーランスを差別する本多や労働者の首を切る「良心的出版社」を批判しているぼくだって、どんな落とし穴が待っているやら……。
 でも、自分を省みない輩には厳しく、心優しき人々には寄り添いながら、それでいていいかげんな世の中や自分もそれなりに認めつつ、記者としての仕事をしていきたいなあと思う。とにかく「他山の石」はごろごろ転がっているのだから。(一部敬称略)

一九九八年八月十八日記