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松沢さんとの件について4 [2000年10月17日]
松沢さんとの件について4  松沢さんがたびたび言及している昨年来私から送ったFAXのうち、フロッピーに残っていたもの3つを公開します。但し、第三者の名前が出てくる部分は、その人に了解をとらない限り当然公開はできないので削除します。まあ、今回の問題に関係ない部分ということですけど。
 UPするのは99年7月11日、22日、そして10月15日の分です。この10月15日の前に1回分10月1日付文書があるんですが、FDに見つかりません。FAXでなくて直接話しあいをしようと提案したFAXです。直接会って話そうという提案が「懐柔」だなどと妙な拒否のされ方をするわけですが。
 今回UPする分も、最終的に送ったFAXと照合すると少し違っていたりしたので直しました。以前も書いた通り、もともと私信なもので、別に記録として保存したわけでなく、途中まで打ったものがたまたまフロッピーに残っていたものです。
 10月15日付文書の永江さんに関する部分は、本来は公開する必要がないんですが、松沢さんが一方的にその話を公開しているので、敢えて説明するために公開します。別に後ろめたいことはない話ですから。実は「お部屋111」の永江さんに関わる松沢さんの説明はこれ自体勘違いなのですが、まあそのことはいいことにしましょう。
 しかし、こうやって文書を読み返してみると、松沢さんの連載への介入だとか方針の否定だとか言われたことについて、それは誤解だと、もう1年間以上もこんな説明をしてきたわけですね。言った本人が、それはこういう意味だと説明しているのに、他人がいやそれは違うと言い張るという、全く奇妙な話です。
 これらをUPするにあたり、最初からの経緯を改めて書こうかと思っていたのですが、文書を読めばわかると思うので、割愛します。必要な向きは以前UPした「松沢さんとの件について2」を読んで下さい。こうしたやりとりが長期化するうちに、相互のコミュニケーションは成立しなくなり、連載終了に際しての一連の事態へと至ったわけです。
 その後は松沢さんから嫌がらせとも言うべき攻撃が続くわけですが、この間のやりとりの中で、幾つかわかったこともありました。『創』5月号の連載最終回に掲載した編集部よりの謝罪文について、松沢さんに理解してもらえず、松沢さんが『創』誌面での謝罪がまだなされていないと思っていたらしいこと。この点については、次号『創』12月号で改めて謝罪することにします。謝罪することは最初から拒否していませんから。
 あわせて3月号の一部削除についても同誌上で謝罪します。これは5月号とは全く違うケースで、私の方では事前に連絡し、発売後も含めて松沢さんから何も言ってこなかったので、了解してくれたものと思っていたものです。ただ、このHPでそうでないことがわかりましたので、措置をとることにします。

00・10・16
月刊『創』篠田博之

99年7月11日付文書 松沢様

 原稿拝受しています。添付されていた久保田宛てメッセージを見ると、どうも誤解があるようなので一応説明しておきます。
 まず「売買春はもういい」というのはちょっと違ってまして、あの時言ったのは「売春否定論者あるいはフェミニズムへの批判」は一度区切りをつけてはどうかという意味です。相手が強大だったり勢いがある場合は何度も執拗に批判を加えるのもいいですが、フェミニズムは、今回も上野さんや松井さんに雑誌を送り、上野さんには反論があればどうぞという手紙まで出したのに何も言ってこないことを見てもわかる通り、性の問題でディベートを受けて立つだけの自信を失っているわけです。それに対してさらに毎月追い打ちをかけるというのもどうも気があまり進まないわけです。
 それともうひとつ、あのテーマはやはり単行本なりまとまった言説として論を展開した方がよく、4ページのコラムでとなると続けて読んでない読者に誤解を受けないかなという危惧もあります。松沢さんの主張の全体をある程度知っていればその心配はないのですが、雑誌の場合そんな読者だけではないわけで、部分だけをみて「売買春やってどこが悪い」と単なるオヤジ的居直りで言っているだけととられるとあまり生産的な議論にならないような気がします。難しいテーマだけに、ある程度の分量で丁寧に論じるべきなのではないかと思うのです。その意味で、この問題を松沢さんが単行本にまとめるのには賛成です。
 それから第三に、コラムを貫く全体的なテーマというかコンセプトをある程度は設定した方がよいわけで、このコラムの全体としてのコンセプトは「風俗バンザイ」にあるように、表層的にしかも風俗誌によって実態の一部のみ歪んで伝えられている風俗あるいは風俗労働者の実態を等身大のままとりあげていこう、ということだと思います。ですから、その本来のテーマに少し戻した方がよいのではないか、というのが先日申し上げた趣旨です。ですから「性労働を肯定する風俗嬢のインタビューも興味がないようで」というのは誤解です。ましてや「風俗誌的なスチャラカなインタビューを望んでいるようだ」というのは、私の言っていることとほとんど正反対の事柄で、私の意見のどこをどう捉えてそういう結論に至るのかわからないのですが、まあたまたま電話で断片的な感想を述べただけなので誤解が生じることもあるでしょう。
 署名原稿ですので内容について細かいことをあまりあれこれ言うつもりはないのですが、基本的なテーマやコンセプトに関わることについては、編集部としてある程度感想を話すくらいはしてもよいのではないかと思っています。

7月11日
月刊「創」編集部・篠田博之

99年7月22日付文書 松沢様

 多岐にわたる文書をいただいていたので全部答えるには時間がかかると思っていたのですが、7月17日に送られた文書は早く返事を出すべき内容だったので、とりあえず可能なものから返事を書いておきます。
 7月14日のFAXで編集部内の問題だと書いていましたが、あれこれ不手際があるのは確かで、今回の連載から風俗嬢のインタビューに入るということを久保田に伝えてあったというのもあのFAXで知った次第です。もしこの情報があらかじめ私に伝わっていたら、松沢さんから電話があった時に私がああいう話を持ち出すこともなかったと思います。もともと私の側は、この間の上野・松井非難といった話が次回も続くのではないかと思っていたので、あの電話でそろそろ別の話に移ってもよいのではないかと提案するつもりであのやりとりになったわけです。電話で風俗嬢のインタビューについて私が興味なさそうだったというのは誤解で、それは単に話がかみあっていなかったということだと思います。
 前回の私からのFAXが理解しにくいというのは、恐らく筆者のスタンスに編集部が変更を申し出たかのように受け取られたのでしょうが、別にそういうことでもありません。上野・松井さんらを差別者と規定するあなたの主張が私と違うのはわかりきったことで、別に編集部としてあなたの主張を規制しようというつもりはありません。積極的に称揚しようという気もないのですが、松沢さんの主張をこの間バックアップしているのは、(1)売買春はいけないと常識によりかかってこの問題をすませようという大勢を占めるありように異議申し立てをし、問題提起をする、(2)フェミニズムのステロタイプなありように対する批判として有効性を持っていると思っています。
 ただ コラムというのは1回ごとに読者にエンタテイメント的な意味での満足を与える必要があり、通して読んでいる読者でないと全体の真意が伝わりにくいというのでは無理があるし、連載以外にもページをさいて前回問題提起をしたのにケンカに相手が乗ってこないという状況の場合、同じことを畳み掛けるように続けるのでなく、ちょっとやり方を工夫して次の展開を考えた方がよいのでは、と提案したわけです。「売買春はもういい」と言ったとかで連載全体のコンセプトを変更せよと言ったかのようにありましたが、そうではありません。風俗誌に対する認識の違いについても書かれてましたが、これも松沢さんの文書にあった表現について言及しただけで、それ以上の意味はありません。
 取材謝礼についてもいろいろ書いていましたが、松沢さんに提案されたものについては払っているつもりです。竹子さんについては、最初に会った時に「謝礼というより何かご馳走してくれるといった程度に考えてくれれば」といったことをおっしゃっていたので、いずれ単行本化のおりにまとめて、という形でよいかと判断していたわけです。もちろん全体として十分な謝礼を払っているとは思っていませんが、そもそも「創」は貧乏な会社で、金銭的な面では限界はあります(別に居直るわけじゃありませんが)
 編集部の手続きや処理が不十分なのは承知しています。これも悪意ゆえにそうなっているわけではなく、編集部としてのシステムが完備されていない、いわば力量不足ゆえの問題と思っています。何とかしたいとは思っていますが、一朝に解決というわけにもいかないのが現実です。
 「風俗バンザイ」の在庫ですが、現状で800冊くらいと思います。出荷ペースが落ちているので年内に在庫がなくなるという予測がたつかどうかは何ともいえないのが現実です。
 今後の方向性について、前回の文書に幾つかプランがありましたら、書いてあったことに異論はありません。「売買春否定論」を批判することも、もうやらないでほしいと言ったつもりはありません。
 以上、バタバタしているので思いついた範囲内での返答ということになりますが、とりあえず。

7月22日
月刊「創」編集部 篠田博之

99年10月15日付文書 松沢様

 早急にFAXするつもりでしたが、仕事が山積してまして返事がきょうになってしまいました。昨日、最後までできてないけれどとりあえずと、一度FAXしたのですが、うまく入らなかったようです。
 FAXをやりとりするたびに話が混乱していくだけのような気がして、これはこういうやり方でなく直接会って話した方が早いのではと思い、前回の提案をしたのですが、それも、対立点を曖昧にしたまま飯を食って手打ち、という提案と受け取られたようで、残念です。                         
 話が混乱しているというのはどういう点かというと、例えば松沢さんのFAXで問題にされていた「オヤジ的居直り」のくだりですが、私の送った7月11日付けのFAXはこういう文面です。「松沢さんの主張の全体をある程度知っていればその心配はないのですが、雑誌の場合そんな読者だけではないわけで、部分だけをみて『売買春やってどこが悪い』と単なるオヤジ的居直りで言っているだけととられるとあまり生産的な議論にならないような気がします」。これを松沢さんは「私の連載が『オヤジ的居直り』ととられるもの…と篠田さんは認識しておられます」とまとめているのですが、こうまとめてしまうと確かに私が松沢さんの連載を批判していることになります。しかし、これではニュアンスが違うのです。
 この「オヤジ的居直り」というのは実際、私が知人から言われたもので、ああ松沢さんのコラムをそうとってしまう人もいるのかと思ったことがあるからです。私自身はそう受け取っていないからこそ連載を続けてきたわけですが、確かに松沢さんの物言いは、敢えて挑発的に問題提起をするという手法になっており、そういうことも含めて全体を知っていないと誤解する人もいるのかと思った次第です。これは単なる誤読というのでなく、それを言ったのは私よりもっとフェミニズムにシンパシーを持っている人なので、背後にスタンスの違いの問題があるのだろうと思いますが。
 そんな勝手な読み方をする読者の可能性にまで斟酌して、あたかもそんな読み方をされるのは連載のほうが悪いと言われるのでは堪らないというのが恐らく松沢さんの主張だと思います。私も、それが連載のせいだから路線を変えろ、とそうは言ってないつもりなのです。
 確かに私の文書を読み返してみると、松沢さんのように受け取ってもしかたないように見える面もあり、これは表現のいたらなさだと思います。ただ、はっきり言っておきますが、私のなかでの松沢さんの言説や連載に対する評価は、当初から今日まで全く変わっていません。私と考え方の違うところは多々ありますが、現在の性を取り巻く状況や70年代に先駆的意味をもっていたフェミニズムがパターナリズムに陥っていった(あるいは当初からあったそういう面が露呈してきた)現状においては、松沢さんのやや挑発的とも思える言説は極めて有効だし貴重だと思っています。松沢さんのFAXを読むと、どうも私自身があなたへの評価を変えていって、今頃になって否定に転じたと受けとめたようなのですが、それは全くありません。そのへんの認識については私自身にぶれは全くないつもりです。
 それではオヤジ的居直りととる人がいたり、フェミニズム側から反論のないことを、どうしてそんなに気にする必要があるのか、とFAXで尋ねてましたが、これも別に反論がないことを気にして連載の路線を変えてくれ、と言っているわけではないのです。
 このギクシャクの最初のきっかけは、たまたまあなたから電話があった時に私がそばにいて、連載について感想を言ったことから始まったものです。私の方では路線変更を申し出たといった意識はなく(その意味で永江さんのケースとは違います。ただ永江さんのケースについても誤解があるようなので、後述しますが)、あの時点では、次回の内容が風俗嬢のインタビューになると連絡を受けていたことも知らなかったわけで、恐らくフェミニズムの売買春否定への反論という話が続くものと思い込んでいたわけです。ちなみに「同じことを畳みかける」というのはどこが同じなのか、と書いてましたが、私がそこで念頭にあったのは、松井やより批判、女性弁護士批判、そしてロフトでのシンポを収録したものも含めています。連載以外も一緒にするな、と言われるでしょうが、ですからこれは当時の誌面を通じての印象を言ったものなのです。
 松沢さんの連載は、当初は性労働の実態・現状を提示することで、社会の偏見をひっくり返していこうという趣旨だったのが、それでは不十分だからと、途中から偏見を煽っている言説を具体的に取り上げてひとつひとつ論破していくというやり方に移ってきました。私はそのやり方を否定・批判しているものでは全くありませんし、それも有効だと思っています。ただあの電話で印象を話した頃は、連載が少しこみいった話になってきて、4ページコラムではちょっと無理があるんじゃないかな、と感じていたのです。
 私のFAXで、本来のテーマに戻すといったことも書いたので、1年ほどやってきた路線を変えろと言っているととられたのでしょうが、これは実態・現状を提示するという最初とっていた手法もまじえてやった方がよいのでは、という意味です。要するに、こみいった話になってきたのでちょっと目先を変えてはどうでしょうか、とあの時言ったのはその程度の意味なのです。
 ですから次に届いたあなたからのFAXで、私が路線変更を指示したように書いてあったのには、私の方がびっくりした次第です。そこまで言ったつもりはなかったのにな、と思いながら、でもこれは文書で丁寧に答えないといけないと思い、私の曖昧とした印象を言葉で説明することを試みたのです。ですから、あの文書は「オヤジ的居直り」云々もそうであるように、そういう印象を抱いた私自身がどんな危惧からそう考えたかを敢えてあれこれ説明したもので、「それは考えすぎで、そんな誤解や誤読の可能性まで斟酌してたら連載は書けないよ」と言われたらそれまで、といった話ではあるのです。次の回が風俗嬢インタビューへとちょっと違ったものに変わることになっているというのを、その時点で聞いたらそこで話は終わっていたわけです。私が言っていたのは基本的な路線を変えてほしいということでなく、まさにそんなふうにちょっと目先を変えてはどうかということでしたから。
 例えばフェミニズムからの反論がないという話も、それがないから路線を変えろということではないのです。もし反論があったら、それはそれで新たな展開になっていくわけで、こみいった話でも読者はエンタテイメントとして面白がるでしょう。ところがその道は当面期待できそうもないから、とそういう意味で申し上げたのです。
 自分の基本路線は一貫して同じだし、それを変えろといっておきながら風俗嬢インタビューとか街娼の話とかなら異論を唱えないのはおかしいのではないか、とも書いてましたが、それは以上のような理由からで、私は松沢さんの基本的なテーマや路線に異議を唱えたわけではなく、お客さんがついていけなくなると困るのでちょっと出しモノを変えて目先を変えてはどうですか、とそういうレベルの話をしたつもりなのです。出しモノに何をもってくるか決めるのは書き手の権利で、私は客の反応を舞台のそでで見ながら、今のはちょっと難しすぎたんじゃないの?と感想を述べる。編集者とは、そんな役回りだと思っているのです。
 以上、逐条的に書きませんでしたが、前回のFAXでの問いには答えたつもりです。改めて書いておきますが、以前送ったFAXは、松沢さんの基本方針や路線を否定したり変えろといったつもりはありません。最初の文書がそんなふうにとられたことで、私の方が驚いたほどで、確かに改めて読み返してみると、松沢さんがそう受け取っても無理はないという面はあり、私の説明のしかたのまずさを反省するばかりです。
 それから永江さんの件についてですが、こちらは今回と違い、編集者として明らかにこうしてほしいとお願いしたケースです。ただ、あれは永江さんへの批判をするなと言ったのでなく、やるなら1号ずらしてほしいと言ったと思います。別なテーマでルポを頼み、打ち合せしながら一緒にやっていて、雑誌が出たら別なページでバッサリ斬っているというのでは、編集者の仕事が成立しなくなります。署名原稿における言論の自由は原則して確保するというのも私のモットーですから、せめて1号ずらしてほしいというのがあの時お願いしたことです。ただ、繰り返しますが、今回の件はこれとはケースが異なります。

99年10月15日
月刊「創」編集部・篠田博之

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