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コーナー●その5この問題を考えた [2001-11-19]

●その5-12 
[01-11-19アップ]
松沢さんから
指摘されたことについて[2]

H

→松沢呉一
ウロコの部屋へ飛ぶ

 

こんにちは。回答を読ませていただきました。
個人的な諸事情により回答を書く時間が取りにくくなってしまったため、
とりいそぎ、回答できる部分について書かせていただきました。
このあとの回答は連休明け以降になると思いますがご容赦いただければと思い
ます。

まず最初に、完全に私が誤解していた点についてお詫びします。

改めて上記の文章を読んで、どうしてH氏はこれが「すこたん企画」について述べたものだと解釈し得たのか説明していただけますでしょうか。ことによると、H氏はこの「5の家」で私が書いてきたことはすべて「すこたん企画」を指し示していると考えているのでしょうか。

私は「すこたん企画」の抗議から始まったこの一連の出来事につき、「すこたん企画」という一団体だけの問題として、ここまで語ってきたわけではありません。タイトルにあるように、「オカマ表現」について考えたものであり、差別表現をどう考えるのか、差別はどう解消され得るのかなどなどを考えてきたつもりです。当然、「すこたん企画」とは何ら関係のない個人や団体も批判対象になることはあります。

5の家についてですが、私は松沢さんが「「すこたん企画」という一団体だけの問題のみを論じているわけではない」という事については理解していましたが、少なくとも、「すこたん企画」さんへの批判を中心に議論をしているのだと思っていました。
そう思った理由は、例えば個室5の冒頭などがそれにあたるのですが、
「今後延々「すこたん企画」および「週刊金曜日」に対する批判が続きます」
などの立場を表明しておられ、また、文のところどころで「すこたん企画」さんの例を出して批判しておられたからです。

上記のご指摘をうけるまで気がつきませんでしたが、
私自身は、松沢さんの文章の批判している部分の多くを、基本的には
「すこたん企画」さんの主張に対する反論として述べているんだろうと推測
して読んでいたことに気がつきました。

松沢さんの文章の中で、「すこたん企画」さん以外の主張や、「一般的にこの種の問題を議論する際になされる主張」や、「すこたん企画」さんの主張を「極端に解釈して押しすすめた場合」について述べている部分に対して、私は、その文の多くを「すこたん企画」さんの主張そのものを意図していると解釈していたようです。そのために、私には、「松沢さんが「すこたん企画」さんの発言の文脈を考慮していない((5)を考慮していない)ように見えた」のだと思います。

それから、誤解を解くために「すこたん企画」さんの「私たちが声をあげたわけ」に対する私の評価を書いておきますが、「生かされなかった勉強会」の部分については、「すこたん企画」さんが「週刊金曜日」さんに対して抗議したい気持ちは私には非常によくわかりました。また、「メディアが「オカマ」という事場を使うとき」と「タイトルはひとり歩きする」については、一般的な傾向としては、こういう側面はあるだろうと思いました。しかし、後者の2つについて、今回の件に直接当てはめるのは妥当ではないと思うし、かなり無茶だと思いました。

それで、私は、松沢さんの文章のいくつかについても、一般的にはわかるけど、今回のすこたん企画さんの抗議に直接あてはめるのは妥当ではないと思うし、かなり無茶だと思ったのですが、先にあげたように、必ずしも今回の抗議に当てはめているわけではないようなので、これは私の勘違いでした。

はじめにちゃんと書いておけばよかったのですが、私は松沢さんの文章を読んで、「いわゆる差別的な行為を行うこと」に対して、それが差別であると確定してしまったら「差別に抗議する者」が絶対的優位に立ってしまうことがあるのと同じように、「いわゆる言葉狩り的な行為を行うこと」に対しても、それが言葉狩りであると確定してしまったら、「言葉狩りに抗議する者」が絶対的優位に立ってしまうこともあるのではないかなぁと思いました。

今から考えるに、この意識と、あと上の私の誤解とがあって、先のメールの後半のような批判的な文章になったのだと思います。

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次に、(A)と(B)についてですが、(A)については連載全体を読んでの
漠然とした印象が先行しての感想なので、どの部分かと問われると、
もう一度松沢さんの文章を読み返さなければならないため、回答に時間をください。

(B)「私なりに考えたこと」の冒頭で、H氏は「ホモ」という言葉を否定的に感じるご自分の事情を述べておられます。これは、「個室13」を読まなかったご自分の事情を説明するためだけに書いたのでしょうか。あるいは「ホモ」を多用することが「差別的」であり、傷つく人がいるかもしれないことを考慮しない文章であると言いたいのでしょうか。どうもよくわかりません。

(B)で指摘を受けた文章については、文脈を考慮するかしないかにかかわらず人によっては使って欲しくない言葉があるということを私自身を例にとって示したくて書きました。「ホモ」を多用することが「差別的」であるか否かは正直よくわかりません。この言葉を使わないで欲しいという要求を単純に言葉狩りと解釈するのもどうかと思うし、文脈を考慮すれば問題がないといわれても、文脈を判断するところまで読み進められない場合もあるだろうし、私の個人的な問題としてしまって、出版する側が全く考慮する必要がないというものでもないような気がしています。で、私には、対処方法としては、先のメールであげた(1)〜(7)くらいしか思いつかなかったわけです。

私があげた(1)について「個室13」の話に限定して言うなら、
もし、松沢さんが、例えば私のようにあまりにたくさん「ホモ」を多用されると、記事を読むことが困難になる人がいることを知っていて、また、そのような人がたくさんいて記事を読む可能性もとても高いことがわかっていて、かつ松沢さんも読者としてそのような人を想定していて、多少工夫すれば「ホモ」という言葉を減らすことはできると松沢さん自身が思っていて、それでもあえて「個室13」の文章を書いたのだとしたら、私は[(1)「表現する側」は自分ができる範囲で、読む人を傷つけないように配慮した文章を書くように努力する]ことに当てはまらないように思います。

以上、とりいそぎ回答できる部分について書かせていただきました。

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