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ポット出版欠歯生活
第9回連鎖反応

書き手北尾トロ
[2003-05-26公開]

 傷跡の経過はいちおう順調で、日を追うごとに腫れが引き、3日もすると見かけは正常に戻ることができた。モノが噛めないことはものすごい支障だが、こればかりはしょうがない。抜いた歯はもう取り返しがつかないのだ。それより先のことを考えよう。
 医師は「場合によっては入れ歯も」と言った。なぜか。最奥歯を抜きっぱなしにする処置ではまずいケースがあるからである。最奥歯には、この歯と長年コンビを組んでかみ合わせ作業を行ってきた上歯という“相棒”がいる。お互い、相手がいてこそ持てる力を発揮してきたのである。ところが下歯が消えてなくなった。相棒を失ってしまった。こうなると上歯は、噛むたびに空振りの連続。
 それだけならいいのだが、歯というのは上下のコンビで成立しているところがあって、ガシガシと噛み合っていてこそうまく機能する。空振りばかりしていては、そのうち調子がおかしくなってしまうらしい。とくに上歯の場合はその傾向が強く、歯が下へ下へと落ちてくるそうだ。摩擦がなくなって歯が伸びるというより、歯茎ごと落ちてくるのだ。
 で、ここが問題なのだが、落ちてきた歯が、かつて下の歯があった位置にくるぶんにはまだいいのだが、歯並びなどの関係でズレて落ちてくることがあるからやっかいなのである。
 もし、ズレる方向が手前寄りだったらどうなるか。現在欠歯であり、いずれインプラントにする予定の、最奥から2本目(下の)の角あたりに、コツコツ触れるようになる可能性があるということだ。となると、このインプラントには本来の相棒である、最奥から2本目(上の)だけじゃなく、脇からコツコツ余計な力がかかり続けることになる。これがよくない。一種の三角関係と言えばいいのか、一部分だけ妙に負荷がかかる生活が繰り返されるうちに、またまたおかしなことになりかねない。
 それを予防するためには、入れ歯というカタチで最奥上歯の受け皿を作って、これまでどおりの噛み合わせ具合を維持するのがベターである。したがって、状況が落ち着いたら最奥上歯の生え方などをチェックし、インプラントを脅かさないで済みそうなら抜きっぱなし、脅かしそうなら入れ歯のことも念頭に置いて今後の方針を立てましょう。ややわかりにくいかもしれないが、医師の説明はこのような内容だった。
 金に糸目をつけなければ、三連欠歯すべてをインプラントにする方法もある。これだけで治療のすべてが完了するなら無理をしてでもそうする気になったかもしれない。しかし、まだ治療は続く。ここはグッとこらえて余力を残し、どうしても不満があったらいずれ機を見てベストな選択をすればいい。このあたり、医師は説得上手である。
 もちろん“入れ歯発言”はショックだったが、可能性は低いのではないか。医師は最悪の場合を想定しているのであり、万一に備えて心の準備をしておけということだろう。自分の最奥歯(上)を舌や指で触ってみても、ちゃんとまっすぐ下に伸びているように感じる。
 確かに奥歯が砕けたことは予定外だったけれど、たぶん入れ歯はまぬがれることができるだろう。いや、まぬがれなければ、わざわざ大枚はたいてインプラントにする意味がないではないか。
 さて、抜歯後の経過を見守る間の時間を利用して、つぎに手を着けるべきは左側上部である。
 この歯のことは、今回の抜歯騒動で、ほぼあきらめの気持ちになっていた。痛みこそないものの、ここは以前から砕けている箇所なのだ。X線写真にバッチリ写っていたから間違いないし、いつごろ砕けたかも覚えがある。2年ほど前、前触れもなく歯茎が腫れたのだ。
 腫れた歯茎にポチッとニキビのようなものができ、しばらくすると膿みらしきものが出てきたのである。歯茎の内部に膿が溜まると激痛になるのだろうが、おそらく膿が流れ出てしまったので痛みがなかったのだ。書いていても気色悪くなりそうだが本当である。
 そのときはまさか砕けたためにそうなったとは思わず、なんらかの理由で菌が入り、歯茎が腫れたと決めつけていた。しばらくすると腫れも収まったので、そのまま放置していたわけだ。
 この歯を抜く。両隣は大丈夫だからブリッジでつなげばインプラントの必要はなく、治療も短期間で終わるだろうから、モノが噛めない状態は短くて済む。
 まだある。左上をしっかりさせたら、今度は左下だ。ここは手強そうだが、とにかく野放しにしてはおけない。こっちの最奥も瀕死状態なので、場合によっては抜くことになるだろう。いや、ヤケになってるんじゃない。いま手を打っておかないと将来的に手の施しようがなくなると言われているのだ。
 えーと、1本抜いて、これから2本抜くとして、すでにないのが2本だから……ぼくの自前奥歯は全部で何本でしょう。
 くだらないクイズなどカマシている場合ではなかった。左側をを処置し、噛める状態にキープしておいて、右側のインプラント作戦に移行するのがおおまかなプランである。
 だが、またしても誤算が起きる。連鎖反応と笑うしかないのだろうか。ここ数ヶ月、噛み砕き作業を一手に引き受けていた左側奥歯が、はやく何とかしろとアピールするかのように反乱を起こした。
 左側上の裂け歯ではない。下である。
 そばを食べていた。おとなしく、そばを食べていたのだ。そうしたら、まさかである。下の奥歯を覆っていた被せ物が、一気に浮き上がり、外れてしまったのだ。

第8回●奥歯が砕ける 第10回●2本目の抜歯
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