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ポット出版欠歯生活
第6回光が見えた日

書き手北尾トロ
[2003-03-27公開]

 人間なんてしぶといもので、インプラントが折れた日から3カ月ほど経過したいまでは欠歯生活に慣れ始めている自分がいる。以前はインプラントへの信頼感から右側で物を噛むほうが多かったはずなのに、すっかり左にシフト。食べ物を口に放り込んだら何も考えず左で処理する構えができているのだ。
 しかし、ぼくにはわかっている。左とて決してホメられた歯じゃないことを。いまこのときも、じわじわと悪化が進んでいることを。医師は左下奥歯の状態を危惧しているようだが、じつは左上奥歯にも爆弾を抱えているのだ。この歯がいずれ、やっかいな問題につながらなければいいが。
 なにしろ、歯の根っこが砕けているのだ。赤坂で写真を見せられたときそういわれた。タテにいくつも筋が入っていたから嘘ではないだろう。砕けている。いずれ使い物にならなくなる。
 医師はいまのところそれには触れない。ぼくも話題にしない。無駄だからである。とにかく当面のインプラント問題に全力投球。ぼくたちの間には暗黙の了解があるかのようだ。ぬかるみを歩くように一歩ずつ先に進むしかないのだろう。
 憂鬱な気持ちで電車に揺られていたが、歯のことは外からわかりにくい。誰かがぼくに目を留め元気がないなと思ったとしても原因が歯にあるとはあまり考えないはずだ。まして欠歯だとは思わない。ぼく同様の欠歯者だっているかもしれないが、過剰なほど歯について敏感なはずのぼくにも、虫歯と違い痛みを伴わない欠歯や入れ歯について、誰がそうなのか見破ることは不可能だ。
 ふう。おそらく今日で今後の方針が決まるだろう。折れたインプラントの除去が不可能だったらと考えるとゾッとするが、とにかくいまは結果を待つしかない。
 インプラント科にいくと、奥の手術室に案内された。何が始まるのかと思ったが、ほかが空いていないとのこと。医師の表情は明るかった。
「今日は除去作業に再挑戦します。メーカーから機械を借りましたので、それを使って行いますね」
 説明によれば、前回のように超音波で振動を与える方法では見込みが薄いため、残っているオスネジを抜き取るのではなく、削り取る作戦に変更したのだそうだ。そのために専用の機械をメーカーから調達したらしい。
「スイスのメーカーなんですが、代理店に問い合わせたら機械が日本に2台しかないと言うんですよ(笑)。ちょうど在庫があったので借りることとし、使い方の講習も受けましたから大丈夫です」
 2台しかないのは、ぼくのようなトラブルがめったにないということなのだろうが、それにしても少ないではないか。メーカーはインプラントを売ることに熱心。歯医者も同様。トラブルについては最低限の備えしかしていないのだ。
 しかし、あるにはある。この医師は普段使っていないメーカーのインプラントだから仕方ないにしても、メーカーと取り引きしている歯科医なら当然、機械の存在も使い方も知っているはずだ。なのに赤坂では一言もそんな発言はなかった。
 理由は推測できる。商売にならないからだ。機械を使い、手間暇かけてオスネジを除去しても労力の割に儲からない。除去するならメスネジごと引っこ抜いて、新しいインプラントに付け替えさせるほうが効率がいいのである。患者は機械のことなど知らないのだから「取るのは無理だ」と宣言されたらどうしようもない。これは一種の悪徳商法ではないのだろうか。
 やはり赤坂に見切りをつけたぼくの判断は間違いじゃなかった。怒りとともにホッとする気持ちがわき上がってくる。
 借りてきた機械は、メスネジに対して直角にドリルが差し込めるように固定し、上からまっすぐに、オスネジの長さの分まで掘り進むようになっている。図体は小さいが、早い話が工事現場の掘削機みたいなものだ。うまく掘ることができればメスネジにダメージを与えずオスネジを除去できるって寸法である。
 助手がメスネジを固定し、医師がドリルを握りしめる。ど、ど、ど、ど、ど。上からの圧力で、5秒もすると下顎がガクガクしてくる。顎を押さえつけられて、またど、ど、ど。力を込めている医師の息づかいが荒くなる。
 このように、1回につき10秒ほどの掘削を繰り返すのだ。
「どうですか?」という助手に、医師が苦笑いしながら答えた。
「削れてるみたいだね。ごくわずかずつだけど」
 少しでも前進しているなら希望がある。がんばってくれ。けっしてあきらめないでくれ。ぼくは口を固定されたまま、ふがふがと声を出した。
「よ・ら・しゅ・き・あ・ね・がー・まふ」

第5回●“自前歯”危機一髪 第7回●苦肉の策
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