デジタル時代の出版メディア・考

2004-03-11

電子タグ問題の提起—日本ペンクラブ理事会への湯浅リポート

 最近、電子タグがにわかに脚光を浴びている。出版物と電子タグの関係はいったいどうなっているのか、電子メディア委員会に問題を提起したところ、そのまま湯浅リポートとして理事会に提出されることになった。関心ある人に読んでいただきたいと思い、ここに全文を掲載する。

 日本ペンクラブ理事会向け資料
「電子タグ問題の議論に向けて」

2004年3月3日
日本ペンクラブ
電子メディア委員会
湯浅俊彦

1.はじめに

 最近、新聞や雑誌などで電子タグの話題がよく取り上げられています。回転寿司のすし皿に電子タグを組み込んだ自動精算システムや、農作物の生産履歴や流通経路がスーパーの売り場でわかるなど、きわめて便利なものとして紹介される事例が多いように思います。[電子タグは、ICタグ、無線タグ、無線ICタグ、RFID(RadioFrequency Identification)タグなど、さまざまな呼び方がありますが、この文章では以下、電子タグとします]
 しかし、電子タグの導入に関しては便利さの反面、プライバシーが侵害されるのではないかといった危惧の声が上がっていることも事実です。
 そこで、ここでは私たち日本ペンクラブとして特に強い関心をもたざるをえない本や雑誌などの出版物と電子タグの関係について考えてみたいと思います。
 まず、最近の政府の動き、そしてそもそも電子タグとは何なのかを簡単に説明し、次に出版界、図書館界への導入事例を挙げ、出版物に電子タグを装着することによって引き起こされる問題をいくつか指摘し、この問題に関する議論の叩き台を提供してみたいと思います。

2.電子タグをめぐる最近の政府の動き

 電子タグに関して、日本政府の動きはきわめて積極的です。
 経済産業省では「商品トレーサビリティの向上に関する研究会」(経済産業省商務情報政策局長及び商務流通審議官の諮問研究会・座長:浅野正一郎国立情報学研究所教授)が、2004年1月21日に「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」を取りまとめ、国民の意見募集(パブリックコメント)を1月21日から2月20日まで求めました。
(参照URL)

http://www.meti.go.jp/feedback/data/i40121aj.html

また総務省では、2003年4月から「ユビキタスネットワーク時代における電子タグの高度利活用に関する調査研究会」(座長:齋藤忠夫 東京大学名誉教授)を開催してきましたが、2004年2月23日に「最終報告書(案)」として取りまとめ、3月22日まで意見募集し、3月30日に開催予定の研究会で正式決定するとしています。
 この「最終報告書(案)」では、今後の推進方策として、「1.電子タグの高度利活用のための研究開発の推進、2.利用者参加型実証実験を通じた社会的コンセンサスの醸成、3.950MHz近辺等の新たな周波数利用の可能性の検証、4.電子タグの利用促進方策、5.安心して利用できるルールの整備、6.戦略的な標準化活動の推進」を掲げています。
(参照URL)

http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/040223_2.html

 この「ユビキタスネットワーク時代における電子タグの高度利活用に関する調査研究会」の「ネットワーク利用ワーキンググループ」(徳田英幸グループ長・慶応義塾大学環境情報学部教授)は、「世界最先端のIT国家を目指す我が国における電子タグの位置付け」を「1.電子タグを用いることにより、物流・物品管理や生産物の追跡・管理(トレーサビリティ)の高度化が可能。2.今後、物流分野、食品分野、環境分野の様々な分野で活用されることにより、ユビキタスネットワーク社会の形成、世界最先端のIT国家の実現に大きく寄与」することと規定しています。
 つまり電子タグ普及は、まさに国を挙げての事業なのです。

3.電子タグとは何か

 ところで、電子タグとはいったい何なのでしょうか。
 いま挙げた総務省の研究会では、次のように規定しています。

「電子タグとは、ICチップとアンテナを内蔵したタグのことであり、この中に個別の識別情報等を格納し、それを電波を利用して読み書きすることで『自動認識システム』に利用することが可能である。電波を利用することで、接触することなく読み書きすることや、複数個のタグの情報を同時に読み取ることが可能である。
 電子タグは主に以下の様な特徴を持つ。
・データの送受信が可能
・バッテリーがなくても作動
・薄く・小さなタイプは、モノに埋め込むことも可能
・IDの読み出し機能のみの安価な製品から情報の読み書き等が可能な高機能製品まで多くの種類が存在」

 以上のような特徴を持つ電子タグの普及は「世界最先端のIT国家を目指す我が国」にとっては喫緊の課題であり、総務省では電子タグ関連の経済波及効果を31兆円と試算しています。また、矢野経済研究所は2004年2月14日、電子タグの市場規模を2003年度見込みで34億3200万円、2010年度には242億8000万円市場に成長するとの予測を示しています。(「Internet Watch」2004年2月19日付)

4.出版界・図書館界での電子タグ導入事例

 では、ここでいよいよ出版物と電子タグの関係について具体的に見ていくことにしましょう。
 一言でいえば、出版業界では実証実験を始めた段階である一方で、図書館界ではすでに実用化されているところもあるというのが日本の現状です。
 ここでは6つの場面を取り上げてみたいと思います。

1.出版倉庫流通協議会のICタグ利用研究委員会

 出版倉庫流通協議会は昭和図書や大村紙業、河出興産、主婦の友図書などの出版倉庫会社が中心となって組織されており、書籍に電子タグを装着したときの流通過程各種場面での効果を実証実験しています。2003年11月4日、IC利用研究委員会は電子タグ導入試験のプレス発表を行っています。
 この流通倉庫の実務試験では、書協が主催する「謝恩価格本ネット販売フェア」の書籍に電子タグを装着し、流通倉庫では「複数同時読み取りによる出荷検品」、模擬店舗では「商品アクセスのモニタリング、商品アクセス状況の分析、商品内容の確認、精算処理、書棚在庫ロスの見地、商品持ち出しの検知、在庫確認」、流通段階では「書籍貼付タグへの販売管理情報の追記」を実験しています。面白いのは、書棚から取り出した回数(タッチログ)の分析で書籍の売れ筋情報などが得られるとしている点です。販売前の顧客の興味が把握でき、陳列戦略や仕入れ戦略立案を効果的に行うことができるとしているなど、個人を特定する情報が得られればその人におすすめの商品情報が提供されるといった映画「マイノリティ・リポート」(トム・クルーズ主演・スティーブン・スピルバーグ監督)の世界を連想させます。この映画の設定では、住民の行動はつねに監視され、買い物するたびに記録されるのです。
(参照URL)
 http://www.shuppan-soko.jp

2.日本出版インフラセンターのICタグ研究委員会

 正式には「有限責任中間法人 日本出版インフラセンター」で小学館代表取締役の相賀昌宏氏を代表者とし、2002年4月に設立されています。会員企業社103社。2003年11月より、ICタグ研究委員会の活動を本格的に開始。ICタグ技術協力コンソーシアムを設立し、電子タグが「製造・物流・保管・小売・消費・リサイクル」の様々なシーンにおいていかに活用できるかを検証しようとしています。具体的には現在使用可能な周波数ではなく、UHF帯域を使用可能にするための電波法改定を視野に入れた実証実験をしています。
(参照URL)

http://www.jpo.or.jp/

3.「タグ&パック」

 2001年11月20日、文教堂、有隣堂、明屋書店、くまざわ書店、精文館書店、三洋堂書店など当初33法人で始まった会で、コミック版元に新古書店対策としてソースタギングとソースパッキングを要請しています。2004年4月より発展的に解消し、「日本書店万引き問題協議会」になる予定です。
 コミックを出版社がパックして出荷し、その上、万引防止対策に商品認識用の電子タグによるソースタギング導入を出版社に要請している書店の運動です。コミック大手5社の会はこの要請に対して、防犯タグとして有力ではあるが、その前段階の過渡期的措置として磁気式タグを書店で貼るシールタギングを逆提案しており、電子タグ装着は頓挫している状況です。万引き問題は書店の死活問題であるのは事実ですが、「古物営業法施行規則改正」「警察庁万引き犯認知件数向上への取り組み」などを進め、新古書店駆逐をめざす余り、有害図書規制などでは自治体や警察に「借り」を返さなければならない事態に陥っているようにも思えます。「青少年健全育成のための法令の一部改正を求める請願」として万引き防止を求めている状態なのです。
(参照URL) 

http://www.pcomic.com

4.慶応義塾大学村井純研究室

 電子タグを搭載した書籍『インターネットの不思議、探検隊!』(村井純著、太郎次郎社)を刊行し、この本を「実験材料」にして実際の流通経路を通ったあと何割ぐらいが破損するのかという調査を行っています。この本を購入した読者は自宅に持ち帰ったこの本に電子タグが装着されていることを忘れないようにしたほうがいいと思います。「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」(経済産業省・商務情報政策局情報経済課)で言うところの「消費者に物品が手交された後も当該物品に電子タグを装着しておく場合」にあたります。
 出版社の太郎次郎社は「『インターネットの不思議、探検隊!』についているRFIDタグと個人情報について」と題する注意書きをHPに掲載しています。
(参照URL)

http://www.tarojiro.co.jp/book/tagwrap.html

 
 それによりますと、「知らない人から知らないうちに読みとれなくする方法を説明します」として、アルミホイルで包む、出版社で手続きをする、という2種類の方法を説明しています。アルミホイルで包む、では写真入りでアルミホイルのかぶせ方を説明していますが、この本を買った人がどれだけこの件を理解しているか疑問に感じます。
 「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」では「アルミ箔で覆って遮蔽できる場合はアルミ箔で覆うなど、電子タグと読み取り機との通信を遮断する手法、又は、電子タグ内の固有番号を含む全ての情報を電磁的に消去する手法等」をあらかじめ説明若しくは掲示、とあります。
 このような事態は、映画で言えば「サイン」(メル・ギブソン主演・M.ナイト・シャマラン監督)においてエイリアンからの侵略に備えて頭にアルミホイルを巻きつけて「考えていることを読まれないようにしなくては」と防衛している地球人を思い起こさせます。
 村井研究室の斉藤賢爾氏は初版の6000冊に印刷・製本した凸版印刷の人が1冊1冊手作業でタグを埋め込みました、と書いていますが、この実験に自覚せずに巻き込まれている読者についてどのように考えているのでしょうか。
 村井研究室の斉藤氏の報告は、下記URL参照

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NBY/RFID/20031225/1/

 独立行政法人産業技術総合研究所の高木浩光さんは太郎次郎社の本について、次のように批判しています。
 「アルミホイルで包んで自衛しろというのは、IT強者の論理です。IT弱者には、どういうときにどういう問題が起きるかを説明してもらわないと、自衛の必要性もわかりません。昔からハッカーやマニアの間には、嫌なら自分で守るのが当然だという発想があるようです。マニアが個人的にそう考えるのは自由ですが、事業者がそれをやってはいけないでしょう」(東浩紀・高木浩光「対論・『工学化』する書物と社会をめぐって」『季刊・本とコンピュータ』2003年冬号、92ページ)

また、一方で次のような意見もあります。
「逆にいえばアルミホイルや鉛を本のまわりにつけておけば(たとえば、バッグのなかをアルミホイルで覆ってしまえば)、万引きできてしまいます。
(岡部友春「誰のためのICタグか?」版元ドットコム・版元日誌第160回)

http://www.hanmoto.com/diary/diary040218-1.html

5.千葉県富里市立図書館

 千葉県・富里市立図書館は2003年4月に開館し、図書管理に大容量の電子タグを導入した日本初の「IC図書館」として出版界にも知られています。
 「みんなの図書館」2003年12月号の特集「図書館の最新機器」に富里市立図書館の高橋正名氏が「ICタグによる図書館管理システム」という文章を書いています。
 図書館での電子タグ導入目的は「図書の貸出・返却業務の迅速化と、自動貸出機導入による業務の効率化」です。もちろんその背景には職員を何人削減できるのか、があります。ただ、利用者の声として、「職員に借りる本を見られることが気になっていた」、つまり離婚やダイエット、ガン治療などの関する本を借りるところはたとえ図書館職員であっても見られたくないという気持ちがあり、自動貸出機は利用者のプライバシー保護につながるというメリットもあると書いています。また、蔵書点検や棚番号での配架管理などでもICタグは効果を発揮すると期待されています。ただ、面白いことに出版業界で導入を検討しているタグとの関係については、万引き対策として導入される場合、発行されるすべての書籍に装着される保障がないことから、ISBN導入時のように普及するまで時間がかかると見ています。そのほかにも耐久性の問題、無線の周波数帯の問題などを考えれば出版業界のタグとは別に図書館独自のタグを使用するほうがよいのではないかと考えているようです。
(参照URL)
「みんなの図書館」2003年12月号、No.320(図書館問題研究会、

http://www.jca.apc.org/tomonken/)

 ほかにも公共図書館関係では、笹沼祟「公共図書館の新たな情報サービス〜結城市の事例」(「情報の科学と技術」54巻1号、2004年)において、2004年5月オープン予定の茨城県結城市立図書館で電子タグを採用する決定を行った経過報告をしています。
 図書館と出版界との決定的な違いは、図書館では貸し出しする本にタグをつけるわけですから、コストがそれほどかからないということがあるようです。

6.アカデミーヒルズ六本木ライブラリー

 六本木ヒルズ「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」の蔵書検索サービスは 、iモードが本の位置を教えてくれるということで話題です。利用者はiモードの検索画面に探している本のタイトルや著者名を入力します。すると本に装着された電子タグから送られてくる位置情報をもとに本が見つかり、その本がどの棚の何段目にあるかをiモードの画面上で分かるというしくみです。
 このサービスについて、東浩紀氏は次のように語っています。
 「六本木ヒルズの会員制図書館ではすべての本にRFIDのチップがついていますね。バラバラに置いてあっても検索すればどこにあるか分かるから本を棚に並べて管理しなくてもよくなっている。同時にここでは、誰がいつどの本を借りたかが完全に把握されている。六本木ヒルズにはアンテナショップがいろいろありますが、この図書館とお店とはデータ的に直結しているはずです。つまり、どんな本を借りたかという客の傾向をデータ化して、ショップでのマネージメントに使っているんだと思います。すべての本に固有IDがつくと、同じことが全国規模で可能になる」(東浩紀・高木浩光「対論『工学化』する書物と社会をめぐって」『季刊・本とコンピュータ』2003年冬号、87-88ページ)
 この対論で東浩紀氏は次のように言います。
 「本というメディアは、とても長い伝統をもっている。そして数千年前からずっと、書籍はどの本を読んでいるのかわからない、という匿名的な情報流通の媒体として存在しつづけてきた。これは一種の知恵です。図書館で本の貸し出しデータが慎重に扱われるのもそのためです。そのような匿名性には経済合理性はないかもしれない。しかし、この知恵は長い伝統として存在してきたのだから、よほどのことがないかぎり尊重しておくべきではないでしょうか。」(p.87)
 
 出版業界では出版流通システム合理化(出版SCM=サプライ・チェーン・マネジメント)という流れがあり、これは言ってみれば1980年の日本図書コードから一貫した潮流です。その上に万引き対策という書店の喫緊の課題が乗っかってきています。そしてそこでもブックオフに象徴される新古書店対策として、商品のトレーサビリティ(商品の追跡、履歴管理)の観点が入っています。このことは近未来的には買った商品は自分のものという概念から、ある種の使用許諾を得ただけというような知的財産的な権利関係の問題に発展していきそうな気がします。
 一方で日本の図書館では人員削減と利用者サービスの観点から電子タグの導入が進展していきそうな気配です。出版業界で導入を検討しているタグとの関係では、出版業界ではすべての本に装備される保障もない上にタグの耐久性や周波数の問題などもあり、出版業界とは一線を画している現状です。しかし、これも将来的にどうなっていくのかは不透明です。
 米国の電子フロンティア財団(Electronic Frontier Foundation)は、サンフランシスコ公共図書館が所蔵する約200万冊の図書などに電子タグを添付する計画に対し、利用者のプライバシー侵害の恐れがあるとして文書で計画の見直しを求めているそうです。
(国立国会図書館・カレントアウェアネス−E通信・2003年11月5日[E140]個人情報の流出の要因となるか?無線タグをめぐる議論・米国)
(参照URL)

http://www.miami.com/mld/miamiherald/6927665.htm

5.問題の所在

 では、ここで議論のために問題の所在を整理しておきたいと思います。
 出版物に電子タグを装着することの問題点は、大きく分けて以下の4点にあると思われます。

1.追跡可能性の問題

 販売されたあとの出版物の固有コードを読むことで、自宅の書架にあっても、古書店に持ち込んでも、人に寄贈しても、履歴情報が追跡されること。

2.所有者の意思に反して読まれることの問題

 離れたところから、所有者の意思に反して、読み取られること。

3.誰から読まれるか分からないことの問題

 市販されている安価な装置でだれでも読むことができること。

4.知的財産権拡張の問題

 書店で買ったあとは持ち主の自由だった出版物が、その貸与や転売について制限される可能性があること。

6.おわりに

 電子タグは現在のところ、コストの問題やデータの可読性や標準化の問題などがあり、ただちにすべての商品に装着されているわけではありません。
 例えば電子タグ導入を考える業界がまず行き当たるのが、導入コストの問題です。
つまり、まだまだ高すぎるのです。しかし、世界最小クラスのICチップ「ミューチップ」を開発した日立製作所では、100万個以上の注文があれば、1つ10円台になるICタグを2004年4月から発売する予定です。(「朝日新聞」2004年1月18日付大阪本社版朝刊)それでも出版界では、たとえばタグの価格が5円、できれば3円以下にならないと出版物には装着できないという意見もあるようです。
 また、様々な業界による電子タグの導入実験では、「読めるはずのデータが読めない」「読む必要がないデータを読んでしまう」「誤ったデータが書き込まれる」という事例が報告されています。
 そして、電子タグには標準化が進んでいないという問題点もあります。例えば出版業界で装着した電子タグが図書館では使えず、結局別の電子タグをもう一度装着するといった問題です。
具体的に日本の出版業界の現状を考えると、中小零細の出版社や書店では電子タグのシステムに何百万円もかけられないでしょうし、出版社では既刊本に電子タグを改めて装着するとなると、大変なコストがかかるものと思われます。
 しかし、日本では電子タグを装着することに対して、プライバシーの観点からの反対運動が起こるようには思えません。海外での事例では、2003年7月に欧米のマスコミが一斉に報道した「米ウォールマート・ストアーズがICタグの実証実験を中止」というニュースや、ベネトンがサプライチェーンにおける商品の追跡管理にフィリップス製のICタグを採用すると発表した直後に消費者団体が「追跡装置が付いたベネトン商品は買うな」と不買運動を起こしたことなどは、プライバシー侵害を恐れる消費者の反発があったからでしょう。
 出版メディアについては今日、CD-ROM出版、オンライン出版、オン・デマンド出版といった「電子出版」への関心が高まってきています。そしてそれに伴い、顧客管理上の個人情報の問題や新たな著作権問題がクローズアップされてきています。しかし一方で、電子タグが装着された紙の本や雑誌がもたらす変化にも私たちは注視する必要があるのではないでしょうか。
 電子タグと出版物についての論議が徹底的に展開されることを期待しています。

2003-03-08

インターネット出現以降の法学

 島元健作氏は拙著『デジタル時代の出版メディア』(2000年、ポット出版)について「デジタル社会のなかでの読書環境の変化について無知であるのは、精神の退廃を招くと言い切っている」と書いている。しかし、じつは私の文章は正確に書くと次のようになる。

「(出版業界の)急激な変化はコンピュータ技術の発達とそのことがもたらした『デジタル社会』とでも呼ぶべき、高度に情報化された社会像と密接に関係しているのです。このような社会の変化が背景にある以上、本とコンピュータのかかわりについて考えることを避けるのは、逆に精神の退廃を招くことになります。出版メディアにいま起こっている変化の本質を探究することは、これからの社会で出版メディアの果たす役割を考えるときに非常に重要なことだと私は思っているのです。」(124ページ)

「本や雑誌からコンテンツそのものへ、つまりモノから情報へという現在の流れはこれからの出版メディアを考えるときにもっとも重要な変化であると位置づける必要があるでしょう。読者像が大きく変わってきているという事実に気づかなければ、出版業界が危機的状況であることすら分からないことになるからです。」(179ページ)(いずれも傍線、筆者)

 このようにメディアと社会とのかかわりを動的にみていくことが私の本来の意図である。たしかに『デジタル時代の出版メディア』では問題の整理ということに中心を置き、独自の主張はほとんどしていない。しかし、それは技術論を展開したつもりではなく、社会的な変化がいかに出版メディアの機能を相対化してきているかを説いたつもりであった。

 話を少し先に進めよう。

 例えば法学の分野を例に考えてみよう。デジタル時代における法学関係の読者について、私は二つの大きな変化があったと思う。

 第一に、法学の対象そのものの変化があった。インターネットの普及に伴って刑法、民法、行政法、民事訴訟法、刑事訴訟法、そして憲法さえも、これまでの法律と法理論全般にわたる再検討が必要になってきているということである。

 そして第二には、法学情報についての変化である。従来の法典、判例、論文など紙の本や雑誌しかなかった法学情報がCD-ROMだけでなく、商用データベースやインターネットなどのオンラインでも提供されるようになってきたことである。

 ではまず、インターネット出現以降の法学の変化について考えてみよう。この問題については松井茂記『インターネットの憲法学』(2002年、岩波書店)がきわめて今日的な視点を私たちに提供してくれる。インターネットの出現によって既存の法制度が再検討されていること。そして、新しい法理論が構築される必要性を、松井茂記氏はこの本の中で豊富な実例を挙げながら論じているのである。

 例えば従来の詐欺罪、窃盗罪、不法侵入罪、器物損壊罪などが想定していなかったようなタイプの事件がインターネットの普及にともなって起こってきた。このような事態に対応して、1987年に刑法が改正され、電子計算機損壊等業務妨害罪(第234条の2)、1991年に電磁的記録不正作出・供用罪(第 161条の2)が設けられた。また、1999年に不正アクセス行為の禁止等に関する法律(不正アクセス禁止法)が制定されたのである。(松井茂記『インターネットの憲法学』30-31ページ)

 また、電子商取引が盛んになることによって、2000年に電子署名及び認証業務に関する法律(電子署名法)、2001年に電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律が制定され、2001年の刑法改正では支払い用カード電磁的記録に関する法律も設けられた。(同書、32-33ページ)

 しかし、なんと言っても大きな変化は行政資料の情報公開や民事訴訟・刑事訴訟における手続きの簡便化が促進されつつあることだろう。このような動きはこれまでの法や行政の制度そのものを変えていく可能性があると思われるのである。

 私の経験をここで書いてみよう。1990年夏ごろから話題になったいわゆる「ポルノコミック」規制問題の時、私は出版労働者、書店労働者、弁護士、まんが家、まんが評論家らと大阪府青少年健全育成条例を考える会を結成し、シンポジウムを開催したり、大阪府に条例改定反対の要請行動を行ったり、情報公開を申請したりしたことがある。その当時、条例改定にあたっての大阪府青少年問題協議会の文書などは一般の市民にとってすぐに入手できるものではなく、私たちは情報の入手に多大な時間を費やすることになった。

 しかし最近になって、大阪府青少年健全育成条例の再改定の動きがあると知って調べたところ、条例改正案の概要や新旧対照表、青少年問題協議会答申、条例改正に対する府民意見の募集やその結果などがインターネット上で公開されており、私たちは自由にダウンロードすることができるようになっていた。

 条例の改定については表現の自由の観点からは今回もまた非常に疑義のあるところだが、このような自治体による情報公開自体は評価されてよいだろう。ただ、審議会の内容など、電子メールによる情報公開の申請とインターネットを通してダウンロードできる仕組みをさらに進めていく必要があるだろう。

 一方、民事訴訟における訴状の送達をインターネットでも認めるようにすることや刑事訴訟におけるインターネットを通した証人尋問、あるいは訴訟記録のオンライン公開などが進展していけば、これまでの裁判制度は大きく変わっていくことは間違いない。(同書、36-37ページ)

 実際、法務省は民事訴訟の訴状や準備書面の交換など、書面に限られている訴訟手続き(「口頭弁論は、書面で準備しなければならない」民事訴訟法第161条)について、電子メールでも可能とし、関係者の負担軽減や審理の迅速化をはかるという。

 3月下旬に予定される法制審議会に諮問し、2004年の通常国会に民事訴訟法改正案を提出する予定と報道されていた。(2003年2月18日付け「朝日新聞」大阪本社版朝刊)

 このようにインターネットのような新しいメディアの登場と社会の変化という、より「大きな物語」の中で出版メディアの変化も見ていかなければ今日の変化の本質をとらえることはできないと私は考えているのである。

 次回は、ひきつづき法学情報の変化について検討してみたい。

2003-02-23

新しいメディアに対する批判と書物の権威

 書砦・梁山泊店主の島元健作氏が「IT革命」を「バカになった若者」を必要しているように言うのに対して、そういう見方は皮相にすぎるのではないかと私は考えている。なぜなら、まずインターネットやケータイというメディアを仔細に調べ、その新しいメディアが社会の変化とどのように関係しているのかを考えてみる必要があると思うからである。

 インターネットやケータイに対する批判というのは、新しいメディアが現れるたびに繰り返し行われている違和感や嫌悪感の表明に過ぎないのではないのだろうか。

 例えばテレビに対する批判を思い起こしてみよう。今年2月1日はテレビ誕生50年ということでNHKでは16時間生放送で記念番組を放映していた。 1953年2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を東京で開始し、8月28日に日本テレビが開局したのである。そして、テレビの功罪ということで言えば大宅壮一氏の「1億総白痴化」発言があまりにも有名である。

 1956年11月3日放送の日本テレビの視聴者参加番組『何でもやりまショウ』において、早慶戦で早大の応援席で慶応の応援をした出演者が早大応援団につまみ出される騒ぎとなった。これを評して、評論家の大宅壮一氏が1957年2月2日号の『週刊東京』で「テレビにいたっては、紙芝居同様、いや、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと並んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、”一億白痴化”運動が展開されているといってよい」と書いたのである。(日本放送協会編『20世紀放送史』(上)403ページ、2001年、日本放送出版協会)

 テレビが出現してまもない時期にこのような批判が現れていることに注目したい。そして、テレビの契約件数が100万を超える1958年ごろを一つのピークとしてこのような「テレビ功罪論」が語られていたのである。

 『20世紀放送史』(上)の先ほど引用した後には次のように書かれている。

 「大阪の朝日放送の広報誌『放送朝日』は、57年8月号で『テレビジョン・エイジの開幕にあたってテレビに望む』という特集を企画、識者の談話を集めた。ここで作家の松本清張は『かくて将来、日本人1億が総白痴となりかねない』と述べている。
こうした経緯を経て、テレビ批判のシンボル的な表現としての”一億総白痴化”が定着していった。」(403ページ)

 このように大宅壮一氏や松本清張氏など当時の知識人たちは当時のテレビを低俗なものと批判した。そして、その背景には書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと思われるのである。

 島元氏は『文藝春秋』1957年2月号に掲載された「本はバスに乗って~奥多摩の移動図書館」のグラビア記事をみて「本も読書も生き生きとしていた良き時代の情景です」と書いたが、その雑誌が発売されたちょうど同じ時期に「一億総白痴化」という言葉が流行し、テレビの低俗化批判が湧き起こっていたのである。たしかにテレビの登場は書物の権威が次第に落ちていくきっかけの一つであったに違いない。

 今日において、島元氏は池田清彦氏の「加速するバカ化」(『ちくま』2002年9月号)に共感し、インターネットやケータイが流行するのはバカになった若者のせいであるという論の立て方をした。しかし、少し冷静に考えれば分かることだが、テレビを見れば一億の国民が「白痴化」するとか、インターネットやケータイをすれば若者が「バカ化」しているといった言説はあまりに単純すぎる。もっと具体的に何が問題なのかを論議する必要があるだろう。

 島元氏は日本出版学会関西部会の講演会の会場に「IT革命なるものへの反革命的遁辞」という島元氏の文章を配布した。その中に次のような箇所がある。

 「『デジタル時代の出版メディア』(ポット出版)で著者は、デジタル社会のなかでの読書環境の変化について無知であるのは、精神の退廃を招くと言い切っている。電子出版やインターネット書店等について、この本から多くのものを教えられた。しかし、読書環境の進化のように見えるその変化が、読書主体を退化させ、あるいは解体させるかもしれない危機に思いを巡らせず、技術論だけを精緻に展開させるのも、精神の退廃とならないだろうか。実は、著者の湯浅俊彦氏とは、終電車の時間も忘れて飲みかつ論じ合うアナログ的おつき合いをしている仲だ。片や売れない古本屋のおやじ、方や大型新刊書店の少数労組の反骨委員長を結びつけているのは、情報交換の利便なぞではなく、本好きという心根の共有以外にない。」(『彷書月報』2001年1月号・31ページ)

 じつは飲んで話すたびになかなかお互い譲らぬ頑固者になり、次第に激論となってゆく島元氏と私なのである。

 すでにこの連載でも第4回「IT革命と社会的関係性の変化」のところで書いたようにIT革命におけるデジタル・デバイド(情報格差)と同様の問題が書物というメディアにも起こっていたことを私はいつも島元氏に強調するのであった。黒崎政男氏が言うところの「情報の独占と情報のタイムラグによって成り立つ学者や教師という専門家の権威」と比べ、インターネット情報の「開放性」と「同時性」は社会のあり方を変えてゆく可能性をもっていると私は思う。だからこそ、私がインターネットやケータイについて論じようとする時、それはあくまで社会的な視点からアプローチしようとしているのであり、決して技術論の立場からではない。出版メディアを考える上でもCD-ROMやオンライン出版などのいわゆる電子本が出現したために、紙の本の特性がますます明らかになってきたのである。そして、電子本の誕生は社会的な関係性の変化にもつながっていく可能性のあるものである。「進化」という言い方を私はしないが、少なくとも「相対化」されたと断言できるのである。

 そして、それは書物が絶対的な権威であった時代よりもずっといいと私は思っているのである。

2003-02-14

「IT革命=若者のバカ化」説への反論

 さて、いよいよ今回は私の敬愛する島元健作氏(書砦・梁山泊店主)の「反IT文明論」への反論である。

 その前にもう一度、日本出版学会関西部会での島元氏の話に耳を傾けてみよう。

 島元氏は、産業革命によって近代資本主義が成立したことについて、農民が封建的束縛から逃れて自由になる一方で資本家のところに行って働くしかない不自由さ、つまり賃労働者が生み出された歴史的背景を語った。そして産業革命と対比していわゆるIT革命は情報機器を買う、「バカになった若者」の存在が必要であるのではないかと語った。需要があるからではなく、まず製品開発があって、「バカな若者」から普及していく、というのである。

 この講演で島元氏が会場に配布した資料に池田清彦「加速するバカ化」(『ちくま』2002年9月号、「やぶにらみ科学論」(12))があった。少し長いがどういう文章か引用してみよう。

「この数年、学生たちのバカ化はさらに進んだように思われる。インターネットとケータイの普及に原因の一端はありそうだ。私はインターネットもやらなければ、ケータイももっていない。知的生産に何の役にも立たないことが分かっているからだ。私は見ないので本当は知らないのだが、仄聞するところによると、ネット上の言説には目も当てられないものが少く(ママ)ないと言う。本は一応、編集者というフィルターを通す。ネット上の言説はどんなフィルターも通さない。質が落ちて当然である。小谷野敦の表現を借りれば、バカが意見を言うようになったのである。インターネットは世界につながっているはずなのだが、彼らは狭い世界の中でバカな意見の交換をするのに忙しく、外部の意見を探ろうとする意欲はないようである。意見はけたたましく言うのだけれども、自分の意見の知的水準に対する内省はまるでない。ケータイもまた狭い人間関係の中だけで、情報をやりとりするのに使われるだけで、外部へつながる契機を奪うように機能している。高等教育の機会拡大が若者のバカ化を加速したように、情報に対するアクセス権の拡大は、若者たちに情報の閉域化をもたらしつつあるように思われる。ケータイで一時間毎にやりとりし、下宿に帰ってネット上の『フォーラム』にゴミのような意見を言うだけで一日が終わってしまう。ケータイとインターネットという最新の道具を使っているので、本人たちは何か知的な作業をしていると錯覚しているのかもしれないが。大海を知らないインターネットの中のカエルである。」(31ページ)

 私はこの種の、人を「バカ」呼ばわりする文章がネット上の「フォーラム」ではなく筑摩書房のPR誌『ちくま』に掲載されていることに、むしろ驚く。いつの頃からか「本音トーク」とか「激辛エッセイ」とかいう触れ込みで、人を罵ることに主眼を置いたような本や雑誌が即席で作られ消費されていることこそ、古書店主の島元氏にとって憂うべき事態ではないのだろうか。つい先ごろも石井政之氏が柳美里著『石に泳ぐ魚』の出版差し止め裁判についての文章を書いていると聞いて、私は『まれに見るバカ女』(宝島社)という本を買った。しかし、それは「社民系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで!」と副題にあるように、女性たちへの罵詈雑言集であった。そういえば池田清彦氏についても柴谷篤弘氏との対談を中心にまとめた『差別ということば』(1992年、明石書店)で、かなり挑発的な発言をする人だなと思ったことがある。

 それはさておき、先ほど引用した部分の前段で池田清彦氏は『新しい生物学の教科書』(新潮社)という本を出版した時に、この本を2割引(著者割引)で学生に売ってあげようとしたのに、たった一人しか買わなかったことに対するうらみつらみを長々と書いている。そして、「難しい本は三流大学の生協ではまず売れない」だとか「はっきり言って、現在の日本の大学生の八割は、大学に来てはいけなかった人たちなのである」とまで論理は飛躍していくのである。もちろんなぜ「八割」なのか、何の根拠も示されてはいない。要するにこれは多分「辛口エッセイ」なのであって、まともに一つひとつ「社会科学的」に考えても意味がないのだが、「山梨大学教授・生物学」と最後に肩書きが記載されているために恐らく権威づけられてしまうであろう。

 「ネット上の『フォーラム』にゴミのような意見を言う」若者を池田氏は「バカ」呼ばわりしている。しかし、筑摩書房のPR誌『ちくま』に「山梨大学教授・生物学」の肩書きで、「大学程度の知的訓練に耐え得るのは、人口の一割程度しかいないという厳然たる事実」などと、またしても何の根拠も示さず「一割程度」と数字を挙げることははたして「賢者」のすることなのだろうか。

 私はこの資料を会場に配布した島元健作氏の意図とは逆に、むしろ池田清彦氏が自身が勤務する山梨大学の学生に苛立って悪態を吐くしかないという「厳然たる事実」に興味を覚える。今日の大学における教授と学生の関係、授業と教科書のあり方、大学生協書籍部における書籍販売の実態など、この文章には池田氏の主観とは別に様々な材料を私たちに与えてくれるのである。(しかし、それにしても勤務する大学を「三流大学」と書き、学生を「バカ」と書く大学教授に学生は教えられたくないだろうなあと私は思う)

 つまり、この文章に表れているのはこれまで当たり前だったことが、次々と変化し、大学という制度そのものが揺らいでいるという現実である。とりわけ、インターネットの急激な普及以降の様々な変化は単に速さや便利さという側面だけでなく、社会的関係性の変化につながっていくことにこそ私は注目したい。

 韓国のキム・デジュン前・大統領が、学歴に関係なくインターネットを使いこなす農業従事者や中小企業やベンチャー企業の経営者などを「新知識人」と呼び、このような「政府が提示した『新知識人』論は、これまで『知識人』とされてきた層から強い批判と反発を受けることなる」とキム・ヤンド(金亮都)氏は指摘している。(キム・ヤンド「社会に変容をもたらす新しいメディア」『別冊本とコンピュータ3・コリアン・ドリーム!』102ページ)

「情報に対するアクセス権の拡大」は、「学生たちのバカ化」進むから良くないのではなく、旧来の「知識人」の足元が揺らぐから嫌悪されているという側面はないのだろうか。

 インターネットやケータイという比較的新しいメディアに対する「知識人」の嫌悪感をもう一度、よく吟味してみる必要があると私は思うのである。

2003-02-09

移動図書館が輝いていた時代

 前回、「派手なライブラリアン」である尼川洋子氏を取り上げたが、その尼川さんが当日、会場に配布した大阪府立女性総合センター・情報ライブラリーのプロフィールをここで紹介しておこう。

大阪府立女性総合センター・情報ライブラリーのプロフィール(2002年12月現在)
●設立
1994年11月、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)の女性関係情報専門ライブラリーとして開館。運営は(財)大阪府男女協働社会づくり財団が行っている。
●施設
ドーンセンター2階全フロア。面積750m2
●設備
閲覧席24席、ブラウンジング・コーナー(ソファ、大閲覧机)、ビデオブース(個人用=3ブース、2人用=3ブース、グループブース=1)、利用者端末(館内4台、1階フロア3台)、インターネット端末(1台)
●情報システム
独自に構築している女性関係情報システム「情報CAN・ドーンネット」で、ドーンセンターOPAC及び独自の女性関係情報データベースをインターネットで提供している。( http://www.dawncenter.or.jp)
2003年10月、リプレイス予定。
●コレクション
1●図書…32,726冊
2●行政資料…8,596冊
3●雑誌…1,259タイトル(31,144冊)
4●新聞…6紙
5●AV資料…1,365本(ビデオ1,338、カセットブック27)
6●アーカイブ…「女たちの太平洋戦争・15歳の手記」手書き原稿(約3,000点)
…「日本ウーマンリブ原資料」ビラ、ニュースレター等(約900点)
7●ポスター
8●パネル資料…「女性に対する暴力」
9●データベース
…団体・グループ情報
…女性施設情報
…自治体の女性政策担当窓口
…困ったときの相談窓口
…法律・制度キーワード
…数字で見る女性
…人材(オフライン)

 ところで今回は、尼川さんとはまったく異なる立場、異なる場面で奮闘している古書店主の話。

「書砦・梁山泊」という社会・人文系専門の古書店が京都にある。この古書店主の島元健作氏は以前から「反インターネット」を標榜している。1月末に届いた梁山泊の目録「書砦―社会・人文系絶版古書目録」通巻第32号の編集後記に店主は次のように書いている。

「昨秋、日本出版学会関西部会とやらから求めがあったのを幸い『インターネット時代の古本屋』なる演題を強引に捻じり曲げて、持ち前の反IT文明論を一席ぶってきました。利便とか科学的とかいった一見ニュートラルな要請の中にこそ反人間的なイデオロギーが秘められている。手触り、情緒、直感といったものに信を置くことは決して迷蒙ではない。本(というかたち)は残るし、残さなければならない。―というような話なのですが、勢い余ってかなり反動的言辞も撒き散らしたようで、どうも下手なボヤキ漫才ぐらいの受けしかありませんでした。ちなみに今回の目録の表紙は、その際に配布した『文藝春秋』(昭和32年2月号)のグラビアからのコピーです。本も読書も生き生きしていた良き時代の情景です。IT論者には不便で貧相で痛ましく見えるのでしょう。」

 ここに書かれている日本出版学会関西部会の例会を企画したのは私である。正確には2002年10月23日、「古書店から見たインターネット時代」というテーマで、西宮市大学交流センター講義室において島元氏に講演をお願いしたのである。

 この日、島元氏はまず会場に『文藝春秋』1957年2月号に掲載されたグラビア記事のコピーを配布した。「本はバスに乗って~奥多摩の移動図書館」と題するその記事は次のように書かれていた。これも少し長いが以下に引用しよう。(旧字は新字に改めた)

「移動する図書館『むらさき号』は、東京都の教育委員会が昭和二十八年に創めたもので、二千冊の図書を積み、都下の西南北の三多摩郡の山間、五十カ町村、地理的にも経済的にも中央の文化から隔てられている地域を巡回するバスである。青梅・立川両市の図書館を根拠地として、毎月一回、約五十冊ずつの本を三多摩各地の小学校、役場、特約している民家などに配布して回る。

 開始以来、梅原・八里・三平の三君がずっと継続してこの仕事に当たって居り、人々から親しまれている。

 山間の道は冬の間は殊にひどく、同じ日時に予定の駐車地に行くことには、人知れぬ苦労があるが、『むらさき号』の来着を待つ人の数は次第に多くなって、野良の合間に立ち寄る人もあるようになった。

 主婦達が子供のための本の相談を持ちかけたのが契機となり、『むらさき会』という読書会が山村の夜の楽しい集いとなっている所もある。」

 そして、この記事にはグラビア写真が9葉あり、それぞれ次のようなキャプションがつけられていた。

「むらさき号が来た」「新しい文庫を貰っていそいそと」「バスを止めて店開きするかしないかにもう飯場の人たちもやって来る。読書の相談などに応じる」「出水のあとにはこんなこともある」「今もいで来たんだ、上っとくれよ」「臨時貸出のマンガに夢中だ」「八十歳になるお爺さんも野良の合間に」「炉辺に楽しい『むらさき会』の集り」

 島元氏は講演の中でこの雑誌に取り上げられている光景について「本が生きていた、読書が生きていた、読者が生きていた」と語った。そして、「今この同じ場所に行くと、教室にはパソコンが用意されていて、インターネットで本が読めているのかもしれない。しかし、そんな風景より昭和30年代の方が豊かだと思う」と言うのである。

 そして、島元氏の次のようにみずからの「反IT文明」論を展開した。

1●パソコンはツールだとかニュートラルだとか言うが、距離を置くことができないというイデオロギーをもっており、パラダイムとセットである。技術論ではなく、社会科学的、哲学的におさえておかなければならない。
2●インターネット情報革命には「バカ化した若者」(池田清彦「加速するバカ化」『ちくま』2002年9月号)が必要になっている。
3●最近、古書の世界では入ってきたときから腐っている本、捨てる本が多い。価格破壊どころか書物が破壊されている。
4●ファーストフードに対抗してスローフードがあるように私はスローブックでいきたい。

 この日、島元氏は会場に大正期の本を9点持ってきて、参加者に見せてこう語った。

「80年くらいたっているのに見て美しい。堅牢であり、瀟洒である。普通の本なのに本として傷みもしない。これだけしっかりした仕事を出版社、製本屋はやっていた。しかも、いちいちこころざしや理想とか言っていなかったと思う。」

 その一方で、島元氏は今日の書物を次のように批判した。

「それに引き換え、いま出されている本は5年や10年で情報が古くなっているとかいう以前に80年後には残っていないだろう。岩波新書もいつの頃からか背をゴムでつけている。また、斎藤美奈子『文壇アイドル論』もカバーをとると何も書かれていない。カバーがなかったら終わり。装丁が考えられているのか。斎藤美奈子の『妊娠小説』も近代文芸批評の中で画期的な本だと思う。なのに、1、2年でなくなってよいような作り方をしている。作っている人が後世を信じていないのではないだろうか。」

 島元氏によれば古書店では本は3つに分けられるという。1番目は「つぶし」。これは廃棄するもの。2番目はrevalue。新しく価値をつけるもの。 1700円の本が3000円になったりする。3番目はその中間に位置するいわゆるリサイクル本。1700円が850円になったりする。そして、ここ数年、この「つぶし」がものすごく増えてきたと言うのである。

 そして、みずから経営する古書店で扱う本について、先ほど挙げた「編集後記」の中で次のように書いている。
「…取扱品を絶版書に限るのは原料選別の最低ラインでしょうか。新刊書を定価の何割引きかで売るのも古本屋のサービスの一つですが、しょせん昨今全盛の安売り商法に流されてしまいます。今回からは基準を厳しくして、絶版といえども刊行から十五年以上経ていないものは扱わないことにしました。」
 出版業界が新刊ラッシュと売上低迷という矛盾した状況にある今日、古書の世界からは「入ってきたときから腐っている本」という厳しい眼差しが注がれているのである。「鮮度重視」の究極がオンライン出版であるとすれば、島元氏の「反IT文明論」は本を時間のふるいにかけて見る古書店主の心意気なのであろう。

 島元氏の言うように、移動図書館の到着を心待ちにしていたような人々はいまではおそらくほとんど存在しないのだろう。いわゆる先進諸国ではどこでも本を渇望する時代は過ぎ去っているように思われる。このような状況をどのようにとらえるかは、論者によって異なる。出版に関する心情では私は島元氏と考えを共有する部分が多い。しかし、島元氏の「反IT文明」論に対しては、反論すべき点もある。

 このことについては、また次回に書くことにしよう。

2003-01-29

ライブラリアンの底力(そこぢから)

 前回、「公共図書館が大学生の生活の一部になっているようには感じられないのである」と書いた。それは図書館の利用に関するアンケート調査の対象者であった京都学園大学の「メディア論」の受講生たちが、それほど本を読んでいるわけではないことを私が知っているからでもある。

 同じ受講生を対象とした読書に関するアンケートでは、最近1ヶ月間に読んだ本の数が0冊という学生が38%(16人)、1冊が19%(8人)と、回答者42人のうち、0~1冊が57%と過半数を占める。しかし、一方で10冊以上が5%(2人)と読まない人と読む人がはっきり二極分解していることも事実なのである。

 すでにこの連載の第18回「大学生は『紙』派か、『デジタル』派か?」のところで私が中部大学の「メディア論」の受講生を対象に行った同じ調査でも同様の結果がえられている。クラスの学生を対象にしたアンケート調査なのでサンプル数があまりに少なく、この結果から大学生一般を語るわけにはいかない。しかし、この連載の第15回「若者・ケータイ・読書」のところで書いたように、大学生活協同組合連合会の読書調査などの結果とも合致しているので、全般的な傾向と見てよいだろう。つまり読書頻度に関する調査からは「本を読む人の方が少数派」になっているということである。

 そうした状況をふまえながら図書館の利用についてのアンケート結果をみれば、いわゆる「調べもの学習」があるので図書館を利用するという学生の姿が浮かび上がってくる。そして、大学図書館も公共図書館もどちらも利用しないと答えた学生の中には、「最近、必要な情報は全てインターネットで調べているので、図書館はほとんど利用しません」と答える新たな層が生まれてきていることにこそ、注目せねばならないだろう。

 一言でいってこれは大きな誤解である、と私は思う。大学生のような若い世代が本来、図書館が提供すべき多様な利用者サービスの存在を知らない。それゆえに起こっている悲劇ではないのだろうか。さまざまな本を次々と図書館で借りて読むといった読書の愉しみだけでなく、調べたり学んだりする時に資料を探してくれたり、必要な情報を提供してくれたりする有能なライブラリアン、その豊かなレファレンス・サービスに出会った感動がないからではないだろうか。

 ところで、私は先週の土曜日(2003年1月25日)、大学図書館問題研究会近畿4支部新春合同例会に参加した。尼川洋子氏(大阪府立女性総合センター・企画推進グループ・ディレクター)の講演「ジェンダー問題と女性情報~大阪ドーンセンターライブラリーの活動とサービス」を聞くためである。この講演の中で尼川氏は次のように語っておられた。「図書室のカウンターに人は必要ない。利用者が来たら出ていけばいいのではないか」とか「書架が本で埋まってきたから、もう本は要らないだろう」といった行政職の人の図書館に対する認識は、図書館=自習のイメージしかないところに原因があるのではないか。行政の担当者自身が学生時代に、図書館員はとっつきにくく、話したこともないというイメージがある。図書館サービスを受けた経験がないのである。そこで尼川氏は女性センターにいる職員といういちばん身近かにいる人にまずライブラリアンとして手厚くサービスすることから実践したという。例えば毎朝、新聞5紙から関連する必要な情報を切り抜き各係に1部ずつ回覧することや、新人が来ると「ジェンダー」とか用語の意味が分かるように資料を提供するとか、ライブラリアンが持っている力を次々と見せてあげているというのである。

 情報は必要な人に結びついてこそ意味がある。どんな質問が来てもなんらかの情報を提供できること。しかも、動きのある生の情報を提供できることを心がけていることを尼川氏は強調していた。女性センターの場合、利用者が情報を求める背景にはその人が抱える現実生活上の問題が存在する事例が多い。これまでの経験や知識で対応できないがゆえに女性センターの資料や情報が求められているのである。これはまさにカウンター業務としての貸出・返却だけではとらえきれない「情報相談」が女性センターの情報ライブラリーの中核をなしていることをあらわしている。この発想はたしかにビジネス支援図書館と相通ずるものがあるだろう。

 また一方で、私には尼川氏が図書に限らず原資料のもっている力の大きさについて改めて語っていたのが印象的だった。15歳の人たちが書いた太平洋戦争の手記を大阪府立女性総合センターでは所蔵しているが、この手記を実際に見て「学校の授業で習った時は戦争の話が嘘のように思えたが、この手記を実際に見て嘘ではないと思った」と中学生が感想を述べていたという。「デジタル化も大事だが、原資料も大事」、と尼川氏は言う。

 1967年から1992年まで神戸大学附属図書館に勤務し、1992年に兵庫県立女性センター、1994年に大阪府立女性総合センターと2ヶ所の女性センターの情報ライブラリーの立ち上げにかかわった尼川氏は、大学図書館員たちを対象としたこの講演で図書館の理念と実践を改めて熱く語っていた。それは大学再編の渦中で針路を見失いがちな図書館の人たちにライブラリアンとしての自信を呼び覚ます意図をもってして語られたもののように私には感じられた。そして私は図書館の役割をまだ十分に知らない利用者たちにもこの講演を聞いてもらいたかったと思う。

 インターネットで調べられるから図書館は不要、というのは大きな誤解である。尼川氏が講演で強調していたようにいまこそ「派手なライブラリアン」がもっと利用者の前に現れてその底力を見せてほしいと私も思うのである。

2003-01-21

公共図書館は大学生には無縁?

 前回は「ベストセラーをめぐる攻防~作家vs図書館」というNHKのテレビ番組を大学の「メディア論」の受講生に見てもらい、設問への回答を分類して示した。

 回答をみると大学生たちはきわめて冷静に図書館の複本問題をとらえ、その本質を突いた意見が出ていることに気づくのである。

 設問の第一の、公共図書館がベストセラー本などを複本購入して利用者に提供することについては、利用者として歓迎する意見と賛成できないという意見に分かれた。

 まず、「歓迎派」は無料で読みたい本を読めるのだから利用者にとってこれほど良いことはない。また、本が出版されてすぐに読みたいから予約待ちは嫌だ、という。図書館に本が置かれることは作家が世間に認められるということだから喜ぶべきである。そして、読者は必要な本は手もとに置いておきたいのだから作家はおもしろい本を書けばいい、という意見である。

 一方「反対派」は、図書館は本屋と違うのだから1つの作品を1冊購入して貸し出すべきである。また、ベストセラーはあとになってあまり借りられないから有効に税金が使われていない気がする。さらにベストセラーは図書館を平べったい感じにしてしまうとも主張している。

 ところでベストセラーなど人気のある本の複本購入に対して賛成も反対もあえて表明せず、必要な本は借りずに買うので関係ないと答えた人たちもいることを忘れてはならない。

 設問の第二の、出版社が販売機会を奪われていると主張することについては、「出版社に同情しない」が「出版社の言い分ももっともである」を上回った。読者の立場からすれば出版社の事情よりも自分たちの財布の中身の方が気になるという意見である。

 設問の第三の、作家などが図書館での貸出に制約を考えていることについては、「制約はない方がいい」や「どちらがいいか分からない」より「制約はあった方いい」と答える人が圧倒的に多かったのは意外だった。

 制約の内容を具体的にみてみると、新刊書の貸出は一定期間しない、一つの図書館での複本購入冊数に上限を設ける、図書館に売る本を高く設定する、 1冊に10円払う、といった結構、核心を突く意見が出されている。CDやビデオのレンタルに慣れた発想が大学生にはあるのだろう。

 設問の第四の、図書館のネットワーク化、ビジネス支援については、そうした取り組みに期待するという意見が多かった。自分の目的にあった本を探してくれる司書が増えれば今まで図書館を利用しなかった人も利用する、という意見。利用者のニーズにぴったりの図書館があれば生活になくてはならない存在にもなり得る、といった前向きに評価する意見が多かった。

 ただ一方では、ネットワーク化よりも1ヶ所にあらゆる資料がある方がよいという意見もあった。

 以上、大学の「メディア論」のクラスでの調査概要を述べてきたが、この調査で注意しなくてはならないのは、公共図書館の複本問題に対する大学生の意識は以上のように分類することができても、それは大学生の公共図書館の利用実態をそのまま表しているわけでは全然ないということである。文化コミュニケーション学科の「メディア論」の受講生なのだから、メディアには多少なりとも興味がある学生のはずなのだが、その学生たちにしても公共図書館を利用している人たちは少ないようなのである。

 やや資料づくしになるが、以下の調査を見ていただきたい。以下に示すのは2002年10月12日に同じく京都学園大学の「メディア論」受講生を対象に実施した図書館利用に関する調査の結果である。

【設問】

10月7日、国立国会図書館関西館がオープンしました。ところで、あなたは図書館をよく利用しますか? 「公共図書館」派、「大学図書館」派、「両方利用する」派、「どちらも利用しない」派? いずれかをまず書いてから、図書館の利用について自由に意見を述べてください。

【結果】

回答者46名(カッコの中に参考までに学年を記載)

「公共図書館」派(4名)
●私は「公共図書館」派です。大学生になってから図書館は利用していません。でも最近、とても本が読みたくて家から一番ちかい図書館に行ってきました。けど休館でかりることができませんでした。よく思うんですけど、休館日とかケイタイですぐ調べられるようになればいいなあと思います。本を読むのは大好きだし、図書館の雰囲気も大好きなので、これからはマメに通いたいと思います。せっかくタダで本が読めるのでたくさん利用したいです。学校の図書館は場所がちょっと遠いのと、新しい本があんまりない気がしてめったに行かない、というか、何回しか行ったことがないです。(2回生)
●「公共図書館」派。本を借りに行く必要がある時は近くの図書館まで足を運ぶ。これまでは読書感想文や自由研究と言った夏休みの宿題に使う本を借りに、毎年夏休みに行っていたが、大学になってからはレポートを書くのによく本が必要となったので、今年になって既に3回程借りに行った。大学の図書館にはほとんど行っていない。慣れている所の方が気軽にいられて良いからだ。(1回生)
●「公共図書館」派。私が読む本は小説が多いので、公共図書館を使っています。大学図書館は利用したことがなく、専門的な本が多いようなので、レポートなどで調べることがあれば利用しようと思っています。(1回生)
●「公共図書館」派。本などを買って読むのもいいけれども、高くついてこまるという点では図書館は静かでいつでも好きな時に読めたり、また好きな作家の本を時間にかんけいなくよめる所とかでよく利用します。(2回生)

「大学図書館」派(18名)
●「大学図書館」派。授業の空き時間に利用できるし、静かなふんいきが好きだから。(1回生)
●私はあまり本を読む事を今までしなかったため、図書館や本屋に行く習慣がありませんが、大学に入り、いろいろ論文等、利用する機会が増えたので行きます。しかし、大学のレポートや論文で使う本は値段が高いのが多いし、専門すぎたりとかして本屋に置いてない場合や買えない場合が多いので、私は図書館の方が多く利用します。中でも大学の図書館をよく利用します。亀岡に住んでいるので、公共の図書館の数も少なく場所も遠い。蔵書数も大学の方が多いので、調べたい本がある可能性が高い。図書館は利用しやすく、交通の便の良い所の方が、利用者が増えると思う。例えば駅前とか。(4回生)
●図書館はあまり利用しない。私は「大学図書館」派です。あまり本を読まないので、大学図書館もあまり行かないけど、やっぱり学校の方が勉強でわからないところは必ず大学の図書館にあるので、探しやすいし、利用しやすいと思う。公共は一般の人の利用もあって、おちつかない。大学の学習分野のは大学にそろってあるし、調べたりするといったら、大学の勉強のことなので、私は大学で十分だと思う。(2回生)
●「大学図書館」派。特に本を借りるわけではなく、勉強をしにいく。問題集などを貸し出してくれるとうれしい。(3回生)
●「大学図書館」派。家の近くに公共図書館がないので大学の図書館を利用します。図書館には調べものがある時ぐらいしか行きません。(3回生)
●「大学図書館」派です。僕は基本的に本を借りるのはあまり好きではなく読みたい場合は買います。しかし、ちょっと調べたい時や授業関係でしかたなくの時は大学の図書館を利用しています。借りて読むのが好きではないのは、ゆっくり読みたい気持ちがあるのと面白ければ何回も読みたくなるからです。読むのが遅い僕はまんが喫茶は絶対利用しません。もったいない。(2回生)
●「大学図書館」派。私の町には公共図書館がなく、県立の図書館にも遠いので行きません。大学図書館はレポートをする時にしか利用しませんが、毎日大学に来ているので利用しやすいです。国立国会図書館に僕は行ってみたいですけど、借りるのが面倒とか……。図書館は借りやすい所が一番いいです。(2回生)
●図書館はあまり利用しない。大学のレポートなどの時に、調べものや、資料のために、大学図書館を利用するくらいだ。本を読みたいなら、書店で買うし、書店の方が種類も多いし、新書もチェックできるし、新品できれいだから。それに、私は、図書館では、落ちついて本を読むことができないので。ビデオ、DVD についても、同じように落ちついてみれない。(2回生)
●大学図書館を利用しています。毎日、学校に来るからです。(3回生)
●僕は「大学図書館」派なんですけど。大学でもし時間があったら、よく図書館へ行って本を読んだり、雑誌を読んだり、ビデオを見たりします。すごく便利だと思います。(3回生)
●大学に入学してからは「大学図書館」派になったと思うが、高校の頃は「両方利用する」派だった。高校の場合、本の種類が少なく公共図書館まで行っていたが、大学の場合は種類も多いし、「大学図書館」派になった。図書館利用は一般の人にとても役立つと思うし、なかなか買えない高い本やマンガなどもっと分野を幅広くしてたくさんの本をおいたら人生にも役立つと思うし、利用者も増えると思う。(2回生)
●私は大学図書館だと思います。私は昔から図書館というか本がたくさんある場所の雰囲気が好きで、余裕のある時は行きたいと思っていますので、行ける範囲に公共の図書館があればそちらにも行ってみたいです。(2回生)
●「大学図書館」派です。大学の図書館はよく授業のレポートなどをやるのに利用します。やはり大学の図書館の方がレポートをやるのにつごうがよくおなじ年代の子が多いので行きやすいです。(2回生)
●「大学図書館」はよく利用します。いろんな資料が調べられるから便利だと思う。それも静かに中で勉強ができる。(3回生) ●「大学図書館」派です。何故って、やっぱり近いからです。返す必要があるので近くにないと使いにくいし、大学図書館は割りと本の状態が良いので。(1回生)
●たまーに大学の図書館に行きます。公共図書館は家から歩いて10分位のところにあるけど、まったくとおらない道にあるのであまり行かないし、あまり本が置いてないのでめったに行きません。本屋さんに欲しい本があっても、お金がなくて買えないし、本を買うくらいなら服代にまわしています。自分の欲しい本が図書館にいってもあることはないし、とりよせてもらってまで読む気もないので、気付いたら本離れしてしまっています。でもお金さえあれば本も買いたいです。(1回生)
●僕は「大学図書館」派です。大学図書館には読みたい本もあるし、週に5、6回大学に行くので、大学図書館を利用します。図書館は無料で多量に借りられるのでとてもよいと思います。(1回生)
●僕は「大学図書館」派。図書館を利用することが少ないのですが、調べることがある時は大学図書館です。まず家の近辺に公共図書館がありません。図書館はどんなところにもあって場所によって本のそろいはさまざまですが、どこの図書館も便利で静かでふんいきが好きです。(1回生)

「両方利用する」派(16名)
●「両方利用する」派です。それは参考書や資料等、探す物によって選ぶからです。(1回生)
●「両方利用する」派です。でも本を借りるために利用するというよりは、「勉強の場」として利用しています。小学生のころから静かで集中できるのは図書館だと思っていて、実際テスト前か受験生の時には近所の図書館や学校の図書館をよく利用していました。本を借りるために利用する場合は、学校の図書館よりも公共図書館を活用しました。そっちの方がパソコンで検索ができるので探しやすかったし、品数も多かったからです。(1回生)
●私は「両方利用する」派です。図書館は雰囲気が落ち着いていて、中は静かだし、レポートなどを書くときなど利用します。家では勉強などするときは集中できないので、公共・大学図書館など勉強できるような空間の所を利用します。大学図書館は講義と講義の間の空き時間によく行きます。公共図書館は休みの日など、大学図書館に行けないときによく行きます。ときどき、返却期限がすぎてしまうこともあるので気をつけたいです。(1回生)
●今は、あまり通っていませんが、「両方利用する」派です。学校のレポートなどに必要な時ぐらいしか利用しませんが、どちらも使っています。その時の気分で。でもやはり期限があるので、めんどうくさいなと思います。(2回生) ●自分は「両方利用する」派だ。平日は大学図書館、土・日は公共図書館を使う。ただ、公共図書館の方が幅広い分野のものがあるので便利だ。図書館を利用する目的は、ほとんど新聞か雑誌が目的で、その他の本はほとんど読まない。でも、図書館は自分の世界にどっぷり入れるので、時間があればよく利用する。(1 回生)
●「両方利用する」派のどちらかと言えば「公共図書館」派です。時と場合によっては「大学図書館も利用しますが、やっぱり家の近所にあって、日頃小さい頃から使い(通い)慣れてる方が、行きやすいので、「公共図書館」をよく利用します。なぜか大学よりも地域密着型の公共の方が行きやすい雰囲気がある気がします。(2回生)
●私は公共図書館も大学図書館も両方利用する派です。私の場合、本を読むために利用するのではなく、レポートの為に利用することが多いです。読みたい本は自分で購入して読むのでそのようなことがないのです。それにしても大阪にオープンしたあの図書館はスゴイ!!テレビで見てびっくりしました。(3回生)
●「両方利用する」派。大学図書館では授業内容に合う本がたくさんあるので期末テスト前に利用する。公共図書館は面白い本を見つけたら借りる。(2回生)
●私は「両方利用する」派です。大学生になってよく公共図書館に行くようになりました。家にいるより集中できるし、涼しい暖かい。それに大学にない小説やエッセイ集があるから利用します。ただ少し遠いのと6時には閉まってしまうことが難点です。学校の図書館はレポートなどで利用しています。やはり学部にあった本が多いし、学校に来るついでに借り、返しができるので便利だと思います。(3回生)
●両方利用する派です。大学に入ってほとんど毎日大学に来るから、大学図書館を利用する方が便利だと思います。もし、大学図書館で必要な資料が見つけられない場合は公共図書館へさがしに行くと思います。(3回生)
●僕の図書館の利用方法は試験前に静かに勉強したい時や一人で静かにボーッとしたい時に利用する程度です。そう頻繁には利用しませんが落ち着いて勉強ができる為、活用させてもらっています。大学図書館と公共図書館では両方利用しますが大学図書館は騒がしいことがあるので公共図書館の方が好きです。(2回生)
●両方利用する派。普段は大学図書館を利用するけど、たまに公共図書館を利用する。あんまり行かないけど、大学の図書館に行けば必要な本はそろってるので大学の方を利用するけど、公共図書館は広くて本の種類も多くて、大学の図書館よりも静かだし、居心地がいいからたまにはいいと思う。(4回生)
●「両方利用」派です。もし見たい本は「大学図書館」でなかったら「公共図書館」にあるかもしれません。(3回生)
●授業でレポートが出た時だけ行きます。その時は両方利用します。図書館は少しかたくるしいイメージがあるので、あまり行きたいとは思わないです。でも最近はCDやビデオを置いてる図書館もあると聞いたので、そういう図書館なら行きたいです。(3回生)
●僕は両方利用する派です。公共図書館ではよく書物を調べたり、大学では館内のパソコンでインターネット等を活用したりするので非常に便利です。(2回生)
●私は「両方利用する」派です。大学図書館を利用し、欲しい本がない場合に、公共図書館を利用するようにしています。(3回生)

「どちらも利用しない」派(8名)
●どちらも利用しない派。最近はインターネットを使えば家から出ることもなく、調べたいことがすぐに調べられるので利用しない。(4回生)
●ぼくは図書館をあまり利用したことありません。ぼくは読書はあまりしないからです。昔はけっこうしていたが高校・大学になってあそんでばっかりで本をよまなかったので最近漢字がやばくなってきました。(1回生)
●ぼくは「どちらも利用しない」派です。図書館の本は公共の本で自分の他にも借りた人がいるし、これからも借りていく人がいます。その人達のことを考えると「汚してはいけない」とか「ページが折れたりしてはいけない」と思ってしまい、楽に読めない部分が自分の性格としてあるのです。自分の本ならページが折れてしまったりしても「仕方ないか」で自分だけがガマンすればいいことです。でも借り物の本はそうはいかないので気を使ってしまいます。もうこれは自分の性格の問題なのですが。だから読みたい本は買ってます。(1回生)
●僕は図書館はあまり利用しないです。受験の時は行ったりしたけど、最近はほとんど利用してない。図書館は静かで集中して本を読んだり、勉強するにはいいが、図書館が家から遠い場合などは不便だし、利用しようとも思わない。(1回生)
●「どちらも利用しない」派。最近、必要な情報は全てインターネットで調べているので、図書館はほとんど利用しません。(1回生)
●私はあまり図書館は利用しません。調べ学習がある時くらいだと思います。図書館へ行くよりかは普通に書店に出向き、本を買う方が多いと思います。それに本を読む時間が今はないのであまり読みません。(1回生)
●「どちらも利用しない」。公共図書館に行きたいけど、場所が遠い。大学図書館は私が読みたいと思う本がなかった。高校の時は興味のある本がいっぱいあったんですけど……。(1回生)
●どちらも利用しません。それは今のところ利用目的がないからです。でも、図書館はとても便利であると思う。なぜなら、わざわざ本を買わずに無料で借りて読むことができるからである。一度だけガレリア亀岡の公共図書館に行って、3冊ほど本を借りたのですが、読む時間がなくて、結局読まないまま返却してしまいました。だけど、今日のこの授業を受講して、何だか急にその読めなかった本を読みたくなったので、また借りに行こうと思います。(1回生)

 以上の調査結果から私は次のように考えた。

 まず、「公共図書館」派の人の意見を見ると、好きな作家の本を自由に読むために公共図書館を利用する人がいるようである。
 一方で「大学生になってレポートを書くのに大学図書館を利用する」というのは、必然的なことである。「蔵書数も多い」「毎日行くところだから」「授業の空き時間に利用できる」「静かだから」といろいろな理由が挙げられているが、やはり基本は大学の学習に必要な文献が大学図書館には揃っているということだろう。しかし、「調べる」という機能面からは逆に「インターネットを使えば調べられるので利用しない」という人も現れてきていることは注目に値する。「両方利用する」派は、利用する文献によって使い分けるということだろう。「調べる」のは大学図書館、「借りる」のは公共図書館という人も多いようである。また、結構、「自習室」としての図書館利用派も多い。

 「どちらも利用しない」派は、「読書しない」「ゆっくり読めない」「インターネットで調べるから利用しない」とさまざまな事情から図書館に行かない。

 この調査結果をみると、全般にそれほど本を読んだり、本を調べものに利用したりしているわけでもないように思える。つまり、「レポートを書く必要があるときだけ、図書館に行く」という行動をとる人が多いように見受けられるのである。また、「利用する」という人も授業の空き時間に大学図書館に行く、雑誌やビデオをみる、インターネットを利用することを「利用する」に含める人と、本を借りたりしなければ利用したうちに入らないと考えている人もいて、設問の受け止め方が回答者によって異なるようにも思える。

 いずれにしてもこの調査では公共図書館が大学生の生活の一部になっているようには感じられないのである。

2003-01-14

大学生は図書館をどのように見ているか

 図書館の貸出をめぐる論争が盛んである。2002年11月7日にはNHK総合テレビ「クローズアップ現代」で「ベストセラーをめぐる攻防~作家 vs図書館」という番組が放送された。そこでこの番組を11月30日に京都学園大学人間文化学部の「メディア論」を受講している学生に見てもらい、レポートを書いてもらった。なお、回答者は1回生から4回生までの41名である。

【設問】
本日のビデオ「ベストセラーをめぐる攻防~作家vs図書館」(NHK総合テレビ「クローズアップ現代 no.1659」2002年11月7日19:30-19:55放映)を見て、

1●ベストセラーなど人気のある本を公共図書館が大量に購入して利用者に提供すること、

2●出版社がそのことによって販売機会を奪われていると主張していること(「売られているのが8億冊、借り出されているのが5億冊」?)、

3●作家などが図書館での貸出になんらかの制約が必要ではないかと考え始めていること、

について、読者の立場でどう感じるか、自由に書いてください。

4●また、番組で紹介されていた図書館のネットワーク化やビジネス支援の図書館など、新しい図書館の取り組みについて、感想があれば書いてください。

【回答分類】

1●図書館がベストセラー本を提供することについて

利用者としては歓迎である
●ベストセラーが大量に購入されると読みたいひとに広く行き渡るから、読者側の立場なら得である。
●図書館の貸出が有料であれば、それは作家などになんらかの保証をされるべきだと思うが、図書館での貸出は大体が無料である。その場合どうであろうか?図書館に著者の本が一冊置かれることで多くの宣伝になるわけで、それが売り上げに通じると思うので図書館に本が置かれていることは世間に認められていることであり、作家としては喜ぶべきことではないだろうか。本が置かれることのない作家だっているのだから。
●人気のある本を図書館で貸出してくれているのは、私たちのような利用者にとってはとても便利だと思います。そのことで出版社などの販売数が減ってきているのもまた当然の事だと思いました。
●読者の立場から見るとそれはうれいしいことだと思う。新作は人気があってすぐに借りられてしまうだろうから、大量に購入してもらえれば借りやすい。本が返却されるまで待っていたらその本は新作ではないものになってしまう。
●読者から見れば、ベストセラーの本がただで借りられるのだから、これほど良いことはないと思う。
●現在、公共図書館の本は増えている一方、利用の人も多くなっている。だから公共図書館が大量に購入する。借り出せるなら、皆借り出したいから、別に本を買わなくても読めるから、図書館を利用する。
●読者の立場から公共図書館でただで読みたい本を読めることが一番いいと思います。例えばレポートのためにとか、あまり使わない本は図書館であれば、借りればいいです。
●読者の立場としては図書館の大量購入について賛成である。私たちはおもしろい本を出来るだけお金をかけずに読みたい。図書館はそんな私たちにこたえてくれている。だから賛成である。
●読者として、ベストセラーが図書館で借りれることは安くあがっていい。でも読みたい時に、予約待ちで2ヶ月とか6ヶ月も待ってまで読みたいとは思わない。本が出てすぐ読みたいから、予約待ちは嫌だと思う。
●それが図書館の元々の役目だから仕方ないのでは?CDでもそうだが、借りて読むことと買って読むことではまた違う価値がある。本そのものが好きなら買って、ただ読みたいだけなら借りればいい。
●公共図書館がベストセラーの本を購入して提供することはいいと思います。そのせいで書店などの売り上げが下がるのはしかたないことだと思います。図書館は市民に多くの本を貸し出すことが仕事なのでしかたないことだ。
●僕にとっては公共図書館がベストセラーや人気のある本を大量に購入して利用者に提供することはとても喜ばしいことである。なぜかというと、お金を使って本を買うよりも、無料で借りれることの方が非常に得だからである。
●利用者の読みたい本が図書館にあれば、図書館に行こうという気にさせ、良いこと
だと思う。
●出版社が販売機会を奪われるという問題点は確かにあるが、図書館が生き残っていくためには、ベストセラーを置くことは良い方法だと思った。ニュースでハリー・ポッターの新刊がものすごい速さで次々に売られていくのを見た。書籍もこんなに大量の売れ行きなのだから、図書館も行動を起こしてもいいと思う。利用者にとってはうれしいことだし。
●たしかに図書館に行ってベストセラーの本を無料で見ることができる点はいいことだと考えます。例えば、ハリー・ポッターの本を読みたいなと思った時に本をかうとお金がかかってしまうという点がありますが、その本を無料で貸してもらうという点はいい所だと思います。だから図書館の取りくみについては私はいい方法だと思います。
●ただ読むだけで満足出来る本はタダで読める図書館がとてもありがたいです。僕は今の図書館のやり方で賛成である。なぜなら人気のある本を大量に購入しても、必要な本はずーと手もとに置いときたいので、きっと買うと思う。作家さんにはわるいがおもしろい本をかけばいいと思う。

ベストセラーの購入には賛成できない
●ベストセラーの本や人気のある本ばかりを購入せず、番組の中で言っていた図書館によって置く本や専門書を分ける方がいいと思う。それによって作家と図書館の関係も緩和されると思う。
●最近では図書館の利用者が減っているとはいえ、図書館側がそこまでのサービスをするのはやりすぎでは、と思ってしまう。
●公共図書館が無制限にベストセラーを購入するのは反対です。ビデオで観てとても驚いたのですが、同じ本を100冊以上同じ図書館に入れるのはおかしいと思います。本屋とは違うのだから1つの作品を1冊購入して貸し出すのが理想ではないでしょうか。書架に同じ本がびっしり並んでいる光景はおぞましかったです。
●発売と同時に本が貸し出されるのは少し問題があると思う。それがベストセラー本だと本の売り上げが伸び悩み、作者に収入が入らず、出しても出しても利益が出なくなる悪循環になる。図書館側はそれでうまくいってもどこかでうまくいかないところが出てしまう。
●図書館は税金で成り立っているのだから、市民の意見を聞くのは当然だと思うけど、ベストセラーの大量購入はあまりよくないと思う。ベストセラーはその時だけだし、あとになってあまり借りられなくて在庫のように貸し出されずに残るような気がする。それでは有効に税金が使われていないような気もする。
●ベストセラーの大量購入はやめて、購入の制限をしたらいいと思います。不満に思う図書館の利用者もいると思うが、そこは図書館側がなんとかしないといけない。ベストセラーにたよらない図書館がこれかれもふえるとうれしい。
●人気のある本を仕入れるのはよいことだと思うが、人気取りのためだけに仕入れるのならやめたほうがよい。
●図書館がベストセラーを大量に購入することは問題があると思う。利用者のリクエストに応じるのはよいことだと思う。しかし、発売日の翌日に貸出がおこなわれていることに驚いた。何年かしたら読まれなくて書庫に入っているなら大量に購入することはないと思う。
●公共図書館の本来の目的は確かに利用者のニーズにあった図書を貸し出すことだが、過剰な大量購入はやめるべきで、当然購入冊数を制限するべきだろう。大量に購入しすぎると、その本のブームが終わった後、大量に同じ本が余る上に、財政の圧迫にもつながる。人気のある本をおくのは、いいことだと思うが、限度があると思う。
●出版社のことを考えると、大量購入というのはまずい気がする。そんなに読みたいのなら読者が買った方が早く読めていいと思う。
●ベストセラーのある図書館はなんか平べったい感じがして魅力がないように思います。ベストセラー本はある意味、「流行物」なので、そういうその場しのぎ的な感じはいいように思えないです。
● 図書館のリクエスト制度は良いシステムだと思いますが、人気の本を大量に購入して提供するというのは、図書館の役割と少し違うのではないかと思います。

借りるより買う方を選ぶ
●私の場合は読むのが遅いので、延長で「再借」のも手間がかかって嫌だし、貸出期間・返却日を気にせず、ゆっくり読みたいので、お金を払ってでもいいから買って読みます。だけど、まずは新古書店で探します。それからビデオを見て、図書館でハリー・ポッターの新刊は、予約待ちがひどくて半年ときいて、それは待つだけ無駄だと思った。それだったら、レンタルビデオと同じように予約なしで提供したほうがいいと思う。これは借料があるかないかで予約のある・なしが関係するのだろうか?
●本を大量に購入して利用者に提供することがいいアイディアと思うけど、1ヶ月~2ヶ月までなかなか利用できないです。やはり自分は本を買って家でゆっくり読む方がいいと思う。
●読む価値がある本とか何回読んでもあきない本なら、買うべきだと思います。価値がある本は個人によって違います。
●読者の立場で考えるなら、図書館で貸出することはたしかに便利だと思います。けど、もし書物に趣味があって、書物を保存したいなら買ってもいいと思います。図書館でいろんな資源が利用されていて、すごくいいと思います。しかも便利だし。けど、ひとつだけ、借りるとまた返さないと。ちょっとめんどくさいと思いますね。
●私はベストセラーが図書館で無料で読めたとしても、その本が本当に面白ければ、何度も読み返し、手もとに置くために買うと思う。一度、映画館で観た映画をDVDで買う人が多いので、こういう人は結構いると思います。なので、よっぽど中身が良ければ売れると思います。
●ただで本を借りられるのはありがたいが、個人的には図書館にいって本を見るより、近所の本屋の方がすぐに行ってみることも買うこともできるので、図書館のやり方は、いいとも悪いとも言えない。
●ベストセラー大量購入について、別に私はいりません。(大量購入する必要なし)
理由:話題書は忘れた頃に読むタイプだから&本当に読みたい本は購入する(コレクションしたい)タイプだから。
● 読者の立場からだったら、私はハリー・ポッターみたいな大好きな本は図書館で借りて読むのではなく、ちゃんと本屋さんで買ってカバーをつけて、家に保管しておきたいです。

2●出版社が販売機会を奪われていると主張することについて

利用者は同情しない
●出版社が販売機会を奪われていると言われても利用者は同情しないと思う。
●読者の立場だと出版社の事情よりも自分達の財布の中身の方が気になるので低価格(無料?)ですむ図書館を利用したい。
●仕方のないことだと思う。図書館側は読者のニーズに応えて対応しているだけだし、仕方ない。
●出版社が販売機会を奪われてしまうのはしょうがないかなと思う。やっぱり、お金がかかるのとかからないのでは大きいし、それでもって、同じものを読むことができるのだから…。図書館にとっても出版社にとっても有利な方法を考えたい。
●出版社はあらかじめ図書館を利用する人の事を考えて出版すればいいんじゃないのかなぁ。
●販売機会はいくらでもあるでしょ。精力的にファンサービスして欲しいですね。
●自分たちの利益だけを考えているなら、いつまでたっても図書館には勝てないと思います。読者側としては、借りれるなら借りて読む方が、金銭的にも助かる。

出版社の言い分ももっともである
●書き手と出版社が一対となって作りあげた本がおもしろくなくて売れないのならまだしも、図書館のベストセラー偏執によって生じるとしたら問題だと思う。
●奪われていると主張していることは正しいと思う。やはり商売なので、売り上げが下がるのでこの主張は正しいと思う。
●たしかに図書館で大量購入することによって、利益が失われているような気がする。1つの図書館で100冊位購入されていて、それによって売れる本も売れなくなっていると思った。

どちらともいえない
●確かに出版社が言うことはもっともだと思うけど、この不況の中、何冊も大量に本を買うことはできないと思うから、そこの辺は出版社も妥協しなければいけないと思う。
● その辺はいろいろと試行錯誤が必要だと思う。うまく出版社と図書業界がつりあっていけるかを十分考えていくべきだ。本屋があるから図書館があり、図書館があるから本屋がある。

3●作家などが図書館での貸出に制約を考えていることについて

制約はあった方がいい
●新刊書の貸出は一定期間しないというような制約があったら、早く読みたいと思う人は本を買うだろう。一定期間待つことは、無料で読めるのだからしかたがない。だから、制約はあったほうがいいと思う。
●新古書店やCDと同じく、お金のかからないほうに行くのは仕方ないと思うけど、出版者側としては、そのことによって何億冊も失うのは大きなダメージになるので、制約をつけたほうがいいと思う。
●新刊本が発売の当日や翌日から図書館で貸出しているのには少し驚きました。CDのように一定の日数がたってからでないと貸出できないような制度をもうければ少しは販売数が増えるのではないかと思います。
●1つの作品を何冊以上までなら同じ図書館に置けるといった制約を適用するべきだと思います。作家と出版社の死活問題だと思うので。
●私も必要だと考える。作家さん達にも良い作品を書いたらそれだけの利益がないといけない。そうしなければみんな作家になろうとか、良い作品を作ろうという気がしなくなるだろう。
●我々利用者からしてみればとてもいいことだが、作家にしてみればやはりはらがたつので制限したほうがいいと思う。
●やはり制約はいると思う。作家が一生懸命に書いたのに、そのせいで収入が下がるのでやはり制約は必要だと思う。
●私も、同じ本を100冊とか購入するのはどうかと思う。どんな制約とかは想像つかないけど、いまのままではいけないと思う。
●確かになんらかの制約を必要とした方が良いと思う。けど本を読んでもらえるという事だけでも良い事もあるとは思う。図書館の貸出については本の販売から半年後か1年後にレンタルすると良いと思う。
●CDに最近CD-ROMに複写できない構造がされているが、図書館での貸出の制約にも応用できないかなぁ…と思う。作家にも出版社にも悪影響なのがかわいそう。図書館と出版社がある程度のルール(ベストセラーは発売から1年後から貸し出すなど)を決めたりすればよいと思う。本を貸し出して何年かは作家に使用料を払う。営利目的にならなければ図書館はもっとたくさんのサービスに挑戦したほうがよいと思う。
●私は田舎の図書館を利用していて、ベストセラーがすぐ借りれないのが当たり前だったので、作家さんたちが制約を図書館に申し出て、受け入れられてもいいと思う。作家のみなさんは1冊の本を出すのに身をけずってるんだから、それを簡単に即、無料で読まれちゃ、あまりにむごい。確かに無料というほど魅力的なことはないけれど、そんなにすぐ読みたければ、本の1冊や2冊くらい自分の金を出して買うべきだと思う。
●作家の人達からすれば売り上げが減ることは収入が減ることになるので、制約は必要だと思う。
●実際にどうかわからないのだが、出版社は「この本は150万部売れた。でも図書館の貸出分を入れればもっと売れたのに」と言っているように思う。作家も「図書館で自分の本が借りられて読まれたら収入が少なくなるので困る」と平たく言えば、そう言っているように思えた。なら、貸出初めの期限をどうこうするのではなく、図書館にだけ高く売りつけるなどの条件をして売ればいいのではないでしょうか。
●出版社に被害が及ぶと、自分達(読者)の首を絞めることにもなる訳であるし、図書館に置く同じ本の数は、何か制約を決めた方がいいと思います。
●ベストセラーになる、ならないに関係なく、図書館が貸し出すのは1ヶ月くらい本の出版から遅らせるぐらいの事は必要だと思う。
●作家が図書館の貸出に制約が必要であると思っているのならば、制約をすれば良いと思う。
●図書館のその行いは出版社などにとって迷惑でもある。ベストセラー本は1年後に図書館においたり、著作権については1冊に10円を払うなどという対策をとっても、良いかもしれない。
●制約は…あった方がいいと思います。学生の立場からしたら特に。ベストセラーの為に専門書が減るのは痛いですから。

制約はない方がいい
●図書館はずっとただで貸しているのだから制約は必要ないと思います。
●貸出の制約は必要ないと思う。
●私達は図書館に行けばある程度の本がそろっていると認識しております。しかし、図書館は公共の場所であり、たとえ借りるのはタダであっても返却する期限は決まっています。それが制約でよいのではないでしょうか。私はこれ以上、作家が図書館に対して制約を加えると、今までよりずっと本の流通、貸出も含めた流通が減るのではないだろうかと考えます。実際、私は卒論で大量の本を必要としていますが、それを全部買うとなると大変なことになると思います。
●図書館で本を借りる時に、利用者に負担をかけるようなやり方にはして欲しくない。
●図書館での貸出に制約する必要はないと思う。1ヶ月遅れて貸出することとかはしなくていい!

どちらがいいか分からない
●出版不況の現在で出版社側がそう主張するのも当然かもしれない。同じく創作活動によって生活している側が訴えを起こすのも良くわかるが、やはり創作側と消費者側の考えの違いがあるので、訴えがそう簡単に通るのだろうかと思ってしまった。図書館が利用者を増やすために新たなサービスに力を入れるのは良いことだと思っていたけど、思わぬことで問題があったことに気付いた。
●あまりよく分からない。なぜ、どんな制約が必要なのか、もっと分かりやすく伝えて欲しい。

4●図書館のネットワーク化、ビジネス支援について

ネットワーク化、ビジネス支援に期待したい
●図書館が市民に積極的に情報を提供した方がいいと思った。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援のような専門化することもいいことだと思います。自分の目的にあった本を探してくれる司書さんももっと増やすことができれば、今まで図書館を利用しなかった人達にも簡単に利用することができると思います。
●専門書を集めた図書館はいいと思う。最後の浦安の図書館は今までの図書館のイメージとは違って、本のスペシャリストを備えた、利用者には申し分ない役割を果たしていると思う。利用者のニーズにぴったりの図書館があればそれは素晴らしい事だと思うし、図書館が身近に感じることができれば利用者も増えて、生活になくてはならない存在にもなり得る。しかし一方で、業者あっての本であることは間違いないのは忘れてはいけないし、業者に及ぶ損害は見直していくべきだと思う。
●ネットワーク化やビジネス支援の図書館が設立されたらもっと便利に利用されると思う。
●紹介されていた図書館のネットワーク化やビジネス支援はとてもいいと思います。アドバイスがもらえます。
●むしろネットワーク化などをしてそこの図書館にない本までどんどん取り寄せてもらい、図書館の利用率を高めてもらうことこそが、日本全体の教育レベルの向上につながるのではないだろうか。
●浦安市立図書館のあのサービスはとても良いと思う。自分で資料を探す手間が省けて、その分を資料を選ぶことに時間をかけられるのでとても有効的だ。
●図書館のネットワーク化はいいと思う。地域にあった本を選んで置いていることは利用者を増やすことになって、ベストセラーを大量に購入しなくても利用者は図書館に来ると思う。
●神奈川県の県立図書館のように、各館で専門分野を分担することは、良いことだと思う。全ての図書館が人気本をおく必要はないと思う。料理本を専門にして生き残っている大阪の本屋を思い出すと、図書館にも同じことがいえると思う。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援によって図書館の利用がどんどん便利になっていけば良いなと思った。
●ネットワーク化の考えは、なるほど、と感心させられた。これからは新しい指向を生み出していかないと、生き残れないと思う。
●ビジネス支援の図書館はこれからどんどん増えてほしいです。

ネットワーク化よりも1ヶ所にある方がいい
●図書館が特化することを求めているのは大いに結構だと思います。でも図書館は直接足を運んで資料を見る所なのでいちいち取り寄せてもらうのは面倒です。都市部に住んでいる人はいいでしょうが、田舎に住んでいる人は自由に利用できないだろうなと思います。
●図書館のネットワーク化やビジネス支援の図書館について、もしこの図書館である本がなかったら、また別の図書館から取ってくると、また1日かかりますから、やはりひとつの図書館に全部あるほうがいいと思います。
●ネットワーク化やビジネス支援の図書館については、便利でいいと思う。しかし、専門図書館よりも一般書籍も多数ある方が、私たち普通の一般人は利用しやすいと思う。

2003-01-07

新刊書店のような公共図書館

 最近、私は公共図書館をあまり利用しなくなっている。20年くらい前、明石市に住んでいたときは明石城公園にある自宅から歩いて10分ほどの明石市立図書館を毎週のように利用していたものである。月に2回発行される「これから出る本」を毎号チェックして、行くたびに2、3冊は新刊書籍をリクエストしていたのではないだろうか。明石市立図書館はほとんどすべてのリクエストに応じてくれ、毎週のように自宅に電話がかかり、私はリクエストした本を借り出して、読んだ。緑風出版などかなりマイナーな出版社の3000円近くする本でも太っ腹なことに買ってくれたのを覚えている。

 また、子どもの本は相当な点数を借りていたものである。さらに隣接して兵庫県立図書館があったので、結構、重宝していた。

 その後、神戸市垂水区に転居して、今度は快速電車で3駅先の神戸駅で下車、さらに歩いて15分ほどの大倉山にある神戸市立中央図書館に通った。ここでも私だけではなく、子どもの本も相当借りていた。

 当時のメモがある。たとえば1990年1月14日、神戸市立中央図書館で借りた子どもの本は『にんじんケーキ』『うたうケーキはどうかしら』『はんたいことば』『もっとはんたいことば』『ごんぎつね』『名犬ラッシー』『あたまにかきのき』『なかよしくまちゃん』の8冊。こんな調子で1月28日、9冊。2 月13日、11冊。2月25日、13冊と紙芝居2冊。3月11日、8冊。3月25日、4冊。というぐあいに結構遠いわりにはよく通ったものである。 1990年というと私の子どもたちが小学生と幼稚園に通っていたころのことである。

 1991年に垂水区に神戸市立垂水図書館が開館し、図書館通いは非常に便利になった。しかし、リクエストに関しては明石市の時とは異なり、なんでも購入してくれるというわけにはいかなかった。特に1995年の阪神・淡路大震災以降は、予算の関係で買えない可能性の方が高い、とリクエストしたその場で言われたものである。

 それでも図書館に行くと新着図書の棚を眺め回して気に入った本があると借りていた。しかし、ここ4、5年、かなり私自身の本の読み方が変わってきた。必要な本はすぐに欲しい。したがって最初から所蔵している可能性の低い垂水図書館を窓口に中央図書館から回ってくるのを待つことをしなくなった。また、2週間おきに返却するのも忙しく、結局、前にも増して本は買うのがいちばん便利ということになってきた。

 私としては垂水図書館の使いにくさは次の4点。

1. 検索するにも端末がカウンターの職員しか操作できないようになっている。
2. 蔵書構成が薄い。私が借りようとする本は中央図書館からの取り寄せばかり。
3. 日曜日の新聞・雑誌のコーナーが混みすぎていて、ちょっと記事を見ようにもほとんど不可能。
4. 閉館が夕方6時なので、平日の利用は不可能。

 先だって、久しぶりに垂水図書館に出かけた。ベストセラー本を3冊借りようとしたら、3冊とも貸出中だった。『世界がもし100人の村だったら』には6 人の予約がついていた。『世界がもし100人の村だったら2』はその日が返却期限なので戻ってくればすぐに電話するとのこと。『GO』は貸出中なので返却されれば電話する、と以上の返事をもらった。

 翌週、垂水図書館から予約していた本が返却されたとの電話をもらった。本を借りて帰ろうとすると、カウンターのところに「図書館見学用データ」と書かれた紙があるのを見かけたので、そのコピーがほしいというと、コピーはないといわれた。そこで、では写させてくださいといって、書き写した。以下が全文。

図書館見学用データ(平成14年4月1日現在)
蔵書 83000冊(うち児童23000冊)
登録者数 35000人(うち子ども7000人)
来館者数 1200人(1日平均)
 年間34万人
貸出人数 600人(1日平均)
 1年では17万人
貸出冊数 2000冊(1日平均)
 日曜日や夏休みは3000冊くらいの日もある。
 1年では56万冊
開館 平成3年11月25日
広さ 686m2
 教室10個分くらい
働いている人 9人

 神戸市民150万9780人のうち、垂水区の人口は22万5193人(2002年8月1日現在)。区民だけでなく垂水近辺で働いている人も含めてだろうが、3万5000人が登録し、延べで年間34万人が来館し、17万人が56万冊の本を借りて帰るというのは、はたしてどうなのだろう。

 私は小学生だったころ、大阪府豊中市に住んでいた。そして、電車で3つ目の駅にあった豊中市立図書館をたまに利用していたことを思い出す。本を借りるというより、たしか映画会が目的で行ったような気がする。しかし、その木造の図書館はじつに地味で静寂で、それでいて心躍るような未知の世界であった。私は今でもその不思議な感覚が忘れられない。

 いまの公共図書館はどちらかというと新刊書店の感覚に近いように思えるのである。

2002-09-23

図書館は「無料貸本屋」ではない

 「コンピュータは道具に過ぎない」わけではない。ということを、図書館を例に取りながらここまで述べてきた。コンピュータが図書館に導入されるうちに仕事のしかたが次第にコンピュータに見合ったものに変わっていく。そして、少し月日が経って振り返ってみると、これまでの社会システムまで変化していることにわれわれは気づくのである。

 すでに見てきたように公共図書館の現場ではバーコードとMARC(=機械可読目録)の普及によって、図書館業務はきわめて合理的に遂行されるようになってきた。すると皮肉なことに今度はコストの観点から民間企業への業務委託だけでなく、PFI(民間資金活用による公共施設の整備)方式による民間企業への「丸投げ」さえ現実化するところとなった。

 一言でいえばコンピュータ化は業務の平準化、標準化をもたらし、経験や知識に裏付けられたこれまでの労働を代替可能な作業に転換するのである。そして、それは単に「業務の合理化」にとどまらず、「本をどう取り扱うのか」という図書館の根本的な理念まで変えていくことになる。

 根本彰氏は今日の公共図書館の状況を次のように指摘している。

「図書館が『貸出』を増やすことを目標とする公共サービスであるならば、より効率的な運営のためには貸出業務ごと市場原理に基づく民間機関に委託したり、アウトソーシングするほうがよいという論理がつくられる。図書館界はそうした議論になったときに、貸出は選書や読書相談も含めた総合的な業務であるとして委託に反対し続けてきた。しかしながら、専門性が高いと思われる整理業務や甚だしい場合には選書についても事実上アウトソーシングの状態にあることから目をそらし続けた。」(根本彰「公共図書館サービスの可能性」『図書館の学校』2000年7月号、17ページ)

これはまったくもって正当な指摘と言わねばならない。  根本氏はそこで「貸出を中心とする資料提供の考え方だけでは公共図書館の公共性は確保できない」(前掲誌、19ページ)と結論づけ、次の5項目の図書館サービスを実施すべきであると主張している。

「1●一定の方針と有資格者の見識をもとにするコレクションの形成
2● コンピュータのパッケージソフトやマーク制作会社に全面的に委ねず、地域の特性に合わせて行う資料整理
3●専任の有資格担当者(できれば専門の部門)によるレファレンスサービス 4●他館に委ねず計画的に行う資料保存
5●地域で発生する資料情報を網羅的に収集・提供し保存する地域資料サービス」

しかし、事態は明らかに逆方向に進んでいる。それは現在の社会の中で本がどのようにとらえられているかということと密接につながっている。ベストセラーは「ブックオフ」などの新古書店で、コミックは「マンガ喫茶」で、雑誌はコンビニで十分に満足している多くの人々にとって、出版文化と出版産業の危機はまったく見えてこないに違いない。もし図書館のカウンターで本についたバーコードをOCR(光学式文字読み取り装置)でスキャンする光景だけを見ていたら、なにも専門知識をもった有資格者ではなく、スーパーマーケットのレジ係のようにパートでよいと誰でも思ってしまうだろう。そして、それは書店店頭でも同様である。しかし、このような本の取り扱い方が本の中身にまで影響を与えていくことに人々はなかなか気づかないし、また関心もないのである。図書館は「無料貸本屋」ではない。書店以上にもっと長い時間軸の中で市民に資料を提供していくことが本来の姿であると私は思うのである。

2002-09-11

TRCの急展開―公共図書館、学校図書館から大学図書館へ

 前々回、前回と公共図書館、学校図書館と図書館流通センター(TRC)の最近の動きを取り上げてきた。では、ここでTRCのホームページ(http://www.trc.co.jp)の「沿革」から抜粋してその歴史をすこし振り返っておこう。

1979年 株式会社図書館流通センター設立。
1982年 TRC MARC発売開始(累積20万件)
1983年 新刊書早期納品システム「新刊急行ベル」運用開始
1985年 TRC MARCが学術情報センターの参照MARCとして採用される
1987年 オンライン注文システム「TOOL」稼動
1989年 新刊書在庫システム「ストック・ブックス(SB)」運用開始
1993年 学校図書サービスと合併。TRCMARC100万件突破。TRCMARC採用館1200館突破
1995年インターネット上で、表紙カラー画像付き新刊情報の提供と書籍販売開始
2000年インターネット・オンライン書店「bk1」(株式会社ブックワン)に出資
2001年 図書館専用インターネットサービス「TOOLi」運用開始。大学図書館向け向総合ソリューションサービス「ROOTS」開始。
2002年 株式会社TRCサポート&サービスを設立

TRCは図書館に書誌データベース「TRCMARC」を販売し、図書館用に装備された図書を納入するために生まれた会社である。図書原簿作成、バーコード貼付、背ラベル作成・貼付または貼り替え、フィルムコーティング、ラベルキーパー貼付、持出し防止用テープ装着、印押し、ブックカード・ブックポケット記入・貼付、補修・製本・再製本などの作業を図書館に代わって行う。また、公共図書館の側は「新刊急行ベル」、「ストック・ブック(SB)」、「新継続」という新刊在庫システムなど、TRCの提供するサービスをこれまでは便利に使ってきたわけである。

そのTRCが今日では公共図書館に対するアウトソーシング事業に乗り出してきた。TRCのパンフによると対利用者サービスとしての貸出・返却のカウンター業務、図書の配架、書架整理、新聞・雑誌の整備、閉架書庫の出納。資料収集・整備関連では、図書の発注・受入、図書整理、蔵書登録。そして、蔵書点検もTRCが行ってくれるのである。さらに前々回述べたようにPFI方式(公共施設の運営の民間企業への業務委託)による日本で最初の公共図書館となる三重県桑名市立図書館新館の設立・運営を手がけるまでに至っている。

一方、前回述べたようにTRCは従来、地元書店の独壇場だった学校図書館の分野にも進出している。1993年に学校図書サービスと合併し、2001 年3月には、新学習指導要領の「総合的な学習の時間」が2003年より小学校、中学校、高等学校で全面実施されることに対応するため、取次の日教販と業務提携した。『「総合的な学習の時間」のためのブックカタログ』2001年版を「TRCでは取引のある小・中学校の図書館4000館をはじめ、各教育委員会や取引のない学校図書館3000館などに1万部強を配布」しているのである。(出版業界紙「新文化」2001年3月29日付け)

また、2001年6月、TRCは丸善と業務提携し、図書館業務を受託するための総合ソリューションサービス「ROOTS」(ルーツ)を共同で提供すると発表している。

すでに丸善もTRCも書誌検索や選書、発注、予算管理、図書装備など、図書館向けのシステムを個別に構築しているが、それぞれのサービスを統合して提供することで図書館のアウトソーシング需要に応えようというのである。(「新文化」2001年6月28日付け)

大学図書館市場における最大手業者である丸善でさえ、TRCMARCやTRCの図書装備に対抗するよりも提携する方が得策と考えたということなのであろう。

しかし、TRCが公共図書館だけでなく、大学図書館にまで事業を展開していくと、いったいどのようなことになっていくのだろう。

TRCの「大学図書館専用システム」のパンフによると、TRCは次のようなサービスを提供できるという。

1. 図書装備とNCデータ登録を一括してサポートします
2. データ登録には、信頼の書誌データTRCMARCを活用します
3. 豊富な選書情報をご利用いただけます
4. 図書館専用として日本最大のTRC物流センター(志木ブックナリー)を利用します

大学図書館現場はこれまできわめて職能意識が高く、受入業務、整理業務、閲覧業務のどれをとっても専門性が問われる職場であった。ところが18歳人口の減少による大学の「生き残り」の時代を迎えて、まずは私学から徹底的なコスト削減策が具体化され、図書館現場がたとえ反発しようとも会計サイドからの要請により、閲覧業務や整理業務の外部業者へのアウトソーシングが実施されるようになってきている。それが国公立大学においても独立行政法人化の波の中で私学と似たような展開になりつつあるのである。

このような状況の中でTRCは公共図書館、丸善は大学図書館というような棲み分けの時代は終わりつつあるのではないだろうか。つまり、TRCは公共図書館から小学校、中学校、高等学校という学校図書館、そして大学図書館にまでマーケットを拡大してきた。それがアウトソーシング需要の波に乗って、ついには TRCが図書館を運営する方が効率的だという状況になってきているように思える。

2002年6月に発表されたTRCの決算(2001年4月~2002年3月)では売上高246億6940万円、経常利益は16億3345万円、当期利益は 9億9782万円である。また、TRC MARCの累積件数は210万7419件、MARC採用図書館は3941館となっている。(「新文化」2002年6月27日付け)ちなみに丸善の書籍・文化雑貨部門の売上高が979億7600万円、紀伊国屋書店の売上高は1133億9591万円(うち大学マーケットへの営業を行う営業総本部の売上高は 412億8128万円)である。

TRCは今後、日本の図書館をどのように変えていくのだろうか。

2002-09-07

小・中学校図書室のコンピュータ化と日書連MARC

8月27日、大阪府書店商業組合は組合加盟書店を対象に「日書連マークと学校図書館の電算化」の説明会を開催した。

5 年間の時限立法措置として全国の学校図書館の整備事業に650億円の予算がついたこと。学校図書館のコンピュータ化が進展してきていること。そうした情勢を受けて日本書店商業組合連合会(日書連)は日書連MARC(マーク=機械可読目録、コンピュータ上で検索などの機能に対応するように作られた目録データのこと)を傘下書店に供給すると発表していた。大阪府書店商業組合の説明会の案内状には次のように書かれている。
「知識の共有化と日書連MARCの学校への積極的な提案がなければ、納入学校より突然納入中止(取引停止)となることも考えられます」

この案内状を見れば残暑厳しい中でも日書連MARCの説明会に行かねばならないだろう。実際、説明会が始まったときには書店組合事務所2階の会議室は本屋のおやじさんで埋め尽くされていた。

まず、冒頭,大阪市長と大阪市教育委員会、大阪府知事と大阪府教育委員会に宛てられた8月20日付けの要請書に関する説明が行われた。
要請書には次のように日書連MARCのことが書かれている。

「私ども書店組合では、このような状況(金沢市、熊本市、静岡市などをはじめとして全国的にIT化が小中学校で立ち上げられつつあること=筆者注)対応すべく、全国組織である日本書店商業組合(略称・日書連)が、既刊本百数十万冊のデータを整備しました。さらに、これから発行されるすべての書物の新刊図書館用データを含めて、日々ご提供できる準備を致しました。また、各学校の図書室の蔵書は中央図書館のように多くなく、管理の仕方もそれに相応しく簡便化とローコストが求められます。(中略)その節は、何卒私どものこのデータ化(略称「日書連マーク」)をご利用くださいまして、地域書店の木目細やかな日常サービスと共に、これまでと同様に学校図書館への納入業務を続けさせていただけますようお願い申し上げます。」

つまり、図書館流通センター(TRC)の独壇場の感がある公共図書館と違い、小学校、中学校の図書室では地元の書店のほうが便利だし、今回、書誌データも提供できることになったので、これまで通り図書の納入を続けさせてほしいという要請内容となっているのである。

これを見ればすでに分かるように、日書連MARCは名指しこそしていないものの、TRCに対抗するための武器として登場した。かつて公共図書館では電算化が進展すればするほど、TRCのシェアが拡大していった。それは公共図書館がTRCMARCを積極的に採用してきたからにほかならない。それまで図書を納入していた地元書店はTRCにはとても対抗できず、敗退していったのである。

そして、今度はついに小学校や中学校の図書室まで、電算化の波が押し寄せてきたのである。年間わずか20万円や30万円とかの図書予算しか持たず、これまでまったく競争のなかった学校図書室にまで、TRCがやってくる。ある日突然、地元業者が納入できなくなるという脅威が現実のものとなってきたのである。

学校図書室が電算化されるとどうなるか。使用するMARC、装備の関係でその後の図書購入するルートが決まってしまうケースが多い。コンピュータ関係業者が学校から呼ばれて、図書室電算化を検討するときに、蔵書の入力などの関係からTRCMARCを勧め、TRCとの取引が始まる可能性が高いのである。だからその前に、地元の本屋が学校図書館の電算化を提案し、日書連MARCを採用してもらい、取引を継続させよう、ということである。本屋は本だけを納品すればいいという時代は終わった。学校図書室の電算化についていける本屋だけが生き残れるのである。

説明会では学校図書室の電算化が急速に進んでいることについて、次の8つの理由を挙げていた。
1. パソコンの性能が向上し、低価格になったこと。
2. 初心者でも容易に扱えるパソコンの利用環境が整ってきたこと。
3. インターネットなどのコストが安くなったこと。
4. コンピュータの利用教育に対する考えが、学校現場に広く浸透してきたこと。
5. パソコンを扱える教職員が増加したこと。
6. 一般家庭でもインターネットをはじめコンピュータを手軽に利用するようになったこと。
7. 文部省の施策でも、学校図書館でのコンピュータ利用を推進するようになってきたこと。
8. 読書推進にも役立つとの事例が多く紹介されていること。

これまで図書基本台帳の作成、ブックポケットや図書ラベルなどの装備などを無料奉仕で行ってきた地元書店は多いが、それがバーコードとMARCに取って替わるのである。それにともなって、貸出・返却・検索などを行う図書館管理ソフトが必要となってくる。書店の側では納入する本のMARCを抽出して、バーコード付き装備をして書誌データをフロッピーディスクなどにコピーしてセットで納品する。図書室の側では貸出・返却・検索ソフトでそのデータと貼り付けたバーコードを利用することになる。

日書連MARCは取次の大阪屋の協力で開発したものだが、MARCがあるだけで学校図書館の電算化ができるわけではない。そこで大阪府書店商業組合の説明会では(株)教育システムの図書館電算化システムの「情報BOX」「蔵書WEB」「KSブックデータ」「司書Tool」が紹介されていた。

「情報BOX」は貸出・返却・検索ソフトである。貸出・返却業務は個人カードと本についているバーコードをスキャンするだけ。個人カードのバーコードで現在、借りている本や予約中の本の一覧が出る。図書目録検索では書名、著者名、キーワードでの検索ができ、個人情報検索では貸出履歴からクラスの貸出状況、読書傾向の表示・印刷ができるというもの。しかし、これは返却するたびに記録が消去され読書の自由を守っている公共図書館と異なり、学校図書館の電算化は個人情報の観点から問題があるかもしれない。

「蔵書WEB」は購入した本の表紙画像、目次データ、内容要約、キーワードなど詳細データをダウンロードすることができる基本機能をもつもの。これは日書連MARC(書名、著者名、ISBN等書誌データ)と日外アソシエーツ「BOOKISBN抽出サービス」の元データ「BOOKデータベース」を併用した「KSブックデータ」と呼ばれる?教育システムのオリジナルデータである。

「司書Tool」では、書籍を図書室で貸出できるように装備するためのソフトで、新規購入した本をISBNコードで検索し、バーコードを印刷し、データ登録を行う。また、背ラベル印字、蔵書台帳の印字などが可能となるものである。

いずれのソフトも従来に比べてきわめて安価に提供されていることが特徴的である。図書館の情報システム化はすでに公共図書館や大学図書館などでは常識のことではあるが、それがついに小学校、中学校の図書室にまで及んできたというところが注目に値する。

(株)教育システムのパンフに「『なぜ、パソコンで検索できないの?』という子どもの問いかけに、先生!もはや言い訳できません!!」とあったが、それはまさにその通りであろう。しかし、本を検索して調べものをするだけではなく、1冊の本を最初から最後まで読んでみようよ、と児童、生徒に話してくれる小中学校の教員がはたしてどれほどいるのか、じつに気になるのである。

2002-09-02

図書館設立から運営まで民間業者に丸投げ?

POSシステムによる情報システム化の進展は本や読者に対する書店のあり方に影響を与え、出版社や著者の考え方をも変える可能性があると前回書いた。「コンピュータは道具に過ぎない」とはよく使われる言葉だが、はたして本当にそうだろうか。単純作業をコンピュータにやらせて、人々はこれまで以上に創造的な仕事に専念できるのだろうか。私はむしろこれまでの社会システムを変化させてしまう可能性の方が高いように思うのである。

たとえば書店と同じように本や雑誌を扱っている公共図書館の現場はどうだろう。貸出・返却といったカウンター業務はコンピュータの登場によって貸出カードからバーコードをOCR(光学式文字読み取り装置)でなぞる作業に変わった。また、整理業務もそれぞれの図書館が自館で分類するのではなくマーク(MARC=機械可読目録)を購入して新しく入った本をISBNコードで検索し、バーコードを印刷してデータ登録を行う。あるいは最初からそうしたすべてを図書館流通センター(以下、TRCと略す)に装備させた上で納入させることも当たり前になってきている。さらに、新刊の選書もTRCの選書システムに任せてしまうところも多くなってきているのである。

そうすると、図書館業務はなにも自治体職員がやらなくてもかまわないではないかというわけで、かつてから地方自治体の経費削減のために民間委託の話が出ていたのが、ますます推進されることになる。

このような最近の動きに対して図書館問題研究会は次のようなアピールを2002年7月9日に採択している。

「『行政改革会議最終報告』(97.12.3)以降、自治体サービス行政の市場化(アウトソーシング)が進められ、東京の江東区、墨田区などでは、図書館のカウンター業務を民間業者に委託しました。しかし、私たちは、住民にとってよりよい図書館サービスを行うために、図書館のカウンターには、専門的知識をもち、経験を積んだ自治体職員である司書が配置されるべきだと考えます。貸出し・返却等のカウンター業務は誰でもできるから、企画立案や選書等の業務から切り離しでもかまわないという議論もありますが、これは図書館の実情についての認識を欠くものです。カウンターは図書館が住民と接する窓であり、住民が図書館にその思いや考えを伝える場でもあります。図書館の職員は、カウンターでの貸出し・返却やフロアワークを通じて、住民との交流や信頼を積み重ねることができ、選書、蔵書構成、将来構想など重要な計画が立てられ、再び住民へのサービスとして反映させることができます。」

このアピールの中の「図書館員とカウンター業務」は、前回取り上げた福嶋聡著『劇場としての書店』における「書店人と接客」の関係とほぼ重なっている。つまり、コンピュータ化されたからと言ってベテランの図書館員や書店員が不要とはならないはずだという点でこの両者の認識は一致している。

しかし、状況はもう一歩まで先まで進んでしまっているように私には思える。公共図書館においてはカウンター業務だけでなく、図書館の設立から運営まですべてを民間業者に業務委託してしまおうという自治体が現れ始めているのである。そして、ここでもTRCがこの物語の主人公として登場してくるのである。

出版業界紙「新文化」2002年5月2日付け記事はこのような事業を行うTRCについて次のように伝えている。

「今年4月に子会社として株式会社TRCサポート&サービスを設立し、図書の配架・書架整理や貸出・返却のカウンター業務など、図書館業務の委託・代行事業を行う一方で、民間主導のPFI方式による図書館整備事業にも参画する。第1号として三重県桑名市の市立図書館新館設立事業において、建設会社や建物管理会社など、民間企業と連携し、同図書館の設立・運営の総合プロデュースを行う」

PFI(Private  Finance Initiative)方式とは、PFI法にもとづいて公共施設の建設、維持管理、運営において民間企業のへ業務委託するもので、PFI 法とは1999年7月に制定された「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」のことである。

すでに伊藤昭治氏(阪南大学・理事)は「PFI事業がうごめいている」と題して『図書館界』2000年9月号(52巻3号)に次のように書き、図書館の人々に警告を発していた。

「図書館などには関連のない法律と思っていたが、整備が可能な施設として教育文化施設があげられており、美術館がPFI事業によった整備が可能であれば、図書館も対象外とは言ってはおれないであろう。」

まさに伊藤氏の言う通りの展開になってきたのである。

では、ここでTRCのホームページを見てみよう。(http://www.trc.co.jp

トップメニューの中から「受託・業務代行」をクリックすると、まず事例が二つ挙げられている。

「福岡市総合図書館では…… 配架を中心に、書庫出納、新聞・雑誌の差し替え、カウンター業務(返却)、図書受入業務、特殊資料整理、電算入力業務など。」「袖ヶ浦市立中央図書館では…… カウンター業務の一部、書庫出納、書庫整理、団体貸出電算処理、蔵書点検など」そして、派遣会社とはここが違いますとして、業務委託の利点を次のようにまとめている。

たとえば、人材派遣の場合は職務遂行の責任は図書館の側にあるが、業務委託ではTRCサポート&サービスの責任で遂行される。業務の指示は人材派遣だと労働者個々に指示しなければならないが、業務委託であればリーダーへの一括指示で済む。また、人材派遣であれば労務管理だけで膨大な仕事量となり、図書館側には専任担当者が必要になるが、業務委託であれば仕事量や開館時間に合わせてフレキシブルに対応してくれる。そして、もっとも重要なことは人材派遣では希望に沿う人材派遣そのものが本来の業務なので、図書館の業務分析などには必ずしも関わらないが、業務委託の場合は業務内容分析から委託開始後の定期打ち合わせなど、図書館と協力して業務を行う、とTRCは言うのである。

そして、TRCは日本で最初のPFI方式による公共図書館となる三重県桑名市立図書館新館の設立事業に参加するところとなった。この事業に応募した企業は鹿島建設三重営業所、佐藤総合計画名古屋事務所、図書館流通センター、セントラルリース、鹿島建物総合管理名古屋営業所、積村ビル管理、三重電子計算センターの7社で、構成される鹿島グループであり、この事業の実施方針、入札説明書、などはPFInet(http://www.pfinet.jp/koubo/kobo23.htm)で見ることができる。

日本の書店業界では以前からTRCとの確執があった。従来、地元の図書館に納入してきた書店がTRCのTRC MARCと図書装備付納入によって締め出される事例が相次いだのである。今日ではTRCは公共図書館、小中高の学校図書館、自治体の女性センターなどの図書室、ついには大学図書館にまでそのマーケットを拡大し、そしてついにTRCの便利なサービスは人材派遣、業務委託、PFI事業にまで広がった。つまり、図書館がTRCを使うのではなく、 TRCが図書館を運営する方が効率的だという思想にまで辿り着いたのである。

コンピュータ化、情報システム化は本当に「道具に過ぎない」と言い切れるのだろうか?

(注・図書館問題研究会のアピールの全文は以下の通りである)

図書館のカウンター業務の民間委託に反対するアピール

「行政改革会議最終報告」(97.12.3)以降、自治体サービス行政の市場化(アウトソーシング)が進められ、東京の江東区、墨田区などでは、図書館のカウンター業務を民間業者に委託しました。

しかし、私たちは、住民にとってよりよい図書館サービスを行うために、図書館のカウンターには、専門的知識をもち、経験を積んだ自治体職員である司書が配置されるべきだと考えます。

貸出し・返却等のカウンター業務は誰でもできるから、企画立案や選書等の業務から切り離しでもかまわないという議論もありますが、これは図書館の実情についての認識を欠くものです。カウンターは図書館が住民と接する窓であり、住民が図書館にその思いや考えを伝える場でもあります。図書館の職員は、カウンターでの貸出し・返却やフロアワークを通じて、住民との交流や信頼を積み重ねることができ、選書、蔵書構成、将来構想など重要な計画が立てられ、再び住民へのサービスとして反映させることができます。

もちろん、直営でカウンター業務を行う図書館にも、問題は少なくありません。「図書館のカウンター業務は直営である必要はない、民間業者に委託した方がサービスは向上するのではないか」という住民の批判を図書館の職員は真摯に受け止める必要があります。図書館自体が、業務分析にもとづく効率的な職場体制の構築、図書館サービス評価等の努力をおしまず、住民の厳しいチェックを受ける覚悟がなければ、図書館の直営について、多くの住民の理解を得ることは難しいでしょう。

それでも、忘れてはなりません。住民の声を図書館が直接に受け止め、住民とともに経営を変えていくことは、直営だからこそ可能なのです。住民から、知る権利を保障するサービスを託された行政は、図書館の直営に最善を尽くすべきではないでしょうか。

江東区、墨田区において行われているような請負契約による業務委託では、本来、受託先職員に対し自治体職員が直接指示することはできません。ところが、実際には業務を円滑に進めるために、受託先職員に直接自治体職員が指示するということが日常的におこなわれなければなりません。これは違法行為です。

カウンター業務の委託は、以上のような問題があるため、私たちは、委託の白紙撤回を求め、また、新たにこうした委託が広がることに反対します。

2002年7月9日図書館問題研究会第49回全国大会

2002-08-26

デジタル化と劇場化―福嶋聡『劇場としての書店』に寄せて

福嶋聡氏が『劇場としての書店』(新評論)を7月に出版した。すでに『書店人のしごと』(1991年6月)、『書店人のこころ』(1997年2月、いずれも三一書房)という著作において福嶋氏は、プロの書店人がPOS(販売時点情報管理)システムを活用すれば本と読者はもっと出会うことができるという主張を展開してきた。

今度の本はそうしたこれまでの論をさらに書店の劇場化という観点から深化させたものと言えよう。「舞台としての売り場」「役者としての書店員」「演出家としての店長」というこの『劇場としての書店』という本の基本構造は、ジュンク堂書店を舞台に見立てた演劇論的書店像を浮かび上がらせているのである。

1990年に私が『書店論ノート―本・読者・書店を考える』(新文化通信社)を、そして1991年に福嶋氏が『書店人のしごと』を相次いで出版した時、二人の論点はおおいに異なるように思えた。福嶋氏は『書店人のしごと』の中で私の『書店論ノート』を次のように批判している。少し長いが批判の部分を引用しておこう。

「具体的な数字をあげての検証は大いに参考になるし、著者の総括と意見には概ね賛成であるが、不満な点が二つある。

一つは、『書店の情報機能の問題が改めてクローズアップされるのは当然のことである』としながら、書店SA化構想について、その否定的側面ばかりが強調されている点である。確かに現状では、発注時に融通が効かない、検索に手間やコストがかかる、商品によっては疎外されるおそれがある、POSレジが『売れた!』と叫んでいる本が確実に入荷する保証がないなど、著者の指摘するように問題は山積みにされている。『取次間の帳合争いの一つの武器』にすぎないと言われても仕方のない面がある。 POS情報に頼り過ぎると書店のCVS化が進んでしまう可能性も十分にあり、そのことが本という商品には馴染まないという意見もよく分かる。しかし『可能性』はあく迄「可能性」であって、それを現実化するのは書店人である。機械やシステムにその責を負わすのはフェアではない。膨大なデータとさまざまな加工、分析結果をどう読み、どう活用するかは書店人の仕事であり、本来そこには書店人の個性が大いに反映される筈なのだ。そうした能力も含めた人材育成が急務だと思われる。無論現在のシステムには大いに不満だが、ならばより積極的に真に実のあるシステムに取り組むべきではないか。マイナス志向ではなくプラス志向を、と言いたい。(以下、略)」

論点になっている書店SA化とは、一言でいえば、レジスター系としてのPOS、事後処理に重点を置くパソコン、取次などを結ぶ業界VANの通信系を組み合わせて、販売管理、受発注、書誌検索の合理化をはかり、ストア・オートメーション(SA)化しようとするものである。また、私が『書店論ノート』で批判した「書店SA化構想」とは日本書店商業組合連合会(日書連)が提唱していたもの。日書連は1983年にそれまでのISBN(国際標準図書番号)特別委員会をSA問題特別委員会に改組し、以降、業界VANを前提としたSA化に力を注ぎ、BIRD-NETを開発しようとしていたが、『書店論ノート』執筆時点ではそのBIRD-NETも本格的に稼動はしていなかった。

私は福嶋氏から『書店人のしごと』を寄贈されたとき、面識はなかった。さっそく、お礼と共に本の感想を書いた手紙を送り、不幸な形での書店SA化にならないようにするために反論を書きますと予告しておいた。そして、その反論は結局、出版業界紙「新文化」に依頼された書評の中で書くことになった。「SAの本質見落とす」と題されたその書評記事において、私は次のように書いている。

「SAが『人減らし』を意味するのではなく、省力化の目的は書店人の質的向上にあると著者は主張するが、SA化の目的の一つには作業の標準化と労働生産性の向上にあるとみるのが普通であり、商業における小売店の現状も少人数管理・長時間営業の方向に進展してきている。POS管理の各種データは生業店では店主が、大型店では各売場責任者が、FC店では店長や本部スタッフが利用するだろうが、現場の仕事自体はより”作業”化すると私は思う。『SA化によって余裕の出来た時間』を労働者が創造的に使っている小売店の例を教えてほしいものである。」(「新文化」1991年8月8日付け)

ところがこの書評が掲載されてから1ヶ月もたたないうちに、「新文化」の加賀美編集長が突然解任されるという出来事があり、福嶋氏との論争は「新文化」紙上では展開されないままになってしまったのである。(「新文化」では連載コラムの「独断批評」も突然連載打ち切りとなったが、その「独断批評」を集めた『出版界「独断批評」』(1991年、第三書館)の中で北川明氏が次のように書いている。「私たちが書いていた出版業界紙『新文化』のコラム『独断批評』の唐突な中止が起きました。『新文化』編集長の更迭と同時に行われたこの処断の原因として新文化通信社の社内事情があったことはもちろんですが、外部の大出版社、大取次の『圧力』も否定されていません」同書366ページ)

一方、私が発起人であり事務局をつとめる書店トーク会では福嶋氏を1991年7月29日ゲストに招き、「SA化時代の書店―『書店人のこころ』を出版して」というテーマで話していただいた。そして、それ以降、世話人まで引き受けていただいて、書店トーク会を共に運営する時期もあった。しかし、残念ながら当時、ジュンク堂書店京都店にいた福嶋氏はその後、仙台店、池袋店と転勤されたので、鳥取の大山緑陰シンポジウムで会うなど、たまにしか会えない状態が今日では続いているのである。

ところで、私たちの論争はというと、ミネルヴァ書房のPR誌「ミネルヴァ通信」で展開されることになった。福嶋氏が1993年10月から12月までの3回、私が1994年2月から4月までの3回、連載することになったのである。

この中で福嶋氏は要約すれば次のような論を展開している。

1●POSシステムはコンビニエンス・ストアなどで大いに力を発揮している。 2●本という商品は一度見ればそれで終わりであり、一人の顧客が、何度も、場合によっては毎日同じものを買う食料品、日用雑貨とは違う。
3●しかし、雑誌や継続の書籍などではPOSデータはかなりの力を発揮する。
あるいは同一著者の前著がどれだけ売れたというデータも無意味ではない。 4●書店のSA化によって「書店人」はもういらないという考え方には反対である。POSデータを有効に利用できるのは「真の書店人」だけである。
5●SAからSIS(戦略情報システム)は可能か。小売店のPOSデータを即座に吸い上げ、生産過程に反映させるSISを出版業界にもち込めるか。さまざまな店からのデータを集積し、流通現場でのPOSも含めてどこにタマがどれだけあるかを把握出来れば、本を売るという「いくさ」を断然有利に戦える。

このように福嶋氏は書店のPOSデータを出版社が活用する必要性をすでに1993年時点で説いている。これは日本の出版業界の中でも特筆すべきことだろう。

一方、私は福嶋氏に対して次のように反論している。

1●書店にPOSレジを導入してSA化すれば便利だという議論は、「だれにとって便利なのか」「どの規模の書店で有効なのか」ということが論者の視点の違いによって異なる結論が導き出されている。
2● 1991年の日本書店商業組合連合会の調査に現れた典型的な書店は「60歳近い店主が個人経営する20坪ほどの店で、商店街に位置し、雑誌を7割・書籍を 3割の比率で売っており、他に文房具も置いている。夫婦でやっているが女性のアルバイトかパートを雇い、売上げの2割ちょっとは外商」、といったところである。
3● 70年代後半より異業種参入や再開発商業地域への大型書店の出店、郊外型書店・複合型書店の誕生、コンビニエンス・ストアにおける文庫の取扱い、書籍宅配便の登場など、これまでの生業的書店のあり方をくつがえす状況が次々と現れ、「雑高書低」などといわれる読書環境の変化とも相まって個人店舗の書店に大きな打撃を与えてきた。
4● このような中で書店SA化の思想が登場してきた。日本の書店のほとんどを占める中小零細書店を常に念頭においた議論をするとすれば、SA化は回転率の悪い少部数出版物をますます書店の棚から排除することになるのではないか。つまり、書店のコンビニ(CVS)化である。
5● SA化をめぐる楽観論に対して3つの疑問がある。第1に、取引上の力関係による矛盾(例えば「売れ筋商品が入荷しない」など)をSA化によって解消できるかのように語ることは問題の本質を見誤ることになるのではないか。第2に、個性的な書店が画一化・標準化された上で出来るというのは幻想にすぎないのではないか。第3に、書店労働の質を向上させるのではなく、「パートで出来る店」が目的となっているのではないか。

1993年11月、ジュンク堂書店三宮店(当時340坪)において、大型書店では先駆的ともいえるPOSレジ導入が話題となった。これまで中規模店がほとんどであったPOSレジがついに大型書店での販売データの把握に使われはじめたのである。そして、1994年3月には紀伊国屋書店本店にもPOSシステムが導入され、それ以降、SA化による書店間競争の時代へと突入していく。1998年6月に稼動した文教堂の出版社向け情報システムなどに象徴されるように、書店から出版社へ販売データを提供することによって出版社と書店が強い関係で結ばれることになったのである。つまり、物流と直結していなかった書店のPOSシステムは新たな段階を迎えた。発注業務や書誌検索業務の迅速化、低コスト化だけでなく、再販制崩壊後をにらんだ大型書店の販売戦略にとって必要不可欠なものに変貌してきたのである。

この流れを見ると、大型書店に関しては福嶋氏が主張していた通りの「戦略情報システム」化が実現しつつある。しかし、中小零細書店について言えば私が危惧していた通りの展開になった。つまり、小規模の書店ではいくら販売データを蓄積しても出版社や取次による物流支援なしではSA化のコストに見合わないのである。もちろん、京都の三月書房のように売れ筋の新刊を追い続けることをあえてせず、店独自の仕入れをすることによってその販売データを出版社に送り、読者だけでなく出版社からも「三月書房ファン」が現れるという個性的な書店が存在することは事実である。しかし、POSレジによって得られた膨大なデータを分析して次の販売に活用できる書店、SA化が目的でなくSA化によって多様な読者の要望に応えていこうとするジュンク堂書店のような事例はむしろ特別だと言えるだろう。

私と福嶋氏の考え方は異なるようでありながら、読者と書店の関係性を重視する点ではじつはきわめて近い。書店労働について福嶋氏は次のように書く。

「本を販売することに『命をかける』書店人=鬼、それをサポートする情報機器=金棒、その両方が相まって、つまりはうまく出会えて協力できて初めて書店は活性化する」(『劇場としての書店』、154ページ)

私も「本をよく読んでいる書店の人間が共感をもちながら読者と接している、そういう場としての書店、関係性としての書店が、読者に支持され、メディアとしての出版の活力につながっていく」(『書店論ノート』、184ページ)と書いている。ただ、福嶋氏との論点の違いは、おそらく私が「コンピュータ=道具」説をとらないことにある。

その後、私は2000年8月に「デジタル時代の出版メディア」(ポット出版)を書き、『書店論ノート』を刊行した1990年から10年の間に起こった出版業界の変化を「デジタル化」というキーワードで読み解こうとした。オンライン出版、オン・デマンド出版などの電子出版、インターネット書店、書誌情報・物流情報という3つの分野で起こっているデジタル化の動きを紹介し、分析を試みたのである。

福嶋氏は「そのころは、書店の業務にコンピュータを導入しようと提唱しただけで白眼視された時期であった」(『劇場としての書店』、152ページ)と書き、私は「書店がSA化していくという方向性自体は出版業界において『常識』になりつつあり、このことに異議を唱えることは、頑迷で時代錯誤的な前近代主義者というレッテルを貼られそうな時代の気分です」(「ミネルヴァ通信」1994年3月号)と嘆いている。私たち二人は微妙にすれ違いながらも、一貫して本と読者、そして書店について考えをめぐらせてきた。

しかし、皮肉なことに今日では本を読む人、すなわち読者の存在自体が社会の中で明らかに少数派となってきている。また、書店の転・廃業は年間 1000軒と言われ、出版業界全体の売上げにしても1997年から2001年まで5年連続の前年割れとなっている。書店のローコスト・オペレーションは行きつくところまで進展し、POSシステムのない大型書店はないに等しく、店長と何名かの社員がいるだけであとはすべてパート・アルバイト。しかも、その人数は10年前の半分以下にまで抑えこまれていたりする。また書店員の仕事もSA化で大きく変貌した。顧客に本のありかを尋ねられた時に、まっすぐに棚に向かうのではなく、まず端末のキーボードを叩いて棚番号を調べてから探しにいくという光景が現れている。

こうした様子を見るにつけ、私は「POSシステムは道具に過ぎない」といった言説をそのまま受け取ることができない。やはり、POSシステムは本や読者に対する書店の考え方に影響を与えるだろう。そして、それは結局のところ出版社の考え方、著者の考え方にも影響を与えるのではないだろうか。POSシステムに使われるのではなく、うまく使いこなすことを自明の理として論を展開するジュンク堂書店の福嶋氏のような才能ある人物が書店業界に多数存在するわけではないと思う。また、いたとしてもそれはいくつかの大型書店の発展には寄与しても、日本の書店のほとんどを占める中小零細書店ではなかなか力を発揮できないように思われるのである。

私はいま出版メディアがデジタル化の洗礼を受け、今後どのような展開をしていこうとしているのかということに関心がある。電子出版に象徴されるようなタイプのデジタル化の動きに対して、逆に手触りや臨場感などが改めて見直されてきていることも事実である。むしろ書店という業態が生き残っていくのは書店のもつ広場性という特性によるものであり、まさに「劇場としての書店」こそが演出されなければならない。

福嶋氏がジュンク堂書店という書店現場の中で、「劇場としての書店」をどのように発展させていくのか。今後も福嶋氏から目が離せないのである。

「デジタル化」と「劇場化」がこれからの書店を考えるキーワードとなることだろう。

2002-06-10

IT時代における出版メディアの挑戦

 2002年6月8日(土)、中部大学人文学部コミュニケーション学科に沢辺均氏(ポット出版・代表取締役)を招いて「私はこうして出版社を作った―IT時代における出版メディアの挑戦」というテーマで学生向けの講演&トークをおこなった。

 なぜ私がこの企画を考えたかというと、学生たちに出版現場がどうなっているのかを体感してもらいたかったことと、デジタル化とネットワーク化によって小さな出版社にも新たなビジネスチャンスがめぐってきていることを伝えたかったのである。

 そして、その結果はどうだっただろうか。

 出版について熱く本音で語る沢辺さんの迫力と、本のデータベース、ネットワークでの販売と決済、本のダウンロード販売のサイトとしての「版元ドットコム」を展開している沢辺さんのスキルの両面を、学生は十分に感じたようである。また、出版社を作るには、あるいは出版社で仕事をするには本の仕事への熱意と愛着、そしてなによりも自分がやりたいことを十分に自覚している冷静さが必要であることがわかっただろう。

 そこで、今回は学生たちのミニ・レポートを読んでいただこう。

中部大学人文学部コミュニケーション学科主催・講演&トーク
「私はこうして出版社を作った!―IT時代における出版メディアの挑戦」
ゲスト●沢辺 均氏(ポット出版・代表取締役)
聞き手●湯浅 俊彦(中部大学・講師)

2002年6月8日(土)11:00ー12:40
[中部大学人文学部27号館 2742教室・参加者36名]

 

設問1●本日の講演&トークを聞いて、出版社の作り方、出版社の仕事についてあなたはどう思いましたか?

回答●
●もともと出版社の仕事に興味があるので、実際に仕事の内容を聞けてとても参考になりました。驚いたのは本の売上げの利益のうちわけです。1ページ分が意外に安いということにビックリしました。本を1冊売るのには、出版社や書店などたくさんの機関を経るので大変なことなんだと実感しました。
●聞いただけでは出版社を作るのはかんたんだと思った。しかし、作った後、今の日本の出版社業界でいきていくには、出版にかけるあついなにかをもっている人たちが必要なんだと思った。そのなにかとは、わからなかったけど、きっと人の心を動かすなにかと思う。
●こんな簡単でいいのかっと思いました。そして裏の現実を知っておもしろかった。出版社の仕事って、とても大変そうだけど、やりがいはとてもありそうな気がした。
●小さくても自分たちで出版社を作ることができるということが驚いた。
●大きな会社より中小の会社の方がいろいろな挑戦ができるということは、とても大きなことだと思った。
●出版社の人から話を聞くことができて良かった。出版の仕事について興味を抱いた。毎日のように繰り返し出版される本を買い手からではわからないたいへんさがあるように感じた。本を作るということは色々な知識を学び、みにつけていかなければ良い本を作れないんだなあと思った。今日、本屋に行ったらいつもと違う見方で本を選んでいる私がいると思う。
●出版社と聞いたら大きな出版社しか想像できなかった。家の本などはすべて有名な出版社だし。でも今日の講演を聞いて出版社と作り方など知っていくうちに小さな出版社は新しいことを開発することができるというみりょくある仕事だと思った。
●出版社の人はもっとマニアックなイメージがあったけど、意外におもしろそうな人でトークもおもしろかった。ちょっとだけ出版社に興味がわいてきた。
●作り方としては許認可も資格もいらないということで、ポット出版社さんも、今はそれほど大きい会社ではないにしても、社長さんの前向きな考え方、向上心のあるところや、小さいからこそいろいろ挑戦できるということがあるということがわかった。もぐり込む方法、一緒に働きたい社員というお話がとてもタメになり、心をひびかせる、心を動かせる人になるにはストレートな行動がきくということが大事であり、50万円もっていって1年間タダ働きでいいから仕事させてくださいというのに、なにかそれほど意識していなかったけど、そういうことが大事だということをあらためて感じて、目からウロコってかんじになりました。
●出版社を作るのは簡単、それを継続させるのは非常に困難だということを感じさせられた。それに加えて本を読むヒトが減り、出版業界はあまりかんばしい状態ではない。そんな状況下だからこそのインターネットを使っての新しい試み、何か新しいことをするのには、メリットよりはデメリットの方が多いと思う。開拓心こそ、必要な業界なのだろう。
●興味あることだったので、眠らずに聞くことができた。知識が全然なかったけれど、わかりやすい講義だったので理解することができた。
●出版社は思っていたより、地道な努力があってとても大変な業界だと感じた。奇抜な発想を持っている人だと思った。
●学科は違うけど、作り方というよりも仕事の内容がよく分かった。一つの事を極めていけばどんな会社にも入れる可能性があると思った。これからの希望が見えるような講演だった。
●少し興味を持ちました。でもかなり大変な仕事だということもわかりました。収入も思ったよりも少ないこともわかりました。でもすごく楽しそうだとも思いました。今は日本語日本文化学科だけどコミュニケーション学科に転科してこのようなことを勉強したいと思った。
●自分はJ科だけど出版社に興味があり参加したが、仕事はとてもたいへんだなと思った。原稿料とか思ったより安いし、自分がなにげなくだしている本の代金も初めて、そのうちわけが知れたしよかった。ますます出版社ではたらきたくなった。
●本を作ること自体はそんなに難しくないことにおどろいた。出版の難しさはいかに売れる内容の本をつくり、いかに売れ残りを出さないかと言うこともわかった。出版をする方の人、とくに小さな出版社の人々の苦労もよくわかった。
●出版社は思ったより簡単につくれるものなんだと思った。専門学校へいっても出版社の仕事には殆ど役にたたないと聞いて驚いた。これなら沢辺さんの言うとおり、50万持って「一年間タダ働きでやとって下さい」と言うのも悪くないなと思った。
●出版社の現状のつらさがよく分かりました。本屋の取り分が22%ということも驚きました。パソコンの必要性も重要なことであり、IT時代の影響も反映されてるんだなあと思いました。
●「出版社は喫茶店のような許可がいらないので、つくろうと思えば誰でもつくれるがどのようにしたら本屋に本を取り扱ってくれるかが問題」と聞いたとき、とても難しそうな仕事だなと思いました。仕事の内容が定まっていればそれをこなすだけだけれど出版社の仕事は他の仕事よりも戦略が必要だと思いました。
●だれにでもできるといっていた出版社だからこそ個人のスキルが大事なんだと思った。逆に成功するのは普通の仕事よりも難しいと思う。
●やっぱりどんなことであれ、続けていくこと、維持していくことが一番重要で難しいんだろうなーと思いました。お金がたくさんもらえるわけでないし、休みだって無くなってしまうかもしれない。よっぽど本が好きじゃないとやっていけないだろうなーと思いました。
●わかりやすくとてもよかったとおもいました。つくることはかんたんでもつづけることがむづかしいのがいろいろなことといっしょなんだとわかってよかったとおもいました。
●今日、日本が不景気であり、就職が難しいというのを再確認した。やはり今、普通の人間は就職がむずかしいのだと感じた。なにか持っている人間は社会にでてももっと成功するのだろう。実際には講演を聞いてみてそう感じた。私もいざ就職の時に普通のことしか言えなさそうで不安になってきた。自分にほかの人と違うものを持っているのだろうか。それを大学生活で見つけ出さなければいけないと感じてしまった。
●雇う側からみると余りピンとくる人がいないということがわかった。
●雇う側の感想を聞けてよかったです。出版社の仕事は大変だなぁーと思った。
●責任感や自分の考えがしっかりある人ではないとできない仕事だと思った。目的のことをこなすには、ただ人についていくのではなく、仕事を自分で覚え、自分でのばしていかなければ出版社の仕事はできないと思った。
●出版社の苦労というものがとてもよくわかった。特に印象に残ったことは2000部しか本を発行しなくなったというところです。確かに最近は本の売上げが落ちてきているということを言われていますが、2000部というのは本当に少ない。というより少なすぎるということを思います。そういったところに出版社の仕事の苦労がわかったような気がしました。
●今は本を取次屋に出しているだけではダメだということが分かった。出版社を作るには独自の販売形態が必要だと思った。他の会社と同じことをやっていては現代の競争時代には勝てないんだなぁ…..。
●私は経済方面の話が苦手なので、いまいち分からなかった。出版社の仕事は社長によって違うという話が興味深く思った。
●本日の講演を聞いて出版者の仕事及び作り方、それほど簡単じゃないです。
●出版社の取り分は全体の67%もあるが、その中には印税や制作費や編集費がふくまれており、少なくなる。社員もいるので、結構少ないなと思った。
●いろいろ考えられていて大変な印象をうけた。
●出版社にもいろいろあって、小さな会社から大きな会社があるってことを知りました。ただ、出版社を作るのはむずかしくて私の頭ではどれだけがすごいのとかがわからなかったから、本を1さつ万引きされたら5さつ以上売らないと利益がないなんて、どうやって経営が成り立つのかなと思った。あとやっぱり出版社はもうからないって言った意味もなんとなくわかった。
●すごく儲かる仕事だと思っていたが自分が思っていたより儲からないなと思った。
●「現実とはこんなものか?!」とか感心した。金銭面は微妙に切なくなるなあ。特に中小企業はどのジャンルも一緒だと不景気を嘆きたくなった。
●出版社は簡単に作れると言っていたけれど、簡単には作れないと思った。出版社はお金がもうかるかと思ったけど、仕事は大変だけどあまりお金がもうからないのだと思った。出版社の仕事は大変だなぁと思った。

設問2●IT時代といわれる今日、出版社はどう変化しつつあるのか。あなたの感想を自由に書いてください。

回答●
●昔よりもいい時代になり、選択肢が多く、やろうと思えばできるということは僕たちに対しての魂のメッセージでした。
●IT時代を迎えて、パソコンやインターネットが普及してきたので、出版社の働きもそれと共に変化してきている。この間学んだオンデマンド販売が実際に出版社で行われてことによって、本の販売の仕方が大きく変わったので、その変化に驚いたし、すごいと思った。
●本をつくるということはもうだれにもできるようになった。
●出版社はこれからいかにおもしろい人をえらんで本をかりてもらうかというのがすごくじゅうようになってきている気がした。これから本が売れるっていうのはむずかしいと思うけど、本をよむというのがふえると思う。だから、おもしろい本ではなく、おもしろい文がたくさんでてくると思った。
●今はITが入ってきて、試行錯誤の時代な気がする。しかし今までの授業であったように、ITをうまく利用し共存していくんだろうなと思う。でも、ここで勝ち組と負け組がはっきり出てくる気がする。
●本だけでなく電子本をどのように売り出していくのか(電子本だけにするか、電子本と本を売り出すのか)が問題なのかもしれないと思った。
●複雑だったものが、どんどん簡潔なものになっていくと思う。
●IT時代だからこそ色々な方向から本を作り出すことができるだろう。インターネットでも本を読むことができるなど便利だ。「出版社」を私の中で大きすぎてよくわからないところだったのが、この講義を聞くことができ、近づけたような気がする。
●もしかしたらインターネットなどのITの情報で用がたせてしまい、出版社というものがなくなってしまうかもしれない。けれどその中で新しいことをやっていくことのできる「小さな出版社」という存在が勝ち残っていけるのかもしれない思った。
●最近は出版する本の数の少なさにびっくりした。でも、その中でもハリー・ポッターなどは何百万部も出版してるから本当にすごいと思った。
●インターネットを使っての「青空文庫」。もしかしたらBSデジタル放映を使っての新しい「本」の形態ができるかも知れない。
●IT時代により昔からある出版社自体の活動は小さくなってきている。そのITをどのように使って拡大していくかは、出版社のがんばりにかかっている。これからどう変化していくのか、それを見ていきたい。
●一般の考えにとらわれない、自由な発想が必要になっていくと思う。
●限られた人々だけからもった一般の人々もかんたんに本がつくれるようになると思う。売るのはもっとむずかしくなると思うが。
●カメラなどの機材が安くなり誰でも手に入れるようになった今、出版社は誰でもつくれるようになったと思う。
●少人数でも出版業界では生きていける時代に変化していて、短時間で本が製作可能になっている。
●IT時代という時代の変化にともなって、出版社もインターネットを利用したりするなど変化していると思います。
●これからは本屋にいかなくても本が読める時代になってくるから、出版社はどこにでもチャンスがあると思う。小さな出版社でもチャンスが十分あると思うし、個人のスキルを高めていくことが大事だと思う。
●どうやって売り込んでいくのか、どうやって知名度を上げるのか、その辺のやりとりやかけひきが複雑になってきていると思うので、難しくなっているんだと思いました。
●うねりがある。
●ITが発達し、出版社は苦しくなる一方ではないだろうか。難しいことはよく分からないが本が好きな人はたくさんいるから大丈夫じゃないかなぁ。
●IT時代になって、昔なら100万ぐらいかかった撮影が30万ぐらいでできる時代になった。僕らもやればできる時代だということがわかった。
●10年前にできなかった事が今の現代にできるようになり、IT時代と進化した。
●進化する現代にとって、ITをつかっていけば色々なことができると思う。
●昔ながらの手法から脱皮して本もITに負けない経営をしていく事が大事だと思いました。確かに本の売上げは減少してきているけれども、本を読む人というのは消えるはずはありません。なので、これからはケチるというのは言い方が悪いですが、事前に予約をとって欲しいという人の数のみしか発行しないという方法をとると返品もなくなるし、ムダな経費もかからなくていいと思うんですが……。
●どんどん独自の販売を行っている会社も出てきているので出版社は時代に乗り遅れないように、常に先端をいくために考えなくてはいけないと思った。
●IT時代という言葉が未だよく分かっていないが、時代の流れにによって変化するという事は出版社に限らず重要な事である。
●IT時代といわれる今日、出版社はもっと高いレベルに変化しつづけている。読者は今後、書店に行かない、出かけない。直接、インターネットで注文して、本だけじゃなくて、CDなども受け取れる新しい販売方法も生まれていい。
●ITの時代なので、インターネットにも進出していくと思う。
●新しい考え方が必要になってきている。今までの考え方ではだめだ。ITにより本を買う事さえ過去のものになりそうだから。次々と作戦を考えていかないといけない。
●フライデーとかなんて、20~40万ももらえるなんて、東京に行ったらデジカメとか持ち歩いて張り込みとかしてみたいと思った。でもすごく大変だろーなー……。
●最近、本の出版数がへっているのにびっくりした。
●IT時代になったという昨今、本当にIT化したとは言い難くて、でも授業で言う通りにやった者勝ちかなと思った。試行錯誤の時代のアイデア勝負は電脳ではなく人脳ではいけないなと思った。
●IT時代だけれども出版社はITに負けないで頑張ってほしいと思った。出版社はもっと活発的に変化すべきだと思った。

  以上、学生たちの生の声である。

良くも悪くも現在18歳である彼・彼女らがこれからのメディアをデザインしたり、主要な受け手になったりしていくだろう。

 出版メディアは確かに今、ゆれている。しかし、地殻変動の時期はこれまでの商取引の慣行から締め出されていた新参者にとってはチャンスの時でもある。さらにかつては大掛かりな、非常にコストのかかるものであったコンピュータ・ネットワークがインターネットによって、またかつてに比べるとずっと安価で高性能なパソコンの登場によって企業と個人の格差をかなりの程度、埋めることになってきた。

 あとは本当にしたいことを持っている人間が出てくるだけである。それが講演を企画した私の、学生たちへのメッセージである。

 熱い話をしてくれたポット出版の沢辺さん、そしてご協力くださった中部大学人文学部コミュニケーション学科の小中陽太郎教授、都築耕生教授、事務室のみなさんにこの場を借りてお礼を申し述べたい。

2002-06-03

電子図書館は本屋を駆逐するか?

 公共図書館が「電子図書館」化していく時、出版社、取次、書店はいったいどうなるのか。

 このテーマでまず私が思い出すのは1999年1月10日発行の雑誌「人文学と情報処理」の別冊1「特集 電子図書館はどうなる」(勉誠出版)である。

 一言でいうとこの別冊の編集は完全に破綻している、と私は思う。執筆者を代表して石川徹也氏(図書館情報大学教授)が「はじめに」と「編集後記」の両方において、執筆者間の認識が矛盾していることを認め、しかしながら問題点が明らかにされたことが有意義だったというようなことを書いている。

 しかし、この編集スタイルは私には好ましいとは思えない。雑誌などで賛成・反対双方の意見を同時掲載し、両論併記という形で発行することはよくあるが、この別冊特集は「電子図書館はどうなる」として、第1章「電子図書館のあるべき姿」から第6章「万人に開かれた知識基盤」まで担当執筆者を決めて、一つの本のようなスタイルで編集されているのである。ところが、その章ごとの記述が矛盾しているという事態になっており、にもかかわらず、その矛盾を執筆者同士で解決しないまま、そのまま出版してしまっている。これでは「編集」というのは集まった原稿を割付する作業でしかないだろう。そして、電子図書館をめぐる現状が矛盾しているので、論考も矛盾のままであえて世に問うた、といった一種の居直りのような「はじめに」と「編集後記」なのである。

 執筆者を代表して石川徹也氏は次のように書いている。

 「第2章から第6章を読み通すと、重要な問題であればあるほど、記述事項が重複し、その間の矛盾が気になり、結局、全体の結論として何を言いたいのか、すなわち『どうあればよいのか』等々の感想・疑問を持たれるかもしれない。(中略)それらの矛盾は現に存在するわけで、今は互いに融和しつつ、事業を推進していると考える。将来、それを現実のシステムとして運用・利用することになると、すべてを白日の下にさらし、白黒をことごとく明確にしなければならない。そうなると、大げさな物言いをすれば、犠牲者も出現しよう。そうならないためには、この先、年月を経て、技術の発展をまちながら、社会的合意の下で解決し、運用に移行していく以外ないと考える。」(「はじめに」前掲書、7ページ)

 「各課題は、各立場で、主に利害関係から、矛盾を呈している。当矛盾は、現在の問題点でもある。事実、検討の途中で、『そのことは言ってくれるな!』といった、率直な意見を戦わしたこともある。」(「編集後記」前掲書、145ページ)

 じつに生々しい話ではないか。「そのことは言ってくれるな!」とはどの場面で戦わされたのか、気になるではないか。

 しかし、この別冊を読むと、いや読まなくても(失礼!)真相は推測できる。まさに、「みんなの利害は電子図書館でどうなる」か、なのである。

 結論から言ってしまえば、電子図書館の議論に書店や取次に勤務する執筆者が加わり、取次や書店の役割があると主張していることが、矛盾を引き起こしているのではないか。

 例えば、堤篤史氏(日本経済新聞記者)は、第2章「新たな『出版』の可能性と課題」の中で次のように書いている。

 「次世代の電子図書館では『収蔵しない自由』という留保付きではあるが、『可能な限りあらゆる文献を網羅する』ことが要求されるとする。このことと、有料化という原則を考えあわせれば、実は電子図書館は他に比類しうるもののないほど大規模な、オンライン出版マーケットとなる可能性があるということだ。」(前掲書、28ページ)

 つまり、電子図書館は有料が原則で、最大規模のオンライン出版マーケットになるという認識である。

 また、松崎善夫氏(横浜市中央図書館)は、次のように書いている。

 「現在の書店に該当するものが電子出版物の流通についても機能して、求める資料(情報)を任意の業者から購入できる形が残るとは限らない」(前掲書、82ページ)

 それでは、ここで想定される電子図書館にはたして書店や取次が関与する部分がまだ残されているか、と誰でも疑問に思うだろう。

 ところが、第3章「『情報流通』の要として」では(株)図書館流通センター常務取締役電算室長の菅原徳男氏、株式会社トーハン図書館営業部の高見真一氏、株式会社丸善学術情報ナビゲーション事業部の笹井真也氏の3人が共同執筆した次のような記述がある。

 「流通業が電子図書館時代においても必要かどうかという点について、一見すると、提供者と利用者というシンプルな情報伝達のプロセスに反して、非合理的と取られ易い。また、現在の取次ぎ機能に該当する著作権等情報センターについては、提供者の立場からの違和感から(ママ)が予想される。」(前掲書、65 ページ)

 「では利用者から見た場合の流通業の存在価値は何であろうか。その一つとして考えられるのは情報の集約である。」(同上)

 「電子図書館においても地域の公共図書館が地元書店との関係を意識し、商流上での窓口としてその存在を必要とすることになるかもしれない。」(67ページ)

 「特にエンドユーザに対しては、様々なジャンルにおける無店舗書店の展開が予想される。この分野が既存の書店のみが果たす役割かどうかは難しいが、電子図書館において、無限の可能性があり、また、大きく期待されるところである。」(同上)

 「流通大手が中小書店経由でエンド・ユーザへ何らかの形(フロッピー、ペーパー)でサービスする方法も確立したい。」(同上)

 まったく立場によって、電子図書館と取次・書店の関係に関する記述がばらばらではないか。そこを徹底的に議論しようとすると、「犠牲者も出現」するから、「そのことは言ってくれるな!」となるのではないだろうか。

 それだけではない。この別冊では電子図書館は有料か、無料かという点に関しても執筆者によって見解が違うので、そのことを前提として展開している議論がかみあわないのである。

 私はこの別冊を批判することを目的に、こんなことを言い出したのではない。そうではなくて電子図書館という、論者によって少しずつ異なるイメージは、結局のところ、現状を変革するためのそれぞれの業界の道具にされつつあることを指摘しておきたいのだ。

 そして、取次・書店サイドの論調にはかなり無理があると言わざるをえない。取次・書店はお呼びでない、というのが今、進められている図書館の「電子図書館」化なのである。

2002-05-27

岩見沢市立図書館の『岩波文庫』配信サービスをどうみるか

 出版業界紙「新文化」2002年5月23日付けの記事によると、電子書籍版の「岩波文庫」が日本で初めて公共図書館で閲覧できるようになるという。電子書籍の配信サービスを行っているイーブックイニシアティブジャパンが6月上旬、北海道岩見沢市立図書館に対して電子版「岩波文庫」109作品を提供するというのである。

 岩見沢市立図書館は電子図書館予算でイーブックイニシアティブジャパンから電子文庫を一括購入し、利用者は館内に設置された7台のパソコンの専用閲覧ビューワで閲読する。年内にも著作者から利用許諾を得た電子版の「岩波文庫」500点、平凡社の「東洋文庫」約300点が図書館で読むことができる見通しだ。

 この動きは公共図書館の電子図書館化がいよいよ進み始めたことをものがたっているだろう。これまで電子図書館化は日本ではむしろ大学図書館の問題であった。CD-ROMなどパッケージ系の電子出版物の収集や電子ジャーナル・サービスの導入、さらに所蔵資料のデジタル化と利用者への提供など、大学図書館はこの数年の間に急速に「電子図書館」化してきている。

 一方の公共図書館はと言えば、図書館法に規定されている資料の無料提供の原則や、また従来からの貸し出し中心主義からの脱却が遅れていることもあり、利用者へのインターネットによる出版コンテンツの提供はあまり進んでいるとは思えなかったのである。

 2000年11月17日に東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催された第2回図書館総合展の分科会「本の未来と図書館―インターネットに展開されている電子本と図書館について語る」において、津野海太郎氏(評論家・和光大学教授)、萩野正昭氏(ボイジャージャパン代表取締役)、そして私の3人でディスカッションしたことがある。

 このとき、津野氏は地域の公共図書館の利用者の立場から大学に比べてあまりに公共図書館がネット上の資源について関心を持たなすぎると指摘していた。出版社が「紙の百科事典」を今後出版できないという現状の中で、公共図書館のレファレンス業務も変化せざるをえないのではないか。それは好むと好まざるとにかかわらず公共図書館が直面せざるをえない現実であることを強調していたのである。そして、「紙」本位制で作られてきた図書館の技術の限界を指摘し、ビッグビジネスとしてではなく、本の多様性を維持するためのデジタル化を主張した。

 一方、萩野氏はそのフォーラムでは私の本『デジタル時代の出版メディア』のドットブック版を例にプロジェクターを使って、立ち読みの機能や、文字の大きさや縦書き、横書きを自由自在に変えられることなどを実演してくれた。そして、その後も私とのメールのやりとりの中で将来の図書館での電子書籍の取り扱いについていろいろ意見交換をした。

 萩野氏は図書館の利用者が電子書籍をダウンロードする場合、図書館のサイトから電子書籍出版社のサイトへリンクさせ、コピーに対しては商取引とすべきであると主張していた。一方、青空文庫のような著作権フリーの電子書籍に関しては利用者からの要求に対してすぐにダウンロードできるわけである。また、もう一つの考え方として萩野氏が提唱するのは年間使用料のような契約をすることである。これは特に大きなデータベースなどが対象になるという。そして例えば年間使用料100万円を200館の図書館が連合してシェアすれば1館あたり5000円となり、5000円の本を購入したのと同じになるというのである。このような対応がもし出来るのであれば一般利用者は図書館サイトから有効なデータベースへのアクセスが無料になることも可能である、と萩野氏は言っていた。

 では、公共図書館が電子図書館化していくとき、出版社、取次、書店はいったいどうなるのだろう。つまり、図書館が「電子図書館」化する時代に出版社、取次、書店の機能とは何なのかが問われているということである。

 この問題は次回に引き続き考えてみたいと思う。

 ところで今年、日本書籍出版協会の『日本書籍総目録』のCD-ROM版と合体して刊行される『出版年鑑』では、初めてWeb上で販売されている電子書籍約8000点、オン・デマンド出版物約1000点、そしてCD-ROMの目録が掲載されるという。

 こうした流れを見ると、電子出版物もいよいよ「市民権」を得たと断言してよいのだろう。 出版メディアの地殻変動がいよいよこれから始まることだけは間違いなさそうである。

2002-05-20

出版学会もかなりデジタル時代?

 2002年5月18日(土)、担当している中部大学のメディア論の授業を休講にして(最近の大学は休講すれば補講が原則)、日本出版学会の春季研究発表会・総会に出席してきた。今年の会場は東京都国分寺市にある東京経済大学である。

 特徴的だったのは、研究発表の第2部で3人の大学院生が登場し、読書や読者に関する研究発表を行ったこと。また第3部では電子出版に関する研究発表が集中的して行われたことである。出版学会でも大学院生による活発な研究発表が増え、そしてデジタル時代を迎えた学会の新しい潮流も本格化してきたという印象を受けたのである。(もちろん第1部の研究発表でも今日の出版不況の現状を考察したものや、鈴木書店倒産の意味を問うものなど、きわめて現実に即した、いかにも出版学会らしいものがあったことを付け加えておかなくてはならないが。

 そこで、今回は電子出版関連の発表を集めた第3部の模様をダイジェストで紹介しておこう。

 まず第1番目の研究発表者は中村幹氏(株式会社印刷学会出版部・「印刷雑誌」編集部)であった。テーマは「出版社からみたオンデマンド印刷の検証」。

 中村氏は、オンデマンド印刷を「必要なときに必要な部数をすぐに印刷する概念」であると定義し、「DI印刷機」と「オンデマンド印刷機」についてまず説明を加えた。DI印刷機とはダイレクト・イメージング印刷機の略で、CTP(computer to plate)ともいう。これは数百部から5千部程度の印刷に威力を発揮するといわれている。一方、オンデマンド印刷機は数十部から2百部程度が適していると一般にいわれているという。

 中村氏は書籍の印刷・製本に関してどのような印刷方法がコスト的に適しているか、OHPを使って解説した。発行部数の少ない順に示すと「オフィス用プリンタ」「トナーベース・オンデマンド印刷」「DI(ダイレクト・イメージング)印刷」「オフセット印刷」となり、品質は後者であるほど良くなる。

 中村氏は、実際に印刷会社に対してA5判200ページ、100部、並製の書籍の見積もりを取って検証したところ、100部程度ならば紙版下によるCTP出力、またはトナーベースのオンデマンド印刷が適し、500部になるとさらに安価になる結果が出たという。また、500部の書籍を製作して売り切れば、単価は高くなったとしてもその後は100部ずつ刷る方が効率的であると結論づけた。

 第2番目に、深見拓史氏(株式会社廣済堂)が「出版コンテンツ配信ビジネスの現状と課題」というテーマで研究発表を行った。

 深見氏は出版コンテンツと呼ぶ対象を「辞事典、単行本、文庫本、美術全集、情報誌など、コンテンツを有料で配信するもの」に限定し、IT機器の売上げは鈍化しても情報サービス産業界の売上げは伸びており、またEC(エレクトロニック・コマース)の規模もB to C(企業と消費者間)では2006年には16兆円にもなり、今後の出版コンテンツ配信ビジネスは拡大するだろうと語った。深見氏は廣済堂が開発したコンテンツ配信事業を実例に挙げて説明した。この事業はインターネットカフェの利用者を会員として囲い込み、映像などのコンテンツをネットで有料配信するシステムである。深見氏は限定読者へのコンテンツ配信事業は会員管理、電子認証、課金システムが成功の鍵を握っていることを強調した。写経から印刷へ、舞台から映画へ、映画からテレビへ、というようにメディアは変革されていく。この発表では出版コンテンツの有料配信システムは必ず進展するだろうと結論づけられていた。

 第3番目に登場したのは山本俊明氏(聖学院大学出版会)であった。発表テーマは「学術出版の危機とオンライン化の課題―アメリカ大学出版部協会の取り組みを中心に」である。山本氏は、アメリカの学術コミュニケーションの担い手であるAAUP(大学出版部協会)、ARL(研究図書館協会)、ACLS(学術会議)の三者が 1997年9月に共同で開催した「学術専門書出版の危機、あるいは書籍が出版できなければどのようにして終身在職権を得ることができるのか」というテーマの会議における議論を資料として、この問題を考察した。

 まず、コスト高騰による学術出版の経済的危機がコスト削減のためのオンライン化をもたらしたことがこの資料では明らかにされているという。次に学術専門書出版の危機は出版の経済的危機にとどまらず「学術コミュニケーションの危機」でもあるという。つまり若手の研究者が研究成果を発表できないという事態をもたらしているのである。さらに、オンライン化は著者→出版社→図書館(書店)→読者という伝統的出版モデルを危機に直面させ、インターネットの著者→読者という出版社・図書館の役割を失わせるものになっている。またそれは、印刷メディアの危機でもあるという。山本氏の発表の中でもっとも興味深かったのは、学術専門書の未来に関わる部分である。

 それはまず第1に、学術書の機能の問題である。ページという概念がなくなり、引用箇所をどのように表記できるのかということである。

 第2に、テキストの未決定性の問題である。これはテキストの改変が容易であるためにどれが最終テキストなのか分からなくなるということである。

 第3に、サイトの管理の問題である。サイトが運営できなくなったりすると、デジタル学術情報はだれが保存し、管理するのかということである。

 山本氏は学術情報のオンライン化によって、大学、大学出版部、大学図書館のそれぞれが大きな変革を迫られていることを強調した。もちろんこれは山本氏も言うように、アメリカだけの話でないことは明らかであろう。

 以上のように、今回の出版学会ではオンデマンド印刷、有料コンテンツの配信システム、学術情報のオンライン化というテーマの発表が行われ、会場参加者からの質問も相次いだ。まさにデジタル時代の出版学会なのである。

 ところで、この日に開催された総会で私は初めて理事に選出された。最近、デジタルづいていると言われている私は、今後さらに日本出版学会と深くかかわっていくこ とになりそうな気配である。

2002-05-13

大阪府マルチメディア・モデル図書館展開事業とは

 今回は、第14回「書店の危機と変貌する若者のメディア接触」において少し触れた大阪府立図書館のインターネットを利用したレファレンス(e-レファレンス)の話のつづきである。

 このe-レファレンスの話はそもそも「大阪府マルチメディア・モデル図書館展開事業」として2001年9月から2006年3月まで4年半をかけて地域の情報拠点としての公共図書館をめざす実証実験のうちの一つである。全体の実施計画書によると、その事業目的は以下のようになっている。なかなか興味深いので、長いが全文引用してみよう。

 「インターネットの急速な普及は、膨大な電子情報に誰もが自由にアクセスできる環境を創り出した。しかし、情報ハイウェイ発祥の地アメリカと比較し、『IT革命の成果の市民への還元』という面で大きく遅れを取っている。
 例えば、公共図書館・大学・民間企業等が一体となって子供から質問に答える『ネットワークレファレンス(The Virtual Reference Desk: VRD)の取り組み』や、また政府機関が利用するITは、Webサイトを含めすべての障害者が利用できるものにしなければならないという『障害者や高齢者などへのバリアフリーな環境の整備』の面でも、大きな格差が出ている。このほか、デジタルコンテンツ製作の遅れや、電子情報の所在を探索する環境なども整備できていない。
 このようなデジタルデバイドの解消をめざす上で、『IT革命にふさわしい情報拠点としての図書館の役割や機能』を踏まえた、戦略的な研究開発が期待されている。
 IT革命の成果を、地域の情報拠点としての役割を担う公共図書館において、具体的な内容と効果を伴った形で実現する事を目標とし、『福祉型Web図書館システム』『複合型Web図書館システム』『Web電子図書館システム』『参加型Web学校図書館システム』の4つの柱からなる『マルチメディア・モデル図書館』を、全国公共図書館中、最大級の大阪府立図書館を中心として、大阪府域の公共図書館や学校図書館、専門機関と協力して構築し、すべての人が容易に利用できる高度な図書館情報サービスの実現を目指した実証実験を行う。」

 つまり、デジタルデバイドを解消するために公共図書館が高度な情報サービスを作り上げ、すべての市民に利用してもらおうというのがこの事業の趣旨である。

 そのためにまず具体的に「マルチメディア・モデル図書館」の4つの柱を打ち出している。実施計画書によると概要は以下の通り。

1.福祉型Web図書館
 障害の有無、コンピュータの利用経験の深浅に関わらず、インターネットをはじめとする情報を等しく享受できるよう、利用者のニーズにあわせて、音声出力、点字出力、文字の拡大等が容易に選択できるシステムを実現する。障害者・高齢者用の汎用デジタル録音システムとして世界各国が共同開発中のDAISY (digital audio-basedinformation system)フォーマットのデータ入出力ができるシステムを構築する。Web上の公開情報に多用されているPDF等のファイル形式を、特に視覚障害者が扱い易いように、利用者がファイルの形式を意識せず、利用しやすいテキスト形式などに自動変換できるシステムを構築する。
2.複合型Web図書館システム
 日本語Z39.50プロトコルによるWeb横断検索システム及び書誌同定技術の研究開発を行うとともに、当該システムと集中型Web検索システムと併用したバーチャル総合目録を図書館相互の連携により実現する。Z39.50プロトコルを各図書館のゲートウェイとしての役割を持つサーバだけでなく、ロボット・ソフトに適用し、通常のゲートウェイ方式では検索が難しい世界各国の文献が探索できるシステムを構築する。
3.Web電子図書館システム
 利用者が容易に貴重資料を閲覧できるようにするため、高精細画像表示技術を用いて、精密さを要求される画像等の図書館資料の電子化及び公開ができる電子図書館システムを実現する。利用者が当該システムを利用して検索した電子資料は、利用頻度に応じてキャッシングし、インターネット上に散在する電子資料を高速で提供できるシステムを構築する。
4.参加型Web図書館システム
 上記の各システムを基礎に、画像半開示技術、電子透かし技術、利用者認証技術、GUI技術等のコンテンツ流通技術を用いて、著作権保護に配慮した参加型レファレンスデータベースシステムを市町村図書館、小・中・高等学校との連携、情報の共有により構築する。

 このような電子図書館が作られたなら、たしかに障害のある人にとって、また図書館に足を運ぶ時間のない市民にとってじつに便利である。

 そして、小学校、中学校、高等学校の児童、生徒にとっては総合的学習の基礎になる調べ学習が容易にできるようになるだろう。例えば学校図書館に所蔵しない資料を公共図書館で探す場合、これまでも夏休みの自由研究のための参考図書は質と量の双方において乏しかったのではないだろうか。野山の草木に関する本があいにくすでに貸し出されていたとすると、児童・生徒ははたしてその1冊の本を夏休みの間に借り出すことに成功するであろうか。

 今日では総合的学習の先取りで学校の生徒が公共図書館にクラスごと出向いていくこともしばしば行われているが、複数の学校が一度に来館すればもはやお手上げであろう。その点、電子図書館化はより多くのレファレンスに対応できるのではないだろうか。

 インターネットの急激な普及によって膨大な電子情報が生まれたが、日本の児童、生徒たちがそれを活用するための情報リテラシー教育を十分に受けているとはいいがたい。電子メールによって図書館のレファレンスが利用でき、さらに実際の資料を入手できる体制が作られる必要があるだろう。

 IT革命と言われても市民がその恩恵を受けていないようでは話にならない。大阪府の事業は具体的な図書館利用法であるがゆえに、かなり有効なものだと私は思う。

2002-04-15

若者・ケータイ・読書

 書店の経営危機の背景には若者のメディア接触の変貌があることを前回、指摘した。たとえ現在の消費不況が回復したとしても、書店全体の出版物販売額が今後、右肩上がりで上昇していくとは思えないからである。

 ではどのようなメディア環境の変化があったのであろうか。

 まず、個人の情報化とでもいうべき情報機器の普及がある。パソコン、ファクシミリ、ビデオ、CDプレイヤーなどの普及率はかなりのものであるが、どれ一つとってみても例えば70年代に高校・大学に通った私の学生時代にはなかったものである。そして、現在の若者のメディア環境で特筆すべきものはなんといってもケータイとインターネットであろう。とりわけ、インターネットに接続できるケータイの普及には目をみはるものがある。かつてのパソコンユーザー、すなわち高学歴、高収入で都市に住む階層だけでなく、これまで情報リテラシーが低いとされてきた層にもインターネットは確実に普及しているのである。

 大手広告代理店の博報堂がまとめた『ケータイ生活白書』(2001年 NTT出版)が列記する近未来のケータイのイメージは次のようなものである。

 地図やカーナビ、パソコン、手帳メモ、新聞、ラジオやウォークマン、小型カメラ、テレビ、伝言板、秘書、雑誌や本、銀行・証券会社、財布やクレジットカード、リモコン、コンビニ、友達や相談相手、ゲーム機、ペット。

 これを見るとすでに「近未来」ではなく現実化しているものも多いことに気づくだろう。つまりケータイはもはや電話というこれまでの概念をはるかに超えてしまっている。情報へのゲートウェイ(出入り口)としてのケータイととらえた方が分かりやすいのである。

 そこで指摘しておかなくてはならないのは若者の生活費に占める通信費の支出が増えていることである。大阪大学生活協同組合が2000年に実施した大学生の消費生活に関するアンケート調査では大阪大学の学生の9割がケータイ(PHSを含む)を持ち、そのうち6割がケータイ代を本人が支払っている。備え付け電話しかなかった時代にはそもそも大学生に対する電話代の設問すらなかったのである。1ヶ月の電話代は自宅生6560円、自宅外生7240円、寮生 10960円、下宿生7030円で平均6560円。

 また、単身世帯を対象に1999年に実施された「総務庁 全国消費実態調査」でも30歳未満の男女の通信費は前回(1994年)調査の2倍に達し、食費をけずってケータイやPHS、パソコンなどの通信費に支出していることが明らかになっている。

 ところで情報通信に関しては経済的な側面だけでなく、生活時間の問題も当然考える必要があるだろう。一人の人間がもつ可処分時間は限られており、ケータイやパソコンに使う時間が増えているということは、ほかの時間がけずられているということである。

 本や雑誌の販売額が年々減少していることには、じつはこのような背景があるのである。

 実際、大学生活協同組合連合会では1997年10月に実施された「第33回学生の消費生活に関する実態調査報告書」(1998年9月発行)以降、読書時間の調査をやめてしまった。1日の読書時間が「ほとんどなし」と答えた大学生は1987年には25・1%だったが、1997年には41・0%に増えている。まだ、平均読書時間も1987年に45分だったのが、1997年には31分に落ち込んでいる。さらに生活費に占める書籍費は2000年には月2910円(下宿生)で10年前に比べ約1000円も減っている。

 学校図書館協議会を毎日新聞社が共同で行っている学校読書調査によると、1ヶ月の読書冊数0冊と答える「不読者」が増加している。1955年、1975年、1999年の「不読者」は、小学生3・7%→9・9% →11・2%、中学生8・6%→29・9%→48・0%、高校生14・6%→34・7%→62・3%となっている。

 これらの統計が示していることは、書籍には関してはすでに平均読書冊数や平均読書時間など出してみても意味をなざず、読む人と読まない人がはっきり2極分解し、若者にとっては読書が明らかに少数者のものになりつつあるという実態である。

 さらにもっと冷徹な事実は日本の若者そのものの減少である。国立社会保障・人口問題研究所「人口の将来推計 低位推計」によると、0歳から19歳の人口は 2000年の2593万人が2010年には2295万人とじつに298万人、率にして11・5%も減少すると見られている。(「朝日新聞」2001年4月 27日付け大阪本社版朝刊)

 人口そのものが減少し、本を1ヶ月に1冊も読まない人の比率は高くなる一方という「若者像」から、これからの出版メディアを考えていかざるをえないというのが、ここでの私の結論である。

【お詫びと訂正】
 前回、第14回の文中「波屋書店」とあるのは「波屋書房」の誤りでした。お詫びして訂正します。