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芝居編 10090807060504030201
映画編 10090807060504030201

芝居編03●多様性の空間について

●書き手
高島琴美さん
バリアフリーシアター・
ジャパン

テロは本当に恐ろしい。
しかし、「報復だ!!!!」ということになると、そのほうがよっぽど恐ろしいのではないか、と思っていたら、あっという間にアメリカは「戦争状態」になってしまった。あの状況が戦争だとすると、地下鉄サリン事件は、やっぱり内戦というか、あれも戦争だったのだな、きっと。サリン事件のとき、アメリカに介入されなくて、本当によかったですね。仏教のことがよくわからないので、放っておいたのであろうか?
このテロ事件の件で、まっとうだと思ったのは、アメリカで足止めを食っていた中村勘九郎さんの発言。
スポーツニッポンによると、帰国直後の発言として、「『同時にテロが起こるなんて信じられない。どうかしている。国内は戦争や報復ばかりのニュースばっかりで、セキュリティーの不備は伝えていない』と不満な表情も。」とのこと。
そうである。セキュリティの不備によって引き起こされた今回の事態について、なぜもっと問題にならないのだろう?
要するにハイジャックされたのであるから、これはハイジャックの応用問題、発展形に「すぎない」のではないか?
それとも、ハイジャックというのは、戦争の作戦のひとつとして認知されているようなものなのか?
また、もしもこれがブッシュ大統領のいうように「テロ勢力との闘争が、『戦場も上陸拠点もない』全く異質な戦争」なのだとしたら、旧来の方法で勝てるわけは、ないのではないか?
なのになぜ、今までと同じような方法で制圧しようとするのか?
「他の解決策」を探すべきではないのか?
よくわからないことばっかりだ。
11日夜、事件の最初の情報をニュースステーションで見たとき、状況が不明確な中で、渡辺真理さんが「これはテロというより戦争ではないでしょうか」と言ってしまったとき、そのときが、あの一連の報道を見ていて一番怖かった瞬間だった。
ビルに激突する瞬間の映像よりも背筋がぞっとした。
アメリカのメディアは「これを戦争だと思うか?」というアンケートを行ったらしいが、それはメディアとして凄く頭いいやり方だとは思うけれど、そして、実際あの場にいたら、きっとこれは戦争だと思うほどの光景なのだろうけれど、テレビで見ても本当に恐ろしい光景だけれど。
しかし、だけれども、全然違うのだけれども、あの阪神淡路大震災が起きたときのことを思い出す。朝、テレビを見たら高速道路が崩落している映像が目に飛び込んできた、その、何がなんだかわからなかったとき「ああ、、、戦争が起きたのか?」と思った。そのときの絶望感。「戦争が起きたのか?」と思っていた間の恐怖感と無力感。
そして、戦争ではないということがわかって、ひとつほっとした。
最悪の事態だけれども、これは、世界の終わりにはつながらない。
テロで5000人もの人命が奪われるということは全く異常なことだけれども、それを、「戦争」という「連続する報復」という「旧来の形式」で解釈してしまうのが、最善の方法なんだろうか?
世界の終わりのはじまりに、どうかつながりませんように。
なんと言っても、バリアフリーシアター・ジャパンの仕事は「20年はかかる」と思っているのだからね。20年後も、この世がある、劇場も演劇もある、という前提でやっているんだから、この世がなくなってしまっては、ホント困りますから。
で、本題ですが、私たち一人一人が、複雑なこの世界に生きてしまっている以上、もうすでに、視点の多様化と細分化、意見の相違と相互理解の困難と不能は避けられない。そしてまた逆に少数者どうしが出会い、多数派との意見の相違を明確に自覚することが可能になっている今、そして、一方で、人が人を徹底的に傷つけることが、これほど容易になっている今、意見の違いや相互理解の困難という現実に目を塞いだままで、なんとなく世の中をうまくまるめていくなんてことは、もう、不可能でしょう。
だとすると、「自分から見て、この世界はどうか」ということを、一人一人がきちんと言ってしまっていい、というか、どう思っているかということを、何らかの方法で伝えることから、現実を直視することから、すべてが始まるのではないか、また、そこからしか、ものごとは始まっていかないのではないか、と感じるのだ。その「多様性が共存する空間の維持」が、重要なのだと思う。

要するに、そのこと、「多様な発言や多様な立場、意見の相違や対立の存在を、保障するということ」を「観客席という限られた場所」でやっていくということが、バリアフリーシアター・ジャパンの立場での「仕事」であると思う。観客席にいる一人一人が、全然違う感じ方や考え方を持っているということを保障するということは、目が不自由だったり、耳が聞こえなかったりという観客の存在もまた、認知されているということだ。
いきなり言ってしまうけれども「観客席を多様化する」ということと「これから、世界の平和を、どうつくっていくのか」ということは、地下水脈的につながっているのだと思う。空港のセキュリティっていう話も「航空機内の対立する多様な意見を平和的に共存させるためのシステム」なわけだし。
そしてたぶん、環境問題も、教育問題も、経済問題も、つながっている。
そして、ネットワークという方法を手にいれた、一人一人の市民が、とっても個性的な自分の立場で何か言うこと、『多様な意見の共存する空間』がいろんなところにできること。そこから、新しい秩序は、生まれるのだと思う。
バリアフリーシアター・ジャパンの話が、ちょっとそれてしまったように見えるかもしれないけれども、そうではない。
「観客席で、『多様な意見の共存する空間』をどう維持するか」、
ということが、バリアフリーシアター・ジャパンの本質的な課題なのですから。

   
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